日曜随想

 

「年度初に思う」初心忘れるべからず

2018/4/1 日曜日

 

 今日は4月1日、年度初めだ。新社会人や転勤になった方、部署が変わった方などにとっては、今日は節目の一日である。長年「学校」という職場に勤めている私にとっては、年度初めの4月1日は、元旦より身が引き締まる一日である。
 余談となるが、年度とは、特定の目的のために規定された一年間の期間を指す言葉である。日本では、「会計年度」や「学校年度」など、多くの場合4月1日から翌年の3月31日までとなっている。一方、アメリカでは会計年度は10月、学校年度は9月に始まり、ヨーロッパでは、会計年度は1月、学校年度は9月開始というように、地域や国によって様々なのである。また、日本でも農作物や加工品を扱う業界では、「いも年度」9月開始、「生糸年度」6月開始等々、それぞれの事情に合わせた年度があるが、一般にはあまり知られていない。4月が年度初めになったのは明治19年で、理由は、当時は稲作が主産業だったので、収穫して、米を金に換え納税すると、1月では間に合わず、4月になったと言われている。青森では雪も溶け、春めいてきて、ちょうどよいタイミングだと思う。
 いずれにしても、年度初めには、「今年こそ○○な年にしたい」「成績は百番以内に入るぞ」「今年はこのくらい業績をアップさせたい」と元旦より、リアルな目標を立てているのではないだろうか。
 「初心忘れるべからず」という言葉は、誰もが聞いたことがあるだろうが、この言葉が、およそ六百年前、能楽で大成した世(ぜ)阿(あ)弥(み)が残した言葉だということを、知っている人は少ないだろう。本の請け売りではあるが、世阿弥が言った「初心忘れるべからず」は、「はじめの志を忘れてはならない」というだけではなく、人生には若い時の初心、人生時々の初心、そして老いてからの初心があり、それらを忘れてはならないということらしい。様々な経験を経て気づくことがある。若い時の初心を貫徹できたと慢心するのではなく、改めて自分を顧み、新たな初心を持つことが大事なのかもしれない。
 平成30年度初日、時々の初心なのか、老いてからの初心なのか、よくわからないが、節目の日に考えてみたい。
 今までは、「前に前に」「もっともっと」と自分を鼓舞し、馬車馬のように働いてきたが、これからは、自分の体力気力の衰えを受け入れ、もっと自分を大切にしながら仕事を続けようと思う。からだをいたわり、健康的でおいしいものを食べ、適度な運動をして、「短命県返上」にも貢献したい。大きな目標や業績アップではない、緩やかな初心もあって良いのではないかと思う。
 30年度の初心は「楽して、たのしく、ゆっくりと」ではだめだろうか。
 (弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「大久保と東北開発」戊辰戦争150年に想う

2018/3/25 日曜日

 

 今年は「明治150年」である。政府も「明治以降の歩みを次世代に遺すことは、大変重要」として関連事業を行っている。NHK大河ドラマも「西郷どん」であり、私も鈴木亮平氏が演じる西郷に豪快さを感じつつ見ているが、多くの人もドラマを通じ、改めて明治維新と明治150年を考えることだろう。
 明治維新の立役者、特に「維新三傑」と称されるのは西郷、木戸孝允(桂小五郎)、そして「西郷どん」で西郷の親友として描かれている大久保一蔵(利通)であるが、三人は期せずして、わずか1年の間に相次ぎこの世を去っている。木戸は明治10年5月26日、西南戦争と西郷の行く末を思いながら病死し、同9月24日、西郷は自刃、西南戦争を終結させた大久保は翌年5月14日に暗殺される。このうち我々が最も良く知っているのは西郷で小説、ドラマ、映画にもよく取り上げられ「止むに止まれぬ」状況下で決起し自刃して果てる姿は、日本人のメンタリティに訴えるものがあろうこれに比べ同じ薩摩出身の大久保が主人公の小説やドラマは多くはなく、しかも明治政府成立後、特に征韓論で西郷が下野してからは「冷酷な」政治家として取り上げられることが多いようだ。しかし、このような評価は余りに一面的すぎるだろう。
 大久保は「大凡国の強弱は人民の貧富に由り、人民の富貴は物産の多寡に係る」との信念に基づき、わが国の産業振興を図る、優れて近代的・現実的な政治家だった。さらに、東北地方を「海内一家東西同視」という立場からその産業振興にも積極的であり、しかも、その産業振興策は観念的なものではなく、明治天皇東北巡行に同行した際の実地見分に基づくものだったのである。あるいは座右の銘は「為政清明」であり、私利私欲のない人物でもあった。
 大久保が提案した東北開発計画は、港湾の築港や改修、河川改修や運河開削、道路開削など、インフラ整備を中心としており、これを土台として産業の振興を図ろうとするもであった。青森県に関する具体的計画は出されていないが、天皇巡行の際、青森県内の物産や洋式農法を青森県に初めて導入した廣澤の事業などを見分しており、やがては産業振興の具体的施策も打ち出したことだろうと想像する。それ故、計画が本格的に実行される直前に暗殺され、挫折せざるを得なくなったことは誠に残念である。
 「明治150年」はわが国の近代化の歴史であるが、東北地方にとっては「戊辰戦争150年」でもある。維新に敗残した東北地方は、大久保以降にあっては、わが国の近代化の中で次第に取り残されてきた歴史を持っている。東北地方に住む我々は、大久保の事蹟を冷静に見つめ直すことで、これからの東北地方の在り方を考えてみたいものである。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「青函トンネル30年」料金もバリアフリーであれば

2018/3/18 日曜日

 

 先頃、青函トンネルが開業から30周年を迎えた。見方を変えれば、青函連絡船は終航からもう30年が経った。40代半ばを過ぎた筆者だが、私にとって連絡船はまだ記憶の中にしっかりと残っている。津軽の人たちにとっても函館への修学旅行などで連絡船はかつて馴染みのあったものだろう。しかし長い時が過ぎたもので、今では連絡船が鉄道貨物の輸送を担っていたことさえ知らない人も多いようだ。函館と青森両方の桟橋から船のお尻へと線路が延びていて、貨物列車をそのまま船に乗せて運んでいたのだ。終戦の一カ月前、北海道からの石炭輸送を断とうと米軍が連絡船を爆撃し、多くの犠牲を払った悲しい歴史も持つ。
 さて、思い起こせば連絡船の頃には、やはり旅情があった。ゆったりとごろ寝でくつろぎ、時には潮風に当たりながら景色をゆっくり眺めることもできた。とはいえ天候が悪くなり船が揺れれば、よく船酔いもしたし、青森駅では長いホームをひたすら歩かねば船に乗ることができなかった。今思えば「バリアフリー」などという言葉はまだなかった時代で、誰にとってもどこか覚悟のいる旅であった。1988年にトンネルが開業し、青函を往来したのは快速「海峡」だった。それまでは3時間50分かかっていた船旅が、2時間30分ほどの列車の旅に変わった。途中の単線区間では待ち合わせ停車が多かった。列車の窓は開かず旅情は半減した。乗り換えなどは便利になりホームを歩く距離はだいぶ短くなった。天候が悪い時でも気持ち穏やかに旅が出来るようになった。2002年新幹線が八戸まで延伸されると、青函トンネルを行き来する旅客列車は全て特急になった。所要時間は約2時間に短縮され、途中で待たされることがなくなった。そして一昨年、念願の北海道新幹線が開業。新函館北斗・新青森間は約1時間になったが、新幹線駅と現駅と間で2度の乗り換えを余儀なくされた。
 この30年を振り返ると、施設の近代化などサービスは格段に上がり、バリアフリーになった。額面の料金は上がったものの、使いやすい割引きっぷの導入もあり、経済指標に照らせば、むしろ料金は下がっていた。
 ところが新幹線開業でこれが一変した。便利な割引きっぷは一掃され、大幅な料金アップとなった。これが経済振興や地域間交流の大きな障壁になっている。割引を受けるためには、事前のネット予約が必要で、高齢者には大きなバリアになっているようだ。私は節約のために、ネット予約と一駅先まで車を走らせ木古内駅から乗降している。しかし今のネット利用への関心と体力があるからこそ出来ること。このバリアが早く取り払われることを強く願っている。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「日本アニメ百年④」戦後のアニメ①

2018/3/11 日曜日

 長かった戦争も終わり、いよいよ戦後復興が始まります。まず、山本、政岡らが昭和22年「日本動画株式会社」を立ち上げます。これは後に、「日動映画株式会社」となり、昭和31年当時、実写映画を主に制作していた「東映」がこれを吸収合併し、「東映動画株式会社」が誕生します。ついに日本に大規模なアニメーションスタジオが誕生します。
 昭和32年、東映動画株式会社は先の山本次長を筆頭に、東京の大泉にある東映撮影所の中に新社屋を建設します。鉄筋コンクリート3階建で、初めて近代的なアニメスタジオが生まれました。数年後には108名のスタッフに増員されて、機材として日本で最初の本格的なマルチプレーンカメラ装置を導入しました。ディズニースタジオに近いようなスタジオが完成します。
 ここでいくつかの短編アニメやCMアニメを制作していましたが、いよいよ「日動」時代から暖めていた国産初のフルカラー長編劇場用アニメ「白蛇伝」1958年が公開されました。元々香港からの制作依頼でしたので、題材を中国の四大民間伝説からとりました。3年間の制作期間で作られ、実際の俳優がアニメと同じ服装で演技したフィルムを参考にし、アニメーションを描画しました。ライブアクション技法です。なお、ヒロインは若き日の佐久間良子が演じていました。当然アニメーションですから誰だかわかりません。また作画の中にはパンダが描かれていますが、当時パンダは非常に珍しく、日本の動物図鑑にも掲載されていなかったようです。やっとの思いで手に入れた一枚の写真から原画を描いたらしいです。ちょっと違ったパンダです。声優はたった二人で老若男性役を森繁久弥、老若女性役を宮城まり子が演じました。その後は年に一作のペースで制作が行われていきました。そして「太陽の王子ホルスの大冒険」1968が、東映動画屈指の名作として、制作されることになります。高畑勲演出、大塚康生作画、美術設計と作画に宮崎駿の名がクレジットされています。内容は年少の子供には難解で、営業的には失敗でしたが、日本のアニメーションが世界的レベルに達した記念すべき作品です。宮崎さんの名前も初めてクレジットされています。
 ここでちょっと東映動画から離れて、昭和35年にある会が発足します「アニメーション3人の会」と呼称しメンバーは久里洋二柳原良平真鍋博の3人でした。この3人はアニメーションが即子供用との理解を破るべく、アート・アニメーションの道を日本に開いた輝ける先駆者です。ちなみに柳原さんはトリス(酒)のアニメCMで有名です久里さんは当時有名なTV番組「ゲバゲバ90分」のオープニングを担当していました。
以下、次回に続く
(弘前大学教育学部教授 石川 善朗)

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「就活スタートの時に」狭き門より入れ

2018/2/25 日曜日

 

 万葉の昔から、雪は豊年の瑞(しるし)というが今年もよく降る。まだ春は遠そうだが、3月1日には早くも、来年度卒業する学生たちの就職活動がスタートする。巷ではOBやOG訪問のように、卒業生をたずねることで実質的な就職活動は始まっており、喫茶店などで面接・面談している姿を見る機会があるが、企業説明会が認められるのがこの日だ。
 就職活動は学生にとって大きな経験だ。進路を決めるという人生の重大事であることはもちろんだが、そこに至る前に、自分が大切にしている価値観や、気づかなかった価値観などが顕在化する「自分発見」の経験でもある。自分が仕事に求めるのはやりがいか?安定か?それとも、家から近くて転勤がないことや残業がないことか?、もっと言えば、生きていくのに足りるだけの給料が得られれば、自分の好きなことをするための時間がほしいのか?などと、自分と向き合うのだ。もっとも、働かなくてもお金がもらえれば、文句を言わないのかもしれないが…。
 同じ業種でも会社の理念の違いを見極めるために、企業を研究する。何だか大学受験の時にも、同じように大学選びをしたことと通じるかもしれないが、会社にはその会社ごとの物差しがあり、またその物差しは明らかにされていないことも多い。就職試験に模範解答があるわけではないところも受験と異なるところだろう。学生に、「面接のとき、うちの会社以外にどこを受けていますか?と聞かれたら、正直に言った方がいいのか?」と意見を求められることがある。模範解答はあるのか、難しい問題である。私は、「正直に答えた方がいい」と助言してきた。合格できなくても正直に答えてダメだった場合と、合格しても思ってもいない答え・嘘をついて合格したのと、どっちが後悔しないか比べてみればいいと思う。それでだめなら仕方がないと自分で思える答えをする方が、どんな結果に終わっても諦めがつく。何より人として誠実だと思うからだ。この疑問を、出会った人事担当者の方々におたずねしたところ、意外にも、多くの方から同じ答えをいただいた。
 今どきの情報社会の中で、みんな似たようなスーツに身を包み、面接の際の質問例や受け答えのマニュアル化が進む中、自分をアピールするのは簡単なことではないだろう。また何が正しい選択なのか、実は働いてみなければわからないことも多いのが実態だろう。「狭き門より入れ」とは聖書の教えだが、ただ単に困難な道を目指すというのではなく、本来の意味は、楽な道よりも困難な道を選べば、大きな報いがあることになっている。
 まだ何者でもない自由さと不安定さに揺れる若者たち、けっぱれ!
(弘前学院大学文学部教授 今村かほる)

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