日曜随想

 

「IT革命から20年」中央集権への逆行を懸念

2020/9/20 日曜日

 

 このたび新政権が発足して、その目玉施策が「デジタル庁」の新設とのことだが、残念ながら今さら感とともに、中央集権への逆行の懸念を禁じ得ない。
 IT革命という言葉が世に出たのは2000年。時の総理大臣がこれを「イット」と読み間違えて話題になり、この年の新語・流行語大賞にもなったが、実はこの頃から政府のデジタル施策には目覚ましいものがあった。情報通信ネットワークの整備をはじめ、教育の振興や人材の育成、電子商取引の推進、公共分野における情報技術の活用などが打ち出され、5年ほどの短期での目標達成や、もちろんその後も多種多様な施策が展開されてきた。
 その頃、IT革命で民間サイドに起こったことの一つは、インターネットの双方向性と開放性により、上意下達のピラミッド型構造だった従前の組織の在り方が、ボトムアップ型の逆ピラミッド型に姿を変えていった。情報共有などを前提に、多様なニーズにいち早く対応し行動するため、相当程度の判断を現場に委ねることになったと言ってもいい。一方、国と地方の関係においては、地方分権改革一括法により建前は分権自治の推進が望まれたが、電子自治体化はむしろ中央集権に傾いていた。ただし市役所や役場が、市民と対等な立場でまちづくりなどに取り組む「協働」という理念の定着には、このIT革命がその起爆剤として大きく作用した。
 あれから20年、圧倒的な勢いで、高性能のスマホが個人に普及した今、役所の中では、新型コロナの感染者数の集約で通信手段がいまだファクシミリだったことにはやはり驚く。また、10万円の特別定額給付金がすぐに手元に届かなかったことも改善の余地はあろう。しかしこうした因習や失策をことさら持ち出してまで、だから言わんこっちゃないとばかりに、マイナンバー推進やデジタル庁が不可欠といった議論になるのはいささか疑問が残る。
 デジタル庁がその中心施策に据えるのは、もちろんマイナンバーだ。国民一人ひとりのプライバシーに深く関わる情報までをあまねくデータ化し一元的に集約して、これを民間にも開放しながら利用していこうというものである。個人に関する情報を一手に握ることは強大な権力を手にすることでもある。究極の中央集権で、ともすれば独裁的な監視社会が到来する危惧さえある。
 こうした疑念を解き、個人情報の収集にかかる国民的理解を得るためには、その前提として、これまでの施策の積み上げを示すとともに、政府がうそをつかない、隠し事はしない、という信頼性が不可欠だ。
 公文書の改ざんや廃棄をしないことはもちろん、これまでのモリカケ桜の真相究明がその大前提である。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」私の原風景

2020/9/13 日曜日

 

 日本経済が高度成長期の最中(さなか)にあった1961(昭和36)年、私は津軽の農村部の小学校に入学した。現在(いま)の子どもたちと違って、幼稚園・保育所を経て入学したのではない。就学前の教育はないに等しく、自分の名前が読み書きできる程度。小学校入学は、安穏とした個人中心の生活から、緊張を強いる集団の生活へ切り替わる装置だった。
 振り返ってみると、小学校の6年間は楽しい記憶しかない。山や川、野原、田畑、神社、空き地など、牧歌的風景の中で、仲間と笑い、歓声を上げながら時を忘れて遊んだ。つらく苦しいこともあったはずだが、浄化して美化されたのか、少しも浮かんでこない。
 小学校は岩木山を正面に望める小高い丘の城跡にあった。木造2階建て。校舎の前には、薪(まき)を背負って本を読む少年・二宮金次郎の石像が建っていた。幼心にも石像のメッセージが伝わる。働きながら本を読む少年に、勤勉のお手本を見たのは間違いなかった。
 ただ当時はこの石像を漠然と眺めていたにすぎない。金次郎が読んでいるのは何の本か。薪を背負って本を読むのはなぜか。その後どんな生き方をし、どんなことを成し遂げたのか。全く知らない。金次郎が通称で尊徳が本名だということも知らずに過ごした。
 もちろん、これは私だけの問題だとも思えない。事実、篤志家の寄付で日本中の小学校に金次郎像が建てられたが、成人した尊徳の仕事や功績はあまり知られていないのである。
 小学校時代を思い出すとき、校舎の風景には金次郎像がある。彼は回想アイテムだった。しかし戦前教育を受けた世代と戦後教育を受けた世代とを比較すれば、金次郎の名前や石像になじみがないのは戦後教育の世代に多い。こうした現象がなぜ起こるのか。
 二宮尊徳を読み返してみると、無意識に読み飛ばし、読み落としてきた事実に気付く。岬龍一郎『人は徳のある人に従いてくる』(主婦の友社1997)を読めばそれがよく分かる。たとえば、少年期の金次郎は富国強兵を担う少年の理想像とされたが、成人期の尊徳は農村改革を推奨する不都合な先駆者と見なされた。戦前と戦後では尊徳の評価が明らかに二分される。薪を背負って読んでいる本は『大学』。学問のすすめや修身の基になった一文が記されている。
 少年の金次郎は、人に迷惑をかけず学問する方法、積小為大(せきしょういだい)―物事は小が積もり大となる―を悟った。改名後の尊徳は至誠実行を規範とした。
 私の原風景は金次郎像が建つ小学校である。全てがそこで始まり、幾多の経験を積みながら人生を紡いできた。幼き日の疑問や謎は過去を思い出すたびに少しずつ回収されていく。
(東北女子大学特任教授 船水周)

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「笹森儀助と奄美」先人の行動力と緻密さ

2020/9/6 日曜日

 

 30年ほど前、鹿児島大学水産学部の練習船「敬天丸」を使った「パプアニューギニアの人間と環境」調査に参加する機会がありました。鹿児島を出港すると最初の寄港地ポートモレスビーまで10日以上船酔いに悩まされなければ昼夜乗組員や調査隊員との会話になります。私が弘前出身であることを聞きつけたある教授が開口一番「先生、弘前の人なら笹森儀助を知ってますよね」「ちょっと聞いたことないけど、いつ頃の方ですか?」「なに、奄美の人たちは、皆彼を知ってるのに、弘前の人が知らないのか」と怒られてしまいました。
 その後少し調べただけで、もつけ、かだくら、じょっぱりと津軽弁のオンパレードなだけではなく、ずば抜けた行動力と緻密さに驚かされました。千島探検の内容を著して、1893年4月に内務大臣井上馨に面会した際、南島の糖業拡大の可能性を探るように依頼されると、準備を整えて5月10日にはもう弘前を出発しています。27日神戸から陸奥丸に乗船し、31日午後2時30分奄美大島名瀬港着。6月1日午後3時那覇港着。9月28日まで沖縄本島、離島を調査。9月30日午前5時奄美大島瀬戸内地方古仁屋へ碇泊、以降10月17日午前6時まで奄美大島に滞在。その間、人頭税や鹿児島商人による甘蔗(サトウキビ)の不正を記しています。
 メモ魔なのである。笹森は、砂糖振興のために沖縄、奄美地方に政府から派遣されたのに、鹿児島の役人や商人が利益をむさぼっている構図を明らかにしました。
 彼は、94年奄美大島の島司に就任し、島民負債の調査・対策、糖業振興、汽船の定期航路開設のバックアップ、伝染病対策、学校創設の推進、西郷隆盛謫居(たっきょ)碑建立等4年にわたる業績が評価されて、2017年龍郷町に顕彰の碑が建立されました。広報たつごう467かグーグルマップで28°26′46″N129°36′17″Eを入力し、ストリートビューで確認できます。
 笹森が4年で島司を辞したことをとやかく言う人もおりますが、「地方の開発は地方人自らか行う」という彼一流の哲学でしょう。耳が痛い。
 最近、鹿児島大学の島嶼(とうしょ)研だよりを見ていたら、大島紬(つむぎ)に見られる龍郷柄の文献記載で一番古いのは、笹森儀助の「大島郡織物概集」であり、「風廻し」という名の紬見本が掲載されていたとのことである。笹森は絵も上手かったのである。この「風廻し」現地では、ガジモーシャといい、アダンの葉で作った風車だそうです。
 有名な「南島探検」は、青森県立図書館デジタルアーカイブや国立国会図書館デジタルコレクションネットで読むことができます。
 地元の先人の活躍を耳にすることは誇らしいことです。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「南八甲田の巻」農業生産法人ノアの戦い

2020/8/30 日曜日

 

 農業生産法人ノア(代表・牛田泰正)が、2度のクラウドファンディング(CF)で支援を募り、南八甲田の約2万坪(約6・6ヘクタール)に及ぶ休耕地でジャガイモなどの自然栽培に取り組んでいる。
 実は「ノア」は筆者が代表を務めている。無農薬、無肥料、除草剤も使わないリンゴ栽培を成功させた木村秋則氏と知り合い、青森市内の知人から、八甲田の休耕地を好条件で借りることもできたことから、自然栽培の農園づくりを始めた。
 あまり知られていないが、農林水産省の発表によると、日本の有機食品市場は2009年が約1300億円、17年が1850億円と30%近く拡大している。
 なぜあまり知られていない、と述べたかというと、地方では有機野菜はよく作られてはいるが、購入する人が少ないから。しかしながら今回のCFでは支援者の9割は東京近郊の人たちであった。それだけ都会では有機野菜が求められている。その証拠に前回紹介した東京・世田谷にオープンしたアグリーンハート直営店。黒石市で生産した無農薬・減農薬米が、今なお順調に売り上げを伸ばしている。
 さて「有機農業の推進に関する法律」(有機農業推進法)が06年12月に成立。この法律において、「有機農業」とは、化学的に合成された肥料および農薬を使用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業をいう。
 実は地球温暖化は、二酸化炭素が最悪なオゾン層破壊物質であるかのように伝えられているが、実際はメタンガスであり、フロンガスであり、最もひどいのは化学肥料により生じる亜酸化窒素ガスである。これは二酸化炭素の約300倍の温室効果があり、最悪のオゾン層破壊物質である。つまり、地球温暖化を阻止できるのは自然栽培のみ、と言ってもいきなりは難しいので減農薬、減化学肥料しかないということである。
 さらに18年の環境白書によると、種の絶滅の速度と窒素・リンの循環にいたっては、すでに人間が依存する地球の自然資源に対して回復不可能な変化が引き起こされる限界値を超えたと述べている
 木村秋則氏は約10年間の無収穫無収入という過去の壮絶な苦悩を経験された。成功の秘訣(ひけつ)は、と問われると挑戦し続ける“真っすぐさ”だという。
 南八甲田において壮絶な苦悩とまでは言わないが、今まさに、虫たちとの死闘が行われている。種を残すため、孫に豊かな自然を残すため、虫も人間も必死である。除草剤を使えばこんなに草は生えないのに、農薬を使えば、こんな虫が寄り付かないのに、と何度思ったか、自然栽培とは自分との戦い、でもある。
(農業生産法人ノア代表 牛田泰正)

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「新しい日常への疑問」コロナ長期化で生む弊害

2020/8/23 日曜日

 

 新型コロナウイルス「パンデミック」の下、半年以上を経過した。世界がコロナ禍に気を取られている間、強権政治や独裁体制を強化している国が増え、香港をはじめ世界各地で民主主義や人権が蹂躙(じゅうりん)される事態が続出している。「ポストコロナ」時代、国際社会がどのような様相を呈するようになっているかが気掛かりだ。
 わが国ではいったんは新型コロナの抑え込みに成功したかに見えたが、このところ、「第2波」が襲来し、感染者数は急速に増大している。感染者の増加は確かに気にはなるが、それ以上に気になるのは、以前にも増して新型コロナ情報がさまざまな媒体を通じて流され、テレビは「○○で○○人」などと速報を流し、各種のコメンテーターが「危険だ」「政府は何をしている」と叫んでいることだ。新型コロナには不明な部分が多く、「本当の専門家」による慎重な判断が求められるだろうし、視聴者は垂れ流される情報を冷静に受け止める必要があるが、これだけ頻繁にかつ扇情的に喧伝(けんでん)されると、「洗脳される」のもやむを得ない。どこの国は「ロックダウン」したから新型コロナの抑え込みに成功した、日本もそうすべきだなどと、これまでは、民主主義と人権の擁護者のごとくに振る舞っていたジャーナリストが「人権の制限」を公然と主張する事態さえ生まれている。
 そんな中、私が疑問に思っていることがいくつかある。一つはこのウイルスに関する真の専門家(ウイルス学や感染症学)による討論の場が設定されないことだ。テレビなどに出演するのは専ら感染症の専門家でウイルス学の専門家の出番はほとんどない。未知の部分も多いと思うが、われわれが知りたいのはウイルスの正体であり、それを知ることで自分なりの判断をできる可能性もあるだろう。
 もう一つは、政府の専門家会議が提唱した「新しい生活様式」「新しい日常」への疑問だ。「様式」という言葉は、長い歴史の中で培われ定着した社会・文化などに使用するものであり、簡単に使用してもらいたくないと思うが、その意味する内容は、何も新しいものではない「手指はよく洗い、うがいをしなさい」に始まり、「食事は対面でなく横並びで、おしゃべりはやめて」「冠婚葬祭などの行事も大人数の会食は避けよう」などというものだ。食事は「食べる」だけではなく、家族や親しい人が会話を楽しみながら行う営みであり、横並びで「食」するのであれば養鶏場の鶏や牛舎の牛と同じだ。冠婚葬祭も大勢が集まらないリモートが推奨されるが、人生の節目を祝い、悲しむことも人類のみが行う営為なのだ。
 ウイルス感染には十分な予防が必要だ。それを前提とし、われわれが一律に「新しい日常」に従うのではなく、個々人が自身の「羅針盤」をもって生活を送っていくことこそが重要ではないだろうか。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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