県内著名人訃報

 

2月1日死去

2016/2/2 火曜日

 

 岩木山の麓、弘前市常盤野地区にある癒やしの家「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女さんが1日、乳がんのため死去した。94歳だった。佐藤さんは全国各地から訪れる苦しみを抱えた人たちを受け入れ、手製のおむすびなど心を込めた料理でもてなしてきた。昨年春に病が分かってからも自宅療養しながら山に足を運び、悩める人の声に耳を傾け続けていた。食と命に向き合い、奉仕の精神を貫いた人生だった。
 佐藤さんは、1921年、青森市に生まれた。小学校教員を経て、ガールスカウト団体の代表や老人ホームの訪問などのボランティア活動が母体となり、83年、自宅をやすらぎの場「弘前イスキア」として開放。その後「大自然の中に、心病める人の憩いの場をつくりたい」という思いが強くなり、92年、岩木山麓に「森のイスキア」を設立、奉仕活動を行ってきた。
 95年には、ドキュメンタリー映画「地球交響曲第二番」で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世らとともにその活動が紹介され、全国に広く知られる存在に。各地で料理講習会や、国外でも講演を行っていた。
 これまでに、国際ソロプチミスト女性大賞や弘前市シルバー卍賞(93年)、社会貢献者表彰(2011年)などを受賞している。
 自宅療養をしていた佐藤さんだったが「希望がある人は断らないという信念があった」(親族男性)ことから、以前より回数は減ったものの、森のイスキアに足を運び続けていた。1日未明に容態が悪化し、同日午前2時30分、搬送先の弘前市内の病院で死去した。
 通夜は近親者で執り行い、葬儀は6日午前11時から、カトリック弘前教会で。喪主は孫の信平(しんぺい)さん。自宅は同市桔梗野1の9の8。

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1月5日死去

2016/1/9 土曜日

 

 葛西美枝子さん(かさい・みえこ、本名ミヱ=詩人)5日午後10時29分、脳梗塞のため弘前市内の病院で死去、82歳。通夜祭は10日午後6時から、葬場祭は11日正午から、ともに同市八幡町3丁目の高谷萬花堂八幡町ホールで。自宅は同市青山2の11の3。祭主は長男の和孝(かずたか)さん。
 弘前中央高校、僻地学校教員養成所卒業後、教員生活のかたわら詩を創作。自作詩を独自の感性で表した書でも国内外で高い評価を得、2014年に日タイ交流文化功労者に認定。1998年には自作詩を朗読する「麗日の会」を同市で立ち上げ、長年代表を務めた。陸奥新報に「海と雪のある風景」「心の旅」など連載。

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11月29日死去

2015/12/1 火曜日

 

 中西 喜一郎氏(なかにし・きいちろう=東奥信用金庫顧問、元理事長)29日午後4時30分ごろ、急性心筋梗塞のため弘前市青山の自宅で死去。82歳。通夜は12月5日午後6時から、葬儀は6日午前11時から、ともに同市八幡町3丁目の高谷萬花堂八幡町ホールで。自宅は同市青山3の9の5。喪主は長男の崇(たかし)さん。
 中西氏は青森市出身。1951年に旧大蔵省に入省し、東北財務局山形財務事務所長などを歴任。85年に同金庫常任理事となり、96年から2002年まで理事長を務めた。

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9月5日死去

2015/9/9 水曜日

 

 旧科学技術庁長官などを務めた元自民党衆院議員竹内黎一氏が5日午後5時11分、多臓器不全のため、入院中の国立病院機構弘前病院で死去した。89歳だった。葬儀は20日午前11時から、自民党と党県連、竹内家の合同葬として、同市南城西2丁目の公益セレモニーホールで執り行われる。自宅は同市上鞘師町11の1。葬儀委員長は自民党県連会長の江渡聡徳衆院議員、喪主は妻の庸子(のぶこ)さん。
 竹内さんは1948年に東京大学経済学部を卒業後、毎日新聞記者を経て運輸大臣秘書官に転身。63年11月の衆院選に旧青森2区から出馬し初当選、以降通算の当選回数は10回を数えた。
 第2次中曽根内閣で84年11月、科技庁長官として初入閣。74年に放射線漏れ事故を起こした原子力船「むつ」問題の後処理が残り、核燃サイクルという県政に大きく関わる事業を抱える中、旧総理府原子力委員会の委員長を兼任し、85年12月まで約1年2カ月間務めた。
 こうした功績が認められ、2000年春の叙勲で、勲一等旭日大綬章を受けた。父は元青森県知事の故・俊吉さん。
 農水相、防衛相などを歴任した故・田沢吉郎元衆院議員と津軽2大派閥の領袖(りょうしゅう、後に木村守男元衆院議員、元知事が加わり3大派閥に)として、多くの首長や県議、市長村議を擁して県政界を牽引(けんいん)。92年の弘前市長選では「田竹連合」で、自民党推薦候補ではなかった金澤隆氏の当選を後押しした。
 しかし新たに導入された小選挙区比例代表並立制の下、初めて行われた96年の衆院選で比例代表東北ブロックから出馬し落選。99年には脳梗塞を患ったこともあり、惜しまれながら同年末に政界を引退した。

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6月11日死去

2015/6/14 日曜日

 

 東奥信用金庫(本社・弘前市)顧問で、前理事長の山口耕造(やまぐち・こうぞう)氏が11日午後3時44分、病気療養中のところ、入院先の弘前市内の病院で死去した。76歳。通夜は15日午後6時30分から、葬儀は16日午前11時から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。自宅は同市小人町40の3。喪主は長女の夫の齋藤弘文(さいとう・ひろふみ)さん。
 山口氏は弘前高校卒。1957年、同金庫の前身となる弘前信用金庫に入庫。89年に東奥信用金庫の管理部長、91年に本店長、97年に常務理事、99年に専務理事に就任し、2002年から7年間、理事長の職を務めた。
 08年に持ち上がった同金庫を含む県内4信用金庫の合併に際し、唯一、離脱することを決めるなど、理事長として対応に当たった。

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