日曜随想

 

「アート悶々11」白菜の彫刻

2020/12/20 日曜日

 

 エリシア・クロロティカというウミウシは、動物なのに植物のように光合成して生きている。「人間も光合成で生きていけたら…」と妄想が広がる。そこから植物になりかけた人物像を思い付いた。指先が葉っぱのようになっていて、それを羊が食べているところを大理石の彫刻にするというのが作品の構想だ。大理石と葉っぱというとベルニーニの「アポロンとダフネ(ダフネの指先が月桂樹に変わっていく)」を想起させるので、それを回避すべく指先は葉野菜の形とし、また体も葉野菜的なものが覆っているような表面にした。
 塑像で試作を重ねるうちに、二の腕のところが白菜のようになった。葉脈は血管のようでもあるし、これはなかなかいい感じだとワクワクしてきた。と同時に大理石での葉っぱの表現を研究しなければならないと考えた。そこで白菜の彫刻をつくることにしたのであるが、つくり始めると白菜を彫刻にするということの難しさを実感することとなった。白菜は一筋縄ではいかないモチーフであった。
 白菜は葉っぱがぎっしりと詰まっているが、キャベツほどの硬さはない。結構フワッとしている。形に張りがあるようなないような、なんとも曖昧なのである。店先でテープで縛られているのを見掛けるが、縛られたところがぐっとへこんで形が絞れてくる。グッと絞られた後に緩やかに葉先に向かい広がっていくが、最後は内側へ巻き込んでいく。メリハリのある形ではある。葉のつき方には規則性があるのだろうが、枚数が多すぎてつかみ切れない。大小の葉脈の間にある凸凹と葉先のビラビラは、葉の端っこの方がめくれて本来の葉の表側(内側に隠れている)の面が姿を現していて、そこにはボコボコと小さなコブがあり、造形のアクセントとなっている。このようにつかみどころがあるようでないようなところが魅力的なのだ。それぞれの葉っぱが結球を求めて内側に丸まっていくさまは、葉っぱたちが協力して一つの玉になろうという意思すらも感じさせる。量感は野菜の中ではトップクラスである。堂々としていて立派だ。
 中国で白菜は純粋・潔白を表す。そのことからモチーフとして昔から人気があり、多くの白菜彫刻がつくられてきた。故宮博物院の翠玉白菜はその代表であろう。日本では佐藤朝山の木彫が素晴らしい。西洋に白菜の作品は見掛けられない。白菜はアジア的なモチーフなのだ。
 実は白菜の彫刻をつくったのは今回が初めてではない。大学に入ってすぐの木彫の授業で初めて彫ったのが白菜だった。40年前である。その時は「なぜ白菜?」と思っていたが、今は課題を出した先生(澄川喜一先生だったと思う)の意図が分かる。改めて白菜は良いモチーフだと思う。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「弘大の強み」暮らすことを誇れる街

2020/12/13 日曜日

 

 先日ふと目に留まったのは弘前大学の学生募集だった。リンゴ畑にひとり立つ女子学生、その脇に『学ぶ街は、暮らす街でもある。』と見出した一文が添えられる。純朴なモチーフながら、リンゴとブラウスの深い赤色が畑の緑に映える。そして何よりも私自身がこの街で過ごした経験から、キャッチコピーにこれぞ、と膝を打ち、感慨ひとしおだった。
 制作を担当したのは、友人でデザイナーの木村正幸さん。そしてコピーライターは私の学部時代の先輩、川村伸さんだ。ともに弘大の同窓である。木村さんにこの話題を向けると、こんな話を聞かせてくれた。
 進路に悩む若者たちに弘大の魅力をどう伝えるか。強みは何かと考えてみたら、ずば抜けた学力を誇れる訳もなく、ありきたりの明るい学生ライフでもない。意外なことに、それは学生たちが弘前の街に住むことに誇りを持っているということだったそうだ。親元を離れて暮らす学生ならば、桜の時期やねぷたまつりには必ずといっていいほど家族や友人を呼び寄せる。だが美景や風情の要素だけではないはずだ。暮らしやすさだけでも住むことをわざわざ誇ることはない。弘前の街はいろいろな要素が絶妙に積み重なり、そこに住んでいることを胸張って人に伝えたくなる場面があるような気がする。さらに昔に比べて、街のさまざまな活動に積極的に関わりたいと望む学生が増えているという。
 25年も前のことだが、私自身が先取りしてそのようであったことを思い出す。当時は街と関わることなど学内でも、街の側でも変わり者と思われていた時代だった。そうしたなか、ゼミの課題で茂森町のねぷた会や消防団に飛び込み、街の人々の営みにほれ込んで通い詰めた。研究対象にとどまることなく、街との関係はその後もますます深まった。暮らす街から学んだものは数多く、この上ない人生の糧を授かった。学ぶ街は暮らす街でもあり、誇れる街でもある、本当にそう実感した。
 “学生の街”と呼ばれる駅や地域は都会にもたくさんあるが、弘前のように学生たちが暮らすことを誇れる街はそう多くはないはずだ。観光地でもある歴史や自然の魅力に加えて、大学が郊外移転することなく街なかに踏みとどまったこと、徒歩や自転車で事足りる程よいサイズ感、さらには市民が数多くの学生たちと長らく接してきた経験の蓄積が、あの強みを伝える一言に凝縮されていると感じる。
 コロナ禍によって社会情勢が変化し、家計負担の問題などから、進学先を考える上での東京偏重の傾向は変わっていくかもしれない。そうした将来、少子化がさらに進むなかにおいて、学生を迎え入れるこうした街の包容力が、大学の付加価値を高める重要な要素となるだろう。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」自分で紡ぐ

2020/12/6 日曜日

 

 米国の俳優、デンゼル・ワシントンが制作・主演した映画「イコライザー」(悪人を抹消し平穏を保つ仕事人)のラストシーンに心底感動した。
 主人公のロバート・マッコールは凄腕(すごうで)の元特殊工作員。昼間はホームセンターで働き、深夜はカフェで読書するのが日課だった。同じカフェの常連には裏組織に不条理を強いられる少女・アリーナがいた。彼女は『老人と海』に読みふけるマッコールに興味をもち、言葉を交わすうちに友情を感じていく。
 ある日、アリーナは仕事のトラブルで組織から暴行を受けICUに送られる。マッコールは彼女を救うために組織を取り仕切る極悪人を次々に抹消していく。真相を知らないアリーナは突如不条理から解放されて自由を得る。
 かつてマッコールに「なりたいものになれる」と教わったアリーナは歌手になる夢へ再び歩き始めた。お礼を言うために住所を探し近くのストアから出てくる彼を見つける。歩道を進む背中にアリーナは「ねえ、ロバート!」と声を掛けた。振り返ると化粧も服装も一変した少女がいる。満面に笑みがこぼれ近況を話す仕種(しぐさ)が初々しい。別れ際、アリーナは「話は聞き納めね」と相談できない寂しさを口にした。だがマッコールは優しく突き放す。「自分で紡げよ」
 紡ぐという言葉の心地よい響き、意味の広がりをこれほど感じたことはない。的確な翻訳に感心してしまう。参考までに「紡」は常用漢字。音訓はボウ/つむぐ。本来の意味は綿や繭から繊維を取り出し、より合わせて糸にすることだが、比喩的な使い方も多い。「物語を―」「言葉を―」「人生を―」「命を―」「思いを―」「幸せを―」「歴史を―」「文章を―」「夢を―」というふうに、物事や経験の断片を一つの形につなげる意味で使われる。紡ぐには詩的美しさがある。
 現実社会もまた不条理や不安に満ちている。何が正しくて何が間違いか、なぜそうなるのか分からない。物事を相対的に捉える判断が多い一方、絶対的正解は少ない。だから迷い悩む。哲学者・サルトルは「実存は本質に先立つ」と述べた。ものは本質(用途)が先に決まっているが、人間は違う。本質は後についてくる。どう生きるか、本質を選ぶのは自由だという。
 世の中は価値観が多様化し、自分の正しさを主張する人が増えた。同時に物事を都合のいいように歪(ゆが)めて捉える人、自分の見方・考え方に固執して譲らない人、他者を認めない人さえいる。
 与えられた自由を適切に行使するために権利と義務がある。さまざまな物事や経験の断片をかけがえのない一つの形につなげる(=仕立てる)。閉塞感が漂う現在(いま)だからこそ、「自分で紡ぐ」という行為を自覚し大切にしたい。
(東北女子大学特任教授 船水周)

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「弘前公園の四季」春の愉しみ方

2020/11/29 日曜日

 

 弘前市民憩いの場として毎週のように訪れていた弘前公園が、今年はCOVID-19(新型コロナウイルス)の影響で4月10日から5月17日までという非情な期間にわたって閉鎖されました。各入り口は公園に不似合いなバリケードにガードマンの配置、外濠も立ち止まらないで歩いてくださいという徹底ぶりでした。
 閉鎖期間が終了した5月18日朝、何時からどこの入り口が先に開くだろうかと考えて、門のない市民会館入口へ9時前に行ったら通行可能でした。閉まった東門、追手門を内側から見ることができました。
 毎年決まった日に決まった場所で朝5時ごろに桜の写真を撮ることが愉(たの)しみでしたが今年はできませんでした。
 この時期弘前公園の愉しみ方は桜だけではありません。バードウィークも5月10日から開催予定でした。
 東京ドーム10個分って‥50ヘクタールもある弘前公園には結構野鳥がいるんですよ。今年は3月下旬から4月上旬にかけて、市民広場でマヒワ、アトリをたくさん見ましたし、ベニヒワも観察できました。市民広場は追手門を進んだ左手です。年配の方であれば野球場があった場所です。
 バードウオッチングを日本では探鳥会と言います。鳥がいなくても自然を楽しむ独特な考え方かと思います。
 例年であれば、バードウィーク期間中、キビタキ、オオルリ、メジロなどが観察できます。来年に期待してください。
 18日の朝、この日から開園予定の弘前城植物園へ遅咲きの桜が咲いていないか行ってみました。追手門から入って右側の南案内所付近は、私の幼少時、弘前大学馬術部の厩舎(きゅうしゃ)があった場所です。少し進むと弘前大学教育学部附属中学校校舎跡地の木標がありました。
 現在の植物園は以前三の丸の一部で、戦後は労働基準監督署、附属小学校、附属中学校が位置していたと記憶しています。
 奥へ進んだ左手に桜園があります。5月18日では、遅咲きの桜の普賢象、関山、須磨浦普賢象、松前紅玉錦、数珠掛桜、松月、今年の新品種紅笠、福禄寿、一葉、楊貴妃、鬱金等々、染井吉野と松のコントラストは愉しめませんでしたが何とか間に合いました。
 ちなみに弘前公園で最初に咲く花は北の廓に2本ある丸葉満作(マルバマンサク)で今年は3月3日でした。例年次は、三の丸ピクニック広場にある魯桃桜(ロトウザクラ)なのですが今年は子福桜(コブクザクラ)で3月9日の開花でした。11月24日植物園最終日には、十月桜がまだ咲いていました。
 この他植物園では、リス、ノウサギ、タヌキ、ヘビや水棲(すいせい)昆虫も見掛けます。来年に向けて‥。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「いい夫婦の日」良質なコミュニケーションを

2020/11/22 日曜日

 

 「いい夫婦の日」にちなんで、明治安田生命が20~50代の既婚男女1080人に行った「コロナ禍による夫婦関係の変化」の調査では、仲が良くなった、どちらかといえば良くなったと答えた人が計19・6%で、一方、仲が悪くなった、どちらかといえば悪くなったと答えたのは計6・1%。残りの74・3%は、変わらないと回答していました。
 仲が良くなったと感じていた人の多くが、「コミュニケーションや会話の機会が増えたため」(62・5%)、「一緒に食事をする頻度が増えたため」(37・1%)と答えていて、良い夫婦関係のためには、コミュニケーションが大切であることが分かります。
 たしかにテレワークで家にいる時間が長くなり、外出自粛で、家で食事をする機会が増えると、おのずと家族で会話する時間は増えます。しかし、ここで重要なことは、良質なコミュニケーションを心掛けることです。そのためには、どんなことに気を付けたらよいのでしょう。キーワードは「同じ」「安心」「興味関心」です。
 【同じ】知らない人がたくさん集まるパーティーで、「あなたはどんな人と話したいですか」という質問の答えで多くを占めるのは、同じ要素を持っている人です。たとえば同性、同じくらいの年齢、同じ職業、同じ趣味というように、どこか同じ要素があることが話しやすさには影響しています。家族と話すときも、少し相手の雰囲気を意識してみましょう。声の大きさ、声のトーン、話す速さ、姿勢など、なんとなく合わせてみると、相手の話しやすさが、格段に違うはずです。
 【安心】この人と話していても、絶対に攻撃されないとか、怒鳴られないと分かっていると、安心して話せます。日ごろから怒りっぽい方や、声が大きいとか、顔が怖いとか指摘されている方は、意識して笑顔で話してみてください。きっと相手は安心して、ゆったりと話せるはずです。
 【興味関心】あなたは、相手の話を、関心があるような顔で聞いていますか。新聞やテレビを見ながら空返事をされたら、ちょっと悲しいですよね。短い時間でもいいので、しっかり相手の顔を見て、うなずきながら聞くとか、相づちを打ちながら聞くといいと思います。質問をしたり、「それでどうなったの」と次を促したりすると、もっと話が弾むと思います。
 きょうは、良いコミュニケーションを意識してみましょう。たとえ自分にとってあまり興味がない話だったとしても、短い時間でいいので、相手の様子を観察しながら、あなたの大切な人の話をしっかり聞いてみませんか。スマホをしまって、3分頑張ってみましょう。ウルトラマンのように。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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