日曜随想

 

「より深い生活へ」社会的憧れの喪失

2012/11/4 日曜日

 

 15年以上も昔、大学生だったころに、大きなリュックを背負ってタイやインドといったアジアの途上国を旅したことがある。タイの首都バンコクに滞在中のある夕暮れ、暑い中を歩き回ってくたびれたので道ばたに腰かけて休んでいた。すると現地の中学生ぐらいの男の子が話しかけてきた。彼はその年ごろのタイの男の子にしてはおしゃれな格好をしていて、片手に日本のファッション誌をもっていた。彼はその雑誌に掲載されたある写真を指さしながら、あまり上手ではない英語で筆者に何かを質問している。どうやら「日本ではこのようなヘアースタイルが流行っているのか?」と尋ねているようだ。彼の指さした先にはヘビの形に刈り込んだ奇抜なヘアースタイルの日本人男性の写真があった。私は「いやいや流行ってないよ。このヘアースタイルはちょっと変わっているね」と答え「かっこいいと思う?」と尋ねた。すると、彼は目をキラキラさせながら「うん」と答えた。さらに互いの拙い英語で話を続けると、彼はその雑誌をバンコク市内の高級デパート伊勢丹で購入したのだと教えてくれた。おそらく彼は日々、日系のデパートで手に入れた日本の雑誌のページをめくりながら、海の彼(か)方(なた)に存在するはずの豊かでおしゃれな国、日本へと憧れを募らせていたのだろう。
 タイで仕事に成功したという、インドで出会った20代後半の日本人女性は、アジアの流行の発信地は日本なのだと教えてくれた。日本で流(は)行(や)ったものが韓国、台湾、香港、タイなどに伝わっていくのだそうだ。もう何年もアジアの国々を訪れていないが、今でもアジアの人々にとって日本社会や日本人は憧れの対象であるのだろうか。
 さてわが国はといえば、戦後の長い間、アメリカが最も大きな憧れの対象であったといえるだろう。1980年代あるいは90年代までは、アメリカという国が放つ豊かさや自由さのイメージが多くの日本人を惹(ひ)きつけていたように思う。だが21世紀に入って以降、その力は薄れていっているようにみえる。さらに国内に目を転じると、東京という街が惹きつける力も昔に比べて弱まっているように思える。若者の地元志向が強まっているという話を耳にするし、学生と話をしていてもそのような感触をもつことがある。つまり私たちは少しずつ憧れの対象を喪失し続けているのかもしれない。そう考えるとやや寂しい感じがするが、同時にエキサイティングなことであるとも思う。憧れやお手本を失いつつあるということは、ますます自らの知恵や力量が試されるということだからだ。自らの力がより多く試されることにはしんどさも伴うだろうが、より深く生きることにつながるように思え、そう悪いことではない気がする。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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「本が出来るまで」『日英対訳 津軽の藍』

2012/10/28 日曜日

 

 今回は、現在最終作業中の『日英対訳 津軽の藍』のご紹介を少し。
 この本は、弘前大学で行われている藍の抗菌成分研究実用化に合わせて刊行するものである。弘前大学と共同研究している複数の企業が、海外に本社があったり、あるいは提携先が海外企業だったりすることから、本文は、日本語と英語の対訳版で構成した。内容は二つに大別され、前半は「藍の工芸」、「藍の化学」、「藍の植物」、後半は、近世から現代までの津軽地方における藍の歴史を扱っている。
 津軽の場合、近世から現代まで通観できる内容をもつ産業はそれほど多くないので、津軽の藍は歴史的にみても興味深い。たとえば、リンゴ史は数多くの本があるが、リンゴが津軽で栽培され始めたのが近代に入ってからなので、近世と近代のつながりを描くことはできない。その点、藍は(1)近世弘前藩での藍への取り組みと、(2)近代初期の士族層による藍栽培への取り組みがあり、近世と近代のつながりを考える素材を提供してくれる。さらに、明治後期の合成インジゴ普及で天然藍染が打撃を受けた後の、(3)現代津軽地方での復興の動きまで含めると、「藍」を取り巻く様々な人間模様や社会の背景も描きだされることになる。文化史的な視点から産業を見る格好の素材になっているのである。
 『津軽の藍』歴史部分では、こうした近世から現代までを見て行くことで、現代の科学研究も実は歴史の一環に位置づくことを描いた。また、藍=藍染のイメージが強いが、植物の藍乾燥葉を有機溶媒で抽出し、分離分画することで、さまざまな成分が含まれるきれいな色が出てくることなど、一般にあまりなじみが無い化学的事柄も、できるだけ画像を使ってわかってもらえるように工夫を凝らした。
 本全体のレイアウトや編集を担当したのは、横浜に事務所を持つアルファデザインさん。デザイナーの佐藤理樹氏は、25年前、石巻西高で私がクラス担任だった。大震災の後、お互いに消息を尋ね合う中で再会し、今回の仕事を依頼した。原稿と大量の写真データを渡されて、「好きなようにデザインしてくれ」と、言われた方はたいへんだっただろうが、それでも、素晴らしいデザインレイアウトに仕上げてくれた。まさか、こうして共に仕事を出来るようになるとは、夢にも思わなかったが、成長した教え子に助けられている私は、本当に幸せである。同じくアルファデザインの小野寺志保さんも、プロとしての仕事をしてくださった。 本というものは「出るべき時に、出るべき形で、世に出て行く」ということを、あらためて感じた数ヶ月だった。『日英対訳 津軽の藍』、弘前大学出版会から11月18日刊行予定。多くの方に読んでいただければと思う。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「外食王の夢」今以上を夢見て進む

2012/10/21 日曜日

 

 小説「外食王の飢え」は1970~80年後半における二つの大手ファミリーレストランの激突を描いた作品である。社長が先頭に立ち完璧を求めた西の「ロイヤル」と、兄弟の衆知を集めて地道に突き進み、4人兄弟で経営した東の「すかいらーく」。小説で著者の城山三郎氏は兄弟間の強い団結力と実行力に軍配を上げた。
 4人の兄弟には固い契があった。それは「すかいらーく」を運営するにあたり長兄である横川端氏が提案した兄弟間の約束、冠婚葬祭以外の家族同士の付き合いを一切なくすものであった。会社は1世代だけのものとして、会社を私有のものと考えず、長兄の子供であっても引き継がせない。給与にも差をつけず、4人は公平に利益を分配するという端氏の強い決意の規定であった。
 (株)すかいらーくは1970年創業。「ガスト」など多業態レストランチェーンを経営する。土地のオーナーと長期にリース契約を結ぶリースバックシステムを開発し、自社のセントラルキッチンを活用して数々のヒット商品を作り出してきた。現在グループ傘下の店舗数約4600、年商売り上げ約4000億円。2008年以後兄弟は幾多の事業改革を経て、会社経営から離れている。
 兄弟4人の契の発端は父の教えにあった。端氏が小学4年生の時、一家は満州開拓団にいた。そこはなだらかな丘陵地帯がどこまでも続く原野であり、気候は過酷であった。冬、気温は零下30度以下になる。目のまつげが凍ってまばたきがしにくく、厳寒期になると息が真っ白になり、小便するにも手がかじかんで難儀した。
 そんな中、端氏の父はわが子を千尋の谷に突き落とすがごとく8キロはある小学校へ通わせた。片道2時間。途中に一軒の民家もない。右手には小学3年になる妹を連れ、小学1年になる弟を時には肩に担ぎ、端氏は無人の原野を毎日通った。オオカミの遠吠えが怖かった。背中にいる弟に寒さと怖さで泣かれてもそしてその涙が凍りつき痛いほどに冷たく背中に感じても歯を食いしばり頑張った。8キロの通学は「父に何かがあればお前がみんなの面倒を見るように」との教えであったのだ。3年後、父の急死により帰国した。
 過酷な満州の思い出を共有する兄弟は、たえず今以上を夢見ていつまでも自分たちを未熟と思い、努力し続けてきた。外食バトルの勝敗の決め手となった「カルテット経営」。タクト振る兄の下、個性ある兄弟4人のハーモニーの良さがその根幹にあったにちがいない。横川端氏からは厳寒の大陸で見たひばりのように羽を持って世界に羽ばたく大きな夢、を分け与えていただいた気がしてならない。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「証拠は雄弁に語る」尖閣は日本固有の領土だ

2012/10/14 日曜日

 

 今年は日中国交回復から40年であるが、日中両国とも公式行事を見送り、祝辞交換もなかった。日本政府の尖閣諸島国有化宣言に中国政府が激しく反発、「愛国」を主張する若者達による日本公館や日系企業への不法な襲撃が相次ぎ、中国政府の日本非難が激しさを増している結果である。
 日本人の多くが尖閣諸島を意識したのは今年4月の石原知事の買い上げ発言からだろう。それとともに中国が国力と軍事力を背景に東シナ海や南シナ海に進出しフィリピンやべトナムと対立している事実も知ったことだろう。私も尖閣諸島はわが国固有の領土であると確信するが、先日、友人から「ユーチューブ」の動画が送られてきた。
 「ユーチューブ」の影響力は「アラブの春」で知っていたが、一度も使ったことがない。尖閣問題が極めて理路整然と述べられているとのコメントもあり、開いてみたが、三つの証拠を示して尖閣諸島が日本の領土であることが主張されていた。この内の二つは私も全く知らない事実であり、まさに目から鱗(うろこ)であった。ご覧になった人もおられると思うが、この場をお借りして紹介したい。
 「ユーチューブ」にアップした人物は谷山雄二朗という青年であるが、以下の証拠を示していた。第1は、中国共産党の機関紙「人民日報」1953年1月8日号に「琉球諸島人民アメリカ占領反対の闘争」として、アメリカ占領下の沖縄県人の闘いが伝えられているが、その琉球諸島には明確に尖閣諸島が含まれていることが記されているのだ。第2は、1969年、中国政府が発行した地図には、尖閣諸島は「尖閣」と記されており、中国が領土だと主張する際に使用する「釣魚島(ディアオユウ)」とは記されていないことだ。これは中国政府も国際社会が共通して認めている尖閣諸島=日本領を認めていることを示していることに他ならないのだ。第3に、我々も良く知っているように、これまで尖閣諸島には中国人は居住したことはなく、逆に日本人は居住していたことだ。特に、第1、第2の証拠は、中国政府も尖閣諸島が日本領であることを認めていた事実を雄弁に物語る以外の何物でもなかろう。
 周知のように、中国政府が尖閣諸島を自国領だと主張し始めたのは1971年に国連が同諸島付近に大量の地下資源が埋蔵されている可能性があると発表してからである。資源獲得にはなりふり構わないのが中国であるが、他国の領土まで奪おうとする態度はかつての「中華思想」の再現であり、中国が厳しく批判する「帝国主義」そのものでしかない。中国政府が大国として国際社会に理性ある態度で臨むことが今こそ求められているのだ。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「岩木プロジェクト」新しい発見続々

2012/10/7 日曜日

 

 2005年から旧岩木町で始まった岩木健康増進プロジェクト。6月に行う1000人規模の健康調査(プロジェクト健診)、秋に行う岩木地区内の4小中学校の健康調査、くわえて、冬に行う運動教室、この三本立てである。もう8年目を迎えた。受けた人の数は総勢5000人を超した。
 岩木健康増進プロジェクトでいろんなことが明らかになった。ビックリの連続である。今回はそれを紹介したい。
 口の中(口腔)の状態が悪いことの原因には、加齢もあるが、歯磨きなどのケアが悪いこともある。歯の数が少なくなったり、歯周病になると、骨密度が低下するだけでなく、動脈硬化が進行する。つまり、体全体が老化すると言うことだ。大問題である。「人は血管とともに老いる」という名言があるくらいに「動脈硬化」は健康長寿のキーワードであるからだ。
 これと同じで、胃の中に(ヘリコバクター)ピロリ(菌)を持っている人でも動脈硬化が進行している。ピロリ菌に対する生体の反応が動脈を攻撃し動脈硬化を早めるらしい。
 そのピロリ菌を退治(除菌)した人の胃は驚くほど若々しくなる(慢性委縮性胃炎が改善する)。ということは、胃がんにかかる危険性が小さくなると言うことだ。除菌は1週間薬を飲むことで8割の人が成功する。
 小学校5年生から中学校2年までのたった3年の間に、よく運動をした児童は運動をしない児童より骨が強くなる(骨密度が上がる)。大人になる前に、もうすでに子供の時代から差がついてしまうということである。
 運動教室である。たった、週1回1時間の教室参加で、腹囲や中性脂肪の明らかな減少がみられる。その理由は、体を動かし慣れて、家庭でも運動をするようになったことにある。一番効果が出るのは腹囲である。
 腸内細菌というのは主に大腸の中に棲(す)んでいる100兆個、500種類以上の細菌のことである。総量1キロに及ぶという説もある。健康と関連があるのは分かっているが、詳細は不明である。この腸内細菌の中で、乳酸菌をたくさん持っている人ほど体重が軽い。「乳酸菌は体に良い」と言われるが何か関係するのかもしれない。
 分娩(ぶんべん)回数が増えるほど、動脈硬化が進行し、血圧、血糖値、中性脂肪が高くなる傾向にあった。分娩経験者はその後も要注意と言うことだ。
 また、若いころの母子手帳を見せてもらったところ、妊娠中に血圧の高い女性は、中年以降も血圧が高くなっていた。母子手帳はその後もずっと参考になるということである。
 このような驚くべき発見を、岩木の皆さんのお役に立てたいと願いつつ、世界にもまた発信できたらと思う。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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