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写真1 暗門滝「三ノ滝」(島口天氏撮影) |
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写真2 田代地区の架橋(筆者撮影) |
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写真3 田代の渡し場(山形岳泉筆暗門山水観より・県立郷土館提供)(右)、写真4 文政三年「乳滝之図」(国文学研究資料館蔵津軽家文書) |
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写真5 移動前の乳井貢顕彰碑(小石川透氏撮影) |
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写真6 鬼川辺の貯木場(山形岳泉筆『暗門山水観』より・県立郷土館蔵)(右)、写真7 一ノ滝の首頭(山形岳泉筆『暗門山水観』より・県立郷土館蔵) |
▽明治天皇巡幸と暗門滝
明治天皇は巡幸と呼ばれる地方視察を97回行った。東北地方には1876(明治9)年6月2日~7月12日と、81(明治14)年7月30日~10月11日の2度訪れている。
巡幸ルートについては地元町村から誘致の嘆願がなされたが、最初の本県巡幸は南部地方が中心となった。それゆえ2度目の際は「次はぜひ、津軽へも」との思いから、大道寺繁禎(しげよし)や笹森儀助ら識者が動いた。
その記録「明治天皇行幸関係文書」(弘前市立弘前図書館蔵)によれば、行在所(あんざいしょ)(天皇の宿)や休憩所の関係者、茶菓を献上した者、書画類を準備した者にはそれぞれ報奨金が出た。弘前の絵師三上仙年は「安門瀑布図」を上呈し、金七円を得た。
仙年の師で幕末維新期の津軽画壇をリードした平尾魯仙(ひらおろせん)も、76(明治9)年の巡幸の際、暗門滝の図を天覧に供したという(中村良之進『平尾魯仙翁』)。近年、天覧の事実はなかったのではないかとの見方が出ているが、魯仙が62(文久2)年6月に暗門滝を訪れたのは確かで、この時の同道者が仙年だった。
暗門滝は下流から三ノ滝(26メートル)、二ノ滝(37メートル)、一ノ滝(42メートル)が連なっている。現在は弘前市内から国道28号で西目屋村に入り、岩木川沿いにさかのぼって、暗門滝近くのアクアグリーンビレッジANMONまで車で行ける。6~10月の限定運行ながら、直通バスも出ている。
ここから三ノ滝(写真1)と二ノ滝へは比較的行きやすいが、一ノ滝までとなるとヘルメットやトレッキングシューズなど、登山並みの準備が必要になる(通行止めの場合あり)。ガイドの手配も不可欠で、今でもなかなかの難所なのだ。
▽川で結ばれた西目屋と弘前城下
西目屋村の田代地区を流れる岩木川には現在、橋が架かっているが(写真2)、かつては両岸に綱を張り、船頭がこの綱をつかんで小舟を渡すやり方を採っていた(写真3)。明治十年代初頭に当地を歩いた蓑()虫()山人(みのむしさんじん)の「岩木川図巻」(個人蔵)に、岩木川のあちこちで架橋工事が行われている様(さま)が描かれているが、田代の渡し場は依然として綱が張られただけの状態である。利便性が良くなるのはもう少し後のことだった。
ここから上流に500メートルほど行った名坪平には乳穂(にほ)ケ滝がある。冬の結氷が見事で氷柱ができる。江戸時代は旧暦正月に弘前藩の使者がここを訪れ、氷の様子を描いて藩主に報告した(写真4)。その形状で豊凶を占ったのである。1年を通じて多くの参詣者があり、菅江真澄も1796(寛政8)年11月4日にここを訪れている(真澄「ゆきのもろたき」)。
岩木川のダム再開発事業で完成した津軽ダムは、現在「津軽白神湖」を形成している。これにより、川原平地区の一部が水没することになったが、ここにはかつて、弘前藩の宝暦改革を主導した乳井貢(にゅういみつぎ)(建福(のりとみ))が罪を得て配流となっていた。藩財政の借金体質を憂い、農政の見直しと商業資本の抑制を図った乳井だが、すべての商取引を金銭ではなく「標符(ひょうふ)」という通帳で行わせる流通統制が大胆すぎて嫌われた。
川原平に移ってからは農民の生活指導に尽くし、慕われたという。1935(昭和10)年、地元民によって「乳井貢顕彰碑」が建てられたが(写真5)、一帯の水没に伴い「津軽白神湖」の脇に移された。
西目屋村近辺から伐(き)り出される木材は、燃料として人々の生活を支えていた。暗門川を下った流し木(=薪(まき))が川面を覆い、時には人が歩いて渡れるほどの量になる。砂子瀬地区の鬼川辺には薪の集積場があり(写真6)、ここからさらに岩木川本流を川下げされて、弘前城下の樋ノ口土場に集められた。
▽暗門滝に魅了された魯仙
魯仙は暗門滝を見た感動を画帳3冊と解説書1冊にまとめた。1998(平成10)年、この画冊が『安門瀑布紀行』の書名で宮内庁書陵部の所蔵になっていることが、青森県史の調査で確認された。1895(明治28)年、魯仙の遺族が近衛家を通じて皇室に献上したものである。2013(平成25)年の県立郷土館開館40周年記念特別展『平尾魯仙』に出品され、118年ぶりの里帰りとなった。
『安門瀑布紀行』は魯仙が精魂込めて描き上げたと見え、さすがに色使いがさえている。画帳3冊には52の場面が描かれ、場所の状況を示す簡単なキャプションが付けられている。
実は魯仙の弟子の山形岳泉がこの画帳を写していて、そちらは『暗門山水観』の書名で県立郷土館が所蔵している。解説書が付いていないので、魯仙の観察眼の確かさや、暗門滝への旅の苦労が十分に伝わらない嫌いはあるが、まずは忠実な写しで、原本の雰囲気を見事に捉えている(写真7)。
(県立青森商業高等学校教諭 本田伸)