深浦診療所敷地で、ようやく開花した「柳先生の桜」
「柳先生の桜」の由来を紹介するプレート

 深浦町広戸の深浦診療所敷地内で、昨年春に植樹した「柳先生の桜」が初めて花を咲かせた。大阪府の和泉市立病院救急部長から、無縁だった同町の関診療所長に転身、2014年3月末まで約11年間在職した柳善佑(ぜんすけ)医師=享年(73)=の遺族が寄贈したものだ。濃いピンクの花は、厳寒に耐えて咲く桜をこよなく愛し、へき地医療に身をささげた柳医師の思いを伝えているかのよう。今週半ばにも見頃を迎えそうだ。
 開花した桜は日本原産の陽光桜(ヨウコウザクラ)。昨年5月、深浦診療所開設1周年を記念して、柳医師の妻で兵庫県芦屋市在住の貴子さん(77)が寄贈した。
 柳医師は兵庫県の淡路島出身。へき地医療への思いが強く、03年11月に県の紹介で関診療所長に就任した。「青森の神様になる気持ちで頑張る」と語っていたといい、常勤医が自分だけという環境で週5日の診療と訪問診療をこなしてきた。弘前大学医学部や大阪府の医学生の実習を積極的に受け入れ、後進の指導にも力を注いだ。
 季節を問わず、はだしでサンダルを履き「サンダル先生」と親しまれ、愛煙家だが酒は一滴も飲まなかった。在職中に肺がんが判明し14年3月に退職、同年8月に死去した。関診療所近くには、柳医師自身が離職時に寄贈したシダレザクラが植樹され、今年も美しい花を咲かせている。
 柳医師の在職中、関診療所次長や事務長として支えた小山司さん(60)=現・町大戸瀬支所総合窓口専門員=は「柳医師は、自分ががんだと患者に伝え、『おまえも頑張れ』と励ましていた」と当時を振り返った。
 柳医師と親交があった弘大大学院医学研究科の中路重之特任教授(68)も「人を助けることに純粋で、前向きに努力する人。がんが進行していた14年の正月も当直を担当し、退職ぎりぎりまで診療していた。桜のことは知らなかったが、ぜひ見てみたい」と語った。
 桜を寄贈した貴子さんは、本紙取材に「在職当時、青森の長い冬はすごいという印象で、柳と一緒に『桜が待ち遠しい』と語っていましたね」と振り返った。現在、国内外で新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化しており、深浦町は柳医師が赴任した当時と同じく医師不足に悩んでいる。こうした状況を柳医師なら何と話すでしょうか―の問いに、貴子さんはこう答えた。
 「今はじっと耐えるしかないちゃうんか? 耐えれば、桜も咲くんだから」

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