日曜随想

 

「身の丈からの開発」グローバル化と地域の生活

2013/6/9 日曜日

 

 竹は私たち日本人になじみ深い植物だが、同じ竹でも、中が空洞でない種類があることをご存知だろうか?この種の竹はアフリカ大陸全域に分布しているのだが、タンザニア南部の高原地帯ではウランジとよばれ、この樹液から酒が造られる。伸びたタケノコの先端を斜めに切り、浸みだす樹液を容器に集めておくとこれが自然発酵して酒になる。アルコール度数は低くカルピスのような色合いの美味な酒である。
 知りあいの農学者が、タンザニア南西部の農村で、ウランジの植栽とマイクロ水力発電を組み合わせた環境保全の取り組みを始めている。村人も自発的にこれに参加し、地域の自然環境に合った新たな利用方法と資源に対する新たな認識を作りだしているようだ。
 その地域は降水量には恵まれているが、現金収入源を求めての農地拡大や製炭、薪(まき)の需要の増加などで森林破壊が進み、土壌流出も生じていた。また、電化されていないこの地域にも、ここ10年ほどで急速に携帯電話が普及したのだが、その充電のために電気の必要が高まっていた。携帯電話は農産物価格や求人情報などを得るほか、携帯で送金を受けるなど、日常生活に欠かせない道具になっているのである。
 知人らは、かつて富山県で使われていた水車の技術を応用し、その地域の職人と共同で装置を作って、川でマイクロ水力発電を行うことに成功した。同時に、ウランジを植栽して土壌の流出をふせぎ、そこにさらに樹木を植林することを考えているようである。ウランジからは酒が造れ、その稈(かん)も工芸品などの材料として利用できる。この取り組みによって電力や酒、現金などのモノが得られただけでなく、村人との間に、河川が資源として有用で、その水量を維持するために水源地の森林保全も重要なのだという総合的な認識が共有されてきた点が興味深い。
 村人がもともと持っている自然環境への知識の豊富さやそれを利用する技術の精緻さは驚くべきものだ。しかし環境への負荷が急激に増大し、手に負えないほどの問題が生じた現状に農学的知識をもつ知人が関わったことで、新しい道筋が見え始めた。村人のもつ知識や技術を生かし、村人自身がコントロールできる、新たな環境利用システムへの可能性が生まれている。
 グローバル化が急速に進んだ昨今では、開発という名でやってくる外部の強大な力が地域の生活の根幹を揺るがすこともある。それらと折り合いながら、地域の問題解決と活性化を目ざすとき、どのようにして身の丈に合った取り組みを生み出すか、その取り組みの行方を自分たちでコントロールできるしくみをどのように作りだすかは、アフリカだけではなく、こんにち日本の地方に暮らす私たちにも通じる課題である。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

∆ページの先頭へ

「ビッグデータの時代」数字に惑わされない

2013/6/2 日曜日

 

 最近はやりの言葉に「ビッグ・データ」がある。なかなか迫力のある言葉だが、要は、たくさん集められた電子データのかたまりのことだ。例えばインターネットの検索サイトで時々刻々打ち込まれる、おびただしい数の言葉がそうだ。これらはデータとしてストックされている。フェイスブックやツイッター上の話題、ショッピングのデータ、携帯電話が発信する位置情報も同じだ。これらが脚光を浴びるのはその膨大なデータを統計的に分析することで人々の振る舞いや考えについての新たな発見が期待されるからである。
 ビッグデータは最近のはやりだが、統計に関する知識は、パソコンが普及して以降、重要視されるようになっている。小中高で学ぶ統計についての知識も昔に比べて増えているらしい。数字が苦手だという人にとって、このような時代の変化は悪夢だろうか?
 しかし、よく考えてみれば、私たちの日常はさまざまな統計データであふれている。「あまちゃん」の視聴率が20%を超えて好調であるとか、イチローの打率が低迷しているとか、日本社会の自殺率が高いとか、内閣支持率が上がった、下がった等々(ちなみに筆者の学生時代の下宿先に、ある日調査会社の人がやってきて視聴率を計測する機械をテレビに取り付けていったことがあり、本当に視聴率を測っているのだなと感心したことがある)。私達はこのような数字をみて、納得したり、深刻な気持ちになったりしながら、生きている世界を理解したり、仕事や生活のヒントにしたりしている。
 私自身は研究上、統計的な分析をすることがあり、統計が非常に大きな力を持つことを実感している。しかし全ての人が細かい数字の操作をする必要はない。それは物好きや専門家に任せておけばよいことだろう。多くの人にとって大事なのは、数字をみて早合点しないようにすることだ。
 あまちゃんの視聴率が20%を超えたといっても、20年以上前であれば朝ドラの視聴率が30%を超えるのは当たり前だったのだ(あの「おしん」は50%を超えている!)。また近年頻繁に行われている政治的な問題に関する電話による世論調査の場合、携帯電話しか持たない一人暮らしの若者は対象外である。なのに、回答者の年代別、性別の割合が明示されないことはしばしばだ。これでは、誰の考えが示されているのかが分からない。
 数字の持つ魔力は恐ろしいもので、私たちは、数字が客観的真実を示すものだと思いがちである。しかし数字は人間が解釈をして初めて意味をもつ。統計やそれに付された解説をみたら、それをうのみにするのでなく、かといって無視するのでもなく、一呼吸おいて、違う見方ができないか考えてみるべきだ。「それ本当?」と。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

∆ページの先頭へ

「明治の海外留学生」農業を志した菊池群之助

2013/5/26 日曜日

 

 明治10年、津軽地方からアメリカのインディアナ州に5人の東奥義塾生が留学したことは、津軽近代の歴史の中でよく知られている。ただし、インディアナ州のインディアナ・アズベリー大学(現在のデポー大学)に留学したのは、4人であり、最後に渡米した菊池群之助は、同大学に入学することなく、現地で亡くなっている。
 菊池群之助は、初代弘前市長菊池九郎の弟である。最初、菊池についてはよくわからないことが多かった。わかっていたのは西南戦争に従軍した後に渡米し、他の4人と同じ大学周辺にいたこと、現地に葬られていることくらいである。明治期津軽地方の洋学受容の研究を進める中で、菊池に関する資料も少しずつ集まってきた。ほとんど知られていない人物なので、今回は、彼について、少し書いておきたい。
 菊池は、明治7年末から東奥義塾に在職したアメリカ人、ジョン・イングの協力の下で、渡米計画を立てていた。目的は、農業を学ぶことだった。当時、イングの父が大きな農場経営を始めており、イングは農場で働く日本人として、菊池を推薦する手紙を父に宛てて送っている。菊池が農業を志した背景に、当時の津軽地方の状況があった。維新後の廃藩置県を経て、士族たちの生活環境は激変していた。職を失った士族も多く、彼らは地域の産業を興すのに力を尽くした。リンゴ産業もこの頃のさまざまな試みの中から産まれてきている。まずは食べて行くこと。そのために、菊池はアメリカ型の農業を学ぼうとしたものだろう。
 これは私費留学だったようである。先に渡米した4人は、アメリカのキリスト教関係者の協力で、なんの心配も無く目的地に到着したが、遅れて渡米した菊池は、道中半ばで旅費が足りなくなった。途中からは、厳寒の中を徒歩で目的地グリーンキャッスルに向かった。春先に現地についた菊池は、すでに咳(せき)をしていた。そのまま結核を発症し、冬に亡くなった。現地の人たちは、病に倒れた菊池を手厚く看護し、亡くなった時は丁寧に弔ったという。
 2007年、初めてデポー大学で現地調査をしたとき、同大スタッフの案内で菊池のお墓参りをした。菊池の墓は、広大な墓地の中で、ひときわ小さい。朽ちかけた日本語の墓標を見たとき、広大な中西部の風景が頭をよぎった。風雪を遮るもののない中、何を思って歩いて行ったのだろう。力つき、異郷でこの世を去るとき、彼の脳裏に浮かんだのは、何だったのだろう。
 大学の売店で売っていたお寿司一折と水を墓前に供えて、ひととき祈りを捧げた。交通が発展している現代と違い当時の留学は命がけである。郷土の産業発展のために命を捧げ、今はひっそりとアメリカに眠る人物がいる。それを、ここに記しておきたいと思う。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

∆ページの先頭へ

「早い、うまい、安い」吉野家倒産からの学び

2013/5/19 日曜日

 

 外食産業黎明期の店舗開発、事業開拓精神には凄味(すごみ)があった。牛丼の吉野家をチェーン化し、産業へと拡大した故松田瑞穂氏もその一人である。お会いした当時はまさに絶頂期であった。
 1960年代後半から70年代にかけては、市場調査が明日の成功への鍵を握っていた。といっても今のような市場分析ノウハウがあったわけではない。経験がものをいい、勘が頼りであった。自店の商品が市場に受け入れられるのかを、自分の足で歩き、見て、食べての体を使っての調査が主流であった。そんな中、松田氏はいち早くチェーン理論を実践し、ダイナミックに短期間の間に吉野家を拡大された。
 吉野家がアメリカ・カリフォルニアへ進出を企てた79年頃のことである。筆者は吉野家フランチャイジー筆頭であったN商事の通訳として私が得た物件情報を携え調査に同行した。そこで見た松田氏の醸し出す不思議なカリスマ性に大学を卒業したばかりの私が怖さを感じたことを忘れられない。
 お会いしたのはカリフォルニアの小さな飛行場。元自衛官だったという幹部がヘリコプターを使った空からの視察を終えた松田氏を数人で出迎えた。そして車に乗り換え、予定された競合店調査が始まった。出迎えた社員の方々の動きに無駄がなく緊張した動きが今でも脳裏に残っている。
 吉野家は外食が産業といわれる以前に他の企業に先駆けてアメリカ式のセントラルキッチンやフランチャイズ展開方式を導入。10年後には目標の100店舗を早々と達成。そしてさらにアメリカにも進出してチェーン拡大を目指そうとした。しかしながらその急拡大が災いして流通体制が間に合わず品質を劣化させ、倒産した。
 松田氏は水商売とさげすまれた飲食ビジネスを産業といわれるまでに押し上げた一人である。今でこそレストランビジネスは就職戦線の主要な産業になっているが当時は大卒が集まらない産業であった。他の産業に負けたくないという思いが氏を駆り立てたにちがいない。それゆえにその経営手腕はワンマンといわれるほどに強引でありまた、それゆえにこれだけの急激な拡大が可能であったといえるだろう。
 倒産の後、吉野家は再建を引き継いだ管財人の采配の下、立ち直り、現社長安部修仁氏を中心に快進撃を続け、2000年一部上場を果たしている。
 我々は吉野家倒産から多くを学んだ。リーダーシップのあり方、顧客を裏切らない品質重視の考え方は、その学びである。松田氏はよく「牛丼を科学する」といわれた。そしてその日のうちに当日の利益がわかる仕組みも作られた。「早い、うまい、安い」、今も多くのサラリーマンは明日への元気をこの牛丼からいただいている。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

∆ページの先頭へ

「八重の桜」異聞 尚之助と出石、江戸、函館

2013/5/12 日曜日

 

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」が好評とのこと。GW中に会津若松市を訪れた観光客は昨年の8割増とされ、この2年、観光客が大きく落ち込んでいた福島県には喜ばしいことだ。復興の一助となることを期待したい。
 私もこの「八重の桜」に刺激され、連休を利用して、兵庫県豊岡市出石町を訪れた。出石町は城下町の風情を強くもつ町で多くの観光客を魅了している。盛岡の「椀子そば」と同様に少量ずつ皿に盛られている「皿そば」でも有名だ。今回で5度目となる訪問だが、以前の訪問で、沢庵和尚や「粛軍演説」「反軍演説」で知られる政治家斉藤隆夫、帝国大学(現東大)総長を務めた加藤弘之などがこの出石町出身であることを知ったが、今回は八重の最初の夫である川崎尚之助の生誕地としての出石町訪問である。
 尚之助は幕末に出石藩藩医(一説に町医者)の次男として生れ、東京で亡くなった。出石町には川崎家の菩提寺の願成寺があり、尚之助の戒名を記した墓石があったとされるが今はもうない。尚之助の縁のものは、町の入り口の「川崎尚之助生誕の地」という看板、願成寺前の供養碑、生家跡案内板などで、これらは全て「八重の桜」の放映とともに建てられたものだ。これ以外には尚之助の足跡を偲(しの)ばせるものは見つけることができなかった。
 私は予備的な知識として、加藤弘之やブラキストンと尚之助の関係を知ることができた。尚之助は八重の兄、覚馬と江戸の坪井為春の塾で出会い、その縁で会津に赴くが、加藤もほぼ同じ頃にこの塾で学んでおり、出石出身の二人の俊英が蘭学や舎密(セイミ)学(化学)を机を並べ学んでいたかも知れない。ブラキストンは津軽海峡が動植物の分布境界線である「ブラキストン線」の提唱者だ。動物学者として知られているが、幕末から明治にかけて函館で貿易商人としても活躍した。尚之助との縁はどうか。会津戦争で八重とともに新政府軍と戦った尚之助はその後も旧会津藩の人々と苦難を共にし、斗南藩が再興されると青森県に移住している。藩の領地の大半は自然条件の厳しい下北地方で、食にも事欠く有様だった。尚之助はこの窮状を救うため米を求めて函館に渡っている。しかし、米の取引をめぐる騒動の中でブラキストンと相対し、訴訟事件に巻き込まれる。尚之助は一身でこの事件を引き受け解決に当たるが、その苦労も重なり40歳の若さでこの世を去っている。
 出石町出身で同学の加藤が東大総長となり、ブラキストンが函館市の発展に寄与した人物として顕彰される時、会津藩との義に生き、最後まで藩のために尽力した尚之助の業績を再評価することも必要ではないか、その思いを強くしたのが今回の訪問であった。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

∆ページの先頭へ

Page: 1 ... 61 62 63 64 65 66 67 68 69 ... 79

当サイトでは一部、Adobe Flash・PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Flash Player・Adobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe Flash Player ダウンロードセンター
  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード