黒石市制60年 未来への清流

 

2014/6/29 日曜日

 

  黒石市は7月1日、市制施行60周年を迎える。弘前、青森、八戸に次ぐ4番目の市として1954年に産声を上げ、「水清く人情のあついあずましの里」として歩んできた市の還暦をみんなで祝おうと“誕生日”に記念式典と祝賀会が開かれる。市制施行50周年記念誌「黒石市50年の歩み」などから、歴史を振り返る。

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賛歌に市民一丸の思い=上

 

合併の日、新市の誕生を祝い小・中学生が旗行列(「黒石市50年の歩み」より)

  1656年に弘前藩から分知され黒石津軽家が成立し、1809年に1万石の黒石藩が誕生。廃藩置県に伴い71年7月から弘前県へ併合されるまでの2カ月は黒石県とされた。73年に大小区制がスタートし、第2大区(後の南津軽郡)の所在地、89年施行の市町村制により青森、八戸、鯵ケ沢、三沢とともに町となった。
 1926年の「大日本職業別明細圖之内信用案内圖」(東京交通社発行=弘前市立図書館所蔵)に黒石町が紹介されている。「地勢平坦ナリ商工業盛ニシテ大正元年奥羽線川部ヨリ鉄道開通セラレ本郡唯一の貨物集散地ニシテ郡役所ヲ初メ官衙學校会社等介在シ人口千余ヲ有シ今後益〃發展セン」。物産に挙げられた清酒や木製品、果実などは、今も受け継がれている。
 1954年、黒石町を中心に中郷村、山形村、六郷村、浅瀬石村が合併し市に昇格。合併4村も対外的に「黒石」を用いていたため、新市名は「黒石市」に決まった。2年後に尾上町追子野木、長崎、久米を編入。人口は4万2725人で、今年5月末(3万5631人)より多かった。
 54年7月1日の市制施行記念式典には当時の津島文治知事ら約700人が出席。毎戸に掲げられた国旗、各小学校で歌われた「黒石賛歌」、黒石高校のちょうちん行列―と、祝賀ムード一色だったようだ。
 黒石賛歌の歌詞には浅瀬石川の爽やかさやリンゴ、コメなどが盛り込まれているのに加え、一丸となって「大黒石」に育てる思いが込められており、市民の理解と協力を得ながら財政再建を進めている現代にも通じる。 

 

長谷川さん

浅瀬石川ダム 建設に奔走
元黒石市建設部長 長谷川滋さん(81)
 1953年に黒石町役場に就職し、翌年に町村合併を迎えた。市制施行当日は祝砲を担当。「黒石町にはバイクすらなかった。40代の先輩と一緒に、山形村役場が1台持っていたトラックに花火職人を乗せて5町村を回り、車上から花火を打ち上げた」と振り返る。まだ市民の表情などを見る余裕はなかったという。
 上司と2人きりの町土木課に配属され、市に移行しても土木・建築畑一筋に歩んできた。浅瀬石川ダム建設で水没地域に説明した際には、古里を失う住民から「あんたはもう来なくていい」と言われたという。ただダム建設、浅瀬石川の拡幅などを行ったことで災害は減り「水没地域の市民から『やってよかった』と言われ、救われた気持ちになった」といい「県内で無災害都市と言えるのは黒石だけ」と胸を張る。
 4人の市長の下で働き、激しい政争も見てきたが「市長の指示で動くのが職員であり、今の黒石があるのは歴代市長が積み重ねてきた結果」と話し、その上に築かれていく新たな歴史に期待した。

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幾多の困難を乗り越える=下・完

2014/6/30 月曜日

旧庁舎での市議会の様子(「黒石市50年の歩み」より)

 市制施行は華々しく見える船出だが、実際には政争や赤字財政など、幾多の荒波に立ち向かう航海が続いた。
 第1回市長選は当選と次点がわずか46票差の激戦となり、違反による摘発は逮捕者15人を含む96人に上った。落選候補支持者の異議申し立ては裁判に発展し、上告棄却まで3年を要した。さらに派閥抗争による市議会の混乱も1970年まで続いた。
 新市初年度の財政は、旧町村の予算を踏襲したため1000万円余の歳入欠損となった。初代の福士永一郎市長は56年の「市報くろいし(現・広報くろいし)」創刊号に「私はこの赤字を克服して健全財政を確立しなければならない運命の上に立たされている」と決意を述べ「市民諸君の協力を希望して止まない」と結んだ。赤字は58年度に解消された。
 財政問題は後にもある。現職の鳴海広道市長は就任翌年の99年度に「財政非常事態」を宣言。徹底した行財政改革を断行し、ようやく全会計黒字化のめどが付いたばかりだ。
 もちろん暗い話題ばかりではない。58年度施行の名誉市民条例で、小説家で演劇活動でも活躍し日本児童文学協会長を務めた秋田雨雀と、大審院(現・最高裁)刑事部長などを歴任し全日本弓道連盟会長でもあった宇野要三郎の2氏が第1号に選ばれた。88年には「リンゴ復興の祖」「リンゴ栽培の神様」と言われた渋川傳次郎氏も加えられた。古里が輩出した偉大な人材に脚光を当てることは市民の誇りとなる。
 66年の岩手県宮古市との姉妹都市締結も明るい話題。かつて宮古地方を治めていた一戸城主の次男が初代浅瀬石城主を務めたと伝えられることなどが縁となった。東日本大震災で被災した同市への支援活動が続くほか、民間交流も盛んに行われている。国外では米国ウエナッチ市と韓国永川市とも結んでいる。
 多くの困難を乗り越えてきた黒石市。60周年の節目を、歴史を再認識して明るい未来へ向かう新たな出発点にしなければならない。 

 

鳴海さん

取り戻したい 街のにぎわい
こみせ通り商店街振興組合理事長 鳴海文四郎さん(73)
  市制施行前後は弘前市に住んでいたため、当日のことはよく分からないというが「休みの日には黒石に帰っており、大きな変化はなかったように記憶している」と話し、その理由に「本当に小さな町だったが、周辺との交流が盛んだった」ことを挙げる。南津軽郡の中心商業地であったため、市に昇格したからといって、郡内各地から訪れていた消費者の動きが急変することはなかったという。
 東京での会社勤めを経て24歳で黒石に戻り、歴史ある「鳴海醸造店」を継いだ。「旧正マッコ市」は盛況で「年に1度のサービスの日で、もうけはどうでもよかった。2時間で一升瓶700本を売ったこともある」と振り返る。
 「変わったのはその後」という。弘前へ大型店が進出し、黒石郊外も開発が進んだことで「一番の繁華街だった横町も死んでしまった」と話す。ただ諦めたわけではない。旧「松の湯」の整備や個店が計画するこみせ延長の動きを歓迎し「あの頃のにぎわいを取り戻したい」と夢を描く。

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