弘前をダンスの街に

 

2012/4/29 日曜日

 

 5月12日、弘前市土手町で「弘前ストリートダンス&パフォーマンスフェスティバル」が開かれた。フェスは昨年11月に続き2回目。ブレイクダンスの最高峰の一つである世界大会への予選をメーンに、土手町エリアを歩行者天国にしてストリート文化を幅広く紹介する。仕掛け人である土手町のダンススタジオ「ファンキースタジアム」岩渕伸雄代表に今までの足跡とこれからの展望を聞いた。 

∆ページの先頭へ

スタジオ設立を決意=上

 

スタジオで生徒に指導する岩渕代表(左)

 弘前にダンスを根付かせたいとスタジオを開いて5年目。ダンスと出合ったころから思えば不思議なものがある。
 東京都に生まれ、10歳で岩手県に転居。高校入試に失敗したのが一つの契機となった。進学校に落ち、担任の先生に薦められたのは農業高校。今まで見向きもしなかった農業に興味が湧き、高校での勉強を通してもっと深く学びたいと思った。
 弘前大学農学生命科学部へ進学。2008年に同大大学院を卒業して翌年、スタジオを立ち上げた。研究者の道を歩みながらも今の仕事に就いたことに「意味がなかったのでは」とよく言われる。しかし農業を学ばなければ、弘前に来ることもダンスと出合うこともなかっただろう。
 大学入学後、ダンスサークルの発足に人数合わせで誘われた。当時は情熱が今ほどなかったし、ダンスもうまくなかった自分。それでも次第に人前で踊ったり仲間がたくさんでき始め、3年生のころからはイベントの運営にも関わるようになった。「どういうことをやれば楽しめるのか、楽しんでもらえるのか」ということを考えること自体に楽しみを覚えた。
 県立美術館の作品への出演(「アレコ」でアレコ役)や日韓交流事業など、ダンスを通じてさまざまな経験を積んだが、大学を卒業した瞬間にそれがすべてなくなってしまう気がした。それをつなぎとめるためには「ダンスで生活ができないか」という考えになり、知り合いの職業ダンサーたちに相談した。答えはみな一様に「お薦めはしない」「なりわいにするには不安定だ」「副業であれば…」という声。その中からふと出てきた「ただ地元にスタジオがあれば(ダンスだけで収入を得る)可能性はあるかもしれないね」の一言に飛びついた。その可能性に懸けてやろうと。
 卒業後、立ち上げ準備の1年にはやはり不安があった。弘前ではダンススタジオの前例がなく、机上の空論にすぎないのではとも考えた。軌道に乗り始めた現在でも、スタジオの必要性自体を問われることに懸念はある。改めてそれに直面したのが昨年の東日本大震災だった。

∆ページの先頭へ

Page: 1 2

当サイトでは一部、Adobe Flash・PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Flash Player・Adobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe Flash Player ダウンロードセンター
  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード