日曜随想

 

「日本アニメ百年⑥」戦後のアニメ③

2018/6/3 日曜日

 

 いよいよ、今日の日本における商業アニメの表現方法を決定した手塚治虫の登場です。
 この頃すでに手塚は、漫画家として大変な人気を博していました。もともと尊敬していたディズニー漫画の表現をお手本とした漫画表現でしたが、アニメにおいてはディズニースタジオの人海戦術はとても使えません。それでも、東映動画本社近くに土地を購入し、自宅兼スタジオを建設します。その中に動画部を作り、増築しつつ、昭和33年「虫プロダクション」と改名します。人員も16名に増えていたようです。そして、昭和36年劇場用アニメ映画「ある街角の物語」が完成します。39分程度の中編アニメでしたが、本人曰く、気持ちが先走った実験作で、失敗であったと言っています。それでもこの作品は、毎日映画コンクールで第1回の大藤信郎賞を受賞します。さらに国内のいくつかの賞も受賞し、おおむね好評でした。この年の暮れに「株式会社虫プロダクション」が正式に発足します。
 昭和38年1月1日、毎週1回1話連続で30分間の放送時間による「鉄腕アトム」が放送開始となります。前例のない、まさに前代未聞のことでした。当時、劇場用アニメは6千万円程度の予算と、数百人の人手、期間は約1年半が必要です。実質の放送時間は20分ぐらいとは言え、週1回の30分テレビ放送の番組制作が当時50~60万円の予算では不可能なことでした。費用も、人員も、制作期間も桁が違います。それでも虫プロは制作を受諾してしまうのです。結局アニメ制作代は55万円であったそうです。(この金額が後々大変なことになってきます。あの、手塚大先生がこの金額だからと後に続くアニメ制作代はそれ以下だと言われてしまうのです。今に続く、アニメ制作代が安すぎて、アニメーターの人たちが、好きで制作していることに、業界が頼りすぎてしまう図式が出来たのです。)良くも悪くも、ここで日本テレビアニメの形が出来上がってきます。そして、これらの不可能なことを実現していったのが、東映動画から移籍した、坂本雄作や、杉村ギサブロー等です。作家気質の手塚の仕事を、商業作品として成り立つように仕上げていきました。スタッフに恵まれたわけです。
 さらに、手塚はある画期的なことを行います。自ら営業し、スポンサーを見つけてくるのです。当初、森永製菓に立ち寄るも、後日の返事でしたが、後に立ち寄った明治製菓が即断即決でスポンサーになります。このときの「明治マーブルチョコレートアトムシール付き」は全国で爆発的に売れました。ご年配の方は記憶があると思います。アニメ番組とタイアップ商品の抱き合わせが完成します。
以下、次回に続く
(弘前大学教育学部教授 石川善朗)

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「気ままな旅」岩木山を巡る

2018/5/27 日曜日

 

 「山」という言葉を聞いて、まず私が思い浮かべるのは、秀峰・岩木山である。南津軽に位置する平川市小和森に生まれ、幼少から老齢の今に至るまでその均整のとれた末広がりの山容を目にしてきた。
 ただ眺めていただけではない。登山、スキー、キャンプ、観光など、さまざまに関わってきた。学校の行き帰りはもとより、授業や行事の合間、見上げるとそこに岩木山がある。運動会の写真にも、図工で描いた写生画にも、当たり前のように岩木山が写り込んでいる。学校の窓越しに望む岩木山は、いわば素朴な額縁に切り取られた一幅の絵である。過去はいうまでもない。現在も未来も私の原風景は決して変わらないだろう。
 私は岩木山に見守られ、育ってきた。遠くへ出かけて津軽に帰ってきたとき、まずは岩木山が迎えてくれる。なぜかほっとした気分になり、懐かしさを覚える。啄木の歌にもある。「ふるさとの山に向いて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」
 ふるさとの山とは、元来そういうものなのだと想う。
 2年前、ふとしたきっかけで岩木山を車で巡るようになった。車内から見る山容や稜線が時々刻々変化していく様子、四季と移りゆく山肌のグラデーション、夕陽や雪渓とのコラボレーションもたまらなくおもしろい。こうした現象を発見できたのも自由気ままな旅のお陰である。そして、この山が津軽富士といわれる理由を改めて実感する。
 太宰治の『富嶽百景』の影響であろう、『岩木山百景』を自選したい衝動にかられるようになる。現在、私が気に入っているスポット(定点)を紹介する。
 (1)志賀坊森林公園(平川市広船)…津軽平野に鎮座する岩木山を俯瞰できる。稲穂の大地に浮かぶ様子が圧巻(2)常盤野農村公園(弘前市湯段)…岩木山南麓から見上げる位置にあり、山頂付近が隠れて台形に見える(3)鯵ケ沢街道松代町付近…岩木山西麓から望む山の頂点は「山」の象形文字を想起させる(4)七里長浜港付近(鯵ケ沢町鳴沢)…海浜を前景に岩木嶺が遠望できる(5)津軽富士見湖(鶴田町廻堰)…裾野が広い、鈍角三角形の山容が魅力。湖面に映る逆さ富士は必見の価値あり。
 ふるさとの山・岩木山は、立ち位置で見え方が千変万化する。しかも、「みんなちがってみんないい」。個人的好みを別にして、見慣れた場所からの津軽富士が一番いいと思うが、どうであろうか。
 2020年度、小学校では新学習指導要領による授業が始まる。深い学びの鍵として「見方・考え方」も重視される。見方のモデルを岩木山に学ぶ定点観測の方法は効果絶大である。
 我田引水の戯言と一笑に付されることを覚悟しつつ筆をおく。
(東北女子大学家政学部教授 船水周)

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「犬も歩けば…」いろはの「い」は常識か

2018/5/20 日曜日

 

 「犬も歩けば棒に当たる」とは、言わずと知れたいろはがるた、中でも江戸かるたの最初に位置する。「いろはのい」にあたる誰もがみんな知っている常識中の常識である。しかし、これが常識として機能しなくなっている。
 先日、二つの大学の1年生に、「犬も歩けば棒に当たる」の意味を知っているか、また、「棒に当たる」のはいいことかどうかという質問をしてみた。すると、知っているという学生は7割程度いたが、どういう意味なのかについては、ほぼ、半々に割れた。ご承知のとおり、従来の解釈は、(すばしっこい)犬でさえもウロウロと出歩くと、訳もなく棒でぶたれるような災難に遭う、つまりは出しゃばらずおとなしくしていた方が損がないという考え方だ。これが最近は、(人間よりも劣る)あの犬でさえ出て歩けば思いもよらぬ幸運に出会うことがある、積極的に人と交わり情報を取りに行くのが望ましいという解釈に変わってきているのだ。
 考えてみれば、ことわざや格言というのは、そのことばを話す人たちにしてみれば、代々受け継いできた生活の知恵であり価値観そのものにあたる。それが受け継がれないというのは、結構、大変なことのように思われる。なぜこんなことが起こるのかと言えば、社会の変化と言えるだろう。定住や終身雇用をいわば前提とした社会から、流動的・変化を前提とする社会への変化は、私たちの間に何が大切なのかという考えの変化ももたらしているのだろう。
 同じようなことは、日本だけでなく定住社会のイギリスと、転職社会のアメリカでは同じ英語のことわざ「転石苔を生ぜず」の解釈が逆になっていることで有名である。苔を信用・財産のように価値あるものと解釈するイギリスと、汚いもの・価値のないものと考えるアメリカ社会の価値観を映し出している。
 ほかにも「かわいい子には旅をさせよ」というのは、旅つまりは修行に出して、甘やかすことなく苦労をさせよ(その方が本人のためになる)というのが従来の解釈だが、最近は旅行に行かせて見聞を広めよのように考える若者が少なくない。少子化によって子どもは大切だという考えが、本人たちにもいわば当たり前のことになっているのではないだろうか。さらに「百聞は一見にしかず」が後押ししているようにも思える。そうなれば「他人の飯を食う」なんて安心できないからやめなさいとでもなるのだろうか?
 実は、世界の格言やことわざを眺めると、全く逆なことを言っているものは珍しくない。ことわざには、それぞれの社会や時代において、何を大切なものとしてきたのかが見て取れるという面白さがある。
(弘前学院大学文学部教授 今村かほる)

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「津軽料理遺産」田植え時の甘い赤飯

2018/5/13 日曜日

 

 連休が明けると、田に水が引かれ、そろそろ田植えの季節がやってくる。水面をなでる春風がおこすさざ波を見ていると、不思議と気持ちが落ち着く。私の家は旧尾上町にあるが、土地を探す際に条件としたのは、「見渡す限り田か畑で、当分周囲に家が建ちそうもないところ」であった。今の家に住んで30年を超えたが、お陰様で、今でも見渡す限り田と畑が広がっており、毎年、贅沢な景色を堪能している。
 田植えといえば思い出すのが、甘い赤飯である。父方の実家は浪岡(旧女鹿沢村)にあった。名字も福田なので、代々農家だったのだろう。農地改革までは、村に13カ所も農地を持ち、小作人も使って、手広く農業をやっていたようだが、私には、祖父母が小さな畑を耕していた記憶しかない。
 しかし母は、田植え時に手伝いに行き、休憩中に、手伝いに来てくれていた方々に、甘い赤飯を配った経験があるという。津軽の赤飯は、農作業の休憩中に取る、おやつのようなものだったという。私には、田植えをした記憶はないが、我が家の赤飯の味は、ずっと覚えている。幼い頃に食べた味は、生涯忘れないのかもしれない。
 いろいろ調べてみると、津軽の赤飯の特徴は「甘い」「もち米を使う」「しとり(昆布だし、酒、砂糖、塩等を混ぜたもの)で味付ける」である。もち米の配分も、味付けも、家庭によって様々だが、この三つが基本らしい。まだ、砂糖が高価だった頃、お祭りやお盆、あるいは田植えの時期に、集まった人に対して、もてなしの心を「甘い」味に宿らせたと言われている。甘い赤飯は、津軽料理遺産にも認定されている。皆さんはご存じだろうか。
 数年前、秘密の県民ショーでも、青森の赤飯が取り上げられていて、他県のタレントさんは驚いていたが、私も夫の実家で甘い赤飯の話をして、驚かれたことがある。夫の実家(秋田県能代市)でお盆に作る赤飯は、小豆の入ったうっすらピンク色のご飯で、それにごま塩をかけて食す。ほとんど味がない。私には、とうてい赤飯とは認められないものであるが、皆美味しいと食べている。所変われば…である。
 甘い赤飯が作られているのは、北海道と青森県、そしてなぜか山梨県らしい。青森県では、いなり寿司も茶碗蒸しも甘い。しかし、砂糖の消費量は全国36番目で、けして甘い物好きというわけでもないらしい。
 スーパーの惣菜コーナーやコンビニで、ご飯のおかずが賄える便利な時代になったが、年を取ったせいか、幼い頃に食べた味が、無性に恋しくなる。津軽料理遺産のレシピを見ながら、順番に作ってみようか。
 今年の田植え、まだどこかで、甘い赤飯は配られるのだろうか。
 (弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「東南アジアと独裁」中国の〝影〟が見え隠れ

2018/5/6 日曜日

 

 古い話だが、筆者の学生時代、フィリピンのマルコス政権やインドネシアのスカルノ政権などを「開発独裁」と称していた。これらの国々は第2次大戦後に独立を果たしたものの、長期にわたる植民地支配もあり、経済的な自立は困難な状況にあった。。経済的自立と発展のためには、外国からの支援を含め資源を「有効」に活用することが必要であり、政治的には中央集権的な「独裁」もやむを得ないということであった。もっとも、マルコスもスカルノも、結局は私利私欲に溺れ、国と国民の発展と繁栄をないがしろにしたため、哀れな末路を辿らざるを得なかったのはよく知られた事実だろう。
 ところで、最近の国際情勢、特に東南アジア諸国の政治的動向には気になることがある。民主的選挙を通じて選ばれたはずの政権が「独裁」的政権へと傾斜しつつあり、しかも、背後に大国・中国の陰がみられることだ。カンボジア、フィリピン、タイ、マレーシアなどがその典型である。
 カンボジアは、独立以後も幾多の困難に見舞われ、特に、ポルポト政権の恐怖政治の下で何百万人もの自国民が虐殺されたが、このポルポト政権を倒したのが現在まで30年余にわたるフン・セン政権である。この政権は当初、わが国も含めた先進諸国の支援の下で民主主義国家の建設を進めてきていた。しかし、政権が長期化するにつれて次第に独裁的傾向を強め、これに反対する野党を解散させるなどの暴挙を繰り広げているのだ。少々事情は違うものの、フィリピンのドゥテルテ政権にも同様の傾向が見て取れる。
 ドゥテルテ氏は2016年に民主的な大統領選挙で当選したが、その後、麻薬撲滅作戦などでは、人を人とは思わぬ強権的手法を繰り広げているのはよく知られている。タイにおいてはクーデターで誕生した軍事政権が依然として政権を掌握し、反対派への弾圧を強めている。マレーシアでも首相の個人的思惑で有力野党の活動を完全に停止させている。
 このように、東南アジア諸国で「独裁」的政権が生み出されてきている理由として、グローバリゼーション下で経済的格差が拡大し、同時に汚職も蔓延するなどの政治的不満と混乱が続いている中では民衆もある程度までは強権による「解決」を望んでいるということもあろう。しかし、同時に、わが国や欧米が求める民主主義や自由、人権を無視しても、経済大国となった中国が「支援してくれる」という事実があることは明らかだ。これらの国々には、口うるさく理念を説く国よりも、まずは経済的支援をしてくれる中国の方がよほど好ましい存在と思われているのが現実なのだろう。もちろん、中国の経済的支援は単にそれだけに留まらず、やがては「政治的」支配も狙っていることも明らかだが、残念だが、理念はカネの力には及ばないのかも知れない。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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