県内著名人訃報

 

9月29日死去

2019/10/3 木曜日

 

 元陸奥新報社常務取締役で、俳句をはじめ文芸分野でも活躍した泉嶺(いずみ・たかし)=俳号・風信子(ふうしんし)=さんが9月29日午前3時、心筋梗塞のため、弘前市桜ケ丘1の8の11の自宅で死去した。84歳だった。通夜は5日午後6時から、葬儀は6日午後1時から、ともに同市南城西2丁目の公益セレモニーホールで執り行われる。葬儀は近親者のみ。喪主は妻の良子(りょうこ)さん。
 泉さんは青森市生まれ。弘前高校卒。1956年に同社に入社し、文化部長、東京支社長、編集局長などを経て98年~2004年に常務取締役を務めた。
 句作は入社後に始めた。1991年に俳句結社「陸」に入会し、此岸俳句会を創立。清国最後の皇帝溥儀と侍従長工藤忠(板柳町出身)らを取り上げた本紙連載小説「皇帝の森」(筆名・いずみ涼、2005~09年)は後に書籍化され、第6回県文芸賞を受賞。14~17年は本紙「日々燦句」欄の第6代選者を務めた。
 現在、県現代俳句協会会長、「陸」主要同人、此岸俳句会代表、弘前ペンクラブ顧問など。主な著書に句集「熾火(おきび)」、俳文集「志功まんだら」、母校の校史「弘前高校物語」など。

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8月20日死去

2019/9/22 日曜日

 

 弘前市出身の洋画家で日展会友、元示現会理事の藤田征芳(ふじた・まさよし)さんが8月20日午前8時24分、急性肺炎のため、居住地である埼玉県春日部市内の病院で死去した。75歳。葬儀は近親者で済ませた。
 10月3日午後1時30分から、青森市の日本キリスト教団浪岡教会で、お別れの会が開かれる。会の代表は義兄の小山内昭男(おさない・あきお)さん。
 藤田さんは弘前大学教育学部卒。奈良岡正夫画伯の門下生で、中央の公募展で入選多数。日本流行色協会事務局長理事なども務めた。本紙連載小説「ミモザの花の咲く頃に」(作・鎌田紳爾さん)の挿絵を担当。長く闘病生活を続けていた。

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6月16日死去

2019/6/18 火曜日

 

 青森朝日放送前代表取締役社長で同社相談役の八幡正史(やはた・まさし)氏が16日午後3時22分、死去した。72歳。通夜は20日午後6時から、葬儀は21日午後1時から、ともに青森市堤町1丁目の光行寺で。自宅は同市古川1の21の12。喪主は妻の由美(ゆみ)さん。
 八幡氏は東京都出身。1969年にテレビ朝日に入社。同社営業局CM部長を経て、2000年に青森朝日放送東京支社長に就任。専務取締役東京支社長などを経て10年に代表取締役社長に就任した。17年に取締役相談役、18年に相談役となった。

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5月29日死去

2019/5/31 金曜日

 

 画家で美術団体「示現会」元県支部長の長内亮(おさない・りょう)さんが29日午後11時14分、敗血症のため弘前市内の病院で死去した。92歳だった。通夜は6月2日午後6時から、葬儀は同月3日午前11時から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。自宅は同市鷹匠町5の1。喪主は長男の有(ゆう)さん。
 長内さんは同市出身。1947年から小中学校の美術教諭などとして美術教育や指導者の育成に当たった。82~2005年に示現会県支部長、99~05年に弘前美術作家連盟委員長を務めるなど、地域の美術振興にも尽力した。03年に県芸術文化振興功労章、04年に県文化賞、05年に県褒賞。10年に文化庁の地域文化功労者に選ばれ、14年に瑞宝双光章を受けた。

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3月10日死去

2019/3/11 月曜日

 

 弘前工芸協会前理事長で旧県工業試験場長の望月好夫(もちづき・よしお)さんが10日午前5時22分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため弘前市内の病院で死去した。86歳だった。通夜は15日午後6時30分から、葬儀は16日午前11時から、ともに弘前市南城西2丁目の公益セレモニーホールで。自宅は同市宮川1の5の4。喪主は長女の工藤麻千(くどう・まち)さん。
 望月さんは1932年、静岡市で生まれた。56年に東京芸術大学美術学部工芸科漆芸専攻を卒業し、同年から同試験場漆工課に勤務。88年から同試験場長を務め、93年に定年退官した。
 本県の漆工や木工にモダンデザインを取り入れる活動に尽力し、国内外で評価の高い木工品「ブナコ」の育ての親とも呼ばれた。津軽塗産業の振興にも貢献し、2011年度伝統的工芸品産業功労者等経済産業大臣表彰や、16年度県文化賞などを受賞している。

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