日曜随想

 

「アート悶々7」遠隔悶々

2020/7/5 日曜日

 

 同僚のI先生は怒っている。「教育というものはマンツーマンでやるのが一番いい。授業だからやむを得ず10人、100人を相手にしているのであって、それでも顔を突き合わせているからまだマシだ。それを遠隔なんてトンデモナイ!」
 新型コロナウイルスの影響で、弘前大学では授業が全て遠隔となった。学生たちはパソコンの画面などを通して、リアルタイムあるいはオンデマンドで授業のコンテンツを閲覧し、そこで出された課題をこなす日々を過ごしている。学生は大変だ。
 私は実技中心の授業を持っているが、遠隔授業となると実技が難しいこともあり、座学の割合が増えた。本来実技でやるべきところを、遠隔では知識のみを伝えることしかできないというのが現状だ。例えば木彫の授業では、刃物で木がなぜ彫れるのか、切れ味のいい刃物はどんなものなのかを図や映像を使って説明する。実際に刃物を研いでそれを使って木を削ってみれば話は早いのだが。
 コロナ禍を機に社会の遠隔化が急速に進むのであろうか。仕事によっては遠隔でも済むものがあるのは理解できる。地方にいても働けるとなれば「自然の中で生活して、週に1回東京の会社へ」といような生活が実現できるかもしれない。移動というエネルギーを浪費しなくても済むし、一極集中の緩和にもつながる。いいこと尽くしではないか。
 しかし教育は違う。偉い先生の授業を世界中の学生が受けることができたところで、それは教育の一方通行なのでダメである。その先生が書いた論文か本を読めばよい話だ。
 田中司氏(立教小学校の元校長)の本にこんな記述がある。「…授業の一時間は、その教科、その世界の氷山の一角である。氷山の一角であるその授業には、見えない部分、大きな氷の塊、つまり、その教科の大きな世界が隠れている。…」。学生がその隠れた世界に触れ、学問の奥深さや面白さを肌で感じることができるのが対面授業ではないだろうか。教員が何を伝えようとしているのか、ニュアンスを含めてその場の空気から感じ取ることが、画面を通してできるとは思い難い。
 美術について遠隔がアリかナシかを考えると、それはジャンルによる。従来の絵画・彫刻は画像でもどういうものかは伝わる。実際、画集を見るのは楽しい。一方、空間ごと作品化するようなインスタレーションは、その場に行って体験しなければどうしようもない。カタログを見ても場の空気までは伝わってこない。近年展覧会でよく見掛けるビデオインスタレーションなどもそうである。遠隔でのコミュニケーションを可能にしたデジタルの技術ではあるが、その技術を使ったアートが遠隔に向いていないとは、なんとも皮肉なものである。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「旅の本質」コロナ後にある観光の姿

2020/6/28 日曜日

 

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言により、県境をまたぐ移動の「自粛」を余儀なくされた。幸い青森県と同様に北海道南部地域は感染が広がることはなかったが、そうした中でさえ両地域の行き来はできず、道県という行政区域の壁を感じ、窮屈で歯がゆい思いをした。。今般ようやく制限が解除となり安(あん)堵(ど)している。他方、首都圏での感染拡大がいまだ収まらない中、一転し政府は「Go To キャンペーン」を打ち出し、費用を助成するので全国各地に旅行せよ、となった。。軸足の定まらない政府方針に、国民は振り回されているように思えてならない。
 さて、旅行が制約されることは、多くの人々にとって初めての経験のはずだ。旅というものは、人の生き方の根源に関わる非常に大切なもので、新しい経験や自分とは違う他者との出会いを求める機会として、人間が本来持つ変容し続けたいという欲求を満たしてくれるものである。ネットの中でさまざまな疑似的体験ができる今日でさえ、時に予期せぬ出来事や偶然の出会いの機会をもたらす旅は、掛け替えのないものである。
 さて、政府のGoToなる施策は、コロナ禍に対する慰労的な色合いの旅を推奨しているにすぎない。地域経済を回すという短期目標の中では、それが一番手早く、贅(ぜい)沢(たく)な旅をするほど得をする制度設計にならざるを得ないことは理解できるが、今後の観光の在り方を考えるならば、それはあまりに短絡的なものだ。
 観光をとりまく状況はコロナで一変した。わが街函館でさえも発想の大転換が求められている。当面インバウンド需要に依拠することはできない。わが国の観光を底支えする新たな国内需要を生み出すことが喫緊の課題なのだ。いま必要なのは、人間にとって根源的に必要な旅というものの、楽しさと尊さを多くの人々に気づいてもらうことだと私は思う。
 津軽地域では、コロナ前からの広域観光の模索が「マイクロツーリズム」の取り組みへと転換し、図らずも今や全国の最先端といえる。また本紙の社説にある、地元の魅力に気付く好機にせよ、との指摘はまさにその通りだ。受け入れるための気付きは、自身が旅の楽しみ方を知り、旅するきっかけにもなろう。
 これまで地方は、国の景気浮揚策に乗り、長さや大きさの日本一を競い合い、また無理やりな「ハレ」の場をつくることにまい進した。そうした数多の失敗を教訓にすべき時でもある。コロナを経た観光には、今あるインフラを最大限に生かして、その土地の日常を素直に魅せるひと工夫が求められているのだ。
 近いうちに、久々に弘前を訪ねたいと思っている。そして、ここを拠点に、いわゆる「奥津軽」を巡って、土地ごとの日常に触れるのを楽しみにしている。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」創造的破壊

2020/6/21 日曜日

 

 この言葉はもう10年以上、私の頭の中にすみ続けている。某スポーツ解説者がテレビで新しい戦略・戦術のキーワードとして使用したことに深く共鳴したのがきっかけとなった。
 当時、創造的破壊は耳慣れない言葉だった。否定イメージの強い「破壊」が「創造的」という修飾句で肯定され、一つの概念になる。奇妙に思えたが、よく考えれば納得できる。創造とは、従来の発想にない、新しいものを造る行為である。例えば組織・制度・慣習・方法などを根本から変えるには、それまでの延長線上で発想し、部分を変えるだけでは済まない。世の中の常識を一気に逆転させるくらいのパワーが必要になる。そのためには既成概念や他人の評価、しがらみを破壊するしかない。
 そもそも創造的破壊は経済学者・シュンペーターが唱えた経済発展論の中心概念である。「企業家のイノベーションによって、古い経済・経営体制は破壊され新たな経済発展が生じる」(大辞林4版)という意味を持つ。今や経済だけではない。産業や科学・文化・教育・芸術、あらゆる分野の発展や技術革新に欠かせない考え方になっている。
 一例として、学校教育を取り上げる。通常、テスト問題の多くは答えが一つになるように作成されている。その方が問題を作りやすいし、答えやすい。そして採点しやすい。設問や答案はパターン化されるのが普通である。実に効率的でムダがない。反面慣れすぎると思考停止になりかねない。グローバル化社会は人や物が自由に移動でき変化が激しい。さまざまな問題が絡み合い、答えも一つに絞り切れない場合が多い。言葉も文化も習慣も異なる人々とどう共存していくかが、改めて問われている。文部科学省が10年ごとに改訂する学習指導要領は、社会の変化への対応が狙いだ。これも創造的破壊といえる。
 幕末の儒学者・佐藤一斎(いっさい)は『重職心得箇条』(小学館、深澤賢治)でこう述べる。。
 「家々に祖先の法あり。取失(とりうしな)ふべからず。又仕来仕癖(しきたりしくせ)の習(ならひ)あり、是(これ)は時に従(したがっ)て変易(へんえき)あるべし」
 創造的破壊は伝統を否定しない。時流に合わないことは変え、時流に関係なく変えてはならないことは、徹底して守る姿勢を貫く。一斎の言葉は令和の時代でも傾聴に値(あたい)する。少しも古びていない。時代を経ても人間の本質や真理は変わらないからであろう。
 コロナ後の世界は不可逆だという。だが過去を振り返ればどんな大災害も復旧ではなく復興を目指して立ち上がってきた。既存の世界を否定し新世界を再構築した事実を忘れてはならない。「行(ゆ)く河(かは)の流れは絶えずして、しかも、もとの水(みづ)にあらず」。鴨長明が『方丈記』に残した一節を噛(か)みしめたい。
(東北女子大学特任教授 船水周)

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「こりゃぁ大変だ」人口の減少が止まらない

2020/6/14 日曜日

 

 先日地方紙に青森県の自殺率大幅改善との見出しで厚生労働省の2019年人口動態統計の結果が示されていました。自殺と言えばお隣秋田県である。秋田大学の本橋教授の下、官民学協働の「秋田大学自殺予防研究プロジェクト」を立ち上げ、01年から4年後、モデル地区で47%減少させた輝かしい成果が記憶に残っています。水を差すつもりは毛頭ないが、本橋先生が居なくなった今、秋田県は返り咲きである。
 話はわが国と県の人口の自然増減と社会増減である。
 19年のわが国の日本人出生数は86万5234人で前年より5万3166人の減少で、1949年生まれの世代では、269万人が生まれたことを考えれば3分の1です。死亡数は138万1098人で前年より、1万8628人の増加でした。差し引き51万5864人の減である。
 2019年の住民基本台帳に基づく青森県の人口は128万7029人ですから2年半で青森県分の人口減である。
 47都道府県で自然増なのは沖縄県のみである。自然増加率は40年連続トップである。
 沖縄県と言えば、長野県や滋賀県に追い越されるまでは長寿県の代表であり、子どもが多く生まれる印象は持っていませんでした。
 青森県は昨年7170人が生まれて、1万8424人の死亡、差し引き1万1254人の減、沖縄県は1万4902人生まれて1万2509人の死亡、差し引き2393人の増でした。倍以上生まれて、死亡数が少ない。
 一人の女性が一生の間に産む子どもの数の指標の一つとして合計特殊出生率がありますが、全国平均は1・36、青森県は1・38、沖縄県は1・82でした。人口維持には2・07と計算されています。
 1世帯の平均構成員は青森県の2・19人に対して沖縄県は2・27人でした。出生数と家族構成は関係ないようです。
 14歳以下の年少人口の割合が小さい県は秋田県、青森県の順でした。反対に高い県は沖縄県、滋賀県の順でした。65歳以上の老年人口の割合が高い県は、秋田県、高知県で青森県は9位でした。反対に低い県は沖縄県、東京都でした。
 一方、住民が移動する社会増減は、増数では東京都、神奈川県と大都市圏が、減数では北海道、福島県でしたが、社会減率では青森県、長崎県、秋田県の順でした。
 実数での青森県の社会減は18年、6487人であり、1学年の人数に近づいているようです。
 内閣府特命担当大臣少子化対策担当はこれまで21人就任していますが、数値で見ると目立った成果を上げているようには思われません。今回の試練を機に社会構造の変化が人口問題の糸口になることを願っています。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「アグリーンハート」東京で自然栽培米を宅配する

2020/6/7 日曜日

 

 株式会社アグリーンハート(佐藤拓郎代表、2017年設立)は、水稲の一部と全ての野菜で農薬・肥料を使わない自然栽培を実践し、黒石市で初の国際認証「グローバルGAP」を取得した。売り上げ1億2千万円。従業員11人。テレビリポーターでミュージシャンでもある佐藤氏が36歳で創業した。愛嬌(あいきょう)ある笑顔にどのような人間ドラマがあったのか、その背景を探ってみた。
 佐藤氏は黒石市の農家の6代目として生まれた。高校3年生の時、祖父の経営が破綻した。家が競売に掛かり、落札され、明け渡しが通告された。幸い土地は残り、父はそれを元手に家を買い戻す。最低限の畑と家と精米所が残った。借金は数千万円。そこからドラマが始まった。
 高校卒業後、就農。朝5時から畑に出て夕方帰宅。農繁期は1日14時間、くたくたになるまで働いた。同期の仲間が大学に進み、企業に勤め、数年後には新車を乗り回す時代、佐藤さんは初任給5万円、そして仲間が企業に勤めだすころは8万円であった。羨(うらや)ましかった。こんなに働いてなんでこんなに差があるのか。悶々(もんもん)とする日々が続いた。幸い、借金は数年で返済のめどが立った。しかし肝心の家計に残る実収入が少ない。なぜなのか? 佐藤さんは大げさですが、と言いながら、次のケースを紹介された。
 「米で1千万円稼いだとして、不作の野菜やその他のコストで700万円消えた場合、残る所得が300万あれば親子3人何とか食べていける、これが農業。という考えが実は農家の場合主流なのです」という。サラリーマン風に考えてみると、働いた父、母、息子の取り分は1人当たり100万円に足りない額になる。実際、実は多くの農家の実態がこれだと聞く。
 将来の農業はこれではいけない。1日15時間働いても親子で手取り300万では農業に未来がない。この発想から佐藤氏の飛躍が始まった。将来の農業経営を考え、まずは法人化を考えた。いい人材を採用するためには、しっかりした雇用条件で採用、教育し、次世代に活(い)きる人材を育てていく経営体でなければならない。佐藤氏は家族経営の農家でなく、多くを雇用する実業を目指すことにした。そのため低コスト・大量生産および自然栽培による高付加価値生産を合わせたビジネスモデルを決断した。
 今年4月、直営店舗が東京都世田谷区にオープンした。米はアグリーンハートが黒石市で生産した無農薬・減農薬米。コンセプトに「家庭に農家のこめびつを」を掲げ、宅配での定期提供を考えた。結果、世の中の自粛ムードが幸いし、宅配が受け入れられ、順調に売り上げが伸びている。佐藤氏はこれから到来する新時代に向けて、青森から世界へ向け、新しい風を吹かそうとしている。
(株式会社ノア代表 牛田泰正)

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