日曜随想

 

「季節の楽しみ」ショーケースに広がる宇宙

2017/6/25 日曜日

 

 このごろずいぶん日が長いなあと思っていたら、6月21日は夏至だった。新緑も深い緑に変わり空き地にはいつのまにか、ねぷた小屋が設営されている。ほんに、この弘前は、季節によってずいぶんちがう顔をみせる街である。季節ごとに同じ場所で写真を撮って比べてみると、その違いがよくわかる。道の広さも彩りも、光のかげんさえも違っている
 時間をすこしだけ先取りしながら、季節感をもりあげてくれるのが、和菓子屋さんだ新年には蓬莱山や花びら餅春はうぐいす餅椿餅に桜餅ときていまは、若鮎、水羊羹、わらび餅など気軽な和菓子のほか、ほんのりと色づいた紫陽花やすずしげな清流や金魚鉢を模した生菓子など、ショーケースのなかに季節の風物詩がつまった宇宙がひろがっている。
 暑すぎず、寒すぎず、なんとなく外歩きしたくなるこの季節、和菓子屋さんの店頭を見て歩くのはとても楽しいのだが、ひとつ困るのは、買わずに帰るのがほぼ不可能ということだ。しかも、1、2個だけは買いにくいので、つい、あれもこれもと頼んでしまう。家に帰って紙箱の蓋をあけると、そこにも季節の小宇宙がひろがっていて、しばしうっとり。これがあるからやめられない。お茶を入れて、一緒に食べる友だちを呼ばなければなりません。
 子どものころ、近所にあった和菓子屋さんは、お赤飯や豆大福を置いているような庶民的なお店だったが、若い店主さんは、いつもかならず、こまかな細工の季節の生菓子をいくつか並べていた。お使いに出された私がショーケースに見入っていたからだろう、いまはこのお菓子だけど、もう少しするとこれこれのお菓子を作るから、また見においでと教えてくれたものだった。子どもだった私は生菓子が苦手だったのだが、ショーケースに並べられた和菓子がつくる宇宙の美しさは印象深く、いまでも私の季節感の一部をつくっている。
 季節感をもりあげるといえば、弘前では、地物の食材を使う居酒屋さんも、いましか食べられない食材をふんだんに使った料理を出してくれる。西弘でなじみの居酒屋さんでは、旬のものを使ったメニューが、いつも小さな黒板いっぱいに細かな字で書きこまれていて、そこにも季節の宇宙がひろがっている。かんがえてみれば、「季節限定」の料理なのに、もったいぶらず、手ごろな値段で出している居酒屋さんが身近にあるのは、この地域ならではの贅沢だ。
 今日は、よさこい津軽も開催されるはず。夏至がすぎたとはいえ、まだまだ日も長いから、週末はそぞろ歩きを楽しんで、いろいろなお店の中にある季節の小宇宙をめぐってみるのも、弘前人らしくていいかなあ。
(弘前大学人文社会科学部教授 杉山祐子)

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「地元の歴史に注目を」周年で魅力を際立たせよう

2017/6/18 日曜日

 

 この地に生まれ育った私が、間違いなく嬉しいと感じるひとつは、よそ様から弘前公園やその桜を誉められること。
 古城と老松、更に残雪の岩木山を背景とした桜花は、先人の不断の努力によってのみ支えられてきた至宝。つまりは、津軽人の心根が賞賛されたのも同然。
 ですから、百年という節目を意識して開催されたさくらまつりは、地元でも意義を再認識する良い契機となったはず。カビ臭い懐古趣味ではなく、繰り返しながら過去を振り返ることは、物事の羅列ではなく、先達の心情にも触れられる。激動する昨今では、十年刻みの周年も、一度見逃されてしまえば、振り返る機会を逸してしまいそうで、それがコワイ。
 たとえば、陸奥新報は昭和二十一年に創刊されて七十周年。もうちょっとで、めでたく紙齢二万五千号を迎えますね。
 八十年前の昭和十二年には「奇蹟の三重苦の聖女」ヘレン・ケラー女史が来弘し、聖愛高校で講演。弘前のお土産に、津軽塗を求めたという話もありますぞ。
 津島修治が弘前高校に入学し、藤田家に下宿したのが昭和二年で九十年前。金木の実家、斜陽館と呼ばれる津島源右衛門邸の上棟式が行われたのが、百十年前の明治四十年で、棟梁はこの年の八月に亡くなった堀江佐吉。弘前偕行社とともに、最期に手掛けていた建物といえる。
 同月は絶世の米国美人、ヘツウツト嬢が岩木山登山を果たし、富士登山より苦しいとコメント。陸羯南や、第八師団の初代師団長の立見尚文中将が没したのもこの年でした。その一年前には斎藤主や堀江佐吉が、市に図書館を寄附しているし、弘前聖公会の女性信者が岩木山登山に挑戦。こちらは天候の悪化で、残念ながら登頂できなかったけれど、まぁ似た出来事があるものですねぇ。
 のちの大正天皇、東宮殿下が明治四十一年に本市を訪れて百十年目ということは、弘前公園への鷹揚園、弘前偕行社の雅名、遑止園の命名、外崎嘉七の向陽園に出向かれたのを記念した、りんごの日も同じ周年ですよね。先行して火力発電で事業を開始の弘前電燈が、当時の山形村板留に水力発電所を完成させ、殿下に試験点灯を披露。これが十年後、弘前観桜会のイルミネーションの原動力に。
 更に遡ってみれば、百四十年前の明治十年には、旧藩士族の山野茂樹宅で西洋リンゴが初めて実ったなど、いろいろに繋がりが増えてこようというもの。
 歴史を人々の営みの足跡と思えば、わたしたちの身近に、なんと多くの周年が満ち溢れていると、今更ながらに驚く。
 多彩で豊富な郷土の魅力、さまざまな智恵や工夫を取り入れて、どうにか活用できないものかなぁ。他所から持ち込む目新しさも人目を惹きましょうが、有るものを活かさないのは、なんとも勿体ない気がする、貧乏性なのでありました。
(元弘前図書館長 宮川慎一郎)

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「たんだでね」方言でなければ言えないこと

2017/6/11 日曜日

 毎日、仕事にぼっかけられながら、かちゃくちゃね部屋で気持ちがかつくつとしている。これが理解できる人は、大笑いするか、かわいそうにと同情していただけるだろうか?
 こうしたオノマトペと呼ばれる人や動物の声やものの音をことばで表す擬音語(例:犬がワンワンと鳴く、風がビュービュー吹く)や、実際に音は出ていないけれど様子や状態をことばで表す擬態語(例:星がきらきら光っている、頭がズキズキする)のような表現が多いことは、津軽弁はもちろん、東北方言全体に特徴的だ。擬音語や擬態語は、それがわかれば「ああ!」と納得できるが、わからなければ「???」と全く理解不能なことばである。しかし、不思議なことにこれでなければ伝わらないという表現であることも事実なので、無視することができないのである。
 医療や看護、福祉の現場で、余所から来た人だけでなく、津軽生まれの若者にも方言が通じないという相談を受けてから十二年が経つ。実はそうした現場でも、オノマトペは大事な情報なのだ。例えば、めくめくする:身体の違和感があり、力が入らない、つーつーする:めまいがするなどという表現は、知らないと全くわからないが、患者さんの訴えとしては重要な情報だろう。また、物がなく、ことばでしか表現できないことであり、しかも共通語では表しきれないニュアンスが含まれていることも多い。にもかかわらず、地域ごとの違いが認識されていることはあまりなく、研究も進んでいるとは言えない状態である。
 私が好きな津軽弁のオノマトペのひとつが「なこなこ」である。互いに仲のいい様を表すことばで、学生達が「なこなこしくお弁当を一緒に食べたり、席を譲りあってなこなこしく座ったり」という様子を見かける。そこに含まれているのは、表面上の仲の良さではなく、「ゆったりとした」とか「信頼関係に基づく」とかいうニュアンスが大事なのだと思う。
 方言でしか言えない言い方に「たんだでねがったねは」という表現がある。直訳すると「ただではなかったでしょう」となるだろうか。意味としては「並大抵なことではなく、大変でしたね。とか大変な思いや経験をなさいましたね」のような深い共感を表すことばだ。とても辛い体験をした人に対して「たんだでねがったねは」と語りかける場面に接したことがある。何と温かい、他人事ではない深い共感を表す言葉なのかと感じ入った。共通語では表せない深いニュアンスに感動した。豊かな表現とはこうしたものを言うのだと思った。豊かな心がある地域だから豊かな表現・方言が生まれるのだろう。大切にしたい。
(弘前学院大学文学部教授 今村かほる)

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「素材のうまさで勝負」じょっぱりを売る戸田のお餅

2017/6/4 日曜日

 

 津軽は、周りを山々に囲まれ、それらの山々からミネラル分などを多く含んだ豊かな水が流れ込む。朝晩の寒暖の差が激しいため米作りに適している。それゆえにいいお餅がつくられる。
 弘前市銅屋町に店を構える「戸田うちわ餅店」(戸田しのぶ社長)は昔から弘前市民に、子供から年配まで幅広く愛されてきた。1日200個限定。舟形の紙の入れ物に入れられているうちわ餅は、午前中にはなくなる。その人気の理由を戸田氏は昔ながらの手作りにこだわってきたからではないかという。お餅は、米の下準備から串に刺すまで時間をかけ、形にしておく。黒ゴマは滑らかで濃厚な高級国産品を使用する。その蜜入りの胡麻ダレが秘伝のたれであり、作りたての柔らかなお餅と胡麻ダレがからまり、それゆえに「うちわ餅」はとても美味しい。餅そのものに一切の添加物を入れてない。だからその日のうちに食べないと固くなる。それが反面、まじめに作っている証拠でもある。次の日になると餅が固くなってしまうので、作りおきができない。売り切れたらそこで店じまいというお店ゆえに、朝早くに行かないと買うことができない。そして噂が噂を呼び行列が絶えることがないのである。
 噂を聞き、俳優の梅沢冨美男が取材にくることになった。RAB特別番組「北海道新幹線開業記念 青函圏周遊☆4都市物語(函館・青森・弘前・八戸)」の中で梅沢冨美男が土地の名物料理を食べ歩くという番組である。弘前では三忠食堂の後に来る予定であった「戸田のお餅」はすべてのお客に並んで購入していただいている。どうしたものかと気を病んでいたが、事前の打ち合わせでプロデューサーが「うちのスタッフを並ばせて買わせます。特別な配慮は求めません」との快諾を得たという。「戸田のお餅」には、冠を得たテレビ番組も並んでまで取材したいと思わせる魅力がある。残念なことにその日、1台しかない製造機械が故障となり取材は急きょ取りやめとなった。
 弘前はローカルに徹してほしい。「戸田のお餅」のあり方は弘前の進むべき方向を示唆している。あくまでナチュラルであること。都会の真似をしないこと。そして「じょっぱり」であること。これが弘前のうりであり、地方の生き方だ。素材にこだわる本物主義は素材のおいしさを出せるからおいしい。以前、日曜随想で紹介したが「料理の良し悪しは80%が食材で決まる」とまで言われている。例えば物産展は、お客が本物を求めて買いに行くが添加物で作ったいい加減なものがある。本物を作りウエブで全国へ郵送できればいい。納品は何日でというシステムを作ればいいのだ。本物主義のこだわりがきっと「まちおこし」の鍵になると思われる。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

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「基礎科学と人文知」科学技術立国の前提

2017/5/28 日曜日

 

 1995年11月、「科学技術基本法」が公布・施行された。その趣旨は、天然資源に乏しく人口の急速な高齢化を迎えようとしているわが国にあって、産業の空洞化、社会の活力喪失、生活水準の低下といった事態を回避し、明るい未来を切り開くため、独創的、先端的な科学技術を開発し、新産業を創出すること、すなわち「科学技術創造立国」を図ることにあった。20余年を経過した現在、国内外ともにより厳しさを増す中で、課題は解決されつつあるのだろうか。そんな時、ショッキングな記事に接した。
 一つは、科学技術振興機構が公表した「研究開発の俯瞰報告書」が、わが国の研究開発は一部を除き低迷しており、最大の課題は人材不足であるとし、主要国の中でわが国のみが次世代の研究開発の低下が懸念されるとしたことだ。基礎科学を志す若手が減少していることも指摘している。もう一つは、イギリスの科学誌「ネイチャー」が、わが国の科学力の低下を指摘する特集を掲載し、原因は、各国が研究開発投資を増やす中でわが国は2001年以降横ばいで、国立大学への交付金を削減したため若い研究者が就けるポストが減少したことにあるとし、このままでは激しい国際競争の中で埋没していくと警鐘を鳴らしたことだ。
 わが国政府の科学予算の対GDP比は先進国の中で最低水準で、近年さらに減少傾向にあり、直接的関連は不明だが、一人当たりGDPは、主要国の相対的順位には変化がない中で、わが国だけが2000年以降、急落している。「ネイチャー」は1990年当時、「躍進する日本」を取り上げたが、わが国が「科学技術創造立国」を掲げてから20年余科学力もGDPも低下したのは皮肉なことだ。
 このことは以前から指摘されており、政府も一定程度は改善を行ってきた。しかし、効率化を重んじ「役に立つかどうかの近視眼的視点」から配分されており、短期間では成果の出にくい基礎科学への配分は減少している。さらに気になるのは、人文社会科学軽視の傾向がみられることだ。一昨年6月、文科省は人文社会系学部等の縮小と廃止を求める通知を出し、学術会議はもとより経団連からも反論が出されたことは記憶に新しい。
 近視眼的に効率性のみを重視して基礎科学を軽視し、社会的要請がないからと人文社会科学を排除することは科学技術立国創造上からも決して正しくはない。
基礎科学こそが実用的科学技術を生み出す基盤であり、人文社会科学=人文知こそが科学的思考の基礎であることは歴史が教えてくれる。かつてのソ連邦が「ルイセンコ学説」なる実用的「科学」を重用し、基礎科学や人文社会科学を排除した結果、多大な失敗を犯したことも一つの教訓として思い起こすべきだろう。科学技術は総合的・融合的な存在である。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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