日曜随想

 

「青森とアーチェリー」古川選手と山本先生

2012/8/26 日曜日

 

 ロンドン五輪で古川高晴選手がアーチェリー男子個人戦で銀メダルを獲得した。実は弘前大学の私の講座にアーチェリーの山本博先生が大学院生として在籍している。古川選手が長年目標としてきた選手である。筆者は、その山本先生から事あるごとに古川選手のことを聞かされていた。彼は、青森の人であり、日本の第一人者であると。第一人者が第一人者と言うのだから、間違いはない。
 6月29日に弘前大学の進学説明会で青森東高校を訪れたら玄関に古川高晴選手のロンドン五輪出場を祝福する横断幕が掛けられていた。思い出した「そうだ、古川選手は青森県、青森東高校の出身だったんだ」。
 山本先生はロサンゼルス五輪個人で銅メダルを獲得し、丁度20年後のアテネ五輪で銀メダルに輝いたアーチェリー界のスーパースター、かつ「中年の星」である。平成元年から約20年間、埼玉県の大宮開成高校の保健体育の教師として勤務し現役と両立させた。アテネ五輪で銀メダルを獲得したその時がまさに山本「先生」だったのである。いまなお現役であるが同時に指導者としても活躍中で監督として指導した大宮開成高校と日本体育大学のアーチェリー部を全国制覇に導いている。
 弘前大学の大学院生としての山本先生は知識欲が大変に旺盛な学生である。筆者の個人講義の最中も立て続けに質問を浴びせ、筆者をたびたび立ち往生させる。自称「世界一あきらめの悪い男」は結局この好奇心・知識欲そして向上心から来ているらしい。
 筆者の仕事は健康づくりや青森県の平均寿命延伸であるが、その根底には学校現場における健康教育の充実が欠かせないと考えている。しかし残念ながら筆者には学校現場の経験がない。一方、山本先生にはトップアスリートとしての側面に加えて教育現場での豊富な経験がある。幅広い知識と説得力のある話術に裏打ちされたその発信力は私にとっても大きな「頼り」だ。
 今年の4月、青森市である講演会があり山本先生の前座で私が30分ほどの講演をした。青森県の平均寿命が短いことに関する内容であった。講演後、弘前に帰る車の中で突然「先生、青森のために私が何かできることはないですか?」と訊かれた。嬉しかった。「いつか、きっとお願いすることがありますよ」。一流の人にはそれなりの心が備わっていると感じた。
 古川選手には、これからも山本先生以上の成績を残してもらい、県民の溜飲を大いに下げてほしい。山本先生には「50歳代での金メダル」がまだ残されている。また「健康」と言う観点から、学校教育やスポーツ界の競技力充実にも尽力していただきたい。
 両雄には、青森県から今後さらに羽ばたいてほしいと願っている。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「遊びと楽しい笑い」ゴリラの笑いにことよせて

2012/8/19 日曜日

 

 休みだというのに遊んでいない。平日は昼も夜も仕事をして、休日は学会や研究会で出張している。今年は「ねぷた」も「ねぶた」も行けずじまいだった。弘前市民としてあるまじき夏である。このまえ遊んだのはいったい、いつのことだっただろうか。
 ずいぶん昔、東京に住んでいたころ、ひとりでよく上野動物園に出かけていた。夏の暑いさかりには動物たちも動きが少ない。そんな動物園に行く私はよほど暇だったのだろう。コンクリートの照り返しのなかで、動かないゴリラのいるゴリラ舎の前にたたずんでいると、一頭のゴリラと目が合った。ゴリラはむくっと立ち上がって水たまりの水をすくったかと思うと「にやり」と笑い、いきなりその水を私にかけてきたのだ。
 「わっ!」。不意をつかれて驚く私の反応に、一瞬うれしそうな表情をみせたゴリラは、次の瞬間には何事もなかったかのように背を向けて、もといた場所に戻っていった。しかしその背中は明らかに「やったね!」と語っていた…ように私には見えた。
 「私を見ていたら、おもしろいいたずらを思いついたってわけね」。こちらから一方的に「観る」存在だと思っていたゴリラに、いつの間にか「観られ」、いたずらの相手にされていたことは、私にとって新鮮な驚きだった。そして考えた。「あの笑いは、いたずらを思いついた楽しい笑いだったのだろうか?それともいじわるの笑い?笑ったように見えたのは気のせいなのだろうか?」考えはじめたらおもしろくなり、ゴリラ舎の前でさらに時を過ごす懲りない学生時代の私であった。
 野生ゴリラの研究者、山極寿一さんがウェブサイト「どうぶつのくに.net」の連載でこんなことを書いている。「ゴリラが笑うのは遊ぶときです。だれかが他のゴリラに近づいて遊びを誘うと、口の両はしがゆるんで歯が見えます。これがゴリラの微笑です。おそらくこれから始まる遊びの楽しさを察知して思わず楽しくなるのでしょう(『ゴリラが笑うとき』)」。
 多くの動物が遊ぶことは知られているが、成長とともに遊ばなくなるといわれている。おとなになっても遊ぶのは人間のほか、ゴリラやチンパンジーなど一部の動物に限られる。山極さんによれば、ゴリラは仲間とふれあいながら遊び、おとなのゴリラも低い声で楽しそうに笑うのだそうだ。また、おとなが楽しそうに笑うのは人間以外でゴリラとチンパンジーしかいないという。
 楽しい笑いは遊びをさらに楽しくする。他の人にも楽しい気分が伝わる。それを感知することのできる私たちは、ゴリラやチンパンジーと並んで、仲間と一緒にいる場をつくり、それを楽しむ生き物なのだと思う。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「エネルギーと消費」エコと楽しみは両立するか?

2012/8/12 日曜日

 

 去年の夏はあまりの暑さに閉口したが今年はしのぎやすい。個人的には、暑すぎず、かといって寒くもなく、おいしくビールを飲むことができて丁度よい。昨夏は節電がさかんに言われたが、今年はそれほどでもない。さほど暑くないことも少しは影響しているのだろうか。
 とはいえ、電力を含めたエネルギー問題をどうするかということは、この先日本が国家としてどうあるべきか、私たちがどのような暮しを望んでいるのか、後続世代にどのような社会を残すべきなのかということに関わる重大な問題である。これは、少なくとも数十年単位で考えなければいけない問題であるから思いこみにとらわれず、できうるかぎりの理性と想像力をもって国民的に議論をすべきものである。
 エネルギー問題は資源問題と言い換えられ、広い意味での自然環境問題に含まれる。環境問題が世界的に認知されるようになったのは1970年代からで、自然科学者や社会科学者をはじめとして多くの人に強いインパクトを与えた。というのも、この問題は、経済成長をとるか、地球の持続可能性をとるかということを人類に迫っているようにみえたからである。
 環境問題が私たちの社会で広く認識されるようになったのは、比較的最近だ。90年代ぐらいまでは、エコという言葉はほとんど聞かれず、その原語であるエコロジーという言葉が、やや特権的な響きを持って、意識の高い人びとに知られていたように記憶している。だが政府が押し進めたエコポイント制度などもあり、エコという言葉はこの数年の間に急速に広まった。
 だがこのエコという言葉には、少しばかりの引っかかりも感じる。よいことをしなければならない、我慢しなければならない、という道徳的な意味合いを必要以上に含んでいると感じるからである。もちろん、一定程度の禁欲や道徳は必要だ。しかし、エコであることと禁欲的であることは、いつでも結びつくわけではない。例えば、場合によっては不道徳とされる行為に、飲酒、ギャンブル、恋愛があるが、これらはエコである。基本的には、自然環境に悪影響をもたらすものではないからだ(といっても推奨しているわけではない)。ほかにも私たちは、ついこの間、さほど大きなエネルギーを消費せずに、ねぷた(ねぶた)を楽しんだばかりだ。さらに絵画、音楽、文学、マンガなどといったアートも基本的にはエコである。つまり、エコと、道徳性や禁欲を常に結びつける必要はないのであり、楽しさや快適さを失わずによりエコな暮しをすることは、想像力さえあれば可能なのである。そしてさらにいえば、マンガが海外でうけているように、これらは経済へのプラスの働きもまたもたらしうるのだ。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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「自著の紹介」お雇い外国人と留学生

2012/8/5 日曜日

 

 去る4月に、東京の歴史系専門の出版社である吉川弘文館から、『日本の対外関係7 近代化する日本』という本が刊行になった。この中で「留学生とお雇い外国人」という章を担当した。今回はこの紹介を少し。
 この本は「日本の対外関係」を通史的に概観するシリーズ中の、近代を対象としている。日本の文明開化は、欧米の学術文化受容を軸としていて、留学生とお雇い外国人は重要な要素となる。この章ではそれに加えて、「中央」と「地方」の位相を論じるケースとして、津軽地方を取り上げた。
 お雇い外国人は、雇用主体によって政府など公的機関による「官雇」「公雇」と、私立機関の「私雇」に区別される。「私雇」は「官雇」に比べて公的資料が少ない。また留学生も資金源によって性格が異なる。政府派遣留学生などは記録が残るが、私的な留学は実態がよく分からないことも多い。
 津軽には、お雇い外国人は明治6年から13年にかけて、5人が弘前に滞在したが、雇用主体は私立学校である東奥義塾なので、この分類で行けば「私雇」である。また明治10年に4人の留学生がアメリカの大学に入学したが、これも「私的」な留学だった。
 つまり、津軽地方の場合、お雇い外国人も留学生も「私的」性格だった。さらに明治初期の「地方」の中で、お雇い外国人と留学生という両方の要素が出てくるのは、それほど多くない。つまり珍しい事例なのである。地方のケースとして、津軽を取り上げたのはこうした理由があったからである。
 津軽からの留学は東奥義塾三代目の外国人教師ジョン・イングが、教え子たちを自身の母校インディアナ・アズベリー大学に紹介する形で始まった。
 4人の留学生は、2人が早世したが、珍田捨己と佐藤愛麿は無事帰国し、珍田は帰国後4年間東奥義塾で教師をしながら、後進育成にあたった。彼の留学資金源は学校だったからである。一方佐藤は、父が資金を出したことから津軽に戻る義務はなく、帰国後1カ月ほど東京で教師をした後、外務省に入る。そして、珍田も後に東奥義塾を辞して上京し、外務省入りした。
 結果的に、津軽の留学生は外交官として日本の近代化に貢献した。素晴らしいことである。しかし、もともとこの留学は、津軽地方活性化のための人材育成として考えられたものだった。それを思うと、若干複雑な感が残る。この辺に中央と地方の力関係が出てきたと言えるのかもしれない。国費による政府派遣留学生が、帰国後日本の近代化に貢献するのは当然なのだが。
 『日本の対外関係7 近代化する日本』は、冒頭の荒野泰典先生の総説を初めとして気鋭の研究者による力作ぞろいで読み応えがある。ぜひ手に取っていただければ、と思う。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「われ損の道をゆく」あんた、やってみなはれ

2012/7/29 日曜日

 

 ダスキン創業者鈴木清一氏からの学びはあまりに大きい。この紙面でどこまで表現できるか不安であるが、鈴木氏が語る講演で、35年も前に受けた衝撃が強烈だったゆえ取り上げた。
 鈴木氏は若いとき結核で死ぬ寸前までいったが養母の愛情に救われ、その後京都の一燈園に入園。以後托鉢求道の人生を歩まれた。ダスキンの経営理念にこう書いてある。自分に対しては利害の争いになったとき、損の道を選び得は人に与えなさい。他人に対しては喜びの種をまきなさい、と。
 これはよく世間で言う「損して得とれ」、つまり必ず見返りがあると信じて損しなさいというのではない。「心の豊かさ」は、集めるのではなく、他人のために尽くすこと。その時はいやいや尽くすのではなく、素直な気持ちでやらせてもらう。そうすれば自分にとっても喜びであり、それ以上に相手にとっても大きな喜びとなる。お客様がお金を出されるとき、そこに喜びと感謝がなければならない。そうすることで、お互いにとって生きがいのある世の中にできるというのである。
 鈴木氏の生涯を振り返った時、一燈園のトイレ掃除の厳しい托鉢修行を抜きには語れない。無一文・路頭を原点とし欲望への執着心を断ち切り、利己心を浄化させ無一文の立場で路頭に立つ修行。自分には何もない、これが人間本来の姿なのだと悟る修行である。
 1970年ダスキンは新規事業を立ち上げるためミスタードーナツ事業に踏み切った。その契約交渉のときの話である。先方から提示された契約金はきわめて高い。ダスキン資本金8000万円の2倍だった。リスクが大きい。いったん返事を保留してホテルに帰ったが、どうしていいのかわからない、ダスキンFC加盟社にどう説明したらいいか、すべてが無くなるかもしれない。鈴木氏は重圧に押しつぶされそうになった。深夜、その恐怖のあまり鈴木氏はホテルの一室で連れて行った奥さんを抱きしめて呻くように言ったという。「怖い、本当に怖い、どうしたらいいかわからない」そのときの奥さんの言葉である。「あんた、やってみなはれ。もともと無一文、自分だけのことではない、他人のためにもなることだから」と。鈴木氏はこの言葉で後押しされたという。「私はダスキンの活路を見出すためにアメリカまできた。私には多くの加盟店を率いるリーダーとして新規事業を開発する責務がある。これは人のためなのだ」。かくして不退転の覚悟が決まった。
 「損と得あらばわれ損のみちをゆく」ことを実証された鈴木氏。絶対に争いの種を作らないことを教えとして何よりも、相手の良さを見つけ出そうとされた。鈴木氏からは無一文の無限の可能性を教えていただいた。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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