日曜随想

 

「日本アニメ百年②」3人の先駆者とその弟子

2017/12/10 日曜日

 

 さて、日本のアニメですが大正時代の頃のお話です。3人の先駆者が活躍しました。いずれもテレビがない時代ですから劇場公開となります。一人目は下川凹天と言います。もちろんペンネームです。当時の漫画家でした。二人目は幸内純一です。三人目は当時洋画を日本に普及していた北山清太郎という人です。後に、下川凹天は短期間に眼病を患い引退します。さぞ照明環境が劣悪だったと考えます。幸内純一はその後、弟子をとり商業アニメーション制作からは離れていき教育用アニメーション制作に移ります。アニメーションの弟子については、これまた素晴らしい功績を残す人物で、次回以降に書きます。最後の北山清太郎ですが、この人が日本最初のアニメーション制作スタジオを起こすことになります。「北山映画製作所」と言います。3人のうちで北山の弟子達が、実は今に連綿と繋がってくる日本のアニメーションの礎となります。
 さて、北山の弟子の中に山本善次郎が切り絵技法を習得し活躍します。さらにその山本の弟子が村田安司で、ご年配の方ならよくご存じのアニメーション版「のらくろ二等兵」のシリーズのうち幾つかを制作した人です。このアニメーション制作で、村田は北山直伝の切り絵アニメーションの技術を山本に師事し究極に高めます。この当時、最近までアニメーションでよく使われた「セルロイドオーバーレイアニメーション」などありません。所謂セル画と言われた物です。ところがこの村田の切り絵がセル画なみの精度で絵が動くのです。この後、山本は独立し「山本漫画製作所」を立ち上げます。当時の文部省から委託された教育用アニメーションを制作していました。その後に、この二人は第二次世界大戦を生き延びて、いよいよ「東映動画株式会社」誕生に至ります。この話は次回以降でいたします。
 北山から始まり、山本、村田と続く一つの流れが出来つつありました。ここで少し第二次大戦中のアニメーションについて触れておきます。戦時中に日本のアニメーションが大変に発達することとなります。なんと軍部の青少年のための国威発揚や軍事礼賛に使われるようになるのです。実は世界各国も同じようなことをしていたのですが、この大戦中に日本最初の長編劇場用アニメーションが海軍主導で制作されます。さらにこのとき、前述したセル画だけで制作された日本で初めてのアニメーションも戦時中に上映されます。海軍発注のアニメーションを制作したのは瀬尾光世、全てセル画のアニメーションは政岡憲三が作り上げます。まず、政岡の制作したアニメーションですが「くも と ちゅーりっぷ」と言います。
 以下、次回に続く
(弘前大学教育学部教授 石川 善朗)

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「独創的な観光地案内」鳥の眼で見る俯瞰の魅力

2017/12/3 日曜日

 

 年末年始には、ゆっくりと温泉にでも浸って過ごしたいものだと夢想中です。しかしまぁ、お正月だからと云っても、昨今では家族が揃うことも少ないなぁ。
 そんなときには、時刻表でも開いて、独りで旅行気分を味わえればよいのだろうが、活字だけで遊べるほどは、生憎と想像力が豊かじゃないのであります。
 でも、かつて描かれた鳥瞰図を眺めてみると、一枚の平らな紙ではあっても、不思議な臨場感が感じられ面白いもの。きっと、知りたいことや、みたいものを描いているからってことなのかしらん。
 郷土の風景を、俯瞰した構図で描きなさいと、夏休みの宿題に出していたのが黒石の佐藤雨山黒石地方の歴史や民俗の調査をはじめ「津軽雑草図説」などの植物学の研究でも名を残されたお方。
 福村城や平賀の大光寺五日舘あたり、平川沿いに石川・大鰐・碇ヶ関、矢立峠までを描いた「平川峡谷」は、近場とはいえ、新鮮味のある視点に驚きました。
 「浅瀬石今昔図」や「南津軽名所旧蹟圖繪」なども、郷土史探訪ガイドに最適。十和田湖もさまざまに描き「天下絶景十和田湖並津軽沿道名所案内」は裏面に温泉宿や土産店などの広告も掲載し、本格案内図で大正九年に発売したもの。
 多色の石版刷り、新聞を拡げた大きさほどですから、こりゃぁ、なかなか旅情を誘ってくれます。やはり好評だったのでしょう、裏面に「十和田附近山川案内」を入れた異版もありますからねぇ。
 十和田湖などの有名どころでは、図の周りに東北本線などを配置して、遠来のお客さまの理解に心を尽くしています。
 こんなサービス精神は、日本人が得意なのでしょうね、明治二十六年に発行の「諸国温泉鑑」でも、同様の趣向です。
 青森と弘前間に鉄道が開通する前の年ですから、ぐるりと全体を包み込む停車場に、弘前が登場しないのは自明の理。
 絵の中央は『♪草津よいとこ 一度はおいで…』の草津温泉の鳥瞰図を大書。それを囲んで、左右には相撲の番付に倣って、全国の温泉が名を連ねます。
 東の大関が草津の湯なら、西方は有馬の湯で、関脇は那須の湯に城之崎温泉。東の方の前頭に、仙台鳴子や津軽嶽の湯、温湯・板留があって、なんと西の方にも津軽矢立の湯のほか、倉立、浅出などが顔を見せているのです。おそらく蔵館や浅虫温泉のことかと思えば、津軽は温泉王国ってもんなのですよねぇ。
 それに自慢したいのが、弘前の奥座敷と呼ばれた大鰐温泉の扱い。熊野本宮や伊豆熱海と並んで、なんと行司ですぞ。
 このお代は二銭五厘。当時の貸し本代程度と思えば、草津温泉の上空を天狗様のつもりで眺めても、罰は当たるまい。
 作者がじっくり才智を込めたものを、読者が読み解くというか、そんな奥深いものなら、浮世の写真より楽しいはず。
(元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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「嬉しい楽しい面白い」大人の学習会で

2017/11/26 日曜日

 

 人気バンドの歌に「うれしい!たのしい!大好き」という楽曲があるが、実際、各地の方言を調べてみると(『県別感情表現辞典』東京堂)、嬉(うれ)しいと楽しい面白いは、とても近い関係にあることがわかる。
 「元気でまた会えて、本当に嬉しいね」という意味での「嬉しい」を聞くと、全国的に「嬉しい」の他、「よかった」とか、「何よりだ」と表現される。津軽では「うれしじゃ」と言うのに対して、南部では「たまげたもすれー」のように「面白い」を使っても表現される。秋田で「おもしぇ」という他、沖縄でも同じく面白いの変化した形の「うむさんやー」と表現する。
 「面白い」は他にも出てきて、「久しぶりに楽しい思いをさせてもらった。」という場合の「楽しい」は、全国的に楽しいが広く使われているが、津軽では「おもしぇ思いばさへでもらった」と言い、南部では「しばらくぶりにもすれーぐさへでもらった。」のように「いずれも「面白い」の形を使って表現している。宮城も「おもしぇ」山形は「おもしゃい」と言う。他に「いー思い」のような言い方をする地方もあり、栃木・群馬・東京・山梨の他、三重・兵庫・愛媛などでは「えー思い」となり、鹿児島では「よか思い」となる。ひときわ代わっているのが沖縄で、「いーりきさるうむいさっさー」のように言う。
 では、「面白い」はどうか?というと、全国的に面白いとその変化した形を使っている。
 こんなふうに意味の似た語を類語・類義語と呼ぶが、最近、これらの語が本当に近いことばだという体験をした。18日、青森県の方言の語り部のみなさんのネットワーク会議をした際、その研修としてことばの神秘と青森県の方言アクセントとについて、東京大学名誉教授の上野善道先生にご講演いただいた。これまで、語り部の皆さんの中からも話者として上野先生のアクセント調査を受けた人たちがいる。それを基に自分たちが普段、使っている方言のひとつひとつの単語のアクセントについて整理され、青森県の方言には、東日本には珍しい単語のどこで発音が上がるのかが大事という規則があることを教えてもらった。そして、そうした規則の一つ一つが人類の築き上げた文化の結晶であり、宝なのだということを学んだ。その時の参加者達が、一斉に「おー」とか「うーん」とか、驚き納得する様を見た。
 知らないことを知る、わかるということの楽しさ、面白さ、そして嬉しさ全てに当てはまる喜びだった。人間いくつになってもこうした学ぶことの喜びは変わらないなと感じるとともに、それを自分も学生に与えられているのか反省した。
(弘前学院大学文学部教授 今村かほる)

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「弘前6次産業に想う」広島県世羅に学ぶまちおこし

2017/11/19 日曜日

 

 2011年に「6次産業化・地産地消法」が施行され、6次産業化の取り組みが急速に拡大した。認定件数は1806件に達したが国税庁の発表では9割が5年で廃業しているという。
 さて平成26年実施の商業統計調査の結果を14年と比べると実に驚くべき事実が分かる。東京、大阪などの大都市においても、観光で沸騰している京都、浅草においてでも、そこでの中小企業が生み出す年間商品販売額は竹原市、尾道市、宜野湾市など数市を除きすべての地域で12年前より大きく下回っているのである。その中で驚きは広島県世羅町の販売額結果である。世羅町は農業だけの生産地域であるが、平成14年と対比して先の3市同様に100%をクリアーする。さらに集落法人のビジネス化ではなんと全国で唯一利益を生み出しているのが世羅町である。どうして世羅町だけが利益を出せたかであるが、同町も他の農村地域同様に厳しい農業情勢に長い間、苦慮してきた。そのため町内15グループが中心になって厳しい農業情勢に対応していくための会議を連日繰り広げたと聞く。一村一品運動が遅れてこの町にも沸き起こり、主婦を中心とした加工グループに火をつけた。しかし売り先がない。だったら自分たちで販売所を作ろうと燃え上がったのである。そこを行政が支援した。
 まさに農業者を中心とした市民から手が上がり、行政が支援し、市民中心の販売組織が出来上がったのである。
 世羅町役場産業観光課主任和泉美智子氏の話では、グループは行政から与えられた施設の中で地域活性化のため他地域と差別化できる新しい農産物加工品作りに励み売上げ計画、出張販売など販売促進策会議を連日繰り広げているという。では施設ができるまではというと、夕方5時に仕事を終えた女性たちは、子供の夕飯を作り、7時すぎから町役場の一室で会議を始め、会議は夜10時を過ぎたことも度々あったという。ここに成功に導く一端がありそうだ。一方男性の方はというと、寄り合いがあるからと言って外出することが多かったとのことである。
 さて弘前であるが6次化は平成24年からスタートした。市では農作物の加工支援が目的で補助金を出している。
 弘前は誰もが知っているリンゴの町。市はシードル商品の開発に期待していると聞くが、そのあと熟成されてできるカルヴァドスができる頃が待ち遠しい。先日弘前の新庁舎に新設された食堂で温泉味噌ラーメンを食べてみた。普通においしいラーメンであったがこれが日本唯一の温泉熱で熟成させた味噌のラーメンと聞いたとたんに満足度が高まった。日本一とか、日本で唯一と聞くとこうも嬉しさが変わるのか、ここに6次化を中心としたまちおこしのヒントがきっとある。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「衆議院解散の大義は」〝苫米地裁判〟を思う

2017/11/12 日曜日

 

 先月22日に投開票が行われた衆議院選挙は結局、自民党の「大勝」に終わった。「大勝」の理由の一つが小選挙区制度にあるのは確かだ。2大政党制でこそ効果を発揮できる制度の下で、野党の分裂が自民党に勝利をもたらしたと言える。比例復活制度も含め、現在の選挙制度の問題点を改めて示したが、同時に実現できそうにない公約=「願望」を並び立てたり、政策などはそっちのけで議員になりたいだけの候補が多かったことなど、今回の選挙くらい、政治と政治家の劣化を如実に示すものもなかったと思う。
 解散は来年1月以降が大方の見方の中、安倍首相が解散の「伝家の宝刀」を抜いたが、狙いは第1義的には自党の勝利にあり、結果的には狙い通りだったと言えよう。しかし同時に解散には大義が必要なのも常識だが今回はそうした大義が見当たらなかった気がしてならない。衆議院解散は首相の専権事項で「伝家の宝刀」を抜けるのは首相のみだとされる。しかし憲法では、衆議院議員の任期を原則として4年と定め、例外としての解散は69条で内閣不信任案が可決された場合に限定している一方今回の解散も含め、歴代首相による解散のほとんどが天皇の国事行為を定めた第7条3号「天皇は、内閣の助言と承認により、衆議院を解散する」に依拠したものである。
 ところで、議院内閣制の下では、内閣は議会の信任によって存立しており、自らの信任の根拠である議会を、不信任の意思を表明していないのに解散させることは、自らの存在基盤を失わせる行為と言えよう。重要法案が否決されたような場合ならともかく、大義名分もなく、首相に解散権を無制限に認めることは正しいことなのであろうか。
 こうした時に思い出すのが「苫米地裁判(事件)」である。この裁判は衆議院議員であった苫米地義三氏(現十和田市生まれ)が、昭和27年、吉田首相が突如として衆議院を解散(抜き打ち解散)したことに対し、憲法7条を実質的根拠として行われた解散は憲法違反であるとして訴訟を起こしたものである。裁判は、最高裁が、解散は高度な「統治行為」で、審査権になじまないとしたことで、苫米地氏の敗訴が確定した。そして、これ以降、7条解散が常態化したとされる。しかし、議院内閣制と首相の解散権について、政治の劣化を知るものとしては、今一度考え直す必要があるのではないかと思っている。「常在戦場」などと言わず、4年の任期を全うすることができれば、議員も安心して政策立案や実行に取り組むことができるはずである。そうであれば、人気だけで当選しようなどする候補も減少するはずだ。国の内外が不安的な今こそ、首相の解散権や政治の在り方、その根底にある選挙制度などについて熟慮することが必要ではないだろうか。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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