日曜随想

 

「ゆとりと不確実さ」白黒つけたい気持ち

2013/7/14 日曜日

 社会から余裕が失われている。こんな感覚を、この国に居合わせている、少なからぬ人々が抱いているのではないだろうか。一定の年齢を越えた人の中には、かつて人々は他人に対する、より多くの寛容さを持ち合わせていたのにと、もう戻ってくることのない過去に郷愁をもつ人もいるだろう。
 2005年に第1作が公開されて好評を博した映画「ALWAYS 3丁目の夕日」は、主人公の六子が、青森から集団就職列車に乗って上京してからの泣き笑いを描いた作品である。昭和30年代を舞台にしたこの映画が、多くの人に受け入れられ、第3作まで制作されている背景には、余裕やゆとりが存在していた時代に対するノスタルジーがあるように思う。
 現在の社会が余裕を失っているのだとした場合、その原因は何か。すぐに頭に浮かぶのは、バブル崩壊以降の経済の低迷である。経済に関する事柄は個々人の生活に直接関わる大きな問題であるから、その悪化が人々から余裕を奪うというのは十分にありそうである。バブル後には、地下鉄サリン事件や、いくつかの少年犯罪などのように常軌を逸したと思える事件が続いたがそれに対する世論もまた常軌を逸した部分があったと思う。すなわち、私たちは、事件をもたらした悪を一方的に断罪することに熱心になりすぎていたのではないか。これには、経済の悪化も関係していたのかもしれない。
 しかし、余裕のなさは、経済による説明のみでは不十分だろう。ほかに考えられるのは、社会や、私たちの将来が不確実さを増し、みえにくくなっているということである。これは、個々人の生き方が多様になっているとか、多くの情報が手に入るようになって選択肢が増えるなどといったことと関係している。生き方が多様になれば他人は理解しにくくなるし、選択肢が増えれば迷うことも増える。しかし、私たちが、生き方の多様さや多くの情報を手放すことはないだろう。それらは、不確実さの裏返しである自由ももたらすからである。
 ではどうすればよいのか。ありうる解決策の一つは、慣れることである。以前、不確実な状況を人々がどのように認知するかということを調査したことがある。その結果、不確実な状況に対処する経験を積むことが、不確実さに対する不安を和らげるらしいということがわかった。この結果に従うなら多様な状況に身を置き、多様な経験をすることが不安を減らし、余裕を生むといえそうだ。社会が不確実化し、複雑化していくことが避けられないのであれば、安易に白黒はっきりさせることには慎重になり、多様な隣人と共に複雑な現実から目をそらさずに辛抱強く経験を積むことが、生きやすさにつながる、よき道であると思う。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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「資料が語るとき」ロプシャイドの英華字典

2013/7/7 日曜日

 

 古い本から無言のメッセージを受け取ることがたまにある。ロプシャイドの英華字典はその一つだった。香港で刊行されたものだが、早い時期に日本にも伝わり、英和辞書及び近代訳語の成立に多大な影響を与えた本である。
 平成6年、東奥義塾洋書調査を進める中で私は初めてこの本を見た。同校には全4巻が2セット残されている。その2セットは、一見そっくりなのだが、一方には序文があるのに、もう一方にはなかった。当時の私はこの本について何も知らなかったので、書誌的記録だけを取って、そのままにしたものの不思議な感触と印象が残った。
 間もなく、東北大の教授から、東奥義塾所蔵の英華字典について問い合わせを受け、いろいろと話し合った。この字典は序文付き版と序文無し版、どちらが初版なのかと。一度付いた序文を削除するのは、よほどのことが無い限り考えにくいので、序文無しの方が初版ではないか、との意見がでたが、東奥義塾の両方の版を見ていた私には、どうにもピンと来なかった。「序文付きの方が初版であるような気がします」と答えた記憶がある。といって、確証があるわけではなく、単に、資料を見たときの直感だった。
 愛知大学の講師をされていた故那須雅之氏に会ったのは、それからさらに数カ月後くらいだったと記憶している。那須先生はこの英華字典を編(へん)纂(さん)したドイツ人宣教師ロプシャイドの生き方に惚れ込み、その事跡を精力的に明らかにされていた。そこで初めて、この本にまつわるドラマを知った。
 1822年にドイツに生まれ、神学と医学で学位を取得したロプシャイドは、香港で布教活動をした。途中でイギリスの伝道会に移籍、1864年から辞書編纂に着手している。しかし、イギリスの「中国宣教師会」と対立し破門宣告を受けて中国を去った。その後、イギリス外交官のメイヤーズの命令により、序文は削除された。親中国的なロプシャイドが、列強の太平天国への干渉を批判するなど、イギリス政府に反抗的だったことなどが理由だったようだが削除の目的が懲罰であり、侮辱的意味合いを持っていたことは間違いない。序文にはロプシャイドの想いが込められていたからである。
 最初に英華字典を見たときに感じた通り、序文は初版に付いたものであり、「よほどの理由」により削除されたものだったのだ。「直感」が正しかったと思ったが、嬉しいというより不思議な感触だった。もの言わぬ書籍が、何か強烈なメッセージを発していたような感じである。
 なお、那須先生は、その後間もなく急逝された。那須先生の研究から、「資料が語る」ことを教えていただいたと思う。その意味でも私にとっては、忘れられない経験となっている。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「顧客満足100%!」もっと野菜を、もっと肉を!

2013/6/30 日曜日

 

 この不況の中、待ち時間1時間でも人々が行列に並ぶ店がある。その店は山のように盛られた肉、野菜などの具を売りものに首都圏を中心に38店舗を展開しているラーメン専門店「ラーメン二郎」(社長・山田次郎氏)である。
 人気の秘密は店主の気前の良さ。なにしろ麺と具の量が多い。野菜のトッピングに分厚い肉塊がサイズの大きさの違いはあるものの普通のラーメン(600円)で少なくて2~3個、運がいい時は4個も入っている。“小ラーメン”でも他店の“普通”より量が多い。さらに野菜・脂・タレ・刻みニンニクなどの量も要望を聞き入れる。
 5月、私は東京・三田の本店に運よく30分ほどで入店できた。店内の造りはコの字型カウンター席。席数12。客が店主を囲む。新しく席に着いた客が好みの要望を告げた後、「二郎劇場」の幕が上がった。皆が山田氏の麺のゆで方、麺の湯切り、具の配分方法に見入らされた。あたかもショーといった感じだ。それは最後の盛り付けの時だった。拳ほどの大きさに見える肉塊を台に並べたラーメン用深皿に二つ三つと投げ込まれた後、山田氏は肉塊がまだ一つ手に残っていたことに気付かれた。団塊の世代である私はその肉にくぎ付けになった。瞬間、私は目を力強くつぶり祈っていた。“私の器に入れてくれ”と。その祈りが通じたのか山田氏はにんまりと笑い肉塊を私の器に投げ込んだ。
 同店は、熱狂的ファンが多い。それゆえに、ラーメン二郎にインスパイアー(影響)されたと思われる店舗がすでに弘前にも3店出店した。
 この「ラーメン二郎」の成功のかげには、店主の顧客(主に大学生)への熱い想いが感じられる。具のボリュームと内容は、近隣の慶応大学運動部の激しい練習の後の腹を空かした学生からのリクエストがヒントとなり開発されたという。「野菜をもっと」、「アブラを多く足して」そして「もっと、もっと肉を・・・」。新陳代謝の激しい学生たちの要望に一つ一つ応えていった結果、顧客が定着した。その人気のほどは、慶応大学学食改装工事の時に「学内に二郎を!」という署名運動が起きたという伝説があるほどだ。
 顧客との接点であるエンカウンター(出会い)は、顧客の心を射止める最良の場面といわれる。つまり、初めての「出会い」で顧客を完全にしとめ、その顧客を熱心なファンにする瞬間といっていい。
 顧客を満足させたい、学生を腹いっぱいにしてあげたい、この思いを初めてのお客にどれだけ強く提供できるのか、ラーメン店のような小規模な店の繁栄は、この店主の思いの強さにかかっている、といっても言い過ぎではないだろう。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「新幹線駅と観光振興」県内4駅を効率的に生かそう

2013/6/23 日曜日

 

 本題から離れて恐縮だが、久しぶりに岩手県のある鍾乳洞に行ってきたが、観光のあり方として残念に思ったことがあった。NHKの「あまちゃん」効果で、久慈市小袖海岸は大変な人気だが、その波及効果で、そこも大勢の観光客で賑わっていた。しかし、以前との余りの違いにがっかりした。歩道はコンクリートで固められ、石柱が失われていたし、地底湖近くに階段と「人工的」トンネルがあり、新たに設置された出口も造られていた。大勢の人に安全に観光してもらう方策とは思うが、鍾乳洞が有する自然を破壊することは観光のあり方として邪道ではないか、以前の素晴らしさを知る者として、今後は訪問することはないだろう。本県も観光振興に力を入れて久しいが、はなから個人的経験を語ったのは、観光は決してこうあっては欲しくないからである。
 さて本県の観光振興(これだけに限らないが)において極めて重要な意義をもつ出来事が今月4日にあった。北海道新幹線奥津軽いまべつ駅の着工である。北海道新幹線新青森―新函館間の建設工事が進行しており、安倍内閣の積極的な財政出動も手伝い、前倒しで開業される可能性も指摘されているこれに合わせ同新幹線に設置される四つの駅舎の建設工事も始まった。今別町は3700人程度で周辺町村を加えてもさほどの数にはならない。したがってこれからはこの地域の観光振興に長く関わってきた人たちが言うように、この駅を利用するメリットをいかに出して行くかが問われよう。
 翻って考えると、今後の開業予定も含め、新幹線が通る都道府県で、新幹線駅が4カ所もあるのは、今のところ青森県のみではないか。新幹線ネットワークが県内を東南から西北へと縦走し、4駅が立地するのだ。こんな素晴らしい条件を生かさない手はない。では、どうすれば良いかだ。
 県内4駅はそれぞれ地理的・社会的に特徴をもった駅である。八戸駅は八戸市内の産業観光のみならず、岩手県北部を含めた観光自然を活用できる。さらに三陸復興国立公園の玄関口だ。七戸十和田駅は、十和田・奥入瀬や下北地方観光に最適な場所に立地している。新青森駅も県都青森市の観光を始めとして県内各地への展開を可能にする。そして、奥津軽いまべつ駅は津軽半島観光の拠点となりえよう。
 東北新幹線八戸駅が開業した時、私達はそれを「青森県開業」と位置づけ、新幹線効果を全県的に及ぼそうとした。これからは4駅が存在するメリットを活かし、それぞれの駅の有する優位性と4駅が連携することで可能となるメリットを引き出し、来訪者をがっかりさせることなく、観光が振興されることこそが求められよう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「長嶋氏の国民栄誉賞」弘前講演の思い出

2013/6/16 日曜日

 

 さる5月我らの国民的スター長嶋茂雄さんが3回り以上も年少の松井秀喜さんと同時に国民栄誉賞を受賞した。
昭和61年、大学の後輩が長嶋さんを講演会に呼ぶというビッグニュースが飛び込んできた。その中心人物は学生の工藤正史君(現在札幌市で開業)であった。一見おとなしめに見えた彼がどのようにしてあの大物をゲットしたかの真実はわからない。ただ聞けば、講演に来て欲しいということを真正面から切々と手紙にしたためたら、あっさり諾の返事が来たというのである。当日は、「飛行機に“もしも”はつきもの」ということで彼自身が東京まで出向き、電車で一緒に来弘したという。二人分の弁当を買いに仙台のホームを走ったとか。
当日の市民会館は満席であった。
長嶋さんの話には笑い転げた。あれほど面白い話を聞いたことがない。巨人軍監督時代(2回監督をつとめたうちの1回目)の唯一のビンタが中畑清の「監督、絶好調です!」を聞いた時で、「バカヤロー、絶好調を口にするには10年早い!」と右の手を上げたらしい。また、朝のヒゲの剃(そ)れ方でその日の好不調がわかると言い放った。聴衆が笑うと真顔で「本当なんですよ。そのくらい研ぎ澄まされてるんですよ。なにせ私の背中を何千万人という国民が見ているのですから」と訴えた。最後のまとめがまた良かった。試合の前日に明日の試合の4打席をすべてイメージするそうである。しかもそれはすべてホームラン。一本一本のホームランのコースと飛距離を想像しながら、ベースを巡る時の情景まで想像するという。3塁ベースを踏む時にスタンドに右手を上げる、といったあんばいである。そうすると不思議に良い成績を残せたと。人生にはポジティブ思考が大切と言いたかったのであろう。いかにも長嶋さんらしいと感心した。
後日、工藤君と会ったが「今から立派な医者になるんだろうけど、これ以上の仕事はなかなかできないだろうな」とからかった。それほどの大仕事であった。
同じ日の、先輩の品川先生(当時産婦人科学講座教授)の思い出はこうだ。実はその日長嶋さんを交えて教授会チームで野球の試合を行う予定になっていた。しかし、雨のためやむなく中止となり、ある部屋で長嶋さんと歓談されたそうな。そこで、秋田県立角館中学出身の品川先生が同中学校の2年後輩で立教大学の往年の名投手五井孝蔵(のちに近鉄入団)の話を持ち出したら、長嶋さんは急に立ち上がって「先輩失礼しました!」と直立不動の姿勢をされたとか。
長嶋さんのことだからこのような思い出と逸話を、全国各地に残しておられるに違いない。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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