日曜随想

 

官民学の協働支援「平時における体制整備と維持」

2012/3/11 日曜日

 

 千年に一度と言われた東日本大震災からちょうど1年。改めて震災で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りする。また、ご家族や友人を亡くされた皆様にお悔やみ申し上げたい。
 甚大な被災状況を知り、いてもたってもいられない気持ちで教員仲間とボランティアセンターを立ち上げ、4月から活動を展開してきた。
 振り返ってみると、避難所で出会った皆さんの疲れきった顔や、強い日差しの中、汗まみれで瓦(が)礫(れき)の山と戦っていた学生諸君の瞳の輝き、庭先にあった大きな岩を皆で動かした日の帰りに涙を流してボランティア一人一人の手を握ってくれたおばあさんの顔、交流登山で野田村のおばあさんの手をひいて登る学生の後姿。一つ一つが記憶に刻まれている。
 その記憶の中に、未だに悔いが残る一つの出会いがあった。発災から2週間以上経って、今後の支援活動のために、野田村を訪ねた時のことである。
 最後に訪問した避難所の前で、何人かが焚(た)き火をして暖をとっていた。その輪にそっと加わった。しばらくの沈黙の後、輪の中の一人から厳しい声が飛んで来た。「何しに来た。今さら来たって…。」と語尾を濁らせた。涙が出た。自分の無力さが悔しかった。
 発災直後に、思い出の品を探し出したくても、避難所が混乱して人手が必要な時でも、支援の手は届かなかった。その言葉にはその悔しさがにじみ出ていた。
 阪神淡路大震災から1年目の1996年1月17日の新聞記事に目を通すと「震災の教訓を忘れないように」というフレーズが目立つ。
 しかし、今回の災害でも早期支援の重要性は十分に活かされていなかった。発災直後は阪神淡路大震災の時と同じく、自衛隊や数少ない行政職員の手に委ねることしかできなかった。
 ボランティアに参加した市民や学生に発災直後の心境を尋ねると「何かしなければと思ったがどうすればいいか分からなかった」との声が多かった。その背景に災害ボランティアを組織的に送り出すためのNPOなどの市民団体や大学内の組織が県内には一団体も存在しなかったという実態がある。
 阪神淡路大震災の時には、もしかしたら本県には当事者意識が不足していたかもしれない。あるいは、16年という時間の経過が皆の危機意識を薄めたかもしれない。
 災害は、予期せぬ時に予期せぬ場所で発生する。東日本大震災をきっかけに、弘前では市民と行政と大学との協働の支援体制が作られた。いつまでも平穏な日々が続いてほしいが、平時にもしっかりと連携を維持し、支援体制を整えることが防災・減災対策につながることを忘れてはならない。
(弘前大学雇用政策研究センター長
李 永俊)

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「大学研究室の未来像」知的創造のための空間とは?

2012/3/4 日曜日

 

 4月から母校の大学に帰ることになり、その準備に忙しい。弘前で暮らした8年間で最も心に残るのは、近所の人々の親切さである。特にOさん御夫婦には、一生頭が上がらぬほど、色々とお世話になった。家族を代表して、心から皆様にお礼を申し上げたい。
 さて、引っ越しを機会に、私の大学研究室(個室)を一新する予定だ。研究・教育の場としての研究室は新しい観念(アイデア)を産出する工房(アトリエ)だから、地上で最も創造的・刺激的な空間でなければならない。この目的に適う前衛的・次世代的な研究室のあり方とは、どんなものだろうか。
 昔の文系の研究室の典型的イメージは、私の研究室もそうだったが、本をずらりと並べた、紙の匂いのする部屋だろう。しかしこのイメージは今後急速に廃(すた)れてゆくはずだ。なぜなら今では電子書籍(私はエレキ本と呼ぶ)という文明の利器が現れ、それ1台で千冊近くの本のデータを収められるからである。エレキ本とは、喩えて言えば本のサイズの薄型テレビみたいなものであり、小さなものは葉書ほどのサイズからある。試しに某日本メーカーの葉書サイズのエレキ本で、岩波文庫の『三国志』を久々に読んでみたが、あまりに快適なので全8冊を完読してしまった。
 「確かに便利だ」というわけで、さっそく研究室の本全体の8割に当たる約千五百冊を電子化し、元の紙の本は処分した。電子化しなかった残りの2割は、紙の本のままの方が便利なもの(教科書など)である。ハムレット風に言えば、紙のまま残すべきか、エレキにすべきか、それが問題だ。用途に応じて紙とエレキを使い分けるのが最も合理的だから、「紙派」と「エレキ派」の対立は不毛だろう。
 紙の本は、黄ばんだり傷んだりするし、その所有者の死後には大量のゴミとなって、その家族を悩ませるかもしれない。だがエレキ本は、いつまでも美しいという意味では「永遠の命」をもち(ただしデータのバックアップは絶対必要)、場所も取らない。
 エレキ本(パソコンでもよい)が複数台あれば、さらに便利だ。データをコピーし、自宅用や出張用のエレキ本にも入れておけば、研究室に居なくても、家でも野外でもそれらを読める。
 私の、また若い学生たちの、知的創造を促す研究室のあるべき姿とはどんなものか。あれこれ考えるのが、とても楽しい。業務上の秘密なので詳しく述べられないが、日本の「茶室」は非常に参考になる(静けさ、明暗、飲物や菓子、そして平等!)。最新の要素と伝統の要素をうまく融合させたい。
 大学の研究室とは、結局、人を精神世界の冒険に誘う場であり、そうした冒険者たちの憩いの場である。「象牙の塔」の魂は、研究室にあるのだ。
   (弘前学院大学講師 本郷亮)

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「地域研究の魅力」学生たちの感想から

2012/2/26 日曜日

 

 今年度後半、弘前市内の大学で「地域研究」という講義を担当した。朝早い授業時間にもかかわらず、ほとんど遅刻する学生もおらず、講義する側も楽しい時間となった。
 この授業は、津軽地方近代の歴史についてである。指定したテキスト所収の論文の読み方に加えて、これまで自分が携わってきた研究プロセスや、それに関連する様々な事柄をできるだけ話すようにした。受講学生からは、いろいろな反応があった。いくつか、印象的なものをあげてみる。
 (1)「テキストの数行について1時間語っていたのが印象深い」。
 これは、「青森県の形成」についての授業の時である。本を書く時は、多くの要素から取捨選択し、流れを構築する。本の目的に直接関係ない事柄は省いた方がすっきりするので、あえて書かない内容もでてくる。特に字数に制限があるときなどはそうである。
 テキストとして指定した本の序文はあえて簡潔に書いていた。しかし、授業の場合は、省いたことについても十分に説明できるので、戊辰戦争のあたりから現在の形に落ち着くまでの歴史的背景について語りだしたら、1時間が終わってしまった。それが受講生にとっては、驚きだったのかもしれない。ただ、こちらも、何の関心も示さない人たちを前にしては、これだけ語れない。彼らが私から話を引き出したようなもので、これは「授業という場」の醍(だい)醐(ご)味(み)みたいなものだろう。
 (2)「青森の歴史には興味が無かったが、聞いてみると話がおもしろい」。
 なぜ興味が無かったか。学ぶ機会が少ないからである。日本史の教科書に青森はほとんど出てこないので、例えば近代を教科書で学ぶ時も、文明開化期の青森はイメージしにくい。実際、青森に限らず、どんな地方にもさまざまなドラマやストーリーがある。ただ知りうる機会が無いから、興味も持てないわけで、その意味では、地域の歴史を系統的に学んで行く機会は、若い世代を対象としてもっと積極的に考えられるべきであろうと思う。
 最後に(3)「地域研究とは、私たちの足元を照らし、多くの可能性を提示してくれるものと思う」。
 この意見を書いた学生は、当初地域研究に限定的イメージを抱いたが、実際には、一つの地域を深く掘り下げて行くことが、世界(すなわち、普遍的な知)につながると感じたという。もっともな考え方と思う。
 同じ講義を聞いても、感じ方、考え方は多様である。その個々の反応はこちらにも参考になるし、若い世代に自分の研究内容やプロセスを伝える機会があるのはうれしい。それが、何かを知る喜びや研究の楽しさを知ることにつながれば、なおさらのこと。いつもこんな気持ちで、授業に臨んでいる。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「日本の未来は?」人口激減社会に直面して

2012/2/19 日曜日

 

 先月末、新聞やテレビニュースなどで一斉に報じられたのが「2048年一億人割れ」、「50年後高齢者4割」などの見出しの下に、我が国の人口は2060年には、現在の1億2600万人から急激に減少して8600万人ほどとなり、その結果、総人口に占める高齢者の割合が4割を超えるというものである。このところの世界に類を見ない急速な高齢化と特殊出生率の低下を知っている者としては、それなりの知識をもってはいたが、いくら推計値ではあるとしても、人口問題に関して我が国随一の権威ある機関である国立社会保障・人口問題研究所の発表でもあり、ある種の愕然とした気持ちになるとともに、今後の将来の我が国はいかにあるべきかを考えさせられた。
 青森県に居住する者として少子化と人口減少はいつも直面してきた課題である。毎年出される人口基本台帳からみられる人口動態では、残念ながら本県はこのところ一貫して減少傾向にあり、平均すれば年1万人近くの人口が減少してきた。特に心配であったのは人口階級別にみれば、生産人口のなかでも10代から30代にかけての人口減少が急速に強まっていたことは気になるところであった。あるいは、私事で恐縮だが勤務の関係上、県内外の高校の先生方とお会いしたり、学生募集でお邪魔をさせていただく機会もあるが、その際にも18歳人口=高校3年生の減少を目の当たりにしてきた。しかし、この様に日常的に直面してきた事実をある意味で客観的に示されたことはやはり衝撃であった。
 こうした急激な人口減少と急速な超高齢社会の到来は何によって齎(もたら)されたのであろうか。実はその要因も以前から指摘されてきたところである。価値観の変化、晩婚化、非婚・未婚の増加などが主要なもので、要は女性が一生に産む子供の数が極端に減少したからである。ところがである、こうした要因がはっきりしているのにも拘わらず有効な対策を講じたという話を聞いたことがない。挙句の果ては価値観の問題だからどうしようもないという投げ遣りな言葉すら聞こえる有様である。
 私はかねがねこうしたことに大いに疑問を持ち続けてきた。晩婚化や非婚・未婚は価値観の変化によってのみ齎されたものなのか。その根本的な問題を把握し軸足を置いた対策こそが必要なのではないか。私が根本的問題と思うのは経済・生活と社会制度である。年収200万円以下のワーキング・プアが4割にも達しようとしている時、若者は果たして恋愛や結婚、さらに出産、育児など、将来への希望を持てる状況なのだろうか。あるいは子供を産み育てる環境についても抜本的な改善が必要である。こうした社会不安を除去し条件を整備しない限り少子化と人口減を食い止めることは容易ではなかろう。 (青森大学学長 末永洋一)

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「弘前発スポーツ医学」医学と体育の垣根を取りたい

2012/2/12 日曜日

 

 1990年、大分県でバドミントン全日本女子チームの調査をして驚いた。9名の選手のうち貧血の者が3名いたのだ。通常のランニングでも貧血の選手は次第に遅れをとってくる。旅館に泊まり普通の食事、夜間空腹でカップラーメンやお菓子を食べていた。
 1992年、県の体協から中学相撲の選抜チームの調査を依頼された。中学3年生の高見盛、武州山がいた。驚いた。大人顔負けの高コレステロール者が2名(12名中)もいたのである。
 同年、日本高野連から夏の甲子園大会の審判員の調査を依頼された。その夏の地方予選で数名の審判員が熱中症で倒れ、死亡者も出ていたのだ。
 松井秀喜が出場した夏であった。審判の試合前後の体重をみると平均で2キロ減少していた。それまで、審判員は7回に飲水タイムがあった。しかし、試合中「尿意」に襲われることが怖くほとんど実行されていなかった。体重減少分のほとんどは水(汗)である。「少々飲んでも、膀胱までは届きません。むしろ脱水症状や熱中症が怖い」と報告し試合中の飲水を勧めた。高野連は今では全国の審判員に7回終了時と延長時の飲水を義務づけている。
 2005年、学会で訪れた新潟市に東洋大学陸上競技部の川島伸次監督(シドニーオリンピックマラソン代表)が現れ選手のサポートを依頼された。2年間サポートしたが結果が出なかった。やめますかと提案したらもう一年と懇願された。やるからには最善を尽くすということで梅田孝准教授が毎月のように埼玉県川越市の合宿所に出かけ採血、体脂肪量の測定、食事調査、心理テストを行い、その結果をもとにした健康管理策、コンディショニング策を選手に説明、個別指導した。最終年に箱根駅伝で優勝した。2007年、湘南ベルマーレはJ2に低迷していた。中田英寿がいた最強時代は遠い昔になっていた。最初のころは、練習開始30分前に朝パンをほおばりながらグランド脇のクラブハウスに来る選手もいたりして落胆した。それでもサポート3年目にはJ1復帰を果した。
 たまたまだとも言われる。確かに調査・測定している項目も特殊なものはない。しかし、筆者は当方の成果は大きいと考えている。というのは、選手や指導者と頻繁に接し、調査(状況把握)を行い、その結果から対策をねり個別に説明、指導する。この三者(選手、指導者、我々)の気持ちがひとつになった時に、不思議にもいい結果が生まれるからだ。三者間の人間としての信頼関係こそが大切だと思う。
 その後、スポーツ医学の研究を志し弘前大学の大学院の門をたたくアスリートが増え始めた。全国の大学では医学部と体育学部の連携が弱く、アスリートがスポーツ医学を研究しにくい現状がある。我々の垣根は低いらしい。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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