地域経営の今 本県農業の新たな形

 

2012/6/25 月曜日

 

  高齢化や担い手不足は本県農業の恒久的な課題であり、もはや個々の農家では解決できない状況だ。本県の豊かな農地や漁場をはじめとする食料の生産基盤を、加えて代々受け継がれてきた技術・技能をいかにして次の世代に引き継ぐのか。その解決策として、複数の集落を一つの経営体(営農単位)として捉え、地域全体で知恵と力を出し合って生産性の向上を目指す「地域経営」が注目されている。個から集団の時代へ、本県農業が新たな形へ変わろうとする今まさに県内で「地域経営」に取り組む農業者の視点を通して本県農業の将来像を探る。

 

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個から集団の時代へ「耕作放棄地を再生」=1

 

 

広大な水田内に設置された上小国ファームの農機具格納庫。奥のハウスではイチゴの栽培を行うなど、多様な作物づくりに励んでいる

 外ケ浜町蟹田地区の農事組合法人上小国ファームの事務所内で工藤智事務局長は膨大な帳簿と格闘していた。2008年の法人化以降、同ファームの取り組みを参考にしようと、県内外の多くの農業関係者が視察に訪れる、「地域経営の成功例」だ。
 00年。米の減反政策の中、転作しようにも人も「器」となる田も足りない。耕作放棄地が広がった。「個の力では無理だ。将来的には集落営農組織をつくらなければ」との思いは日に日に強くなった。
 それから集落を挙げて耕作放棄地の解消に着手した。国による中山間地直接支払制度も後押しし、集落協定を締結し、3年にわたる地域ぐるみの取り組みにより、耕作放棄地を牧草地や水田・そば畑へ転換した。現在は組合員54戸、約85ヘクタールの経営規模まで拡大した。
 同ファームの最も大きな特徴が全作物の共同生産、販売による「プール計算方式」を導入している点だ。各戸には面積割の配当と労役費を分配している。大規模な一つの会計にすることで、米価の下落が続く中でも、膨大な帳簿があるからこそ一定の収入を見通すことができ、配当の数字が組合員を後押しする。
 しかし、計算し尽くしたがゆえに帳簿上の配当以上を生み出すのも困難だ。「夏生産と冬生産を組み合わせ1年間働ける態勢づくりに加え、6次産業化で女性の雇用を増やし収入増につなげなければいけない」と語る。
 加えて、国が何の作物にどのような補助金を設定するのかを見極めなければならず、安定的な配当を行うために、収益性の高い作物の導入やさらなる規模拡大も図らなければならない。
 一集落・一経営体となったからこそ後戻りはできない。「課題は山積しているが、立ち止まっていられない」。まとめ役となるリーダーが地域経営には必要とされている。

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“人財”を育てる「若年層就農に一役」=2

2012/6/26 火曜日

 

農事組合法人くらいしの水田前で、人材育成などについて懇談する一戸治孝県農林水産部次長(左)と竹洞組合長

 まだ肌寒い5月の五戸町倉石地区。農事組合法人くらいしの竹洞信一組合長が見詰める広大な水田には「リストラされたと言うが、やる気があるから雇用した」という男性がトラクターを運転していた。従業員13人、重機オペレーター7人を雇用している。
 雇用した人の賃金や福利厚生は一般企業並みを確保。「地域の農業を守り、若い世代が安心して就農できる環境をつくりたい。安心して就農できるように、きちんとした待遇で働いてもらいたい」との配慮からだ。
 県によると2010年の本県の農業就業人口は約8万人。25年には約4万人にまで減る見込みだ。県は同法人を「地域経営のモデル例」と称する08年に発足した同法人は現在、旧倉石村の農業者の3分の2に当たる127農家が参加し、経営規模は72ヘクタール、作業受託50ヘクタール、売り上げ収入は約9000万円に上る。
 転作作物のヤマウドやヤマゴボウなどは、県内外の食品加工業者と連携しながら商品開発を行い、6次産業化も図っている。これにより、年間を通して男女問わず地域の安定した雇用確保と収益性向上に努めている。
 これから米粉パンの製造・販売に本格的に取り組むために、地元出身のパン職人も雇用したという。人材を育成しながら、地域農業を活性化させる同組合の挑戦は続く。
 業務拡大と6次産業化により地域の雇用促進につなげているのは七戸町の金子ファーム。これも地域経営の一つの形だ。同ファームは約9000頭の肉牛の肥育販売に加え、飼料用トウモロコシなどで約33億円の売り上げを誇る。
 90年代後半、同町近郊の畜産農家は不況下で国内最大手の業者による預託打ち切りが相次いだ。地域が疲弊する状況を何とか食い止めようと同ファームは地域の畜産農家へ肉牛の預託を始めた。預託を受けた地域の畜産農家は、雇用が生まれるだけではなく、安価で同ファームの稲わらを利用することで好循環を生み、地域の連帯感も増した。
 預託だけではない。「地域の人に牧場の仕事を知ってもらう」(金子吉行取締役)意味も込め、同町の広大な牧草地の中に直営のジェラート店「NAMIKI」をつくった。当然だが同ファームがアルバイトを雇用している。金子取締役は「自分たちだけでいいならこのようなことはしない。本県は農業県。自分たちが職場を提供し、若いやる気のある人を本県に残していきたい」と意気込む。

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田んぼを守る「大規模化で下支え」=3

2012/6/28 木曜日

 

フラップあぐり北三沢の千葉準一代表理事が指さすアシ(奥)も順次水田に整備される予定

 西北五地域を中心に、水田の大規模経営を行っている豊心ファーム。刈り取りや乾燥調整など作業の一部を農家から受託しているほか、さらに自社で農地を買い取り、地域の水田農業の荒廃を防ぎたいと意欲を燃やす。
 国の減反政策で、コメから小麦や大豆などへの転作農地が増えた。だが、コメ用の農業機械では消耗が激しく、補助金を考慮しても採算が合わない。担い手不足も追い打ちをかけ、耕作放棄地が広がり続けているのが現状だ。
 同ファームは1998年、境谷一智代表取締役の父親で会長の博顯さんによって設立された。五所川原市を中心に作付け規模と作業受託を拡大し、現在ではコメや小麦、大豆などの管理農地は約240ヘクタールに上る。
 「農家の親世代でさえ自分の子どもを勤めに出す。農業一本で食べていくには厳しい時代。農業は二の次にされている」と境谷代表取締役。それでも「地域のために何ができるのかを考えてきた」。
 県内各地でコスト削減のために大規模化の動きが進む中、規模拡大のためには「人間関係が一番重要」ときっぱり。「地域で生きる人とのつながりが何よりの財産」という言葉が未来型の農業を支える大きなヒントになっている。
 三沢市の仏沼周辺。アシが生い茂る広大な耕作放棄地の中に、区画整備真っただ中の水田が広がる。昨年4月に14戸の組合員で発足した農事組合法人フラップあぐり北三沢によるものだ。
 湿田が多く、作業効率は悪く、生育の条件は決して良くないことに加え、国による減反政策によって耕作放棄地が広がった。
 千葉準一代表理事は「代々受け継がれた水田を放っておけなかった」。周囲から「今さらどうする」と笑われることもあった。それでも「放っておくより」と説得した。
 水田の大区画化、排水路や道路などの整備を進め、今年度は60ヘクタールの経営規模まで拡大、来年度には100ヘクタールまで広げていくことになっている。
 作付け初年度となる今年度から当面は水稲の生育が不安定なため、飼料用米を作付けし約5000万円の売り上げを見込む。経費削減のため、機械や施設は組合員や農協の所有物を利用する予定だ。
 「今年は本当に大変だ」と不安も尽きない。それでも「ちゃんとした田んぼになるにはあと2、3年かかるだろう。それまでは笑われるだろう。でも最後には笑っていたい」。

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リンゴに懸ける「即応性など限界も」=4

2012/6/29 金曜日

 

農事組合法人として出発し、時代の変遷とともに有限会社へと移行した弘前市のゴールド農園

 津軽地方ではリンゴ生産に注力するため、共同経営や集落営農に早くから取り組んできた人々がいる。組織化や法人化の道を歩んできた先駆者たちは組織を安定に導く過程で、地域事情やステップに応じた最善の在り方を模索してきた。
 1971年に発足した農事組合法人・鬼楢営農組合。組合員はリンゴとコメを両立する生産者が多く、機械化時代の黎明(れいめい)期に受け皿としての役割を担い出発した。
 各戸がリンゴ生産に集中するための仲間という色彩が濃く、現在は水稲のほか小麦、大豆も生産する。6次化へのこだわりはなく、鳴海廣治組合長(61)は「国道から遠いし、わざわざ農協の直売所の邪魔をしたくない」と理由を語る。
 重んじるのは相互扶助の心構え。「競争主義でなく、1ヘクタールの人も3ヘクタールの人も仲良くやろうという精神がある。単純な損得勘定には走らない」と、コミュニティーの結束を強調。こうした観点から「法人化を進めるのなら、元来の地域基盤を活用し、ゆっくり取り組むべき」と提言する。
 弘前市相馬地区の水稲生産者の大多数、200人近くが参加するライスロマンクラブ(佐藤喜久男組合長)は、各集落の栽培集団がオペレーターなどの不足に対応しようと団結、99年に発足した。山内芳宏事務局長(49)は「コメはライスロマンで、リンゴは各自で頑張ろう―と集まった」と説明する。法人化はしておらず「あくまでリンゴ主体の地域なので、急ぐ必要はない。田所なら話は別だろうが」とする。
 成長とともに組織形態が変化したのは、同市下湯口の有限会社ゴールド農園(石岡繁行社長)。現在は生産者250人が参加、生果や自社加工品の販売を行うが、農事組合法人下湯口ゴールド農園として組織された66年から長期間、若手生産者が岩木山麓に開いた園地を共同で営んだ。
 「共同経営なら苦しい時に助け合えるが、余裕が出ると個々の園が優先され、力が入らなくなりがち」と創立メンバーの石岡繁春会長(73)は指摘する。結局、共同園地は88年に分割した。
 販売規模の拡大に伴い、法人の制度的欠点も見えた。「みんなが対等という考えで合議に時間を要し、急な商談に即応できない」点だ。同農園は92年に下湯口無袋りんご直売組合などと統合、有限会社に改組した。「生産だけならいいが、次の段階に移るなら限界がある」。農事組合法人についての石岡会長の評価だ。

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