県内著名人訃報

 

7月16日死去

2020/7/27 月曜日

 

 弘前市の医師で、市体育協会長や県公安委員長を歴任した鳴海康安(なるみ・こうあん)氏が16日午後5時30分、病気のため同市栄町1の4の36の自宅で死去した。88歳。通夜、葬儀は近親者のみで執り行った。喪主は長男で康安外科内科医院長の康方(やすまさ)さん。
 鳴海氏は同市出身。1977年に市内で康安外科を開業し、院長として地域医療の発展に尽力。2012年に院長を退き、康安外科内科医院の医師として、亡くなる直前まで診療に従事した。
 学生時代に相撲部や野球部に在籍したことなどから、相撲や野球などスポーツの普及・振興にも熱心に取り組んだ。市体協会長(1990~2004年)、同顧問(04年~)を歴任し、県武道館の弘前誘致に尽力。県体協副会長も務めた。04年には県体育功労賞を受けた。
 また、県公安委員長、同市の第三セクター・弘前ウォーターフロント開発社長、母校・弘前高校の鏡ケ丘同窓会長なども務めた。
 同市出身の明治の言論人・陸羯南(くが・かつなん)の功績を伝えるため、陸羯南会の設立発起人として活動し、08年の会発足後は顧問として会の運営を支えた。

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7月7日死去

2020/7/10 金曜日

 

 元県文芸協会出版部長で郷土文学・口承文芸の記録と伝承に尽力した佐々木達司(ささき・たつじ)さんが7日午前11時42分、病気のため、五所川原市内の病院で死去した。87歳。通夜、葬儀は近親者のみで行う。自宅は同市唐笠柳字藤巻472の6。喪主は長男の信也(しんや)さん。
 つがる市(旧稲垣村)出身。学校図書館司書などを経て1969年から2014年まで青森県文芸協会出版部長を務め、雑誌「文芸あおもり」の発行などに携わった。
 口承文芸や昔話の研究に60年以上取り組み、日本口承文芸学会理事、県史編さん民俗部会専門委員を歴任。15年からは「俳人成田千空研究会」の代表を務め、資料の収集や調査、評伝の刊行などに尽力した。

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6月12日死去

2020/6/14 日曜日

 

 弘前市議の一戸兼一(いちのへ・かねいち)氏が12日午後3時59分、急性心筋梗塞のため弘前大学医学部附属病院で死去した。66歳。通夜は17日午後6時から、葬儀は18日正午から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。自宅は同市新里字中樋田156の2。喪主は妻の芳江(よしえ)さん。
 一戸氏は1999年4月に合併前の旧弘前市議選で初当選し、通算5期目の重鎮。市議会会派「弘新会」会長。2007年5月から11年4月まで副議長を、15年7月から19年4月まで弘前地区消防事務組合議会議長を務めるなど、同市の発展に努めた。
 同市の社会福祉法人「東豊福祉会」理事長として保育事業に力を尽くしたほか、弘前水泳協会長や県水泳連盟副会長を務め、水泳競技の普及振興と選手の指導・育成に貢献したとして、19年2月に2018年弘前市スポーツ賞のスポーツ功労賞を受けた。

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6月8日死去

2020/6/10 水曜日

 

 鯵ケ沢町の人気犬で、不細工だけどかわいい「ブサかわ犬」として知られた秋田犬長毛種の「わさお」が8日午後5時54分、多臓器不全のため町内の動物病院で永眠した。享年13歳=推定=。わさおはテレビや映画、ブログなどを通じて、その愛らしい姿を披露し、町の観光PRに貢献してきた。後日「お別れの催し」が開かれる予定。
 わさおの魅力発信活動を展開する「わさおプロジェクト」(工藤健代表)が9日午前、公表した。
 同プロジェクトによると、わさおは4月から足腰が弱って歩けなくなり、通院・療養を続けてきた。今月7日、食欲減退のほか、全身のむくみや排尿難の兆候といった、これまでと異なる症状が表れ、健康状態が急激に悪化。動物病院で点滴を受けている中で息を引き取った。「最期はまるで眠りに落ちるかのような、安らかな旅立ち」(工藤代表)だったという。お別れの催しは新型コロナウイルス感染症の感染状況などを鑑み、後日発表する。
 わさおは生後約半年だった2007年秋、同町の海辺で「わさおの母さん」こと故・菊谷節子さん=享年(73)、17年11月死去=に保護された。翌08年、旅ブログで紹介され、人気に火が付いた。
 09年には町特別住民登録、10年に町特別観光大使に就任。11年からは、日本ユネスコ協会連盟世界自然遺産特別大使犬「ワンバサダー」、JR鯵ケ沢駅観光駅長を務めた。わさお自身が出演した映画「わさお」や日本テレビの「天才! 志村どうぶつ園」などを通じ、全国区の人気犬となった。14年には「つばき」=19年5月死去=と結婚、後に養女の「ちょめ」を迎え、「わさお一家」として活躍した。

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5月6日死去

2020/5/14 木曜日

 

 弘前市の宮崎旅館館主で元日本将棋連盟津軽支部長の宮崎忠雄(みやざき・ただお)さんが6日午後7時11分、老衰のため同市内の病院で死去した。94歳。自宅は同市大町2の14の2。通夜は9日、葬儀は10日に家族のみで行われた。
 1925年、埼玉県旧南畑村(富士見市)生まれ。5歳の頃に東京都から弘前市へ転居。62年の同支部立ち上げに関わり、解散の2014年まで長年、支部長を務めた。大山康晴十五世名人(1923~92年)をはじめ、多くの将棋のプロ棋士らを同市に招いたり、小学生時代の行方尚史九段(同市出身)に将棋を教えたりするなど、地元将棋界の振興に尽力した。

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