日曜随想

 

「イングの贈り物」明治8年のクリスマス

2012/12/9 日曜日

 

 リンゴは本県の基幹産業の一つで、その中心は津軽地方である。以前、仙台から高速バスに乗り、弘前駅近くになると、必ず次のようなアナウンスが流れた。「リンゴは明治8年、外国人宣教師がアメリカから3本の苗木を持ってきて津軽地方に広がりました」。
 私の研究対象の一つは、この苗木を持ってきたとされるアメリカ人宣教師ジョン・イングなので、このアナウンスは興味深く聞いた。また、子どもの頃に印度リンゴというのがあり、当時のリンゴとしては甘かったのでよく食べたが「印度リンゴ」という名前も、イングがインディアナ州出身であることから、付けられたとの説もある。
 本当にイングがリンゴを伝えたか、となると、よくわからない。イングはアメリカから宣教のために中国に渡り、4年間を過ごした後に日本に来ているので、アメリカから苗木を持ってきた、というのは、少々ムリがある。
 イング夫人が手紙の中で、リンゴについて一言書いているが、それは、当時津軽にあった小さな和リンゴのことで、今我々が食べているリンゴとは別物だったらしい。またイングが父に宛てた手紙の中で、父が作ったリンゴを食べたいと書いているので、彼はリンゴを好きだったのかもしれない。今資料からわかるのは、この程度である。
 資料的裏付けが難しいものの、口承的な説として、明治8年のクリスマスにイングが出席者にリンゴを配り、皆、その美味しさに驚いたという話がある。この時のリンゴの種から津軽地方にリンゴが広まったとする説である。たとえば、藤崎町でリンゴ栽培に成功し、株式組織「敬業社」の一人だった佐藤勝三郎は、イングからリンゴをもらい、その種を植えたと話していたという。実際に佐藤とイングに交流があったかどうか、これも資料的には不明だが、佐藤はリンゴ栽培に取り組む前に藍で一財産を築いた人物であり、またイングが津軽地方で藍栽培に取り組んだりしているので、何らかの接点があったとみてよいだろう。
 いずれにしても、一地方の主要産業のルーツが外国人宣教師と結びつくのは、これまで調べた限り、津軽地方くらいである。こうした伝承が存在すること自体が大切であり、津軽を象徴しているように思う。当時の東奥義塾が、ただの学校という枠をこえて地域社会の地の拠点になっており、そこで教えた外国人教師も地域との関わりでさまざまな影響力を持ったことを示しているからである。現代でいうところの、大学と社会連携の先駆けみたいなものかもしれない。イングは政治も含めて、将来を模索する近代黎明期の津軽に大きな影響力を持ったのである。
 以上の内容は、12日に「明治8年のクリスマス」(観光館1F)としてお話する予定である。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「リングはアメリカ」ノウハウよりノウフー

2012/12/2 日曜日

 

 日本航空搭乗口タラップで金髪のバニーガールの肩に手をかけ、満面の笑顔で凱旋を喜び、手を振る男性を新聞に見たのは私が大学2年の秋だった。その人の名は北米を中心に鉄板焼きレストラン「ベニハナ・オブ・トーキョー」(以下ベニハナ)の経営でアメリカンドリームを体現したロッキー青木(本名青木広彰)氏。「ベニハナ」を1964年にマンハッタンに創業。実業界で大成功を収め、アメリカで最も有名な日本人と言われ、そしてまた、ギネスブックにも載る世界的冒険家である。
 ロッキーのように大きくなりたい、そう思った私は新聞を見た後何度も滞在先のホテルに向かった。当然、門前払いだった。しかし私の思いは負けない。手紙をしたため再再度ホテルを訪問。そして米国帰国のためのチェックアウト直前に、米国行への熱い思いをぶち明けることができた。その場は大学卒業後の再会を約束して別れたが、思いは募り、大学4年の夏休み、私はマンハッタン高層ビル上階にあった「ベニハナ」本社を訪ねた。
 「ベニハナ」は客の目の前、鉄板の上で目にも止まらぬ早さで肉や野菜を切り、隣のシェフとコショーを投げ合ったりするパフォーマンスが人気を呼び急成長した。そして全米で70店舗の大チェーンへと飛躍した。この話はハーバード大学のケーススタディの一例としても取り上げられている。
 実業家としての成功を手にした後、ロッキーは75年にはバックギャモンの全米チャンピオンに、また80年にはパワーボート世界大会で2位になり、更に82年には気球での太平洋横断を行うなど、多方面で活躍した。2008年7月、ロッキーは心不全のためニューヨークで他界された。
 さて、マンハッタンにあるロッキーのオフィスを訪ねた時の話である。社長室にプロモーターと名のる日焼けした2人の日本人が訪れてきた。面談の要件はなんと、アントニオ猪木とモハメドアリによる異種格闘技の打ち合わせであった。その2人は、記者会見開催のためのスポンサー探しのためやってきたのだ。ロッキーから2人への質問はいたってシンプルだった。
 「いつ、どこで、何人集まるのか」そして最後に「いくら必要だ」。商談は5分で終了。世紀のスーパーファイトのゴングが鳴った。
 ロッキーは「ビジネスも冒険も成功の秘訣は、夢を持ち手段を考え抜き、命懸けでやることだ」という。そして「ベニハナ」の成功の要因は何かと聞くと「ノウハウ」(Know-how)より「ノウフー」(Know-who)だと答えた。アメリカンドリームを体現し成し遂げた男、ロッキーの夢をその後多くの若者が追い求めていった。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「地震予知は可能か?」予知よりも防災・減災を

2012/11/25 日曜日

 

 先日、世界中の地震学者、とりわけ我が国で「地震予知」に取り組んでいる研究者の「首筋をぞっとさせる」ことが起こった。イタリアで、地震予知研究者7名が、頻繁に群小地震が起こっていたにもかかわらず、大地震は起こらないとしたため、300人以上の死者を出したとして、禁錮6年の判決を受けたことである。判決については、学会などから驚きと批判が相次いで出されたのは当然であろう。「科学者が政府に進言しにくくなる」「地震学に携わる人材がなくなる」「科学者が間違った予知で罰せられれば、科学的探究は確実なことに限られ、得られる恩恵も限られる」などである。要は、確実な地震予知は無理で、こんなことで科学者が罰せられるとたまったものではないということだろう。
 私も裁判自体が起こせるのかという疑問と有罪判決にびっくりした。と同時にかつてテレビでみた「大王世宗」という韓国の歴史ドラマを思い出した。朝鮮国王は領土と民衆を支配するのみならず時間と天空をも支配する者とされ、天変地異が続発する時は、国王は自然現象を予言して国と民衆を救わなければならない。これを判断し国王に奏上するのは天文学専門の官吏である。その判断に過ちがあれば、国王の威信は丸潰れで、その場合官吏は罰せられることとなるのだ。物語は15世紀のことであり「さもありなん」だが、21世紀でも同様なことが起こるのかと失笑を禁じ得なかった。しかし、それ以上に深刻に考えたのは、我が国の地震予知研究と体制のことである。
 私は素人ではあるが、地震予知には否定的な見解をもっている。理由は阪神淡路や東日本のような大震災を全く予知できなかったこと、緊急地震情報も当てにはならないことなどである。
 以前から一部の地震学者、例えば、東京大学のR・ゲラー教授などは「予知は不可能」と断言、「予知は可能」として巨額の研究費をもらっている学者を批判していた。こうした中、先月函館市で開催された「日本地震学会」では激しいやり取りがあったが総じて「反省大会」の有様だったという。
 厳しい言い方をすれば、これまで3千億円使われてきた結果がこれである。先日、石川県のある小学校で、津波避難路を、保護者や教師が協力して建設したことが取り上げられ、これこそがこれからのモデルだと紹介されたが、本来、人命を守る避難路の建設は行政の責任で行われるべきものだ。厳しい言い方だが、巨額な費用を予知に使うくらいなら、その極々少額を避難路建設に回せないのか。地震や津波がやがては襲来することを前提として、災害を防止の方策と手段=防災と、被害を少なくするための対策=減災を、今こそ真剣に考えるべきであろう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「りんごの話」思い出のアラカルト

2012/11/18 日曜日

 

 ベタな話題であるがりんごである。長崎県に生まれ育った筆者は、弘前に来るまで、りんごの木というもの、そしてそこにぶら下がっているりんごを見たことがなかった。一度だけ、お歳暮で信州産の国光を木箱でもらい、家族で示し合わせてゆっくりゆっくり食べた記憶がある。もみ殻の中に埋もれたりんごは非常に美味であった。
 弘前大学に入学した年、高校の同級生が遊びに来たので、板柳のりんご畑に出かけた。たわわに実った収穫まぢかのりんごは、夕日に照らされ朱色に輝いていた。「りんごが木になっとる!」友の正直な一声に大笑いした。後で聞いた話だが、世の中には、りんごがつるにぶら下がっていると信じている人も少なからずいるらしい。
 風邪で寝込んだ子供時代、インドりんごを食べさせてもらい、そのとろける甘さに驚いた。名前からインド原産かと思いきや、その故郷はアメリカのインディアナ州らしい。
 テレビの探偵ナイトスクープで、私と同じ経験者から依頼があった。幼少期、病気の時の栄養補給にとおばあちゃんが食べさせてくれたインドりんごが懐かしく、今も食べたいが店頭では見当たらない、と。探偵は弘前市役所を皮切りに津軽一円を探しついに保存用のインドりんごの木にたどり着く。そのインドりんごの子供が王林である。インドりんごと同じで、長持ちはしないが九州方面にはすこぶる受けが良い。素人受けする甘さとでも言えばいいのか。よって、長持ちする「ふじ」と半々で我が家のお歳暮となっている。平成3年のりんご台風(台風19号)には驚いた。風がやんで付近を歩くと絨毯(じゅうたん)を敷きつめたようにほぼすべてのりんごが落ちていた。もう少しで収穫。すでに色付いていた。その年のお歳暮は、りんごではなく鮭になった。
 今をときめくりんご自然栽培の木村秋則さんと初めて会ったのが20年ほど前である。やっと自然栽培のりんごができた。小さいが、固くて水に沈んで(浮かないで)、虫がつかないと大いに自慢しておられた。科学的にこのりんごの長所を証明してくれないかと。力の及ぶところではなくお断りした。その時、「先日、毒キノコを食べてしまい下痢をして2日間寝込んだ。でも毒キノコはうまい!」と笑い飛ばされたのには驚いた。
 国道339号線。弘前から板柳の警察署を過ぎて50メートル先を左折すると、土手沿いの道が開ける。晴れた日には岩木山がその全貌を現し、しかも近い。右も左も遠くまで続くりんご畑。三橋美智也のヒット曲に「リンゴ村から」があるが、ここに来るとその歌が知らず知らずに口をついてくる。息をのむ津軽の絶景には、りんごと岩木山がいつもある。
(弘前大学大学院教授 中路重之)

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父親を楽しむ 「次の世代」を思う時間感覚

2012/11/11 日曜日

 

 「ファザーリング・ジャパン」の安藤哲也さんのトークイベントに行った。大学の総合文化祭にちなんで開催されたものだ。黒の革ジャケットに長めの髪をなびかせた安藤さんは、ミュージシャンかと見まがう容姿に軽妙な語り口で、しかし熱いメッセージを込めて「笑ってる父親を増やす」活動について語った。
 ファザーリング・ジャパンは、育児をする父親(いわゆるイクメン)支援の事業を展開しているNPOである。設立は2006年だが、現在では東京本部のほかに、東海、関西、中国、九州に各支部ができ、学生組織もつくられるほど活動が広がっているという。特に、若い世代の男性たちが、仕事も育児も両立しながら人生を楽しもうという意識を強く持っているようだ。
 会員それぞれのニーズや動きに合わせて楽しみながら活動を拡(ひろ)げているようで、講演会やセミナー、父親学校やパパたちのネットワークづくりに加え「タイガーマスク基金」だの、「ペンギンパパ」だの、「イクジイ」だの、見る者の好奇心をそそるような名前の幅広い取り組みが並んでいる。
 トークイベントで紹介された一つの例は「学生ホームステイ」だった。学生たちがイクメン家庭を訪問して、子育て生活を楽しむというアイデアの面白さと同時に、ホストファミリーに就活相談もできるという一石二鳥を謳(うた)っているところに遊び心を感じる。
 人間の育児行動が遺伝的に組み込まれたものではなく、学習によって獲得されることは、研究者の間では広く知られている。それは、子どもを産めば自然に育児ができるわけではないという意味で、人間を不自由にした。しかし逆に、親以外の大人たちが育児や子どもの養育に関わることを可能にしたという意味で、多くの人びとの関わりを生み、人間の社会を豊かにしてきたのだともいえる。
 身近な大人の子育てを見聞きしたり、年下の子どもの世話を任されたりする機会が圧倒的に少ない今の日本で、若いうちにその経験と楽しみ方に接することは、人生の総合力を獲得するという意味でも重要だろう。
 安藤さんの話で印象的だったのは、社会や生活を語るときの時間感覚である。何十年後かに大人になる子どもたちにどんな世界を手渡したいか、そのために、いま何をすればいいのかを考えるのだという姿勢がはっきり現れているように見えたからだ。私たち大人が、自分はそこにいないかもしれない遠い未来を見るのは、いま育ちゆく子どもたちの姿を通してなのだと思う。
 誰もが結婚して自分の子どもを持たなければならないとは思わない。ただ、次の世代を思う長い時間感覚をもって、社会のありようを見通す余裕を忘れずにいたいと考えるのである。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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