五所川原小校内の「義童之碑」を見つめる千葉教頭

 今からちょうど100年前の盛夏。現・五所川原市の岩木川で、少年がおぼれた女の子を救助しようとしたものの、結局は目的を果たせず力尽き、そろって落命するという悲しい水難事故が起きた。戦前は地域で知られた話だったようだが、それも時代の変化に伴い忘れ去られつつある。それでも勇気ある行動を伝えるために仲間が建立した「義童之碑」が、少年の母校である五所川原小学校敷地内に今でも残っており、関係者が心を寄せている。
 事故が起きたのは1920(大正9)年7月25日。気象庁のデータによると、当日の青森市は降水量ゼロ、最低気温22・1度、最高気温28・4度だった。五所川原もよく晴れていたらしく、暑い昼下がりの出来事だった。
 旧川除村小曲(現・五所川原市小曲)の集落そばを流れる岩木川で、地元の子どもらが水遊びに興じていた。学校のプールなど無い時代、ごくありふれた光景だっただろうが、小学3年生の女児が何かの拍子に深みにはまって溺れ始めた。
 この時、付近を偶然通り掛かり、救出を試みたのが五所川原小学校高等科1年の男子生徒(数え年14、満年齢12~13歳相当)だった。穏やかな性格で知られていた少年。女児を救おうと川に飛び込み奮闘したものの、最後には力尽き、2人とも水魔の犠牲となってしまった。
 事故を大変悲しんだ当時の木村吉三郎校長と同窓会の有志らが、義挙を後世に伝える石碑を校内に建立。一連のあらましと共に「義童之名千載不朽(義挙のために尽くした少年の名前は、永遠に朽ちることはない)」と、この一件を後世に伝えようとの願いも刻まれた。
 この出来事は、旧五所川原町が戦前発行した町史のほか、五所川原小学校が昭和後期に発行した110周年の記念誌にも紹介されている。
 ただし、市の広報担当職員(20代男性)は「今まで全く聞いたことがない」と首をひねるばかり。少年の地元に古くから住む長澤正美さん(83)も「私もこの辺りでは、“小結級”の高齢者になってしまったが、初めて聞いた話だ。うちの親父が健在だったら何か分かりそうだが、今となっては確認しようもないことだ」と語った。
 1967年入学のOBでもある原真紀(まさのり)校長(60)も、悲話と義童之碑について「子どもの頃は全然知らなかった」というが、校長として母校に戻ってきて気が付いた。その後、昨年6月発行の学校だより「しんみや」で、命を守るための「着衣泳」体験学習のスタートに絡め、児童や保護者に伝えた。
 原校長は「間違っても、彼の行動そのものを見習えなどと推奨する考えはない」と前置きしながらも「100年前の悲しい事故も校史の一部で、そのような先輩がいたということだ。今夏は新型コロナウイルスの影響で実践できないが、本校では着衣泳の勉強を行ってきたこともあり、児童には自分の命を守ることの大切さを訴えていきたい」と静かに話した。
 150年近い歴史のある同校。現在地の新宮字岡田に現校舎を構えるまで三度も移転を重ねてきたが、この義童之碑もそのたびに必ず移転。今も後輩たちを見守るかのように中庭の一角に静かに建っている。
 千葉義幸教頭(53)は「学校と一緒に移転を続けてきたこと自体が、大切にされてきた証しではないか。直接当事者と関わった人間は年齢的に考えても残っていないだろうが、思いは受け継がれている」と言い、石積みの上に高くそびえる石碑を見上げた。