あすへの夢 震災を越えて ― 第4部 絆

 

2012/12/28 金曜日

 

 東日本大震災後、大きく変わった地方の在り方を農業、エネルギー、防災の視点で今年1年にわたり掲載してきた年間企画「あすへの夢 震災を越えて」。第4部は「絆」をテーマに県内外で復興支援に奔走する人や県内避難者の声を紹介する。

 

 

 

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野田村への行政支援=1

 

野田村内では中心部を少し離れるとがれきや更地となった土地が目に入る。震災のすさまじさを改めて実感する

 東日本大震災により、甚大な被害を受けた岩手県野田村。震災以前の弘前との縁はある意味、希薄といっていいものだったが「被災地のために何か」との弘前市の思いから両市村の間では行政、民間を問わず、支援や交流活動が続いている。特に震災発生直後といっていい、2011年3月末から続く市職員の派遣は、避難者への支援物資の配布から現在は復興に向けた街づくり支援まで、多くの市職員が携わり続けている。震災から1年9カ月余り。被災地野田村を見続ける職員たちは何を見、感じたのか、その思いを聞いた。
 先月20日、野田村から職員2人が来弘した。若手職員の発案で始まった震災の記録集作りに弘前市職員の声も残そうと訪れたものだった。
 市は3泊4日の短期派遣職員と、その後3カ月の期間で長期派遣を実施。これまでに短期・長期合わせて延べ90人の職員が野田村に派遣された。
 最初の短期職員派遣として、昨年3月31日に現地入りした人事課の早坂謙丞係長はヒアリングで「現地では全国からの支援物資が待ったなしで来ている状況。ボランティアもたくさん来たが誰の指示を聞けばいいか分からないようだった」と混乱していた当時の様子を語った。震災後、最大規模の余震が発生した4月7日に現地で支援をしていた企画課の菊池浩行総括主査は「村内の商店も被災し、支援物資の配布では避難者以外の村民も来ていた。余震の時は久慈市内のホテルに泊まっていたが恐怖を感じた」と頻繁だった余震への恐怖と隣り合わせの支援だった状況を語った。
 震災から4カ月。仮設住宅の完成に伴い、避難所が閉鎖するなど、村内の生活が少しなりとも落ち着きを取り戻した7月初旬。同時期に派遣された農政課の山内恒係長は村のちょっとした変化に目を留めた。「役場前の駐車場でプランターに花が植えられていた。徐々に…、徐々にではあるが復興に向けて一つ一つ形に表れてきているのかなと感じた」
 短期派遣は8月まで行われ、その後今年1月からは復興に力点を置いた長期派遣に移行する。
 現在までに8人の職員を派遣。今月末で派遣期間が終わる上下水道部工務課の福士一之主査は短期派遣に続き、2度目の野田村での業務だ。村は現在、高台地域への団地整備を計画しているが、保安林の指定解除や埋蔵文化財の調査などが計画推進のネックとなっている。福士主査も用地交渉など慣れない業務に精を出す毎日だ。
 短期派遣の時は「ある程度落ち着いて精神的にも安定している」と感じた村民の様子も交渉などでじっくり話を聞くと「将来への不安や早く高台に移転して震災以前の生活に戻りたいとの強い思いを感じる」と福士さん。もうすぐ野田村を離れるが、印象に残っているのが住民説明会の場で派遣職員に村民から拍手が送られたこと。「今まで経験したことがありませんでした」。村民の感謝の気持ちを肌で感じ取った瞬間だった。
 記録集を担当する同村総務課の小野寺修一主査は「長期の支援や交流を行ってもらい感謝している。村では都市計画のノウハウもあまりないので力を貸してもらえるのはありがたい」と話す。復興の道のりを山登りに例えた質問をすると、小野寺主査は「頂上を高台の区画整理の完成とすれば…」と答えた後、しばらく答えを迷ったような様子だった。「正直まだ目に見えないので途中段階です」。復興とたやすく口にするのも厭(いと)うほどの課題と厳しい道のりがあるのだろう。野田村にはまだ支援が必要だ。
 弘前市議会12月定例会では市が来年度も職員派遣を継続すると答弁している。

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