冬夏言

 

2017/4/13 木曜日

 

「そこは関(セキ)ですよ。こっちの劫(コウ)に先に打つべきです」「負けました。この隅を数えなければ」。駄目石を詰め、陣地を数える描写は実に生き生きとしている▼「源氏物語」で空蝉(うつせみ)と継娘の軒端荻(のきばのおぎ)が囲碁を打つ有名な場面である。「神曲」や「デカメロン」より300年前に書かれた日本が誇る長編小説には、囲碁に興じる人々がたびたび登場する▼平安の人々を熱中させ、変化の多さから「小宇宙」と呼ばれてきた囲碁は、超絶進化を遂げている人工知能(AI)の登場で、歴史的な岐路に立つ。世界のトッププロたちを破り、これまでの布石・定石をくつがえす-▼AIの可能性を広げるため選ばれた古典ゲームが、今春から弘前大学で正課授業に採用された。県内初、東北でも2校目の導入だ。高齢化が進み、競技人口が減る本県囲碁界を明るく照らす、大きな“一手”となった▼冒頭の空蝉と軒端荻のような掛け合いが、同大の囲碁授業履修者から聞こえてくる日も遠くないはずだ。「そこはセキだからこっちのコウに先に打ったら?」「負けました。陣地数えようっと-」

∆ページの先頭へ

2017/4/12 水曜日

 

女子フィギュアスケートの浅田真央選手が現役引退を発表した。バンクーバー五輪で銀メダルを獲得し、世界選手権を3度も制した氷上の女王。高い技術と華のある演技で国民を魅了し続けた▼ジュニア時代から一挙手一投足が注目されてきた浅田選手。フィギュアスケートという枠にとらわれず、国民から愛されたヒロインであり、不世出な存在と言っても過言ではない▼輝かしい実績を残した浅田選手だが、悲願の五輪金メダルには手が届かなかった。トリノ五輪は年齢制限で出場できず、初出場のバンクーバー五輪では宿敵の金妍児選手(韓国)に敗れて銀メダルに終わった▼浅田選手のキャリアの中でもソチ五輪が最も印象に残っている人も多いのではないだろうか。ショートプログラム(SP)16位と出遅れながらも、フリーで圧巻の巻き返しを見せ6位入賞。氷上で流したうれし涙に感動した人は多いはずだ▼浅田選手に憧れて競技を始めた選手たちが世界の舞台で輝き始めている。フィギュアスケートをメジャーな競技に押し上げたことこそが彼女の最大の功績なのかもしれない。

∆ページの先頭へ

2017/4/11 火曜日

 

「地獄ですよね」。勝っていながら、期待に応え続けることの難しさ。体操男子の内村航平選手が9日の全日本選手権で前人未到の10連覇を達成した後、つい本音をこぼしたという▼ロンドン、リオデジャネイロ五輪と2大会連続個人総合金メダルに輝いた内村選手。日本体操界初のプロとして迎えた初戦だったが、予選はまさかの4位と苦しいスタートだった▼決勝も満足のいかない内容。3位で最終種目の鉄棒に臨んだが得点は伸びず、「負けても悔いはない。負けた方が楽かなと思った」というほどの出来。それでも、先行する2人が伸びず逆転で栄光をつかんだ▼僅差になることは分かっていた│とはいえ、2位とは0・05点差。リオ後の体調不良でも勝利をつかむ、これが内村選手の強さだ。今大会の若手台頭には素直に喜びを表すのも絶対王者たるゆえんか▼スケート、レスリング、トランポリン、水泳では10連覇がある。柔道、陸上ハンマー投げではそれ以上を達成した人たちがいる。体操をメジャーにしたい思いで苦しさを乗り越え、前を向く姿に今後の活躍を期待し、見守りたい。

∆ページの先頭へ

2017/4/9 日曜日

 

つがる市に乳幼児から高齢者までの健康づくりの拠点となる施設「つがる市民健康づくりセンター」がオープンした▼最大の特徴は市内各地で行われていた各種健診を集約的に行えることで、受診率向上が期待できる。さらに隣接するつがる市民診療所と連携し、食事と運動の両面で健康指導も行いやすくなった▼市は今年度、受診率向上の対策として、働き盛りの30歳以上の市民を対象に、商品券などに交換できる元気健康ポイント事業を展開するほか、女性が健診を受けやすいように健診のレディースデーも設けるという▼4月3日の開所式では、地域の人たちから「きれいな施設で気持ちまで明るくなるっきゃ」「退職したばって、隣の人と健診さ行ぐがな」と前向きな声が聞かれた▼地方の高齢化は待ったなし。誰もが思い通りにならないことではあるが、できるなら、家族や友人とともに過ごす健康で穏やかな時間は少しでも長いほうがいい。健診による病気の早期発見、生活習慣改善による病気の予防が大切な人たちの健康寿命延伸につながる。受診を呼び掛け合い、健康づくりに努めたい。

∆ページの先頭へ

2017/4/8 土曜日

 

「春風や闘志抱きて丘に立つ」。明治~昭和期の俳人、小説家高浜虚子が1913(大正2)年、神奈川県鎌倉市で詠んだ句▼愛媛の伊予尋常中学校(現・松山東高校)の同級生で、かつては親友だった河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の五七五にとらわれない作句に対抗すべく、有季定型を重んじて客観写生、花鳥諷詠(ふうえい)の理念を貫くため俳壇に復帰した際の作だ▼59年4月8日に85歳で永眠したことから、忌日は虚子忌、または戒名の虚子庵高吟椿寿(ちんじゅ)居士にちなんで椿寿忌と呼ばれる。加えて今年は、虚子にとって俳句の師正岡子規の生誕150年に当たる▼冬夏言子は事件事故、政治などドロドロした分野の記者生活が長く文学の分野には疎い。文化の薫り高い弘前市内の読者が最も多い弊紙だけに、並み居る文化人の前で虚子、碧梧桐を論じることなど恐れ多い▼ただ虚子忌、子規生誕150年の節目に一句ひねってみようか。「五十の手習い」にも遅すぎた感はあり、人生を子規が好きだった野球に例えるなら終盤の七回裏といったところ。それでも作句は心を豊かにしてくれると信じ、少し軌道修正といきたい。

∆ページの先頭へ

Page: 1 ... 374 375 376 377 378 379 380 381 382 ... 397

当サイトでは一部、Adobe PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード