日曜随想

 

「今こそ必要」ネット社会における図書館

2022/2/13 日曜日

 

 コロナ禍が再び深刻になる中、青森県では公共施設の多くが一時休業となった。県立図書館や弘前市立図書館も例外ではない。こうしたコラムを書く際に、公立図書館が持つ膨大な蔵書や過去の新聞記事などは事実確認のよりどころであることから、私は再開を心待ちにしている。
 多くの市民にとって図書館は、読みたい本の借り受けや自習のための施設と認識されていることだろう。本はほとんど読まないし、インターネットで何でも調べられる時代に、図書館は本当に必要なのかという声さえあろう。さらに、中小自治体における政策的な位置付けは、施設建設の際には一時的に高まるが、運営に対する意欲や予算配分は総じて高くはない。
 ネットが社会に浸透する中で、図書館はより本質的な役割において、その重要性がますます高まるものと私は考えている。現実には館内で利用者向けのWi―Fi環境さえ提供しない施設もあるが、それは現時点ではささいな問題である。
 このところ「ポスト真実」という言葉を聞くことがある。新語辞典を引くと「世論形成の過程において客観的事実よりも人の感情に強く訴える情報のほうが強い影響力を発揮する現象を指す」とある。知人がSNSに書き込んだ偽の情報をそっくりうのみにしたり、ネット検索で上位にきたものを安易に信じ込んでしまったり、といえば分かりやすいだろう。フェイクニュースも執拗(しつよう)に繰り返せば、本当らしく見えてくる。ネット上の言説にはこうしたものがあふれている。またテレビでは、「識者」なるくくりの有名人が歯切れよく弁舌巧みにまくし立てている場面に出くわす。中には事実に基づかない解説をたれ流し、後付けにおざなりな訂正でごまかす事態までも散見される。さらにこれらがネット上で「炎上」し増幅されることも日常茶飯事である。
 こうしたことに対し、一市民の立場で客観的な事実を追い求めようとする際に、行き着く先はおそらく図書館だ。書籍や新聞記事、さらには法律や条例などに照らし、調べる方法を手ほどきしてくれる最も身近な場所こそが公共図書館なのである。さらに地方の公共図書館は、地域で編まれた刊行物を後世へと引き継ぐための唯一の保管場所でもある。
 市民の知る権利や言論の自由を保障するためのとりで、こう表現されることもある図書館だが、予算や運営体制などさまざまな制約の中、理想と現実はなかなか折り合わないことが多い。私自身がかつて図書館で働いた経験からもよく分かる。当たり前の仕事に光が当たり、外部に良き理解者があってこそ、中で働く人たちは、立ちはだかる現実を前に理想を切り開いていけると思う。ネット社会の図書館にぜひ注目を!
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」アンビバレンス

2022/2/6 日曜日

 

 新型コロナウイルス・オミクロン株の感染拡大が進む中、感染対策上のさまざまな制限の緩和、見直しが始まった。背景の要因としては、オミクロン株の特性確認、医療の安定提供、崩壊寸前の経済を回す必要性などが挙げられる。
 長い間、自由を奪われ、生活を犠牲にしてきた人々にとって、唐突とも言える感染対策の変更は、違和感や疑問を抱くに十分だった。確かに制限も自粛も際限なく続けられるものではない。適当なタイミングを見計らい、難局を転回すべき時が必ずやってくる。それが今なのかもしれない。仮にそうだとしても、期待と同時に不安を感じてしまう。
 例えば、旅行をしたいけど、したくはない。マスクを外したいけど、外したくはない。握手をしたいが、したくはない。もちろん、逆のパターンも考えられる。人の心は、ある対象に対して、相反する感情を同時に、交互に抱くものらしい。こうした現象を表した言葉が、英語のアンビバレンスだ。日本語では両価感情、両面価値と訳されている。
 アンビバレンスは、知る人ぞ知る心理学用語である。一般には馴染(なじ)みがなく、頻繁に起こる現象でもない。
しかし、誰もが経験している心理現象であることは間違いない。実際、そうした例えを挙げるのは難しくない。先生を尊敬するが、好きではない。好物を食べたいけれど、食べたくない。○○は認めたいけれど、認めたくない。勉強をしたいが、したくはない。父は悪い性質を持っているけれど、よい性質も持っている。
 このように考えれば、アンビバレンスという感情の二面性は、誰もが生きていく上で、当たり前に経験する感情の矛盾状態である。それは意識しても、しなくても自然に現れる。しかも、どこまでも拡がる。決して一人では解決できない複雑な感情を呼び起こす。人間の心の働きがそうさせるのだろう。コロナ禍にある今の時期だからこそ、アンビバレンスという心理現象に関心をもち、主体的に学び続けていく必要がある。
 視点を変えると、コロナ禍は、人々を不幸に陥れた一方で、アンビバレンスを広く認識させ、心の働きや感情の状態を自覚させる機会を与えた。冒頭に挙げた感染対策上のさまざまな制限の緩和、見直しにしても、矛盾する感情の存在を多くの人々に印象付けた。未曾有の新型コロナ感染拡大により、人間が本来的にもつ感情の二面性に気付かされた意味はとてつもなく大きく、深い。
 社会の中ではコミュニケーションを通じて、アンビバレンスがいつでも、どこでも、どんな状況でも起こり得る。人との付き合い方においては、相手の立場で親身に考える、自他の言動を客観的に捉えるなど、直感力と想像力を働かせる工夫と努力が欠かせない。
(柴田学園大学特任教授 船水周)

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「2050年には」脱炭素で明るい未来が…

2022/1/30 日曜日

 

 年始の新聞にインドネシア政府が石炭の輸出を規制するので、電力料金が値上げするのでは、との記事が掲載されました。
 インドネシアでは、国内在庫が少なくなったので国内にとどめるようにとのことでした。
 石炭には製鉄用の原料炭と発電用の一般炭があるようです。その一般炭の第二の輸入先がインドネシアで冒頭のニュースが掲載されたことになります。エネルギー白書2019によると、1位はオーストラリアで実に一般炭の72%を占めています。
 石炭と言えば子どもの頃に、社会科で筑豊炭田、常磐炭田、夕張炭田などを習い、大人になってからは、三井三池炭鉱や三菱高島炭鉱など当時の財閥やグラバーなどが海外から高価な機械を購入して炭坑労働者を劣悪で危険な環境で働かせたイメージを私たち世代は持っています。(世界遺産ですが)
 福岡県大牟田市の石炭産業科学館では、入り口から秒速10メートルの暗いエレベータで30秒ほど地下へ下り、端島(軍艦島)の炭鉱労働者が帰りに無事日の光を見ることができるか不安になる体験ができます。科学館にはロードヘッダーやドラムカッターなど当時の最新機が展示されていますが、係員によると石炭層が斜めに深くなっていたので、採算が取れたことはなかったとのことでした。
 わが国では、01年に操業を開始した釧路コールマインが唯一の坑内堀石炭生産会社として年間55万トンを採炭しているとのことです。輸入量は1億8500万トンですから…
 同社の事業は石炭採掘事業と研修事業とのことですが、多額の補助を受けながら20年の決算で7億円の赤字を出すなど先行き不透明です。また、20年に操業を開始した釧路火力発電所は80デシベルを超える騒音問題で反対運動を起こされています。
 日本の電源供給は資源エネルギー庁によると震災以前の10年は液化天然ガス(29・0%)、石炭(27・8%)、原子力(25・1%)の順でした。その後14年には原子力が0に。50年に向けたロードマップを見ると、30年には再生エネルギーが36~38%、原子力が20~22%、化石燃料は41%に減っています。再生エネルギーの割合は太陽光が14~16%、水力が11%です。あれ、原子力復活予定です。役人の文書そのものです。
 火はどんどん焚(た)いても宇宙空間に熱が放出されるので地球温暖化にはならないが、二酸化炭素を放出すると温室ガス効果で温暖化が加速するので、脱炭素社会を目指しましょう。って食べ物や人体組成も炭素なしにしましょうか? 永久磁石のような永久電石が待たれます。
 津軽には、サルケ(泥炭)を焚いて「いぷて」くて、目病みが多かった時期もありました。脱炭素はそこまで来ているでしょうか?
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「お互いさま」津軽の冬に育つ思いやりの心

2022/1/23 日曜日

 

 「お互いさま」という言葉は、古くから使われてきた大和言葉です。年配の方は、よく「おかげさま」とか、「お互いさま」といった言葉を使われていますが、仏教精神から生まれた仏語という説もあります。良いことがあった時は、「おかげさま」と相手に対する感謝を忘れず、困った時には「お互いさま」と、その苦労を分かち合う言葉が、昔から日常の中で交わされていました。自分自身は、完全な人間ではないという思いや、お互いが支え合わないと生きていけない厳しい環境にあったからこそ、美しい言葉が定着したのだと思います。
 「お互いさま」は、困っている相手に対して手助けする際に、相手に気を遣わせないように使われることが多いのですが、自分が一方的に誰かに迷惑を掛けたりして申し訳ないと恐縮している人に対して、「気にしなくていいですよ」という思いを込めて掛ける言葉であったりもします。どちらも相手の気持ちに配慮した使い方ですね。
 しかし、最近。迷惑を掛けた側や自分の要求を強引に通したい方が、免罪符のように「お互いさまじゃない」と使う場面に出合うことが増えました。相手の気持ちも考えず、「お互いさま」を押し付けるのは、使い方が間違っていますし、ずうずうしい人と思われかねませんので、気を付けましょう。
 さて、今年は新年早々から大雪で、雪片付けが大変でした。そんな中、「お互いさま」について考える機会がありました。
 私の住む地域は、雪が多い地域で、ご高齢の方も多く、雪片付けにはご苦労されています。ある日の夜、わが家で、あしたの朝は雪片付けが大変だという話になったのですが、息子たちから、隣の雪片付けは手伝わなくてもいいのかとか、裏の家の屋根雪がそろそろ落ちそうだから、手伝いに行った方がいいだとか、除雪車が置いていった雪は重いので、機械で片付けを手伝った方がいいとか、ご近所の心配をする言葉を聞くことができました。手前みそで恥ずかしいのですが、私はとてもうれしい気持ちになりました。
 実はわが家は、ご近所の方から、野菜をたくさん頂いたり、知らないうちに、庭の草取りをしていただいたり、夫も息子もいない時は、除雪を手伝っていただいたり、本当にお世話になっています。息子たちもそれを知っていましたし、自然と、冬にはご近所のお役に立たなければと感じていたのかもしれません。
 三十数回経験した津軽の冬が、息子たちの思いやりの心や「お互いさま」の発想を育ててくれたのだと思いました。ちょっとかっこいいことを考えてしまいましたが、でも、やっぱり雪は降らない方がうれしいです。
 早く春よ来い。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「格差是正こそ急務」新しい資本主義に期待

2022/1/16 日曜日

 

 「コロナ」でさまざまな制限や変化を余儀なくされた1年余がようやく過ぎた。この間、さまざまな容易ならざる事態が進行したが、特に深刻さを増したのが経済格差であろう。昨年末、東京都内で生活困窮者へ弁当を配布する「年越し大人食堂」には長蛇の列ができたが、これまでの不況時と違い、「コロナ」による「派遣切れ」や契約解除などで失業した若年層、女性、子連れに家族などが多かったとされる。一方で、100億円もかけて国際宇宙ステーションに行ってきた日本人も現れた。「自分でもうけた金で行ってきたのだから文句あるのか」と言われればその通りであるが、国際宇宙ステーションは何のためのものか、この人物は考えたことがあるのだろうか。少なくとも個人的な夢と金持ちの「道楽」のためではないはずだ。わずか500円程度の弁当の配給を求めて寒空の下で列をつくる人々、片や100億円を10日間の宇宙旅行に使うたった1人の人間。この風景こそ、わが国における経済格差を如実に示していると言えよう。
 こうした現象は日本に限られたことではなく、「コロナ禍」の中、世界中で「経済格差」が深刻化している。7年ほど前、フランスの経済学者トマ・ピケティが「資産からの収益は労働による収益よりも大きなものである」と述べているが、あえて言えば、現在の資本主義は「金持ちをより金持ちにする」と言うことだ。ピケティらが運営する「世界非平等研究所」の調査では、「コロナ禍」の中で格差は一層拡大し、世界の上位1%の超富裕層の資産は2021年、世界全体の個人資産の37・8%を占め、下位50%の人々の資産は全体の2%にとどまったという。
 経済格差は資本主義の発展とともに生じた。清教徒革命の指導者クロムウェルは「一切の職業の濫用は除去されよ。もし、少数者を富ますために多数者を貧困にする者があるならば、それはコモンウェルスを益するものではない」と述べているが、資本主義の発展が格差を引き起こす可能性を認め、だからこそ、コモンウェルス(コモンウィール)=「民衆の富裕」の必要性を主張したのだ。それは資本主義の社会的基盤であり社会的連帯であるからなのだ。
 しかし近年、過度な市場原理主義が富の偏在とゆがみを増幅させ、経済格差を拡大させてきた。こうした状況が社会不安と絶望感を増幅させ、個人的利益の追求が社会的連帯を危うくすることになれば、資本主義とともに発展してきた民主主義をも危機に陥れる。そのことが権威主義・独裁体制の台頭を許すことになることは歴史が証明している。
 岸田文雄首相は「新しい資本主義」の創出を主張されている。そのためには、均衡の取れた創造的国民経済の創出こそが重要である。首相の健闘を期待したい。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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