世界遺産白神 登録から20年 第1部 地域の現状

 

2013/6/25 火曜日

 

  青森、秋田両県にまたがる白神山地が日本初の世界自然遺産に登録されて20年となる。原生的なブナ林の最後の残存地で、希少種をはじめ多種多様な動植物が生息。山菜採りや狩猟など独自の生活文化も育まれた。その山々は1980年代の林道建設計画への反対運動をきっかけに自然保護への世論が高まり、93年12月に遺産登録された。。観光客の急増や入山規制、気象変動・・・。この20年で白神山地を取り巻く状況は少なからず変化した。。登録から20年。。その間にもたらされた光、そして垣間見える影。白神のこれまでとこれからを探る。

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価値とその歩み=1

 

白神山地の世界自然遺産登録から20年。その間、自然環境や周囲を取り巻く状況に変化がもたらされた。世界共通の遺産は今、保全と観光の共存の道を探る岐路に立っている

 白神山地は、約1万2000~8000年前から北日本の山地を覆っていた冷温帯ブナ林が残存する、東アジア最大の原生的なブナの森林。総面積は約13万ヘクタールだが、遺産地域はそのうちの1万7000ヘクタールほどと全体のごくわずかだ。
 山々はまさに野生生物の宝庫。核心地域で約100種、緩衝地域で約500種の植物が生息。哺乳類については本県に生息する哺乳類47種のうち約40種、鳥類は90種以上、昆虫類は2200種以上確認されている。
 山と人との関わりは古く、周辺地域には縄文遺跡も数多く分布。また白神山地は生産活動の場として長きにわたり利用されてきた。17世紀後半からは弘前藩の林業政策の一環として伐採が始まり、18世紀末には津軽領目屋野沢(現西目屋村)が薪炭の生産地となるほど林業が盛んに。尾太鉱山など銅鉛鉱山も栄え、木材生産目的の伐採も連綿と続いた。
 1980年代になると、西目屋村と秋田県八森町(現・八峰町)をつなぐ林道「青秋林道」の建設計画が持ち上がったが、多くの市民の反対により中止を求める運動は活発に。
 結果的に計画は中止となり、これを契機に遺産登録への動きが具体化する。林野庁が90年に白神山地の中心部を「森林生態系保護地域」に設定し、92年7月に環境庁(現環境省)が「自然環境保全地域」に指定。翌年12月に登録された。
 95年には白神山地管理の基本方針などについてまとめた管理計画を作成。2011年からは改定作業が進められており、登録20年の節目を機に管理方針が見直されている。
 鹿児島県の屋久島とともに日本初の世界自然遺産に登録され、白神山地の知名度は一気に上昇。観光客も急増し、日に何十台もの観光バスが乗り入れるようになった。周辺市町村には観光施設や宿泊施設も次々建設され、雇用の創出や地域経済の活性化にもつながった。
 一方で、核心・緩衝地域でたき火などの違反行為が見受けられたり、近年の観光客減による施設運営の苦戦など白神観光・地域活性化は曲がり角にきている。酸性雨やニホンジカの北上なども報告されており、環境への影響を懸念する声もある。
 市民の環境保全意識の高まりをきっかけとした世界遺産登録だが、入山マナーの違反や気象異常など社会問題が顕在化し、白神山地を取り巻く環境への悪影響も出ている。
 われわれの生活は遺産登録によりどのように変化したのだろうか。第1部では、山間に暮らす人や周辺地域にスポットを当てる。

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白神と人々の暮らし・上=2

2013/6/26 水曜日

 

「すべて排除するのでなく、そのままで残していかなければならない。それが管理というもの」と語る吉川さん

 マタギの村と呼ばれた旧赤石村(現鯵ケ沢町)。出身者の一人、吉川隆さん(63)は今でもそこに住み続け、山と向き合っている。山地への出入りは原則として調査や研究のために限られ、山で暮らしを営んできたマタギはその存在を消しつつある。「白神の環境を形作ってきたものにはマタギの生活も含まれているだろう。山で生活していた人までも排除する、というのはあまりにも不自然。それを『管理』だと言うのはおかしい」。白神山地の世界遺産登録をめぐる二十余年は、マタギたちの苦悩の日々に重なる。
 同村大然地区に生まれたときから、吉川さんの傍らには山に寄り添う生活があった。必要なものを必要な分だけ頂く―。マタギには「自然との共存共栄」という言葉よりも重い、山の恵みに生かされるという思想がある。山菜を採り、魚を釣り、クマを撃つ。それは山の神に与えられた糧であり、人が生きるために許される最小限度の採取であった。「当然、マタギの暮らしは楽ではなかった。それでも豊かな環境、そして活力があった」と語る。
 マタギの生活が大きく揺れたのは、青秋林道の敷設計画だった。住民や自然保護団体から反対の声が高まり、ついには着工が取りやめに。しかしその流れは「白神を世界遺産に」という機運をも生んだ。吉川さんたちは世界遺産登録に反対運動を展開したが、動き出した大きなうねりを止めることはできなかった。林道反対の声を同じくした人々との衝突で傷跡が残った。「これはエゴかもしれないが」と前置きしてから言った。「白神は昔から暮らしてきた場。自分たちはずっと山で生き続けたいだけなんだ」
 吉川さんは現在、県から委嘱を受けた巡視員として入山している。8年がたつが、1年更新で来期がある保証はないという。マタギが追われた山は少しずつではあるが、着実に変化している。「人が消えて自然に戻った、と喜んでいる人もいるだろう。それでも人は山には入る」。マタギが山への負荷を分散するため、周回するように通ってできた山道はやぶにのまれた。代わりに許可入山者が往復する道が白い筋を色濃くしている。
 世界遺産登録後は観光客が激増した。「自然保護という冠を付けながら、観光客を呼び込もうという相反することが行われている。一方で村の生活は維持できなくなった。本来あるべき姿は逆ではないのか」。吉川さんは、地域住民の実情を考慮しない「都会目線」の管理が生んだひずみを強調する。「現状は、マタギがかつて営んだような山の生活ができないように運んでいる。後継者は入ってこず、自分ももうマタギではないと思っている」。マタギ文化が断ち切られつつある今。「マタギは絶滅危惧種」だと、吉川さんは寂しげに笑った。
 現在、白神山地内に設けられている鳥獣保護区についても吉川さんは懐疑的だ。「人が山に入らないと獣は人の怖さを知らなくなる。食害は拡大するだろう。そもそも人が動物をうまく『保護』できた試しはない」。かつて人の営みは自然の中にあった。その人間が「保護イコール管理」という目線で自然に接することが、果たして正しいのか。山に生きたマタギの声が問い掛けている。

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白神と人々の暮らし・中=3

2013/6/28 金曜日

 

白神山地をガイドする土岐さん(手前右)=エコ・遊提供

 白神山地にはこの20年、西目屋ルートから概算延べ794万人(西目屋村調べ)の観光客が訪れた。登録当初は、外来者に対して世界自然遺産の価値を細やかに紹介できる体制が整ってはいなかった。しかし現在は、白神を専門とするツアーガイドができ、旅行客の知的好奇心を満たしている。土岐司さん(71)は2004年、ツアーガイド会社「エコ・遊」を設立した。長年、教職に携わってきた中でいち早く環境教育に着手。その経験を生かし、白神を舞台にした「教育旅行」の誘致やガイドの育成に注力している。
 登録当初のツアー客の多くは団体で、入山してそのまま帰るのがほとんどだった。しかし、白神を訪れる客は変化していると土岐さんは言う。「現在は小単位の客が多く、知的欲求のレベルも高くなってきた」。旅行地で消費する「経済観光」から、知的好奇心を満たすことを目的にした教育観光へのシフト。土岐さんはこれまでを「白神への旅行者がふるいにかけられた過渡期」と評する。
 現在の旅ブームの根底にあるのは、非日常の出会いや交流。情報が各メディアからあふれ出る中で、白神を訪れる旅行者も現地でしか味わえない体験、得られない知識を欲している。この20年で学術的・風俗学的な見地も含めた、深い意味での白神の魅力を発信する体制は整った。同時に、それを求める旅行者層も醸成された。「ガイドに求められる能力も高くなっている。またわれわれガイドが、訪れる観光客の質も向上させなければいけないと考えている」。旅行者の傾向変化を歓迎する一方で、じかに接する現場の人間として「重い課題を突き付けられている」と土岐さんは言う。
 外来者の意識が変わっていく中、土岐さんの目はこの地域全体へと向けられる。「世界の遺産、と言ってもこの地域は、真の意味でグローバルな観点でのメッセージを発してこなかったのでは」。土岐さんが課題の端緒と捉えているのは青秋林道計画の反対運動だ。「森を守るということだけにとどまり、残すことの価値を深く探るべきだった」と振り返る。「守るべきおらほの森」という観念から強まった保護への機運は、世界遺産登録後もイデオロギーが内向きにとどまった要因だと分析。「守ろうとすることも、地域を活性化させようとすることも悪いことではない。しかし結果として山地を単視眼的に捉えてしまうことになった」
 観光客の意識が変わっている現在だからこそ、世界遺産の意味や価値について地元が再考する必要があると論じる。「20周年の節目は意識改革や再認識のチャンスでもある」と、現在が「変化点」であることを強調する。地域住民と県外の識者らを交えたタウンミーティングやワークショップなど、対話や議論の機会を増やす―。それが白神の価値を世界に発信するための一歩目だという。
 危惧するべきは地域の意識や環境づくりが旅行者の関心に追い付かず、経済観光ばかりに立ち戻ってしまうことだ。「現在の問題、課題の根底は世代が変われば忘れられてしまう。節目とは、今までと違う生き方を決意するべきタイミング。真の意味でグローバルな環白神へとならなければいけない」。地球規模で見た白神、それ取り巻く地域や人々がどう向き合うか。今、世界の目が注がれている。

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白神と人々の暮らし・下=4

2013/6/29 土曜日

 

白神山地の恵みを授かり生きる周辺地域の人々にとって、釣りや山菜採りは生活の一部。登録によりもたらされたのは恩恵だけではないようだ

 白神山地の自然は、人々の生活にも恩恵をもたらしてきた。白神の豊かな自然が育んだ魚や山菜をとり生きる糧とし、マタギや薪炭の文化も形作られた。1993年に世界自然遺産に登録されたことで全国的に名前が知られ、周辺地域への観光客が増え、地域経済にもプラスとなった。その一方で、入山が制限されたことを受け、今まで生活の一部だった釣りや山菜採りも自由にできなくなるなど弊害も浮き彫りに。登録による光と影。遺産地域の周辺に住む人々は、登録がもたらした効果への喜び、戸惑いを抱きながら今日を生きる。
 「西目屋村はサルとクマしかいない村だ
とよく言われたが、今は世界遺産を抱えて、世界の仲間入りをした」と喜ぶのは同村田代地区の松嶋良栄さん(87)。戦時中は軍隊へ志願し、終戦後に村へ戻った。47年から90年までは村職員を務め、観光担当として暗門の滝歩道の建設計画にも関わったという。
 日本初の世界自然遺産として、県内外に白神山地の名前が知れ渡り、一躍観光スポットとなった同村。「ツアーコースに村の温泉利用を組み込んでくれたり、村にホテルや物産館ができて雇用の場も増えたので、生活が助かった人も多い」と語る。
 一方で、山菜採りとそれを業者に卸すことを生業(なりわい)とする同村田代地区の米澤昭也さん(49)は、観光客が増えたことで遺産登録周辺地域では山菜が採り尽くされる危険性があると警鐘を鳴らす。
 山菜採りの間では暗黙のルールがある。山菜は全て採らない。採り尽くすと二度と山菜はできないため、必ず雄花と雌花を1本ずつ残して採取していた。
 「今は簡単に山に入ることができるから、あるものを全部採ってしまう人もいる。遺産登録されて観光客が増え、道路も良くなり、山菜採りが増えた。今は観光客が減っているけれど、山菜採りは増える一方」と山菜が採り尽くされることを危惧。「村で買い物してくれるのはありがたいけれど、村で暮らしているわれわれにとってメリットがあるのかよく分からない」と語った。
 鯵ケ沢町を流れる赤石川の上流もイワナや山菜の宝庫。遺産登録されるまでは地域住民は自由に川魚や山菜をとっていたが、登録により規制、制限を受けるようになった。
 赤石川の金アユを守り育てる事業を展開しながら、金アユのブランド化を推進する赤石清流会の清野和雄会長(54)は「白神ブランドで多くの山菜や金アユ、イワナをとり、そのブランド化の効果で住民が増えると思ったが。さまざまな理由で制限がかけられ、入山届を出さないと入山できなくなった。いろんな意味で期待が裏切られた」と不満も漏れる
 登録により観光客が増えたことで地域経済が潤った一方、釣りや山菜採りなど自然の恩恵にあずかり生活する人にとっては必ずしも益をもたらす結果にはならなかった。清野会長は「自然と共に歩んできた地元の人たちと白神山地の共生のための遺産登録だと思うのだが…」とその表情は複雑なままだ。

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地域振興への課題=5

2013/6/30 日曜日

 

 

遺産地域を抱える一方、過疎と高齢化が進む西目屋村。村民の生活を守るためにも、登録20年を機に白神観光の在り方の見直しが急がれる

 本県の白神観光で最多の観光客数を誇る暗門の滝、樹齢400年を超えると言われるブナの巨木マザーツリー。核心地域への入山は限られるが、西目屋村には白神山地に育まれた数多くの観光資源がある。過疎と高齢化が進む山村は世界遺産登録後、ピーク時には年間60万人の観光客でにぎわい、観光施設も続々オープン、地域雇用も創出された。しかし近年は、ツアーを中心に観光客の減少が顕著になり、こうした施設も厳しい経営状況に置かれている。有志の協力で賄われる暗門の滝歩道の整備資金も減少の一途で、村が毎年1000万円近く負担する状態が続く。登録20年で再び脚光を浴びる白神山地。村の観光対策も岐路に立っている。
 西目屋村の人口は1500人を切り、県内40市町村で最少。高齢化率も4割弱まで進む。総面積約250平方キロの約9割が林野で、そのほとんどを国有林が占める。
 基幹産業の農業を中心に、登録後は商業や観光業も活発化。登録翌年には、村長が理事長を務めるブナの里白神公社が設立され、実質的に村主導で商業・宿泊施設の運営がスタート。観光客の受け入れ態勢が整備された。
 登録後は観光客が年々増加し、登録10年の2003年と04年に60万人を超えたが、04年以降徐々に減少。09年から統計方法が変更されたため以前と単純比較できないが、11年には2万8000人まで落ち込んだ。
 村の経済にも大きく響き、公社の売り上げはピーク時(05年度ごろ)の約4億8000万円から、昨年度は約3億5000万円に。一時100人を超えた従業員(パート含む)も63人に縮小。村の補助金で、何とか黒字を保っている状況だ。
 公社の角田克彦支配人は「暗門の滝歩道の入り口の前などは人であふれ返っていたと聞くが、いまは1日4、5台大型バスが来ればいい方」と観光客の減少を痛感。「大雪で歩道の開通が遅れているのも減少の要因。自然ばかりはどうしようもないが、商売できる期間も1カ月も短くなる」と厳しい表情で語る。
 観光客の減少は、白神有数の観光名所にも影を落とした。暗門の滝歩道の整備、維持費は有志からの森林環境整備推進協力金から捻出しているが、観光客減少に伴い、年間1000万円を超えていた協力金も半分に激減した。
 昨年度は約1350万円を同村が負担。関和典村長は「橋を造っても雨で流され、一カ所でも落石があれば通行止め。生産性がない投資」と村にとって大きな負担になってい
ると語るが、村内一の観光地であり安全確保の面からもなおざりにはできないのが実情だ。
 その一方で、20年の節目を機に白神観光に変化が現れている。
 公社では「村内には公社以外に観光サービスの企業が参入しなかったため、競争の概念がなく、接客に至らない部分もあったかもしれない」(角田支配人)と世界遺産に頼った観光からおもてなし強化へと、受け入れの姿勢を見直す動きが出ている。
 行政面でも、白神山地周辺の自治体が連携し始めた。関村長も「観光客を奪い合うのではなく、観光客のニーズに応じて他の自治体も回ってもらえるよう、自治体ごとに特色あるサービスを展開するべき」と、自治体の境界を超えた広域観光に期待を寄せる。

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