日曜随想

 

「地位と位地」地位高い人に求められること

2020/5/3 日曜日

 

 以前学生へのメッセージを一言、と言われた際に生意気にも「頑張って一歩ずつ高いところへ登って行きましょう。風当たりは強いが、見晴らしは良好です。」と書いたことがありました。さして気にも留めず、目標を定め計画を立てて頑張れば別な世界を体験できますよ…程度の考えでした。
 地球が完全な球体であれば、また、無限な平面であれば、今、居る場所が世界の中心と言ってもいいかもしれませんが、現実は異なります。
 では、地上で一番高いところはどこでしょうか? と聞かれれば大抵の方はエベレスト(チョモランマ、サガルマータ)の8848メートルだよと即座に答えるでしょう。私が子どもの頃には中国の奥地にアムネマチンという9000メートルを超える山があると言われていました。現在アムネマチンは海抜6282メートルとされています。そう、以前の標高は海抜すなわち平均海水面からの三角測量による高さ。ということは、地球温暖化で陸地の氷が溶けて海水面が上がれば順位は変わらないにしても低くなります。
 これとは別に地球の中心から一番遠い地表を最高地点とする考え方があります。この考え方で行くとエクアドルのチンボラソ山6268メートルがエベレストより約2100メートル高いことになります。視点を変えれば結果も異なるものです。
 また、古代インドの思想では、世の中の中心に須弥山という高い山があり、仏教では、その須弥山の上空には少しだけ煩悩を残した有頂天の天界があるとのことです。
 さて、一般社会ではその人の地位によって立ち位置(位地)や座る場所を考えなくてはなりません。地位が高い人の居場所は大抵真ん中の一番奥の高い場所‥と決まっていました。昭和の時代までは、家庭にも横座と言われる土間から見て、正面の囲炉裏(いろり)の奥の席で一家の主人だけが座れる席がありました。
 会議や宴会でも上座・下座があり、わが国の基本は入り口から遠い奥の席が上座、左側が上座となるようです。地位の高い人には判断と責任が要求されますが、現実はどうでしょうか。高いところは五里霧中のようで、未曾有の災難に際して、何が起こっているか確かめもせずに、3密を避けることと手洗い、マスクの着用のお願いだけとは、あきれます。有能な公務員は人に対しては権力を振るえますが、今回は役に立ちません。有頂天にいるのか、突然の休校措置やマスク配布、極力在宅勤務の推奨ですって。
 疫学の基本はいつ、どこで何が起こっているかの把握からで、対策はその次です。
 この際、見たことのないアマビエやアマビコよりも、桃太郎侍に登場願いたいところですネ。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「ポジティブ心理学」考え方次第で連休も楽しく

2020/4/26 日曜日

 

 新型コロナウイルス感染症(以下コロナと略す)対策で、緊急事態宣言が出され、どこも自粛ムードで、外出もままならないという方が多いと思います。テレビをつければ、どこかの局でコロナ関係の話題。なかなか楽しい気分にはなれませんね。そもそもこんな非常時に、楽しく過ごそうなんて、非常識だと怒られそうですが、どんな大変な時にでも、小さな喜びはあるものです。その積み重ねがあるから、頑張れたり、耐えられたりするのだと思います。
 ポジティブシンキング(思考)という言葉を聞いたことがあると思います。「プラス思考」や「積極思考」とも言われ、物事を前向きに捉える考え方を指します。ポジティブシンキングは、北米にある「マーブル教会」の牧師であるノーマン・V・ピールが説いた言葉で、「信じるものは救われる」というキリスト教の考えがベースにあるのでしょう。明るい未来をイメージしたり、成功している自分をイメージしたりすることで、今を積極的に過ごすことができると言われています。余談ですが、米国のトランプ大統領も、ノーマンの崇拝者として有名です。
 ただ、コロナ関係の報道を見ていると、一部の若者の間違ったポジティブ思考にあきれることがあります。「俺は、絶対感染しないので」「〇〇市は、コロナ感染者いないんで大丈夫」「感染しても若いから大丈夫」。いやいや、大丈夫じゃないから。間違ったポジティブ思考として、自分にとって都合の悪い事実は無視したり、現状認識が甘すぎたりということがあります。また、自分の失敗を反省せず、「くよくよせずポジティブにいこう」なんて言うのです。
 では、どういうものをポジティブというのでしょう。「コップ半分の水」という有名な例を紹介します。喉がカラカラの人が、コップを見て「良かった。まだ半分も入ってる」と喜ぶか、「半分じゃ足りない」とがっかりするか。前者がポジティブシンキングです。
 今年の連休はどこにも行けないという方が多いでしょう。「ずっと家にいろだなんて、連休の意味ない」とか「友達と遊びに行けないなんて、死んじゃう」なんて嘆いている方もいます。でも、考え方を変えれば、今まで、こんなに予定のない連休って、なかったかもしれません。自由に使える時間はたくさんあります。「家中片づけられる」「外食できないなら、私がごちそう作ちゃおう」「たまっている録画、いっぱい見られる」。いろいろ思い付きますよね。ちょっと考え方を変えれば、楽しいことが見つかるかもしれません。
 ちなみに私は、10年ぶりにお菓子作りを始めました。おいしいプリンに挑戦中です。いまだに成功していませんが。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「コロナと政治体制」民主主義の堅持こそ必須

2020/4/19 日曜日

 

 新型コロナウイルスが世界で猛威を振るっている。わが国でも感染が急速に拡大しており、政府も「緊急事態宣言」を発出した。「人間の歴史はウイルスとの戦いの歴史だ」とも言われ、これまでもウイルスが人類社会を脅かすことはしばしば見られた。特に有名なのは、14世紀にヨーロッパで猛威を振るったペストであろう。黒死病と称されたこの疫病で、人口の3分の1が失われ、当時の政治経済体制=封建体制を解体するきっかけともなった。近代では、20世紀初頭に世界中を襲ったスペイン風邪(インフルエンザ)、アフリカに集中したエボラ出血熱、最近では、SARSやMERSなどもある。ウイルスは宿主を殺してしまうと自分も死ぬので、弱毒化して共存の道を図るが、人間に初めてすみ着いた時は、元の動物と共生してきた時間が長いので、元の動物を守るために人間に害になるように働くが、いずれは共生する道を見つけるという。そうなるまでに急速に感染が拡大し、世界的流行となれば「パンデミック」となる。今はまさに「パンデミック」なのである。
 このウイルスの感染拡大に伴い、世界中でさまざまな事象が見られた。特にショックだったのは、民主主義の担い手であり自由平等、人権を重んじているはずの欧米で「人種差別」が横行していることだ。ウイルスが中国から拡散したことでアジア系の人々が攻撃の的となり時には暴力すら受けている。さらに、中国でウイルスによる死者に対する哀悼行事を放送していたフランスの記者が「ポケットモンスターを埋葬している」などと言ってしまった事件もあった。ポケモンの人気キャラクター・ピカチュウは「黄色人種」を指すとのことだ。近代社会にあって、われわれは理性と知性を基盤とした発言・行動で社会を築いてきたが、危機的状況下では、心底に根強く残っている「本音」が発現してしまうらしい。
 このウイルスとの闘いの中で、気になることの一つが、政治・社会の在り方である。中国は言うまでもなく「一党独裁=習近平独裁」であり、人権などは無視され、国家権力、軍、武装警察を総動員して「封じ込め」が図られた。あるいはポピュリズム政権であるイタリアなどでも強制力をもった都市封鎖が行われた。それに対し、わが国の「緊急事態」は強制力を伴うものではなく罰則もない。そのため、実効性を疑い、強制力を持たせるべきだとの意見もある。しかし、果たしてそれは正しいことであろうか。決してそうは思わない。こうした危機的事態下にあっても、国家権力による締め付けではなく、国民や企業が理性と知性に基づき冷静に行動し、それぞれの役割を果たすことが民主主義を守ることなのだ。ウイルスとの闘いは自由と民主主義の在り方を試すことともなっている。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々5」谷中界隈

2020/4/12 日曜日

 

 船水先生の日曜随想(3月29日)の根津から言問通りのくだり、大変懐かしく読ませていただいた。というのも文中に出てくる界隈(かいわい)は、私にとってなじみ深い場所だからである。読んでいると景色がはっきり目に浮かんでくると同時にいろいろなことを思い出した。
 35年ほど前であろうか、学生時代、入谷の鬼子母神(きしもじん)で単発のバイトで朝顔市の売り子をしたことがあった。その当時は団十郎という珍しい(?)品種が人気であったが、お客さんから「団十郎あるか」と尋ねられ、友だちが「これが団十郎です」と適当に答えていたのが懐かしい。少しコースから外れるが、鷲神社の酉(とり)の市で熊手を売ったこともあった。部活の後輩2人と夜明かしで店番をしていると、早朝に「ズームイン朝」(日本テレビ)の「ウィッキーさんのワンポイント英会話」のロケをやっていて、ウィッキーさんが私たちの所へやって来た。私は逃げたが、後輩の一人が捕まった。「きのう何時間寝ましたか?」というウィッキーさんの問いにその後輩は「アイム・ノット・スリープ」と答えたら「アイ・ディド・ノット・スリープ」ですねとウィッキーさんに直された。私は足が速くて良かったと心の底から思った。
 話は上野桜木に戻るが、交差点から団子坂方面に行くと谷中の墓地があり、入り口から少し入った所に「寺内貫太郎一家」(TBS)の舞台「石貫」のモデルとなった石屋さんがある(今もあるのだろうか?)。その「寺内貫太郎一家」であるが、オープニングのタイトルバックデザインを横尾忠則がつくっている。寺内貫太郎役の小林亜星、その息子役の西城秀樹、おばあさん役の樹木希林(当時は悠木千帆)、横尾本人(出演もしている)などの顔のアップを描いたイラストが出てきて、大変印象深いものであった。。
 その横尾忠則であるが、後に画家宣言をし、今も第一線のアーティストとして活躍しており、国内外で大規模な展覧会が企画開催されている。私は彼のファンなので何度も展覧会を見ているが、印象に残ったものの一つに2004年のスカイザバスハウスギャラリーでの展示がある。そのギャラリーは上野桜木から谷中霊園への途中にある。もともと銭湯だった建物を改装したものだ。表から見ると銭湯のたたずまいがそのまま残っている。この時の展示は、浴場の風景を浮世絵風にさまざまな作家(モネ、セザンヌ、ゴッホなど)のタッチで描いたものが並んでいた。元銭湯のギャラリーで浴場図というあまりにも直球のアイデアもさることながら、絵描きとしての卓越した技が光る展示であった。この時、始まった「銭湯シリーズ」が、3年前に開催された「ようこそ!横尾温泉郷」(横尾忠則現代美術館・神戸市)の中心的な展示作品となったのである。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「10年目のバル街」振り返りつつ、しばらく辛抱

2020/4/5 日曜日

 

 一夜限りの飲み食べ歩きイベント「弘前バル街」は、2011年に始まり今年で10年目となる。ちょうど次の土曜に開催を予定していたが、新型コロナウイルスの影響で日程延期を決めた。
 筆者にとって弘前バル街は、開催当初から、自ら出店し、運営の手伝いもしてきた。またその夜を友人たちとともに楽しむファンの一人でもある。
 この催しの楽しみの源泉は、一夜に数多くの人々と出会い、普段以上のにぎわいの中で親しく飲み交わすこと。今般、ニュースで「密閉・密集・密接」に警鐘が鳴らされるが、まさにこれ無くしてバル街の楽しみは生まれないのだ。だから今は辛抱の時期で、次の開催への充電期間と考えたい。そこで手元の資料をひもときながら、この10年を振り返ってみたい。
 始まりのきっかけは、フレンチシェフ山﨑隆氏が、親交ある函館のバル街を訪れたこと。函館でのその夜のにぎわいに感銘を受け、参加店の忙しさに驚き、皿洗いを買って出たそうだ。函館に刺激を受け、弘前フランス料理研究会が運営組織をつくり、11年夏に初開催。函館から私たちも駆けつけ、猛暑のなか、街かどでスペイン名物の生ハムを振る舞った。これが好評を得て、同年9月、弘前城築城400年祭で「ひろさき卍バル」を盛大に開催した。その後は夏冬の年2回の開催が定着していった。近年の参加店は60店程度。地元の店に加えて、私たちの函館や青森、八戸、江差、さらに新潟県長岡市からも出店しにぎわいを添えた。
 当日までの準備には、2カ月以上もかかる。飲食店に参加を呼び掛け、チラシやマップを作り、チケットを売りさばく。準備段階でも多くの参加店の協力が不可欠だ。広く門戸を開き、参加を呼び掛けるも、その時々の事情で参加店は当然入れ替わる。これまで実に250店以上が参加した。歴代の参加店を眺めてみると、まさにこの街のオールスターが勢ぞろいだ。そして飲食業で10年継続することが容易ではないこともまたよく分かる。そもそも店々は個性派ぞろいなので、ワンチームである必要はないが、それゆえに続けるなかでさまざまな衝突もあったに違いない。皆勤賞は、かくみ小路の洋食店、土手町の老舗喫茶店、本町の焼き肉店、鍛冶町のバーなど。また、食事もうまい人気パブのマスター、商議所青年部でも活躍する居酒屋店主、屋台村かだれ横丁の面々など、長く関わるたくさんの人たちの顔が思い浮かぶ。
 私自身が函館での運営に関わる一人なので、裏方の苦労もよく分かる。だからこそ、ここではひとまず山﨑シェフと裏方の皆さんをねぎらいたい。そして事態が収束した際には、オールスターが改めて集う10年目の弘前バル街を皆で盛りあげ、私自身も楽しみたいと願っている。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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