弘前市内で忍者屋敷と推定される古民家を発見するなど、弘前藩に仕えた忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」について調べている青森大学忍者部は25日、早道之者の成り立ちに戦国武将・石田三成の子孫が関わっていたのではないか―という調査結果を明らかにした。弘前市の忍者屋敷も三成の子孫が暮らしていた可能性があるという。知名度の高い人気武将との意外な縁が浮上したことを受け、関係者は三成と早道之者ゆかりの地を巡るツアーを企画中。今冬実施予定で、国内外に本県の新たな観光コンテンツとして広くアピールする考えだ。
 同大忍者部顧問の清川繁人薬学部教授によると、早道之者の結成は1669年にアイヌが松前藩に挑んだシャクシャインの戦いで、弘前藩からの派遣部隊が戦況を確認する諜報活動を行ったことがきっかけ。実際に諜報活動を行った杉山八兵衛吉成は関ケ原の戦いの後、津軽に逃れてきた石田三成の次男重成の子で、三成からは孫に当たる。杉山の死後、諜報活動を行う者として甲賀忍者とされた中川小隼人を弘前藩が江戸でスカウトし、早道之者の結成につながった。
 早道之者は杉山家の指揮下で活躍し、諜報活動のほか、蝦夷地や弘前藩内のアイヌの対応をしたとみられる。
【写真説明】忍者集団「早道之者」と石田三成との関わりについて説明する清川教授(右端)

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