日曜随想

 

「復興支援旅行の奨め」被災地・女川町から考える

2013/3/31 日曜日

 

 東日本大震災から既に2年経(た)った。3月11日には東京での中央追悼式典を始め、各地で犠牲者に思いを馳(は)せ、御霊の安らかなることを祈る式典が開催された。私も、当日の午後2時46分、犠牲者への哀悼と行方不明の方が一刻でも早く発見されることを祈って黙祷(もくとう)を捧げ、被災地の復旧・復興が順調に進展することを願った。
 その3週間前の2月20日、私は宮城県女川町に向かった。訪問の目的は二つ、一つは東北電力女川原子力発電所の視察もう一つは女川町の復興状況を知ることとその先頭に立っている女川町商工会でのヒヤリングであった。女川原子力発電所は、ご存知の方もいるだろうが、あの巨大地震と大津波に襲われたものの、東北電力が一貫して取り組んできた安全性向上対策により、昨年7月に同所を視察した国際原子力機関のチームが「あれほど巨大で長く続いた地震にも拘(かか)わらず、驚くほど損傷が少なく、安全系の設備はいずれも健全だった」と評価した発電所である。もう一つの女川町の現状はどうか。私は一昨年11月、大震災により壊滅的打撃を被った岩手県沿岸を訪れ、巨大津波の恐怖と復旧・復興には依然として着手されていない状況を目の当たりにした。同様に壊滅的被害を被ったとされる女川町ではどの位まで復興が進んでいるのかを知りたかった。
 復旧にとって重要である震災ガレキの処理は進み、土地のかさ上げ工事も順調に行われていた。しかし、復興への歩みは依然として進行していないのではないか、町に住民がいないことに気付いた時、そうした思いが頭をよぎった。女川町の人口は震災前は1万人余、震災で千人近くの犠牲者を出し、震災後に町を離れた人も多く、今は8千人弱。多くが不自由な仮設住宅暮らしを余儀なくされている。そうした時、商店主らが復興(「復幸」)の第一歩として設置したのが「きぼうの鐘商店街」という仮設商店街だった。しかし、この商店街も含め、人の姿がほとんど見当たらないのである。その後、分かったことだが、震災後、地域の住民が日常的に必要とする物資とサービスを提供するために、被災地には多くの仮設商店街が設置されてきた。ここ2年間ほどはボランティアの人もここで買い物をし、さらに、被災地巡りの観光客も多く訪れていた。しかし、住民の減少に加え、ボランティアの数も減り、観光客もまばらになり、今は「閑古鳥」が鳴いている状況で、このままでは営業が成り立たないとされる。
 物資とサービスを提供する商店街の存在は被災地の復興には欠かせない存在だ。これまでに被災地に行ったことのある人もない人も被災地を応援する意味でも震災復興旅行に出かけてはどうだろうか。是非ともお奨(すす)めしたい。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「大鵬の思い出」土俵上の礼儀と優しさ

2013/3/24 日曜日

 

 1月18日、かつての紅顔の美男子、元横綱の大鵬が亡くなった。
 大鵬といえば2歳年長の柏戸。その取り組みは今でも逐一思い出すことができる。とくに、昭和35年初場所、新入幕の大鵬は11戦全勝で同じく日の出の勢いの東小結柏戸と初顔合わせとなった。まさに手に汗握る攻防であったが、柏戸の圧力が大鵬を少しだけ上回った。
 昭和38年の秋場所。4場所連続の休場明けで出場した西横綱柏戸は、快進撃を続け、14連勝で楽日に東横綱大鵬との大一番を迎えた。大鵬は、大方の期待を裏切りあっけなく柏戸の寄りに屈した。有名な柏戸涙の優勝である。
 勝負の行方もそうだが、最近、いや10年以上も前から今の大相撲でとても気になっていることがある。
 それは勝敗が決したあと、土俵の内外で勝者が敗者の手を引き上げる姿が見られなくなったことである。
 その頃の大相撲をご覧になっていただきたい。また、ユーチューブで「大鵬」を検索していただきたい。大鵬と柏戸の取り組みのあとは必ずと言っていいほど勝者が敗者をいたわっている。あるときは手を取り土俵の方に引き上げ、またあるときは背中に手を回してさりげなく支えている。その様子はごく自然でむしろ遠慮がちである。
 そのような目で見れば、勝ち名乗りを受けている大鵬の仕草(しぐさ)も気になる。地味である。一礼をして蹲踞(そんきょ)し、勝ち名乗りを受け、賞金を受け取る。いずれの時もその様子は一貫して変わらず勝ち誇ったような様子はつゆぞ感じられない。敗者へのいたわりだと思う。
 今の大相撲でこのような光景は本当に稀(まれ)になってしまった。勝負がついたあとは相手に目もくれず、スタスタと自分の仕切り線を跨(また)いでいく力士がなんと多いことか。
 相撲界の不祥事でいろんな非難がなされた。しかし相撲道という武道のこの礼儀の件につき指摘する声は少なかったと思う。親方衆からもである。大相撲改革の本丸だと思うのだが・・。
 ついでに大鵬の仕切りもご覧いただきたい。きわめて淡々としている。闘志を中に押し込めているかのようだ。
 大鵬のすごいところはもう一つある。大鵬が相手に怪我(けが)をさせるような相撲を取らなかったということである。相手はいつの間にか土俵を割ってしまう。というか、諦めて一見力を抜いたような形で土俵を割っていた。当然なんの変哲もない寄り切りが多くなり、見るものからすれば面白くはなかった。同じような力士に第65代横綱貴乃花がいる。筆者はこの二人の相撲は「王道」だと思う。
 大鵬が亡くなってから、たくさんの知人がその優しい人柄を指摘していた。大鵬こそ、優しさに加えて真の礼節をそなえた力士だったと思う。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「好印象という財産」日本人の印象と安全な暮らし

2013/3/17 日曜日

 

 背後からジャップ、ジャップと呼ぶ声がする。そこにいるアジア系の人間は私だけだから、その侮蔑(ぶべつ)語は私に向けられたものだ。そんな言葉を使う差別主義者から危害を加えられないうち、急いでそこを立ち去ろうとしたが、声の主が駆け寄ってきた。
 それは、私がときどき国際電話をかけにいく郵便局の窓口係だった。彼は日本人に好印象を抱き、私にも好意的に接してくれていたのに、なぜこんな言葉を投げつけるのだろう。混乱する私に向かって、彼はいつものように人なつこい笑顔を浮かべ、「何度も呼んだのに聞こえなかったの?今日ならすぐに日本につながるよ」と言った。
 今は昔、1990年代のザンビアの地方の町でのことである。日本に国際電話をかけるには郵便局に行って通話を申し込むのだが、運が悪いと2時間くらい待ってもつながらないことがあった。日本の家族と話ができずにすごすご帰る私を、彼は気の毒に思っていたらしい。数日前に郵便局の電話交換機が新しくなり、長距離電話がつながりやすくなったので、私を見かけたら教えてあげようと待っていたそうだ。
 彼は「ジャップ」という言葉は親しみを込めた愛称だと思いこんでいたので、それは侮蔑語だと教えると、恐縮して真っ赤になり、知らなかったんだよ、ごめんね、ごめんねと縮こまるのだった。私はといえば、彼が敵意をもっているのではなかったことに安堵(あんど)しつつも、自分が「日本人」というラベルから離れては扱われないのだということを改めて思い出した。
 知らない土地で心地よく安全に暮らすには、そこの人びとに敬意をもって接し、個人として親しくつきあえる友人を増やすことだと教わったことがある。しかしつきあいの出発点では、国籍や出身地に対して相手がもっている紋切り型のイメージが相手との距離を決める。幸い、ザンビアやタンザニアでは、日本人は誠実で親切、いばらないし、宗教による分け隔てをしないという良い印象をもたれていたから、私はたいてい好意的に扱われ、友人が増えるのにも時間はかからなかった。友人たちのおかげで毎日が快適だったし事故や災害、けんかや泥棒等の危険をさけて安全に暮らすことができた。
 だから、そんな暮らしの出発点は、日本や日本人についての好印象に支えられていたと考えられる。この好印象は一朝一夕にできあがったものではなく、この地に住み、この地を訪れて働いてきた多くの先達の実践の賜物であり、人から人へと引き継がれ、積み上げられてきた大きな財産なのだ。
 「テロとの戦い」を支持した2001年以降、日本のイメージも変化し始めているようだ。現場で積み重ねられてきた日本人の好印象という財産が損なわれることのないようにと願う。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「2年後にできること」アンパンマンの歌のきこえ方

2013/3/10 日曜日

 

 もう2年もたったのか、と思う。あの大地震があった2日後だったと思うが、食料を求めてスーパーに行き、駐車場に車を停めようとしていた。すると、ラジオから聴き慣れたアニメのテーマ・ソングが流れてきた。小さな子供たちに大人気のアンパンマンの歌である。いつもは何気なく聞き流すが、その時は明るい曲調にのせられた歌詞に気持ちが大きく揺さぶられてしまった。「アンパンマンのマーチ」というこの歌は、こんなふうに始まる。
 そうだうれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも/なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!/今を生きることで 熱いこころ燃える だから君はいくんだ ほほえんで
 歌を聴いているうちに感情が抑えられなくなり、ハンドルに手をおいたまましばらく車から降りられなかった。この歌は、被災した子供たちを元気づけるために繰り返しラジオで流され、たくさんの子供たちを喜ばせたそうだが、自分が子供向けの歌に感情を持っていかれるとは考えてもいなかった。想像を超える大きな被害を知り、気持ちが高ぶっていたからだと思う。
 アンパンマンの作者・作詞者で、また「手のひらを太陽に」の作詞者でもある、やなせたかしさんの『絶望の隣は希望です!』という自伝的な本を読むと、アンパンマンには戦地でのたいへんな体験が影響していると書かれてある。それは飢えであり、正義は簡単に逆転してしまうということである。そのような極限的で不条理な体験が、覆らない正義とはひもじい人を助けることであるという倫理を生み出し、そこからお腹がすいている人に顔の一部を食べさせる世界最弱のヒーロー、アンパンマンが生まれたのだそうだ。まったく知らなかった。子供たちがアンパンマンを好きなのは、苛烈な体験に発する、マッチョではない、やさしい強さに感応するためかもしれない。
 さて2年たった今、あらためて「アンパンマンのマーチ」を聴いてみる。きこえ方は2年前とはちがう。言葉の強さは変わらないが、もっと落ち着いて胸に入ってくる。状況が、緊急時から平静時へと戻っていったからであろう。幸いにも直接的な被害を受けなかった者は、あの時とは違う感覚に戻っていく。それがよいのか悪いのかは分からない。しかし、被災者の精神的な不安定さ、病いの悪化、孤独死といったよくないニュースがきかれる。生活が改善している方々がいる一方で、緊急時とは異なる困難に直面している方々もたくさんいるはずである。幸いだった者に難しくなくできることは何だろう。それは、彼らの声をきこうとすること、そして彼らを忘れずに気にかけようとしつづけることだと思う。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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文明開化の弘前「来日アメリカ人たちの縁」

2013/3/3 日曜日

 

 今回は、東奥義塾に明治6年から13年まで在職した、5人の外国人教師の来弘背景や縁についてである。最初のドイツ系アメリカ人のウォルフは、キリスト教宣教師だった。彼が来た目的は、解禁間もない日本の奥地でキリスト教を広めることだったようだ。
 次は、大学生だったアーサー・マックレー。父が日本で宣教活動をしていたことで横浜にいた彼は、東奥義塾関係者から話を受けたとき、冬の時期をはずす形で契約を結んだ。従って彼は8ケ月くらいで弘前を去り、滞在期間は短い。マックレーはもともと父の仕事の関係で、香港で生まれ育っている。本来の母国であるアメリカに戻ったのは、高等教育を受けるためで、かなり大きくなってからだった。あまり寒さに強くなかったのかもしれない。
 続くジョン・イング、デビソン、カールの3人は共にアメリカ、インディアナ州のインディアナ・アズベリー大学出身である。同大の所在地は北緯40度くらいで、津軽地方と寒さはそれほどかわらない。イングが3年半滞在したのは、もともと彼が寒い地方出身で、弘前の寒さがあまり気にならなかったのだろうなと、個人的には思っている。。これは残りの二人も同様である。。
 イング一家は宣教先の中国から母国に戻る途中日本に一時滞在していた。その間に幼い娘が亡くなり、横浜に埋葬された。当時は母国に連れ帰ることができなかったのである。東奥義塾関係者からの話を受けたのは、その直後だった。イングの来弘理由は、いろいろ使命感もあっただろうが、彼の手紙から見ても、娘が眠る日本に残ろうというのが大きな動機だったようだ。
 次のデビソンは、大学時代、同大学機関誌であるアズベリーレビュー紙の編集をしていた。イングが恩師にだした日本の様子を伝える手紙が同誌に掲載された時、編集担当は彼だった。同誌には、イングの活動が度々掲載されており、極東で活躍する先輩の活動に深く関心を持ったとしても不思議ではない。かくして、デビソンは、イングの紹介で、弘前にくることになった。
 最後のカールも、デビソンと共に機関誌編集の仕事をしていた。さらに、その頃になると、珍田捨己や佐藤愛麿など、津軽からの留学生も同大学で学んでいた。契約は現地で行われており留学生たちが行ったようだ。カールの来日も、こうした人々とのつながりがあってのことだったのである。イングがきたことで、その後10年ほど、東奥義塾と同大には人的交流があった。
 明治初期に培われた地方レベルの日米交流が、同じ北緯40度の地域だったことは、実は大切なのではという気がする。そして、人と人の縁がつながっていることも興味深い。歴史は、実は論文に書かないことの方がおもしろい、というのが、個人的感想である。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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