日曜随想

 

「若年者の自殺を防げ」自殺者の増加と自殺対策

2012/6/10 日曜日

 

 わが国は先進諸国の中では自殺者が多いことで有名である。2011年の統計では人口10万人に対し24・4人でこれは世界第8位、先進国ではずば抜けて高い数値とされる。先日、内閣府は自殺対策に関する意識調査結果を発表したが「今までに本気で自殺を考えた経験がある」と答えた人が08年調査から4・3%増加して23・4%とほぼ4人に1人となり、しかも20代は28・4%、女性に限ると33・6%と極めて高い割合であった。また、警察庁が8日、11年に就職に失敗して自殺した10代、20代の若者が4年前に比べて2・5倍の150人に達したと発表した。
 自殺者が多く、自殺率が高い原因の一つとして指摘されるのは「メンタルヘルス」問題である。しかし、わが国の「メンタルヘルス」の環境や条件が諸外国に比べて劣っているかと言えば決してそうではない。世界的には完備されたシステムと運用実績をもっていると言えるのではないか。では一体、何が人を自殺に追いやるのか。
 WHOは「直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて『日本では自殺が文化の一部になっているようにみえる』」とし、英エコノミスト誌は「日本社会は失敗や破産の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない」が「一生の恥とは思わせずにセカンドチャンスを許すように社会が変われば、自殺は普通のことではなくなるであろう」と指摘している。こうした指摘にもあるように、自殺が多いのは「文化的側面」もあろうが、直接的原因は、失業、倒産、過労などの経済的問題であり、失敗や挫折を許容しない環境の結果とも言えよう。自殺の原因として「うつ病」や「ストレス」などが指摘されるが、人間がこうした状態に陥る原因こそが問題なのである。
 こうした経済的問題を抱えて自殺に追い込まれる場合、これまでは50代や60代の人が多かった。企業や会社が倒産することで、その責任ある立場にいる経営者や失業を余儀なくされた社員がそうであった。しかるに、今回の二つの調査で、こうした経済、雇用の問題が10代、20代の若者の自殺にも顕著にみられることを明らかにした。内閣府も「20代は就職環境が厳しく非正規労働者の割合が高い。将来に希望を持てない状況に置かれている」ことを要因として指摘しているが当然であろう。E・デュケームはその著『自殺論』で「結局、自殺の増加が証明しているものは、現代の文明の発展の光輝ではなく、むしろ、長引けば危険を招きかねないような危機と混乱の状態なのだ」と述べているが、正(せい)鵠(こく)を射た指摘であろう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「脳卒中の話」友人の死

2012/6/3 日曜日

 

 2008年11月下旬、私は大阪の友人Uさんを待っていた。Uさんは大阪の方で、私より7歳年長である。
 約束より30分遅れて現れたUさんはいつも通りの元気な様子であった。「まっすぐここに来ましたか」「いえ、リンゴジュースの工場に寄ってきました」。Uさんは、リンゴジュースの搾りかすを微細なパウダーにしてそれを機能性食品として、クッキーとかパンに入れることを提案していた。いわゆる“リンゴの食物繊維”である。食物繊維の研究をしている私の所にもその縁でしばしば立ち寄っては食物繊維の夢物語を語り合う仲であった。
 向かいに座ったUさんと10分くらい話していたところで、私はUさんの異変に気付いた。頻繁に下を向き、眠そうに眼をこする動作をする。そのうちあくびをし始めたUさんは、私の問いかけに答えなくなってきた。
 「Uさん、いつもと違うよ!どうしたの?」「・・・」Uさんは少しうなずいた。「今朝は何時に起きたの?」、飛行機を使っても大阪から青森は遠い。「2時・・」そう答えるなりUさんはテーブルに突っ伏してしまった。結果的にこの「2時・・」がUさんの最後の言葉となった。「Uさん!Uさん!」私は仰天してUさんにかけ寄り背中をつかんだ。その勢いで体から力をなくしたUさんは床に崩れ落ちてしまった。大きな呼吸をしたかと思うと小さくなり、そのうち一時的に呼吸が止まったりした。急いで仲間を呼んだがその頃には(2分くらいしかたっていない)、少しいびきをかいていた。
 すぐに大学病院の救急部まで搬送した。脳幹出血という診断であった。生命維持にとって一番大切な部分で出血が起きたのだ。Uさんの携帯から親戚の電話番号を探し出し連絡を取った。脳神経外科でお世話になり、意識は回復しなかったもののなんとか安定したので空路大阪の病院に転院となった。奥様と脳外科の先生に付き添っていただいた。1カ月後の話である。
 それから、1年半後の10年5月初旬、奥様の電話でUさんが亡くなったのを知らされた。この間一度も目を覚ますことはなかったと言う。
 聞けば、Uさんは血圧が高く最高血圧が200に及ぶこともあったと言う。奥様の話では、血圧の薬は飲もうとしなかったらしい。
 Uさんとよく健康談議をした。病気の予防や食の大切さによく話題が及んだ。二人は大いに意気投合したが、病院の使い方ではいつも意見が分かれた。いや、分かれたと言うより、専門家の私の意見に耳を傾けてくれなかった。大切な友人であった。強く助言していればよかったと何度も後悔した。
 血圧の大切さを知ってもらうためにご遺族の許しを得てこの記事を書いた。心からご冥福をお祈りしたい。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「ワラビが結ぶ縁」野生植物を食べる食文化

2012/5/27 日曜日

 

 フキノトウに始まり、コゴミ、カタクリ、ワラビ、ウド…木々の緑が濃さを増してくると待ち遠しいのはネマガリタケの筍(たけのこ)である。
 弘前に住むようになってから、春を迎えると、多種多様な山菜が当たり前のように食卓に上ることを知った。東京で育った私にとって、弘前の春から初夏までの時間は、コマ送りされたように足早に過ぎるので、うっかりすると旬を逃してしまう。でも、こまめに山に出かける知人がワラビ採りに誘ってくれたり、採れた山菜を届けてくれたりするおかげで毎年、春から初夏の山の幸を楽しませてもらっている。
 ワラビにはタンザニアでの思い出もある。タンガニイカ湖畔のマハレで野生チンパンジーの研究をしている知人夫婦を訪ねたとき、その地に自生するワラビの生(しょう)姜(が)醤(じょう)油(ゆ)あえを供された。
 地元の人々が休(きゅう)閑(かん)させている伐開地に太くて柔らかいワラビが生えるという。でもマハレの人々にはワラビを食べる習慣がないので「おいしい!」と大喜びする私たちを見て変わった人たちだと思っていたらしい。彼らの中にもワラビを食べてみたという人たちがいたが「ワラビに醤油」がおいしいとは思えない、この食べ方はマハレには輸入禁止だな、と言って笑っていた。
 日本のように名だたる工業国の人間が、野生の植物を採って食べる習慣をもつことも珍しかったようだ。タンザニアの地方都市に住んでいたとき、自宅近くに自生するワラビの太いものを選んで採っていると、近所の女性に「そんな取り方をしたら、すぐまた生えてくるよ」と注意された。雑草取りをしていると思われたらしいのだ。「違う違う、これを採って食べるのよ」と言うと、彼女は目を丸くして「食べる?これを?!」。
 あまり驚いているので、日本ではそれをワラビと呼び、あく抜きをすればおいしい食材であることや、春になるとわざわざ採りに出かけることを説明した。彼女は納得したらしいが、さらに重ねて「日本人は車やラジオを売ってお金をたくさん持っているのに、なぜそんな貧しいものを食べたがるの?」と聞くのだった。
 この一件いらい、私にすっかり気を許したらしい彼女は「この草もあの草も食べられる」と教えてくれるようになり、彼女たちがかなり頻繁に野生の植物を採って食べていることがわかってきた。これがまたおいしいのだ。
 弘前にいるときのように食べたい一心で採ったワラビのおかげで、私は彼女たちが野生植物を食べることを貧しさと結び付けて語り、表面上は隠していることを知った。でもだからこそよそ行きの顔ではわからない地元の味とそれへの愛着に触れることができた。弘前で学んだ食文化がこの縁を結んでくれたのだと思っている。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「人と移動」震災がもたらしたもの

2012/5/20 日曜日

 

 慣れ親しんだ土地は、人にとってどのような存在なのだろうか。すこし前に、千葉県の人口が2011年に減少したとの報道があった。千葉県は人口が増え続けており、人口減少が考えられなかった場所である。県は、震災後の液状化現象や放射線量の高さが影響しているとみているそうである。
 人口の変化は他の地域でも起こっている。インターネットで公開されている住民基本台帳の人口移動データをみると、2011年以降、今までとは異なる人の流れが全国的に生じていることが分かる。これがはっきりしているのは、福島、茨城、千葉の減少で、東京、神奈川は減少こそしていないが増加傾向が鈍っている。反対に、愛知、大阪、福岡といった西日本のいくつかの地域では増加がみられ、東北では山形への移動が目立つ。本県は、減少傾向に少し歯止めがかかっている。
 人が別の土地に移り住むには、それぞれの理由がある。人の移動を示す数字は、人々が何を考え、未来をどのように想像しているのかまでは教えてくれない。しかし、これまでとは違う大規模な移動に対して、大震災と原発事故が大きく影響していることは疑いえない。戦後、いや明治以降、東京という街が、富や人を吸い寄せながら巨大化し続けてきたことを考えれば、この変化は驚くべきことである。あの震災がこの国の住人にいかに大きな動揺を与えたのかということを改めて感じずにはいられない。
 ところで、数年前に、生まれ育った地域に対する若者の意識を、学生たちと調査したことがある。対象は北東北出身の20、30代の若者で、インタビュー形式で行った。その結果、地元に住み続けている若者と、進学や就職をきっかけに東京や仙台などの県外に出た若者を比べると、後者の方が地元に対する愛着が強い傾向があるようだということがわかった。おそらく、自らが生まれ育った地域を外から客観的に見直す機会を得ることで、地元を再発見するためであろう。そしてまた、この結果は、生まれ育った場所のもつ意味の大きさも示しているように思われる。誰にとっても、長い時間を過ごした場所は、特別な意味を帯びるものである(時に、屈折した感情を含みながら)。
 震災後、住み慣れた場所を離れざるをえなくなった人々、あるいはあえて離れるという選択をした人々が何万人という単位でいる。中にはもう元の場所に戻ることのない人もいるだろう。彼らの気持ちを深く理解することは簡単ではない。だが、住み慣れた場所を離れるということがどのような経験であるのかということを考えることなしに、あの震災がもたらしたものをよく理解することはできないのだろうと思う。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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「地域について学ぶ」「いろんな青森・いろんな時代」

2012/5/13 日曜日

 

 6月1日から隔週で5回、青森市新町の青森中央学院大学サテライトキャンパスで市民対象のセミナーを企画している。今回は「近代の青森」をテーマとし、県史編さん室の若手研究者たちの協力も得て内容を構成した。従来取り上げられることが少なかった青森市の合浦公園、またタイムリーなトピックとして東日本大震災での資料保全問題などを予定している。最終回の7月28日にはスペシャル講座として、元県立郷土館学芸課長の成田敏氏にねぷたやねぶたについてお話しいただく。
 こうした連続講座の大切さを感じるようになったのは、青森県の総合計画策定に関わった時からだった。2004年に始まった「生活創造推進プラン」の策定委員会は四つの小委員会に分かれていて、このとき私は教育文化小委員会の座長を担当した。最初の委員会で基本方針を話し合った時、事前に行われた県民アンケート結果も資料の中に入っていた。どちらかというと悲観的な内容が多かった。読めば読むほど、気が滅(め)入(い)ってきた。と同時に浮かんできたのは、自分たちも含めて、今住んでいる青森について、皆どのくらい知っているのだろう? という疑問である。自分自身、歴史文化はともかくとしても、自然環境や産業など、実はよくわからない。
 そもそもよくわかっていなければ長所も短所も見えてこないのは当たり前のこと。もっと地元のことを知る必要があるのではないかという意見が委員会の主流を占めるようになりその結果出てきたのが「青森を知る」というキーワードだった。それが「青森の豊かさを知り夢をもって未来を拓く社会」という方針につながっていった。ちなみに文化・スポーツ振興の主要な取り組み項目として「青森の歴史・文化の発信」が入ったのもこの時である。
 以上に加え、青森県女性史や青森県史など、これまで関わった自治体史編さんでも考えることは多かった。編さん作業を進めながら、いつも思うのはこれらの自治体史がいかに多くのエネルギーを注ぎこんで作られるかということである。こうした成果を学ぶ機会は、多いに越したことはない。県内で青森県近代の歴史についてお話しする時、いただく感想は「地元なのに知らなかった」というものが多い。現在も勤務校である青森中央短期大学で県内の歴史に関する講義(郷土と文化)を担当しているが学生たちはきわめて熱心で、時には文字通り目を丸くしている。まとめて学ぶ機会が少なかったことも理由の一つだろうと思う。
 冒頭で紹介した市民セミナーは、県内の歴史文化を学ぶ機会の一つとして今後、民俗や文化財なども予定している。少人数対象の、街角で学ぶ機会として、気軽に利用していただけたらと願っている。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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