県内著名人訃報

 

12月11日死去

2019/12/13 金曜日

 

  S・K・K・情報ビジネス専門学校理事長の鈴木順三(すずき・じゅんぞう、本名潤一=じゅんいち)氏が11日午前10時29分、病気のため弘前市内の病院で死去した。63歳。通夜は19日午後6時から、葬儀は20日午前11時から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールでS・K・K・グループの社葬として行う。自宅は同市徳田町29の3。葬儀委員長は弘前商工会議所会頭の清藤哲夫(せいとう・てつお)さん。
 鈴木氏は弘前市出身。S・K・K・弘前予備校理事長、すずき和裁研究所代表取締役社長、S・K・K・総合研究所代表取締役社長。
 弘前商工会議所の常議員、総務企画委員長、情報・教育文化部会長、弘前ロータリークラブ会長などを歴任した。

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12月10日死去

2019/12/12 木曜日

 

 弘前市町会連合会長の阿部精一(あべ・せいいち)氏が10日午前1時10分、病気のため同市内の病院で死去した。70歳。通夜は16日午後6時30分から、葬儀は17日午前11時から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。自宅は同市茂森町139。喪主はスカイ塗装代表取締役で長男の塁(るい)さん。
 阿部氏は弘前市出身。2016年に同連合会長に就任し、地域コミュニティーの強化や町会への加入促進に尽力。02年から茂森町町会長、09年から市社会教育協議会長、14年からは県朝野球連盟理事長をそれぞれ務めていた。

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9月29日死去

2019/10/3 木曜日

 

 元陸奥新報社常務取締役で、俳句をはじめ文芸分野でも活躍した泉嶺(いずみ・たかし)=俳号・風信子(ふうしんし)=さんが9月29日午前3時、心筋梗塞のため、弘前市桜ケ丘1の8の11の自宅で死去した。84歳だった。通夜は5日午後6時から、葬儀は6日午後1時から、ともに同市南城西2丁目の公益セレモニーホールで執り行われる。葬儀は近親者のみ。喪主は妻の良子(りょうこ)さん。
 泉さんは青森市生まれ。弘前高校卒。1956年に同社に入社し、文化部長、東京支社長、編集局長などを経て98年~2004年に常務取締役を務めた。
 句作は入社後に始めた。1991年に俳句結社「陸」に入会し、此岸俳句会を創立。清国最後の皇帝溥儀と侍従長工藤忠(板柳町出身)らを取り上げた本紙連載小説「皇帝の森」(筆名・いずみ涼、2005~09年)は後に書籍化され、第6回県文芸賞を受賞。14~17年は本紙「日々燦句」欄の第6代選者を務めた。
 現在、県現代俳句協会会長、「陸」主要同人、此岸俳句会代表、弘前ペンクラブ顧問など。主な著書に句集「熾火(おきび)」、俳文集「志功まんだら」、母校の校史「弘前高校物語」など。

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8月20日死去

2019/9/22 日曜日

 

 弘前市出身の洋画家で日展会友、元示現会理事の藤田征芳(ふじた・まさよし)さんが8月20日午前8時24分、急性肺炎のため、居住地である埼玉県春日部市内の病院で死去した。75歳。葬儀は近親者で済ませた。
 10月3日午後1時30分から、青森市の日本キリスト教団浪岡教会で、お別れの会が開かれる。会の代表は義兄の小山内昭男(おさない・あきお)さん。
 藤田さんは弘前大学教育学部卒。奈良岡正夫画伯の門下生で、中央の公募展で入選多数。日本流行色協会事務局長理事なども務めた。本紙連載小説「ミモザの花の咲く頃に」(作・鎌田紳爾さん)の挿絵を担当。長く闘病生活を続けていた。

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6月16日死去

2019/6/18 火曜日

 

 青森朝日放送前代表取締役社長で同社相談役の八幡正史(やはた・まさし)氏が16日午後3時22分、死去した。72歳。通夜は20日午後6時から、葬儀は21日午後1時から、ともに青森市堤町1丁目の光行寺で。自宅は同市古川1の21の12。喪主は妻の由美(ゆみ)さん。
 八幡氏は東京都出身。1969年にテレビ朝日に入社。同社営業局CM部長を経て、2000年に青森朝日放送東京支社長に就任。専務取締役東京支社長などを経て10年に代表取締役社長に就任した。17年に取締役相談役、18年に相談役となった。

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