日曜随想

 

「健康リーダー育成」早死を減らすために

2013/5/5 日曜日

 

 弘前市から弘前大学に寄附講座「地域健康増進学講座」が創設されたのが昨年の4月である。市民の皆さまのご負担によるところが大きいので、一部ご報告申し上げたい。
 この講座の主な仕事は、弘前市民の健康のために一肌脱ぐことのできる人材(健康リーダー)を育成することである。1期生27名が2月に巣立った。
 1期生の皆さんには、年齢の違いや職業の違いがある。歩んできた人生、性格、属する組織も異なる。
 どうしてこのような活動を思い立ったかについて説明したい。
 平均寿命である。去る2月に厚生労働省から公表された2010年の都道府県平均寿命ランキングで男女とも青森は最下位(最短)であった。5年前と同じである。そしてトップにはついに男女とも長野県が立った。
 青森県民の平均寿命が短いことの理由は大体分かっている。以下のようである。(1)ほぼ全年代の死亡率が高い。したがって、青森県の平均寿命対策は、「お年寄りに元気で長生きしていただく」と同時に「早死を減らす」対策でもある。(2)おもな死因(がん、心筋梗塞、脳卒中、自殺)の死亡率が高い。また、すべての生活習慣病の原因となる糖尿病の患者も多い。(3)この背景には、青森県民の生活習慣の悪さ(喫煙、肥満、多量飲酒、食生活、運動習慣)と健診受診率の低さ、病院受診の遅さ・通院状況の悪さがある。このいずれでも長野県に大きく水をあけられている。
 最初に厚生省から平均寿命ランキングが公表されたのは1965年であった。その時の長野県の順位は、男性9位、女性26位。全国の真ん中から、長野県はトップに上りつめたのである。
 長野県の躍進の理由は何なのか?
 筆者は、県民の健康に対する意識が高いことにあると考える。それではなぜ高いのか。その背景に、健康リーダー(健康補導員など)の活発な活動が挙げられる。長野県では、保健補導員が今から40年から50年前に急速に普及し、それに時期を同じくして平均寿命の躍進が始まった。
 保健補導員。2年任期のボランティアで、ほとんどが女性である。4割が仕事を持ち、月2回は活動をする。発祥の地須坂市では全人口の1割(女性の2割)が経験者である。「各家庭のお母さんが健康の知識を身につけたらその地域の健康レベルは格段に上がる」という読み人知らずの名言があるが、まさにそのとおりである。
 一期生のお一人が提案された清水交流センターでの健康運動教室が4月に始まった。そこには同期生がたくさん集まり、住民の皆さんの前で運動指導をしておられる。まさに壮観である。
 健康づくりについて夢と悩みを語り合える仲間がたくさん欲しい。
(弘前大学医学研究科長 中路重之)

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「お気に入りの場所」柔らかなまなざしが描く街

2013/4/28 日曜日

 

 この春、大学に入ったばかりの1年生を相手に「基礎ゼミナール」という授業を担当している。この授業は、新入生が大学での学びと研究に必要な基本の約束ごとを身につけ、大学生としての生活の入り口に立つことを主な目的としている。
 私の授業では手始めに、「お気に入りの場所を探そう」というテーマでグループワークをすることにした。弘前の街にグループ全員で出かけて「お気に入りの場所」を探し、その結果を発表してコメントしあう。
 最近の学生はほとんどが高校までにプレゼンテーション用ソフトを使った経験があるそうで、器用に発表資料を作る。この作業を通してお互いが親しくなり、他地域から転入してきた学生は自分の行動範囲を広げるきっかけになるし、弘前出身の学生は、他地域出身者と一緒に調査することによって、新しい視点で弘前という街を見ることができる。かれらの柔らかなまなざしから描き出される街の姿は、教員の私にとっても新鮮だ。
 以前、同じテーマで授業をしたときはとくに指示もしなかったのだが、「一人でゆったりしたいとき」や「お金がないけど他所から知り合いが来たとき」「冬のデートによさそう」など、学生たちが特定の生活場面を想定してそれに合った場所を選び出し、丁寧な説明と写真つきでプレゼンテーションをしてくれた。一般の観光案内とは違い、かれらの生活目線から街の姿が現われていて、こちらもたいそう楽しかった。今年の1年生はどんな「お気に入り」を探してくるだろうか。
 私たちの大学がある弘前は、季節によっても趣を変える街である。ことに冬から春への変化は劇的で、それが丹念に手入れされて咲き誇る桜と桜祭りの華やぎをいや増している。そんな街や街の人の姿は、学生たちの気づきを育ててくれた。何年か前の学生は、古い新聞から、昭和30年代~40年代には郊外から乗り入れる馬車や荷車、トラクターなどが多く、桜祭り(当時は「観桜会」)期間中の「渋滞」や「駐車」がすでに問題になっていたことや鉄道利用者の推移のほか、紙面広告の分析から、当時の桜祭りは市民が衣類や履物などを新調する機会だったらしいことなどを嬉(うれ)しそうに報告してきた。
 こんな経験から卒業研究のテーマに街の変容を扱い、街の方々のご教示をいただいて、地方都市のありようや今後について考えた学生は多い。近年は「研究」するだけでなく自身も街の住民としてNPOの活動に参加したり、卒業後、地域活動に従事したりする者もいる。その柔らかなまなざしの先にある未来への手助けができたらと思う。
 今年も桜祭りが始まった。桜を愛でながら、まずは学生たちの話を聞かせてもらうことにしよう。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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社会の成熟と最期「花か、家か、病院か」

2013/4/21 日曜日

 平安時代末期の僧侶西行が、桜に関するこんな歌を詠んでいる。「願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」。ある作家が取り上げていたために知ったこの歌に、だいぶ前からひかれ続けている。満月の頃に、桜の花が咲く木の下で最期を迎えられるなら、思い残すことも無かったことにできるような気がして、こんな情景の中で行き倒れたいと夢想してみたりする。
 とはいえ、現実には、最期の場所を自分の望み通りにするのは、たやすいことではなさそうだ。厚生労働省が行っている人口動態調査のデータをみると、2010年に亡くなった人のうち病院または診療所で亡くなった人の割合は80・3%であるのに対し、自宅で亡くなった人の割合は12・6%となっている。つまり、多数の人が病院で最期を迎えている。この数字は、都道府県別にみても大きなばらつきはなく、青森県も同程度である。
 ところが、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が12年に行った調査の結果をみると、自宅で最期を過ごしたいと回答している人の割合はおよそ8割である。私もきまって、毎年の授業の中で、将来看護師になるために勉強している学生たちに、「病院がよいか、自宅がよいか?」と尋ねているのだが、自宅を望む割合は6、7割といったところだ。つまり、多くの人は自宅での最期を望んでいるのだが、現実には、その望みは叶(かな)えられないことの方が多いということだ。
 だが、かつては自宅で最期を迎える人の方が多かった。その割合は、1951年ではなんと82・5%で、70年に56・6%、90年に21・7%と減少していく。この変化の原因としては、家族の変化や医療の変化が指摘されるのだが、他にも、私たちの社会が死について十分には語ってこなかったということもあるのかもしれない。右肩上がりの成長を続けて、社会全体に活気があった時代には、死について気負いなく語ることがはばかられる雰囲気が強かったように思う。
 だが、現在、日本社会は、右肩上がりの成長を終えて、成熟に向かっている。数年前に人の死をテーマにした、「おくりびと」という映画や、「千の風になって」という歌が話題になったのは、社会の成熟化が、死の語り方に変化をもたらしたためだろうか。死を考えることは、生の充実につながると考えられるので、そのような変化が起こっているのだとすれば望ましいことだと思う。
 津軽ではまもなく美しい風景が広がり始める。今年の花見では、西行の歌を思い出しながら、自らの最期について真面目に考えることにしようか。いや、ほろ酔い気分で、他愛もない話をしているのだろうな、きっと。
(弘前学院大学専任講師 藤岡真之)

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「復興に向かう中で」石巻工房長千葉隆博君のこと

2013/4/14 日曜日

 

 東日本大震災がきっかけで、20年ほど前まで住んでいた石巻の人たちと、さまざまな形で交流するようになった。特にかつて勤めていた石巻西高の元生徒たちとは、FacebookやTwitterでつながるようになり、彼ら彼女らの日常がとても身近に感じられるようになってきている。彼らは40歳前後。世代的にも復興の中心的存在なので、中には、メディアに登場するようになった人物もいる。最近いろいろなところで目にするのは、「石巻工房」工房長の、千葉隆博君である。
 千葉君は、私が初めてクラス担任を持った時の生徒だった。石巻でも有名な寿司(すし)店「助六」の息子で、いろんなところでリーダーシップをいかんなく発揮した。校外学習のキャンプファイアーでは、クラスの出し物としての「劇」を企画し、絶句する担任の前で松明(たいまつ)を振り回して走り回った。なかなか元気な生徒だった。
 高校卒業後、彼は建築関係の仕事を希望し、そちらの方向に進学した。しかし、就職に際して、彼は父の寿司店を継ぐことを選び、寿司職人としての修行を積んだ上で、石巻に戻った。
 私は、弘前に来た後も、たまに石巻を訪ねる機会があると、彼の店に行ってみた。父の側(そば)で腕を上げた彼の握る寿司は美味(おい)しく、顔つきも体つきも堂々とした寿司職人に成長していった。何も起こらなければ、そのまま、腕の良い寿司屋としての人生を歩んだことだろうと思う。
 2年前の大震災で、彼の店があった商店街周辺は津波による甚大な被害を受けた。震災後に訪ねた時、彼は、店をたたんで、アメリカで寿司職人を続けることにしたと言っていた。しかし、なかなかビザがおりない。アメリカに移るまでの間、彼は「石巻工房」の仕事に参画した。「石巻工房」は、建築やプロダクトに関わるデザイナーたちが、地域のもの作りの場をつくろうと発足したものだった。彼は工房長となり、かつて学んだ知識を生かし、家具の生産に打ち込んだ。石巻工房のシンプルなデザインは、さまざまな方面から好評で、全国から注文が届くようになった。今年1月には「ログハウスマガジン・夢の丸太小屋に暮らす」で、インタビューを受けるようになった。それは、彼が高校時代に愛読していた雑誌だった。そしていまや、押しも押されもせぬ工房長として、日々の生産に打ち込んでいる。彼が高校のときに話し合った進路のことを思うと、感慨深いものがある。
 人生って、何がきっかけで、どういう方向に展開して行くか、わからないなあと、つくづく思う。雑誌やテレビの中で、元気にがんばる彼の姿を見て元担任としてはとても嬉(うれ)しい。そして、ますますの活躍を心から祈らずにはいられない。
(青森中央短期大学教授 北原かな子)

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「働く心に火をつけろ」実践!『利他の精神』

2013/4/7 日曜日

 

 1988年当時世界市場で店舗数ではマクドナルドを上回るメキシカンフードのタコベル。日本での1号店は直営でなく、フランチャイジーからのスタートであった。オーナーはタイホウグループ。愛知を地盤にレジャー・飲食産業を展開している。
 現在会長を務める小野金夫氏が、借金に苦しむ親をみかね大学を辞め、パチンコ店を共同経営していた叔母を頼りに名古屋に出てきたのが18歳の時。以後50年をかけ、一代で現在の企業に育て上げた、年商600億円、従業員240名(パート2300名)の会社である。
 小野氏はダスキン創業者鈴木清一氏から多くを学び、実践されてきた。鈴木氏の利他の精神「働くことを喜び、自らを磨き」は、タイホウグループ経営理念として、だれもが見える会社入口の壁に掛けられている。
 小野氏は言う。「仕事とは単にお金を稼ぐことではない。大事なことは働くことを喜びとして、仕事を通して成長することである。お客様の喜びをわが喜びとすることだ」と。そして「社員とパート、アルバイトの区別なく彼らが成長することを真剣に考え、フォローし、成長を一緒になって喜ぶ。そのことが従業員の働く心に火をつける」と説く。
 その年の7月にタコベル1号店は名古屋新瑞橋にオープンした。オープン日の売上は120万円。当時の円換算でタコベル一日当たりの売上として世界最高記録を樹立、以後数週間売上記録は続いた。小野氏は73年にはミスタードーナツ1号店を金山にオープン。売上世界記録を3年間連続して樹立している。障害を持つ人たち自身が企画運営を行う「AJU自立の家」後援会会長など数多くの役職を務められ、2006年秋に「藍綬褒章」を受章された。
 多くの経営者が、理念という言葉を使うが、それらはほとんどが観念的な響きを持ち、時間をかけなければ理解できない。しかし小野氏が語る言葉はすぐ映像として浮かぶ体をかがめ人なつこい笑顔で、カッと目を見開き、お客様一人一人と対峙する。自分が本気で生きてきて、命がけで戦うとき、カッコウなんか悪くても構わない、その一生懸命な姿が人の心に響く。その姿を目にした従業員全員が小野イズムに心酔する。会長がタコベルオープンの日、新瑞橋で私たちに見せた姿こそが「働くことを喜び、自らを磨き」の実践だった。それゆえに出会った人すべてを魅了し、味方にできるのだ。
 タコベルは本部の理由で日本での展開が中止となったが、小野氏が、ひたむきに、一心不乱に、お客様一人一人にノベルティを差し上げられた姿を私は今も忘れることができない。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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