日曜随想

 

「健康心理学」幸福感と長寿の関係

2017/7/16 日曜日

 

 今回は、自分の専門分野である、心理学分野の話題にしてみた。
 それまでとても疲れていたり、体調が思わしくなかったりしていたのに、楽しみにしている行事が近づくと、急に元気になるということを、皆さんも、一度は経験したことがあるだろう。逆に、嫌なことや悲しいことがあると、体調をくずしてしまうこともある。心と身体の関係は、複雑で実に不思議なものである。
 【楽しい】【嬉しい】【幸せ】という感情と、【元気】【健康】は、どうも深い関係があるらしい。
 幸福研究の第一人者で、「幸せ博士」の異名をとる、イリノイ大学心理学部名誉教授のエド・ディナー博士の、興味深い研究結果をご紹介しよう。
 健康診断や病院にいったとき、問診票というものを書いたことがあると思う。それには、「煙草を吸いますか」「お酒はどのくらい飲みますか」「定期的に運動していますか」などの、健康に関する質問が並んでいただろう。エド博士は、そこに「あなたは幸せですか」という項目を加え、「はい」と答えたとき、どのくらい寿命に差がでるのかという研究をした。その結果「幸せである」ことが、平均して9・4年の長生きにつながる、という興味深い結果が得られている。
 省略して簡単に説明したが、この結果は大学生を40年追跡調査した研究や、9万人近い40から69歳の男女を対象にした研究等、106の調査研究から分析して導き出した結論だということである。エド博士の他にも幸福感・喜び・感謝等の感情と健康・長寿との関係について研究をしている研究者は世界中に大勢いる。
 しかし、「幸福感」が健康にいいらしいとわかっても、ではどうしたら「幸福感」を増やすことができるのだろう。いくつか紹介しよう。
(1)家族や友人と一緒にいる時間を作る。(長い人ほど幸福感が強い。)
(2)他人に親切にする。
(3)他人に感謝の気持ちを伝える。
(4)他人に多くを与える。
(5)他人と自分を比較しない。
(6)一日の終わりに、その日良かったことを三つ思い起こしてみる。
(7)週に一回、自分の幸福について考える時間を持つ。(毎日だと効果が薄れるので、週一くらいがよい。)
 この他にも、自分がどんなことで幸せを感じるのか、一度考えてみてはどうだろう。日常の些細な事が「幸福感」につながっているかもしれない。
 長生きしたい人は、禁煙し、塩分を控えるとともに、家族や友人を大事にしよう。他人に望むより、他人のためにできることを考えよう。また、誰かと喧嘩している人がいたら、今日中に仲直りすることをお勧めしたい。
 さて、あなたは幸せですか。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「県土強靭化を急ごう」市町村も策定し対策を

2017/7/9 日曜日

 

 「コクドキョウジンカ〈国土強靭化〉」って一体何なのだと言う声が未だに聞かれるし、ましてや各自治体では強靭化計画の策定が義務付けられているにも拘わらず、都道府県はほとんどが策定しているものの、市町村になると、極めて少ないのが現状だ。青森県は今年3月に策定したが、市町村はむつ市だけである。都道府県で最も多くの市町村が計画を策定しているのは和歌山県であるが、その理由はおおよそ見当が付くだろう。「国土強靭化基本法」の成立に尽力したのは自民党・現幹事長の二階俊博氏だが、和歌山県は彼のお膝元であること、南海トラフや東南海トラフが引き起こす巨大地震と大津波が真っ先に襲来するのも和歌山県であることなどが背景にあるだろう。
 ところで、この法律は、東日本大震災を受け、大規模な災害の被害の拡大を防ぐため、広く社会資本整備を進めることとし、具体的には老朽化などで損壊の恐れのある道路や橋などを点検し、補修などを行うことを目的として、2013年12月に成立した。こうしてみると、法律制定以前に主張された「所詮は巨大な土木事業を行うための法律ではないか」との批判も当たりそうな気もするが、決してそうではない。迅速な避難や人命救助のための体制を確保し、地域での防災教育の充実を図るという、いわばソフト対策にも力点が置かれていることにも注意すべきなのだ。ハードとソフトの両面から「強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災に資する」ものでこの法律に基づく「大綱」では、国民が互いに助け合う地域ネットワーク形成の重要性が訴えられている。
 さて、こうした中で前述のとおり、青森県は「人命の保護が最大限図られること」「県及び社会の重要な機能が致命的な障害を受けずに維持されること」「県民の財産及び公共施設に係る被害の最小化」「迅速な復旧・復興」を基本目標とする「青森県国土強靭化地域計画」を策定した。そこでは34項目の「リスクシナリオ」を設定し、問題の所在を明らかにするための「脆弱性評価」を行い、青森県の特性を踏まえた基本的な方針が示されている。特にリスクは、単体ではなく複合的に発生する可能性があるとして、それへの対応の重要性が謳われ、またハード対策とソフト対策の適切な組み合わせ、「自助・共助・公助」の役割分担と連携などが強調されている点は重要であろう。一方で、むつ市を除く県内市町村では未だに策定の動きはほとんどみられない。市町村の特性に合わせた計画策定が待たれよう。もちろんどこかのコンサル任せの計画では実行性に疑問があり、計画は策定して終わりではない。防災・減災に係る計画では尚更であり、日常的な備えと定期的な訓練などが強く求められることは言うまでもない。
 (青森大学名誉教授 末永洋一)

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「バル街」飲み歩きで街を再認識

2017/7/2 日曜日

 

 弘前で開催される「バル街」をご存じだろうか。ひとことでいえば、昔ながらの「はしご酒」イベントなのだが今から14年前、函館でスペインのバル(立ち飲み)文化を参考に「西部地区で一夜のバル街を」と題して開催したのがその名の始まりだ。街を意識し少しだけオシャレに、皆で楽しむ飲み歩きなのだ。
 弘前では、函館の主催者と親交が深い弘前フランス料理研究会が中心となり、2011年から毎年二回開催される。
 五枚綴りのチケットを事前に求め、参加店が記されたマップを片手に好みの店を巡り、おつまみ料理と酒を楽しむというもの。一夜限りのイベントゆえ、街なかには多くの人々が行き交い、店の前には長い行列ができる。隣り合えば見知らぬ者どうしでも仲良く会話が弾み、随所で生演奏などの賑わいも加わる。参加者のほとんどは地元の人々でリピーターも非常に多い。ある人は「オトナの遠足」と形容するほど、その日を心待ちにしているそうだ。楽しむためのコツは、ケータイやスマホに頼らぬこと。行きたい先や訪ねたお店のことを出会った誰かと情報交換してみるのがオススメだ。
 私は発祥となった「函館西部地区バル街」の裏方を務めるが、実行委員の我々こそがバル街を一番楽しんでいるという自負がある。運営の仕組みがシンプルなので、そのぶん遊び心豊かに新企画を考える。当日はふだん会えない知人たちも数多く駆けつけ、笑顔を見せてくれる。それが何よりの楽しみなのだ。また、公的なお金に頼らずに思う存分楽しもうというのも、大切にしているポリシーだ。
 ちょうど弘前で始まった頃から、我々のもとには全国から視察や問い合わせが相次ぎ、バル街は全国各地に拡がった。中心市街地活性化の「三種の神器」とも呼ばれたが、決して大儲けできるビジネスモデルではない。年二回、一日限り、あるものを最大限活かし無理をしない運営こそが、楽しみを導き出すいい塩梅のようだ。何よりも参加者、参加店そして運営する側が共に楽しみを分かち合い、賑わいを喚起することが大事なこと。
 思わぬ副産物もある。函館では皆でバル街を楽しみ、認知度が高まる中で、それまで「観光客だけが行く場所」と思われていた旧市街地を、市民があらためて自慢のわが街と気づき始めたようだ。弘前でも皆が共に楽しんでこそ、街の魅力をあらためて知る機会になるはずだ。
 昨夏の弘前バル街当日、ふと立ち寄った馴染みの店で隣り合った常連客がこう呟いた。「鍛冶町さ、こったにひと出っ
ちゅうの久しぶりで見だな!」。素知らぬ顔でニヤリと返してみたが、この日の酒は実に美味かった。
 今週末は13回目の「弘前バル街」開催である。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「季節の楽しみ」ショーケースに広がる宇宙

2017/6/25 日曜日

 

 このごろずいぶん日が長いなあと思っていたら、6月21日は夏至だった。新緑も深い緑に変わり空き地にはいつのまにか、ねぷた小屋が設営されている。ほんに、この弘前は、季節によってずいぶんちがう顔をみせる街である。季節ごとに同じ場所で写真を撮って比べてみると、その違いがよくわかる。道の広さも彩りも、光のかげんさえも違っている
 時間をすこしだけ先取りしながら、季節感をもりあげてくれるのが、和菓子屋さんだ新年には蓬莱山や花びら餅春はうぐいす餅椿餅に桜餅ときていまは、若鮎、水羊羹、わらび餅など気軽な和菓子のほか、ほんのりと色づいた紫陽花やすずしげな清流や金魚鉢を模した生菓子など、ショーケースのなかに季節の風物詩がつまった宇宙がひろがっている。
 暑すぎず、寒すぎず、なんとなく外歩きしたくなるこの季節、和菓子屋さんの店頭を見て歩くのはとても楽しいのだが、ひとつ困るのは、買わずに帰るのがほぼ不可能ということだ。しかも、1、2個だけは買いにくいので、つい、あれもこれもと頼んでしまう。家に帰って紙箱の蓋をあけると、そこにも季節の小宇宙がひろがっていて、しばしうっとり。これがあるからやめられない。お茶を入れて、一緒に食べる友だちを呼ばなければなりません。
 子どものころ、近所にあった和菓子屋さんは、お赤飯や豆大福を置いているような庶民的なお店だったが、若い店主さんは、いつもかならず、こまかな細工の季節の生菓子をいくつか並べていた。お使いに出された私がショーケースに見入っていたからだろう、いまはこのお菓子だけど、もう少しするとこれこれのお菓子を作るから、また見においでと教えてくれたものだった。子どもだった私は生菓子が苦手だったのだが、ショーケースに並べられた和菓子がつくる宇宙の美しさは印象深く、いまでも私の季節感の一部をつくっている。
 季節感をもりあげるといえば、弘前では、地物の食材を使う居酒屋さんも、いましか食べられない食材をふんだんに使った料理を出してくれる。西弘でなじみの居酒屋さんでは、旬のものを使ったメニューが、いつも小さな黒板いっぱいに細かな字で書きこまれていて、そこにも季節の宇宙がひろがっている。かんがえてみれば、「季節限定」の料理なのに、もったいぶらず、手ごろな値段で出している居酒屋さんが身近にあるのは、この地域ならではの贅沢だ。
 今日は、よさこい津軽も開催されるはず。夏至がすぎたとはいえ、まだまだ日も長いから、週末はそぞろ歩きを楽しんで、いろいろなお店の中にある季節の小宇宙をめぐってみるのも、弘前人らしくていいかなあ。
(弘前大学人文社会科学部教授 杉山祐子)

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「地元の歴史に注目を」周年で魅力を際立たせよう

2017/6/18 日曜日

 

 この地に生まれ育った私が、間違いなく嬉しいと感じるひとつは、よそ様から弘前公園やその桜を誉められること。
 古城と老松、更に残雪の岩木山を背景とした桜花は、先人の不断の努力によってのみ支えられてきた至宝。つまりは、津軽人の心根が賞賛されたのも同然。
 ですから、百年という節目を意識して開催されたさくらまつりは、地元でも意義を再認識する良い契機となったはず。カビ臭い懐古趣味ではなく、繰り返しながら過去を振り返ることは、物事の羅列ではなく、先達の心情にも触れられる。激動する昨今では、十年刻みの周年も、一度見逃されてしまえば、振り返る機会を逸してしまいそうで、それがコワイ。
 たとえば、陸奥新報は昭和二十一年に創刊されて七十周年。もうちょっとで、めでたく紙齢二万五千号を迎えますね。
 八十年前の昭和十二年には「奇蹟の三重苦の聖女」ヘレン・ケラー女史が来弘し、聖愛高校で講演。弘前のお土産に、津軽塗を求めたという話もありますぞ。
 津島修治が弘前高校に入学し、藤田家に下宿したのが昭和二年で九十年前。金木の実家、斜陽館と呼ばれる津島源右衛門邸の上棟式が行われたのが、百十年前の明治四十年で、棟梁はこの年の八月に亡くなった堀江佐吉。弘前偕行社とともに、最期に手掛けていた建物といえる。
 同月は絶世の米国美人、ヘツウツト嬢が岩木山登山を果たし、富士登山より苦しいとコメント。陸羯南や、第八師団の初代師団長の立見尚文中将が没したのもこの年でした。その一年前には斎藤主や堀江佐吉が、市に図書館を寄附しているし、弘前聖公会の女性信者が岩木山登山に挑戦。こちらは天候の悪化で、残念ながら登頂できなかったけれど、まぁ似た出来事があるものですねぇ。
 のちの大正天皇、東宮殿下が明治四十一年に本市を訪れて百十年目ということは、弘前公園への鷹揚園、弘前偕行社の雅名、遑止園の命名、外崎嘉七の向陽園に出向かれたのを記念した、りんごの日も同じ周年ですよね。先行して火力発電で事業を開始の弘前電燈が、当時の山形村板留に水力発電所を完成させ、殿下に試験点灯を披露。これが十年後、弘前観桜会のイルミネーションの原動力に。
 更に遡ってみれば、百四十年前の明治十年には、旧藩士族の山野茂樹宅で西洋リンゴが初めて実ったなど、いろいろに繋がりが増えてこようというもの。
 歴史を人々の営みの足跡と思えば、わたしたちの身近に、なんと多くの周年が満ち溢れていると、今更ながらに驚く。
 多彩で豊富な郷土の魅力、さまざまな智恵や工夫を取り入れて、どうにか活用できないものかなぁ。他所から持ち込む目新しさも人目を惹きましょうが、有るものを活かさないのは、なんとも勿体ない気がする、貧乏性なのでありました。
(元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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