弘前市民会館物語 地域と共に50年

 

2013/10/14 月曜日

 

  地域、市民らに親しまれてきた弘前市民会館は2014年に開館から50年を迎える。老朽化などを受けて今年1月から大規模改修工事が行われ、来年1月にリニューアルオープン。前川建築としての文化的な価値を残しつつも現代のニーズを取り入れ、新たなスタートを切る。地域と共に歩んできた会館の歴史を振り返り、今、未来の姿を探った。
※随時掲載

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建築のこだわり=1

 

“でこぼこ”という前川のこだわりが見られる市民会館。意匠を残し、改修が進められている=13日

 「役に立たなくなったら、壊せというのが前川先生の教えだった。でも市民会館には壊そうと思う要素は一つもない」。約50年前、弘前市民会館の設計に前川國夫(1905~86年)の直弟子として携わり、今回の大規模改修でアドバイザーを務める仲邑孔一さん(77)はこう語る。
 市民会館は世界的建築家である前川の設計として知られ、県内外からファンが訪れることも多い。全国では50年前の建物などは建て替えられるケースも多いが、市は親しまれてきた姿をそのままに大規模改修の道を選び、新たな命を吹き込む。前川の意匠を残すだけではなく生かし、当時の前川の感覚に戻す作業が進められている。
 「市民に切望されてようやく建設されると知っていたので、市民のためにという意識は強かった」と前川の思いを知る仲邑さん。コンクリートを全面に使用した造りで、ちょっと変わった形。“でこぼこ”が前川のこだわりだといい「でこぼこをつけると、陰影があって面白い。光と影をつくり、心地よさを与えようとしていた」。全てに市民への思いが詰まっている。
 建設地は三つほどの候補から弘前公園内を前川が選んだという。建設前は物置場のようで建物が建つような状況ではなかったが、市中心部にあり、豊かな景観が望めたことなどから選んだようだ。
 当時は追手門から入ると岩木山の下側に松が見える美しい景観が広がっていた。会館ができても風景の邪魔にならないようにと、景色に溶け込む造りを意識。高く伸びる煙突も“でこぼこ”にこだわり、視覚的な面白さをつくり出している。でこぼこは窓にも。ガラスが引っ込んだ造りで、外の景色が見えやすく、外からは中が見えにくい効果もある。
 独特の風合いを出したのがコンクリートの壁だ。外、内壁ともに木目模様がくっきり。木目や節が目立つ木、皮が付いた木を選び、コンクリートを流し込む型として使ったという。通常行う仕上げのコーティングも施さず、ここもあえてでこぼこを残す。「肌を優しく」との思いがあった。前川は他にもコンクリートの打ち放しの建物を設計しているが、こういった特徴はない。弘前公園内という自然豊かな中にあるからこそ、コンクリートにも自然のぬくもりを与えたという。こだわりは維持され、改修工事では木目模様やくすんでいた色合いを復元している。
 凹凸がある特徴的な木製の壁が目を引く大ホール。仲邑さんが設計図を書き、前川のお気に入りだった。利用者から美しい響きが好評。改修では客席の椅子などは一新するが、音響維持のために西目屋村のブナで造られた壁はそのまま残す。
 管理棟の吹き抜けの天井は天の川をイメージする。色は群青色で、暗過ぎない明け方の空。星の輝きを表すためクリスタルガラスで電球を包み、渦巻き形にちりばめて並べた。改修で電球はLED(発光ダイオード)となり、さらに優しい光が市民を迎える。
 「こだわりを説明していったら、切りがないよ」と仲邑さん。人に喜ばれる空間、使って温かさを感じる建築を目指していた。「50年間、人の心を癒やしてきた会館が最初の心意気を取り戻す。使いながら建物が与える心の豊かさもくみ取ってほしい」と話した。

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誕生への思い=2

2013/11/5 火曜日

 

 
落成式の様子を報じる1964年5月2日付の本紙。稲見さんのあいさつや緞帳(どんちょう)のデザインを描いた棟方志功の言葉が紹介されている

 音楽、演劇、舞踊などの文化団体の発表の場がなかった時代、弘前市民会館の開館は市民にとって待望だった。
 完成の約6年前に建設促進協議会が立ち上げられた。建設基金の募金も始まり、募金を呼び掛ける催しが開かれた。各種団体に加えて町会を中心に市民が募金に協力。建設費3億5000万円のうち3000万円以上が寄付で賄われた。市民会館は期待通り生の芸術に触れる場として、弘前市の文化や市民を育てている。
 「私たちのために立派な市民会館を建ててくれてありがとうございました。会館と津軽富士の眺めは思わず郷土愛を感じます」。1964年5月1日に弘前市民会館大ホールで行われた落成記念式典で、当時弘前中央高校3年だった稲見(旧姓藤森)ヒロ子さん(67)は、弘前子ども会連合会代表としてあいさつした。
 当時は子どもが式典であいさつするのは異例で、当初は反対もあったという。「未来をつくる子どもにあいさつをさせようという(当時の連合会長だった鳴海修さんの)思いで壇上に上げさせてもらった」と稲見さん。「客席にたくさんの人がいる中、制服を着て有名人と一緒に舞台に立ち、すごいなと思った」と振り返る。
 子ども会事務局があった中央公民館が併設され、開館後は市民会館が子ども会の活動
の場になった。市内の小中学校から子どもたちが集まる。渡り廊下を通り、ホール側にも自由に出入りができた。
 「見上げれば天井が高くって。(ホワイエの)シャンデリアやカラフルなソファ、大きなガラス張りの窓も見たことがなかった。手すりの感触も覚えている」と感動を話す。
 開館した年から、子ども会主催の「子どもの祭典」は市民会館が会場となり「大ホールでイベントをしたり、コンサートで使うような機材も使わせてもらった。展示を行ったり渡り廊下から紙飛行機や竹とんぼを飛ばしたりと自由にやった」。当時は体育館がない学校がほとんど。会館が出来る前は子どもが自由に使える大きな場所がなかっただけに、前川建築という一級品で思う存分に“遊ばせてもらった”喜びは大きい。「ずば抜けてモダンな建物なのに遠慮無く使わせてもらって、すごくうれしかった」とその感激を今も覚えている。
 小学生の頃から子ども会の活動を始め、大学卒業後も教員として携わった稲見さん。「私にとっては音楽を聴く場というより、地域との交流の場。母校のようで、会館に育てられた。(新しい市民会館に)若い時に一緒に感動し、うれしく使わせてもらった仲間と一緒に行きたい」

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支えた人々=3

2013/11/10 日曜日

 

創立10周年を記念して作られた随想集。携わってきた市職員ら約40人が手書きで市民会館での苦労、思い出などをつづった

  「朝5時半から玄関前に10人が並び、午後1時からの開場を待つ姿を見て期待の大きさを知った」。弘前市民会館の創立10周年を記念して作られた随想集に市職員がつづった。「貸館的性格から脱却したいと、自主公演の実現に努力した」「奈落の水に悩まされ、エレベーターマイクの修理や放送機器の故障にエネルギーを費やした」。随想集には苦労話も記されている。1990年度からは全装置が専門業者に委託されているが、当時は照明や音響などの舞台装置は全て市職員が担当。50年の歴史の裏には多くの努力や支えがあった。
 「採用後、初めて配属されたのが市民会館だった。舞台裏でいろんな演奏や講演を聴いた」と市職員の渡辺寧さん(60)は振り返る。開館から8年目の72年。10年半の間、照明や音響などの業務を担当し、舞台から客席を見ていた。
 事務職として採用され、舞台装置についての知識や技術がない状態でのスタート。20~30代の若手が多く、先輩らに教わって機器の扱いを覚えたという。
 「照明には0から100番までの番号が付いて。番号によって少しずつ濃さを変えることができる」と渡辺さん。しっとりした曲にはパステルカラーの優しい光、若い歌手には原色の光、バレリーナのジャンプと同時に効果音を出す―。照明や音響のタイミング、ボリュームの操作が、公演の雰囲気をつくる。
 だが機器の操作は「ほとんどぶっつけ本番」。多くの催しは1度だけで、出演者たちは当日に弘前を訪れて舞台に立つ。リハーサルの時間はほとんどない。「一晩だけだが、大勢の客がいる中で照明と音響を扱うのは緊張感があった」
 市民会館は当初、教育施設の一つとしての位置付けが大きく、多くの自主事業を展開してきた。「文化的な娯楽や催しが少ない時代。生の芸術を見せようと職員で知恵を出し合った」という。歌舞伎や作家の講演、ピアノコンサート、中高生のための児童劇、有名人の公演も企画した。
 公演は夕方や夜が多く、帰宅時間が遅くなることも多かった。だが渡辺さんは「音楽やオーディオが好きなので、仲間と楽しみながら仕事をした。感動するものもたくさん見たし、プラスになった。有意義な時間だった」と当時を懐かしむ。「市民にきれいに使われていたと思う。価値を見いだしてきたからこそ、50年たっても残すことができる。これからも大事に維持していってほしい」と願った。

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大ホールの魅力=4

2013/11/18 月曜日

 

大学時代に大ホールでサックスを演奏する今さん(右)=1972年1月27日の弘前大学教育学部音楽科卒業記念演奏会
大ホールで「親すて」を演じる劇団雪国のメンバー=2005年10月22日の定期公演

 開館時から弘前市の“文化の殿堂”としての役割に期待が寄せられていた弘前市民会館。大ホールの音響などは全国的に評判が良く、同市の音楽や舞台芸術を育ててきた。
 「演奏すると夢の世界が突然現れる。音に包み込まれるようで、気持ちがいい。幸せで摩訶(まか)不思議な響きに多くの演奏者は魅せられる」。弘前交響楽団の指揮者などとして活躍する弘前音楽ネットワーク代表の今廣志さん(62)は話した。さまざまな団体で音楽活動をし、毎年数え切れないほど大ホールで演奏している。
 初めて大ホールの舞台に立ったのは開館から3年目の1966年。中学3年生だった。小中学生の音楽発表会で舞台に立ち、サックスを吹く。「響くな、すごいなと思った」。それまでは学校の講堂を持ち回りで会場としていたため、照明や広々とした造りも印象的。何度も大ホールで演奏するうち、包み込むような響きに引かれていった。
 「聴く人も演奏する人も幸せになれる」。観客としての衝撃も大きかった。大ホールを初めて訪れたのはちょうど東京オリンピックの開幕日。地元高校の吹奏楽部の演奏会だった。「響きの豊かさ、(音の)情報量の多さ。濁らず聞こえるのに驚いた」と感動を語る。良いホールは良い音楽を育てるという。「響きに乗せられて演奏者が育つ。市民会館のおかげで弘前の音楽は発展してきた」。
 「とにかく最初は舞台があまりにも広くて。手を余した。演出家も頭を悩まして、こなすのに苦労した」。弘前市のアマチュア劇団として61年の歴史を誇った「劇団雪国」で長年キャストや裏方として活動した佐藤昌覚郎さん(82)は振り返る。
 同劇団は市民会館開館の10年以上前に活動を開始。2011年にその歴史に幕を下ろしたが、開館後は40回近く大ホールで定期公演を行った。
 幼稚園や学校を会場に始めた活動も劇団の発展と共に発表の場は広がったが、市民会館の完成前は300人が入るホールしかなかった。「もっと広いところでやりたいという夢があった」という。
 完成後は大ホールの舞台の広さに戸惑いもあった。発声の仕方が全然違う。動きは大胆に、大きな背景など大道具も用意しなければならない。だが「思い切って表現できるし、やりがいがある。最高だった」と市民会館での公演を思い出す。「今後も文化団体が大いに使う場になっていけば」と願っている。
 大ホールが音楽文化や舞台芸術の醸成に果たした役割は大きい。今後も市民らに親しまれながら文化を育て、歴史を刻む。

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