日曜随想

 

「スリランカとテロ」新たな融和と発展を祈念

2019/5/19 日曜日

 

 今年2月2日のこの欄で、「ツクツクとスマホ」と題し、スリランカ旅行の印象を、経済発展とその矛盾を中心に書かせて頂いた。そのスリランカで、イスラム教徒による自爆テロが起こり、日本人を含む多くの死傷者が出たというニュースに接した時、私には驚き以外の何物でもなかった。同国のイスラム教徒は全人口(約2千万人)の1割にも満たず、コロンボやゴールなどの都市部を中心に商業者などとして全土に散居しており、全人口の70%強を占めるシンハラ民族と「共生」していると思われたからだまたこうしたテロ事件が起こったのは、アジア社会においては、イスラム教徒が多数を占める国々、例えばバングラデシュやインドネシアであったという事実もある。
 スリランカでも宗教を異にする民族間の対立や衝突は幾度かあったが、仏教徒のシンハラ民族とヒンズー教徒のタミル民族の「民族紛争」を例外として、いずれも小規模なものであった。シンハラ民族とタミル民族間の「民族紛争」は、シンハラ民族中心の体制づくりに対し、タミル民族の青年層が反発し、武力闘争へと発展したもので、2009年には軍事力で圧倒する政府軍(シンハラ民族)の完全な勝利で内戦は終結した。民族的対立が完全に解消したわけではないが、以来20年余、国内の安定を背景に外資の導入を図り、経済格差や外資による支配などはあるものの、比較的順調な経済発展を遂げてきていた。そうした中、同国のイスラム教徒が過激化し、他民族、他宗教、さらに外国人へ無差別テロを実行したことに戦慄(せんりつ)と憤りを禁じ得なかった。
 テロ事件の全貌は未だ明らかではないが、イラク、シリアの混乱の中で一時は広大な領域を支配下に置いたイスラム過激派テロ集団であるIS(イスラミック・ステート)の影響があるとされる。周知のようにIS自体は組織的にはほぼ壊滅させられたが、多くの専門家は、その残党が世界各地に拡散し、テロを引き起こす可能性を指摘していた。それが現実になってしまったのであるが、IS残党がテロを引き起こす可能性が高いとされたのは、多くのIS戦闘員を出してしまった欧州やインドネシアなどであり、スリランカで史上稀(まれ)にみる自爆テロが起こされるとは思われなかった。
 テロ事件の結果、同国のイスラム社会は徹底した監視対象となり、民族間や社会の分断が進むことが懸念される。さらに、同国の基幹産業でもある観光業も大きな打撃を蒙(こうむ)り、経済的発展にも影響するだろう。しかし、テロの目的が民族・宗教間の分断と対立を煽(あお)り、社会的混乱を引き起こすことにあるならば、そうした妄動に操られてならないのは当然だ。同国がこの事件を乗り越え、新たな民族的・社会融和を図り、さらなる経済的社会的発展を遂げることを期待したい。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「デジタルアーカイブ」街の姿を未来に残す

2019/5/12 日曜日

 

 5月3日、弘前では観桜会記念日だった。私の盟友・弘前路地裏探偵団が観桜会のパレードに参加するので、近年これに合わせて訪弘し、撮影したり花見を楽しむのが恒例になっている。大正時代に観桜会開催のきっかけをつくった「呑気倶楽部」という当時の若者集団に敬慕の念を抱き、奇抜な衣装に身を包んで沿道の人々を楽しませた。この扮装(ふんそう)は映画フィルムに収められた当時の観桜会の様子にヒントを得たもの。映像記録が今に残っていたことで、こうしたパレードが実現した。まさか100年後にこうした展開になるとは、当時の進歩派の若者たちも想像しなかったことだろう。
 街の記録といえば、私は15年ほど前に函館で、図書館に所蔵される幕末期から昭和初期までの古写真と絵はがきを撮影や取り込みによってデジタル化する作業に携わっていた。これらは貴重な資料ゆえに公開の機会さえなかったものだが、デジタル化することで調査研究に役立つことはもちろん、誰でも容易に見ることが可能になり、活用の幅がぐんと広がった。「デジタルアーカイブ」(デジタルデータの保管庫という意味)と呼ばれるもので、当時は先駆的な事業だったが、いまでは各地で盛んに行われている。
 いまでこそ映像や写真は最初からデジタルになり、記録のためのコストが大幅に下がったことで、あらゆるものが撮られ、検索も可能になり、アーカイブ(保管)が容易になった。こうしたものが将来、平成以降の街の営みの記録として残っていくことは間違いない。しかし、一般の家庭にカメラなどが普及した昭和30年代から平成初期まで、街は盛んに撮られたが、写真は家庭でアルバムに死蔵され、映像は8ミリフィルムやビデオテープなどで廃棄されてしまうことも多く、近いうちにこれらの多くが失われてしまう危惧がある。さらには新聞や出版業界の低迷、自治体業務の再編や外部化により、誰もが頼りにしているところにさえも残らなくなりつつある状況だ。
 デジタルアーカイブは、将来の世代に記録を残すという意味で学術的にも重要なものであるが、あまり大げさに考えると気力や資金が続かず、目的さえもいつしか見失ってしまうことがあるようだ。ならば、これをもっと気楽に考えてみるとよい。いつぞやの街の姿を写し出す写真があれば、それを酒の肴(さかな)に一晩中いろんな話題に花を咲かせることができるもの。私がかつて携わったデジタルアーカイブは、今ではそんなふうにも使われている。昭和の頃の記録は、至近にある楽しみに向かって、皆で少しずつ手間を持ち寄りながらアーカイブに取り組むのがよいのではなかろうか。
 呑気倶楽部のように楽しむことが、街の姿を未来に残す近道に違いない。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「日本アニメ百年(14)」テレビアニメの台頭(7)

2019/5/5 日曜日

 

 先日、一部で話題になっていた少し古いアニメがあります。最近視聴された芸能人の方がとても感動したそうで、このアニメの感想をSNS上に上げました。日本では一部しかご存じない方が多いでしょうが、世界的にはファンが多いと言われています。2007年秋から放送されていた「CLANNAD」というTVアニメです。内容は高校生の恋愛青春物語で、原作はゲームですがゲーム自体もヒットしていたようです。このアニメを制作したスタジオが「京都アニメーション」といいます。その名の通り京都府宇治市に本社があります。このスタジオも成り立ちは虫プロダクションからです。虫プロダクションで「仕上げ」と言う、セル画の輪郭線の内側を単色で塗りつぶす作業経験があった八田さんという方が、その後独立して他のスタジオの仕上げ作業をしていたのです。後に結婚を機に京都へ移り住み、仕上げ作業専門の「京都アニメスタジオ」を立ち上げます。そして1985年に有限会社「京都アニメーション」となり、86年に作画部門を、90年代から総合的な作業が行えるアニメ制作会社となっていきます。そして、サンライズ、タツノコプロ、GONZOなどの著名なアニメスタジオの下請け作業を受注して、それらを制作しながら実力をつけました。
 2000年代以降は、前述した「CLANNAD」や続編の「CLANNAD~AFTER STORY~」「Kanon」「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」「氷菓」「境界の彼方」など名だたる青春アニメを制作してきました。青春学園物や青春恋愛物が多いようです。「CLANNAD」やその続編は劇場版も制作されましたが、そちらは東映アニメーションが担当していました。TV版のアニメと劇場版のアニメは当然比較されてしまいます。京都アニメーションは丁寧な仕事で大変評判が良いようです。アニメ制作の元請け会社では、実際の制作担当する京都アニメーションのスケジュールが優先されることもあったようです。業界の中でも仕事の丁寧さが際立っていたのでしょう。また、関連商品開発にも力を入れているようです。商品開発部や直販ショップなども併設しています。
 ここまでTVアニメ制作が主な仕事でしたが、09年から劇場版アニメの制作も手がけるようになりました。15年劇場版の「境界の彼方 過去編」を3月に、同じく「未来編」を4月に連続上映し好評でした。16年「響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~」、17年「響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~」、19年「響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」と3本連続で制作しています。目が離せないスタジオです。
(弘前大学教育学部教授 石川善朗)

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「気ままな旅」花巻・高村記念館へ行く

2019/4/28 日曜日

 

 3月下旬、新青森駅7時43分発はやぶさ10号で盛岡へ向かう。目的地は花巻市太田にある高村光太郎記念館・高村山荘。列車は1時間で盛岡駅に到着した。
 駅内のカフェで朝食をとり、トヨタレンタカー盛岡駅南口店で小型乗用車・ヴィッツを借りる。カーナビに行く先をセットし、盛岡南インターから東北自動車道へ入る。約30分車を走らせ、花巻南インターでおりる。記念館まで11キロ。
 県道12号(花巻大曲線)を右折して、道なりに10分程行くと県道37号(花巻平泉線)と交差する。前方に「花巻南温泉峡」のアーチ看板を確認し、交差点を左折してすぐ高村橋(豊沢川)にかかる。ここから5分くらいで記念館に着く。
 高村光太郎記念館・高村山荘は2015年4月28日にリニューアルオープンしている。森の中にある、白く瀟洒(しょうしゃ)な記念館はこぢんまりとして温もりに満ちていた。切妻(きりづま)屋根(漆黒(しっこく)と銀色)の建物が左右に2棟(母屋(おもや)と離れ、あるいは夫婦のように)並び渡り廊下で繋(つな)がっている。母屋は入り口(受付)・展示室1・詩朗読コーナー・休憩コーナー・土産品(色紙、書籍、絵葉書)コーナー等で、離れは展示室2・企画展示室で構成されている。
 特に展示室1では代表作の彫刻や詩が紹介されていた。たとえば十和田湖畔に建つ裸婦像「乙女の像」の中型試作(妻・智恵子がモチーフ)父・高村光雲の還暦記念として制作された胸像試作「光雲の首」(欧米留学後初の彫刻作品)近代的感覚を表現した、天を真っ直ぐ貫くような人差し指「手」のレプリカ(実際に触れて体感できる)をはじめ「道程」「レモン哀歌」などの詩作品も鑑賞できる。また展示室2は、「東京からみちのく花巻へ」「地上のメトロポオルを求めて」「書について」「賢治を生みき、我をまねきき」のテーマで、高村光太郎の人物像が多面的に理解できるように演出されていた。 そもそも彫刻家、詩人として知られた高村光太郎の記念館が花巻市太田(旧太田村山口)にあるのは、戦火で東京のアトリエを失い、花巻へ疎開してきたことによる。7年間、太田村山口で山居生活を送りながら多くの詩や書を残した。特に書には一家言をもち「正直親切」「大地麗(うるわし)」といった名作を学校などに寄贈する一方、トレードマークの彫刻については封印していた。それは戦時中の己の翼賛活動を恥じ入る、自分への罰であった。
 光太郎は村人との交流により、この地に文化の花を咲かせ、国際的な連携拠点となるようなメトロポオル(中心地)の建設を夢見た。すべては花巻へくる奇縁になった宮沢賢治との出会いにある。光太郎は賢治を認め、世に知らしめた。「宮沢賢治全集」の題字を手がけたり「雨ニモ負ケズ」の詩碑を揮毫(きごう)したり。彼の短歌が物語る。「みちのくの花巻町に人ありて賢治をうみき われをまねきき」
(東北女子大学家政学部教授 船水周)

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「我慢弱さの勧め(1)」食欲と理性

2019/4/21 日曜日

 

 仕事柄、国民健康・栄養調査に目を通すことがある。厚生労働省の調査なので、サンプル数や測定の精度、実施時期等多々疑問は残るが、何せ政府の実施する全国調査である。
 平成も終わろうとするこの時期に、平成26(2014)年のデータで恐縮ですが、ご容赦を。
 この年は重点項目として世帯の所得を取り上げていた。
 年間所得200万円未満784世帯、200万円以上~600万円未満1765世帯、600万円以上717世帯について、所得と生活習慣を調べた結果、男女とも高所得者層は、食生活について、穀類の摂取が少なく、野菜、肉類の摂取が多い。運動では、1日の歩数が多い。たばこを吸っている者の割合が少ない。健診は未受診者の割合が低い。体型は肥満者の割合が少ない。歯の本数について、20歯未満の割合は低いというものであった。
 単純に言えば、低所得者は炭水化物を摂って運動もせず、肥満体でいる。ということであろう。これまでの保健指導は、50年くらい炭水化物、塩分を控えて野菜を多く、こればかりであった。そもそも保健指導の受講者は普段から健康に関心を示し実践している人たちである。昨年、第一生命が実施した健康部門サラリーマン川柳ベスト3は「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」「カロリーの 低いメニューを おかわりし」「ドクターが ダメというもの 全部好き」であった。
 我が国では調理に関わる職業人が約180万人いて、彼らは世界中から食材を集めて、斬新な技術でお腹の空いていない人たちでも食べたくなるようなものを提供しています。
 食欲は理性では抑えられません。食べたいものをお腹いっぱい食べられる時代は今だけかもしれません。マグロ解体ショーに集まる客の様子は、命を頂くなんて意識はどこへやら…。食育という言葉は、食べ物をセレクトできることが前提で、食を摂ることはエネルギー補給から出発します。我慢弱くなりましょう。
 蓄えた分は、運動で消費しましょう。どうすれば過剰なエネルギーを消費できるでしょう。低所得者はジムへ行く車も、ジムの会費も、運動するためのウェアの調達も難しいかもしれません。さらに、雪国の冬はアウトドアでの活動も制限されます。
 荷物を持って階段の上がり降りが一番有効的です。筋肉が増えるので、食事誘発性熱産生が高くなり、ロコモティブシンドロームも解消されます。ただ、老人は転倒転落の危険があります。
 居間のソファーを無くして、テレビの位置を高くし、立ったままで生活するのはいかがでしょうか。これくらいなら、無精者の私でも続けられそうな気がします。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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