津軽の蓑虫山人 佐藤雨山

 

2013/8/9 金曜日

 

 黒石市出身で、植物学などに大きな足跡を残した佐藤雨山(耕次郎・1893~1959)のこれまで知られていなかった資料が弘前市内で発見された。資料には、雨山が編集・発行し、明治初年の黒石よされの様子を描いた絵巻物のオリジナルと見られる作品や故郷黒石の山河、十和田湖を精密に描いた鳥瞰図(ちょうかんず)など多数に上る。植物学のほか、絵師、民俗・考古学と各方面に才能を持った雨山の活躍ぶりがうかがえる。放浪の画家として知られ、亀ケ岡遺跡の発掘、造園家など各界に異能の才を示した蓑虫山人の青森県版ともいえる雨山。新発見資料からその生涯に光を当てる。

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黒石の盆踊とよされ節=上

 

今回新たに発見された「黒石の盆踊とよされ節」の原画と思われる作品(写真は一部)。明治初年の黒石の盆踊りから当時の風俗がよく分かる
昭和5年に非売品として発行されたもの。原画と構図や彩色が異なる

 黒石市教育委員会発行の「黒石人物伝」によると、雨山は黒石の裕福な商家に生まれ、植物採集の毎日を送る。その知識は専門家をも驚かし、近代日本の植物分類学の確立者である牧野富太郎らとも親交を結び、新種のスミレも発見している。
 山野でのフィールド活動を重視する雨山が中心となって山岳会も組織。植物から郷土史へと関心は深まり、山岳会は、後年に黒石郷土史研究会へと発展する。
 雨山は黒石高校や柴田女子高校で教壇に立つ傍ら、植物学や郷土史の発展に尽力。66歳で永眠した。
 今回発見された「黒石の盆踊とよされ節」は非売品として頒布された昭和5(1930)年発行のものや広告が付いた弘前市立図書館の収蔵品などが知られている。同年の雨山の解説によると、もともとあった原画は紛失していたが、昭和4年に発見されたと記されている。それを基に昭和5年版などが作製されたもので、今回発見されたのは昭和4年に発見された原画とみられる。
 解説によると、絵巻は明治初年の盆踊りの様子を描いたとしている。踊りの場面が数場面描かれており、踊りの進んでいく様子が時間の経過とともに描かれている。踊る姿は仮装が中心で、牛に扮(ふん)したり、かぶり物をしたりと、凝った衣装で参加しており、現在のよされ踊りとは随分印象が異なる。
 特に面白いのが、おんぶしている親子が描かれているもので、市観光振興部の宮川慎一郎歴史・文化活用推進監によると、これは江戸時代に江戸ではやった「親孝行でござい」「親不孝でござい」という門付け芸を表しているとみられる。江戸で流行した文化や風俗が黒石まで伝播(でんぱ)した様子が分かり、民俗学的な観点からも貴重な資料となっている。
 今回見つかったオリジナル版と昭和5年版は構図や彩色などが大きく異なっており、編集した雨山の意図は不明だが、宮川推進監は「ストーリー性を出そうとしていたのかもしれない」と推測する。
 宮川推進監は「原図は長く見つからず関係者からも惜しむ声が上がっていたのだろう。その原画が見つかった喜びから昭和5年の品などが出版されたのだと思う。失われていく昔の物を大切にしようという雨山の一貫した姿勢が見て取れる」と述べた。

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鳥瞰図=2・完

2013/8/11 日曜日

 

「十和田湖並ニ津軽沿道名所案内」。弘前、黒石、十和田湖をダイナミックに配置した当時の観光ブームの熱気が伝わる作品
「浅瀬石今昔図」。山河の他、史跡なども丹念に描かれる。雨山の郷土への思いが伝わる

 鳥が上空から見たような視点で描く「鳥瞰図(ちょうかんず)」。立体感や遠近感が表現できるこの地図は、大正から昭和初期の観光ブームに乗って多くの観光名所図が制作され、現在も人気を呼んでいる。今回発見された資料には佐藤雨山が大正から昭和にかけて制作した十和田湖から黒石、弘前までを見渡した大作から故郷黒石を描いた作品まで幅広く収められている。県人の手によるこの時代の鳥瞰図は珍しく、大型鳥瞰図には当時の広告主が名を連ねるなど、資料的な価値も高い。
 雨山がどのような経緯で鳥瞰図を描くようになったのかは分からないが、黒石人物伝の中には、雨山が教え子に鳥瞰図を書くよう指導していた記述がある。野山を自在に歩いていた雨山らしく、地図は非常に精緻だ。
 大正9(1920)年に発行された「十和田湖並ニ津軽沿道名所案内」は石板刷りで縦80センチ、横55センチの大作。弘前市から黒石市を経て十和田湖に至るスケールの大きな図で、十和田湖周辺図が別に付いている。
 裏には黒石市を中心とした旅館や造り酒屋、貸し家業者といった広告主がずらりと並ぶ。地図はこうした広告主に配られ、掲示されたと考えられる。
 当時第一等の県内観光地はやはり十和田湖。軍都として栄え、外部からも人が流入する弘前を地図に加え、故郷黒石を経て、十和田湖へ観光客を呼び込もうという観光を意識した地図となっている。
 一方で、後年の作品には郷土への強い思いが見て取れるようになる。昭和2(27)年の「山形渓谷鳥瞰図」は、自分の庭のような地域の野山を題材に詳しく山河が書き込まれている。昭和22(47)年に描かれた「浅瀬石今昔図」は浅瀬石地区を中心に黒石の地域が俯瞰(ふかん)的に捉えられたものだが、山々や川筋が詳しく描かれているのに加え、城跡や遺跡などが書き込まれている。
 同じく見つかった「大光寺町歴史図」「柏木町歴史図」といった鳥瞰図には城跡や同地であった合戦の様子、江戸時代のそれぞれの集落の規模などが記され、さながら歴史地図のような形態となっている。
 郷土史会などの中心メンバーとして地元の歴史を深く掘り下げた雨山。こうした鳥瞰図は学習会などでの教材に活用されたのではないかと思われる。
 弘前市観光振興部の宮川慎一郎歴史文化活用推進監は「雨山は植物学や考古学、民俗学と幅広く地元の文化を掘り起こしており、地域の魅力をどう見直すか心を砕いていたと思う。もっと評価されて良い人物だと思う」と話した。

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