県内著名人訃報

 

3月4日死去

2020/3/11 水曜日

 

 みちのく銀行元代表取締役会長の上杉純雄(うえすぎ・すみお)氏が4日午前6時30分、病気のため死去した71歳葬儀は自宅のある神奈川県内で、近親者のみで済ませた。
 後日、同行によるお別れの会が開かれる。
 上杉氏は神奈川県出身。旧富士銀行の常務執行役員、みずほフィナンシャルグループのユーシー(UC)カードの取締役社長などを歴任。2005年6月にみちのく銀行代表取締役会長に就任し、10年6月まで取締役会長などを務めた。

∆ページの先頭へ

3月6日死去

2020/3/8 日曜日

 

 元陸奥新報社浪岡支局長で、県将棋連盟名誉会長の渡辺三郎(わたなべ・さぶろう)さんが6日午前8時49分、老衰のため、青森市内の病院で死去した。83歳だった。青森市出身。自宅は同市造道1の8の3。通夜・葬儀は近親者のみで執り行い、後日お別れ会を開催する。
 1936年生まれ。同社退社後、94年に第4代同連盟会長に就き、底辺拡大や次世代の育成を中心に県将棋界の振興に尽力。政治、経済をはじめ県内各界に広く持つ人脈を大会といった事業に生かした。全国規模の大会での優勝、入賞者を多く輩出するなど、本県での将棋の社会的地位を高めた。2018年から同連盟名誉会長。1995年から行方尚史後援会の会長を務めた。
 県のタイトル戦や県代表戦での優勝経験を多く持ち、県内外で活躍する選手としても知られた。将棋アマ六段。

∆ページの先頭へ

1月5日死去

2020/1/8 水曜日

 

 明治期を代表する言論人・陸羯南(弘前市出身)の研究などで大きな功績を残した郷土史研究家・稲葉克夫(いなば・かつお)さんが5日午前10時55分、病気のため弘前市内の病院で死去した。88歳だった。通夜は9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、ともに同市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。自宅は弘前市桜ケ丘2の5の5。喪主は長男の寛夫(ひろお)さん。
 稲葉さんは田舎館村出身。弘前大学教育学部卒、立命館大大学院修了。県内の中学、高校で教壇に立つ傍ら、郷土史研究にも力を入れ、弘前市史編さん執筆委員などを務めたほか、定年退職後の1992年には田舎館村誌編さん室事務局長を務めた。
 2007年に羯南の評伝「陸羯南の津軽」を発行。08年には発起人の一人として弘前市を拠点とする「陸羯南会」の設立に関わり、顧問として会を支えた。
 1976年から24年間、県文化財保護審議会委員を務め、2006年に県文化賞、07年に旭日双光章。著書はほかに「私の落穂拾い―昭和の庶民、そして陸羯南・安藤昌益」など。

∆ページの先頭へ

12月26日死去

2019/12/30 月曜日

 

 五所川原市長を通算6期務めた佐々木榮造(ささき・えいぞう)氏が26日午前3時41分、老衰のため青森市内の病院で死去した。99歳。通夜は1月4日午後6時から、葬儀は5日午後1時から、ともに青森市栄町1丁目の栄町典礼会館で。自宅は同市新町1の2の5。喪主は長男の世兒(せいじ)さん。
 佐々木氏は五所川原市出身。県議を経て、1962年の市長選に出馬し、初当選した。4期務めた後、89年に当時の市長のリコール成立に伴う市長選で当選し、2期務めた。2008年、旭日中綬章。

∆ページの先頭へ

12月27日死去

2019/12/28 土曜日

 

 元自民党県連幹事長、元県議会議長の冨田重次郎(とみた・じゅうじろう)氏が27日午前7時58分、膵臓(すいぞう)がんのため入院先の弘大附属病院で死去した。84歳。通夜は1月11日午後6時から、葬儀は12日午前11時から、ともに鯵ケ沢町舞戸町の鯵ケ沢勤労者体育センターで執り行う。自宅は同町新町2。喪主は丸重組代表取締役で長男の名重(もりしげ)氏。
 鯵ケ沢町議4期(議長1期含む)を経て、1983年4月には県議選西郡選挙区から出馬し初当選、2007年4月に引退するまで連続6期を務めた。この間は県議会議長、自民党県連政調会長、同幹事長など県議会と党県連の重職を歴任した。
 水泳選手としても活躍し、高校時代に国体に出場。15年3月まで約30年間にわたり、県水泳連盟会長として本県水泳競技の振興に努めた。現職は同連盟名誉会長、鯵ケ沢水泳協会名誉顧問。
 同町の土建業・丸重組の元会長。07年11月には旭日中綬章を受章した。

∆ページの先頭へ

Page: 1 2 3 4 5 6 7 8 ... 15