日曜随想

 

「カネショウ世界へ」原点は青森産、本場で勝負!

2019/4/14 日曜日

 

 競合する大手企業が近所にやってきたらどうする?…。今回紹介するカネショウ株式会社(櫛引利貞代表取締役社長)は、大手企業の攻勢に長らく苦戦してきたが、独自の製法で差別化を図りこの困難を見事に切り抜けた。その結果として、1993年では従業員数30名、売上2億円だった会社が、2017年現在、1993年と同じ従業員数30名でなんと、売上5億円を上げている。生産性も2・5倍の会社に成長した。
 歴史をたどると同社は創業100年を超える味噌・醤油の老舗醸造元であったが、55年、石油ショックで景気は急激に悪化、苦戦が続いた。競合が激化し、中央の大手企業との競争となり、経営は赤字となった。先代は活路を見出すべく模索し、津軽のリンゴを原料としたリンゴ酢を製造販売したが、大手メーカーと製法が同じゆえ、味噌・醤油からリンゴ酢に主力製品を変えてはみたものの、苦戦は続いた。
 そこで同社が考えたのが差別化戦略。当時はそんな言葉さえ意識しなかったが、必死のもがきから考え出した。大手に勝つにはどうしたらいいか。同社の優位性は何か。価格では勝負できない。規模が違うから。そこで考え付いたことは、一つは優良なリンゴの産地、津軽に会社があること。そして、大手ができない手間暇をかけること。人海戦略を取り入れ、リンゴを丸ごとすりおろし、時間をかけ果肉を発酵させることであった。櫛引氏が社長となった95年からはさらに研究開発に力を注ぎ、マウス実験の結果、リンゴ酢には抗腫瘍効果があるという研究成果が得られた。98年にフィンランドで開かれた世界食品学会で発表。唯一無二の付加価値を得た。
 また櫛引氏は販売手法においても大手が容易に出来ないダイレクトセリング(直売)に注力した。工場直売だけでなく、DMやデパートの物産展に力を入れ、お客様に直接接して、声を聴き、40万件もの顧客名簿を獲得した。このことにより不動のカネショウブランドが誕生したのである。この積極的な経営で従業員の気持ちを束ね、新商品を次から次へと発売。2・5倍もの生産性アップが可能となった。ここに学びがある。マイケル・ポーターは、競争優位戦略として以下の三つの基本戦略があるという。コストリーダーシップ戦略。差別化戦略。集中戦略。今回は他社の製品・サービスの価値に対して、自社の製品・サービスの認知上の価値を増加させる差別化戦略と位置付けられる。
 櫛引氏は昨年、青森県中小企業団体中央会会長に就任された。青森県産を全国区、全世界国区なるべく発信されている。日本だけでなく世界の青森となる日は近い。
(青森県産流通システム研究所所長 牛田泰正)

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「観光産業の目標」人口減少克服に向け

2019/4/7 日曜日

 

 先日、県観光国際戦略推進本部の総会が開かれた。この会議の本部長は三村申吾知事であり、県内の観光、商工、流通などの事業者や団体が会員となっている。
 原則的に毎年1回、年度末に開催され、県の観光戦略の進捗状況や県産品の海外輸出の状況などが検討されるが、今回は、本年度から始まる新たな観光と輸出に関するプロジェクト戦略が報告された。私は観光戦略プロジェクト推進委員会の委員長を仰せつかっており、観光プロジェクト戦略の概略を報告した。総会の様子は、地元3紙が一定のスペースを取って紹介してくれたが、少なくとも観光戦略に関しては、私が最も強調したい部分はほとんど扱われておらず、「数値目標」が前面に押し出された内容となっていた。勿論、新聞記事は取材記者それぞれの視点と関心から書かれるものであり、そのことについて異議を唱えるつもりはない。しかし、戦略の策定に携わってきた者としては、いささか残念であるのも確かだ。このような観光戦略を策定し、「産学金官」の連携と協働のもとにプロジェクトを推進する最大の目的は何かが、明確には示されていないと思われるからだ。
 私たち委員と事務局、少なくとも私が、新観光戦略を策定する際に最も重視したのは、三村知事が強調される本県最大の課題である「人口減少克服」であり、この課題解決の一つの有力な方法・手段として観光産業の「基幹産業化」を前面に打ち出している。「数値目標」は、これを実現するための「マイルストーン」として位置づけられており、「目標値」達成のために五つのプロジェクトを推進することとしている。あるいは、「目標値」を達成しても、観光産業の「基幹産業化」が必ずしも十分には実現されていない状況もあり得るだろう。それほど難しい課題であるのだ。
 何故、私が「基幹産業化」に拘るのかお分かり頂けると思うが、観光産業は生産性が低く収益が上がらず、その結果、従業者の維持・確保も極めて困難な状況にあることを比較的知っているからだ。雇用吸収力が弱いことで、労働人口の移動・流出が顕著でもある。これでは「人口減少克服」に寄与できないのである。しかし一方で、産業の活性化のためには「地場資源」を生かす取り組みが益々重要であるのはいうまでもない。観光産業こそ「地場資源」を活かす産業なのだ。
 五つのプロジェクト、観光コンテンツ開発と情報発信、旅行行動に応じた受入環境の整備、国内誘客の強化・推進、海外からの誘客の強化・推進をより効果的かつスピーディーに実行に移すことで「目標値」を達成するとともに、プロジェクト「競争力の高い魅力ある観光地域の形成と観光産業の基幹産業化」を実現する時、本県の最大課題の解決にも一定の道筋が見えてくると思われる。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「あれから3年」新幹線駅がある小さな町の今

2019/3/31 日曜日

 

 先ごろ発表された旅行雑誌の読者投票「道の駅満足度ランキング」で、「みそぎの郷きこない」が2年連続の北海道ナンバーワンに輝いた。北海道内には122もの道の駅があり、強豪がひしめくなかで、この受賞は快挙だ。
 函館に程近い木古内町は、北海道新幹線の木古内駅があり、青森県でも多くの方がご存じのことだろう。人口4000人ほどの小さな町で、道の駅は新幹線開業を機に木古内駅前にオープンした施設である。この喜ばしい受賞を、新幹線開業による効果なのかを考えると、数値理論的にそうと答えるのはなかなか難しいだろう。木古内駅は利用規模では停車便数、乗降客数ともに、奥津軽いまべつ駅に次ぎ、新幹線駅の全国ワースト2。ゆえに、道の駅では新幹線のお客さんはわずかで、周辺地域からわざわざ立ち寄る人やリピート客が圧倒的に多いのだ。
 しかもこの評価は、開設から2年目と3年目のものなのだ。施設の新しさはあろうが、イベントを多く展開しているわけではない。清潔感という指標がダントツのトップでもあり、来館者を迎え入れようとする緊張感のなか、あたりまえのサービスを維持できていることの証左である。すなわち、新幹線開業をきっかけに、住民やそこに関わる多くの人たちの意識に変化がおきたのかもしれない。人のチカラがこの結果を生んだのだ。
 この道の駅に「観光コンシェルジュ」として常駐し案内役を務めてきたのは、浅見尚資さんと津山睦さんだ。2012年に、町の地域おこし協力隊として首都圏から移り住んだ2人は、新幹線開業に向けた準備に奔走してきた。彼らが研修に赴き、観光のいろはを学んだのは、他でもない弘前市だった。観光案内所の運営や街あるき、観光資源の発掘などの手ほどきを受け、その経験を持ち帰った。
 木古内町のみならず周辺の町々のガイドもできるよう、各地を訪ね歩いて開業に備えたという。自分の町をしっかりとガイドできるのはあたりまえ。次の目的地への的確なアドバイスができることこそがプロのガイドというわけだ。
 弘前と木古内にはそんな縁もあってなのか、新幹線開業日の木古内駅前では、弘前市の関係者が観光誘客キャンペーンを行っていた。
 あの日から3年。津山さんは道の駅のみならず「津軽海峡マグロ女子会」のメンバーとして、海峡を跨いで活躍中である。一方、浅見さんはこの春から活躍の舞台を近隣の江差町に移し、新たな地域の観光振興に取り組むそうだ。
 ともあれ新幹線駅があるこの小さな町は、決して前途洋々ではない。まさにこれからが正念場である。北海道新幹線を利用する際には、そんな木古内町をぜひ気に留めておいてほしい。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「日本アニメ百年(13)」テレビアニメの台頭(6)

2019/3/24 日曜日

 

 最近はTVアニメが日本の商業アニメ界の主流ですが、劇場アニメにも秀作が数多く制作されています。ここで少し近年の劇場アニメにも触れておきます。いくつか前のお話で触れたことがありますが「AKIRA」という劇場アニメが1988年に日本で公開されました。翌年にはアメリカでも公開されて大変な評判となりました。それから30年がたち昨年、ワシントンポスト紙というアメリカの新聞に特集記事が掲載されました。
 この30年間にこのアニメはアメリカに計り知れない衝撃を与えたというものでした。当時はたかが漫画映画ぐらいの認識でしたが、それが30年間にわたって未だに影響を与えているという内容でした。このアニメは大友克彦監督で原作、脚本も同じです。前回お話しした東京ムービー新社の制作で、当時アニメ映画としては破格の10億円の制作費をかけたといわれています。じつはこのアニメの制作は、この規模ですから大変遅れていました。そこでアニメスタジオ同士の繋がりで、スタジオジブリの「となりのトトロ」を制作したスタッフたちが出向して手伝ったということです。さらにジブリの「魔女の宅急便」というアニメ映画の制作にあたり、このときのお礼なのでしょう今度は「AKIRA」のスタッフが加わったということです。そして、お互いに親交を深め、このときの関係者が結集して新しいアニメスタジオ「スタジオ4℃」が誕生します。
 2004年このスタジオ制作で、湯浅政明監督、脚本の「マインドゲーム」が単館上映されます。この劇場アニメは第59回毎日映画コンクール大藤信郎賞を受賞、さらに第8回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、海外でもカナダの05年モントリオール・ファンタジア国際映画祭では最優秀作品賞を含め5部門で受賞し、06年パリ・KINOTAYO映画祭大賞など数々の賞に輝きます。
 吉本興業も全面協力して、コメディータッチのふしぎな作品となっています。劇場アニメAKIRAの誕生からこのマインドゲームまでの繋がりに、全く表現が違う作品ですが不思議な縁を感じます。湯浅監督はTVアニメの「クレヨンしんちゃん」の作画監督を務めたりしていました。スタジオ4℃制作ではありませんが、その他の湯浅監督の劇場アニメ作品に「夜は短し歩けよ乙女」があります。17年カナダのオタワ国際アニメーションフェスティバルにて日本人の監督では初めて長編部門グランプリを受賞しました。同年「夜明け告げるルーのうた」ではフランス、アヌシー国際アニメーション映画祭で、長編部門最高賞のクリスタル賞を受賞しています。興味がおありの方は、湯浅監督の作品も是非ご覧になっていただきたいと思います。
(弘前大学教育学部教授 石川善朗)

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「気ままな旅」新宿区・漱石山房を訪ねる

2019/3/17 日曜日

 

 夏目漱石(そうせき)が晩年(1907~16年)を過ごし、『三四郎』『門』を生み出した家は「漱石山房(書斎の意)」と呼ばれた。山房があった新宿区早稲田南町は漱石の誕生、終焉の地だ。山房は45年の空襲で焼失したが、2017年9月24日、ここに「新宿区立漱石山房記念館」(地上2階、地下1階)が開館した。ガラス張りの瀟洒(しょうしゃ)な建物は緩やかな坂の上に建つ。前庭には山房の象徴的な植物であるバショウやトクサが植えられ一際目をひく。
 1階で最初に驚かされるのは、再現された漱石山房の書斎。愛用した紫檀(したん)製の文机(ふづくえ)。白磁の火鉢。平積みされた書籍群。それが見事に調和し整然と並んでいる。書斎の外はベランダ式回廊が設置されていた。執筆に疲れたとき、漱石はここで籐(とう)椅子に座り、お気に入りの庭木や草花をゆったりと眺めてくつろいだらしい。
 2階へ上がる踊り場付近では猫のシルエットが漱石の世界へと誘(いざな)う。そのあと館内を一巡すると、次のように漱石の人となり、人物像が立体的に理解できる展示に工夫されていたことがわかる。[1]漱石の作品世界(1・2・3・4)[2]漱石を取り巻く人々[3]所蔵資料(草稿・原稿、書簡・葉書等)[4]漱石の人物と生涯(生い立ち・学生時代・結婚家族・イギリス留学等)[5]DVD映像(《1》夏目漱石と新宿〈9分〉《2》木曜会と漱石の門下生・友人たち〈8分〉計17分)。
 山房裏側は漱石公園になっている。入り口前に漱石の胸像(「則天去私」の銘)、正面に道草庵、左手に猫の墓がある。猫の墓は『吾輩は猫である』のモデルとなった福猫、『硝子(ガラス)戸の中(うら)』に出てくる犬(ヘクトー)、『文鳥』のモデルとなった文鳥など、夏目家のペット供養塔である
 漱石は自分を慕う門下生や若者のために木曜を面会日に定め自由に語り合った。そしてこの会から漱石山脈と称される人材が輩出された。ちなみに漱石の思想は大学院時代の恩師・ケーベルに影響を受けている。東京朝日新聞掲載の「ケーベル先生の告別」に「先生に一番大事なものは人と人を結び付ける愛と情(なさけ)だけである」と述べていることでもわかる。
 門下生の森田草平はいう。「先生の前にいると何でも自由に言える。叱られることはあっても、誤解されることはない。そしていつも何か暗示をうける」。また作家になる久米正雄と芥川龍之介に宛てた手紙には「あせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です」と書いた。漱石の異次元の人間愛、真摯な生き方がそうさせるのであろう。
 漱石山房へは東西線早稲田町外苑(がいえん)東通り出口1から表示通りに小路を進むと、5分で着く。小路に入らず坂を下り、生誕の地(小倉屋の隣)・夏目坂を通って早稲田小学校へ抜けるコースを辿(たど)れば、12分程度かかる。漱石に興味関心がある方は一度訪ねてみてはいかがだろう。
(東北女子大学家政学部教授 船水周)

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