日曜随想

 

「心のしるべ」自分の経験を価値付ける

2022/3/20 日曜日

 

 世界が重苦しい不条理に翻弄(ほんろう)されて、先が見通せない中、個人としてこれまでの自分史を振り返ってみる。私を特徴付ける「自分らしさ」が、次の経験に由来することだけは間違いなかった。
 一つ目は自分が行ってみたい土地や場所への一人旅。20代からコロナ禍直前まで日本各地を訪れ、実際に見たり聞いたり、食べたりしたことを今も鮮明に思い出す。不案内な目的地まで汗だくになって歩き続け、試行錯誤を繰り返したことも心と体がしっかり覚えている。到着時の安堵(あんど)と自信が入り交じった気分は言葉にならない幸福感そのものだった。
 二つ目は未来の担い手を育てる教育という仕事。これも20代から現在まで継続している。対象が小学生や中学生、大学生と変わったが、一人一人と真摯(しんし)に向き合い、使命と責任を果たす点では同じ。迷ったり、悩んだり、苦しんだりした。そのような逆風にひるまず、自分の力で対応し続けているうちに、教師としての認識や信念が確実に磨かれていた。
 この二つの経験に共通する要素は、継続と慣れである。これらは「継続すれば慣れる」という因果関係になっている。ただ慣れ過ぎると危機感が薄れ、思わぬ失敗をする。それゆえ留意しながら学び続けていくしかない。そうしなければ得難い経験は有効に生かせず、体得した知識や感覚も逆に作用してしまう。
 経験を重ねるにつれて、経験則が出来上がる。これによれば物事は難なく即断即決できる。便利である。だからこそ囚(とら)われると歪(ゆが)んだ信念や根拠のない考えを正当化したくなる。経験則を信じるなというつもりはない。慣れの危険性を忘れてはならないと述べたいだけ。継続も慣れも大切に思う点は変わらない。
 とはいえ、それらを正しい行為(実践)に調整する働きが健全な批判精神。自他の区別なく必要な時・場所・状況で適切に発揮されるべき安全装置である。自分の信念や考えが正しくて、他人にも利益をもたらすなら問題はない。もしもそうでなかったら、自他を不幸な状態(結果)に導くのは明らかであろう。
 経験も信念も、人生を生き抜く上で掛け替えのない能力である。外界と直にぶつかり、悩み苦しんでも、過去の経験や信念があるからこそ耐えられる。反省を繰り返し、不断の努力・工夫で難関突破できるのもその証左といえる。
 閉塞(へいそく)感に満ちた現状がどのように変化するのか誰も分からない。しかし慣れに対する危機意識と小さな違和感に気付く感受性さえ失わなければ、自分の経験は自由に価値付けることができる。それが大きな代償を払わずに済む唯一の方法だと思う。危機感も違和感も明確に知覚できないだけに、とかくなおざりにされがちである。「神は細部に宿る」ことを改めて胸に刻んでおきたい。
(柴田学園大学特任教授 船水周)

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「青森とРоссия」いいかまりっこした時期も…

2022/3/13 日曜日

 

 コロナ禍のさなか、ドンパチである。Россия(ロシア)に対してはこれまでもいいイメージはありませんでした。1991年末に旧ソ連が崩壊した後、日本から民間で真っ先にロシアへ進出したのがみちのく銀行と言われています。函館日ロ交流史研究会によると、崩壊前の90年ごろに視察や交流を始めたようです。96年、弘前大学の要職の人たちが一通りロシア体験したのか、下っ端の私たちにも、いいかまりっこの案内が来ました。「みちのく友の会ロシアの旅」参加者募集、価格が書いてありません。早速応募し、休暇を取りました。暑い時期の7泊8日の日程です。アエロフロート機に搭乗した途端、ロシア語の世界、2時間半ほどでハバロフスク空港に着きました。到着が夜だったので、すぐにレストランでの食事でした。早速、通りかかったウエートレスにウォトカを頼もうと“パジャルスタ”、無反応。テーブル付きの係が注文を受けました。4合瓶が出てきて800円でした。呑(の)み切れないので相席の人たちに勧めても冷たい人ばかり。
 国際返信切手券を持って郵便局へ行っても、案内はキリル文字だらけ。異国気分が満喫できました。ホテルへ帰って親切なフロントにお願いして、絵葉書にJAPANの代わりに、Япония(イポーニア)と書いてもらい落着。
 ハバロフスクの通りを歩くと、日がな体重計の前に座っている老婆、少しばっちい黒パン発酵のクワスを体験することができました。もちろんピロシキ、ボルシチはフクスナ(美味)でした。土産物屋の前に「小茄子人形」の看板があり、尋ねるとマトリョーシカとは…ルーツが箱根の入れ子人形と聞かされて納得。塗りと絵付けが、ワイハなので、土産はキャビア(Икра=イクラ=と記載)とカニ缶だけでした。
 シベリア鉄道でウラジオストクへ到着した際、同行者に鯵ケ沢町の職員がいたので、ひょっとしたらと思っていたら、かつてロシア語講師を務めたクズメンコ博士が夫君のヴィーチャ氏と駅のホームへ出迎えに来ていました。義理堅い。
 イルクーツクのズナメンスキ修道院の前には数人の物乞いが座っていました。
 ハバロフスクへ戻ると大学関係者には、医科大学と教育大学への表敬訪問が課されていました。お茶代わりの炭酸水を初めて経験しましたし、教育大学では絵画を展示・販売して大学の資金に充てているとのことでした。この時期にもロシア国民がそれほど裕福でなかったことがうかがわれます。
 4半世紀近く、ずっと権力を握ってきた者が、責任も取らず、ソ連時代を懐かしんでの侵略とは…自覚症状ありの精神的、肉体的に病んでいるにしても大迷惑な話である。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「やる気スイッチ」節目の決意を先送りしない

2022/3/6 日曜日

 

 3月は進学・就職・転勤・退職など、大きな節目の季節です。4月からの新しい生活に、大きな期待や不安を感じていらっしゃる方も多いでしょう。また、生活に特に変化のない方でも、今年こそダイエットするぞとか、仕事で○○を頑張ろうとか、節目に、人は「頑張ろうモード」になります。しかし、この決意は、そのうち、あしたこそ、来週からと、先送りされることも珍しくありません。
 決めたことや考えたことを、すぐ行動に移せる「すぐやる人」には、共通点があります。きょうは「先延ばしする人」のやる気スイッチを入れる簡単なヒントをご紹介したいと思います。実はこれも心理学や脳科学が活用されています。
 まず、やろうと思ったことを、ちょっとだけやってみましょう。1分とか、短い時間を決めてやってみてください。勉強のテキストを開いておくとか、仕事に必要な道具を並べるだけでもいいです。また、あしたやろうと思っていることを、前日にちょっと準備しておくと、翌日取り掛かりやすくなります。
 同じ場所で、同じ作業をしましょう。例えば家事なら、お料理はキッチン、洗濯は洗面所と決まっていますよね。仕事も○○するときはこの場所、○○するときはこの場所と決めておきます。同じ行動パターンが続けは続くほど、脳に刷り込まれ、その場所に行くと、やる気スイッチが入りやすくなります。
 自分が毎日行っていることに、新しく習慣付けたいことをプラスしてみましょう。例えば、歯磨きをしながらスクワットを3回。あまり高望みしないで、最初は簡単にできる回数から始めましょう。通勤時間は読書をする。最近の通勤電車はスマホで動画を見ている人が多いのですが、中にはいつも読書している方や勉強している学生さんもいて、時間を有効に使っていると感心します。
 「なんか気分が乗らない」とか「なんかだるい」というときは、とりあえず体を動かしてみましょう。立ち上がる、背伸びする、ジャンプする、体をパンパンとたたいてみる、何でもいいので動いてみましょう。ダラダラしているより、確実にテンションが上がります。テンションは割と簡単に上げることができ、行動力の源となるドーパミンが出ます。テンションは簡単に上がる分、下がるのも早いのですが、どうしてもやらなければならないことがある場合は、一時的にでも気分を高揚させ、一気に行動を起こしてしまいましょう。
 きょうは行動を起こす最初のヒントを紹介しましたが、継続する工夫もあります。また次回にでもご紹介します。ちなみに私は、大変な仕事の際は、仕事終わりのご褒美を、先に準備します。ご褒美は大事ですよ。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「教育は繁栄の礎」初等中等教育の充実を

2022/2/27 日曜日

 

 子どもの頃に培われた性格は年を取っても変わらないとされる。特に小中学校の授業などを通じて会得したものは、その後の人生や人格形成に影響を与えることは確かだ。私の場合でも、小4の担任であったK先生や中2の担任だったS先生から受けた影響は大きかったと思う。K先生は、戦争と平和の話をよくしてくれた。S先生は社会科の先生でもあり、社会の在り方と歴史の関係について詳しく教えてくれた。こうしたことが、私が大学で歴史学を学ぶことになることに影響を与えたことは否定できない。ましてや、家庭や地域社会の「教育力」が弱くなったとされる今日、学校教育はますます重要になってきていると思われる。
 こうした時、「小中高教員2558人不足」「欠員深刻1897校」との見出しが全国紙の一面を飾った。文科省が実施した実態調査の結果である。公立校の教員不足の話は以前から聞いてはいたが、これほどに深刻だとは思わなかったので強い衝撃を覚えた。一部の小学校では担任さえ置けない、中高では教科担当教員がいないため授業ができない、産育休の代役確保も困難を極めている、さらに教員採用試験を受験する人も減少しているというのだ。原因はいろいろあるらしいが、いずれにしろ、教員が不足することは子どもたちへの目配りができず、学びの質にも大きな影響を与えることになろう。さらに、都会の富裕層はこんな公立学校を避け、私立小中学校へ子どもを入学させるケースが増えているとされるが、そのことは、教育の格差が人生の格差を決定付ける危険性もはらんでいる。
 市場万能主義がまかり通っている現代、すべてが価値(商品的価値=交換価値)をどの程度有しているかで判断されている。果たしてこれは正しいことなのか。F・リストは、「すべてを『交換価値』から捉える見方では、『豚を飼育する人々』は『生産的』であるが、『子供を育てる人々』は『非生産的』となってしまう」と皮肉り、市場万能主義を批判した。直接目には見えない「子供を育てる」=教育がより高度な「生産諸力」を生産しており、「生産諸力」(安定的な投資や生産活動など)こそが、国民の繁栄を支えるものだと主張したのだ。つまり、教育は国の繁栄の源泉であり礎なのだということだ。
 わが国の喫緊の課題は、経済産業における「構造的改革」と「格差是正」にある。「改革」には新しい知識とイノベーションが必要であり、「格差是正」のためには市場原理主義の是正が求められる。そこで必要となるのは「生産諸力」であり、それを生み出すのが教育である。政府は、国の繁栄と格差是正のため、強い危機感をもって、教育現場の抜本的な改善を早急に講じる必要があるのは言うまでもないだろう。
 (青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々21」彫刻を複製すること

2022/2/20 日曜日

 

 前回、ロダンの「接吻」には大型大理石彫刻3点の他にブロンズや石(せっ)膏(こう)などさまざまな素材、サイズのものがあると書いた。絵画と違って彫刻は、例えばブロンズ像の場合、複製する数を決めるなどの一定の条件を満たせば、複製された作品は“本物”になる。これはエディション付きの版画に似ている。
 彫刻の複製作品は石膏原型から作られる。その石膏原型は、彫塑による粘土でできた形(粘土原型)を石膏に型取り(「石膏取り」という)したものである。
 石膏取りの工程は、おおよそ次のようになる。粘土でできた作品の外側を、作品を覆うように石膏で固め、型(「雌型」という)を作り、中の粘土を取り出す。雌型の内側に離型剤を塗って皮膜を作り、もともと粘土があった所、つまり雌型の内側に石膏を流し込む。流し込んだ石膏を雌型から割り出すと元の粘土原型と同じ形の石膏が出てくるという仕組みだ。石膏原型とは、粘土原型の形をコピーしたものなのである。
 粘土原型には、試行錯誤して形を作っていった痕跡、つまり手の跡が残っていて、特に近代彫刻では表面のディテールも重要な表現要素となっている。彫刻を語る時、形に作家の“魂”がこもっていると表現されることがあるが、表面のディテールが醸し出す微妙なニュアンスも“魂”を感じさせることに大きく作用しているように思う。
 彫刻を複製する際、形や表面のディテールはどれくらい再現されるのだろうか? また、同時に彫刻に宿る“魂”もコピーされるのだろうか? 素材ごとに考えてみる。
 まず粘土から石膏取りされた石膏原型である。石膏取りの際、粘土原型の形や表面は全て雌型に写し取られるので(凸凹は逆である)、素材こそ粘土から石膏に変わるものの、形そのものはコピーされる。また、石膏になった後さらに手を加えていくことで、石膏原型は新たに“魂”が宿されたオリジナルとなる。
 ブロンズ像の場合は、石膏原型から、じかに型を取って鋳造されるが、その過程でブロンズが少し収縮するので、サイズが少し小さくなる。石膏からブロンズにコピーされたものは形と表面のディテールがまあまあ再現できているというところか。粘土から石膏という工程よりも“魂”は少し目減りするが、形や凸凹は型取りであるため、かなり原型に近い。
 さて問題は大理石である。コンパスなどの器具を使って形のポイントになるところを3次元の空間上に計測し、そこに点を定め(かなりの数の点である)、その点をつないで形作るのである。形だけはほぼ同じになるのだが、型取りではないのでディテールまでは写し切れない。大理石に複製されるのは形についての“魂”のみとなる。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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