日曜随想

 

「アート悶々20」ロダン作“接吻”

2022/1/9 日曜日

 

 2018年、「ヌードNUDO-英国テート・コレクションより」展が横浜美術館で開催された。この展覧会は「ヌードをめぐる表現がいかに時代と共に変化し、また芸術表現としてどのような意味を持つのかを紐(ひも)解いていく」(主催者より)というテーマでテート所蔵(一部に国内作品も含む)のヌードを扱った作品を紹介するものであった。
 この展覧会の目玉は日本初公開となるロダンの大型大理石彫刻「接吻」であった。これは元々はダンテの神曲をテーマとした「地獄の門」の構想の一部(パオロとフランチェスカの話がモチーフ)であったが、テーマにそぐわないということで独立した作品として発表された。
 「接吻」はさまざまな素材・サイズのものが多数存在する。大型の大理石の作品は3点あり、パリのロダン美術館、コペンハーゲンのニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館、そしてテートに所蔵されている。大理石の種類は、パリとコペンハーゲンのものはイタリア産で、テートのものはペンテリコン大理石というギリシャ産である。へんてこりんな名前であるがなかなか良質の大理石で、皮膚の表現に適し、結晶が確認できないくらい細かく、杏仁豆腐の密度を高めて透明感を無くしたような感じである。なぜ、この石かというと、ペンテリコンを使うことが発注時の条件だったからである。注文主はギリシャ彫刻を愛するコレクターであった。
 この展覧会の会期中、関連のワークショップ「ロダンの接吻をデッサンしよう」が開催された。このワークショップは休館日に行われ、まず「ヌード展」担当学芸員の長谷川珠緒氏から展覧会と「接吻」についてのレクチャーがあり、次に私(講師を務めた)が「接吻」が石膏(せっこう)原型からどのように作られたのかを解説した後、展示室でデッサンするという企画であった。
 長谷川氏のレクチャーはとても分かりやすく、また「接吻」について興味深い話が次々に出てきた。作品が完成し、いざ注文主の屋敷に運び込もうとしたら大きすぎて入らなかったという残念な話。また本体の重さが3トンを超えており、展示室のある2階へ運び込むのがいかに大変であったかという話もあった。美術館にはクレーンが2基あり、それを同時に使って作品を引き上げたということだ(座台の重さは300キロ超で、中には重さが分散するような構造体が入っている)。何としても良い条件で見せたいという学芸員の展示にかける熱い思いがヌード展の大成功を支えたのだ。
 ところで、なぜ「接吻」について書いたのかというと、実は今、彫刻を複製するということが気になっていて、その関係でこの作品が頭に浮かんだのであるが、この話は次回に。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「リンゴの涙」減災の免疫づくりから30年

2021/12/26 日曜日

 

 津軽のリンゴに壊滅的な被害をもたらした台風19号から今年でちょうど30年になる。当時の私は弘大に在学し、所属していたゼミで台風の後に「リンゴの涙」という子どもたちの体験作文集の編さんに携わった。
 洞爺丸台風以来の大きな被害となった体験を記録し語り継ぐことが、後の人々の命を守る「減災」に役立つ「免疫」になるのではないかと考えたことがきっかけだった。弘前市とその周辺の教育委員会や学校に協力を求め、ありのままの言葉でつづられた子どもたちの作文、約500編を借り集めて読み込み、まずはその内容をひもといていった。
 集まった作文は、子どもらしい観察眼で率直に表現したものが多かった。台風前夜の家族の様子、早朝に風が強くなっていく際の不安な気持ちや、収まった後の停電と周囲の被害のことなどが丁寧に書きつづられていた。それだけでも防災を考える研究の中では、非常に意義深い、貴重な資料だった。
 私たちが当初に予想していなかった展開はここからだ。被災で家族に降り掛かった壮絶な経験をつづったものが次々と出てきて、涙無くして読み進めることができなくなった。リンゴの落果で生計のすべを失った農家の子どもの作文には、文学的とも言えるものが数多くあった。家族やリンゴのことを思う方言交じりの素直な気持ちが存分に表現されていた。ぽたぽたとリンゴが落ちる音を母親の涙に重ね合わせた作品は、本のタイトルの決め手となった。また、出稼ぎに行かねばならない父母の背中を見送る気持ちをつづったものなど、今読んでも涙があふれてくる。
 あれから30年たった。情報環境は当時から一変し、地域社会の人々の関係性なども変化した。リンゴ栽培を取り巻く変容はもとより、社会情勢の変化と相まって、本来の意味での「出稼ぎ」を知らない世代も増えた。そうしたなかでさえ「リンゴの涙」は、子どもたちの見事な表現が助けとなり、忘れ去られることなく話題に上る機会があったようだ。今年は、弘前れんが倉庫美術館の展示「りんご前線」や、街なかで開催の美術展「ヒロサキアーツポリテーション」でも、この本のことを取り上げてくれたと聞いている。
 災害に対する「免疫」は、時代ごとの実情に照らし合わせて上書きされていく必要がある。だからこそ、この本のことを時折、話題に乗せてもらい、人々に「免疫」を意識してもらうことが大事なのではないかと手前みそながら思うのだ。
 作文を書いた子どもたちは、きっとあの時の彼らと同じ年頃の子を持つ親の世代になっているはずだ。何かのきっかけで本のことを話題にしてもらい、減災に資する「免疫」を次世代にもつないでいってほしいと願っている。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」常識を更新する

2021/12/19 日曜日

 

 どんな規模の共同体にも、そこに所属する人なら誰もが持つ、または持つべき習慣が存在する。一般的にこれを常識と呼ぶ。日本の社会では、こうした共同体所属員の知識や判断の同一化を前提に物事が進められてきた。共同体固有の常識は所属員同士の付き合いからものの捉え方、行動の仕方にまで浸透し、組織運営に欠かせない共通の感覚として正当化され、所属員を支配してきた。
 確かに、他国にはない、成功した方法だった。だがグローバル化が進行した今の時代は、旧来のようには機能しなくなった。時代の変化が世界標準の常識を求めた結果であろう。地球温暖化をはじめ、環境・貧困・格差・エネルギー問題など、世界の全ての人が協力して取り組むべき重要課題が山積している。
 こうした状況下では従来のものの捉え方と現実の間にギャップが生まれやすい。保障されるべきは、理不尽な言動や忖度(そんたく)にとらわれず、自分の意見を自由に述べ合う議論。前例や習慣、常套(じょうとう)手段という常識(固定観念)を鵜呑(うの)みにせず、まずは疑ってみる。観点を変えて対象を新たに捉え直す。それが所属員一人一人の思考停止を解除させ、健全な批判精神と自己責任を育てるきっかけになる。何も常識が要らないというのではない。
 自然も、世の中も、環境も不変ではない。それらに応接する人間も然(しか)り。森羅万象は時々刻々変化する。鴨(かもの)長明は『方丈記』で説く。「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。世に変わらぬものはない。常識も墨守するのではなく、外界の変化に応じて最新版に変えていく必要がある。むしろ変える行為を前提にした方が理にかなう。
 最新版は更新である。ゆえに旧常識は新常識に更新すべき。更新しないと不用意な言動を生み出す。マスメディアでは著名人の失言が繰り返される。セクハラ(性)やパワハラ(権力)などの嫌がらせ。コンプライアンス(法令順守)に対する無理解、無関心。これらは旧常識に新常識を上書きしない結果である。
 T・S・クーンが提起した概念にパラダイムがある。時代や分野の支配的見方や考え方を指す言葉だ。支配的パラダイムが別のものへ移行することがパラダイム・シフト。例えば、天動説から地動説へパラダイム・シフトが起こる、と使う。常識と大変近い概念といえる。
 常識は絶えず変転し書き換えられる。過去の非常識が現在の常識になり、現在の常識が未来の非常識となる。それが永遠に繰り返される。常識と非常識はいわばリバーシの駒。白黒の関係にある。今の時代や社会、共同体に適合する常識にどう更新するか。物事の現象(変化)と本質(不変)を的確に捉える目と心が必要になる。無知の知を自覚して対象と直(じか)に関わる経験を大切にしたい。
(柴田学園大学特任教授 船水周)

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「SLに乗車して」ノスタルジア列車のつもりが

2021/12/12 日曜日

 

 ひょんなことから蒸気機関車に乗ることになりました。列車の名前は「SL銀河」。JR釜石線を走行しています。釜石線の愛称は「銀河ドリームライン釜石線」です。
 SLといえば私らの世代は、煙たい、臭い、汚い記憶があり、実際に当時の駅は町外れに造られました。エアコンの効かない車内で窓を開け、トンネルに差し掛かろうものなら…でした。
 SL銀河の客車は、JR北海道から購入したキハ141系改造車で、エンジンが付き、シュッポを後ろからバックアップしながらエアコントロールされたメルヘン列車です。
 さて、SL銀河といえば、岩手県を代表する童話作家、宮沢賢治未完の代表作「銀河鉄道の夜」が出典でしょう。
 私事で恐縮であるが、ずいぶん以前に、上司のN先生に誘われて初めて鹿児島大学の練習船を使った海外学術調査隊に参加したことがあります。その時の隊長が鹿児島大学理学部の早坂祥三教授(後の鹿児島大学学長)でした。ミクロネシア連邦へ向かう航海中のある夜にわれわれのグループを訪れた早坂隊長は、私が弘前から来たことを知ると、父親も東北出身で、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくる地質学者ですと言い始めました。
 物語に実在の人物がいたことになります。調べてみるとその通りで、早坂一郎博士でした。
 早坂博士は1926年の地学雑誌に掲載された「岩手縣花巻町産化石胡桃に就いて」で「伊藤博士並びに化石採集に便宜を與へて下さった盛岡の鳥羽源蔵氏花巻の宮澤賢治氏に感謝の意を表する」と結んでいました。
 実際に早坂博士が宮沢賢治に案内されて調査をしたのは前年の25年11月23日と記されています。早坂博士33歳、宮沢賢治29歳の時でした。雑誌に論文を投稿したがその年の12月22日ですから仕事が早い。
 一方、銀河鉄道の夜の初稿は24年ごろですので、早坂博士は登場しないことになります。
 胡桃の論文の62ページに「唯同じ地層中に何か哺乳動物の足跡と思はれる印象が廣い範囲にわたって残って居る事丈けを附記して置く」と書かれているのが、銀河鉄道の夜では、北十字とプリオシン海岸の章で、「白鳥の停車場で20分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミの化石を拾う。大学士が牛の祖先の化石を発掘している現場を見る。」と記述されている。賢治が名付けたイギリス海岸である。(実際は北上川の一部)気に入った出来事を追加したと思われます。
 そういえば、大学時代の恩師、物性物理学の宮澤亮夫教授も宮沢賢治の親族でした。
 SLの汽笛は、哀愁を帯び懐かしいことを思い起こさせてくれます。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「恐怖はつくられる」虫が怖いのはなぜですか?

2021/12/5 日曜日

 

 雪の季節が到来しました。雪を見て、憂鬱(ゆううつ)な気分になる人もいれば、ウインターシーズンがきた~とテンションが上がっている人もいるでしょう。この違いはどこからくるのでしょう。それは経験です。でも、感情は、経験だけでつくられるわけではないのです。
 心理学の実験で、赤ちゃんに白ネズミを見せて、赤ちゃんがネズミに触ろうとすると、耳元で大きな音を鳴らして、びっくりさせるというものがあります。もちろん赤ちゃんはびっくりして泣きだしますが、これを繰り返すうちに、ネズミを見ただけで泣きだしたり、逃げたりするようになります。そのうち白ウサギや犬など白い毛に覆われた動物を見ただけでも、恐怖反応を示すようになります。「怖い」という感情は、このような条件付けによってつくられると考えられています。
 実は私は、虫が大嫌いでした。特にクモとカマドウマが怖くて、大騒ぎしていました。虫に危害を加えられたこともないのに、不思議ですよね。心理学を学ぶようになって、虫が怖いのは、経験からではなく、周囲の大人の影響を受けたからだと分かりました。そこで、自分の子どもには無用な恐怖を与えないようにしようと、子育てで実験をしてみることにしました。試みたのは一つだけ、絶対に虫を「怖い」「汚い」と言わないことだけです。もちろん危害を加える虫は、正しく恐れてもらわなくては困りますから、そこは注意しました。
 田舎暮らしなので、虫が大好きな息子には、毎日楽しい発見がいっぱいでした。「ジョロウグモさんはきれいだね」「でっかいオニグモの巣があるよ。上手に作ってるね」。うれしそうに話す息子に付き合って、全身鳥肌が立ちながらクモを観察しました。ある時は「一番好きな虫はわらじ虫」と、小さな箱に100匹以上のわらじ虫を捕獲してきて、自慢げに見せてくれました。さすがに「わらじ虫のお母さんが探しているかもしれないから、お家に返してあげようね」とごまかしました。(全部成虫ですが)
 「きれいだね」「すごいね」と言葉にしながら、虫の観察を続けるうちに、私の虫への恐怖心がだんだんなくなっていることに気付きました。息子が成人してから、名古屋の食堂で一緒にご飯を食べていたとき、テーブルの隅を移動するゴキブリを発見しました。「チャバネゴキブリだね」と私。「オスだから大丈夫だよ」と息子。ゴキブリを見送り、何事もなかったかのように食事を続けました。実験開始前の私には考えられなかったことです。
 保育園の頃から「虫の博士になる」と言っていた息子は、大学でも生物学を選びました。「虫は怖い」って言わなくて良かったと思いました。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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