日曜随想

 

「お上とお上り」5Gへの思惑

2021/9/19 日曜日

 

 総務省を格上げすれば済んだ話なのに政府はデジタル庁を立ち上げました。トップ2人には、ホワイトハッカーのような、知性、理性、理念を持った行動力を期待します。
 デジタル庁のホームページによると、10月10、11日はデジタルの日だそうです。2000年に成立したIT基本法の見直しが必要なこと、新型コロナウイルス対応においてデジタル化の遅れ等が顕在化したことなどを設立理由に挙げています。
 コロナで保健所への電話がつながらなかった件は、IT化すればスムーズな受け付けは可能です。が、対人サービスには人的資源が不可欠です。受け付けはできたが、その後の連絡がないでは何の解決にもなりません。縦割り行政廃止も目くらましです。省庁のシステム連携については、合併した大手銀行システムでも、うまく機能してない現状が、省庁間で機能するとはとても思えません。
 本丸は、マイナンバーカードと運転免許証、健康保険証、銀行口座、携帯電話、位置情報、車両番号、車体番号との連携と思われます、知らない間に監視カメラ、失礼防犯カメラは、街中にたくさんありますから、特定機密保護法と共謀罪をセットにすれば、中国と同じ環境が実現します。あれっ、住基ネットカードは?
 電子政府を目指すのであれば、公文書には少なくとも電子保存の3条件、すなわち、真正性、見読性、保存性の確保が求められます。誰がいつ、決済が済んだ文書にアクセスし、どこをどう変更、削除したかの履歴が残るような仕掛けを構築しないと、いつでもモリカケ問題が再現できます。
 デジタル社会のインフラ整備は簡単ですが、運用は楽ではありません。むしろ運用に8割以上の労力が必要です。またデジタル社会が破壊されたときの影響評価は今から検討しなくてはなりません。
 お上(あが)りは、子どもがガラケーからスマホに買い替えるときに、親が古い機種を譲り受けることを示した言葉ですが、今は番号を引き継ぐので、実現できません。3Gが終わると脅しをかけられる構図は、地デジ移行とそっくりです。地方格差は解消されませんでした。せっかく移行した地デジが5Gの普及で700メガヘルツ帯がかぶるので、テレビのアンテナ対策をしますって、どんな理屈でしょう。
 アジアの人たちが日本のテレビ番組を知っている話はよく耳にします。わが国では、韓国と中国の時代劇を除けば、今の時代に他国の番組をほとんど目にしません。世界の公共放送が、自動翻訳でも構わないのでリアルタイムで見ることができる時代は来るのでしょうか。デジタル化の遅れは既得権益保持の結果です。国民に対するオープンソースの考え方が求められています。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「地球温暖化阻止!」有機栽培でオンリーワン

2021/9/12 日曜日

 

 新型コロナウイルスによる社会経済活動の停滞で世界の二酸化炭素(CO2)排出量は大幅に減少(8%減)。東京都民の自然環境への関心は高まり、24%の都民が家庭菜園で野菜を育てることに興味を持った(東京都資料より)。安心・安全な食物への関心は確実に高まっていると言えるだろう。家庭菜園への関心の高まりと、有機野菜購入との関係は定かではないが、以前も述べたように都会における有機野菜の売り上げ伸び率は年々高まっており、その需要の高まりを受けて、小売り大手も相次ぎ有機農産品の取り扱いを広げている。イオンは、今後有機野菜販売量を5%に引き上げる目標を掲げ、楽天グループも有機農産品の販売拡大を目指すという。
 しかし、有機農産物は品質や収量が安定しないのが悩みである。そこでドローン(小型無人機)やセンサーなどを活用し、効率よく質・量を高める新農法の開拓が急がれる。なぜ急がれるかというと、中国の有機野菜生産量の拡大と輸出量が脅威となってきているからである。
 何しろ、中国の有機農業は国家プロジェクトであり、何より驚くのは、中国で有機農業が始まったのは1980年後半からであるが、5年間で100ヘクタール(東京都の約5倍の面積)を超えるほどまでに成長したこと。今や中国の有機農場面積は、耕作面積との割合こそ0・4%と低いが、売上高では世界4位、耕作面積は2281ヘクタールで世界一(農林水産省ホームページより)である。
 さて、有機野菜栽培が敬遠される理由の一つが販売価格の高さであるが、実はそこが狙い目なのだ。
 1、2人の新卒採用に毎年1000人以上の応募が殺到する和歌山県海南市の平和酒造。手造りをしながら安売りをすることに抵抗があった4代目の山本典正社長はプレミア化の波に乗った。そこはいかにニーズに合った付加価値をつくり、お客さまを幸せにするかが問われる非価格競争、オンリーワン市場である。平和酒造は世界的コンテストで最高賞に輝いた「紀土 無量山 純米吟醸」720ミリリットルを2530円、そして限定生産「紀土―KID―無量山 純米大吟醸 精米歩合20%」は、なんと13万2000円で販売。売れ行きは好調という。
 化学肥料に対する土壌微生物の作用により発生する亜酸化窒素(N2O)はCO2の300倍もの温室効果を持つ。もう自然環境を汚すことはできない。実はその流れができつつある。私が住む黒石市が「有機の郷」として「くろいし有機農業推進協議会」の設立準備を進めだした。
 2025年の大阪万博のテーマはSDGsの達成とその先の未来を描くこと、と聞く。万博において自然栽培、化学肥料減である有機栽培のPRをぜひとも主軸として取り組んでほしい。
(農業生産法人ノア代表 牛田泰正)

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「国政選挙に望むこと」コロナ後見据えた議論も

2021/9/5 日曜日

 

 東京オリンピックも終わり、パラリンピックもきょうで閉幕。コロナ禍の中でのオリンピック・パラリンピックの開催には賛否両論があったが、政府、東京都、組織委員会は万全な体制を取るとして開催にこぎ付けた。簡素化された開閉会式や選手たちの活躍を見て、国民の3分の2は「開催は成功だった」と評価した。コロナ禍で1年延期され、開催の是非が直前まで議論されている中、不断の努力を続け、モチベーションを維持するには並々なら精神力があったに違いない。選手の多くがインタビューで「開催してくださりありがとう」と述べている姿を見た時、コロナ禍で陰鬱(いんうつ)な生活を送っている中、大谷選手の活躍や藤井棋士の躍進以外、感動する場面がほとんどなかった国民に大きな喜びと感動を与えたことは疑い得ない。一方、政治の世界は総選挙モード一色で、菅首相はオリンピックの成功を支持率上昇につなげる意向だったとされるが、国民の多くは、オリンピックと政治を明確に分けて考えていた。そのことが、内閣支持率が低迷したままであるという結果に示されたと言えよう。オリンピックを成功させたのは、政府ではなく選手たちであることを国民は知っているのだ。
 こうした中、いよいよ総選挙が間近に迫ってきている。衆議院議員の任期は4年、来月21日には任期が終了する。私は常々、大義名分なき衆議院解散はナンセンスで、4年間の任期が保証されることが、大局的観点から国の在り方を議論し政策を確実に実行することを可能にする一つの条件であり、議員が「常在戦場」に右往左往させられることは好ましくないと思っている。その意味においては、このたびの総選挙は4年の任期を全うした後のもので喜ばしいことである。一方で最後の1年半余はコロナ問題に終始したため、国政の在り方を十分に議論しないままで終わることは残念だ。コロナ問題は国民の健康・生命に関わるものであり、いかに対処するかは喫緊の重要課題である。しかし、コロナ禍の中、世界と日本の情勢は激動し、われわれは重大な局面に立たされていることも確かな事実だ。国内では、戦後一貫して国と国民の共通の価値観としてきた自由と民主主義、経済成長、個人の権利と義務などの在り方が問われ続けている。特に問題なのは、経済における格差であり、経済合理主義・市場万能主義の下で拡大し続けていることである。自殺者増や貧困家庭の増大は端的な表れであり、生存権が保証されないことは国の基盤を揺るがしかねないのだ。
 総選挙では、直近のコロナ対策はもちろんだが、矛盾と混迷を深める国際情勢の中、わが国はいかにあるべきか、明確な価値観と理念、国民的アイデンティティーを明確にし、それに基づいた政策論争が行われることも期待したい。
 (青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々17」桜・その二

2021/8/29 日曜日

 

 古木には精霊が宿る。特に桜の木が妖艶なことからそういうイメージは生まれたのであろう。
 月岡芳年の「小町桜の精」という作品はそれを表現している。この作品は先月の初めまで弘前市立博物館で開催された「月岡芳年展」に出品されていた。妖怪画の連作「新形三十六怪撰」のうちの1点で、歌舞伎の演目「積恋雪関扉」がモチーフとなっている。墨染という遊女が実は古木の小町桜の精だという設定だ。
 背景の雪景色(何も描かれていない白からグレーへのグラデーション)の中に墨染が妖艶な姿で立っていて(足元にかけて徐々に形が消えていく)画面全体に桜の花吹雪が舞っている。画面の周りがボロボロに破れたようになっているのは、だまし絵的に描いてあるもので、このシリーズに共通する表現だ。怪しさを演出するための効果を狙っている。
 芳年は最後の浮世絵師といわれている。写実的なのにアニメ的というか劇画風だ。その独特な画風は西洋画の影響を受けてつくられたと考えられている。洋風建築が数多く残っている弘前で、しかも日本一古いソメイヨシノがある弘前公園内の博物館で「小町桜の精」が展示されたことは感慨深い。
 桜に関するほかの作家の作品が気になってきたので、ネットで検索してみた。「桜」はモチーフとしては定番で、特に日本画ではいろいろな作家が描いていて、文化財的な名作がずらりと出てくる、と思っていたのだが、意外と少ないという印象である(私の勉強不足なだけか?)。
 その中で私の目を引いたのが洋画家小山正太郎の「仙台の桜」である。明らかに他の桜の絵とは異彩を放っている。この作品は一点透視図法で桜並木が描かれており、奥にはそれを見に訪れた人々が描かれている。夕方か早朝か分からないが、春先の少し暖かく湿り気のある空気まで伝わってくる。散りかけを描いているからであろうか桜の花びらはあまり目立たず、地面に散った花びらには同じくらいの存在感がある。いわゆる妖艶で華やかな桜の絵ではなく、何とも薄暗い。その中で空だけは奥ゆかしく輝いている。フォンタネージ(小山が学んだ工部美術学校の教師)の影響だろうか。フォンタネージはバルビゾン派の影響を受けている。「仙台の桜」は日本の風景をバルビゾンの森風に描いたものではなかろうか。
 芳年(1839年生まれ)と小山(57年生まれ)がほぼ同じ時代に生き、それぞれ西洋画の影響を経て独自の画風をつくり上げていった。これらは今につながる和物・洋物の草分け的な存在ではなかろうか。いずれにせよ「小町桜の精」と「仙台の桜」が急速に西洋化が進んだこの時期の日本でなければ生まれ得なかった作品であるのは間違いない。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「報道の役割」五輪の愚行を洗い流すな

2021/8/22 日曜日

 

 先の日曜随想で、大手新聞社の五輪開催ありきの姿勢に疑問を投げ掛けた。五輪組織委の顔色をうかがう大手紙とは異なり、五輪問題をさまざまな角度から取り上げ、果敢に論陣を張った本紙の社説には敬意を表したい。
 深刻なコロナ禍の中、地域イベントや学校行事などは、どれもが中止や事業の縮小を余儀なくされてきた。「新しい生活様式」とされる規範から逸脱する行為があれば、報道各社がこぞって取り上げ、たちまち厳しい批判にさらされるという日々が続く。他方、五輪に関しては「バブル方式」なる名ばかりの対策を旗印に、感染拡大と五輪の関係にはできるだけ触れない「お手盛り報道」に終始しているように思う。
 五輪の舞台裏では、バッハIOC会長はじめ、大会運営関係者らによる国民を愚弄(ぐろう)した詭弁(きべん)、首相や関係大臣らのはぐらかし答弁が続く。弁当の大量廃棄、物品調達や人件費の中抜きなど、社会通念上、許し難き愚行がなされてきたことは枚挙にいとまがない。それに対して市民目線でただすことをためらい、見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた大手メディアの姿勢が、開催の強行を後押ししたといっても過言ではない。
 これによって、コロナ禍の広がりを助長したとすれば、スポンサーに名を連ねたメディアの罪は重い。
 古来より「パンとサーカス」という言葉がある。食糧と娯楽だけ与えておけば、人々は政治的なことに関心を向けない、という古代ローマ社会の世相をやゆしたものである。今回の五輪とメディアの関係に置き換えてみれば、パンは関連広告による収入、そしてサーカスは紙面を埋める五輪の話題ということになろう。
 もう一つ「スポーツ・ウォッシング」という言葉もあるようだ。政府や権力者が自分たちに都合の悪いことをスポーツの喧騒(けんそう)で洗い流してしまおうとすること、そうした事実を指摘したものである。政府や政権政党の不祥事、各種政策不振、とりわけコロナ対策の不手際を無理筋の五輪開催という話題で覆い隠そうとはしていまいか。これほど今回の五輪開催を言い当てた言葉はないだろう。ところが今もって新聞紙上でこの言葉を目にすることはほとんどない。まるで禁句になっているかのようだ。
 オリパラでのアスリートらの活躍に水を差すつもりは毛頭ない。アスリート自身や元メダリストたちでさえも、将来世代の晴れ舞台を案じ、ほころびを見せる五輪運営に対して声を上げ始めているようだ。
 オリパラはいよいよ9月で終演となる。サーカス小屋が畳まれ、洗い流されてしまわぬうちに、疑義を漏れなく問いただし、公金の行方をしっかりと検証してほしいと心底思う。これこそ報道機関が存在感を示す数少ないチャンスなのだ。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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