日曜随想

 

「弘前6次産業に想う」広島県世羅に学ぶまちおこし

2017/11/19 日曜日

 

 2011年に「6次産業化・地産地消法」が施行され、6次産業化の取り組みが急速に拡大した。認定件数は1806件に達したが国税庁の発表では9割が5年で廃業しているという。
 さて平成26年実施の商業統計調査の結果を14年と比べると実に驚くべき事実が分かる。東京、大阪などの大都市においても、観光で沸騰している京都、浅草においてでも、そこでの中小企業が生み出す年間商品販売額は竹原市、尾道市、宜野湾市など数市を除きすべての地域で12年前より大きく下回っているのである。その中で驚きは広島県世羅町の販売額結果である。世羅町は農業だけの生産地域であるが、平成14年と対比して先の3市同様に100%をクリアーする。さらに集落法人のビジネス化ではなんと全国で唯一利益を生み出しているのが世羅町である。どうして世羅町だけが利益を出せたかであるが、同町も他の農村地域同様に厳しい農業情勢に長い間、苦慮してきた。そのため町内15グループが中心になって厳しい農業情勢に対応していくための会議を連日繰り広げたと聞く。一村一品運動が遅れてこの町にも沸き起こり、主婦を中心とした加工グループに火をつけた。しかし売り先がない。だったら自分たちで販売所を作ろうと燃え上がったのである。そこを行政が支援した。
 まさに農業者を中心とした市民から手が上がり、行政が支援し、市民中心の販売組織が出来上がったのである。
 世羅町役場産業観光課主任和泉美智子氏の話では、グループは行政から与えられた施設の中で地域活性化のため他地域と差別化できる新しい農産物加工品作りに励み売上げ計画、出張販売など販売促進策会議を連日繰り広げているという。では施設ができるまではというと、夕方5時に仕事を終えた女性たちは、子供の夕飯を作り、7時すぎから町役場の一室で会議を始め、会議は夜10時を過ぎたことも度々あったという。ここに成功に導く一端がありそうだ。一方男性の方はというと、寄り合いがあるからと言って外出することが多かったとのことである。
 さて弘前であるが6次化は平成24年からスタートした。市では農作物の加工支援が目的で補助金を出している。
 弘前は誰もが知っているリンゴの町。市はシードル商品の開発に期待していると聞くが、そのあと熟成されてできるカルヴァドスができる頃が待ち遠しい。先日弘前の新庁舎に新設された食堂で温泉味噌ラーメンを食べてみた。普通においしいラーメンであったがこれが日本唯一の温泉熱で熟成させた味噌のラーメンと聞いたとたんに満足度が高まった。日本一とか、日本で唯一と聞くとこうも嬉しさが変わるのか、ここに6次化を中心としたまちおこしのヒントがきっとある。
(弘前医療福祉大学短期大学部教授 牛田泰正)

∆ページの先頭へ

「衆議院解散の大義は」〝苫米地裁判〟を思う

2017/11/12 日曜日

 

 先月22日に投開票が行われた衆議院選挙は結局、自民党の「大勝」に終わった。「大勝」の理由の一つが小選挙区制度にあるのは確かだ。2大政党制でこそ効果を発揮できる制度の下で、野党の分裂が自民党に勝利をもたらしたと言える。比例復活制度も含め、現在の選挙制度の問題点を改めて示したが、同時に実現できそうにない公約=「願望」を並び立てたり、政策などはそっちのけで議員になりたいだけの候補が多かったことなど、今回の選挙くらい、政治と政治家の劣化を如実に示すものもなかったと思う。
 解散は来年1月以降が大方の見方の中、安倍首相が解散の「伝家の宝刀」を抜いたが、狙いは第1義的には自党の勝利にあり、結果的には狙い通りだったと言えよう。しかし同時に解散には大義が必要なのも常識だが今回はそうした大義が見当たらなかった気がしてならない。衆議院解散は首相の専権事項で「伝家の宝刀」を抜けるのは首相のみだとされる。しかし憲法では、衆議院議員の任期を原則として4年と定め、例外としての解散は69条で内閣不信任案が可決された場合に限定している一方今回の解散も含め、歴代首相による解散のほとんどが天皇の国事行為を定めた第7条3号「天皇は、内閣の助言と承認により、衆議院を解散する」に依拠したものである。
 ところで、議院内閣制の下では、内閣は議会の信任によって存立しており、自らの信任の根拠である議会を、不信任の意思を表明していないのに解散させることは、自らの存在基盤を失わせる行為と言えよう。重要法案が否決されたような場合ならともかく、大義名分もなく、首相に解散権を無制限に認めることは正しいことなのであろうか。
 こうした時に思い出すのが「苫米地裁判(事件)」である。この裁判は衆議院議員であった苫米地義三氏(現十和田市生まれ)が、昭和27年、吉田首相が突如として衆議院を解散(抜き打ち解散)したことに対し、憲法7条を実質的根拠として行われた解散は憲法違反であるとして訴訟を起こしたものである。裁判は、最高裁が、解散は高度な「統治行為」で、審査権になじまないとしたことで、苫米地氏の敗訴が確定した。そして、これ以降、7条解散が常態化したとされる。しかし、議院内閣制と首相の解散権について、政治の劣化を知るものとしては、今一度考え直す必要があるのではないかと思っている。「常在戦場」などと言わず、4年の任期を全うすることができれば、議員も安心して政策立案や実行に取り組むことができるはずである。そうであれば、人気だけで当選しようなどする候補も減少するはずだ。国の内外が不安的な今こそ、首相の解散権や政治の在り方、その根底にある選挙制度などについて熟慮することが必要ではないだろうか。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

∆ページの先頭へ

「担い手もまたよし」地域イベントの必須条件

2017/11/5 日曜日

 

 チケットとマップを手に一夜の飲み食べ歩きを楽しむイベント「バル街」は弘前などでもおなじみだ。このイベントの発祥は函館西部地区バル街であり、私はその裏方を担う一人である、ということは以前この日曜随想でも紹介した。
 この函館西部地区バル街が、今年度グッドデザイン賞を受賞し、さらにこのたびグッドデザイン特別賞(地域づくり)にも選ばれ、関係者一同、思いがけぬ栄誉に驚いている。
 Gマークで広く知られるグッドデザイン賞は、外観美や優れた機能性を誇る工業製品が審査対象と思われがちだが、今般その対象範囲は有形無形を問わず多岐にわたり、審査では出来上がるまでの過程や思想、意義なども重要な判断材料になるという。このたび審査員を務める公立はこだて未来大学の教員の方から審査員推薦をいただき、思い切って応募したところ、受賞に至った。
 さて、今回の受賞理由を紐解いてみるとその一つに、各地からの視察受け入れをきっかけに、このイベント手法が全国へと拡がったことが挙げられている。これまでに400以上の地域で行われ、いまもなお200近くの地域で開催されている。この数は予想をはるかに超え、私たちの思いが届き、活かされているのだと思われ、本当にうれしい。
 バル街は「三方よし」のイベントと言われる。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の商いの哲学とされる言葉だが、参加店の売上げ、参加者の満足、そして地域の賑わいという面ではそのとおりである。しかし、こう評されてしまうのはいささか早計である。
 私たち実行委員会は「売り手」というよりもむしろ「担い手」としての色合いが強い。バル街では、私たち自身がこのイベントを一番楽しもう、といつも意気込んでいる。実はこのことが、これまで14年間ひとえに継続できている秘訣でもあるのだ。つまり私たちがその思いを伝えて、各地に拡がったバル街とは「担い手もまたよし」なのである。
 地域イベントでは、「三方よし」だけでなく、担い手も加えた「四方よし」であることが本来必須であろう。地方では兎角この担い手が役所や商店街の事務局など公的部門であることも多い。賑わい創出がその任務と割り切ってしまえばそれまでなのだが、担い手のことは疎かになりがちだ。担い手が楽しみや喜びを享受できてこそ、そこに新しい発想や展開が生まれて周りが活気づき、売り手、買い手、そして地域へもよい効果をもたらすというもの。
 担い手自身が楽しむことは地域づくりには欠かせないことであり、それを我々はいつもどおりやってきたことこそが、審査で評価されたのではなかろうか。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

∆ページの先頭へ

「日本アニメ百年①」世界初上映はフランス

2017/10/29 日曜日

 

 今年は日本で製作されたアニメーションが一般上映されてからちょうど100年がたち、これについて数回に分けて少し述べます。ご存じではない方が多いと思いますが、日本ではなんと大正6年に、最初のアニメーション映画が上映されています。日本ではこれほど昔からアニメーション映画を制作していたことになります。
 さてアニメーションの根本的な定義ですが、実写映画とアニメーション映画の違いは何でしょうか?動いている被写体を動画で撮影すると映画となり、一枚一枚の絵、または写真を少しずつ動作変更し、一枚ずつ撮影して連続映写するとアニメーションです。要するに、止まっている物をあたかも動いているように見せるのがアニメーション、動いている物をそのまま撮影すると実写となります。漫画だけではなく、人形でも、写真でも、粘土でも一枚ずつ撮影すればアニメーションになります。今でも漫画が動いていれば、アニメーションだと思っている方が多いと思いますが、漫画だけではなく、人形でも、写真でも、粘土でも一枚ずつ撮影すればアニメーションになります。
 日本での初上映からさかのぼること25年前、フランスで世界初のアニメーション映画が上映されました。1892年のことです。つまり19世紀ですよ!「哀れなピエロ」といいます。制作者はエミール・レイノーという人です。この上映は一本のフィルム上ではなく、背景と動画部分が別のフィルムだったので、後に1906年アメリカで制作された作品が、一本のフィルム上で初めてのアニメということで、これが最初ではないかとの説もありました。J・S・ブラックトンという人で「愉快な百面相」という作品です。ブラックトンの作品は、明治40年に東京の浅草で上映された記録があります。でも今では、フランスが先であると言われています。
 この後1908年、フランスのエミール・コールという人がブラックトンと同じような技法でアニメーションを量産します。これらの作品がすぐに日本でも上映されるようになるのです。明治時代からですよ!
 これからいよいよ、日本の先駆者たちが現れます。同じ年に3人の人間が、それぞれ別に3本のアニメーションを制作し発表したのです。しかもアニメーションに関する技術的な書籍などない時代ですから、3人はそれぞれ見よう見まねで制作したのでしょう。技術的には、あらかじめ書いておいた線画を絵が重なる部分を白絵の具で塗りつぶす方法や、紙に動かす部分を描いて、それを動かす部分ごとに切り抜いてそれぞれ別に動かす方法がとられました。
 以下、次回に続く
 (弘前大学教育学部教授 石川善朗)

∆ページの先頭へ

「リンゴにまつわる話」モノから人を読み解く

2017/10/22 日曜日

 

 この時期の楽しみは、友好都市の豊富な物産に出会える食産まつり。更には、地場の農産物にも心惹かれ、「青森県で思い浮かぶもの」の第一位は、リンゴ。
 県産リンゴが名を馳せたのは、百十年以上前の明治三十六年、大阪で開かれた第五回内国勧業博覧会でありましょう。
 リンゴの出品は一道十県四七二点で青森県は二三〇点、ほぼ半数を占めた。
 楠美冬次郎や外崎嘉七という両雄が、誉れの二等賞を得た博覧会で、清水村役場が村内受賞者に宛てた通知では、二九名の内、十一名がリンゴで受賞ですよ。
 その中に森山萬蔵の名前がありましたので、ギャラリー森山に縁故があるかと思い、蔦谷龍岬展の鑑賞を兼ねて訪問。
そこで、森山館長から初公開だとお見せいただいたのがそのときの褒状でした
 なんとも大きく立派なもので、新聞でも記載がない受賞の品種名が、國光だと判明したのも、実に嬉しいことでした。
 外崎と森山家は、明治二十年代に桔梗野での園地交換とか、歩兵第三十一聯隊の下肥を売り買いするなど、双方の本家・分家を含め深い繋がりがありました
 当時では、健康管理が行き届いている軍隊の下肥は、質・量ともに重宝だったので、第一・第二大隊のほか、縫工所や酒保、衛兵所と、洗いざらい買い付け。
 名を轟かせた清水村のリンゴを、文字通り支えたのは、軍隊だったのかもね。
 それにしても、博覧会は農林水産・工業・機械などに及び、殖産興業に留まらず、教育学芸上の有益も期待するもの。ですから、受賞者はリンゴだけじゃない訳で牛馬や家禽、豆・麦・蕎麦のほか清酒・醤油、畳表、硯箱など多彩多様。
 リンゴで三等の菊池楯衛が、花草類の種苗のほかに梅干で受賞とか、田邊富吉のリンゴ羊羹というのも見付けました。この羊羹とは、楠美らが『果物雑誌』に四年前に紹介した、リンゴ加工の逸品。
 常盤野農牧場を開き、楠美の生母の妹を娶った中畑清八郎は牡牛。元来は楠美太素の子で、佐野に養子に行った楽翁の実弟、舘山漸之進も自動莚織機械で受賞とは、冬次郎の「オヤグマギ」絶好調。
 「左様然らば」の士族様の記録から、外崎には「不文字」の印象がありますが、結構、津軽弁訛りの筆まめな方かも。
 さて、三十歳前に購入したのが向陽園で、命名は初孫が誕生の明治三十四年。生涯の恩人と仰いだ笹森儀助は、のちの行啓記念碑落成に際し「嘉壽園」と讃えていますから、これは語り伝えたいぞ。嘉七の名に因んだのかと思ったら、実は嘉仁皇太子殿下の諱(いみな)に寄せ、その万寿を祝すのが本義だと外崎の識。
 多彩な活躍をした笹森も、この時期は大阪から弘前の長男宅に転居し、外崎に総額一千円の融資する仲でありました。
 かくも郷土の歴史は面白く、津軽人が持っていた、心の繋がりっていいなぁ。
   (元弘前図書館長 宮川慎一郎)

∆ページの先頭へ

Page: 1 2 3 4 5 ... 62

当サイトでは一部、Adobe Flash・PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Flash Player・Adobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe Flash Player ダウンロードセンター
  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード