六感で味わう自然

 

制作者側の意図で編集=42

2012/2/27 月曜日

 

 
白神山頂の夕日。海面に夕日が映っている
 
谷を埋める残雪と新緑(岩木川上流)

 小さいとき、本読み子供だった。
 自然や動物に取材した物語をよく読んだが、それ以外にも愛読書があった。
 最も愛読したのは、以前にも書いたがシートンの「動物記」をはじめとする作品で、これはいまでも取り出して読むことがある。ラーゲルレーヴの「ニルスのふしぎな旅」、ローリングスの「仔鹿物語」もお気に入りだった。
 バーネットの「秘密の花園」、シュピリの「アルプスの山の娘―ハイヂ」も耽(たん)読(どく)した。
 これらの中には、アニメ化されたものも多い。中でもハイヂは「アルプスの少女ハイジ」の名でアニメ化され大変有名になった。
 自分が好きな作品のアニメは見る気がしない。イメージがこわされるからだ。
 アルプスの山の娘は野上弥生子さんの訳で読んだ。もったいないような格調の高い名訳。読むうちに、頭の中にアルプスの峰々や空の色、放牧地の景観、家畜や山の花、そして登場人物がはっきり描き出されてくる。これは「私のハイヂ」である。
 こうして頭の中に築かれた印象は自由で発展性があり、人によって異なる。だが、その作品が、朗読、絵本、漫画、演劇、アニメ、映画にされると、人にあたえる印象が多分この順で
強く限定されてくる。そのぶん受け手には想像の余地が少なくなり、印象は画一的で不自由で発展性のないものになる。「みんな一緒のハイジ」しかできない。
 原作ではなくアニメ化された作品に感激した人も多いだろう。でもその感激は、制作者によって意図された、自由度の低い、画一的な感激だ。人から自由なイメージをうばい、画一的な感激を押しつけるのは罪なのではないだろうか。そういうものは認めたくない。
 大好きなシートンの動物記のアニメが、はやらずに終わったらしいのは大変良かった。
 印象が画一的なのは、映画やテレビの宿命。映画やテレビとはそういうものだ。
 テレビの自然番組は面白い。ことにNHKの自然番組はお金と時間をかけて作られているので見応えがある。
 総合テレビの「ダーウィンが来た」、BSの「グレートサミッツ」、「グレートネイチャー」は欠かさず見る。そのほかにも面白そうな自然ものがあるとよく見ている。
 とても面白いのだが、ときどき「これは本当の自然なんだろうか」と考えてしまう。
 そんなことをいったら、スタッフ、ことにディレクターは大憤慨だろう。
 もちろん、画面に出てくる映像がこしらえものだとか、やらせだとかというつもりはない。出てくる場面は、長時間の苦労と技術の粋を集め、レンズの前の物事を写し取ったものであることを疑うつもりもない。
 しかし、画面の映像が自然そのものかといえばそうではない。映像は、スタッフ、ことにディレクターの考えによって対象が決定され、カメラマンや音声スタッフの感性によって捉(とら)えられた自然の一面であり、なおかつ記録された多くの場面の中から視聴者に感動をあたえるべく選び出され、順番を入れ替えて編集されたものである。
 おなじ自然の現場をわれわれが見たとすれば、違った見方をするだろう。よくできた感動的な映像であっても、その感動や印象はあたえられたものであり、自らが掘り出したものではない。そういう意味では、映像化された自然は制作者が見せることを意図したものであり、「本当の自然」ではないといえる。
 もちろん、われわれみんながエベレストに登れるわけではないし、深海に行けるわけではない。でも、制作者が見せようと意図したものを見て、自然がわかったつもりになるのは、自然科学を学んだものとして、大変危うい気がする。
(白神マタギ舎ガイド・牧田肇)

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冬の観光によい知恵を=43

2012/3/12 月曜日

 

 
十二湖金山の池から見た大崩れ
 
黒い青池

 十二湖は、冬期間アオーネ白神十二湖の上のゲートが施錠されていて、そこから先は車が進入できないのだが、弘前大学白神研究会の観察会のための下見なので、特別に鍵を拝借して、落ち口の池まで車で入ることができた。
 そこから、輪かんじきをはいて、青池、金山の池、四五郎の池、長池、沸き壺(つぼ)の池と歩き、また落ち口の池に出てきた。
 天気予報大当たりで、一日中雨! だったが、ひと気がない雪の十二湖はすばらしかった。
 木の葉がすっかり落ちているので、どこからでも大崩れの崩壊が見られる。雪をまとった黒い岩肌は、荒々しい魅力に満ちている。
 青池は、日がささないので濃紺というよりほとんど真っ黒。夏でも雨や曇の日はあまり青く見えないが、こんなに黒い青池は初めて見た。すり鉢型の雪の斜面の下に黒くうずくまっている青池も、人を引き込むような魅力がある。
 このコースは危ないところもなく四季をそれぞれに楽しい。しかし、青池はお客さまで混雑していても、「青池広場」から一歩青池の上側の歩道に入るだけで、ひと気がなくなる。皆さん本当に魅力的な十二湖の自然を味わわずに帰られるわけで、大変もったいない。
 まして、冬の十二湖の静謐な魅力を味わうお客さまはほとんどおられず、もったいないではすまされない残念さである。冬の十二湖はもっと売り出していい。
 われわれ観光業に携わる者の最大の困難が、冬の問題であることは誰でも知っている。
 スキーの人気が落ちてしまった今日、冬に大勢の他地域からのお客さまを呼べる観光の目玉を思いつくことができない。今年は五所川原市の「地吹雪体験ツアー」が好調だったようだが、これとて夏の斜陽館の繁盛を考えたら、観客動員数を較べる気にもならない。
 かつて、冬の十和田湖に行ったことがある。休屋の周辺を歩いた。そのときの旅館街の閑散に最も近い言葉を探せばゴーストタウンである。昼食をしようとしたのだが、ようやく探して一軒だけ開いているお店をみつけた始末。そのお店も、あけていること自体が経営者の負担ではないかと心配になるような、地域全体のひと気のなさである。
 十和田湖は、誰が見ても自然景観型の観光地としては青森県の代表である。ことに八甲田山とあわせれば夏の観光客動員数は白神なんかの比ではない。
 それがゴーストタウンになってしまうのだから、冬は恐ろしい。
 夏、ご案内して楽しんでいただいたお客さまに、いつの季節がおすすめかとたずねられて、「冬もいいんですよ」と冬の楽しさを縷(る)々(る)ご説明しても、「でも、寒いんでしょ」で話が終わってしまう。
 冬は寒い。寒くて雪が降る。あたりまえのことだ。そこにいろんな楽しさや見どころがあることを、来てさえいただければ知っていただけるのに、とにかく来ていただけないことがもどかしい。スカンジナビア半島北部のラップランドを厳冬期に訪れるのが自分の夢なのだが、そんな者は珍しいのだろうか。
 先日、所属している俳句の結社で、「津軽深(み)雪(ゆき)吟行」というのを行った。岩木山麓を歩いて俳句の句会をし、温泉に入って楽しむ。関東からのお客さまだったのだが、ひさしぶりに凍った乳穂ケ滝も見られて、皆さん大変よろこんで帰られた。
 単なる観光でなく、たとえば俳句や短歌を作ったり、絵を描いたり、動物の足跡の観察をすることが主目的といった、焦点のある冬の観光もあるかもしれない。
(白神マタギ舎ガイド・牧田肇)

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皮目の違いで見分ける=44・完

2012/3/26 月曜日

 

 
満開のオオヤマザクラの若木
 
オオヤマザクラ(左)とカスミザクラ(右)。皮目の違いがよく分かる

 中学に入って間なしの頃の国語の時間。入ってこられた先生が、「みんな書き写して下さい」とおっしゃるなり、
 うすべにに葉はいちはやく萠えいでて咲かむとすなり山櫻花
から始まる、若山牧水の山桜の歌23首を黒板に書き始められた。
 字が下手で、書くのが嫌いなわたくしはへとへとになってしまったが、この歌や、
 瀬々走るやまめうぐひのうろくずの美しき頃の山ざくら花
は、いまでも覚えている。
 それだけではない。ただ読むのと書き写すのでは
受ける感動が全くちがう。感受性の豊かな少年時代に、文語文の書き写しをとおして、古典文芸に対する食わず嫌いが無くなったばかりでなく、古典文芸の楽しさを教えていただいた。感謝してあまりあることだ。
 牧水の歌は、伊豆半島にある湯ケ島温泉に滞在したときに詠まれたから、ここに出てくる「山櫻・山ざくら」は、宮城県・新潟県以南以西に見られるヤマザクラで、北東北にはない。
 北東北と北海道には、オオヤマザクラ(ベニヤマザクラともエゾヤマザクラともいう)がある。
 白神山地には5種類の桜がある。山の高いところ、本連載36回目に触れた「偽高山帯」には、低木型のミネザクラ(タカネザクラともいう)があり、ブナ林の地帯には、オオヤマザクラ・カスミザクラ・ウワミズザクラ・シウリザクラが見られる。
 このうちウワミズザクラとシウリザクラは白い花が穂のように密生して咲くから、ほかの3種とはたやすく区別できる。ただし、このふたつを区別するのはなかなか大変。
 ミネザクラは、標高の高いところにしかないし、高木ではないから、区別はたやすい。
 問題は、カスミザクラとオオヤマザクラである。この区別がなかなかむずかしい。
 オオヤマザクラは、ピンク色の大ぶりの花が咲く。カスミザクラの花は、赤みが薄くて白っぽく見えるものから、うす緑がかった色のものまである。だから、花色でだいたいは区別できるが、カスミザクラにも、かなり濃いピンク色の大ぶりな花の咲く個体があるので、まちがう可能性がないとはいえない。
 それでも、花が咲いていればいい。花の後、葉と
幹で区別するがむずかしい。
 オオヤマザクラは、葉柄(葉の付け根の部分)に毛がなく、葉の形は楕円形で葉の中頃が一番広い。一方、カスミザクラは葉柄に毛があり、葉の形は倒卵形といって葉の中頃より先の方が最も広い、というのだがどうもはっきりしない。
 弘前大学名誉教授の原田幸雄先生が、幹に横に走る割れ目(皮(ひ)目(もく)という)がよい区別点だと教えて下さった。
 オオヤマザクラの皮目は横に長く幹をぐるっと取りまくような感じなのに対して、カスミザクラの皮目はずっと短く数センチしかない、と。なるほど、注意してみるとこれが一番はっきりしているようだ。
 このように、似た植物や動物の区別点を覚えて見分けていくのは、自然観察の楽しさの一つだ。
 オオヤマザクラの花は、春の木の花の中で最も美しいと思う。でも、この花が美しいのはブナ林の若緑の中にあるときだ。街路樹にしてしまっては、かわいそうな気がする。場違いである。
 2年にわたって、勝手なことばかり書きました。おつきあいをいただき、まことにありがとうございました。
(白神マタギ舎ガイド・牧田肇)

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