日曜随想

 

「寝台特急日本海引退」二つの故郷をつないだ列車

2012/4/22 日曜日

 

 3月16日青森・大阪を結ぶ寝台特急日本海が半世紀以上の歴史にピリオドを打った。森昌子が歌った「哀しみ本線日本海」と重なる列車である。
 1973年に弘前大学に入学を許された筆者は長期休暇のたびに実家のある諫早市(長崎県)に帰省していた。その時利用したのが特急日本海である。ただし、実際に利用したのは最初の頃だけで次第に急行「きたぐに」を使うことが多くなった。その理由は仕送りの「旅費」が鍛冶町で飲みに消えるようになったからである。そのうちその急行券、乗車券までもが鍛冶町行きとなってしまい、同級生のT君にいつもお世話になった。ちなみに、ポケットに10円玉1、2個、食料は下宿のおばさんが作ってくれたおにぎり2個が頼りという哀れな旅であった。
 日本海であろうが、きたぐにであろうが、大阪駅には午前中には到着し、その夜まで長い待ち時間を強いられた。長崎行きはまた夜行だからである。その頃新幹線はまだ岡山止まりであった。お金に少し余裕があるときは大阪駅の近くにあった「うめだ花月」でお笑いを見て時間をつぶした。どつき漫才の正司敏江・玲児の漫才を朝一番で観たりした。観客は筆者を含めて2人で、どつかれ役の敏江さんが私のすぐ前に倒れこみ立ち上がるや「あんた見たわね!」と指さされ、顔を上げられなかったこともある。
 大阪駅の待合室にボーと長時間座っていると、30代のお兄さんが4、5人いて「兄ちゃん、働らかへん?」と順繰りに声をかけてきた。「どんな仕事ですか?」と聞くと決まって「建築関係の仕事や」と言われた。そのうち顔見知りになると声をかけてこなくなった。急行きたぐには、普通列車並みのスピードだった。そうすると気になるのが新潟県の長さである。山形の温海温泉を過ぎると新潟県に入るのだが、なかなか富山県にとどかなかった。
 長崎からの帰りは、親からの小遣いで懐は温かかった。したがってほとんどが特急日本海に乗ることができた。乗り換えの大阪駅である年配女性に声をかけられた。「娘に電話をかけたい」と電話番号を書いた紙きれを私に見せた。「あそこですよ」と公衆電話を指さしたが、私のそばから動かない。熊本県の玉名市から来て、電話のかけ方が分からないと言う。仕方なく公衆電話でその電話番号を回したがあいにく留守であった。発車時間が迫っていて気が気ではなかったが、若かった筆者は言い出すことができなかった。運よく1時間くらいで娘と連絡ができたが列車はすでに発車していた。
 時間が経過して、久ぶりに特急日本海に乗ったことがある。そのときふと「自分はどっちからどっちに“帰る”のだろう」と思った。故郷が入れ替わり始めた頃だったのかもしれない。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「暮らしやすい社会へ」アフリカ研究と男女共同参画

2012/4/15 日曜日

 

 アフリカ研究に関わって二十数年になる。学生のとき、ふとした巡り合わせで人類学という学問に出会い、師匠に連れられてザンビアに住む農耕民の村に行ったら、やめられなくなった。
 私の専門である生態人類学の調査は対象地域に長期間住み込んで行う。人間と自然環境との関係のありようを知るために、人々の生計活動のやり方を学ぶところから調査が始まるのだ。
 突然やってきて居候を始めた、見知らぬ東洋人の姿は、村びとからすれば、ずいぶん胡散臭かったにちがいない。しかし、彼らは「あれこれ教えにきた白人は多いが、私たちのやり方を学ぼうという白人は初めてだ」と言っておもしろがり、生活全般にわたる多くのことを教えてくれた。
 村で見る彼らの姿は、日本における一般的なアフリカ観とはかけ離れている。村びとは観察力と洞察力に優れ、好奇心にあふれている。都市生活の経験をもつ一方で、自然に関する豊富な知識を蓄積し、驚くほど精緻な農法を発達させている。国の経済状況の変化を横目で見ながら、村の女性たちが農産物の生産や売買を取りしきって、家計や地域の経済に果たす役割の大きさも印象的だった。
 しかし巨視的に見れば、都市と地方の格差が拡大し、近年指摘されるような「貧困の女性化(貧困層の多くが女性である現象)」が進んでいることも確かである。これを解決するために、ジェンダー平等の視点を組み込んだ政策がさかんに行われている。この機にフェアトレードに参入する女性グループや若者グループができるなど、いま、農村では活発な動きがおこっているらしい。
 ジェンダー平等というと、男女の違いをなくそうとすることだと誤解されがちである。でも、なくそうとするのは、意欲も能力もあるのに、性別や出自によってその力を生かす機会から閉め出されるという不都合な状態であり、めざすのは、それぞれが持てる力を発揮できる社会である。
 具体的な施策は、それぞれの国の状況を反映してさまざまであるが、日本では「男女共同参画」の視点がこれにあたる。国の第3次男女共同参画基本計画では、少子高齢化対策とも関連した「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」が強調されている。
 私の職場では県内大学初の男女共同参画推進室が2008年に発足した。地方の特性を生かし、「さまざまな立場の人が学びやすく働きやすい大学」にすることをめざして活動している。
 弘前市も今年3月新たに男女共同参画プランを策定した。「たか丸くん」が用語解説をしている概要版が、弘前市のホームページで手軽に読める。「だれもが暮らしやすい社会」について考えてみるのも良いかもしれない。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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新しい季節「さよならだけが人生か?」

2012/4/8 日曜日

 

 縁あって弘前に暮らし始めて7年になる。私にとって青森の作家といえば寺山修司だ。時あたかもバブル絶頂の頃、人々が行き交う横浜駅の地下街にある、とある大型書店で彼の書籍を手にしたのが最初の出会いだ。何でも出来そうな気がしていながら、けっきょく何も出来ないという、正(まさ)しく悶々とした日々を過ごしていた高校生の私は寺山の紡ぎ出す言葉の洪水の中に真実が隠されているような気がして、彼のエッセイや詩を夢中で読みながら高校生活を過ごした。卒業後は、自宅から通える東京の大学ではなく、縁もゆかりもない札幌の大学にわざわざ進学することにし、住み慣れた土地を発つ時には飛行機ではなく30時間もかかるフェリーを使うという、やや芝居がかったことをした。こんなことをしたのは彼の『家出のすすめ』というあまりに刺激的なタイトルをもつ書やその他の彼の言葉も影響していたと思う。
 私が出会った頃、彼は既にこの世を去っていた。しかし運のよいことに、私が大学に進学したのは没後10年という節目の前年で、彼が再びメディアを賑わし始めていた。札幌の名画座では寺山特集が組まれ、その映画館の片隅で『書を捨てよ町へ出よう』を観た。この作品の冒頭ではインパクトのある独白が発せられる。それが私の出会った初めての津軽弁である。今でもその映像が思い浮かぶ。それから10余年がたち、この地で暮らすこととなった。私は、彼が生まれ育った青森での生活に勝手に因縁のようなものを感じ、静かに興奮した。実際に暮らし始めて感じたのは色彩の強さである。これは単純に視覚的な色合いだけをいっているのではない。土地がもつ何か、人がもつ何かをも含めてである。この色彩の強さは私が寺山作品から感じていた何かに通じるものだ。「これが寺山の育った土地か、なるほど」と思った。
 「さよならだけが人生だ」という言葉がある。これは唐の時代に書かれた漢詩の一節で、井伏鱒二が訳したものだそうだ。この言葉をひいて、寺山はこんな詩を残している。「さよならだけが 人生ならば また来る春は何だろう はるかなはるかな地の果てに 咲いてる野の百合は何だろう/さよならだけが 人生ならば めぐり会う日は何だろう やさしいやさしい夕焼けと ふたりの愛は何だろう/さよならだけが 人生ならば 建てたわが家は何だろう さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう/さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません」(「幸福が遠すぎたら」)
 いま大学のキャンパスには、新入生の緊張して不安げな、しかし明るい顔がある。彼らは新しい出会いと共に歩んでいくだろう。そして私はいまこの紙面であなたに。はじめまして、どうぞよろしくお願いいたします。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之(ふじおかまさゆき))

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「地域資源の振興」津軽で藍の花畑を広げる夢

2012/4/1 日曜日

 

 最近、大学の社会貢献が注目されるようになった。その一例だが「民間伝承の科学的検証」をテーマとして、弘前大学で10年ほど前に始まった藍の抗菌性に関する研究も国内外の複数の企業で実用化が進んでいる。その一つが青森市の「あおもり藍産業協同組合」である。もともと青森市の「産業ネットワーク推進事業」で藍をビジネスモデルにしたことに後押しされ、同市内の複数の企業が集まって組織された組合である。
 代表の吉田久幸氏(縫製業)は「そもそもの発端は、弘前大学での研究会で藍や藍染の話を聞いた時だった」と語る。藍の花がきれいなので休耕田に藍を植えると、視覚的にも美しく農家の収入にもつながるのではないかと考えた吉田氏は自社の工場で藍染を扱うようになり、組合を組織した。弘前大学との共同研究も始まり、一昨年、山崎直子宇宙飛行士がスペースシャトルで宇宙に飛んだ際、青森産の藍染シャツが船内被服として採択された。この衣服は宇宙航空研究開発機構(JAXA)から高い評価を受けたが、その背景には、それまでの産業化の取り組みや、大学での抗菌性データなど、産学官の積み重ねがあった。
 津軽地方で藍の振興に取り組んだのは、これが初めてではない。弘前藩時代も藍染は行われ、寒冷な気候など不利な条件が多い中で、藍の本場徳島から教師を招き、技術向上に努めた。
 明治に入り、環境が激変した士族階級は、食べて行くために地場産業の育成に力を注いだ。この時期の取り組みから育った産業の代表的なものが、リンゴである。藤崎の敬業社、弘前の化育社などがよく知られている。ただ、リンゴに取り組む前に、さまざまな試行錯誤が行われた。藍もその一つだった。旧弘前藩士族たちも藍に注目したらしい。明治10年代初頭の県内の新聞には藍の栽培方法や、藍由来染料かつ漢方薬である「青(せい)黛(たい)」製造法の記事が出てくるようになった。藍の栽培面積は徐々に広がり、明治10年には「青黛」が青森県の主産物の一つにあげられている。徳島から招聘した藍教師「吉田巌」のもとで、北原高雅や長尾介一郎などの士族が熱心に取り組んだ。しかし、気候条件が合わなかったのか20年代から藍の栽培に陰りが出始め、30年代の合成インジゴの普及で津軽の藍染は一気に衰退した。化学の力に天然藍が負けたわけで、これは藍の本場とされた徳島も同様である。
 前述のように、現在藍の抗菌性を生かした製品化が進みそれに伴って、全国的に藍の栽培面積が減少する中で青森県は広がってきている。科学技術の発達により、士族たちの潰えた夢を産学官で実現に向かっているといってよいかと思われる。以上の詳細については近々本として上梓の予定である。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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『「安全」と「安心」』「安心」の確立の難しさ

2012/3/25 日曜日

 

 先日、青森県から沖縄県に運ばれた雪をめぐる「混乱」が報じられた。沖縄県那覇市に駐屯する海上自衛隊第5航空群が八戸航空基地での訓練に参加した際、隊員達が十和田市で630キロの雪を集め、段ボール25個に詰め込んで那覇市に運んだが、この雪は那覇市内で子ども向けのイベントで使用されることになっていた。おそらく隊員達は南国沖縄の子どもたちが歓声を上げて雪遊びに興じる姿を想像しながら雪を集め詰め込んだことだろう。もちろん「東北地方」から運ぶ雪であり、あるいは放射線のことが問題となることも充分に予想されたので航空機への搬入時と搬出時には放射線量を測定し、全く問題のないことが確認されていたのである。
 ところがである。この雪が那覇市に到着するや否や東日本大震災で那覇市内に避難していた住民から「放射性物質が含まれ被ばくする可能性がある」と、イベントでの雪の使用に反対し、結局、雪遊びは中止されたという。誠に残念な出来事であるが、その後、この雪は他の催しで使用されることとなったのは幸いであった。
 このニュースに接した時、私は二つのことを思わずにはいられなかった。一つは福島県も青森県も「東北地方」ということでひと括(くく)りにされ、地理的な違いなどは全く無視されていることである。もちろん、福島県が危険で青森県がそうではないということを言おうとするのではない。「東北地方」とひと括りにされることが「風評被害」を拡大し、安全性をいくら確認しても認められない危険性をはらんでいるということである。もう一つはある意味で極めて深刻であり重大なことなのだが、「安全」と「安心」が完全に乖(かい)離(り)しているという事実である。この雪は二度にわたって科学的、客観的に「安全」が確認されたものである。しかしこの「安全」は感情的な対応により「安心」を獲得できなかったことである。「安全」は科学的問題であるが「安心」は個人的、感情的な問題となってしまっていると思えるのだ。
 こうした問題は、静岡県島田市におけるガレキ焼却問題にも端的に現われていた。岩手県から運ばれたガレキは数度にわたって放射線測定が行われ、安全性を確認されたものである。だがそれを目の当たりにしている人々が決して「安心」しないのである。大震災によって生じたガレキの処理は復旧・復興の第一歩であるが、処理されたガレキは6%にも満たないとされる。日本国内におけるこの様な感情的な反発は「風評被害」を拡大することになりましてや海外には増幅されたものとなって伝わっていくことになろう。
 正確で科学的な情報発信をしても、我が国の産物が敬遠され、観光客が遠退いてしまう一因ともなりうるのだ。
    (青森大学学長 末永洋一)

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