県内著名人訃報

 

1月3日死去

2013/1/4 金曜日

 

 1997年から旧・新五所川原市長を通算3期務めた成田守(なりた・まもる)さんが3日午後0時10分、うっ血性心不全のため、入院先の西北中央病院で亡くなった。78歳。通夜は15日午後6時から、葬儀は16日午前11時から、ともにプラザマリュウ五所川原で。喪主は妻の孝(きょう)さん。葬儀委員長は平山誠敏市長。
成田さんは旧五所川原市議3期、県議4期を経て97年に同市長に初当選。2期目途中の2005年3月に旧市、金木町、市浦村の合併を実現して新たな五所川原市長となったが、脳梗塞を患い06年5月に辞職した。
手術後は市内の自宅で療養しながらリハビリに励み、昨年7月には同市大町の鶴屋稲荷神社竣功(しゅんこう)奉告祭に出席するなどしていたが、年末に体調を崩し、12月30日から入院していた。
1996年に約80年ぶりに立佞武多を復活させ、2004年には立佞武多の館をオープンし、立佞武多の名を全国に広めた。06年に市褒賞、07年には旭日中綬章を受けた。

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10月2日死去

2012/10/5 金曜日

 

 蝦名 博之氏(えびな・ひろゆき=元県出納長)2日午後3時35分、病気療養のため入院していた青森市内の病院で死去。86歳。通夜は8日午後6時から、葬儀は9日午後1時から、ともに同市本町1丁目の正覚寺で。自宅は同市花園2の15の5。喪主は長男の芳之(よしゆき)さん。
 蝦名氏は同市出身、仙台工業専門学校卒。1948年に県庁入りし、商工課長、商工労働部次長、公営企業局長などを歴任。木村守男元知事1期目の95年5月に出納長に就任、99年3月に退任した。2011年春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。

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7月2日死去

2012/7/3 火曜日

 

 元五所川原市議会議長の齊藤一郎(さいとう・いちろう)氏が2日午前6時41分、死去した。82歳。通夜は5日午後6時から、葬儀は6日午前11時から、ともに五所川原市飯詰の長円寺で。自宅は同市松野木字松ケ枝26。喪主は長男で齊勝建設車輌課長の一哉(かずや)さん。
 齊藤氏は1967年に五所川原市議に初当選し、通算7期30年務めたこの間97年10月から99年9月までと、2005年4月から11年2月まで議長を務め、今年4月に旭日小綬章を受章した。

※詳しくは本紙紙面をご覧ください。

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6月25日死去

2012/6/26 火曜日

 

 カネショウ代表取締役会長の櫛引元三(くしびき・げんぞう)氏が25日午前10時33分、死去した90歳通夜は29日午後6時30分から、葬儀は30日午前11時から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。カネショウと櫛引家の合同葬で行う。自宅は同市蔵主町18の9。喪主はカネショウ代表取締役社長で次男の利貞(としさだ)氏。
 櫛引氏は1986年から現在の県醸造食品工業協同組合の理事長を務め、弘前市物産協会長、同市社会教育協議会長などを歴任。89年に県褒賞を受賞、94年には紺綬褒章を受章した。陸奥新報友の会の会長も務めた。

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3月1日死去

2012/3/3 土曜日

 

 民謡研究家でNPO法人津軽三味線全国協議会相談役の松木宏泰(まつき・ひろやす)さんが1日午後7時8分ごろ、肺がんのため入院先の青森市の青森慈恵会病院で死去した。75歳。通夜は5日午後6時から、葬儀は6日午後2時から、ともに同市栄町の珍田メモリアルホールで。喪主は妻の敏子(としこ)さん。
つがる市木造出身。立教大学文学部卒後、1960年に青森放送入社。ラジオ・テレビのディレクターとして高橋竹山、伊奈かっぺいさんらのデビューに携わった。97年にRAB開発代表取締役社長、RAB企画代表取締役社長を兼務し、99年退任。
全国育樹祭、世界自然遺産会議などのイベントプロデュースを手掛けたほか、陸奥新報社主催の津軽五大民謡全国大会や青森県ちびっこ手踊り王座決定戦の審査委員長を長年務めた。「みちのく民謡ばなし」「津軽三味線まんだら」を執筆するなど郷土の発展に尽くした。

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