日曜随想

 

「青森の魅力再発見」紅葉と混浴とおばさん二人

2016/10/30 日曜日

 

 紅葉真っ盛りの青森。わざわざ遠くまで行かなくても、車を運転していれば、紅葉の赤や黄が目に飛び込んでくる。この季節は、美しい街に生まれたことに、感謝したい気持ちになる。しかし一方で、間もなく木枯らしが吹き始め、雪の季節が始まるのかと思うと、ちょっと憂鬱にもなる。複雑な季節だ。
 二週間前、東京から訪れた友人とともに、三沢から、八甲田・城ヶ倉経由で弘前までドライブした。運転は大儀だったが、友人に、ちょっと早い紅葉を見せたかったので、思い切って遠出した。あいにく、標高の高いところは、雨とガスで、くっきりと美しい紅葉を見ることはできなかったが、都会暮らしの友人には、十分感動できるレベルだったらしく、「きれい、きれい」を連発しながら、何枚も写真を撮っていた。
 途中、「まんじゅうふかし」にも立ち寄った(私としては「まんじゅふかし」が正式な名称だと思うのだが)。解説の看板には、お尻をまんじゅうに見立て…と書かれていたが、そこは津軽弁のままでいいんじゃないかと思った。もちろん友人には、正しい語源を説明してあげた。
 酸ヶ湯温泉は、全国区で有名らしく、友人はぜひ入りたいと言う。「混浴だよ」と説明したが、「もうそんな歳じゃないから」と友人。「おばさんが混浴に入ったところで、鑑賞したい人もいないでしょ」と、能天気なおばさん二人は、躊躇なく混浴にむかった。
 十数年ぶりに入った酸ヶ湯温泉は、以前より、女性のための配慮があるように感じた。衝立が湯船の中まで伸びていて、衝立で仕切られた場所で、肩まで温泉に浸かってしまえば、白濁した湯で、体は全く見えないのだから、その状態で前進すれば、何の心配もいらない。と思うのだが、あの広い風呂にいた女性は、私たち二人だけだった。
 温泉は、予想以上に良かった。疲れが取れて、体が軽くなったように感じた。農家の方たちが、農閑期に温泉で体を休めようと思う気持ちが、よくわかる。湯治棟も見学してきたが、リフォームしたのか、見違えるほどきれいだった。こんなところで、一週間くらい何にもしないでゴロゴロしていたい。いや三日でもいい。(絶対無理だが)
 気が付くと、外は豪雨だった。ロープウェイに乗るのをあきらめて、帰路についた。期待していた城ヶ倉大橋も、橋しか見えなかったが、雲海の上を走っているようだった。「すごい、すごい」と、友人は助手席でまたまた感動モードであった。黒石の中野のもみじ山に着くころには雨も上がっていた。
 「青森って、すごく素敵だね」友達の言葉は、素直に嬉しかった。
 たまには遠出もいいものだ。
 (弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「観光産業の振興とは」若者が定着できる職場を

2016/10/23 日曜日

 

 冒頭から私事で恐縮であるが、一昨年の夏、箱根湯元温泉に旅行した時の経験から始めたい。宿泊したホテルは「部屋食」で、若い仲居さんの担当であったが彼女の苗字は江刺家であった。この苗字は、ご存知の通り、青森県県南地方や岩手県北部に多い苗字で、出身を尋ねたところ、青森県八戸市で、高校卒業と同時に今のホテルに勤めたとのことだった。
 私は「失礼だが仲居さんなら、青森県内でも求人があったのではないか。どうして箱根まで来られたのか。差し支えなければ教えて欲しい」とお願いしたところ、彼女は(1)確かに青森県内でも同じような求人があったこと(2)しかし給与や賞与の額が全く違うこと(3)福利厚生条件が全く違うことなどを上げた。さらに「妹がいて短大に行かせたい。それまでは給与のいい職場にいたい。でもいつかは母のいる八戸に戻りたい」とのことだった。
 長々と私事を書いてきたのは、八戸市出身この若い仲居さんの言葉に、現在の青森県の雇用、特に観光などサービス業をめぐる状況が凝縮されているからである。同じ職種では東京圏などがはるかに条件がいい。さらに厄介なのは、県内の観光産業の多くはご多分に漏れず求人難で、従業員が辞めても補充できず、残った従業員がそれを補っているという事実だ。しかも給与は一向に上がらず、労働量だけが増えるだけだ。これでは求職者、特に若い求職者は減少の一途を辿ることになる。こうした状況を打破し少しでも多くの若者が県内の観光業サービス業にも就職先を求めるようにするためにはいかにすべきなのだろうか。
 先日、私も委員を仰せつかっている観光戦略プロジェクト推進委員会があった。議題は、外国人延べ宿泊者数の数値目標の見直しで、平成27年に宿泊者10万人を突破したことで、平成30年の目標を20万人とすることであったが、今日の状況を勘案すれば、達成可能な数値として承認された。国も観光立国を掲げ、県も北海道新幹線や青函圏を結ぶ「立体観光」などを提唱し、施策を講じており、順調に達成されるだろう。
 観光入込客は順調に増加しているのは確かだ。従って次の目標は「稼ぐ力」を強化し観光を基幹産業化することである。そのためには客観的データに基づく分析、緻密なマーケティング、品質向上とマネージメントなど具体的施策の展開・深化が重要である。さらに、行政頼みではなく、民間観光業者の主体的な取り組みこそがより重要であることは言うまでもない。雇用を充実させることは業者自身の発展に繋がるのだから。
 条件すら合えば青森で働きたい、やがては青森に戻りたいと思っている若者も多数いるのであり、そうした若者に応えるためにも観光業者の奮起こそが期待されていると言えよう。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「父親の在り方再考」阿川佐和子と黒石美人の将来

2016/10/16 日曜日

 

 阿川佐和子の「強父論」が人気である。彼女に会ったのは約30年前、都内のテレビ局内喫茶室で隣の席だった。私が知人と談話している際、隣は情報デスクTODAYという番組で人気のあるタレント。父は阿川弘之、高級なコーヒーのCMに出演し天皇家の日記を書く文化人作家であるということを聞いた。
 知人が、「山内さん、ちょっと仕事してくるから待っててね」と言ってから1時間は過ぎようとしていた。隣をちらちら見ていたが延々とインタビューが続いていた。取材の撮影もあったのでついでにと思い持ち合わせのカメラで記念に一枚とした瞬間、ガードマンらしき人にギュッと腕を捕まれ「どちらの雑誌社ですか?」と聞かれた。私はパニックとなり「いえいえ、わだす、け、見学です。あおもりがらきますた」と津軽弁で言った。
 この緊迫した場面で、阿川佐和子は「えー、青森からですか?そんなに遠くから来たんですか?」と話され可憐な瞳の笑顔で何枚も写真を撮らせてくれた。現在の新幹線に比べ、当時は12時間位も掛かり、夜行列車で上京した。
 その後の彼女の華やかな活躍は言うまでもないが、「聞く力」をはじめとし作家、キャスターとして大活躍である。
 黒石あけぼの病院、精神科医師「古郡華子氏(以下華子)」に出会ったのは数年前であるが、その澄んだ瞳から、自分の心の中が全て見通されているような気がしてならなかった。「皆さん精神科医という名前で、人の心がみんな分かっているように思われますが、実は何も分かりません」。彼女のその一言が強く印象に残り、「なんて正直な人なんだろう」と思った。その後、交流を兼ねた小学校の病院訪問演奏会は現在も続いている。華子氏は、若いときに会った阿川佐和子とそっくりの爽やかな印象だった。
 彼女は、昨年、デイケアサービス施設「といろ」を完成させた。これは「十人十色」からの発想であるらしいが、人間を大切にしている想いがあふれている。中には茶道のできる和室や東京五輪のスポーツクライミングの壁まである。
 2人の共通点としてはさらにどちらも父親が厳格である。大沢武志名誉院長は父親の故古郡恒宜氏の同僚であるが、弘前大学病院勤務時代、てんかんの研究をし、夜中じゅう脳波を取り続け、わずかな仮眠でそのまま勤務に就いたということに感銘したという。また、父親の友人は、弘前出身の芸術家、東京藝大教授の故工藤哲巳氏である。2014年、東京国立近代美術館でその展覧会を見た。前衛芸術のため難解であったが、テーマは「父性の復権」であったということを後日華子氏から耳にし、十分納得した。
 才女の陰に厳父あり。父親の復権の必要性を改めて考えた今日この頃である。
(黒石幼稚園園長 山内孝行)

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「豊かさの実感?」糖尿病用の食事あります

2016/10/9 日曜日

 

 タンザニアの町には、ホテリとよばれる大衆食堂がある。とくに、長距離バスが往来する幹線道路沿いには大きなホテリがあって、バスの乗客や自家用車の客がひっきりなしに訪れる。
 時間帯によって出される料理はちがうのだが、お昼どきにはワリ(白ご飯)、ウガリ(トウモロコシの粉を熱湯で練り上げた団子のようなもの)プランテンバナナなどの主食に、鶏肉、牛肉、魚といった主菜が揃う。主食と主菜を好みで選んで注文するが、煮込みかローストかという料理法も選べる。豆の煮物と、青菜や季節の野菜の炒め煮、果物は頼まなくてもついてくる。香り高い生とうがらしを添えて食べるのがたいへん美味である。
 客が混み合う時間帯を中心に、カフェテリア形式でご飯を出すところも多い。カフェテリア形式だと、目の前の料理を指して、店の人に料理の名前や食材の名前を尋ねながら「これをもっと入れて」「ご飯は少なめ」とか、「ご飯とウガリを半分ずつ入れて」とかいうわがままを聞いてもらえるので、私は好きだ。食材や調理法にも流行があり、1~2年ぶりに行くと知らないメニューが加わっている。それもまた楽しみなのである。
 ところが今年、なじみの店をのぞいて驚いた。カフェテリア背後の壁にでかでかと「糖尿病用の食事あります」と書いてあるではないか。その文字はまさに今書かれたばかりで、ペンキが乾いていない。それどころかその文言を書いた絵描きさんは「糖尿病用の食事…」の文字の隣に、妙に躍動感あふれるヒョウの絵を描いている最中だった「普通のタンザニア人が来る食堂なのに、わざわざ糖尿病用の食事を用意する必要がある?」一緒にいたタンザニア人に聞くと、彼は「こういう身体が今どきのタンザニア人だ。気づかなかったのか?」と言って自分の太鼓腹をゆすって見せ笑わせるのだった
 私のイメージの中にあるタンザニアの人たちの体型は、すらっとしていながらしっかり筋肉もある美しい姿なのだが、著しい経済成長の中で、肥満や高血圧や糖尿病が問題化してきているようだ。国際統計によると2000年に27万人程度だったタンザニアの糖尿病患者は、15年には82万人にまで増えている「糖尿病用の食事」は確かに「いまどき」の人々の重要な関心事になってきたのだろう。健康志向も高まり、精製度の高いトウモロコシ粉ではなく、ふすま入りや雑穀の粉で作ったウガリも選べるようになった。
 かつてタンザニアでは、太っていることは富や豊かさと結びつけられ、高い価値を与えられていた。大衆食堂に糖尿病用の食事が用意されるようになり、その考え方も変わっていくのだろう。それがさらにバラエティ豊かな地方の食文化の展開につながっていくといいなと思う。
(弘前大学人文社会科学部教授 杉山祐子)

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「津軽塗を応援します」江戸時代には弘前塗だと

2016/10/2 日曜日

 

 旧藩時代、当地では多彩な塗り物が作られていました。その技法の中には、漆を塗っては研ぎ、塗っては研ぐ、研ぎ出し変わり塗りがあって、俗に「馬鹿塗」と呼ばれていました。
 西洋医学士で弘前市長でもあった伊東重も、かつて「手間かかるが故に価廉ならず、価廉ならざるが故に売れ行きよろしからず。労多くして功少く、昰れ馬鹿塗の名ある所以か」と評しています。
 一般には唐塗、七々子塗、錦塗、紋紗塗の四技法だけが注目されていますが、津軽家で塗り見本の手板を拝見したときは、これまで見たこともない技法ばかり。この貴重な手板を元に、いにしえの当地にあった塗り技法を復元しようと、塗師の皆さんが組織した会が、技芸保持団体に指定されたとの報道がありました。
 本当に嬉しいニュースで、将来はこの会から、「津軽塗」の人間国宝が誕生して欲しいと願っているのです。 
 そのための環境整備も重要で、まずは地場産の漆を育てないとなりませぬ。漆器組合の方々も、岩木山麓などで植樹をしていたのですが、樹液の採取は順調でしょうか。以前の記憶に頼って恐縮なのですが、漆木に傷をつける鉋とか漆塗りの刷毛をつくる職人ですら、絶滅寸前というのが実情だったかと思っています。
 また木地師の育成も忘れてはならず、デザインや指物技術の精巧さは、商品化の大きな鍵でありましょう。戦後には、ジュラルミンに塗りを施した実績がありますし、公衆電話や自動車も経験済み。
 加えて、良質の砥石が産出したというのも、ここが名産地に育った要因ですから、研ぎを耐水ペーパーだけに頼らないというのも、加えて欲しいところ。
 そういえば、元来、津軽塗の担い手は士族の次三男で、身分で申せばお武家様だったのです。このために、明治七年に禄を離れた士族授産を目的に、漆器授産合資会社が設立されたというわけ。
 やがて明治四十四年に、津軽漆器株式会社が出来て、村山精造さんが紫の色素を発見した。紫塗は奈良時代に成功した職人がいたものの、妬まれて仲間に殺害され、以後は再現不可能とされた代物。その秘密を解明したのが津軽塗の技師という話だし、往時の宣伝文句に従えば、「弘前特産 津軽塗」と自信たっぷり。
 掛け紙のデザインも洒落て、雪輪文様の中に卍を描いているのが、すべて紫漆というのですから、粋な職人技に脱帽。
 世間には津軽特産とか津軽名物というのも、いろいろありますが、弘前特産というのは、チョットひと味違った趣きが感じられようというものです。
 そう当地の塗物は、御国塗とか表向きでは弘前塗と呼ばれていましたが、唐塗・韓塗・殻塗など多様化し、漆器授産合資会社が「津軽塗」を採用したと。いまでは、これで商標登録済みであります。
 (元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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