日曜随想

 

「健康法、医療の変化」社会の言葉と不安

2013/1/27 日曜日

 

 このあいだの年末年始はひどい風邪をひいて寝込んでいたために、ご馳走(ちそう)をあまり食べられず、新しい年を迎えたのだという実感がいつもより薄い。残念なことだ。
 うらやましいことに、世の中にはほとんど風邪をひかず、以前にいつひいたのか思い出せないという人もいる。私自身は、寝込むのは久しぶりだったが、軽い風邪は年に何回かひいてしまう。そんな時によくとる行動はショウガ、ニンニクなどを食べる、ビタミンCをとる、お風呂でよく温まる、たくさん睡眠をとるといったことである。もちろんひどい場合にはかぜ薬や病院で処方された薬を飲む。
 数年前に社会調査に関する授業で、昔の健康法について高齢者に聞き取り調査を行ったことがある。学生たちが手間をかけて持ち帰ってきた調査結果は、私や学生たちにとって興味深いものであった。
 風邪をひいた時には、ねぎを首に巻く、しょうが湯を飲む、おなかを下した時にはドクダミやゲンノショウコなどの薬草を煮詰めて飲む、つぶした梅干しにしょうがなどを入れた白湯(さゆ)を飲む、片栗(かたくり)粉をお湯で溶かして食べるなど。富山の薬売りの置き薬を飲むという回答も多かった。またお風呂は、銭湯や五右衛門風呂に多い人で3、4日に1回、平均的には1週間に1回程度であった(現在の私たちに耐えられるだろうか?)。聞き取り調査に協力していただいたのは70、80歳代の方々だったので、おおよそ60、70年前のことだろう。
 このような健康法は、若い学生たちにとってはもちろんのこと、アラフォーの私にとってもなじみが薄い。つまり私たちの社会では戦後の何十年かの間に、病気をした時の対処法、日々の健康法などといった、身体の管理法に大きな変化があったのであろう。
 テレビ、新聞、雑誌等ではたくさんの健康法や健康食品に関する情報を目にする。また薬局にいくと色とりどりの薬やサプリメントなどを目にする。このような状況を指して、人々は健康ブームに踊らされているとする見方もあるが、より根本的には、人間は自らの身体を試すこと、身体について知ることがとても好きなのだろうと思う。
 だが他方で、多くの健康情報や最先端の医学的知見を意味あるものとして理解できるだけの言葉を、私たちの社会は持ちえているだろうかとも思う。さまざまな日常的な健康法について、あるいは脳死、臓器移植、出生前診断などといった先端医療について私たちが言葉を持ちえないとき、つまりそれらがどういうものであるかということをある程度の納得感をもって理解できないとき、医療はよそよそしい存在となり、ぼんやりした不安を生み出す源になってしまうように思う。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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授業の一コマから「ジェンダーの授業について」

2013/1/20 日曜日

 

 現在の勤務校では、ジェンダー関連の授業として、女性史を教えている。明治から戦前までの女性史に関する講義の後、数人のグループごとにテーマを選び、研究レポートを作成して発表することにしている。
 授業の中で触れるのは、女性史の内容としては一般的な事柄だが、それに関連して学生たちが関心を持つテーマは、さまざまである。たとえば幼児保育学科の学生は、「明治の子育てについて」、「平塚らいてうと与謝野晶子~母性保護論争のはじまり」のように子育てあるいは教育問題に関心を持つ傾向がある。看護学科の学生は、従軍看護婦や日本赤十字についてなど。また、結婚や装いなど、若い女子学生らしいテーマも出てくる。男子学生も受講しているが、今年度の学生たちは、女性解放運動とリンクして語られるイプセンの「人形の家」に着目した。
 最終発表は、なかなかの力作揃(ぞろ)いである。ここでは、身売りの問題についての発表を少し紹介する。授業内で説明した、マリアルーズ号事件に関連して、当時の身売り問題に関心をもったことが、このテーマを選んだきっかけだったようである。
 周知のように、マリアルーズ号事件とは、1872年にペルー船籍の船から中国人奴隷が逃げ出し、日本政府に保護を求めた事件である。この事件を裁く国際法廷の場に、ペルー側は遊女の年季証文をだし、日本でも人身売買をしていると批判したそのため当時の政府は娼妓(しょうぎ)の一斉解放を命じた。
 学生たちはこの事件を調べるうち、当時の日本では、必ずしも、「身売り=悪」という考え方ばかりではなかったことに注目する。さらにその背景や、身売り防止の運動などから、日本の公娼制度、人権意識の変化、政府による最低限度の生活保障など、さまざまな要素について理解して行く。最終的に、いろいろと調べた結果、明治時代の身売りについてどう感じたかを述べて、レポートは終わっている。
 一般に学生たちはまじめで授業中もメモをとりながら熱心に聴いている。しかし、こうした発表レポート形式を取ると、自分たちが興味を持ったテーマを追いかけることで、一方的に講義を聴くよりは、より積極的にさまざまな事柄を理解していく様子がわかる。
 大学でジェンダー関連の授業を担当するようになって7年が経過した。この間の変化として実感するのは、学生たちが男女の差別をあまり感じないまま育ってきているという事実である。男女共同参画が浸透してきているということかもしれない。それはそれで良いことなのだが、女性への差別とか抑圧があまり感じられない現状で、差別との闘いだった女性史をどう学ぶのか。教える側の見識と努力が問われるように感じている。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「至誠をもって生きる!」フードサービスカレッジ開校

2013/1/13 日曜日

 

 1979年春、私は横浜・東神奈川に住む流通評論家、元ダイエー常務取締役であった土井利雄氏に呼ばれ邸宅を訪れた。
 私の訪宅数分前まで熱い熱弁を交わされていたからか、客室は入るとむんむんとした。客人たちは日本経済新聞社の記者をはじめ大手外食企業の幹部たちであり、今後の外食産業の行く末を分析し、消費者ニーズをどう取り込むのか、土井氏を囲み議論を白熱させていた。このような、まさに江戸末期の吉田松陰塾を彷彿(ほうふつ)させる勉強会は夜を徹して行われることもあり、外食産業黎明(れいめい)期、多くの外食経営者がこの私塾から育っていった。
 土井氏は西武百貨店食品部長を経て、72年ダイエーに入社。外食産業部門の赤字部門の立て直しを行い、翌年黒字を計上した。その後最高責任者として、給食会社、ステーキハウス、ハンバーガーショップなどのチェーン店を手掛けられた。当時は飲食業が外食産業と呼ばれる以前であり、そこで作成された手作りのマニュアルは長きにわたり業界の手本として学ばれてきており、土井氏は外食産業の礎をまさに築かれた一人である。
 79年、ダイエー退社後の講演は年に150回を下らない、著書数百冊。日本経済新聞社主催コーネル大学研修ツアーが15年続き、続いて韓国研修ツアーを昨年まで続けてこられた。81年に紺綬褒章を受けられ、現在は土井研究所社長を務められている。
 さて客人たちが帰ってからの話である。産業といわれるほどの規模になったが、当時レストラン経営をつかさどる人材は少なく、育成する機関は皆無であった。紹介された話は日本短波放送元社長安藤蕃氏の情熱で私費により開設された、経営幹部を育てる専門校「東京フードサービスカレッジ」の専任講師への依頼話であった。予定された講師は食品、流通、経済、情報など業界屈指の多くの専門家、大手外食企業のリーダー、そして有名大学教授陣で構成されたが、専任は私だけである。そこで私からの依頼により看板の教授に土井氏に就任していただいた。
 安藤氏の志は6年後「日本フードサービス協会」に教育研修のプログラムとして引き継がれた。それまでに多くの卒業生を輩出。彼らの多くはそれぞれの外食企業にて中核幹部となり業界発展に寄与している。当時の卒業生による年2回の「土井先生を囲む会」は以後現在にまで続く。松陰の言う「至誠を持って生き抜く」を貫く土井氏。OB会の締めで真剣に小唄を歌われる姿からは桜島の煙に負けない人材育成への熱い思いが感じられ、周囲の人たちの心は揺り動かされる。多忙の中のOB会皆勤参加は、熱い心と強い意思がなければなせる業ではないからだ。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「奨学金制度の在り方」原点に帰って奨学金の給付を

2013/1/6 日曜日

 

 いよいよ受験シーズンの到来である。少子化もあって、大学進学も「高望み」さえしなければ簡単になった。18才人口の減少に反比例するかのように大学が新増設され、入学定員は増加の一途を辿(たど)ってきた。過日、時の文部科学大臣であった田中氏が「大学の質」が問われるとして、三大学の新設を認めないと発言したのは記憶に新しい。法的制度的な問題は大いにあるものの、発言は今後の大学の在り方に一石を投じたものだと理解している。
 ところで大学進学者の多くがお世話になるのが奨学金である。私も大学2年の時に父親が亡くなったため、兄弟3人はいずれも奨学金のお世話になった。奨学金制度がなければ、大学を諦めざるを得なかったと思っている。
 私達の頃は日本育英会から貸与される「特別奨学金」が何よりも有り難かった。これは通常の「一般奨学金」とは違い、貸与された奨学金のうち一定の額は返還しなくていいものだった。
 しかし、今やこの奨学金制度も大いに様変わりした。奨学金貸与を業務としていた日本育英会は、日本学生支援機構に吸収され、奨学金も無利子と有利子の二本立てである。この内、無利子の奨学金の貸与者は少なく、有利子であれば希望すればほぼ貸与されるようだ。私は、公的機関が利息払いを求めることに極めて違和感をもっているが、無利子であれ有利子であれ、貸与された奨学金を返還できない人が増加し、2011年度の滞納者は約33万人、滞納額は876億円に上ったという。これに対し、機構側は差し押さえを含む厳しい回収を始めるとしている。
 借りたものは返すのが当たり前だ。しかし返したくとも返すあてがない人が多いのも確かだ。この不況下では正規雇用がされない若者が多いという事実があり、返済できない人の中にはこうした境遇にある人が多いともされる。こうした状況を知ってか、以前、高校の先生が奨学金の返済負担の重さを考え、貧しい家庭では進学を諦めさせていると言ったのを記憶している。
 奨学金制度は次世代を担う有意な若者を育成するためのものである。諸外国の中には、貸与ではなく給付型の奨学金制度を導入しているものも多く、OECD諸国の奨学金の60%程度は給付型とされる。しかし、今のわが国では給付型はごく一部の奨学金を除けばゼロである。もちろん、支援機構の奨学金には給付型はない。家庭が貧しいが故に進学できない者がいたり、不況で返還できない若者がいることは先進国であるわが国にあるべきことではない。全額貸与でなくてもよい。かつての特別奨学金のような制度を少なくとも導入すべきであろう。そのことが次代を担う若者に学ぶ喜びと希望を与えることになるのだから。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「大震災と閉塞感」何か変わったか

2012/12/30 日曜日

 

 ため息まじりや、悲しそうな表情で下を向きながら「しかたねえなあ」と言うことが、日本人には多々ある。
 「しかたない」を英語で言えば、There was nothing I can do.(できることは何もないんだ→仕方ないんだ)とか、I couldn’t do anything to help.(救うことはできなかったんだ→仕方なかったんだ)とか、I had no choice.(他に選択肢はなかったんだ→仕方なかったんだ)などいくつもあるらしい。
 先の東日本大震災の直後、多くの人が口にした「しかたないなあ」という言葉はこの英語の意味に近いだろう。原発事故以外の話ではあるが…。
 しかし我々日本人がよく使う「しかたないなあ」はだいぶ意味合いが違うような気がする極論すれば英語の「しかたない」は本当にどうしようもないことを表し、日本の「しかたない」は本当は何とかできるんだけれど(何とかしなければならないのだけど)、いろんなしがらみやシステムの欠陥があって前に進めない、だから「くやしくて悲しい」を表しているんではないかそんな気がしてならない。
 免許の書き換えに免許センターに行く。そこで講習を受ける。必ず新しいテキストが渡される。私の場合、それきり二度と読むことはなく、ごみ箱行きとなる。隠れたベストセラーかも。それにしてもなぜいちいち新品なんだろう?しかたない?
 日本車は世界一故障が少ないことで知られている。それなのにほぼ世界一高いお金を車検に費やしているのはなぜだろう?しかたない?
 お上(かみ)からの予算。年度内で使いきらなければならない。3月には大騒ぎで使ったりする。翌年ならもっと有効に使えるのに…。しかたない?
 政治家の先生が、週末にセッセと地元に帰って冠婚葬祭に顔を出し、お酌をして回らなければ当選できないのが今の民主主義なのだろう。勉強する時間を見つけるのが大変だろうな。しかたない?
 それなりの理屈と理由があることにはあるのだろうが…。
 みんながみんな「しかたないなあ」と思うことがたくさんあって、それでも大声で議論することなく我慢している。そのため、ストレスはどんどんたまり、大酒を飲んでしまう。
 情報が一瞬にして広まってしまう現代では、子供の情報量も並大抵ではない。昔とは大違いだ。大人が「しかたない」だけで過ごしていたら、子供に教え導くものは出てこない。子供は大人の生態を鋭く観察しているからだ。今の日本の教育問題の根元がここにあるような気さえする。
 昨年の東日本大震災が何かを変えてくれるような気がしたのは、筆者だけではなかっただろう。1年9カ月たって思う「何が変わったのか…」と。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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