定年退職後に無職で年金収入に頼る高齢夫婦の場合、月平均約5万円の赤字が生じ、30年後の95歳まで生きるには2000万円の資産取り崩しが必要―。「高齢社会における資産形成・管理」に関する金融庁の報告書で示された試算は波紋を呼んだ。あくまでも試算で、家計事情や生活スタイルはそれぞれ異なるが、2000万円を貯蓄できる世帯はどれぐらいあるだろう。
 現状のままでは年金給付水準の向上は望めない。退職金制度がある企業の割合は徐々に低下し、給付額もピーク時から3~4割程度減少していることは、報告書にも記されている。年金収入だけで暮らせる生活は将来ますます難しいだろうと想像はできても、「そんなに必要なのか」と驚く。将来的には2000万円でも足りないのではと不安は増す。
 報告書では「人生100年時代」の暮らしを金銭面で補完する「自助」の必要性を説き、「長期」「積み立て」「分散」を基本とする現役時代からの投資などを勧めていた。それ自体は生活防衛の観点から現実的な考え方の一つと言える。試算はそれらを促すための“呼び水”だったのだろう。
 しかし、老後の生活を支える主柱であるはずの公的年金がそれほど頼れない制度なのか。これでは国が責任を放棄したと言われても仕方あるまい。これから年金を払う意味があるのかという憤りも、もっともに思われる。
 2004年の年金制度改革で現在の年金財政の枠組みが出来上がった時の「100年安心」は、制度の維持に関するうたい文句であって、結果的に国民生活を向いてはいなかった。
 試算について、安倍晋三首相は「不正確で誤解を与えるものだった」と釈明。麻生太郎金融相は「著しい不安と誤解を与えた。政府のスタンスとも合わない」として報告書を受け取らない姿勢を表明した。
 だが、報告書を受け取らなかったとしても、将来の見通しが好転するわけではない。もし試算が不正確だったなら、投資へ誘導する同庁の恣意(しい)性が問われる。不安の幕引きを企図した発言であろうし、その裏には夏の参院選の存在も透けて見える。
 参院選をにらんだ思惑という点では、追及姿勢を強める野党も同様だろう。
 年金は国民生活に直結する課題であり参院選の争点となるのはうなずける。しかし、言葉尻を捉えるだけの政争の具に終始させてはいけない。例えば、少子高齢化問題などを含めて向き合わなければ根本的な改善は望めまい。
 年金財政に関する5年に1度の検証結果の公表が今夏予定されている。老後の生活を支える主柱たり得るならば、不信・疑念を払拭(ふっしょく)するためにも公表は早い方が良い。