日曜随想

 

「怒る練習」解決の糸口を作る社会的技法

2016/3/13 日曜日

 

 現代日本の日常的なコミュニケーションでは、「怒り」の置き場が見つけにくい。感情をあらわにすることを良しとしない文化の中で、怒りの表明は、やりとりの断絶や人間関係を損なう行為だと思われがちだ。そんな文化に育った私のような人間には「怒ること」はとても難しい。しかし、それを社会的な技法として発達させ、怒りをあらわにすることで、問題解決の糸口を作る社会もある。
 「腰に手をあてて大きな声で、皆に向かって、私は怒っていると言いなさい。皆があなたに注目したら、自分が何に怒っているかを語るんだよ。」私がまだ大学院生だったころ、ザンビアの農村で受けた「怒る練習」はこんなふうに始まった。「怒る練習」で大切なのは、怒りの感情を相手にぶつけることではなく、当事者以外の人がいるところで「私は怒っている」と表明して、何かの軋轢(あつれき)が生じたことを周囲の人に伝えることである。それが伝わると、周囲の人々の中から当事者たちをなだめる人、共感する人、とりなす人、問題を解説する人など、実にいろいろな対応が現れる。周囲の人々が自分の考えや立場に応じてあれやこれやと介在して、軋轢が暴力沙汰につながったり、決定的な争いに発展したりしないように手を尽くす。当事者どうしでは解決できない大きな問題でも、周囲の人がよってたかって解決につながる糸口を作り出していくのだ。怒りを表明することは、周囲の人たちに手助けの関与を求めることらしい。
 気をつけて見ると、村の子どもたちもそうやってしつけられている。自分の怒りを決まったやり方で表明する、誰かが怒りを表明したら、それぞれが自分の立場でそこに関わって、最終的には何かしら状況を打開する道ができるように動く…。毎日の暮らしがそんな実践の繰り返しである。子どもたちと一緒に「怒る練習」をしながら「ふうん、怒ることって、それを受け止めることとセットになった文化的な技術なんだ、怒る練習は、当事者以外の人に仲介を求める社会的な技法の練習なんだなあ」と感心したものである。怒りという個人の感情が、暴力や集団的な憎悪の連鎖に拡大する可能性を抑え逆にそれを、人間関係の軋轢や問題に社会的に対処する契機として利用するやり方は、人間の社会が培ってきた共在のための技法のひとつである。
 今までの日本文化にはあまりなじみがないけれど、ヘイトスピーチや突然の暴力などのニュースを聞いて、何だかみんなイライラしてない?と感じることの多い昨今、感情をぶつけ合って憎悪をかきたてたり、相手との関係修復の道を閉ざしたりする怒りの表明ではなく、「怒る練習」を通して共在の糸口を作る技法を磨くやり方もあることを思い出せるといいと思う。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「町内こぞって雪切り」春を掘り出す北国の名物

2016/3/6 日曜日

 

 今ではほとんど活躍する場面のない道具ながら、数度の引っ越しで取り残されることもなく、大きくもない小屋の中に鎮座まします鶴嘴。
 漢字で表記すると、なんとも不思議でして、ツルのくちばしというのは、その形状から命名されたのでしょう。ツルハシのことですが、まぁ、お若い方でこれを使ったことがあるというのは、本当に少ないのかも知れません。
 津軽のオドながら、老婆心から念のために注釈を加えておきますと、登山のピッケルを大きくしたようなモノという説明で、想像が出来ましょうか。
 振り下ろす先は鉄製で重く、木製の柄も楕円形で幅広ですから、子どもが自在に扱える道具ではありません。
 今年の冬は、なんだか降雪が少なくて、まずは楽に過ごせましたが、例年これが活躍するのは、弥生三月の半ばといったところ。町内ごとに期日を決めて、一斉に家の前の堅く踏み締められた雪に、これを突き立てるのです。
 振り下ろされたツルハシによって、道路の圧雪は剥離しながら砕かれてゆきます。ちょうど、「津軽には七つの雪が降る」というフレーズでもありませんが、ザラメ雪などのところで剥がれ、割った雪は道端に石垣のように、高々と積まれてゆくのです。
 小学校の低学年ころまでは、危ないから近づくなと言われるのですが、やがて砕いた雪を運ぶお手伝いから始まり、道端に積み上げる任務を仰せつかるようになれば、割った雪をツルハシで、更に細かくする真似事にも挑戦。こうして、道具の重さや使い勝手を身をもって覚えてから、いよいよ鶴嘴デビューとなるのでした。
 不揃いな雪の積み上げにも、コツがありまして、土台をしっかりさせないと崩れてしまう。家の前でお手伝いをしていると、通りがかりの大人から、「ご苦労さん」「がんばってるねっ」と、何とも嬉しいお褒めの声がけ。
 時折は、トテ馬車のおみやげなども顔を見せ、数日にして路面は一気に下がり、やがては地面の暖かさが地表に届き、コンクリートや黒いアスファルト舗装が広がってくる。
 かくして北国の春は、生き生きと雪の中から掘り出され、土の香りがまちに溢れるようになると、新学期も間近というころですよねぇ。
 江戸のむかしから、こうした春の訪れを心待ちにしていたようで、「草鞋道」という、実に情緒溢れる表現がありましたっけ。
 昨今では、どんな光景で季節を感じるんでしょ。弘前公園の桜の枝切りなんてのもこの土地ならではだろうし直に土の感触に接する場所が身近にあることは、本当に幸せなことです。
 いま有ることには、漫然と慣れないで、育み慈しんできた志や歴史だって、しっかり大切にしたいものです。
(前弘前図書館長 宮川慎一郎)

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「雪上の緊張感」路面が覗いた冬だから

2016/2/28 日曜日

 

 こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪…太宰治が掲げた津軽の7つの雪に今年はどれほど触れただろうか。見分けようとする間もないほど小雪の冬となったが、それでも雪の話題は事欠かない。
 一昨年末は、早くから大雪に見舞われ多くの人から、正月早々何度も雪かきをしなければならず呑んでもいられなかった、一体いつまで続くのかと吐露された。雪の出足が遅かったこの冬は、無ければ無いで後にドカッと来そうで怖い、と。2月も半ばを過ぎ、さすがにもう覚悟するほどのドカ雪も来るまいと言えば、夏が異常に暑くなるのではと懸念する。雪とは、降っても降らなくても、これほどまでに津軽の人々に緊張感を与えている。
 全国で実施される大学入試センター試験の会場では受験生に不公平がないよう配慮されている。しかし雪国の受験生やその家族は点数の獲得だけではなく、当日の積雪による交通麻痺(まひ)をどれだけ心配して受験に臨んでいることか。公共交通機関を使って通学する学生も同様である。今年は1枚もなかったが例年私の手元に届く遅延証明書は握りしめられくしゃくしゃになっていることが多い。雪片づけをしてから出勤する大人も、窓の外を窺(うかが)いながら、一体何時に起きれば家族が家から出られるかと逆算し夜を過ごす。津軽で迎える大小様々な冬の出来事には必ず雪の懸念と影響があり、それはほとんど予測できない。これらは自覚の有無に関わらず、慣れとは言い切れない大きなストレス(緊張)である。
 しかしこの雪上の緊張感、青森空港の搭乗口では、まさにこの地を離れがたくさせるほど力強く頼もしく受けとめさせてもらった。除雪のため出発遅延を知らせる女性のアナウンスがふと鳴り止み、男性の声に変った。「ホワイトインパルス隊長の○○です。これから皆さまの安全のため短時間で効率的に滑走路の除雪を行います。作業の様子をぜひご覧ください。」といった趣旨であったように記憶している。
 遅延の知らせで顔を曇らせうつむいていた搭乗予定客は高揚してすっと立ち上がり、時間つぶしに擦(さす)られていたスマホは垂直に持ち替えられレンズが外に向けられる。滑走路はオレンジ色の重機が舞うステージへと変化する。「待たされる」から「得する」時間へ。空港除雪隊のダイナミックなチームプレーももちろんだが、開始を告げる1本の放送が、雪に対する緊張感をチームの強みに変えた瞬間に思えた。
 緊張をほぐすことも必要であるが、緊張を感じることが強みや経験になることもある。周囲の適切な一声が、それを促し支えになることも多い。雪が伝える緊張は厳しいものだが、消えた後には強さと優しさを残してくれる。
さあ、もうすぐ春が来る。
(弘前学院大学文学部講師 生島美和)

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「今、食が危ない!」世界遺産に選ばれた食事方法

2016/2/21 日曜日

 

 堤未果氏の「㈱貧困大国アメリカ」にこんな記事が載っている。2013年2月、全米薬剤耐性監視システムは次の内容の調査報告を報告した。
 検査対象となった七面鳥のひき肉の81%、牛ひき肉の55%、豚の骨つきロース肉の69%、鶏肉の39%から抗生物質に耐性を持つ細菌が検出され、鶏肉に関しては53%から大腸菌やサルモネラ菌とカンピロバクター菌も見つかった、と。同書によれば原因は効率を求めた巨大化した工業式方式。過剰な密度で動物を詰めこむ家畜工場で、成長促進や感染防止用に大量の抗生物質を注射したり、餌や水に混ぜたりするようになったからだという。TPPではこのような食肉だけでなく、添加物・遺伝子組み換え・残留農薬など食の安全が脅かされる可能性があるが、日本政府は「現行制度を変更する必要はないことで合意した」と説明。よって日本で認められていない農薬や添加物を使った食品が海外から輸入されることはないと主張している。
 しかしながら農業の効率化が求められ、このこと自体はいいことと思われるが、自由化促進が進み、規制が緩和されるということは、このアメリカの話が明日は我が身にならないかと懸念される。
 また一方、過去に看過できない報告があった。2006年国連食糧農業機関(FAO)が家畜、特に世界で15億頭いる牛が世界一の環境破壊者となっているという調査報告である。報告書では反芻動物に帰せられる家畜部門からの温室効果ガス(ゲップ)の排出量は、人間活動で排出される温室効果ガスの18%を占め、自動車や飛行機、その他のあらゆる輸送手段から排出されるすべてを合わせた量よりも多い。
 温室効果ガスの削減問題であるが、数値目標の達成を法的義務化のない「コップ21」での条約に期待できるだろうか。口約束だけで大気の破壊は
防げないのではないか。個人ができることには限度があるが、こんな時こそまずは身近な食を見直し、食事の取り方を改めたい。時間はないと思われる。
 これからは米、麦、を中心として野菜、果物、魚、肉の順に食をとるべきだ。一気に肉から離れることはできないが、日常的に意識を変え食事をとることが大切である。和食が世界遺産に選ばれた理由は一汁三菜の食事のとり方である。主食だけにとらわれず、バランスよく食事する知恵が日本にはある。また日本には新鮮な魚が豊富であり、魚を安全にレパートリー広く調理できる料理人が多くいる。もっと魚を食べ、料理方法の知識を世界に広め、スローフードを意識した食のあり方を青森から世界に発信していきたい、と思えてならない。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「一票の格差」問題 「平等」の下の不平等?

2016/2/14 日曜日

 

 この7月に行われる参議院選挙から18歳から選挙権が付与されることとなり、これらの若年層がどうような投票行動を行うかに注目が集まっている。
 ところでこれとは別にこのところ、選挙制度をめぐる議論がまた盛んとなってきた。事の発端は、国政選挙の度に繰り返される「一票の格差」問題にある。民主主義の下では何人も平等であり、同等の権利が保障されなければならないという原則の下では「一票の価値」は同等の価値でなければならないはずだが、地域によって大きな差が生じているということだ。議員定数にもよるが、人口(有権者)の多い選挙区と少ない選挙区では議員が当選に必要な票が2倍以上もの開きがある場合も起こっており、最高裁もこうした状況は、憲法第一四条の「投票価値の平等要求に反する」として「違憲状態」だとした。これを受け、各党とも選挙制度と選挙区の定数是正を議論しているが、容易には結論を得ることが困難であるようだ。こうした時、昨年12月14日、衆議院選挙制度改革を検討してきた有識者会議が議員定数削減と「一票の格差」を是正する議席配分方式を柱とする答申を大島議長に提出した。「一票の格差」是正を答申するはずであったが議員定数削減まで踏み込んだことで注目されたのである。
 この報道により、私は改めて二つの問題を感じた。なぜ議員定数削減が必要なのか、また「一票の格差」とは何かである。前者に関しては、わが国の国会議員の定数は民主主義的な先進国では少ない方だという事実があるからだ。それなのに何故、国民の多くは定数削減を歓迎するのかである。その最大の理由は議員の中には人格、品格、素質とも、議員に相応しくない人がいるからだろう。それならばこうした人物には投票しなければいいのだ。後者はより深刻だ。小選挙区の設定や比例ブロック議員定数を人口に比例して見直すとしたからだ。その結果、人口減少が続く本県などは議員定数が減少し、東京などは増えることとなる。果たしてこれでいいのだろうか。
 国会議員は国政を運営する代表者であるとともに、選出された地方の代弁者であることには異論なかろう。残念ながら、大都市それも東京圏への人口集中は今後とも進むことは明らかだが、こうした時、人口だけで議員数を決めていけば、やがては国会議員を選出できない県も出てこよう。そうなれば、地方の問題は完全に置き去りにされ、「一票の格差」是正の下で「地方の格差」が拡大することになる。単に人口「数」からではなく、日本全体をどう造り上げていくのかという視点からも定数を考えるべきなのではないか。「地方創生」を考える時、そうした点からの定数問題であるべきだろう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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