日曜随想

 

「歴史と文化の街弘前」トップランナーを目指せ!

2016/4/3 日曜日

 

 昨年12月、観光研究会M(座長・元立教大学観光学部教授溝尾良隆)にて日本政府観光局平田真幸部長による観光政策課題についての講演があった。平田氏によると現状の日本が抱える政策課題の一つとして、地方への誘致、受け入れ体制整備が挙げられると指摘され、その中で、田舎に個性がなくなっている、という現実に着目されていた。いつまでも東京、京都だけでは飽きられる。いかに地方を魅力的にし、アピールするかである。どこの駅に降りてもどこの土産売り場に行っても、同じようにしか見えないという現実。われわれ日本人においてもその感想は持つが、ましてや海外からの観光客においては神社、仏閣も変わりはないであろう。そこでこれからは観光ブランディングという戦略に注目していくとのことであった。
 しいていうならば、ブランドとは約束。言ってしまえばそれは「約束を守り続けてきた」ということ。逆に言えば一度でもその期待を裏切るとたちまちブランドは失墜する。それ故顧客はその観光地へ行くことへの期待は高まり、提供されるサービス商品(施設人的サービス、街の景観、文化、歴史など)のレベルやその差別性が意味を持つ。
 平田氏によると、実は上客は海外にいるらしい。外国人はおよそ一週間の休暇をとり、連泊を好むが、日本人の宿泊は1泊が多い。しかしながら海外の富裕層は日本に来ない。日本の高級ホテル(3~5万円)がチープ(安っぽい)と思っているからだ。海外の一般的な富裕層は10万円以上を望む、と思われているようである。
 この日本に来ていない富裕層の取り組み、これはおいしいターゲットだ。それゆえ富裕層向けの宿泊施設、サービスの拡大が望まれているのではないだろうか。そのためには海外からのノウハウ、資金・人材の投入が求められるであろう。24時間。英語・中国語・韓国語のサービスがなければならず、人材育成は欠かせない。
 さて地方に個性がなくなっている。そんな中で弘前は際立った個性の光を放っている。歴史と文化の街であり、お城とさくら、リンゴに、ねぷた祭り、そして温泉の街である。
 街は伝統に彩られ、弘前公園、津軽三味線や地酒、伝統工芸、そして洋館にフランス料理などの情緒にあふれ、さらに洋菓子店と生花店のバラエティに富んだ色彩と甘い香りが漂う。また学都の街として栄えたせいか、横浜、神戸と違ったハイカラさがある。ドバイからリンゴの買い付けのための旅行者が来ていると聞くが、是非とも日本に来ていない高級富裕層の取り組みを図り、海外の富裕層向けの宿泊施設、サービスの拡大を充実させ、日本一の観光の街を目指してほしい。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「津軽海峡圏と経済圏」ゲートウェイ構想の可能性

2016/3/27 日曜日

 

 昨日、北海道新幹線新青森―新函館北斗間が開業した。北海道民、特に函館市や道南地方の人々にとっては待望の開業だが、同時に「しょっぱい川」津軽海峡を挟んで向き合う本県にとっても大きな意味がある。北海道新幹線は本県と道南を1時間ほどで結ぶ大動脈であり、この時間的・距離的な短縮が両地域を、百万都市仙台市と2百万都市札幌市の中間に位置し、新たな発展の可能性を有する津軽海峡圏と捉えることを可能にしたからである。三村知事が平成28年度予算案の趣旨説明で「観光やビジネスのみならず、医療、教育、文化など、暮らしの様々な分野にも新たな可能性が生まれる」と述べられた通りであろう。
 ところで津軽海峡をめぐり、三村知事は同じ趣旨説明で、極めて興味深いことを述べられている。「津軽海峡=ゲートウェイ構想」である。知事は、「国内主要都市や海外を結ぶ航空路線に加え、津軽海峡を結ぶフェリー航路などの陸・海・空の交通ネットワークを活用した周遊観光を積極的に進めることで、交流人口のさらなる拡大が期待される。こうした交流・物流基盤を背景に、東アジアのゲートウェイとしての地政学上の優位性を備えた津軽海峡圏域は、一つの大きな経済圏として発展する可能性を秘めている地域でもある」とされたのである。ここでは津軽海峡圏を、本県と道南地域からなる「経済圏」とだけ捉えるのではなく、ユーラシア大陸、北米大陸、さらには北極圏をも視野に入れた「経済圏」として構想されていると言えるだろう。
 この構想を知った時、私は成田鉄四郎の「陸奥湾の将来」を思い出した。成田は、20世紀にグローバリゼーションが進展し、世界的に通商・貿易が発展するなかで、陸奥湾がその結節拠点として位置づけられ、本県が世界貿易の中心的な地域として発展する可能性のあることを示唆した。残念ながらその時代の世界通商はそれほど大規模なものではなく、本県の産業もこれといったものがなかったこともあり、具体的に動くことはなかった。しかし、21世紀に入り、通商交通手段も海路、空路、陸路などと多様化し、グローバリゼーションの深化により大量の物流・商流も日常的なものとなり、かつては思いもよらなかった北極圏航路も現実のものとなってきている。県などの調査ではこれらの交通通商手段や物流・商流が津軽海峡圏に利用している頻度も極めて膨大な量となっているとのことである。こうしたなかで不足しているのは津軽海峡圏における多様な物産製造とその集積だけではなかろうか。
 三村知事の構想を受け、その実現に向けた戦略と計画をいかに立案していくことができるか、今、青森県と産業界に問われていると言えよう。
(青森地域社会研究所特別顧問 末永洋一)

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「表千家と大原麗子」和風文化の良さを見直す

2016/3/20 日曜日

 

 「少し愛して、長く愛して」という古いウイスキーのCMの台詞であるが女優大原麗子を緑山スタジオで初めてみた時は大いに感動した。原作は、山本周五郎の「三十振り袖」であった。周五郎の作品は、どちらかというと社会的弱者がその厳しい環境の中で健気に生きていく姿を描くものがあり、共感することが多い。大原麗子は、着物姿がよく似合い、髪型も髷を結い江戸時代を彷彿させるものがあった。周りのスタッフは非常に人数が多く、カメラ、照明はじめ約50人、中には、歩く歩数を数える人までいた。少しハスキーな声で言う台詞には独特の余韻が残った。
 そんな彼女の突然の訃報を聞いたのは、その後数年してからである。一人暮らしのためか前年に骨折してから病気は一気に進んだらしい。関節が不自由になる病気ということだが短命が悔やまれる。
 2年前から茶道を始めた。膝に病を抱えた男性としてはいささか抵抗があったが、いざ始めてみると毎回新たな発見があり、なかなかおもしろい。端的には「おいしいお菓子を食べてお茶を飲むことである」が奥が深く道具を始めしぐさの一つ一つにまで作法がある。お菓子も菓子店に和菓子を注文するが季節に合わせた花や果物をあしらったものが多く、正月は白の饅頭に中は鶯色の餡という具合である。茶碗、棗、建水など茶道具には亭主の趣向が凝らしてありお客様へのおもてなしの心(ホスピタリティ)がはり巡らされている。茶室に入り、禅語などの掛け軸を読み、茶花を見回す。炭火の上に置かれた銅の釜を見た後、自分の席に着く。黒石、弘前、青森の茶会にもたまに出席するようになってきた。その際、和服姿の女性を見かけることが多いが、その度に女優大原麗子を思い出す。それくらい津軽には美人が多い。
 今時古いと言われそうな気がするが、日本伝統を引き継ぐ和の心は、茶道なしには語れない。情報化社会、スマホなどで絶えず繋がりや情報を得ずにはいられない現代社会においてこそ、一切を排除し、平等に対峙する茶室の精神、和の世界を少しずつでも積み重ねていきたいと思う。高樋憲黒石市長は和風文化の良さを生かした着物の似合う街づくりを目指しているのも大いにうなづける。ネット社会=人間関係であり、リアル(現実)の問題はネットの問題である。一人一人の内面性の充実には十分配慮を要する。このため、学校・家庭(親子・家族)・地域を通じて人間関係や礼儀をきちんと築く和の精神がより一層大切になる。
 短命県返上的には、「塩分は少し、寿命は長く」であるが、幼稚園でも「一期一会」の精神で、今後も茶道を継続していきたいと思う。皆さんも気楽に茶会に参加していただきたい。
   (黒石幼稚園園長 山内孝行)

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「怒る練習」解決の糸口を作る社会的技法

2016/3/13 日曜日

 

 現代日本の日常的なコミュニケーションでは、「怒り」の置き場が見つけにくい。感情をあらわにすることを良しとしない文化の中で、怒りの表明は、やりとりの断絶や人間関係を損なう行為だと思われがちだ。そんな文化に育った私のような人間には「怒ること」はとても難しい。しかし、それを社会的な技法として発達させ、怒りをあらわにすることで、問題解決の糸口を作る社会もある。
 「腰に手をあてて大きな声で、皆に向かって、私は怒っていると言いなさい。皆があなたに注目したら、自分が何に怒っているかを語るんだよ。」私がまだ大学院生だったころ、ザンビアの農村で受けた「怒る練習」はこんなふうに始まった。「怒る練習」で大切なのは、怒りの感情を相手にぶつけることではなく、当事者以外の人がいるところで「私は怒っている」と表明して、何かの軋轢(あつれき)が生じたことを周囲の人に伝えることである。それが伝わると、周囲の人々の中から当事者たちをなだめる人、共感する人、とりなす人、問題を解説する人など、実にいろいろな対応が現れる。周囲の人々が自分の考えや立場に応じてあれやこれやと介在して、軋轢が暴力沙汰につながったり、決定的な争いに発展したりしないように手を尽くす。当事者どうしでは解決できない大きな問題でも、周囲の人がよってたかって解決につながる糸口を作り出していくのだ。怒りを表明することは、周囲の人たちに手助けの関与を求めることらしい。
 気をつけて見ると、村の子どもたちもそうやってしつけられている。自分の怒りを決まったやり方で表明する、誰かが怒りを表明したら、それぞれが自分の立場でそこに関わって、最終的には何かしら状況を打開する道ができるように動く…。毎日の暮らしがそんな実践の繰り返しである。子どもたちと一緒に「怒る練習」をしながら「ふうん、怒ることって、それを受け止めることとセットになった文化的な技術なんだ、怒る練習は、当事者以外の人に仲介を求める社会的な技法の練習なんだなあ」と感心したものである。怒りという個人の感情が、暴力や集団的な憎悪の連鎖に拡大する可能性を抑え逆にそれを、人間関係の軋轢や問題に社会的に対処する契機として利用するやり方は、人間の社会が培ってきた共在のための技法のひとつである。
 今までの日本文化にはあまりなじみがないけれど、ヘイトスピーチや突然の暴力などのニュースを聞いて、何だかみんなイライラしてない?と感じることの多い昨今、感情をぶつけ合って憎悪をかきたてたり、相手との関係修復の道を閉ざしたりする怒りの表明ではなく、「怒る練習」を通して共在の糸口を作る技法を磨くやり方もあることを思い出せるといいと思う。
(弘前大学人文学部教授 杉山祐子)

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「町内こぞって雪切り」春を掘り出す北国の名物

2016/3/6 日曜日

 

 今ではほとんど活躍する場面のない道具ながら、数度の引っ越しで取り残されることもなく、大きくもない小屋の中に鎮座まします鶴嘴。
 漢字で表記すると、なんとも不思議でして、ツルのくちばしというのは、その形状から命名されたのでしょう。ツルハシのことですが、まぁ、お若い方でこれを使ったことがあるというのは、本当に少ないのかも知れません。
 津軽のオドながら、老婆心から念のために注釈を加えておきますと、登山のピッケルを大きくしたようなモノという説明で、想像が出来ましょうか。
 振り下ろす先は鉄製で重く、木製の柄も楕円形で幅広ですから、子どもが自在に扱える道具ではありません。
 今年の冬は、なんだか降雪が少なくて、まずは楽に過ごせましたが、例年これが活躍するのは、弥生三月の半ばといったところ。町内ごとに期日を決めて、一斉に家の前の堅く踏み締められた雪に、これを突き立てるのです。
 振り下ろされたツルハシによって、道路の圧雪は剥離しながら砕かれてゆきます。ちょうど、「津軽には七つの雪が降る」というフレーズでもありませんが、ザラメ雪などのところで剥がれ、割った雪は道端に石垣のように、高々と積まれてゆくのです。
 小学校の低学年ころまでは、危ないから近づくなと言われるのですが、やがて砕いた雪を運ぶお手伝いから始まり、道端に積み上げる任務を仰せつかるようになれば、割った雪をツルハシで、更に細かくする真似事にも挑戦。こうして、道具の重さや使い勝手を身をもって覚えてから、いよいよ鶴嘴デビューとなるのでした。
 不揃いな雪の積み上げにも、コツがありまして、土台をしっかりさせないと崩れてしまう。家の前でお手伝いをしていると、通りがかりの大人から、「ご苦労さん」「がんばってるねっ」と、何とも嬉しいお褒めの声がけ。
 時折は、トテ馬車のおみやげなども顔を見せ、数日にして路面は一気に下がり、やがては地面の暖かさが地表に届き、コンクリートや黒いアスファルト舗装が広がってくる。
 かくして北国の春は、生き生きと雪の中から掘り出され、土の香りがまちに溢れるようになると、新学期も間近というころですよねぇ。
 江戸のむかしから、こうした春の訪れを心待ちにしていたようで、「草鞋道」という、実に情緒溢れる表現がありましたっけ。
 昨今では、どんな光景で季節を感じるんでしょ。弘前公園の桜の枝切りなんてのもこの土地ならではだろうし直に土の感触に接する場所が身近にあることは、本当に幸せなことです。
 いま有ることには、漫然と慣れないで、育み慈しんできた志や歴史だって、しっかり大切にしたいものです。
(前弘前図書館長 宮川慎一郎)

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