日曜随想

 

「弘前発スポーツ医学」医学と体育の垣根を取りたい

2012/2/12 日曜日

 

 1990年、大分県でバドミントン全日本女子チームの調査をして驚いた。9名の選手のうち貧血の者が3名いたのだ。通常のランニングでも貧血の選手は次第に遅れをとってくる。旅館に泊まり普通の食事、夜間空腹でカップラーメンやお菓子を食べていた。
 1992年、県の体協から中学相撲の選抜チームの調査を依頼された。中学3年生の高見盛、武州山がいた。驚いた。大人顔負けの高コレステロール者が2名(12名中)もいたのである。
 同年、日本高野連から夏の甲子園大会の審判員の調査を依頼された。その夏の地方予選で数名の審判員が熱中症で倒れ、死亡者も出ていたのだ。
 松井秀喜が出場した夏であった。審判の試合前後の体重をみると平均で2キロ減少していた。それまで、審判員は7回に飲水タイムがあった。しかし、試合中「尿意」に襲われることが怖くほとんど実行されていなかった。体重減少分のほとんどは水(汗)である。「少々飲んでも、膀胱までは届きません。むしろ脱水症状や熱中症が怖い」と報告し試合中の飲水を勧めた。高野連は今では全国の審判員に7回終了時と延長時の飲水を義務づけている。
 2005年、学会で訪れた新潟市に東洋大学陸上競技部の川島伸次監督(シドニーオリンピックマラソン代表)が現れ選手のサポートを依頼された。2年間サポートしたが結果が出なかった。やめますかと提案したらもう一年と懇願された。やるからには最善を尽くすということで梅田孝准教授が毎月のように埼玉県川越市の合宿所に出かけ採血、体脂肪量の測定、食事調査、心理テストを行い、その結果をもとにした健康管理策、コンディショニング策を選手に説明、個別指導した。最終年に箱根駅伝で優勝した。2007年、湘南ベルマーレはJ2に低迷していた。中田英寿がいた最強時代は遠い昔になっていた。最初のころは、練習開始30分前に朝パンをほおばりながらグランド脇のクラブハウスに来る選手もいたりして落胆した。それでもサポート3年目にはJ1復帰を果した。
 たまたまだとも言われる。確かに調査・測定している項目も特殊なものはない。しかし、筆者は当方の成果は大きいと考えている。というのは、選手や指導者と頻繁に接し、調査(状況把握)を行い、その結果から対策をねり個別に説明、指導する。この三者(選手、指導者、我々)の気持ちがひとつになった時に、不思議にもいい結果が生まれるからだ。三者間の人間としての信頼関係こそが大切だと思う。
 その後、スポーツ医学の研究を志し弘前大学の大学院の門をたたくアスリートが増え始めた。全国の大学では医学部と体育学部の連携が弱く、アスリートがスポーツ医学を研究しにくい現状がある。我々の垣根は低いらしい。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「地域の中核大学の役割」地域の課題を市民と共に解決

2012/2/5 日曜日

 

 先日、海外在住の弘前出身の方から、「親不孝なことに両親と離れて暮らしているので、高齢の両親にとって雪かきが年々大変な作業になっています。そんなときに地域の若い世代の方が動いてくださるというのはとても頼もしい限りです。」というメールをいただいた。
 本紙にも紹介された、本学ボランティアセンターによる除雪ボランティアのことを知って、遠方から応援のメールを送ってくださったのである。
 見守ってくださる方々の「ありがとう」という一言が学生諸君にとって大きな力となる。活動を行う者と見守る者の共感が若者を動かすのである。
 近年若者をめぐる厳しい雇用状況の中で、多くの大学で大学生の就業力向上のためにさまざまな事業を展開している。弘前大学でも「地域とともに育む大学生の就業力」という事業が文部科学省に採択され、学生が地元企業との対話を通して企画提案力を学ぶプログラムを実施している。
 このような事業は大学生の就業力の育成のみならず、大学と地域を結ぶ大きな原動力となっている。
 また、東日本大震災をきっかけに設立された弘前大学ボランティアセンターは被災地の支援活動で学んだ多くのことを地域に還元すべく、地域に貢献する学生ボランティアを送り出そうとしている。その第一弾が除雪ボランティアであった。
 厳しい財政状況の中、地方自治体や国による行政サービスは年々縮小されている。住み心地の良い街づくりのために必要不可欠なサービスをNPOやボランティア活動などの市民活動に委ねなければならないのが現状である。しかし、それが市民主体の街づくりの第一歩となっていくのである。
 そのような街づくりのためには、NPOやボランティアの担い手をどのように育むかということが問われる。
 ボランティアセンターで独自に調査した調査結果(2012年3月公開予定)によると「働く場所として、民間ではなく、NPO活動にも興味を持つようになった」という質問に49・6%の学生が「あてはまる」と回答しており、NPOやボランティアへの理解が深まったことが分かった。また活動に参加した学生の半数以上がボランティア活動を通して、地元で働くことに興味を持つようになったと答えている。
 地域の中核大学の役割として、地域で必要な人材の育成や、地域活性化をもたらす研究、そして地域課題への取り組みなどがあげられる。その役割を果たすためには、学生も教員も地域社会により積極的に参加することが大前提であろう。地域の課題を市民と共有し、その解決策を模索することが求められている。
(弘前大学雇用政策研究センター長 李 永俊)

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「日本初の国民投票」21世紀の新憲法に向けて

2012/1/29 日曜日

 

 国民投票とは「民意」に決断を委ねることであり、いわば民主政治の劇薬である。近視眼的で、気まぐれで、無責任な「民意」が、はたして国家百年の大計を適切に判断できるのか。私見では、間違いなく派手に転び、社会の土台さえも動かすだろう。それでもなお、私は国民投票を早急に行うべきであると主張したい。
 私たちは国民投票をやったことがない。しかし他人(政治家)の失敗を百回観察するより、自分(国民投票)の一回の失敗から多くを学べるはずである。国民投票は、短期的には悲劇や喜劇をもたらすに違いないが、長期的には私たちの民主政治を一層成熟させるだろう。たとえ高い授業料を払おうとも、「国民投票」という必須の実習科目を修める必要があるように思う。
 本来の民主主義は、絶えざる自己犠牲と反省によって勝ち取られるべきものである。油断していれば、政治は常に「愚衆」に乗っ取られてしまう。愚衆は社会に求めるばかりで与えず、人を批判するばかりで反省しない。余談になるが、もともと東北大学で医者をめざしていた魯(ろ)迅(じん)も、母国の愚衆を見て、体を治すより頭を治す方が先決であることに気づき、『阿(あ)Q(きゅう)正(せい)伝(でん)』を著した。阿Qは惨めである。
 私たちの胸中に存在する愚衆的惰性と闘うこと、民主主義とはそうした克己の苦闘に基づく体制である。民主の二字は、一人一人の民が社会の主(あるじ)としての自覚と責任をもつという意味だ。単なる多数決主義は、少数派虐めの手続きにすぎず、それだけでは民主の名に値しない。
 さて、初めての国民投票で、いきなり憲法改正を俎(そ)上(じょう)に載せるのは無謀である。なぜならそこには、第九条(戦争放棄など)のみならず、諸々の多くの難問も含まれており、焦点を絞りにくいからである。
 焦点の明確な国民的関心事としては「原発」こそが、日本史上初の国民投票のテーマにうってつけであるように思う。もし原発の是非をめぐる投票を行えば、ほぼ確実に原発は廃止されるだろう。しかし廃止されて数年も経(た)てば、電力料金の上昇とそれに伴う経済の弱化によって、多くの国民は「参ったな」と思い始めるかもしれない。それで良かろう。こうした理想と現実のジレンマや右往左往は、民主主義の経常のコストである。
 早急に経験を積んだうえで、新たな時代にふさわしい憲法を、国民投票によって勝ち取ろう。それは天皇から与えられるのでもなければ、異邦人から与えられるのでもない。国民による国民のための憲法だ。私は日本初のこうした憲法を、21世紀を生きる将来世代への贈り物にしたいと願う。国民投票という劇薬は、わが国の閉塞を打開するための数少ない手段の1つである。
   (弘前学院大学講師 本郷亮)

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「石巻との絆」教え子たちから学んだもの

2012/1/22 日曜日

 

 20年以上前、石巻西高で教えた生徒たちはアラフォー世代。復興活動の中核である。その活躍ぶりをいくつか。K君は仕事の傍ら、「スコップ団」で毎週末活動している。普通のボランティアでは入れない避難区域にゲリラ的に集まって、泥を取り除き、被災した住居をきれいにする。震災から1年近い今でも、被災した時のまま、ほとんど手つかずの場所がまだたくさんあることを彼の話から知る。「スコップ団」は、参加者の自由意志による集まりである。現在では全国各地からのメンバーが2000人を超えるという。日本もまだ捨てたものではない。
 T君は寿司職人。彼のお店は地元でも有名だった。今回の津波で、店も自宅も被災した彼は、壊滅的被害を逆手に取って、石巻市内の商店街仲間と一緒に、「ZENKAI商店街」活動を始めた。「全壊から全開で商店街を全快させる」趣旨である。その発想とたくましさに、頭が下がる。畳屋を営むS君は、震災前も仕事の傍ら、地元の消防団に参加していた。震災直後から、消防団員としての彼に要請がきたのは、遺体を収容することだった。自らも被災していたのだが。この時の体験については、もの静かな彼が、さらに寡黙になる。今は、家屋再建に向かう人たちのために、朝から晩まで黙々と畳を作っている。
 声楽家のNさん。津波の中を泳いで助かった。音大卒業後、地元で音楽活動をしていた彼女は、年末、感謝の気持ちを込めて、コンサートを開いた。旧市内のホールは壊滅し、会場は商店街の一角だった。今の石巻の姿とともに音楽をしたいという、熱い気持ちを込めた歌声が響きわたった。おしゃれな雑貨店「ベリーズキッチン」を営んでいたNさん。秋の時点では、お店の継続を迷っていた。でも、先日の手紙で春の再開を伝えてくれた。待っているお客さんも多かったのだろう。再開を決意させたのは、それまでの彼女の生き方かもしれない。石巻を離れた教え子たちもそれぞれの位置で故郷への支援を続ける。中学校の壊れた楽器修復に協力する指揮者のT君。名取市図書館どんぐり子ども図書室オープンに協力したグラフィックデザイナーのS君。まだまだたくさんいる。瞬時に情報を共有できるIT社会だからこその活動も少なくない。
 それぞれの人生にドラマがあり、みないろんな思いを抱きつつ、がんばっている。どうしてこの子たちがこういう思いをしなければならないのかと思う一方で、高校時代からは想像もできなかった逞しさに感動の連続である。
 かくして今の私は、というと、教え子たちに影響され、遅まきながらフェイスブックを始めて、毎日フィードに出てくる彼らの活動から、刺激を受ける日々となっている。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「技術革新と雇用創出」「閉塞」した時代の中で

2012/1/15 日曜日

 

 2012年(平成24年)を迎えた。いつもなら「おめでとう」と言うべきところだが、今年はいささか違うようだ。私も素直にはそうした気分になれないでいる。最も大きな理由は「3・11」であろう。2万人近い死者・行方不明者を出し、大晦日(みそか)も行方不明者を探す大規模な捜査が行われたという。
 仮設住宅の生活がいかに厳しいものかも想像できる。時々、明るいニュースも伝えられるが、復興への取組は決定的に遅れている。「3・11」のみならず、これほどまで前途に展望を持てずに新年を迎えたのも珍しいのではないか。日本中にある種の「閉塞感」が漂っているのだ。旧聞に属するが、昨年11月の大阪市長選で橋下氏が勝利したのも、彼が「閉塞」状況を打ち破ってくれるとの期待からであっただろう。私自身は橋下氏の、敵をつくってこれを攻撃するという政治手法には一抹の不安を感じているが。
 ところで、人々が「閉塞感」を感じている最大の理由は、やはり将来への不安だろう。給与は下がる一方だし年金の支給も年齢の繰り上げや支給額の削減が噂される。必死に働いているにも拘(かかわ)らず一向に生活は楽になったという実感が持てない。それでも日本人は「自分よりもっと恵まれない人がいる」と我慢するのである。確かに年収300万円以下のワーキングプアが就労者の40%という現実がある。
 こうした状況の下で、エネルギー不足や急激な円高により企業の海外進出が増進しかねない。産業の空洞化である。円高を背景として企業が海外展開するのはグローバリゼーション社会にあっては止(や)むを得ない。しかし、産業の空洞化は雇用の空洞化を進めることになる。新卒者の就職が厳しくなっている時、これ以上雇用が減少することは防止しなければならない。その対策が急がれるのである。
 私の結論は技術革新とそれによる産業力の強化である。ハードであれソフトであれ、新しいモノをつくり新しい市場を開拓することだ。戦後の我が国は「アメリカに追いつき追い越せ」で産業を発展させたが、その中でも「長厚重大」から「軽薄短小」、先端技術革新と産業への応用を行ってきた。我が国の産業発展は技術革新・技術進歩とともに発展してきたのである。技術革新はハード面だけではない。生産方式や工程、経営の改善といったソフト面もある。日本人の「おもてなし」精神も大いに寄与しよう。こうしたハード、ソフト両面の技術革新をシステム化、パッケージ化することで市場を開拓するのだ。これにより、企業が海外展開しても重要な部分と役割は我が国でしかできないものとして残ってくる。そこに雇用を創り出すことは可能だ。その方向をしっかり示すことが政府の責任であるのは言うまでもない。
(青森大学学長 末永洋一)

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