日曜随想

 

「外食王の夢」今以上を夢見て進む

2012/10/21 日曜日

 

 小説「外食王の飢え」は1970~80年後半における二つの大手ファミリーレストランの激突を描いた作品である。社長が先頭に立ち完璧を求めた西の「ロイヤル」と、兄弟の衆知を集めて地道に突き進み、4人兄弟で経営した東の「すかいらーく」。小説で著者の城山三郎氏は兄弟間の強い団結力と実行力に軍配を上げた。
 4人の兄弟には固い契があった。それは「すかいらーく」を運営するにあたり長兄である横川端氏が提案した兄弟間の約束、冠婚葬祭以外の家族同士の付き合いを一切なくすものであった。会社は1世代だけのものとして、会社を私有のものと考えず、長兄の子供であっても引き継がせない。給与にも差をつけず、4人は公平に利益を分配するという端氏の強い決意の規定であった。
 (株)すかいらーくは1970年創業。「ガスト」など多業態レストランチェーンを経営する。土地のオーナーと長期にリース契約を結ぶリースバックシステムを開発し、自社のセントラルキッチンを活用して数々のヒット商品を作り出してきた。現在グループ傘下の店舗数約4600、年商売り上げ約4000億円。2008年以後兄弟は幾多の事業改革を経て、会社経営から離れている。
 兄弟4人の契の発端は父の教えにあった。端氏が小学4年生の時、一家は満州開拓団にいた。そこはなだらかな丘陵地帯がどこまでも続く原野であり、気候は過酷であった。冬、気温は零下30度以下になる。目のまつげが凍ってまばたきがしにくく、厳寒期になると息が真っ白になり、小便するにも手がかじかんで難儀した。
 そんな中、端氏の父はわが子を千尋の谷に突き落とすがごとく8キロはある小学校へ通わせた。片道2時間。途中に一軒の民家もない。右手には小学3年になる妹を連れ、小学1年になる弟を時には肩に担ぎ、端氏は無人の原野を毎日通った。オオカミの遠吠えが怖かった。背中にいる弟に寒さと怖さで泣かれてもそしてその涙が凍りつき痛いほどに冷たく背中に感じても歯を食いしばり頑張った。8キロの通学は「父に何かがあればお前がみんなの面倒を見るように」との教えであったのだ。3年後、父の急死により帰国した。
 過酷な満州の思い出を共有する兄弟は、たえず今以上を夢見ていつまでも自分たちを未熟と思い、努力し続けてきた。外食バトルの勝敗の決め手となった「カルテット経営」。タクト振る兄の下、個性ある兄弟4人のハーモニーの良さがその根幹にあったにちがいない。横川端氏からは厳寒の大陸で見たひばりのように羽を持って世界に羽ばたく大きな夢、を分け与えていただいた気がしてならない。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「証拠は雄弁に語る」尖閣は日本固有の領土だ

2012/10/14 日曜日

 

 今年は日中国交回復から40年であるが、日中両国とも公式行事を見送り、祝辞交換もなかった。日本政府の尖閣諸島国有化宣言に中国政府が激しく反発、「愛国」を主張する若者達による日本公館や日系企業への不法な襲撃が相次ぎ、中国政府の日本非難が激しさを増している結果である。
 日本人の多くが尖閣諸島を意識したのは今年4月の石原知事の買い上げ発言からだろう。それとともに中国が国力と軍事力を背景に東シナ海や南シナ海に進出しフィリピンやべトナムと対立している事実も知ったことだろう。私も尖閣諸島はわが国固有の領土であると確信するが、先日、友人から「ユーチューブ」の動画が送られてきた。
 「ユーチューブ」の影響力は「アラブの春」で知っていたが、一度も使ったことがない。尖閣問題が極めて理路整然と述べられているとのコメントもあり、開いてみたが、三つの証拠を示して尖閣諸島が日本の領土であることが主張されていた。この内の二つは私も全く知らない事実であり、まさに目から鱗(うろこ)であった。ご覧になった人もおられると思うが、この場をお借りして紹介したい。
 「ユーチューブ」にアップした人物は谷山雄二朗という青年であるが、以下の証拠を示していた。第1は、中国共産党の機関紙「人民日報」1953年1月8日号に「琉球諸島人民アメリカ占領反対の闘争」として、アメリカ占領下の沖縄県人の闘いが伝えられているが、その琉球諸島には明確に尖閣諸島が含まれていることが記されているのだ。第2は、1969年、中国政府が発行した地図には、尖閣諸島は「尖閣」と記されており、中国が領土だと主張する際に使用する「釣魚島(ディアオユウ)」とは記されていないことだ。これは中国政府も国際社会が共通して認めている尖閣諸島=日本領を認めていることを示していることに他ならないのだ。第3に、我々も良く知っているように、これまで尖閣諸島には中国人は居住したことはなく、逆に日本人は居住していたことだ。特に、第1、第2の証拠は、中国政府も尖閣諸島が日本領であることを認めていた事実を雄弁に物語る以外の何物でもなかろう。
 周知のように、中国政府が尖閣諸島を自国領だと主張し始めたのは1971年に国連が同諸島付近に大量の地下資源が埋蔵されている可能性があると発表してからである。資源獲得にはなりふり構わないのが中国であるが、他国の領土まで奪おうとする態度はかつての「中華思想」の再現であり、中国が厳しく批判する「帝国主義」そのものでしかない。中国政府が大国として国際社会に理性ある態度で臨むことが今こそ求められているのだ。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「岩木プロジェクト」新しい発見続々

2012/10/7 日曜日

 

 2005年から旧岩木町で始まった岩木健康増進プロジェクト。6月に行う1000人規模の健康調査(プロジェクト健診)、秋に行う岩木地区内の4小中学校の健康調査、くわえて、冬に行う運動教室、この三本立てである。もう8年目を迎えた。受けた人の数は総勢5000人を超した。
 岩木健康増進プロジェクトでいろんなことが明らかになった。ビックリの連続である。今回はそれを紹介したい。
 口の中(口腔)の状態が悪いことの原因には、加齢もあるが、歯磨きなどのケアが悪いこともある。歯の数が少なくなったり、歯周病になると、骨密度が低下するだけでなく、動脈硬化が進行する。つまり、体全体が老化すると言うことだ。大問題である。「人は血管とともに老いる」という名言があるくらいに「動脈硬化」は健康長寿のキーワードであるからだ。
 これと同じで、胃の中に(ヘリコバクター)ピロリ(菌)を持っている人でも動脈硬化が進行している。ピロリ菌に対する生体の反応が動脈を攻撃し動脈硬化を早めるらしい。
 そのピロリ菌を退治(除菌)した人の胃は驚くほど若々しくなる(慢性委縮性胃炎が改善する)。ということは、胃がんにかかる危険性が小さくなると言うことだ。除菌は1週間薬を飲むことで8割の人が成功する。
 小学校5年生から中学校2年までのたった3年の間に、よく運動をした児童は運動をしない児童より骨が強くなる(骨密度が上がる)。大人になる前に、もうすでに子供の時代から差がついてしまうということである。
 運動教室である。たった、週1回1時間の教室参加で、腹囲や中性脂肪の明らかな減少がみられる。その理由は、体を動かし慣れて、家庭でも運動をするようになったことにある。一番効果が出るのは腹囲である。
 腸内細菌というのは主に大腸の中に棲(す)んでいる100兆個、500種類以上の細菌のことである。総量1キロに及ぶという説もある。健康と関連があるのは分かっているが、詳細は不明である。この腸内細菌の中で、乳酸菌をたくさん持っている人ほど体重が軽い。「乳酸菌は体に良い」と言われるが何か関係するのかもしれない。
 分娩(ぶんべん)回数が増えるほど、動脈硬化が進行し、血圧、血糖値、中性脂肪が高くなる傾向にあった。分娩経験者はその後も要注意と言うことだ。
 また、若いころの母子手帳を見せてもらったところ、妊娠中に血圧の高い女性は、中年以降も血圧が高くなっていた。母子手帳はその後もずっと参考になるということである。
 このような驚くべき発見を、岩木の皆さんのお役に立てたいと願いつつ、世界にもまた発信できたらと思う。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「30年後の湧き水」技術が根づくための時間

2012/9/30 日曜日

 

 先日、10年ぶりでタンザニアの首都ドドマを訪ねた。「植林プロジェクトが根づいた村がある」と研究協力者のTさんが教えてくれ、ワークショップのあいまに案内してくれた。
 ドドマの年間降水量は平均600ミリ、日本の平均降水量の3分の1以下である。乾季のさなかなので、茶色に乾いた大地に、葉を落としたバオバブが林立する風景がはてしなく続く。幹線道路をしばらく行くと、青々とした葉を茂らせた並木道の先に黒々とした森があらわれた。
 この地域ではかつて、JICA(現在の国際協力機構)がかなり大規模な植林プロジェクトを展開していたのだが、このように乾燥した気候のもとで、農業と牧畜を営む人びとのあいだに植林を普及させることは至難の業だったと聞く。自分たちにさえ足りない水をどうして苗木などに惜しみなく使えようか。
 いくら苗木を配っても村びとは興味を示さず水をやらないので、せっかく植えた苗木が枯れてしまったり、植林地に牛が入って踏み荒らされたりして、落胆する日も多かったと述懐する関係者もある。
 しかし1980年代に植林プロジェクトが入ったこのH村では、自発的に植林活動に参加したある女性が、熱心に植林の良さを説いて同調者を増やし、プロジェクトが終わってからも、村の共有地10ヘクタールに植えた苗木を大切に育ててきたのだという。
 植林から30年を経た現在では共有地の木々が大きく育って森になっており一歩足を踏み入れるだけで森の外側とはまったく別世界の涼しさである。
 さらに数年前からは、共有林近くの枯れ川に水が湧き出したという。現在、そこでは牛飼いが牛群に水を飲ませ、人びとがポンプで水をくみ上げて川岸に野菜畑を作っている。野菜は町に出荷してまとまった収入を得る。
 30年も前にまかれた植林という種がプロジェクトに関わった人びとの手から村びとの手へと受け継がれ、森となって湧き水を涵(かん)養(よう)したのだろうか。H村の人びとは、いまでは共有林を大切な財産だと考えている。
 このように外来の新しい技術が根づくまでの過程を見ると、多くの事例に共通する点がある。それは、外来の技術をもちこむ人びととその地域の人びとをつなぎ、新しい社会関係を作り出す要となる人の存在である。H村では、上述した一人の女性が、プロジェクトに関わる人びとと村びととの橋渡しの役割を果たした。
 H村で植林された苗木が立派な共有林になるまで守り育てられたのは、それを可能にする新しい社会関係が創りだされ、苗木が育つのと同じくらい長い時間をかけて、涵養されてきたからなのだと思う。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「住みよいまちとは?」アンケートと人のつながり

2012/9/23 日曜日

 

 本紙でも報道されていたように5月に行われた第2回目の弘前市市民評価アンケートの結果が先月、市によって公表された。このような市民の意見を尋ねるアンケートは多くの自治体が行っていると思うが、アンケートが公表され新聞等で話題となるのはよいことだと思う。アンケートには市長や市役所への評価を尋ねる項目もあったが、このような試みも歓迎したい。
 アンケートには多くの質問があるため新聞等ではすべては示されていないが、市のホームページにはすべての集計結果が公表されており、誰でも閲覧できるようになっている(市の施設でも報告書が閲覧できるそうである)。その中から気になった項目をいくつか拾ってみたい。
 「弘前は住みよいまちか」という質問には「住みよいと思う」が70・0%、「住みにくいと思う」が5・2%となっており、良好な数字を示していると思う(単純な比較はできないが、東京都が昨年行った「都民生活に関する世論調査」では、東京の住みやすさについて尋ねた質問に対して「住みよい」との回答は59・1%である)。ただし年代別では、30歳代は「住みよい」が59・4%でやや突出して低いのが気になる(高いのは70歳以上の74・6%)。雇用に関する項目で20、30歳代の不満度がやや高く、子育て環境に関する項目や福祉全般に関する項目でも30歳代前後で不満度の高い傾向があるので、これらのことが影響しているのかもしれない。
 近年、社会学などでは人と人とのつながりや信頼関係のことを社会関係資本と呼び、これが豊富であることが生きやすさや教育、健康などへよい影響を与えるということがよく議論されている。アンケートの中から社会参加や人づきあいに関係する質問をみると、地域の活動や行事へは、年代が上がるほど参加度が高く(「よく参加している」と「ときどき参加している」を合わせた割合は30歳代で32・3%、70歳以上で45・1%)、居住年数が長いほど高く、性別では男性がやや高いという結果で、習い事や趣味、ボランティアなどについては年代が上がるほど高く(「している」の割合は30歳代で21・9%、70歳以上で29・8%)、女性の方が高くなっている。年長者の社会参加が高いことに安心すると同時に、若年層の低さが少し気にかかる。というのも人間関係は日々の悩みの種であると同時に、楽しみの源泉でもあるからだ。
 この種の調査は大きな労力やコストを必要とするものであろうが、継続して行い、広く知らせることが重要だと思う。調査結果を共有し、さまざまな意見を知ることが社会関係資本を蓄積させ、住みやすい地域をつくることにつながると考えられるからである。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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