日曜随想

 

「アグリーンハート」東京で自然栽培米を宅配する

2020/6/7 日曜日

 

 株式会社アグリーンハート(佐藤拓郎代表、2017年設立)は、水稲の一部と全ての野菜で農薬・肥料を使わない自然栽培を実践し、黒石市で初の国際認証「グローバルGAP」を取得した。売り上げ1億2千万円。従業員11人。テレビリポーターでミュージシャンでもある佐藤氏が36歳で創業した。愛嬌(あいきょう)ある笑顔にどのような人間ドラマがあったのか、その背景を探ってみた。
 佐藤氏は黒石市の農家の6代目として生まれた。高校3年生の時、祖父の経営が破綻した。家が競売に掛かり、落札され、明け渡しが通告された。幸い土地は残り、父はそれを元手に家を買い戻す。最低限の畑と家と精米所が残った。借金は数千万円。そこからドラマが始まった。
 高校卒業後、就農。朝5時から畑に出て夕方帰宅。農繁期は1日14時間、くたくたになるまで働いた。同期の仲間が大学に進み、企業に勤め、数年後には新車を乗り回す時代、佐藤さんは初任給5万円、そして仲間が企業に勤めだすころは8万円であった。羨(うらや)ましかった。こんなに働いてなんでこんなに差があるのか。悶々(もんもん)とする日々が続いた。幸い、借金は数年で返済のめどが立った。しかし肝心の家計に残る実収入が少ない。なぜなのか? 佐藤さんは大げさですが、と言いながら、次のケースを紹介された。
 「米で1千万円稼いだとして、不作の野菜やその他のコストで700万円消えた場合、残る所得が300万あれば親子3人何とか食べていける、これが農業。という考えが実は農家の場合主流なのです」という。サラリーマン風に考えてみると、働いた父、母、息子の取り分は1人当たり100万円に足りない額になる。実際、実は多くの農家の実態がこれだと聞く。
 将来の農業はこれではいけない。1日15時間働いても親子で手取り300万では農業に未来がない。この発想から佐藤氏の飛躍が始まった。将来の農業経営を考え、まずは法人化を考えた。いい人材を採用するためには、しっかりした雇用条件で採用、教育し、次世代に活(い)きる人材を育てていく経営体でなければならない。佐藤氏は家族経営の農家でなく、多くを雇用する実業を目指すことにした。そのため低コスト・大量生産および自然栽培による高付加価値生産を合わせたビジネスモデルを決断した。
 今年4月、直営店舗が東京都世田谷区にオープンした。米はアグリーンハートが黒石市で生産した無農薬・減農薬米。コンセプトに「家庭に農家のこめびつを」を掲げ、宅配での定期提供を考えた。結果、世の中の自粛ムードが幸いし、宅配が受け入れられ、順調に売り上げが伸びている。佐藤氏はこれから到来する新時代に向けて、青森から世界へ向け、新しい風を吹かそうとしている。
(株式会社ノア代表 牛田泰正)

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「コロナと日本人」誇るべき自律と文化性

2020/5/31 日曜日

 

 新型コロナウイルスがいまだに世界で猛威を振るっている。
 私事で恐縮だが、私は青森市在住だが、妻が京都市の西隣の亀岡市に住んでおり、週末は同地で過ごす機会が多いが、今回は4月上旬から約1カ月半、滞在している。コロナの感染拡大で「緊急事態宣言」が発出され、その後、京都府も「特定警戒地域」に指定されたためである。この間、「不要不急」の外出は避け、食料などの買い物と散歩以外は「自粛」し、「ステイ・ホーム」を続けている。散歩の途中で、カルガモの親子や餌を求めて飛んでいるツバメなどを見かけ、あるいは、旧城下町なので「いにしえ」の一端を知ることもできる。この時は陰鬱(いんうつ)な気分から解放されるが、テレビニュースの大半はコロナ関連であり、日本独特の番組だとされるワイドショーも大部分がコロナに当てられている。専門家に交じって芸人もコロナを語り、危機感を煽(あお)ったり、わが国の対策が遅れていると政府批判をぶち上げている。「PCR検査が行き届いていない」「対策にスピード感がない」「ロックダウンすべきだ」など、枚挙にいとまがない。妥当な批判と思われるものもあるが、わが国に特有に見られる「自虐性」から由来するものが多いと感じるのは私だけではあるまい。
 果たしてわが国の対策はそんなに劣っているのだろうか。PCR検査の絶体数が少ないことで感染者の数を正確に把握できないとの議論を1カ月以上にわたってまくし立てている「専門家」もいるが、統計学の手法を駆使すれば、ほぼ正確な数値を得ることが可能なのは、メディアが選挙や世論調査で使う方法ではないか。感染率が圧倒的に少ないことが重要であり、そのことが医療崩壊を起こさず、死者数を極めて少数に抑えていることは誇るべきことではなかろうか。
 さらに、感染者や医療従事者への嫌がらせなど、一部では残念な事態も見られるが、圧倒的多くの国民が強制されずとも主体的に自らを律し、「3密」を避けることで感染拡大を防止するなど、その文化性は世界に誇れるものであろう。日本人の知性と理性がコロナ収束の大きな原動力となっていると言えよう。今後も可能な限り感染防止の徹底を図りながら、有効なワクチンと特効薬の開発を待つことが求められよう。また、その間にあって、「ポストコロナ」社会の在り方を多角的に検討していくことも必要であろう。もっとも、私は、「ポストコロナ」社会は、リモートワーク、リモート学習などが主体となるとか、旅行も「3密」を避け、飛行機はファーストクラスが主流となるなどとする議論には与(くみ)したいとは思わない。そうではなく、コロナが暴きだした現代社会の弱点を克服し、長所はさらに伸ばしていくような社会こそが求められるのではなかろうか。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々6」オラファー・エリアソン

2020/5/24 日曜日

 

 4月26日のNHK教育「日曜美術館」でオラファー・エリアソンのことをやっていた。東京都現代美術館で開催される展覧会の紹介である。その展覧会は残念ながら新型コロナウイルスの影響でいまだ開催されていない。私はこの春に小田原の材木屋さんに行く予定がり、そのついでにオラファーの展示に行けると思っていたが、それもかなわず本当に残念である。オラファー本人も会場には来ることができていないらしく、番組の終わりの方に遠隔で展覧会場にいる司会の人とやりとりする場面があった。彼はコロナ禍で人々が家の中にこもっている現状をみて、家の中に自然を取り入れるようなことができないかと考えているなどと語っていた。
 オラファーはデンマーク生まれの芸術家で、今はベルリンに在住。2003年、テイトモダン(ロンドン)「Weather Project」で注目を浴び、「ヴェネツィア・ビエンナーレ」でデンマーク代表となり、展示も好評であった。日本でも06年に原美術館(東京)、15年森美術館(東京)、17年横浜トリエンナーレなどで展示している。
 有名な作品には大規模なパブリックアートプロジェクトである「ニューヨークシティ・ウォーターフォールズ」(08年)がある。ニューヨークのイースト川に四つの人工の滝を出現させたが、その人工の滝の高さは、一番高いもので36メートル、毎分13万リットルの水が流れ落ちるというものであった。1億5500万ドル(約165億円)の費用は民間の出資で賄われた。自然現象を新たな知覚体験として再現する試みである。
 また「アイス・ウォッチ」(15年から各地で開催)という作品は、COP21開催中のパリの街中に、グリーンランドの氷河が溶けて海に流出した氷山の一部を並べるというもので、そこに置かれた氷塊は、鑑賞者(氷塊に触ったりすることができるので、この場合は体験者であろうか)に気候変動によりグリーンランドで起こっていることを本当に差し迫った問題として実感させるものとなっている。これらの作品に共通するのは、それに触れた人に社会のことやその中で生きている自分の存在のことを改めて考えさせるような仕掛けとして機能しているということである。
 頭で知っていることと体験から得られることは全く異なり、身体的な関与から得られた実感や個人的な記憶や体験こそが実際の行動につながっていくのだとオラファーは語っている。観る者に行動を促すところまでをテーマにしているのだ。アートの良いところは、それに触れた人の感覚に直接何かを伝えることができることにある。オラファーの作品は、ストレートでとても分かりやすいメッセージとして人々に訴え掛ける。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「無謬の果てに」愚なる、コロナ新生活様式

2020/5/17 日曜日

 

 誤りがないことを意味する「無謬(むびゅう)」という言葉をご存じだろうか。「行政の無謬性」という場合には「オカミは間違いを犯す訳がなく、行動や判断は常に正しい、だから謝罪などもっての外である」という官僚機構の行動原理の一つで、時に侮蔑(ぶべつ)も含んで使われる言葉だ。先の大戦では、こうした行動原理に国民は翻弄(ほんろう)され、その結果、多くの尊い命を喪(うしな)った。また最近は「誤解があったら、おわびします」が大臣たちの決まり文句だ。自分たちは正しいと断固譲らない。さらにピンチになると「ご飯論法」を弄(ろう)し、言葉尻でごまかし開き直る。今般のコロナウイルスでは、わずか3カ月ほどの間に、こうした政府の姿勢によって、われわれ市民はどれほど多くの損失や迷惑を被ったことだろうか。もちろん布製マスクの配布などは、その最たるものであろう。
 当初、政府がとった検査数を極力抑え込むという方針が、いまもって転換されずにいる。各国の対応とは大きく異なるもので、その成否に世界の注目が集まる中、簡単に誤りを認めるわけにはいかないというわけだ。日々刻々と状況は変化し、より簡便に検査ができるようになる。治療薬やワクチン開発にも明るい兆しが見えつつある。そうした中、感染症学者らの専門家会議の提言を受ける形で、政府が「新しい生活様式」なるものを発表した。手洗いの徹底など、当たり前の注意点はともかくも、生活場面について書かれている内容は、極めて恣意(しい)的で、かつ驚くほど見識を欠いたものだった。中でも食事の場面には仰天する。「対面でなく横並びに座ろう」「料理に集中、おしゃべりは控えめに」とはいったい何ごとであろうか。しかも家庭のことを指すのか、外食についてなのかさえ全く触れていない。文明社会における食の重要な役割に理解がまるでない。食は家族や友人と席を共にし、喜びを分かち合う貴重な時間だ。男女はそこで愛を育み、友とは絆を深め、親子は生き方を教え学ぶ。あるいは、そうありたいと願うことこそ、人々の勤労意欲の源泉であるはずだ。市井の飲食店は、そうした機会を提供すると共に、街ににぎわいと華やかさをつくり出す重要な要素なのだ。
 新しいと題する通り、この生活様式は恒久的な意味合いもあり、3~4年は継続すべきと語る専門家もいる。今後、検査数の拡大と隔離が進むことを念頭におけば、このような項目は絶対に盛り込まれるべきものではない。これこそが今後も検査数を抑え込み、人々の接触を減らして当座をしのぐという政府の考えに沿った無謬の果ての愚そのものだ。
 政府に対して物申したいところであるが、デモや集会は「密」をつくる。ならば「SNSのハッシュタグも有効」とせよ。これも新しい生活様式であろう。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」うまずたゆまず

2020/5/10 日曜日

 

 この言葉は漢字で書くと倦(う)まず弛(たゆ)まず。和語が複合されているのがわかる。いずれにしろ、和語のしなやかさ、耳触りのよさが伝わってくる。
 語釈をつければ、倦まずは倦む(飽きる)の否定形、弛まずは弛む(気持ちがゆるむ)の否定形である。つまり、うまずたゆまずは「飽きたり怠けたりしないで」という意味になる。人間であれば飽きたり気持ちがゆるんだりするのは当たり前だが、それに流され何もしなければ、取り返しが付かない事態を招く。うまずたゆまずの後には、決まって「努力する」「頑張る」「励む」など、自覚的で前向きな動詞を伴うことが多い。
 うまずたゆまず―この言葉に私は何度背中を押され勇気づけられたか分からない。先が見えず落ち込み、自暴自棄になり、怠惰な生活に陥ったとき、不意に浮かんでくる。現在(いま)、世の中は謎の疫病に見舞われ閉塞(へいそく)感に満ちている。3カ月前の日常とは一変してしまった。世界中の人々が生命や経済、社会の危機に怯(おび)え、出口が見えない闇の中で不条理な生活を余儀なくされている。
 未曾有の状況下にある今こそ、うまずたゆまずの精神を胸に刻む必要がある。国民に求められる自粛・忍耐も、目的・目標の達成意欲もこの言葉に収斂(しゅうれん)され、強く生き抜く道標(みちしるべ)になる。ただし問題の解決には相当時間を要するだろう。明確な目的(ゴール)を設定し、具体的な目標(仮説)に挑む。科学的思考を繰り返し、結果や方策は根拠(エビデンス)をもとに検証する。その先に必ず希望(出口)が見えてくる。そう信じたい。
 そもそも「うまずたゆまず」は、地球物理学者・竹内均(ひとし)先生が好んだ言葉だ。先生は東大教授、科学雑誌『Newton』初代編集長を務め、450冊の著作を残した。実際、『ヒラメキ天才教育論』の中でも「私はうまずたゆまず努力するという意味で、この『うまずたゆまず』という言葉が好きである」と述べている。さらに「古事記伝」を著した国学者・本居宣長(もとおりのりなが)が初心者向けに語った『うひ山ぶみ』という書に次のくだりがある。
 「学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、(中略)いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば功(いさをし)はなし」
 2人の碩学(せきがく)の共通項は、好きな学問に独立独歩でうまずたゆまず取り組み、未知の分野を開拓したこと。フロンティアスピリットである。
 これからの世の中は、生き方や働き方に大きな転換を求めるだろう。常識や前例に囚(とら)われず創造的に実践し、失敗に学び続ける覚悟が問われる。人と協調したり議論したり、共生・共有する知恵も試される。うまずたゆまず努力する行為こそ未来を開く鍵だ。
(東北女子大学特任教授 船水周)

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