日曜随想

 

「いぱだだかまり」―感覚を研ぎ澄まして―

2020/3/22 日曜日

 

 いぱだだかまりとは、変な臭いと言う津軽弁である。実際に匂いがしなくても雰囲気や気配としても用いられるようである。
 嗅覚は五感のうちで視覚、聴覚に次いで離れたものの情報を得る手段で感覚器としては鼻のようである。ようであるとしたのは、精子が卵子の匂いにつられて寄っていくとか、がん患者の尿の臭いを寄生虫の線虫がかぎ分けるなどの報道を聞くと、別に鼻でなくとも感じ取れるのではと考えてしまいます。
 匂いと似たようなもののフェロモンは鼻では感じないようで、感覚器は胎児から退化してしまうと書かれても信じる気にはなれません。
 匂いを意識するようになったのはやはり思春期の頃でしょうか。日本史の先生から奈良の正倉院には蘭奢待(らんじゃたい)という香木があって足利義政、織田信長、明治天皇の3人しか嗅いだことがないと聞かされると「2秒でいいから嗅いでみたい」で半世紀が経過しました。
 1872年8月12日に実施した壬申(じんしん)検査の結果を文部省八等出仕の蜷川式胤は「奈良之筋道」に「黄熟香 一名蘭奢待 少々粉ヲ火ニ入れ候処、香気軽ク清らかニして、誠ニかすカノカホリ有り」と記している。截(き)り取りではなくて、粉ですか。
 77年2月9日、明治天皇は奈良行幸の折に正倉院に立ち寄り蘭奢待を截り取ったうえで、親しく小片を火中に投じられ「古めきしずか」と記している。
 2006年の大阪大学の調査によると蘭奢待は38カ所に截り取り跡があり、50回以上は截り取られていることが推測されている。
 蘭奢待の匂いの結論を言うと沈香と変わらないとのことである。
 以前、金沢へ出張した際、得も言われぬ香りがして、香舗へ入り「老松」なる商品を求めたことがありました。この時の香は伽羅(きゃら)だったようです。
 近年の研究によると香りは口に入れる前の香り(オルソネイザルアロマ)と口に入れてのみ込む際の香り(レトロネイザルアロマ)の二つに分けられるそうで、食べ物をおいしく感じるかどうかは味覚よりも嗅覚の方が強いことが分かってきました。
 強い臭いで有名なシュールストレミングやドリアンを食べるようになったのは、味覚の苦みを克服したように喉越しの香りが良かったのかもしれません。
 嗅覚は記憶と連動しており、懐かしさは匂いで覚醒されるそうですが、嗅覚が鈍くなれば記憶も呼び戻されません。
 鼻が曲がる(もげる)、鼻につく、鼻で笑う、鼻であしらう、鼻を高くする、鼻を折る、鼻を明かす等、鼻はいいイメージがありませんが、ぜひ、鼻を利かせておいしいものにありついてください。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「オカムラ食品の巻」成功のカギはマーケットイン!

2020/3/15 日曜日

 

 オカムラ食品工業(以降オカムラ、岡村恒一代表取締役会長)は果敢に事業を拡大している。その目指すところはどこか?。今や青森県を越え、日本を飛び出し、世界へ向かっている。2019年出荷実績の550トンは、国内トラウトサーモン養殖では最大手。21年に1200トンを輸出する予定である。
 オカムラは1971年に設立。魚卵専門メーカーとして、優れた加工技術で独自の商品を次々と開発。特にシシャモ卵では国内屈指の企業になった。しかし岡村会長が24歳の頃から業績が悪化。時代は作れば何でも売れるプロダクトアウトから、顧客のニーズに合わせるマーケットインに変化していた。そこで先代は筋子に目を付けた。これからは素材だ、筋子の醤油(しょうゆ)漬けだ、と読んだのである。しかし原材料がない。
 今までは商社に一言言えば持ってきてくれた時代であった。が、これは商社のビジネスである。持ってきてくれるわけがない。そこで岡村会長は自分が海外に行って筋子を買ってくると志願。半年の準備期間後、単身ヨーロッパに向かった。
 しかし日本の水産商社の厚い壁があった。約200日間、北欧の国々を回ったが青森の小さな加工会社を相手にしてくれる養殖会社はなかった。ところが、デンマークでドラマが起きた。これが最後と思った、養殖業界の駆け出しのような小さな会社からきた若手経営者が話を聞いてくれた。これぞ好機と構想を話した後に、商社の問題点など脚色を加え「商社は担当者が変われば話が振り出しに戻ることがあるが、小さくても自分はオーナー会社だからそういうことはない。信用がわが社の資産」と懸命に売り込んだ。
 それが当時の岡村会長と年が変わらない若者の心に火をつけた。「そうか、これからは大手の水産会社とか商社の時代ではないかな。よし分かった。岡村さん、わが社は小さいが私の会社の工場で製品化しないか」とオファーを受けたのである。なんと、彼は日本の水産大手を外してまでして作業場所を提供してくれた。岡村会長は日本から来た工場の職人と2人で徹夜もいとわず作業し、商品をコンテナに詰め込んだ。これが大ヒットし、筋子の販売シェア日本一になった。
 オカムラの基本方針は変化への対応とイノベーション。絶えず変化するお客のニーズに対応した商品を開発する。本当においしいものだけをお届けしたい。この願いでもって北欧やロシア、アメリカ、カナダ等、世界の漁場の中でも特に環境の良い海域をセレクトし、信頼できる生産者を探し契約する。海外担当責任者には片道切符が渡される。
 「彼の地で骨をうずめろ」。これが岡村会長からの指令である。まさに岡村会長がそうしたように。
(青森県産流通システム研究所所長 牛田泰正)

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「誰が英雄なのか」平時にこそ待望すべき

2020/3/8 日曜日

 

 高校1年生の時、英語の副読本として、バートランド・ラッセルの随筆集を読んだ。ラッセルはイギリスの哲学者であるが美文家としても名高く、英文を勉強するには良い手本であったためだが、教師は、彼は平和運動家であり、ちょうどその時、平和運動デモ行進中に不当に逮捕されたということも教えてくれ、「君たちが英語を学んでいるのは、ラッセルの逮捕などという蛮行に抗議文を書く手段を得ることになることを忘れるな」と諭された。私は抗議文を書くことはしなかったが、ラッセルがノーベル平和賞を受賞したことを知った時は本当に嬉(うれ)しかった。
 ところで、この随筆集の中に「平和と戦争」という随筆があり、ラッセルは、おおよそ、「トラファルガー広場に我が国の英雄として銅像が建てられ、賞賛されている人は、戦争で多くの人を殺した人物でもある」と書いていたことを時々思い出すことがある。
 トラファルガー広場はもちろん、ロンドンの中心街にある公園で、聳(そび)え立つ銅像は、広場の名称ともなったトラファルガー海戦でナポレオン1世のフランス海軍を撃破したイギリス海軍のネルソン提督像である。ネルソン提督はフランス人などを多数「殺す」ことでイギリスを守ったのであり、イギリスにとっては英雄となる。しかし、ラッセルは、英雄も裏を返せば「殺人者」であり、その「殺人」が戦争という非常時には肯定され、「殺人者」が英雄となると言いたいのだと理解していた。
 長々とラッセルのことに触れたのは、新年早々、「英雄」とは誰なのか考えさせる事件が起きたからである。イラン革命防衛隊司令官が米軍の空爆で殺害された事件である。アメリカからすればテロリストの首謀者であるが、イランでは国民的英雄で、多くのイラン国民がその死を悼んでいたが、彼を英雄にしたのも中東地域で長期化している戦争・紛争の結果であることに間違いなかろう。戦争という非常時・異常時が生み出した英雄なのである。しかし、英雄とはこうした人物だけを指すものなのかと、高校時代からの疑問が再び湧き起こったのである。
 フランスの詩人、ボードレールは「英雄とは終始一貫して自己を集中する人間である」と述べているが、そうならば、インドで貧困層の救済に一生をささげたマザー・テレサ、命の危険を顧みることなく児童と女性の教育の権利を主張しているマララさん、戦争を批判し性暴力にあった女性の救済と自立に奮闘するムクウェゲ医師、最近ではアフガニスタン復興に尽力するなかで凶弾に倒れた中村医師などが本当の英雄ではなかろうか。こうした人は戦争の被害者であり、殺人とは無縁な存在である。今こそ、平和や人権のために活動する人こそが英雄でなければならない時代ではなかろうか。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々4」アート体験のタイプ

2020/3/1 日曜日

 

 先日、東京都現代美術館に行ってきた。昨年リニューアルされてから初めての訪館であった。その日は「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」「MOT アニュアル2019」「ダムタイプ―アクション+リフレクション」という三つの企画展と常設展が開催されていたが、私の一番の目当てはダムタイプ展であった。
 「ダムタイプ」は、映像、ダンス、音楽、デザイン、コンピューター・プログラムなど異なる背景をもつメンバーが集まったアーティスト集団である。結成が1984年なので、アーティストコレクティブの先駆け的な存在であるといえる。プロジェクトごとにメンバーや表現方法を変化させながら、マルチメディアを使ったパフォーマンスやインスタレーションなどの作品を共同制作しており、その活動は世界的に評価されている。
 「ダムタイプ展」の展示では、例えば床が鏡のようになっている暗い部屋全体に文字、記号、数字や図形などの映像が映しだされるインスタレーション作品(駆け巡るという表現が合っている)、これは中に入ると自分が宙に浮いているような感覚になり、異次元にいるような錯覚にとらわれる。MEMORANDUM OF VOYAGEというビデオインスタレーションは、幅16メートルという巨大なLEDパネルに映し出された映像と音が視覚言語となってこちらを圧倒してくる作品である。その他の作品も、いずれも大掛かりなインスタレーションとなっていて、とても見応えがあった。
 社会学者の宮台真司氏が “それに触れた人が、触れる前と後とで変わるというのが芸術である”というようなことを言っていた。昨今そのことをメインテーマとする作品が増えてきたように感じる。これはものごとの新しい見方や捉え方を観る側に気付かせ、また考えさせるような仕掛けを、作品として提示するというものである。人を引き込み、思考を促すタイプのアートである。その一方で楽しさ・奇麗さ・新鮮さを重視したエンターテインメント的な作品もある(こちらの方が人気がある)。これらは人の身体感覚や感情に直接に訴えてくる、体験するタイプのアートである。
 「ダムタイプ」の作品は、その両方を兼ね備えている。というよりも、正確には身体で感じることを含めて思考するタイプのアートである。
 デジタルという先端技術を使っているにもかかわらず、どこかアナログ的な感覚を漂わせている。これは「パフォーマンス」という身体表現をそのアートの根底に据えたアーティスト集団であるからこそ持ちえるセンスであろう。身体的な知性とでも言えば良いであろうか。それこそが「ダムタイプ」のアートを特異なものとしているのだと思う。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「ふるさと自慢」質の違う魅力の認め合う機会

2020/2/23 日曜日

 

 先日、青森市で行われたフォーラムに招かれ、青森出身の紀行作家・山内史子さんらとともに「青森・函館ふるさと自慢」という対談をさせてもらった。ふるさと自慢は、北海道新幹線開業の前後には盛んに企画され、語り尽くされた感もあったので、今回は我々なりに互いの経験を踏まえて、少し踏み込んだ内容にしようと話し合い登壇した。山内さんから青森県は、太宰治や寺山修司の出身地、さらには吉田松陰が津軽を訪れたことなど、玄人好みの著名人に縁のある土地、との自慢が語られた。対する私は函館・道南が、黒船来航や戊辰戦争など大きく時代が動いた舞台であったこと、そして函館空港が街から近く、市電やロープウェイなど観光するための交通手段が充実していることを自慢として挙げた。
 さらに、二つの地域に住む人々が互いをどのように見ているかという話題に触れ、青森県の人たちは函館にキラキラとした華やかさを感じ、いつも訪ねてみたいという憧れを持っていると聞くが、函館・道南から見た青森県は、どんよりとした田舎くさい北国というイメージがある、と失礼を承知で話した。アラフィフ世代のパネラー同士で顔を突き合わせ、そう思っていた若き頃の自分たちに思いを馳(は)せたのだが、山内さんは世界各国を旅した経験を切り口に故郷の奥深さをさらに強調。私は青森側にいる数多くの友人たちとの繋(つな)がりを契機に、魅力の質が違うことに気付かされたことを述べた。
 ファストフードとスローフード。海峡を挟んだ函館・道南と青森県、それぞれの魅力の違いを例えるならば、こうした言葉を想像してみてはいかがだろうか。ファストフードは、いつでも誰でも容易にアクセスでき、親しみやすさがある。函館・道南は空港の近さや見どころが比較的集まっていることなどからもそう言える。一方の青森県はスローフード。函館のそれとは真逆で、そこに踏み入るまでに少し勇気や覚悟はいるが、気に入ってしまえば、どんどんそこに引き込まれるものがある。また、そこにたどり着くまでに時間と労力を要するが奥は深い。
 海峡を挟んで縄文の昔から交流があったとされ、よく似た文化を数多く持つ両地域が、魅力の作られ方ではこれほど見事に異なるのかと改めて感じた。
 では、この二つを再び掛け合わせることで新たな化学反応も起き得るのではないか。ぜひ次の世代へ期待をかけたい。
 ただしその前に、なぜか思春期に生じる、青森県に対するこちら側からの侮った見方をぜひとも払拭(ふっしょく)しておかねばなるまい。茶の間で無料動画サイトに夢中になっている小学生の甥(おい)っ子や姪(めい)っ子の姿を見ながら、この子らの世代にユーモア路線で面白い青森県を伝えるのも一計ではないかと密(ひそ)かに感じている。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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