田舎館村 田んぼアート20年の歩み

 

2012/6/23 土曜日

 

 田舎館村の田んぼアートが今年、20年目を迎えた。小さな村から生まれた稲の芸術は、今や全国のみならず世界から注目されるまで成長した。村民が力を合わせ取り組んできた20年を振り返る。

 

 

 

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試行錯誤の「稲文字」=上

 

役場職員が田んぼの中に遊歩道を作った際の掲載記事=1993年7月11日付
第1回の田植えツアー見学会=1993年7月25日撮影

 北方稲作文化発祥の地といわれるほど長い米作りの歴史を持つ田舎館村。その米を使い村おこしにつなげようと20年前、役場職員の発案で始まったのが田植え体験ツアー。その中で紫稲、黄稲、つがるロマンと色の違う稲の苗を使い、文字と岩木山とを描いたのが始まりだった。
 本紙紙面によると、1993年5月30日に、第1回の田植えツアーが開催された。村内外から約100人が参加し、「弥生の里いなかだて」の文字と岩木山をかたどった。まだ「アート」ではなく「稲文字」と呼ばれていた時代だった。
 当時村産業課で作業に携わった、現農業委員会事務局次長の日村博文さん(52)によると「始めた当初は試行錯誤だったようだ。絵柄は木の角材を組んで型を手作りして、それに合わせて苗を植えていた」と振り返る。
 アートの眺め方も今とは異なっていた。現在は村役場東側にある水田を庁舎の展望台から眺めるようになっているが、当時の水田は中央公民館裏にあり、また旧庁舎であったため展望台はなかった。そこで、間近で見ることができるようにと役場職員らが田の中に木で遊歩道を設営。また足場を組み「やぐら」を作って眺める場所を確保していたという。
 一から人の手で作り上げられていたアート。「ここまでアートが複雑なものになるとは当時はまだ想像がつかなかったなあ」
 稲を植えるのも手作業。その中で大きな役割を担ってきたのが農協女性部だ。農作業の“プロ”としてその技術を生かし、絵柄が複雑になっている現在では、色分けなどが細かい難所を一手に担っている。関係者からは「彼女たちがいなければアートはできない」と言わしめるほどだ。
 第1回から田植えに参加し続けているのが肥後ゑ子さん(73)。当初は村農協婦人部長(当時)として田植えを指揮していた。「長くやってきて、きれいに見える植え方が分かってきた。少しずつ苗をずらして植えたりと工夫もするのよ」。植えっ放しではなく、少し苗が成長したら様子を見に行き手直しもするのだとか。「何よりもその年の出来栄えが楽しみ。みんなが喜んでもらえることもうれしいしね」と笑った。

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村民の力に支えられ=下・完

2012/6/24 日曜日

 

 
1200人もの参加者が集まった今年の田植え。たくさんの力が集まりアートは作られている

 稲文字はその後田んぼアートと呼ばれるようになり、その美しい絵を一目見ようと毎年各地から多くの人が見学に訪れるようになった。そこには、測量と遠近法の導入による芸術性の飛躍的な高まりと、それらを支える村民の力があった。
 1993年にアート作りが始まって以来2001年までは同じ絵柄が用いられていたが、翌年から「岩木山と月」で新たなデザインに。そして03年の「モナリザ」からは一気にアート性が増した。
 役場職員だった親戚に頼まれ、モナリザから絵柄を担当したのが、養護学校教諭で美術科を担当する山本篤さん(54)。しかしその年、観光客の「太ったモナリザ」との声を受けて、翌年から遠近法の導入を始めた。
 パソコンを使って画像を処理し、展望台から撮影した写真を基に、手前が大きく見える田んぼの形に合わ
せて絵を調整。美しさは飛躍的にアップした。現在は、山形県米沢市、福島県鏡石町のアートも手掛けている。
 絵柄作りは20時間以上かかることもある大変な作業で、稲の配色なども決めていく。今年は9種類7色の稲を使用するが「限られた色の中でいかに美しく見せるか」を念頭に置いている。
 「『今年もすごかった』と言ってもらえるのはやっぱりうれしい。やってほしいと言われる限り続けていきたいですね」
 一方、測量技術を生かし設計図作りを請け負っているのが、村農業委員の工藤浩司さん(51)。測量はそれまで役場職員が行い、業務の後に真夜中まで10日間もかけて作業をしているという話を聞いた工藤さん。以前測量会社に勤めていた経験があったことから協力を申し出た。
 設計図作りでは、山本さんが作成した絵柄の輪郭に沿ってひたすらポイントを打つ。このポイントは、田んぼの基準点からの角度と距離が計算されており、実際に田んぼで杭(くい)を打つ場所となる。その杭同士をテープでつないでいくことにより、田に稲を植えるための下絵となっていく。
 ポイントの数は約8000にも上るが「絵の良さをなるべく残しながらも、実際に田んぼに杭を打つ作業を考え、負担にならないようあまり細かく打ちすぎないようにしている」という。これにより完成した40枚以上の設計図を基に、今度は職員らが田んぼに杭を打つ作業へと引き継がれる。「田んぼアートのいいところは、一つのものをみんなで協力して作り上げるところかな」とほほ笑む工藤さん。
 こうして田んぼアートは村民の力と技術の支えによって現在に至る。今年の田植えには1200人が参加。面積こそ違うが、20年前の12倍もの人が参加し作り上げた。
 「田んぼアートは住民の結束の表れ」と話す鈴木孝雄村長。「小さい村だが、逆にそこを武器にみんなで力を合わせてこられた」と胸を張る。
 20年目の今年は第2会場を新設し、新たなスタートを切った。「2000年前から米を作り続けている村。これからもアートで魅力の発信を続けていきたい」

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