昭和初期に建設され、その姿を現在にまで残す数少ないJR五能線駅舎の一つである北金ケ沢駅(深浦町関)の駅舎が、老朽化のために解体、改築されることになった。これを受け、これまで鯵ケ沢町内にある古い五能線駅舎を建築調査してきた同町教育委員会が先ごろ、解体作業中の北金ケ沢駅に建築調査に入った。外観や内部を一見しただけでは知り得ない、解体中であるからこそ判明した事実もあった。老朽化による解体や改築による利便性の向上は時代の流れでありやむを得ないことだが、せめて記録を残して後世に語り継ぐために、調査結果のまとめを待ちたい。
 北金ケ沢駅は1931(昭和6)年に建設。外観を見ると、窓枠や屋根のトタンは現在のものに換わっているが、こげ茶色になった板張りは趣があり、開業当時の姿を今に伝える。開業当時の姿を現在にまで残す五能線駅舎は、奥羽線駅に数えられる川部駅(1894年建設、田舎館村)を除けば、他に板柳駅(1927年、板柳町)と陸奥森田駅(24年、つがる市)のみだ。
 鯵ケ沢町教委はこれまで、同町内の旧鳴沢駅(25年)と旧陸奥赤石駅(29年)の解体に伴う記録調査のほか、陸奥森田駅と解体前の北金ケ沢駅、旧鯵ケ沢保線区(37年、鯵ケ沢町)の調査を八戸工業大学非常勤講師の中村隼人氏、元県文化財保護審議会委員の故佐藤仁氏と共に行ってきた。その結果は一例を挙げると、旧鳴沢駅が近くにあった旧陸軍山田野演習場との関連で設置されたとみられ、解体時点で屋内外を問わず、多くの部分で複数回の増改築が行われていたことが判明した。
 今回、調査に入った北金ケ沢駅の場合、建設に当たり当時としては珍しいメートル単位が用いられていることが判明。その根拠は、旧鉄道省が30年に作成した「小停車場本屋標準図」を反映したとみられる設計だ。当時の他の駅舎は尺寸単位で設計され、メートル単位の設計は本県側では唯一のもの。標準図と照らし合わせると、建設当初に存在した荷物扱い口が解体されていたこと、内壁や天井が数度にわたって張り替えられたことも分かった。
 日本古来の単位をあえて使わず、西欧由来のメートル単位を使った意味は何であろうか。戦後の駅舎は尺寸とメートルが混在しているが、昭和初期の段階では、本県側で同駅以外にメートル単位を採用した駅はなく定着しなかったわけだが、その背景にあったのは何なのか、と考えるだけでも興味深いものがある。
 北金ケ沢駅などを通る五能線は地域住民の生活を支える公共交通であるだけでなく、観光客や鉄道ファンに絶大の人気を誇る観光路線だ。車窓から眺める絶景の海岸に加え、今後こうした古き良き時代の駅舎もPR素材として大いに活用してはどうだろうか。