世界遺産白神 登録から20年 第2部 環境と生態系

 

核心地域を訪ねて(上)=1

2013/9/29 日曜日

 

 

ブナの若木が立ち並ぶ核心地域・クマゲラの森。遺産登録以降、地元大学や関係団体による白神山地遺産地域の自然環境調査が行われている

 原生的なブナ林が広がる世界自然遺産・白神山地。ブナを中心に多様な樹木で形成される森林の中には、希少鳥類のクマゲラをはじめ数々の動物が生息している。今年は多数のブナの実がなり“ブナの豊作年”として期待される一方で、クマゲラの姿は昨年から確認されておらず絶滅を危惧する声も。地球温暖化や酸性雨など地球規模での環境変化が社会問題となっているが、白神山地に及ぼす影響については十分なデータがそろっているとは言い難いのが現状だ。植物・動物とも長期的なモニタリングが必要不可欠として、各調査団体、機関で地道な調査が続けられている。
 核心地域で15年間ブナ林の動態を調べている白神山地ブナ林モニタリング調査会。専門家や白神山地の関係機関、一般市民ら官学民が入り交じったボランティア団体だ。今回、9月13~15日に2泊3日で行われた調査に同行取材した。
 調査は鯵ケ沢町と西目屋村にまたがる櫛石山尾根部、クマゲラの森、赤石川源流部(ヤナダキの森)の3地点で定点観測している。今回は大きく分け▽成木▽低木▽ササ▽実生(発芽したばかりの植物)の四つを、一班3、4人で調査した。メジャーや折り尺などの測定器を使って周囲長や樹高を測るもので、特別な技術を必要としないためフィールドワーク未経験者でも比較的簡単にできる。
 緩衝地域と核心地域の境にある櫛石山駐車場を拠点とし、最奥の赤石川源流部まで片道3時間。今回は片道1時間半程度のクマゲラの森(調査1日目)、同1時間程度の櫛石山尾根部(同2日目)で調査に参加した。
 櫛石山登山口から約10分間は、登山初心者の登竜門とも言われる急勾配の上り坂。ようやく登り切ると今度は約1時間ひたすら小さな上りと下りの繰り返しが続く。調査地までの登山道はもともとマタギが歩んできた道らしく、時には倒木の上を渡り進んだ。
 途中で「白神山地森林生態系保護地域保存地区」と書かれた木製の看板が目の前に現れた。クマのかみ痕がくっきり残ったこの看板から先が核心地域だと調査団から教えられ、いよいよ核心地域へと歩を進めた。
 本県側は入山に申請が必要な核心地域だが、マタギはもちろん地元民にとってもかつて山菜採りや魚釣りなど生活の場でもあったため身近な山のイメージを持つ人が多い。地元民からよく「あの山が世界自然遺産になるなんて」との声を聞くが、確かに核心地域だからといって景色がガラリと変わるわけでもないため、実感が湧かなかった。後にこの考えも改まるのだが。
 白神山地世界遺産推薦書や管理基本計画(改定中)の文中には「ササ」の名が出てくる。調査地に向かう道すがら確かにササを目にすることが多い。3調査地の中で最も遷移(植生の変化)が進行している尾根部もササが繁茂し、辺り一面ササで覆い尽くされた状態で、ブナ林というよりは竹林という印象を受けた。
 一方でクマゲラの森は、よく写真で見るようなブナの木が立ち並んでいる構図が目の前に広がっていた。地滑りによりブナ林の遷移ステージとしては比較的若い部類に入るため、ブナの他にオオバクロモジやタムシバといった多様な植物の若木が生育。ササはほとんど見られず、視界が開けており調査もしやすかった。
 ササは繁殖力が強く、たいてい日本のブナ林にはササが入り込む。そのため白神山地でも、遷移が進んだ尾根部にササが繁茂。地滑りが起こった場所でも植生の回復とともに年々増えるため、回復途中にあるクマゲラの森ではまだササが少なかったようだ。
 資料で白神山地の多様性を学んだと思っても、実際に核心地域に入ることで認識・理解の甘さに気付かされた。ひとくくりされた「核心地域」の中でも各調査地で植物群落は異なる。原生的なブナ林と言ってもブナだけでなく、実に多数の樹木が森林を形成しており、同じ景色に見えても種類に注目すればまるで違う姿が見えてくる。白神の表情は奥が深い。

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核心地域を訪ねて(下)=2

2013/9/30 月曜日

 

15年にわたり活動する白神山地ブナ林モニタリング調査会。森林動態のデータのみでなく、遺産としての価値を地元に伝え続ける

 1993年に白神山地が世界自然遺産に登録されて以降、現状把握と管理方針の在り方を探るための長期的な環境調査の必要性が高まった。国の機関を中心に白神山地の植物、動物、気象などの調査研究が始まり、今年度からは東北地方環境事務所が動物相調査にも新たに乗り出した。今年で15年目となる白神山地ブナ林モニタリング調査は、もともと98年に環境省が着手した調査研究事業をきっかけに誕生。一般の参加もでき、官学民が連携する全国でも非常に珍しいボランティアの調査団体で、ブナ林の動態を探るとともに、地元民に白神山地の価値を発信する役割も担っている。
 98年に環境省の事業として調査が始まり、事業終了後の2003年から調査メンバーが主体となって調査会が発足した。一般市民や地元学生も調査に加わり、核心地域に調査地を三つ設け、成木や幼木のサイズ、リター(落ちた葉や実)量を定点観測している。
 遷移(植生の変化)が進行しており原生的なブナ林といえる櫛石山尾根部、遷移ステージが比較的若いクマゲラの森、二つの中間の赤石川源流部の3カ所を調査地に活動。調査会によって白神山地における森林動態の経年変化が分かってきた。
 1999年から10年間のデータをまとめた報告書によると、ブナの占める割合はクマゲラの森と赤石川源流部で約6割を占めるが、尾根部は2割弱にとどまり低木・亜高木の種類数を多数生育。オオバクロモジなどの出現頻度も高く、典型的な日本海側のブナ林の特徴を示していることも調査によって裏付けられたことの一つだ。
 ただ、白神山地が成立したとされる8000年の時間から見れば、調査期間はまだまだスタートライン。盛岡大学栄養科学部教授でもある調査会の齋藤宗勝会長は「モニタリング調査はデータを最低50年蓄積しないと傾向が分からない」と地球温暖化、酸性雨などがもたらす影響や森林動態の把握には長期的な調査が必要と語る。
 地球温暖化の影響が徐々に表れ始めていると示唆するのは東北大学大学院生命科学研究科の中静透教授。「気温が高いため、標高が低いほどブナの実は落下しなくなるが、以前はブナの実が1平方メートル当たり1000個落ちていた赤石川源流部は、今では200~300個ほど」と兆候を語る。「気温が上がることでブナの分布域も減るので、地球温暖化によるブナ林の動態を今後の調査でつかめていけたら」と話す。
 調査作業は専門的な知識を必要としないため一般市民も参加できる。核心地域を肌で感じられる貴重な機会の一つでもあり、調査会メンバーは「自然に少しでも興味のある人に参加してもらい、環境保護や遺産価値に関心を持ってもらいたい」と、地元の自然を地元民が理解して守ってほしいと口をそろえる。
 10年前から参加する弘前市の高校教諭女性は「調査会に参加する前は、白神ってすごいんだろうなと漠然と思っていただけだったけれど…」と振り返り「調査に関わることで、白神山地を勉強できた。生徒たちにも自分の経験を交えて話せるので授業にも生かせるのが楽しい」と語る
 調査会のスローガンは「100年続けたい」。白神山地の森林動態や、地球温暖化などがもたらす影響の把握には、今後も長期にわたる調査を要し、地元民の協力が必要不可欠になる。津軽地域に住む人々にとって人ごととは言えない。

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消えるクマゲラ=3

2013/10/3 木曜日

 

白神山地のブナ林に生息するクマゲラ(2007年6月撮影、本州産クマゲラ研究会提供)
 
クマゲラが消える白神山地の現状に警鐘を鳴らしている藤井代表

 白神山地のシンボルであるクマゲラ。白神の核心地域へ開発の手が伸びようとしていた1980年代、機運を一気に変えたのはまさしくその鳥であった。「クマゲラのいる森」を守ろう―。地域住民や団体は声高に保護を訴え、結果として世界自然遺産への登録を勝ち取った。しかし20年を経て、保護されたはずの森の中でクマゲラの姿が消えつつある。クマゲラ、そして白神の森に何が起こっているのか。岩手県立博物館学芸第一課長で本州産クマゲラ研究会の藤井忠志代表に聞いた。
 同研究会は北東北に生息する本州産クマゲラの生態調査を続けている。白神山地での調査は今年、個体はもちろん新たな痕跡や情報がともにない、藤井代表をして「最悪」という状況を迎えた。「個体数が限りなくゼロに近づいている」と危機感を募らせている。
 北東北はクマゲラの南限近くに位置する。極地ほど生息条件は悪くなるが、近年の個体数減は人為的な要因によるところが大きいと藤井代表は指摘する。「工事によるトラックの走行音や金属音が山下一帯に響く。保護意識や野生鳥獣との接し方に知識のないカメラマンやガイドは外圧を与え、白神がどんどんクマゲラのすめない森になってきた」。少なくとも自由に人が出入りできる、核心地域以外のエリアに営巣していたクマゲラは森を追われた可能性が大きい。「このままでは今世紀前半で白神のクマゲラは絶滅し、東北では約8割がいなくなる」と苦慮する。
 藤井代表が提言するのは一刻も早い生息実態調査。「専門的に調査している自分たちでも個体を見られない現状。生息範囲や繁殖実態の把握に、国や行政が早急に乗り出さなければ個体数減に歯止めをかける手だてはない」と語気を強める。現状での利活用は白神の環境負荷を超えているとし「この節目に仕切り直しをすることが必要」と主張した。
 現在の保護の在り方にも疑問を呈した。「白神はいわば自然と文化の複合遺産。現在のようにマタギやハンターなどを閉め出し、これまでの文化を奪う手法はまずいのでは」と語る。新たな問題として懸念しているのは、エゾシカの南下とホンシュウジカの北上。仮に白神付近で交差することになれば、天敵がいないシカが森の草木を食べ尽くす事態になりかねない。個体数を間引く「文化」を排除した現状では危機に対応できず、クマゲラの生息環境はさらに危機にさらされる可能性がある。保護には「今の白神を見て接する姿勢が必要」と強調した。
 白神山地などに生息する本州産クマゲラは北海道産クマゲラとの遺伝的交流はない。純度の高い南限の個体という存在は世界的にも貴重だ。森にとってもブナを丁寧に使い切り、樹木の自然更新を促す存在。クマゲラの営巣木はやがて他の動植物を育むことからキーストーン(要石)種として森の生態系の中でも重要な位置を担う。「クマゲラが消えた世界自然遺産とはあり得ない」。クマゲラは白神にとっては象徴以上の存在なのだ。
 しかしこのままではクマゲラの姿は白神の森から消えてしまう。「恵まれた森に近過ぎて、地元の人々は良さを理解できていないのでは」と藤井代表。もともと留(りゅう)鳥(ちょう)であるクマゲラは、環境を保持、改善できれば戻ってくる可能性はある。「世界最大のブナ林の価値を捉え直してほ
しい。白神を守ることができるのは他でもない青森県民なのだから」

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酸性雨からブナを守る=4・完

2013/10/4 金曜日

 

佐々木教授が降水などを採取している白神自然観察園のブナ林(今年7月撮影、佐々木教授提供)
 
「環境の変化を客観的に観測するには、長年にわたるデータの積み重ねが必要」と話す佐々木教授

 世界規模の環境問題となっている酸性雨。ヨーロッパでは木々を枯らし、生態系に影響を与えるなど大きな問題となっている。世界自然遺産登録20周年を迎えた白神山地も例外ではない。白神山地の麓の西目屋村に2009年、白神自然観察園を開設し、研究フィールドの場を広げてきた弘前大学。同年からの調査では、白神山地にも酸性の雨が降り、特に降り積もる雪の酸性の値が大きいとのデータが示されている。前白神自然環境研究所長で弘前大学農学生命科学部の佐々木長市教授は「雪の上に卵を産む昆虫やブナに今後、影響が出てくる可能性がある」と指摘する。
 酸性雨は石炭や石油など化石燃料の燃焼などにより、二酸化硫黄や窒素酸化物などの酸性物質が大気中に放たれて雨や霧、雪などに溶け込み、地上に落ちることで河川や土壌を酸性化し、生態系に悪影響を与える。
 酸性度が強いほど水素イオン濃度指数(pH)は低くなり、一般的に酸性雨は5・6以下(中性の7以下が酸性)とされている。ヨーロッパでは酸性雨により湖沼が酸性化し、魚をはじめとする生物の死滅や樹木の変色、枯死が発生している。
 酸性の雨は悪いことばかりではない。例えば、土壌に酸性の雨が降ると土壌中にある植物に必要な栄養のカルシウムイオンやマグネシウムイオンが溶け出し川に流れる。これが農業用水として田畑に行き渡ることで養分の循環の面では利点も。ただ、酸性の度合いが強すぎると土壌の鉱物を分解し、水生生物や植物に有害なアルミニウムイオンが溶出するという。
 白神自然観察園では佐々木教授らが09年から降水などのデータを、雪は12年から採取している。09、10年の尾根降水の平均pHは約5・5、11年は約6・4、12年は約6・7。これらの値はさほど強い酸性の数値ではない。一方、同園の雪の成分を解析した結果、12年4月で平均pHが約4・4、13年1月で約5・2、同2月で約4・7といずれも降水より強い酸性の値を示し、酸性雨としても強い値となっている。
 これらの原因について佐々木教授は「白神山地はまだまだ、環境データの蓄積が浅い。環境の変化を客観的に観測するには、長年にわたるデータの積み重ねが必要」と前置きしながらも「中国大陸で消費された化石燃料が冬場に増加し、酸化物が雪と結合して強い酸性の雪が降ってきたのでは」と推察する。「雪の数値に驚かされた。雨よりも雪の方が酸性度が高いというのは、あまり知られていないのでは」と語り、「雪の上に卵を産む昆虫やブナなど今後、影響が出てくる可能性がある」と警鐘を鳴らす。
 「10年、20年後に比較できる現在のデータを後世に残すことがこれからの白神山地の環境を守ることにもつながる」とし、「今を知ることが未来につながる」と先を見据える。
 白神自然環境研究所は、生物多様性の把握と環境や生物相の変化を長期的に調査・研究するための素材として白神山地の動植物を収集し、標本として保存する「白神標本百年保存プロジェクト」の取り組みも進めている。酸性雨などの環境データのみならず、動植物のデータは酸性雨から受ける環境変化を捉える上でも重要だ。白神山地に最も近い地元大学の弘前大学。貴重な環境を守り、後世に伝えていく同大の果たす役目は大きい。
(第二部完)

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