日曜随想

 

ピープルビジネス「死線を超えた救出」

2012/9/9 日曜日

 

 日本KFC設立は1970年。飲食業が産業と呼ばれて以来マクドナルドとともに外食産業を牽引してきた。しかしその創業は部下をいたわり上司を敬う、熱き想いがぶつかる浪花節の世界を抜きには語れない。
 細川政権が注目を浴びた頃、米国製品購入の圧力は相当なものであった。KFCにおいても米国産鶏肉の使用を強要するため米国の本社役員が押しかけてきた。商品担当取締役の解任を、背丈が2メートル近くもある白人が3人で当時の社長であった大河原毅氏(現コムサネット会長)を囲み、求めてきたのである。大河原氏は断固跳ね除けた。冷凍は使わず新鮮さへのこだわりは大河原氏自身の思いであり、それを遵守する部下を切ってまで社長の座に固守する気はないと断言した。実はこの強気の発言の背景には数々の熱いヒューマンドラマがある。
 大阪万博の翌年、KFC1号店は名古屋市郊外に開店した。しかし1号店、2号店の成績は芳しくなく、銀行の融資は途絶えた。2号店の失敗は運営継続を危うくしたが、店長を任せられていた大河原氏が最も気にかけたのは若いパート従業員の士気と、彼らの行く末であった。多くは中卒、大学浪人をかき集めできた編成であり彼らを2号店まで士気を落とさず引き止められたのは正社員への約束手形であったからだ。3号店出店はそのためになんとしてでも実現しなければならない。親会社である三菱商事へ何度も掛け合った。また資金調達のため三菱商事とはライバル関係の住友銀行へも掛け合った。その結果、3号店が開店した。
 上司のこの熱い想いは部下に伝わった。バブル最盛期、恒例のスキーツアーが行われ、銀世界の中、そのドラマが起きた。それは一行が大河原氏を先頭に山を降りてきたときのことであった。大河原氏は大パノラマに目が奪われたせいか、スキー板が右側に大きく迂回してそのまま数メートル下に落下した。部下がすぐ滑り降りてきたが、皆、雪のたまりから声をかけ見守るだけでいた。しかしそんな中、われを忘れ、社長を助けようと、滑り降りてきたままでジャンプした社員がいた。それは1号店から中卒で参加したNであった。「社長大丈夫ですか」と声をかけ、Nは手を差し伸べた。それはまさに死線を超えた救出であった。
 KFCの創業者の一人であるピートハーマン氏から教えられたという「ピープルビジネス」。大河原氏は今なお経営の真髄を表す言葉として使う。3号店成功はまさに厨房のシンクを風呂代わりとして使い、客席をベッドとして使った従業員の汗と涙の結晶だった。「事業は人なり」といわれる。その人とはリーダーの部下への想いがつくり上げると思えてならない。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「シリア情勢に思う」崩壊の危機迫る古都アレッポ

2012/9/2 日曜日

 

 先月20日、内戦が激しさを増しているシリア北部の重要都市アレッポで日本人ジャーナリスト山本美香さんが死亡したとのニュースが伝えられた。インターネット上に山本さんの写真が掲載されていたが、以前にも紛争地帯からリポートされている姿をニュース番組で拝見した気がする。危険を厭(いと)わず、気鋭かつ敏腕なジャーナリストとして活躍されていたのであろう。今回は内戦が激化し多くの市民が犠牲になっているシリアに赴き、戦いが無辜(むこ)の市民に犠牲を強いるものであるという事実を伝えようとしたのではなかろうか。その死に接して深い憤りを感じるとともに、改めてこの内戦とアレッポ市の状況について思いを馳せざるを得なかった。歴史に興味・関心を持つ者であれば、アレッポ旧市街、特に13世紀に建造されたアレッポ城と町並みの重要性はよく知っているからである。
 アレッポはメソポタミア地方と地中海を結ぶ要地であり、この地に国家を建設したヒッタイト、アッシリアなどの支配下に置かれ、BC64年にはローマ帝国の支配下に入った。そして漢王朝時代には長安とローマ帝国を結ぶシルクロード(絹の道)の要衝として繁栄する。その後、中世にはアラブ民族の支配下に入り、その拡張とともに商業交易都市として隆盛を極め、隊商宿や市が置かれ、その規模と豪華さは中東随一のものであったとされる。こうした中で建設されたのが世界歴史遺産であるアレッポ城と旧市街であった。
 そのアレッポが「不幸」なことに、今日でも貿易や経済の面において最も重要な都市で、地勢的にも外国との接点にあり、したがって反政府勢力が対外的な支援を受けやすい位置にあるなどの戦略的重要性を有しているのだ。その結果、シリア内戦はアレッポの支配権をめぐる攻防となり、世界遺産が崩壊の瀬戸際に立たされたのだ。
 シリア内戦がこれほどにまで激化した最大の原因はアサド政権の強権政治にあっただろう。しかし、もはやアサド政権が倒れることだけで内戦が終結するとは思えない。宗派対立とそれに伴う利権争いという深刻な事態が存在しているからだ。すなわち、これまで政権を掌握し利権を独り占めしてきたのはイスラム教少数派「アラウィ派」で、権力と圧倒的な武力を背景として多数派「スンナ派」を抑えてきたが、アサドの退陣は「スンナ派」による支配へと変化させよう。その結果、憎しみを増幅させた多数派による少数派の弾圧が行われることが懸念される。従って、この宗派対立を克服しうる政権が誕生するまでは内戦状況は続くものと思われる。アレッポの世界遺産が安寧な時を迎えるまでにはまだ時間を要しよう。その日まで少しでも被害が少ないことを祈るのみである。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「青森とアーチェリー」古川選手と山本先生

2012/8/26 日曜日

 

 ロンドン五輪で古川高晴選手がアーチェリー男子個人戦で銀メダルを獲得した。実は弘前大学の私の講座にアーチェリーの山本博先生が大学院生として在籍している。古川選手が長年目標としてきた選手である。筆者は、その山本先生から事あるごとに古川選手のことを聞かされていた。彼は、青森の人であり、日本の第一人者であると。第一人者が第一人者と言うのだから、間違いはない。
 6月29日に弘前大学の進学説明会で青森東高校を訪れたら玄関に古川高晴選手のロンドン五輪出場を祝福する横断幕が掛けられていた。思い出した「そうだ、古川選手は青森県、青森東高校の出身だったんだ」。
 山本先生はロサンゼルス五輪個人で銅メダルを獲得し、丁度20年後のアテネ五輪で銀メダルに輝いたアーチェリー界のスーパースター、かつ「中年の星」である。平成元年から約20年間、埼玉県の大宮開成高校の保健体育の教師として勤務し現役と両立させた。アテネ五輪で銀メダルを獲得したその時がまさに山本「先生」だったのである。いまなお現役であるが同時に指導者としても活躍中で監督として指導した大宮開成高校と日本体育大学のアーチェリー部を全国制覇に導いている。
 弘前大学の大学院生としての山本先生は知識欲が大変に旺盛な学生である。筆者の個人講義の最中も立て続けに質問を浴びせ、筆者をたびたび立ち往生させる。自称「世界一あきらめの悪い男」は結局この好奇心・知識欲そして向上心から来ているらしい。
 筆者の仕事は健康づくりや青森県の平均寿命延伸であるが、その根底には学校現場における健康教育の充実が欠かせないと考えている。しかし残念ながら筆者には学校現場の経験がない。一方、山本先生にはトップアスリートとしての側面に加えて教育現場での豊富な経験がある。幅広い知識と説得力のある話術に裏打ちされたその発信力は私にとっても大きな「頼り」だ。
 今年の4月、青森市である講演会があり山本先生の前座で私が30分ほどの講演をした。青森県の平均寿命が短いことに関する内容であった。講演後、弘前に帰る車の中で突然「先生、青森のために私が何かできることはないですか?」と訊かれた。嬉しかった。「いつか、きっとお願いすることがありますよ」。一流の人にはそれなりの心が備わっていると感じた。
 古川選手には、これからも山本先生以上の成績を残してもらい、県民の溜飲を大いに下げてほしい。山本先生には「50歳代での金メダル」がまだ残されている。また「健康」と言う観点から、学校教育やスポーツ界の競技力充実にも尽力していただきたい。
 両雄には、青森県から今後さらに羽ばたいてほしいと願っている。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「遊びと楽しい笑い」ゴリラの笑いにことよせて

2012/8/19 日曜日

 

 休みだというのに遊んでいない。平日は昼も夜も仕事をして、休日は学会や研究会で出張している。今年は「ねぷた」も「ねぶた」も行けずじまいだった。弘前市民としてあるまじき夏である。このまえ遊んだのはいったい、いつのことだっただろうか。
 ずいぶん昔、東京に住んでいたころ、ひとりでよく上野動物園に出かけていた。夏の暑いさかりには動物たちも動きが少ない。そんな動物園に行く私はよほど暇だったのだろう。コンクリートの照り返しのなかで、動かないゴリラのいるゴリラ舎の前にたたずんでいると、一頭のゴリラと目が合った。ゴリラはむくっと立ち上がって水たまりの水をすくったかと思うと「にやり」と笑い、いきなりその水を私にかけてきたのだ。
 「わっ!」。不意をつかれて驚く私の反応に、一瞬うれしそうな表情をみせたゴリラは、次の瞬間には何事もなかったかのように背を向けて、もといた場所に戻っていった。しかしその背中は明らかに「やったね!」と語っていた…ように私には見えた。
 「私を見ていたら、おもしろいいたずらを思いついたってわけね」。こちらから一方的に「観る」存在だと思っていたゴリラに、いつの間にか「観られ」、いたずらの相手にされていたことは、私にとって新鮮な驚きだった。そして考えた。「あの笑いは、いたずらを思いついた楽しい笑いだったのだろうか?それともいじわるの笑い?笑ったように見えたのは気のせいなのだろうか?」考えはじめたらおもしろくなり、ゴリラ舎の前でさらに時を過ごす懲りない学生時代の私であった。
 野生ゴリラの研究者、山極寿一さんがウェブサイト「どうぶつのくに.net」の連載でこんなことを書いている。「ゴリラが笑うのは遊ぶときです。だれかが他のゴリラに近づいて遊びを誘うと、口の両はしがゆるんで歯が見えます。これがゴリラの微笑です。おそらくこれから始まる遊びの楽しさを察知して思わず楽しくなるのでしょう(『ゴリラが笑うとき』)」。
 多くの動物が遊ぶことは知られているが、成長とともに遊ばなくなるといわれている。おとなになっても遊ぶのは人間のほか、ゴリラやチンパンジーなど一部の動物に限られる。山極さんによれば、ゴリラは仲間とふれあいながら遊び、おとなのゴリラも低い声で楽しそうに笑うのだそうだ。また、おとなが楽しそうに笑うのは人間以外でゴリラとチンパンジーしかいないという。
 楽しい笑いは遊びをさらに楽しくする。他の人にも楽しい気分が伝わる。それを感知することのできる私たちは、ゴリラやチンパンジーと並んで、仲間と一緒にいる場をつくり、それを楽しむ生き物なのだと思う。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「エネルギーと消費」エコと楽しみは両立するか?

2012/8/12 日曜日

 

 去年の夏はあまりの暑さに閉口したが今年はしのぎやすい。個人的には、暑すぎず、かといって寒くもなく、おいしくビールを飲むことができて丁度よい。昨夏は節電がさかんに言われたが、今年はそれほどでもない。さほど暑くないことも少しは影響しているのだろうか。
 とはいえ、電力を含めたエネルギー問題をどうするかということは、この先日本が国家としてどうあるべきか、私たちがどのような暮しを望んでいるのか、後続世代にどのような社会を残すべきなのかということに関わる重大な問題である。これは、少なくとも数十年単位で考えなければいけない問題であるから思いこみにとらわれず、できうるかぎりの理性と想像力をもって国民的に議論をすべきものである。
 エネルギー問題は資源問題と言い換えられ、広い意味での自然環境問題に含まれる。環境問題が世界的に認知されるようになったのは1970年代からで、自然科学者や社会科学者をはじめとして多くの人に強いインパクトを与えた。というのも、この問題は、経済成長をとるか、地球の持続可能性をとるかということを人類に迫っているようにみえたからである。
 環境問題が私たちの社会で広く認識されるようになったのは、比較的最近だ。90年代ぐらいまでは、エコという言葉はほとんど聞かれず、その原語であるエコロジーという言葉が、やや特権的な響きを持って、意識の高い人びとに知られていたように記憶している。だが政府が押し進めたエコポイント制度などもあり、エコという言葉はこの数年の間に急速に広まった。
 だがこのエコという言葉には、少しばかりの引っかかりも感じる。よいことをしなければならない、我慢しなければならない、という道徳的な意味合いを必要以上に含んでいると感じるからである。もちろん、一定程度の禁欲や道徳は必要だ。しかし、エコであることと禁欲的であることは、いつでも結びつくわけではない。例えば、場合によっては不道徳とされる行為に、飲酒、ギャンブル、恋愛があるが、これらはエコである。基本的には、自然環境に悪影響をもたらすものではないからだ(といっても推奨しているわけではない)。ほかにも私たちは、ついこの間、さほど大きなエネルギーを消費せずに、ねぷた(ねぶた)を楽しんだばかりだ。さらに絵画、音楽、文学、マンガなどといったアートも基本的にはエコである。つまり、エコと、道徳性や禁欲を常に結びつける必要はないのであり、楽しさや快適さを失わずによりエコな暮しをすることは、想像力さえあれば可能なのである。そしてさらにいえば、マンガが海外でうけているように、これらは経済へのプラスの働きもまたもたらしうるのだ。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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