日曜随想

 

「祭りで異文化体験」当たり前がそうでないこと

2017/4/30 日曜日

 

 津軽に春がやって来た。今年は大正七(一九一八)年に「弘前観桜会(昭和三六・一九六一年に弘前さくらまつりに改称)」が始まってから100年、100周年なのだそうだ。そこに単なる花見ではない、歴史と文化の重みを感じるのは、私だけではないだろう。
 弘前に住むようになって最初の春、さくらまつりには学生に連れて行ってもらった。そこで、多くの異文化体験をした。
 お城や石垣、松と桜だけでも壮大なスケールで驚くのはもちろんだが、これまで私の知っている花見とは大凡(おおよそ)、似て非なるものがたくさん存在した。「公園で蟹を売ってはいけません」という看板や、〇〇酒店や△△食堂という地元の店がそのまま公園で商売している様子などは、驚き以外の何物でもなかった。酒屋では何と一升瓶が売られ、仮設の食堂、その前には食品サンプルまであった。また、釣り堀や洋服店、錦石店など、他の桜の名所といわれる地での花見には、決して見たことのない出店が広がり、さらにはお化け屋敷やオートバイサーカスのような、かつてはあったが現代では見かけなくなったものも当たり前のようにあった。それが津軽の花見の当たり前のものとして存在していた。この光景に私は驚愕し、写真を撮らずにはいられなかった。
 そうした私の興奮を見ていた北海道出身の四年生の学生が、「先生、すごいね。私が一年生の時、これ何?って思うこといっぱいあったけど、口に出せなかった。周りの子達は津軽の子だったから、これが当たり前って風だったから、不思議だって言えなかった」と教えてくれた。
 毎年、新入生には、地元出身の学生と他地域出身の学生と一緒にお城に行くよう勧めている。そこで何がフツーで、何がフツーじゃないのか、お互いに確かめることが、相互理解のきっかけになる。
 花見弁当には、この時期が旬であるとげくり蟹とガサエビ(しゃこ)が入るのが常識だというこの地においては、傷みやすい蟹を生半可な保存の仕方で販売すれば、すぐに食中毒になる。だから「公園で蟹を売ってはいけません」となるのだが、「公園で」が問題なのか、「蟹を売る」のが問題なのか、最初はわからなかった。
 これは常識、当たり前という社会的な文脈は、高度な理解が必要とされる。それは「わからなくて当たり前」なのだが、「これが当たり前だ」と考えている人が多数派の中では非常に見えにくい。それが異文化間の摩擦にもつながっている。
 来客者に「ご苦労様です」と声をかけるのは、いわゆる上から目線で失礼なことか、敬っているのかどちらだろうか?
(弘前学院大学文学部教授 今村かほる)

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「桜の想い出」桜を愛でてなに思う

2017/4/23 日曜日

 

 もうすぐ街が桜色に染まる。長い冬を堪え忍んできたからこそ、喜びもひとしおである。季節の移ろいに感動する間もなく、忙しく日々をおくっている私でさえ、この時期だけは、桜のそばで足を止め、記憶をたぐり寄せながら、感傷にふけることがある。
 私が弘前公園でお花見をした最初の記憶は、たぶん小学一年生くらいのことで、今から五十年以上前のことである。「弘前公園の観桜会に連れて行ってやる」と叔父に誘われて訪れた。桜の花は、現在の花が集まって、手まりのように丸くこんもりした形ではなく、色もずっと薄い桃色だったと記憶している。りんごの木の剪定技術によって、桜の花の様相が、飛躍的に良くなっていると、ニュースで見たことがあるが、五十年の進歩はすごいと思う。一方、今も不可解なのは、当時、桜祭りでは、「がに(蟹)」と「がさえび(シャコ)」が売られていたことだ。海が近いわけでもないのに不思議な話だが、観桜会では蟹を買うというのが、なぜだか定番になっていて、とても嬉しかった記憶がある。それから、当時は高級品だったバナナのたたき売りもあった。
 四十年前、大学生だったころの記憶で印象に残っているのは、弘前城本丸前で合同コンパを開催したことだろう。いろいろなサークルや学部学科のちがう学生が、「合コン」と称して、よく一緒にお花見をした。合コンは、最近の学生もまだ行っているようだが、当時の学生はお金がなかったので、夜になると花冷えがして、セーターの上に防寒着を着なければならないほど寒い中、身体を寄せ合って、安い酒を飲んで盛り上がった。今思うと少し恥ずかしい。友人の一人がそこで知り合った人と結婚した。今はどうしているのだろう。
 三十年前、結婚して子どもが生まれ、小さいながら家を建てた。縁のない土地に越してきて、不安いっぱいだった私たち家族を、地域の方たちが、温かく迎え入れてくれた。翌春、初めて猿賀公園の桜を観に行った。神社に参拝し、ここで生きていくんだと、気持ちが引き締まったのを覚えている。
 それまで桜は、それが約束のように、毎年五月の連休に、美しい花を見せてくれたのだが、今は難しくなった。
 子どもたちも巣立ち、夫婦二人になると、桜を観に行く機会は激減した。「お花見行こうよ」「人混み行くの嫌だな」毎年繰り返される会話だ。観光客が年々増えているのは嬉しいことだが、人混みはやっぱり苦手だ。でも、桜にはたくさんの想い出が寄り添っている。
 今年は、桜の穴場を探そう。還暦の節目に、お花見弁当を作って、どこかで密かにお花見をしよう。二十年後に、楽しい想い出として語れるように。
 (弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「ポピュリズムと政治」豊洲問題から見えるもの

2017/4/16 日曜日

 

 今、世界中の政治が揺れている。政治の大衆迎合化=ポピュリズム政治が台頭しようとしているのだ。昨年のアメリカ大統領選挙に始まり、イギリスのEU離脱、オランダ議会選挙における「反イスラム」政党の躍進、間もなく実施されるフランス大統領選挙では「反イスラム」「反EU」を掲げる国民戦線の躍進も現実味を帯びている。もちろん、これらの国々における政治のポピュリズム化は全く同じではない。アメリカ大統領選におけるトランプ勝利は「ラストベルト」と称される旧重工業地帯の労働者・失業者の既成政治とそれを頑なに維持しようとする「エスタブリッシュ」への反発を巧みに利用し、大衆が理解しやすい「反移民」「保護主義」に結びつけたことが要因だった。イギリスのEU離脱も、職場環境や福祉の後退をEU諸国からの移民労働者に結びつけた結果である。オランダやフランスの「反イスラム」は、社会の秩序を脅かし文化を破壊するものとしてイスラムを攻撃するが、その場合、男女同権や言論の自由などの近代西洋的価値観を根底においているのも確かだ。この様にかなりの相違はあるものの、何らかの「敵」を作り、激しく攻撃することで大衆の支持を得ようとすることでは一致していると言えよう。
 外国の「政治」のみならず、わが国でも近年、同様な傾向がみられることに注意すべきであろう。「敵」を巧みに作り上げ、政策や実効性を棚上げにし立憲政治を否定するような政治的雰囲気がある。その典型が一時期の橋下徹氏の「政治」であり、最近の小池東京都知事の「政治」である。前者は「公務員」、後者は「五輪会場」や「豊洲市場」問題を「敵」として作り上げ、激しく攻撃することで大衆を喜ばせる手法を政治に持ち込んだのである。
 小池氏がこの間、都政運営にはほとんど関心を示さず最初に「敵」とした五輪会場問題では宮城県などを喜ばせ、結局は「泰山鳴動して」も鼠1匹すら出なかった。次に「敵」としたのが豊洲市場問題である。豊洲市場造成には計画通りではないなどの問題があったのは確かである。しかし、彼女は問題を「安全と安心」にすり替え、大衆迎合的「都民ファースト」を標榜し、科学的「安全」ではなく、大衆に心情的「安心」を訴えた。専門家が「安全だ」と科学的に断言しているのだから政治・行政の長として執行権を行使すれば済むのだが、この問題を政局化することで都議選にまで持ち込み、住民投票すらチラつかせるのは立憲政治を無視したポピュリズム以外の何物でもないし、同時に科学への冒涜でもあり、文明国家・日本の行く末が案じられる。
 ポピュリズム政治が国を衰退させた事例は、古代ギリシャのみならず、古今東西に数多存在していることを私たちはよく知っているはずだ。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「開業から一年」連携や協力こそが新幹線効果

2017/4/9 日曜日

 

 弘前で生活したのは、もう二十年も前のことだ。学生時代をこの地で過ごし、生まれ故郷の函館に戻った私にとって、諸先輩方そして恩師とともにこの執筆陣に加えていただくことは、身に余る光栄だ。思えば、私が再び弘前との関わりを深め、執筆のお誘いをいただいたことも私自身の新幹線開業効果なのである。
 東北新幹線の新青森駅延伸からわずか3カ月で東日本大震災が襲った。期待の客足は止まり、観光需要は底をみた。
 そんな経験をバネに、青森県や各市町村は第三の開業に期待を寄せた。とりわけ弘前は函館や北海道南部との連携に向け、震災後いちはやく動き出した。
 開業を目指しての弘前から函館に向けられたラブコールは熱烈なものだった。
 まずは「はこだてクリスマスファンタジー」での「ひろさきナイト」。多彩なステージイベントをはじめ、巨大アップルパイの焼き上げに函館市民は目を丸くした。函館での様々なイベントにも積極的に出展しアピールに努めていた。
 表舞台では、両市の関係者がレセプションなどで公式に手を取り合う、と同時に、舞台裏では函館に赴いた市役所や商工会議所、観光協会のスタッフらが、街を駆け回り数多くの関係を築きあげ、連携の種を播いていった。
 当たり前の任務、といってしまえばそれまでだが、そうした経験に乏しいわが街函館の人々にとって、その立ち回りには本当に驚かされ、新幹線開業に向けた熱量の違いを感じずにはいられなかった。そうした彼らの動きに、こちら側も大いに刺激され、新たな展開も生まれた。私がのれん分けを受けた「だいもん路地裏探偵団」もそのひとつだ。
 函館と弘前、両地域の緻密な結びつきがあったからこそ、開業時に全国へ向けて地域のアピールができ、イベントを支えることができた。開業当日には、同世代の彼らと函館で再会し、手を取り合って喜びあえたことがいまも忘れられない。この関係は長く活き続ける地域の財産となるはずだ。
 函館、青森、弘前、八戸が観光分野で連携する「青函圏観光都市会議」が昨年発足した。こうしたなか、函館は高いブランド力を誇るとされ、開業効果もあり、いまのところ客足は堅調、さらにアジアからの入込みもあり、観光分野では四つの街のトップをひた走る。とはいえ函館の街が弘前や他の街から学ぶべきことはとても多い。四つの個性豊かな街では、これまでの観光のあり方やウェイト付けにも違いがあるわけだが、それぞれが謙虚に向き合い、学び合う姿勢をもってこそ、連携や協力がいきるはずだ。
 街同士が新たな連携の姿を探すきっかけを作れたことこそが、地域にとって真の新幹線効果なのではないだろうか。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「荷物をはこぶ」体のつかい方にみる文化

2017/4/2 日曜日

 

 引っ越しシーズンである。今でも引越しは大仕事だが昔に比べるといたれり尽くせりのサービスがあって、ずいぶん楽になったと思う。こんな荷物を運べるのかと心配になるようなものも業者さんは手際よくトラックに積み込んでいく。引越しのアルバイトをしている若者に聞いたら荷物の形や重さを見きわめて持つためのコツがあって、それを習得すると意外に無理なく運べるのだそうだ。そういえば学生の頃、寮から近くのアパートに引っ越すとき力自慢の友人たちが手伝ってくれたが、リヤカー一台分しかない荷物運びにひどく手間どった。力まかせではない荷物の扱い方があるのだろう。
 私の祖父母はあらゆるものを風呂敷に包んで持ち運んでいたが、重い荷物を持ち上げるときには、まず軽く荷物をゆすって「荷物の言うことを聞きながら頃合いをみはからって持ち上げると、荷物も(こちらの)言うことを聞いてくれる」と祖父は言ったものだ。引越しアルバイトの若者の言と通じるような気がする。
 荷物の運び方には文化によってもちがいがある。日本では手に持ったり背負ったりするのが一般的だが、頭の上に乗せて運ぶ技法も多くの文化でみられる。私がはじめて住み込んだアフリカの村では、女性はほぼすべての荷物を頭に乗せて運んでいた。当時の村では水汲みがひと苦労だった。毎日朝と夕方に、女性たちは片道600メートルの水場に出かける。私も、自分が使う分くらい運んでみようと、皆がやっているように20リットル入りのバケツを頭にのせようとしたら、「ああ!首が折れる!」と慌てて止められた。まずはこれを運んでごらん、と頭に乗せられたのは、水が半分しか入っていない5リットル入りの小さなバケツ・・。「いっぱい入れても大丈夫なのに!」と言いながら歩き出したら、とんでもありませんでした。一歩踏み出すたびに水面がくらんくらんとゆれて、水がバケツの縁からザバザバとこぼれる。意地を張って村まで歩き通したが着いたころには全身びしょぬれ、バケツの水は四分の一も残っていないあららこれは笑うしかないわと言って皆で大笑いした楽しい思い出がある。
 この失敗で知ったのは、荷物を頭に乗せて運ぶには、頭が揺れない歩き方の習得がセットになっていることである。なるほど、村の女性たちはいつもすっと上半身を伸ばし、モデルのように腰を揺らしながら歩く。逆に、荷物を背負う文化で育った私は、歩くときに頭が揺れる歩き方を身につけた。荷物を運ぶときの身体の使い方には、その人が暮らす地域や集団の文化が染み込んでいるものなのだ。ふだん持たない荷物を運ぶ機会が少し増えるこの時期、自分の身体の「くせに染み込んだ文化」をちょっと観察してみるのもおもしろいものである。
(弘前大学人文社会科学部教授 杉山祐子)

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