コロナ禍が再び深刻になる中、青森県では公共施設の多くが一時休業となった。県立図書館や弘前市立図書館も例外ではない。こうしたコラムを書く際に、公立図書館が持つ膨大な蔵書や過去の新聞記事などは事実確認のよりどころであることから、私は再開を心待ちにしている。
多くの市民にとって図書館は、読みたい本の借り受けや自習のための施設と認識されていることだろう。本はほとんど読まないし、インターネットで何でも調べられる時代に、図書館は本当に必要なのかという声さえあろう。さらに、中小自治体における政策的な位置付けは、施設建設の際には一時的に高まるが、運営に対する意欲や予算配分は総じて高くはない。
ネットが社会に浸透する中で、図書館はより本質的な役割において、その重要性がますます高まるものと私は考えている。現実には館内で利用者向けのWi―Fi環境さえ提供しない施設もあるが、それは現時点ではささいな問題である。
このところ「ポスト真実」という言葉を聞くことがある。新語辞典を引くと「世論形成の過程において客観的事実よりも人の感情に強く訴える情報のほうが強い影響力を発揮する現象を指す」とある。知人がSNSに書き込んだ偽の情報をそっくりうのみにしたり、ネット検索で上位にきたものを安易に信じ込んでしまったり、といえば分かりやすいだろう。フェイクニュースも執拗(しつよう)に繰り返せば、本当らしく見えてくる。ネット上の言説にはこうしたものがあふれている。またテレビでは、「識者」なるくくりの有名人が歯切れよく弁舌巧みにまくし立てている場面に出くわす。中には事実に基づかない解説をたれ流し、後付けにおざなりな訂正でごまかす事態までも散見される。さらにこれらがネット上で「炎上」し増幅されることも日常茶飯事である。
こうしたことに対し、一市民の立場で客観的な事実を追い求めようとする際に、行き着く先はおそらく図書館だ。書籍や新聞記事、さらには法律や条例などに照らし、調べる方法を手ほどきしてくれる最も身近な場所こそが公共図書館なのである。さらに地方の公共図書館は、地域で編まれた刊行物を後世へと引き継ぐための唯一の保管場所でもある。
市民の知る権利や言論の自由を保障するためのとりで、こう表現されることもある図書館だが、予算や運営体制などさまざまな制約の中、理想と現実はなかなか折り合わないことが多い。私自身がかつて図書館で働いた経験からもよく分かる。当たり前の仕事に光が当たり、外部に良き理解者があってこそ、中で働く人たちは、立ちはだかる現実を前に理想を切り開いていけると思う。ネット社会の図書館にぜひ注目を!
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)