日々燦句 (石﨑志亥)

 

三郎も二郎も呼んで真桑瓜(鳴海顔回)

2019/8/16 金曜日

 

 〈真桑瓜(まくわうり)〉のひびきは懐かしい。メロンとの主役交代はいつ頃だったろうか。昔は「マクワ」だった。小玉で甘みもそれほどではなかったが、結構美味(おい)しかった。時々店頭で見かけるとつい買ってしまう。作者も〈三郎も二郎も〉マクワ世代と見える。物はなかったが、良き時代であった。『新青森県句集第29集』所収。

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「終つた」とだけ言ひし父終戦日(五日市勉)

2019/8/15 木曜日

 

 きょうは終戦記念日。昭和20(1945)年8月15日は、戦争がもたらした恐怖、悲惨、飢餓、人権無視、自由剥奪など様々な不条理の中で生きてきた国民にとっては、特別な日であったろう。作者の父の発した〈終つた〉の一言が重い。それ以外の言葉はいらない。価値観の変わった日でもあった。『新青森県句集第28集』所収。

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聞き分けのない子のやうに盆の雨(島田よう子)

2019/8/14 水曜日

 

 雨はいつでも降る。〈盆の雨〉に意味があるのだ。当地方の盆はほとんどが月遅れ。盆に合わせて帰省する人たちも多い。家の中も街中も束(つか)の間賑(にぎ)わいを見せる。作者には根底に「折角(せっかく)のお盆なのにこの雨は」の思いがある。〈聞き分けのない子のやうに〉は言い得て妙。説得力がある。『青森県句集第30集』所収。

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老いてゆくところどころに夏の雲(小野いるま)

2019/8/12 月曜日

 

 〈夏の雲〉は盛夏の象徴だろう。青空に湧き立つ入道雲には夏の旺盛な生命力を感じる。だれもがいつかは老いゆく自分を認めざるを得ない。作者には自分の老いがよく見えているのだろう。老いゆく〈ところどころ〉に壮年を感じながら。「無知の知」の悟りとどこか似ているようにも。『新青森県句集第29集』所収。

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昼寝子の部屋の隅まで転がりぬ(諏訪正子)

2019/8/11 日曜日

 

 〈昼寝〉は蒸し暑い夏を過ごすための生活の知恵とも。それにしても、子どもはなぜあんなにも寝相が定まらぬのだろう。昼寝に限らず常に「ごろごろ」している。〈部屋の隅まで転がりぬ〉もあながち大袈裟(おおげさ)ではない。顔中汗だらけにして寝ていたりする。ほほえましい情景である。『新青森県句集第28集』所収。

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