日曜随想

 

「今、食が危ない!」世界遺産に選ばれた食事方法

2016/2/21 日曜日

 

 堤未果氏の「㈱貧困大国アメリカ」にこんな記事が載っている。2013年2月、全米薬剤耐性監視システムは次の内容の調査報告を報告した。
 検査対象となった七面鳥のひき肉の81%、牛ひき肉の55%、豚の骨つきロース肉の69%、鶏肉の39%から抗生物質に耐性を持つ細菌が検出され、鶏肉に関しては53%から大腸菌やサルモネラ菌とカンピロバクター菌も見つかった、と。同書によれば原因は効率を求めた巨大化した工業式方式。過剰な密度で動物を詰めこむ家畜工場で、成長促進や感染防止用に大量の抗生物質を注射したり、餌や水に混ぜたりするようになったからだという。TPPではこのような食肉だけでなく、添加物・遺伝子組み換え・残留農薬など食の安全が脅かされる可能性があるが、日本政府は「現行制度を変更する必要はないことで合意した」と説明。よって日本で認められていない農薬や添加物を使った食品が海外から輸入されることはないと主張している。
 しかしながら農業の効率化が求められ、このこと自体はいいことと思われるが、自由化促進が進み、規制が緩和されるということは、このアメリカの話が明日は我が身にならないかと懸念される。
 また一方、過去に看過できない報告があった。2006年国連食糧農業機関(FAO)が家畜、特に世界で15億頭いる牛が世界一の環境破壊者となっているという調査報告である。報告書では反芻動物に帰せられる家畜部門からの温室効果ガス(ゲップ)の排出量は、人間活動で排出される温室効果ガスの18%を占め、自動車や飛行機、その他のあらゆる輸送手段から排出されるすべてを合わせた量よりも多い。
 温室効果ガスの削減問題であるが、数値目標の達成を法的義務化のない「コップ21」での条約に期待できるだろうか。口約束だけで大気の破壊は
防げないのではないか。個人ができることには限度があるが、こんな時こそまずは身近な食を見直し、食事の取り方を改めたい。時間はないと思われる。
 これからは米、麦、を中心として野菜、果物、魚、肉の順に食をとるべきだ。一気に肉から離れることはできないが、日常的に意識を変え食事をとることが大切である。和食が世界遺産に選ばれた理由は一汁三菜の食事のとり方である。主食だけにとらわれず、バランスよく食事する知恵が日本にはある。また日本には新鮮な魚が豊富であり、魚を安全にレパートリー広く調理できる料理人が多くいる。もっと魚を食べ、料理方法の知識を世界に広め、スローフードを意識した食のあり方を青森から世界に発信していきたい、と思えてならない。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「一票の格差」問題 「平等」の下の不平等?

2016/2/14 日曜日

 

 この7月に行われる参議院選挙から18歳から選挙権が付与されることとなり、これらの若年層がどうような投票行動を行うかに注目が集まっている。
 ところでこれとは別にこのところ、選挙制度をめぐる議論がまた盛んとなってきた。事の発端は、国政選挙の度に繰り返される「一票の格差」問題にある。民主主義の下では何人も平等であり、同等の権利が保障されなければならないという原則の下では「一票の価値」は同等の価値でなければならないはずだが、地域によって大きな差が生じているということだ。議員定数にもよるが、人口(有権者)の多い選挙区と少ない選挙区では議員が当選に必要な票が2倍以上もの開きがある場合も起こっており、最高裁もこうした状況は、憲法第一四条の「投票価値の平等要求に反する」として「違憲状態」だとした。これを受け、各党とも選挙制度と選挙区の定数是正を議論しているが、容易には結論を得ることが困難であるようだ。こうした時、昨年12月14日、衆議院選挙制度改革を検討してきた有識者会議が議員定数削減と「一票の格差」を是正する議席配分方式を柱とする答申を大島議長に提出した。「一票の格差」是正を答申するはずであったが議員定数削減まで踏み込んだことで注目されたのである。
 この報道により、私は改めて二つの問題を感じた。なぜ議員定数削減が必要なのか、また「一票の格差」とは何かである。前者に関しては、わが国の国会議員の定数は民主主義的な先進国では少ない方だという事実があるからだ。それなのに何故、国民の多くは定数削減を歓迎するのかである。その最大の理由は議員の中には人格、品格、素質とも、議員に相応しくない人がいるからだろう。それならばこうした人物には投票しなければいいのだ。後者はより深刻だ。小選挙区の設定や比例ブロック議員定数を人口に比例して見直すとしたからだ。その結果、人口減少が続く本県などは議員定数が減少し、東京などは増えることとなる。果たしてこれでいいのだろうか。
 国会議員は国政を運営する代表者であるとともに、選出された地方の代弁者であることには異論なかろう。残念ながら、大都市それも東京圏への人口集中は今後とも進むことは明らかだが、こうした時、人口だけで議員数を決めていけば、やがては国会議員を選出できない県も出てこよう。そうなれば、地方の問題は完全に置き去りにされ、「一票の格差」是正の下で「地方の格差」が拡大することになる。単に人口「数」からではなく、日本全体をどう造り上げていくのかという視点からも定数を考えるべきなのではないか。「地方創生」を考える時、そうした点からの定数問題であるべきだろう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「東京マラソンと検診」運動と健康から広がる世界

2016/2/7 日曜日

 

 青森にとって冬は雪であるが、東京では駅伝・マラソンシーズンである。2月の東京マラソンは五輪選手選考も兼ねている。筆者も2回出場した。第1回と4回だが五輪が目標ではない。
 1回目は偶然の補欠当選であった。学校のこの時期は成績処理のため教員の忙しさを思うと何も話せなかった。
当時の受付は、東京ドーム。学生時代からスキー部で距離競技に出場し、当日も競技用のレースウエアを着用したため東京の人よりは有利だと個人的に確信していた。しかし、期待は天候で一気に覆された雨だったスタート地点の東京都庁ではカッパを着たまま30分以上は立ったままの状態であり、寒くて寒くてゴール直前まで手放せなかった。4回目もそうだったが一番の敵は寒さである北国で東京の人よりは寒さに強くウエアもこちらの方が上であると思っていたが全く逆であった。
 東京マラソンでは、日本の歴史がよくわかる。スタートまもなくが新宿歌舞伎町、弘前の鍛冶町の数倍はある。そこを過ぎると毎年終戦記念日に話題になる靖国神社がある。とても大きく広い。そして、3キロ附近、防衛省の市ヶ谷である。自衛隊の中心地であり、かつて三島由紀夫が割腹自殺した場所である。10キロ、毎日新聞社前を通るころには右手に大きな空間が見える。「何で東京のど真ん中にこんな大きな公園があるのだろう」と思った。皇居である。その向かいは第一生命ビル、第二次世界大戦後、GHQ総司令部のマッカーサーが常駐した場所である。桜田門外の変の場所も見える。15キロ過ぎの品川で折り返す。その他、都内には徳川家や忠臣蔵ゆかりの寺もあり、江戸の歴史がそのまま残っている。28キロ、浅草の雷門が見え、後半である。銀座を戻ってくる。歌舞伎座前を通過し湾岸に入る。ここからの東京はとても広く、風景は一変する。超高層ビルやマンションが多く別の都市のようなイメージである。しかし、ここら辺が2020年東京オリンピック・パラリンピックの会場となる。35キロ過ぎになると自分の体の限界に近づき苦しさが突然増してくる。ふと、2回出場できたことのありがたさが思い出された。
 思えば出場が決まった後の人間ドック・がん検診で大腸ポリープが見つかった。普段の生活に支障がないのでマラソン後、いつか手術になると思っていた。しかし、思い切ってかかりつけ医と相談し、地元黒石病院を受診し正月明けの内視鏡手術が決まった。手術は無事成功しマラソンに参加できることになった。
 漸く東京ビッグサイトのゴールにたどり着いた。検診してなければ手遅れになっていたに違いない。検診の大切さが身にしみてよく分かった。今年の東京マラソンからはリオ、東京五輪までの選手が誕生するので注目したい。
   (黒石幼稚園園長 山内孝行)

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「ソウルフード考」茶碗蒸し甘いかしょっぱいか

2016/1/31 日曜日

 

 弘前市のかだれ横丁で開かれた「あおもりツーリズム創発塾・津軽学」の公開講座「ソウルフード津軽/うけつがれた味」に参加した。学習院大学の赤坂憲雄さんらを迎え、弘前市・黒石市・板柳町・鶴田町の町歩きや地域の食に関わる方々が話題提供者となって語り合う座談会である。派手ではなくても地域の人々に愛されてきた食に光を当てたいと、弘前大学の平井太郎さんが企画した。フロアにも大勢の来場者があり場はおおいに盛り上がった
 座談会の詳細は1月18日の本紙の記事でご確認いただくとして、ここでは話題に上った食について考えてみたい。「ソウルフード」として挙げられた中には、弘前では大和家さんのおにぎり、おやき、板柳のもつ焼き、黒石のアイスキャンデーなど、子ども時代や学生時代にお世話になった身近な味がある。鶴田町の方々はお手製の漬物を並べ、赤カブをはじめとする様々な漬物や山菜が、日々の食卓にいかに密接に結びついているかを心を込めて語られたさらにお正月に欠かせないという「けの汁」に話が及ぶと「こあえ」「練りこみ」など、専門用語的名称が飛び交い、ディープな世界が展開し始めた津軽の食の奥深さ全開である
 話は津軽の味つけの「甘さ」にも及んだ。そう、津軽ではお稲荷さん、お赤飯、茶碗蒸しも甘い。津軽出身者には当たり前だが、他地域の人が驚くポイントである。時には気持ち悪いとまで言われることがあるが、そこは譲れない!のだそうで、それが正に「ソウル(魂)フード」たるゆえんなのだな。
 私自身は津軽出身ではないが、親しい方から「津軽のごっつぉ(ごちそう)」を頻繁にいただいたので、津軽の甘い味つけがおいしいことを知っている。しかし同時に、その経験がなければ「ちょっと勘弁して」と言いたくなる気持ちも良くわかる。地元の人には懐かしくおいしいものでも、慣れない人には近づきにくいことがあるのが地域性の高い食の特徴だろう。
 暮らしに根ざしたソウルフードは外部の人の受けが良いものばかりではない。漬物やけの汁はほめるが、甘い茶碗蒸しは敬遠するというように、地域の食への近づきやすさは多層であり、地域の個性の強さの度合い(ソウルフー度?)とも対応している。これは地域の特性を見直す時、重要な点だ。
 現在は、情報や物の流通範囲が広くなり、国内だけでなく世界の食が手に入る。食が地域固有の文脈から離れ、観光資源として使われるようになっているいま、外部の人から高評価を受ける食を打ち出す一方、「茶碗蒸しは甘くないと!この良さは津軽育ちにしかわからないよね」という特別な食をとっておくのは素敵なことだ。そういう地域が多いほうが、旅する側も楽しいでしょ。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「いろんな色のはなし」赤ん坊はミドリ、水は黄?

2016/1/24 日曜日

 

 だいぶ昔の歌謡曲なら、「あなた好みに染められたい」なんて歌詞を、見つけることが出来るのかなぁ。昨今はこんな台詞を聞くことも、まして話すこともありませんけどね、色相・色彩のことは、大いに興味がある分野。
 たとえば、青信号はなぜ緑色なの?なんて突っ込みが、大好きなのです。この質問には、こんな答えを用意しております。つまり、中国文化の影響を受けていた古代の日本では、青と緑の色名を区別していなかった。青天や青蒼といった空は青でしょうが、青梅や青青なら、もちろん緑でしょ。こんな色名の混用が原因なんだってね。
 当然のことですが、青と緑は視覚的に区別しているのですが、その意味付けからは、さらに可笑しさが広がる。
 緑色は命に溢れて、若葉の色でもあるから、「若くてみずみずしい」ことを、「みどり」とよんだそうな。それならば、生まれたての真っ赤な赤ん坊も、「みどりご」といえるのかって。
 中国の思想である陰陽五行説では、青は東・春に配される。だから皇太子のことを「東宮」と呼称するけど、春宮・青宮も若宮のことなんだって。
 明治四十一年九月、東宮殿下は弘前に行啓なされ、やがて公園を「鷹揚園」と命名。御旅館として、弘前偕行社が用意されたんでしたよねっ。
 ところで、青色に幸せの想いを抱くのは、メーテルリンクの『青い鳥』に誘発されてだろうか。文字通りの音痴なので、『美しく青きドナウ』の曲名は知るが、楽曲は思い出せない始末。だから、アフリカの「青ナイル」といわれても、もはやなんの感傷もない。まぁ、「ブルーな気持ち」というのもありましょうが、空や水の色合いを想えば、清々しくなりませんか。
 と、誘い水をしておきながら、実に恐縮なのですが、川の水は水色とは限らないから面白い。大気汚染などが問題になる数千年も前から、中国の川は土色が多い。代表的なのは、その名も黄河。大量の黄土を押し流しながら、茶褐色の水が流れ込むから黄海とは、良くできた話じゃぁありませんか。
 ちょっと話を複雑にすると「褐色」とは、黒みを帯びた茶色ではなくて、「カチイロ・カチン」と読む古語は濃い藍色だというからややこしい。
 平家物語の名場面、那須与一が扇の的を見事に射抜くときの装束は、鎧の下に着る直垂が褐色で、襟と袖の端が赤の錦というアクセント。こりゃぁ、見栄えがするってもんですよねぇ。
 光の三原色の赤だけ触れないのは、なにやら手落ちのような気分だから、最後ながらご紹介。赤く燃える太陽、血液の色。世界共通のことながらも、太陽を丸で赤く塗って、放射状に線を引くのは日本人の子ども。黄や橙で塗る外国人は、線は書かないそうです。
 日の光は、サンサンと欲しいねっ!
(元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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