青森にとって冬は雪であるが、東京では駅伝・マラソンシーズンである。2月の東京マラソンは五輪選手選考も兼ねている。筆者も2回出場した。第1回と4回だが五輪が目標ではない。
1回目は偶然の補欠当選であった。学校のこの時期は成績処理のため教員の忙しさを思うと何も話せなかった。
当時の受付は、東京ドーム。学生時代からスキー部で距離競技に出場し、当日も競技用のレースウエアを着用したため東京の人よりは有利だと個人的に確信していた。しかし、期待は天候で一気に覆された雨だったスタート地点の東京都庁ではカッパを着たまま30分以上は立ったままの状態であり、寒くて寒くてゴール直前まで手放せなかった。4回目もそうだったが一番の敵は寒さである北国で東京の人よりは寒さに強くウエアもこちらの方が上であると思っていたが全く逆であった。
東京マラソンでは、日本の歴史がよくわかる。スタートまもなくが新宿歌舞伎町、弘前の鍛冶町の数倍はある。そこを過ぎると毎年終戦記念日に話題になる靖国神社がある。とても大きく広い。そして、3キロ附近、防衛省の市ヶ谷である。自衛隊の中心地であり、かつて三島由紀夫が割腹自殺した場所である。10キロ、毎日新聞社前を通るころには右手に大きな空間が見える。「何で東京のど真ん中にこんな大きな公園があるのだろう」と思った。皇居である。その向かいは第一生命ビル、第二次世界大戦後、GHQ総司令部のマッカーサーが常駐した場所である。桜田門外の変の場所も見える。15キロ過ぎの品川で折り返す。その他、都内には徳川家や忠臣蔵ゆかりの寺もあり、江戸の歴史がそのまま残っている。28キロ、浅草の雷門が見え、後半である。銀座を戻ってくる。歌舞伎座前を通過し湾岸に入る。ここからの東京はとても広く、風景は一変する。超高層ビルやマンションが多く別の都市のようなイメージである。しかし、ここら辺が2020年東京オリンピック・パラリンピックの会場となる。35キロ過ぎになると自分の体の限界に近づき苦しさが突然増してくる。ふと、2回出場できたことのありがたさが思い出された。
思えば出場が決まった後の人間ドック・がん検診で大腸ポリープが見つかった。普段の生活に支障がないのでマラソン後、いつか手術になると思っていた。しかし、思い切ってかかりつけ医と相談し、地元黒石病院を受診し正月明けの内視鏡手術が決まった。手術は無事成功しマラソンに参加できることになった。
漸く東京ビッグサイトのゴールにたどり着いた。検診してなければ手遅れになっていたに違いない。検診の大切さが身にしみてよく分かった。今年の東京マラソンからはリオ、東京五輪までの選手が誕生するので注目したい。
(黒石幼稚園園長 山内孝行)