冬夏言

 

2017/8/6 日曜日

 

2日に行われた全国高校総体(インターハイ)の卓球競技女子シングルスで、大阪・四天王寺高校3年の梅村優香選手が頂点に立った。梅村選手は弘前市出身。城西小学校卒業後、四天王寺高の系列校である四天王寺羽曳丘中学校に親元を離れて進学して以来、力と技に磨きを掛けた▼小学時代に指導した弘前卓球センターの丹藤貴代表によると「恐ろしく負けん気が強かった」梅村選手。練習を休むことなく、週末は午前9時から午後10時まで体を動かしたという▼2011年の第20回東アジアホープス日本代表選手選考会決勝では、今年の卓球アジア選手権女子シングルスで優勝して脚光を浴びた平野美宇選手を破ったことも▼梅村選手にとっては最後のインターハイ。ダブルスは準決勝で敗れたものの、学校対抗とシングルスの2冠を達成。若き才能がひしめき合う日本の卓球女子だが、20年の東京五輪に向けて楽しみな存在に▼147センチと小柄ではあるが、持ち前の才能と負けん気の強さで、中学・高校の先輩で日本のエース石川佳純選手を超えるような活躍を期待。地元から応援したい。

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2017/8/5 土曜日

 

ヤーレヤーレヤー。7月30日に開幕した黒石ねぷた祭りもきょうで終わり。10年以上弘前に身を置き、ヤーヤドーが体に染みついていたが、黒石に住んで2年目にもなると黒石の掛け声も次第に耳になじみ始めた。それだけに、街中に響いていた掛け声と囃子(はやし)の音が聞こえなくなるのは何とも寂しさを覚える▼「ねぷたの人手が足りなくて」「子どもたちに参加してほしいんだけれど」。どこの地域でも、ねぷたの取材をしていると関係者からよく聞く言葉だ▼扇ねぷたと人形ねぷたが競演する黒石ねぷた祭りでは、人形の減少が顕著だ。昨年の5台から今年は3台にまで減少。関係者は人形の消滅を危惧する▼人口減少に地域コミュニティーの希薄化、勤務形態の多様化。地域の伝統芸能や文化を取り巻く環境は年々厳しさを増している。“不変”の伝統と“変”の社会情勢。ゆがみが生じるのは必然とも言える。伝統も多少、現状に歩み寄ることが継承に必要なのかもしれない▼津軽特有のこの夏祭りがこれからもずっと続いていきますように。遠のいていく見送り絵を眺めながら、そう思った。

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2017/8/4 金曜日

 

「ラッセーラー、ラッセーラー」。青森ねぶた祭の期間は、青森市が1年で最も活気があふれる時期だろう。掛け声や囃子(はやし)は職場にも届く。暗闇に輝く山車やずらりと並ぶ露店を見ると、祭り好きの血が騒ぐ▼無数のハネトが乱舞するにぎやかさは、弘前などのねぷたまつりとは別の威勢の良さ。慣れ親しんだ火扇の姿はないが、大型の武者人形が並ぶ光景は壮観だ▼人混みをかき分けて進むと、外国人観光客の多さに驚いた。訪日客が右肩上がりに伸びる中、海外に魅力をアピールし続けた成果だろう。露店の中にはメニューを多言語化している店も▼外国人客の満足度を高める上で、受け入れ環境の整備は重要。常設の店舗以外でも対策が取られ、市民のおもてなし意識の高まりを感じる。いずれの外国人客も迫力ある山車に笑顔を見せ、食べ歩きも楽しんでいる様子だ▼一方、ハネトとして参加している外国人客は少ないようだった。衣装に身を包み繰り出せば、翌日の筋肉痛まで忘れられない経験となるはず。青森でのインパクトある思い出を持ち帰り、再び来県してくれることを願う。

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2017/8/3 木曜日

 

丸い提灯(ちょうちん)をぶら下げた何百もの人や軒先に連なる提灯は、「これまで見たこともないような幻想的な光景だった」という。緻密な観察眼による人や風俗の描写。明治期の黒石ねぷたを伝える筆は、実に臨場感がある▼英国の大旅行家イザベラ・バードは1878年に来日し旅した著書「日本奥地紀行」(金坂清則訳)の中で黒石を「小ぎれいで、下駄と(くし)の製造で知られている」と記した▼秋田から碇ケ関まで豪雨と悪路の旅だった彼女にとって黒石は「心地よいところ」。バード研究家の高畑美代子さんの本紙連載によれば、少なくとも3泊以上、こみせ通りか横町の豪商の家に滞在したと考えられるという▼同書で日本は時に酷評されるが、日本人の礼儀正しさに感激する記述も多い。ねぷたを見ようと急いで転んだところに提灯をかざされたり、急ぎ入った温泉郷で親切にされたり▼一徹者と真夏の夜を彩る火扇や武者像を目当てに、海外からも観光客が訪れている津軽地方。約140年前の「レディ・トラベラー」が礼賛し、現在も世界が認める日本人の長所でおもてなししたいものである。

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2017/8/2 水曜日

 

南東北を会場に開催中の全国高校総体(インターハイ)のバドミントン男子学校対抗で、浪岡高校が県勢男子として初の準優勝に輝いた▼県立校は総じて練習環境面で私立校に劣る。しかも地方の決して規模も大きくない学校だけに、部員はもちろん監督、コーチ、地域が一丸となって目指した優勝にこそ届かなかったとはいえ、今回の躍進は快挙と言っていい▼浪岡高校のすぐ近くには、1940年に本県初の国史跡に指定された浪岡城跡がある。浪岡城は1460年代の応仁期に、北畠氏第4代顕義によって築城された平城▼1578(天正6)年に大浦(津軽)為信に攻められて落城する運命をたどるが、地域一帯は中世の古戦場で激戦の地だった。明治以降150年近くにわたり、住民らは北畠氏の顕彰を続ける。いわば地域の誇りだ▼戦国時代とは異なり、命までは取らないスポーツの世界。ただ浪岡高校の部員は、練習場のホワイトボードに「インターハイ優勝」という強い覚悟を書き込み、きつい練習に耐えた。凱旋(がいせん)する地元は武者絵巻が躍動する祭りの真っただ中。胸を張っていい。

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