日常の潤いであった旅行やカフェ通いをやめて1年が過ぎる。新型コロナウイルスの勢いは、一向に止まらず、先が見通せない。テレビやネット、新聞など各メディアは連日連夜、新型コロナの感染者数、医療の逼迫(ひっぱく)状況、政府声明、街中の様子を繰り返し発信し続けている。
新型コロナが今までの災害と全く異なるのは目に見えないウイルスが人から人へ伝播(でんぱ)し感染拡大させている点である。もう1年以上もたつのに、終息の気配すら見えない。全世界で同時多発的に急増している。現(いま)在はどの国もワクチンの開発と接種に一縷(いちる)の望みを託す。だが、根治薬の開発はまだまだ先である。
こうした不透明感は一体いつまで続くのだろう。個人に求める自粛という同調行動も限界に達した。私たちの脳は疲弊している。これ以上身を削る努力をしても無駄だと判断し、極端な方向へ暴走しそうな状況にある。挙げ句の果ては自暴自棄、疑心暗鬼になり自分を見失いかねない。新型コロナの発生以降、毎日さまざまな情報が更新されている。
ウイルスの特性を十分に把握できなかった1年前。感染拡大が日常や経済に打撃を与え、これほど深刻化するとは一部識者を除いて誰も想像しなかった。当初、行政もマスコミも穏便なアナウンスに終始した。見立て違いを知るのは、その後しばらくたってからである。
新しい年を迎え、何より願うのは普通の日常。元の日常に戻れるわけではないが、生活の様式が変わっても主体的に行動できる、当たり前の日常を送りたい。旅行する。飲食を楽しむ。対面で話す。今まで経験している、細やかな幸せを感じたい。
夥(おびただ)しい情報が現在もマスコミから提供され続けている。物事は上辺や言葉をなぞるだけで多面的に批判しなければ、うそか真実か見分けがつかない。コロナ禍の理不尽やストレスも同じ。気に掛けるだけで前向きに(自分に都合よく)修正しなければ心が傷つき病んでしまう。
バイアスがかかるという言葉は、思い込みや固定観念、偏見など、バイアスが物事の見方を歪(ゆが)める現象を指す。物事を正しく捉える前者の場合は、バイアスを外さなければならない。逆に、心の健康を保つ後者の場合は、前向きにバイアスを修正(言い換え)する必要がある。
普通の日常を取り戻すためには、自分の生き方を確立するしかない。私が掲げる生き方の原則は次の三つ。一つ、違和感にこだわる。二つ、継続して考え抜く。三つ、自分の解釈(見解)を持つ。
コロナ禍の現在に正対して主体的に関わり続ける。情報や知識を統合し思考力・判断力を磨き上げる。時間はかかるだろうが、出口は必ず見つかる。元NHKお天気キャスターの倉嶋厚さんはいう。「やまない雨はない」
(東北女子大学特任教授 船水周)