日曜随想

 

「生命の木」武装解除とアート作品

2012/7/8 日曜日

 

 「生命の木Tree of Life」と名づけられたその木は、見上げるように高い幹の先いっぱいに枝を広げ、多くの葉を茂らせていた。ふつうの木と違うところは、それが自動小銃などの「武器」を使って作られたアート作品だということだ。遠目には一本の木に見えるその作品が、近づくと冷たい鉄の底光りをたたえた無数の銃の寄せ集めであると気付いたとき、言い知れぬ恐怖に捕らわれて歩を進められなくなったことを覚えている。
 数年前にロンドンの大英博物館で見たこの「生命の木」の衝撃がよみがえったのは、先月、大阪の国立民族学博物館で開かれたシンポジウムにたまたま参加したからである。「アートと博物館は社会の再生に貢献しうるか?」と題されたこのシンポジウムには、「生命の木」を生み出したプロジェクトの創始者、モザンビーク聖公会のデニス・セングラーネ司教が基調講演者として招かれていた。
 モザンビークは1975年の独立後から92年まで16年にも及ぶ内戦を経験したが、内戦が終結した後も民間に大量の武器が残ったままだった。セングラーネ司教はこれらの武器を農具や自転車と交換し、民間の武装解除を進める「武器を農具に(通称TAE)」というプロジェクトを立ち上げ、1995年から活動を続けている。プロジェクトに参加しているモザンビークのアーティストたちが、回収した銃器からアート作品を生み出し、平和を訴えるメッセージを送っている点でも注目されているという。かつて私に強い衝撃を与えた「生命の木」は、そうして生み出された作品の一つだったのだ。
 セングラーネ司教の講演のなかで印象的だったのは、「生命の木」に使われた銃の弾倉に込められた弾数は、その銃が奪った人間の生命の数を示すのだという、あまりにリアルな表現であった。モザンビークでいくら武装解除を進めても、紛争下にある別の地域に次々と武器が供給されるのでは何もならない。自身も銃の薬(やっ)莢(きょう)から作った十字架を胸に下げた司教は、このようなアート作品が多くの国々の博物館や美術館で展示されることを通して、一般の人々だけでなく、武器を製造し販売している企業に自分たちの声を届けたいと述べ、「心の武装解除」を進めたいのだと講演を締めくくった。
 日本のNPO法人「えひめグローバルネットワーク」もこのプロジェクトに自転車を送るなどの支援と交流を続けているそうで、シンポジウム会場にも活動紹介パネルが展示されていた。
 ロンドンオリンピックの開幕も間近である。オリンピックはとても楽しみだが、そのスポーツの祭典が行われている同じ街の博物館に、平和への切実な願いがこもったアート作品があることにも思いをいたしたい。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「子育てと趣味の時間」野外コンサートの隠れた効用

2012/7/1 日曜日

 

 夏が近づくと、気持ちが高ぶってくる音楽ファンもいるのではないかと思う。夏にはあちこちで野外コンサートが開かれるからである。野外コンサートは90年代後半から急増したが、その筆頭は、新潟の苗場スキー場で開催されているフジロック・フェスティバルである。大自然の中で行われるこのお祭りには、幅広い年齢層の音楽ファンがテントを担いで10万人近くも集まる。本県では、同種のものに青森ロックフェスティバル(夏の魔物)があり、ロック以外では、青森、浪岡で行われるジャパン・ブルース・フェスティバル、八戸で行われる南郷サマージャズフェスティバルがある。ほかにも岩木山や三内丸山遺跡などで規模が小さめのコンサートが行われている。
 私もこの種のコンサートに出かけることがあるが、規模の大小にかかわらず、野外で聴く音楽には、室内のそれとは異なる格別の開放感がある。野外では、音楽は、耳で聴くだけでなく、夏草のにおい、そよぐ風、抜けるような青空(場合によっては雨)、おにぎりや焼きそばといった食べ物と共に身体全体で感じられるからである。しかし、野外のよさはこれだけではない。野外ではベビーカーを押しながらでも音楽を楽しめるのである。
 年を重ねると、若い頃のようにはコンサートに行かなくなる人もいる。その理由には、仕事が忙しいとか、家庭を持って余裕がなくなったということのほかに、子育てが大変だということもある。はっきりいって、幼子を連れてホールコンサートに行くのは無理だ(親子コンサートは除く)。しかし音楽の楽しみを放棄して年を重ねていくのはもったいない。その点、野外コンサートは、子供が少々ぐずっても周りにそれほど迷惑をかけないから安心だし、むしろ、子供はリズムに合わせて手をたたいてニコニコしているかもしれない。つまり野外コンサートは、幼い子供を連れて行くことができる、大人が楽しめるイベントなのである。
 日本は出生率が低迷し続け、少子化は世界的にみて最悪水準である。このままでは、年金を含めた社会保障制度の将来の悪化は深刻になるばかりである。少子化の大きな原因には晩婚化、非婚化があり、これには結婚して子供を産み育てることの経済的・時間的負担が影響している。育児に時間をさかれ、音楽などの趣味を楽しむ余裕がないことは時間的な負担である。しかし逆に考えれば、育児中の親が楽しめるイベントの充実は、少子化を改善しうることになる。つまり余裕を持って子育てできる環境を作ることが、親や子供に対してはもちろん、社会にもよい影響を与えることになるのである。
 さて私はといえば、この夏に、幼い娘を連れてピクニック気分で野外コンサートに行くことを計画中である。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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「明治の女性たち」和徳小教師“葛西きえ”さん

2012/6/24 日曜日

 

 先日、歯科医の広瀬寿秀先生から労作である「日系アメリカ人最初の女医 須藤かく」(『弘前市医師会報』342号)をいただいた。弘前出身、明治期に渡米して医学を学びアメリカで生涯を終えた女性の動向が明らかにされ非常に興味深かった。津軽には昔も元気な女性が多かったのだろう。「葛西きえ」さんもその一人である。
 明治16年生まれの彼女を知るきっかけとなったのは、「弘前女学校卒業論文集」だった。10年以上前、私は青森県女性史執筆のための史料を渉猟する中で、この論文集を手にした。中には明治30年代初頭に同校で学んだ女性たちの決意や意見がいろいろ述べられていて、女性史的にも教育史的にもきわめて興味深いものだった。明治32年卒業の本科生は7名、きえさんはその一人である。たとえば、彼女は、自分のモットーの一つに「確固不抜の精神を失うこと勿れ」と掲げる。そして「文明国家となった日本が、世界の国々と交流するようになったのに、未だに男尊女卑の風潮があるのは嘆かわしい、これからは女性自身がもっとしっかりしなければならない」と主張する。
 とにかく元気である。彼女の場合は文章全体に「新日本」の女性として生きるという、若々しい決意がみなぎっていて読む者に強い印象を与える。
 きえさんは、卒業後、明治34年4月から弘前市の和徳小学校教師として勤務した。同校の日誌から、その動向をかいまみることができる。初年度は3年生女子43名を担当した。8月にクラスの生徒が亡くなった時は、クラスの生徒を引率して葬儀に出席した。翌35年9月にきえ先生の父が亡くなった時は、クラスの生徒が葬儀に参列した。38年には市長の命を受けて、県教育委員会の体操遊戯講習会に出席、帰校後、同僚の先生に伝授した。39年には学校の教授内容を批評する機会を与えられるなど、教師としてのキャリアを着々と積み重ねた。しかし、この頃から病を患ったらしい。学校日誌には、たびたび「病休」が記録されるようになり、40年5月に退職した。その後の足跡は不明だが、昭和2年にはすでに亡くなったとされている。
 青森県の場合、女子師範学校が明治18年に閉校したため、弘前女学校は教師養成校でもあり、教育水準も高かった。しかし、きえさんも含め、当時の同校卒業生の足跡は、ほとんどわからない。アメリカ人女性宣教師から教育を受け、卒業時には英語でスピーチした女性たちが、明治の社会で自らの力をどう生かそうと考え、どのように生きたのか、この地方の近代史像を描く上でも、もっと明らかにする必要があるのではと考えている。なにか手がかりがあったら、ご教示いただければ幸いである。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「顧客はいつも正しい」ローマは1日にしてならず

2012/6/17 日曜日

 

 私は35年間、フードビジネスを中心としたサービスビジネスに従事してきた。それゆえサービス経営には日ごろから思うことが多い。このいただいた紙面にて今回も経営に成功され、私が接してきたトップリーダーからの学びを紹介させていただく。
 ロイヤルパークホテル(東京・箱崎)は国際的な調査会社J・D・Powerが行ったアジア地区における顧客満足度調査(ホテル部門)で本年度も1位に選ばれた。5年連続の快挙である。これは当ホテルが重視する顧客目線にたった密なるお客様・従業員とのコミュニケーション、手間暇を惜しまないサービスの提供の成果であるといえるだろう。平成12年より同23年まで当ホテルの総支配人を務められた中村裕氏は、今は顧問の立場であるが、この結果を素直に喜び受けとめる。戦後日本に初めて上陸した外資系ホテルである東京ヒルトンホテル。中村氏は新卒で入社し、アジア人初めての総支配人となった。数多いライバルの中、明治大学英語部のディベートで鍛えた語学力がものを言った。英語部とはいえ体育会顔負けの真剣勝負の世界があった。競技はすべてが英語である。その準備が大変緻密な作業になる。中村氏はそこで最後まであきらめない根性と人間関係を学んだという。昼は国会図書館に通い、そして夜は合宿所での夜食の買出しに走った。すべてが学びでありその経験がヒルトンで生かされた。中村氏が仕事をする上で、常に心がけていることはなにか、それは座右の銘としているヒルトンホテル創業者ヒルトン氏の言葉、ゲスト・イズ・オールウーズ・ライト(お客様はいつも正しい)である。それゆえに現場を大切にした。待っているだけではお客様の声は聞こえない。現場の生の声を聞かなければニーズを掴むことはできないからだ。特にお客様からのクレイムはニーズを知る宝の宝庫であった。
 その一例が枕の話。よくホテルの枕は柔らかいから寝つきが悪いという人がいるが、そば殻枕に変えてほしいという苦情の手紙が来た時の話である。お礼状に謝辞に添えてすぐに取り寄せた旨を書いて返信した。するとどうだろう。予想通りその数週間後に苦情を送られた本人が姿を見せられた。人は苦情や注意をした後、本当にそうしてくれたかが気になり、確かめたくなるものなのだ。これらは中村氏が50年ものホテル経験で学んだノウハウだ。その成果が今回の栄光に繋がったといえるだろう。手間暇を惜しまないサービスの提供、現場重視、これらをわかりきっているというのはたやすい。問題は当たり前のことをやり通す持続力にかかっている。顧客満足度調査において5年連続の名誉ある栄光は「一日にしてならず」だからである。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「若年者の自殺を防げ」自殺者の増加と自殺対策

2012/6/10 日曜日

 

 わが国は先進諸国の中では自殺者が多いことで有名である。2011年の統計では人口10万人に対し24・4人でこれは世界第8位、先進国ではずば抜けて高い数値とされる。先日、内閣府は自殺対策に関する意識調査結果を発表したが「今までに本気で自殺を考えた経験がある」と答えた人が08年調査から4・3%増加して23・4%とほぼ4人に1人となり、しかも20代は28・4%、女性に限ると33・6%と極めて高い割合であった。また、警察庁が8日、11年に就職に失敗して自殺した10代、20代の若者が4年前に比べて2・5倍の150人に達したと発表した。
 自殺者が多く、自殺率が高い原因の一つとして指摘されるのは「メンタルヘルス」問題である。しかし、わが国の「メンタルヘルス」の環境や条件が諸外国に比べて劣っているかと言えば決してそうではない。世界的には完備されたシステムと運用実績をもっていると言えるのではないか。では一体、何が人を自殺に追いやるのか。
 WHOは「直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて『日本では自殺が文化の一部になっているようにみえる』」とし、英エコノミスト誌は「日本社会は失敗や破産の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない」が「一生の恥とは思わせずにセカンドチャンスを許すように社会が変われば、自殺は普通のことではなくなるであろう」と指摘している。こうした指摘にもあるように、自殺が多いのは「文化的側面」もあろうが、直接的原因は、失業、倒産、過労などの経済的問題であり、失敗や挫折を許容しない環境の結果とも言えよう。自殺の原因として「うつ病」や「ストレス」などが指摘されるが、人間がこうした状態に陥る原因こそが問題なのである。
 こうした経済的問題を抱えて自殺に追い込まれる場合、これまでは50代や60代の人が多かった。企業や会社が倒産することで、その責任ある立場にいる経営者や失業を余儀なくされた社員がそうであった。しかるに、今回の二つの調査で、こうした経済、雇用の問題が10代、20代の若者の自殺にも顕著にみられることを明らかにした。内閣府も「20代は就職環境が厳しく非正規労働者の割合が高い。将来に希望を持てない状況に置かれている」ことを要因として指摘しているが当然であろう。E・デュケームはその著『自殺論』で「結局、自殺の増加が証明しているものは、現代の文明の発展の光輝ではなく、むしろ、長引けば危険を招きかねないような危機と混乱の状態なのだ」と述べているが、正(せい)鵠(こく)を射た指摘であろう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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