日曜随想

 

「ふるさと納税の意味」返礼品より地方への思い

2020/11/15 日曜日

 

 先日、ある自治体に教育資金の足しにと思い、ふるさと納税を考えた。ネットで、その自治体とふるさと納税をクリックしたところ、まず出てきたのは、返礼品を扱う業者が各自治体の返礼品を競い合っているサイトだ。テレビCMを盛んに流している業者のサイトももちろんあった。疑問に思ったのは、なぜ、ふるさと納税の返礼品をこうした業者任せにしているのかということだ。自治体も職員不足で、返礼品まで手が回らないのは理解できるが、納税の一部が業者に手数料として払われることになり、業者が「中間搾取」をすることになりはしないのか。
 ふるさと納税制度は、周知の通り、現在の菅首相の肝煎りで作られたもので、総務省は(1)納税者が納税先を選択することで、その結果、税の使われ方を考えるきっかけになる(2)生まれ故郷はもちろん、お世話になった地域、応援したい地域の力になれる(3)自治体が納税をアピールすることで競争が生まれ、地域の在り方を考えるきっかけになる-制度だと紹介している。納税者が税の使われ方に関心を持つべきなのは、ふるさと納税に限らず当然のことであるが、所得税や住民税のように徴収されるのではなく、自らが選択して納税することで税への意識が高まり、地方に生まれ育った人が、学業や就職で故郷を離れて都会に住まざるを得ず、人口減少や産業不振で税収減が続く故郷へ「恩返し」ができる機会であるのも素晴らしいことだろう。しかし、自治体は、地域の素晴らしさや地域づくりをアピールし、納付された税をどのように使っていこうとしているのかなどをしっかりと紹介しているのだろうか。また、納税する人も、返礼品を真っ先に考え、返礼品の「豪華さ」で納税先を考える場合が多いのではなかろうか。返礼品に加え、税の控除対象ともなり、節税対策に利用する人もいるようだ。
 納税者のこうした心理を巧みに利用したのが、大阪府泉佐野市の返礼品だろう。明らかに度を越した返礼品が問題となり、制度から除外された泉佐野市が裁判を起こし、最高裁は法的には泉佐野市に問題はないとして国が敗訴した。しかし、一裁判官が「釈然としないものが残る」と述べた通り、泉佐野市のやり方は度を越していたのは誰の目にも明らかである。もっとも、問題の本質は、自治体をアピールするのではなく、返礼品をアピールできる制度自体にあったのだ。国も返礼品には一定の制限を付けたが、そうではなく、納税者がこの制度の意義を認識し、故郷や地方を思い、その活性化のために納税する制度にすべきなのだ。
 そろそろ、ふるさと納税を考えている人も多いことと思うが、返礼品の「豪華さ」ではなく、この制度の原点に立ち返り、故郷や地方の役に立つ納税(寄付)をしたいものである。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々10」レンガの倉庫

2020/11/8 日曜日

 

 私が勤める弘前大学でこの秋、「現代美術演習」という講義が開講された。この講義は「弘前れんが倉庫美術館」(以後『れんが美術館』と表記)からの寄附講義で、大学側の受け皿は教育学部の美術教育講座である。美術の授業に現代美術専門の授業はなかったので、寄附講義はありがたいものとなった。講義は学生にとって、今のアートを肌で感じる良い機会になるであろう。
 先日、その寄附講義の第1回がれんが美術館の運営統括者である小杉在良氏によるオンライン授業で行われた。れんが美術館や青森県の美術館、アートプロジェクトなどについて、アートの現場のリアルな話などを交えながらの話は、とても興味深い内容のものであった。
 れんが美術館についての講義の中で、運営組織についての説明があった。注目すべきは、学芸チームに作品の展示を担当する「インストーラー」という専門スタッフが配置されていて、これは全国的に見ても珍しいケースであるということ、またスタッフの年齢層が若いということであろう。この2点に現代美術の匂いと可能性を感じてしまうのは私だけであろうか。ちなみに美術館に関する法律の話もあったが、博物館法的にはれんが美術館は「博物館類似施設」のカテゴリーに入るということだ。何か釈然としないが。
 各地のアートプロジェクトについての話もあった。神社・仏閣・御神体や仏像・催事を展示会場・展覧会・作品に見立て、また縁日とそこに集まる人々を街・市民に見立てて、「現代のアートと社会のつながり」についての構造が示された。地域連携役も務める小杉氏ならではのビジョンであり、れんが美術館と弘前という地域の関係のあり方に対する彼の理想を表しているように思えた。
 講義の序盤で「れんが倉庫」の歴史が古い絵や写真・新聞記事などの資料とともに紹介された。話を聞いているうちに、このれんがの倉庫はすごいものだと思えてきた。そもそもれんがの倉庫が建てられたということ、中身が変わりながらも100年後の今まで残っているということ、さらに改修されて美術館(しかも現代美術館)として生まれ変わったということ。改めて考えてみると、まさに奇跡としか言いようがない。100年という歴史の中で、各時代の「れんが倉庫」に関わった人々の想いがつながり形となって姿を現したのが「弘前れんが倉庫美術館」なのである。
 れんがの倉庫は田根剛氏によって「記憶の継承」というコンセプトのもとに見事に改修された。また新たな歴史が始まる。歴史を感じさせる建物と現代アートの組み合わせの相性がいいのは、世界各地の事例で示されている。これかられんがの美術館にどのような記憶が積み重ねられていくのか、本当に楽しみだ。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「魅力度ランキング」評価基準の見極めが不可欠

2020/11/1 日曜日

 

 民間調査会社による市町村の魅力度調査というものが先般、発表になった。わが街函館は、例年ランキングのトップ3の常連で今年は第2位だという。インターネットで認知度やイメージ、居住意欲など計84項目を尋ね、約3万人から回答を得て、数値化し集計したものだが、直近10年間、なぜか札幌、函館、京都が上位を独占している。コロナ禍になる前に、例えば京都では「観光公害」という言葉さえささやかれた。訪日外国人が、路線バスに大きなスーツケースを持ち込み、市民がバス利用で不便を被ったことなどである。京都の魅力度を考える際、それほどの人気があるのだと捉えるか、これでは快適に楽しむことができないと考えるか、その視点がわずかに変わるだけで、結果はがらりと変わるはずなのだ。しかも10年もの年月の中では、人々の旅や観光のかたちが緩やかにではあれ変化し、そうしたニーズに応えようと、どの街も躍起になってきたはずだ。それでもなお三つの街がトップに居座る結果になることは不思議である、と同時に街の魅力の多様性が阻害される危惧さえ感じている。もちろん、そこに住まいする私の実感との乖離(かいり)も激しい。
 他方、飲食業界ではこんなことがあるようだ。身分を明かさない覆面調査員が来店することで知られる世界的なレストランガイドでは、店に対して与えられる星の数が、その店の料理人の命運を左右することさえある。星を得るためのたゆまぬ研さんはもとより、星を得た後にその評価を落とさぬよう日々の苦悩もまた相当なものだ。ある者は星の評価が下がることを恐れ、苦難に打ちひしがれ、この世を去る選択もした。
 そんな中、料理人をしている友人がこんな話を聞かせてくれた。彼の店もまた、このガイドのお眼鏡にかなったのか、身分を明かさぬ客が来店したそうだ。食事が終わり、事情を明かされ懇談となった際、オーナーシェフである彼は、調査員に向かって「御社は、店や料理の独創性に評価の重きを置くと聞いている。当店では伝統的なものを大事にしているので、星を付けるのには不向きではないのか」とわざわざ直言したそうだ。その結果、星を得ることはなかったが、ガイドの別枠に店が紹介されていたという。後日、奥さんからは「もったいない」と大目玉を食らった、と笑って話してくれた。
 今般、ランキング然とした調査が巷(ちまた)にあふれている。これらを参考にする際には、その評価基準がどこにあるのか、それを冷静に見極めることが必要だ。そうすれば評価自体の価値を総合的、俯瞰(ふかん)的に測ることもできる。これは万人にとって大事なことだ。また当事者もその結果に一喜一憂する必要はない。多様性を善(よ)しとする料理人のように、どっしりと構えるべきだと思うのだ。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」わかる・かわる・できる

2020/10/25 日曜日

 

 見出しは40年ほど前、国語教育者・瀬川栄志(えいし)の国語科授業双書に付けられたキャッチフレーズである。当時、瀬川は全国小学校国語教育研究会の指導者で多くの著作を発表していた。1982年、本県の三沢市立岡三沢小学校と上久保小学校で開催された当研究大会に、筆者は研究協力員として関わった。
 その時の経験で瀬川の国語科授業の指導観が「わかる・かわる・できる」のフレーズに要約されることを実感した。少し説明しよう。そもそも学習は内容がわかったとしてもそれで終わりではない。わかったことは、(実践)できるようになることが望まれる。だが、わかる即できるにはならない。わかってもなかなかできない。できたとしてもその理由がわからないことがままある。
 わかるとできるの間には「かわる」段階がある。つまり、わかったことを適用して確かめる段階が欠かせない。それが瀬川の説だった。「わかる・かわる・できる」という明瞭なイメージとリズミカルな響きが相まって、当時、小学校の国語教室には、その名を冠したワークブックを使う授業が広がった。
 閑話休題。若者の読書離れや出版業界の不況が指摘されて久しい。社会の変化がゆっくり考える時間やゆとりを奪い、スピードを求めるからであろうか。書店の棚に「わかる」「わかりやすい」の修飾語がつく書名が多くなった。たとえば、「すぐわかる~」「やさしくわかる~」「~すれば分かりやすくなる」「5分でわかる~」「よくわかる~」「マンガでわかる~」「ゼロからわかる~」等々の売り文句があちこちに躍っている。これは手っ取り早くわかりたい、というスピード重視のニーズに応えた現象である。
 実際、その手の本は嫌いではない。ときどき購入もする。確かに内容は要点が整理され簡潔に表現されている。しかし同時に物足りなさや疑問点も残る。売り文句はキャッチフレーズだ。そのまま受け取るには無理がある。あくまで入門書、基本のキ(第一段階)と心得えて他書や原典へと進む。何度も何度も読み返し、実践を重ねていくうちに、少しずつわかりはじめる。が、またわからなくなる。その繰り返しに現在(いま)がある。
 小林秀雄(ひでお)は「わかることと苦労することは同じ意味」(新潮CD・小林秀雄講演第3巻本居宣長(のりなが))と見抜いた。わかるとは知識を増やすことではない。独立独歩で考え抜き、苦労の末に気付くことだ。都合のよいわかり方をしなければ表現はみんな難しいと説く。
 日常的に発する「わかる」も少し考えてみれば思い込みや偏見を前提にしていると気付く。物事は簡単にわからない。これは「できる」も同じだ。絶えざる苦労、努力が欠かせない。主体的に学び続ける意味はそこにある。
(東北女子大学特任教授 船水周)

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「えっ そこですか」オーディオマニアのこだわり

2020/10/18 日曜日

 

 21世紀に入って落ち着いたと思われるPCM録音に代わって、またぞろDSD音源に対応した再生機器が出現してきた。事の発端はおそらく人の耳の感度がデジタルで示されるような物理量に比例しないことが挙げられる。実際現在の騒音の単位はホンでもデシベルでもなくデシベル(A)である。
 多分に漏れず音楽との関わりは深夜放送の音楽番組でした。クリフ・リチャード、シルビー・バルタン、ジリオラ・チンクエッティなどなど。
 中学生の頃、中土手町の電気屋さんに100万円のステレオが展示されていた記憶があります。三菱ダイヤトーンの触れ込みでした。残念ながら音を聞いた記憶はありません。1960、70年代に入ると映画の音声技術の一環としてドルビーデジタルや、4チャンネルステレオが出現しました。自分がどこに居れば一番いい音響で聞くことができるか、イコライザなる装置まで出現しました。田舎に住んでて近所迷惑も考えず…ボンガボンガ騒音をまき散らしていました。もちろん4chのヘッドホンもあったのですが臨場感には欠けました。76年になると「ミッドウェイ」がセンサラウンドという鳴り物入りの音響でヒットしました。ウーハーという重低音が売りで、座席も空中に浮いているような感覚で、耳だけではない低周波を体感できました。当時の映画館にゆとりがあったのか、配給元が提供したのかは分かりませんがいい体験でした。
 逆に音がしない体験はミクロネシア連邦ポーンペイ島のナンマトル遺跡へ行ったとき、波の音、風の音、鳥の鳴き声以外の音がしません。妙に寂しさを感じました。生まれてこの方ずっと暗騒音に浸された結果でしょう。
 さて、私の周りのオーディオマニアといっても70年代後半のことですから、レコード針、アンプ、スピーカー等アナログの話です。内科医でもあった上司は、人づてに聞いた話によるとオーディオフェアがあると業者がアンプやスピーカーを借りに来るとかその方面では有名人のようでしたので、声をかけたら二つ返事で「聞きに来るか」でした。当時はちょうどアラベスクやアバのディスコブームさらに、ヘンリー・マンシーニやマントバーニのイージーリスニング。クラシックだと…フルトヴェングラー、トスカニーニ? 音楽しか考えてません。自宅に伺うと広い居間にオーディオ機器が並んでいました。「今、電源を入れたところなので安定するまで少し待ってください」。おもむろにレコードをターンテーブルに乗せ、ピックアップを持ち上げ、聞こえてきた音は…「ゴーン」「えっ何?」答えは京都知恩院の梵鐘でした。オーディオマニアのこだわりって、それなりの装置がないと再現できないものでした。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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