日曜随想

 

「気ままな旅」新宿区・漱石山房を訪ねる

2019/3/17 日曜日

 

 夏目漱石(そうせき)が晩年(1907~16年)を過ごし、『三四郎』『門』を生み出した家は「漱石山房(書斎の意)」と呼ばれた。山房があった新宿区早稲田南町は漱石の誕生、終焉の地だ。山房は45年の空襲で焼失したが、2017年9月24日、ここに「新宿区立漱石山房記念館」(地上2階、地下1階)が開館した。ガラス張りの瀟洒(しょうしゃ)な建物は緩やかな坂の上に建つ。前庭には山房の象徴的な植物であるバショウやトクサが植えられ一際目をひく。
 1階で最初に驚かされるのは、再現された漱石山房の書斎。愛用した紫檀(したん)製の文机(ふづくえ)。白磁の火鉢。平積みされた書籍群。それが見事に調和し整然と並んでいる。書斎の外はベランダ式回廊が設置されていた。執筆に疲れたとき、漱石はここで籐(とう)椅子に座り、お気に入りの庭木や草花をゆったりと眺めてくつろいだらしい。
 2階へ上がる踊り場付近では猫のシルエットが漱石の世界へと誘(いざな)う。そのあと館内を一巡すると、次のように漱石の人となり、人物像が立体的に理解できる展示に工夫されていたことがわかる。[1]漱石の作品世界(1・2・3・4)[2]漱石を取り巻く人々[3]所蔵資料(草稿・原稿、書簡・葉書等)[4]漱石の人物と生涯(生い立ち・学生時代・結婚家族・イギリス留学等)[5]DVD映像(《1》夏目漱石と新宿〈9分〉《2》木曜会と漱石の門下生・友人たち〈8分〉計17分)。
 山房裏側は漱石公園になっている。入り口前に漱石の胸像(「則天去私」の銘)、正面に道草庵、左手に猫の墓がある。猫の墓は『吾輩は猫である』のモデルとなった福猫、『硝子(ガラス)戸の中(うら)』に出てくる犬(ヘクトー)、『文鳥』のモデルとなった文鳥など、夏目家のペット供養塔である
 漱石は自分を慕う門下生や若者のために木曜を面会日に定め自由に語り合った。そしてこの会から漱石山脈と称される人材が輩出された。ちなみに漱石の思想は大学院時代の恩師・ケーベルに影響を受けている。東京朝日新聞掲載の「ケーベル先生の告別」に「先生に一番大事なものは人と人を結び付ける愛と情(なさけ)だけである」と述べていることでもわかる。
 門下生の森田草平はいう。「先生の前にいると何でも自由に言える。叱られることはあっても、誤解されることはない。そしていつも何か暗示をうける」。また作家になる久米正雄と芥川龍之介に宛てた手紙には「あせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です」と書いた。漱石の異次元の人間愛、真摯な生き方がそうさせるのであろう。
 漱石山房へは東西線早稲田町外苑(がいえん)東通り出口1から表示通りに小路を進むと、5分で着く。小路に入らず坂を下り、生誕の地(小倉屋の隣)・夏目坂を通って早稲田小学校へ抜けるコースを辿(たど)れば、12分程度かかる。漱石に興味関心がある方は一度訪ねてみてはいかがだろう。
(東北女子大学家政学部教授 船水周)

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「お節介のすすめ」おばちゃんでよかったこと

2019/3/10 日曜日

 

 連日、児童虐待のニュースを目にする。本当に痛ましい事件ばかりだ。なぜ、この子たちは楽しい、光輝くような人生の楽しみを、十分に味わうこともできずに亡くならなければならなかったのだろう。人の子の親の一人として、口惜しさと共に深い悲しみで胸がつぶれそうな思いがする。子どもはひとりひとり、いろいろな形があるにせよ、幸せになるためこの世に生まれてきたのだと信じたい。そうすることが大人の務めなのではないだろうか。そんな風に大上段に振りかぶって言わなくても、みんながちょっとずつ、お節介になればいいのだ。
 私自身がフルタイムで仕事をしていることから、私の子どもには血のつながった祖母2人のほかに、血のつながらない地縁による祖母が3人、そのほか子育てを手伝っていただいた方々がたくさんいる。みなさんに手も口も出してもらった。「前のオリンピックくらいまでは、そしたふうに近所で子守ばするって感じあったんだいな」と言われたが、私は平成にそうした恩恵にあずかった。
 私の大きな変化は、子どもができてから自分のことを「おばちゃん」と平気で言えるようになったことだ。自分はおばちゃんなんだと納得すると、おばちゃんらしさは加速できた。おばちゃんは、ある意味、無敵である。これまで遠慮してできなかった「手出し」や「口出し」も徐々にできるようになっていた。
 小さな子どものいるお母さんは、ゆっくりと温泉に入ることも、美容院に行くこともままならない。乗り物の中で子どもが泣くと、周りに遠慮して、座っていづらくなったりするそんな様子のお母さんを見ると、つい、「ちょっと抱っこしてましょうか?」と言いたくなる。ほんのちょっとした声掛けが、本当に助かる時がある。それはお父さんも同じだ。核家族化が進み、誰かに相談したくても、他からの助けが得られにくいばかりか、誤解されて虐待だと言われるのも困るなどと考えたら、子育ては楽しいものでなくなるだろう。
 夜泣きしても、おねしょしても、わけのわからない事で泣いたり怒ったりしても、子どもはいつまでも子どもではいない。親だって一緒に一日一日親になっていく。そんな簡単そうなことがわからなくなるくらい、子育てが辛いことだってある。でも、みんな経験してるから当たり前なのではなく、みんな経験してるから辛いのわかるよと言ってあげたい。
 おばちゃんになってよかったのは、こうした口出しと手出しができるようになったことだ。今は、職場で学生にも実践している。おばちゃんのちょっとウザイかもしれないお節介や親切の押し売りが、子どもや親、そして学生をひとりにしない、そんな平和があってもいいだろう。
(弘前学院大学文学部教授 今村かほる)

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「今日は何の日」日本の行事・記念日

2019/3/3 日曜日

 

 3月3日は、「桃の節句」「雛祭り」として有名です。この行事は、平安時代に、中国から日本に伝わり、草木、紙や藁で作った素朴な人形(ひとがた)に自分の厄災を移す習わしや、貴族階級の子女の間で始まった「ひいな遊び」という人形遊びが結びつき、海や川に人形を流してお祓いをする「流し雛」の習慣となったそうで、江戸時代には、「上巳(じょうし、じょうみ)」の節句」と呼ばれていました。3月の最初の巳(み)の日に行われていましたが、のちに3月3日に定まりました。節句が五節句の一つに定められると、5月5日が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句となり、桃や雛人形を用いることから、「桃の節句」「雛祭り」と呼ばれるようになりました。以前から、どうして桃なのだろうと思っていましたが、桃は魔除けの効果を持つとされてきたからではないかということでした。
 この他にも、天徳2(958)年に大宰府で「曲水の宴」が始まったのも3月3日(旧暦)。十二単、衣冠(いかん=貴族や官人の宮中での勤務服)などの平安装束をまとった詠み人が、曲水の溝に浮かべられた盃が流れてくるまでに詩歌を詠み、酒を飲み干す禊祓(みそぎはらえ)の雅な神事だそうです。また、信長の父・織田信秀の忌日、さらに前田利家の忌日で、開国にまつわることでは、桜田門外の変、そして日米和親条約締結の日でもあります。
 地方ごとにも、古くから伝わる様々な行事があり、南魚沼市では、国の無形民俗文化財に指定された奇祭「越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭」が開催されます。上半身裸の男衆が「さんよ、さんよ!」の掛け声とともに押し合いながら毘沙門天を誰よりも早く、近くで参拝しようとする祭礼です。また、千葉県香取市では、「木内神楽(きのうちかぐら)」が奉納されます。文化年間(1804年~)の頃には既に行なわれていたことがわかっている歴史ある神楽で、五穀豊穣・商売繁盛を祈願して行われてきました。
 慶長8(1603)年、初代の木造橋が江戸に架けられたのも今日で、今では日本橋という地名です。33の語呂合わせから、「耳の日」とも言われており、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日だとか、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもあるとか、補足情報も様々あります。他にも「ちらし寿司の日」「耳かきの日」「女のゼネストの日」「金魚の日」「結納の日」「ジグソーパズルの日」…。いろいろ調べてみると、知らないことがたくさんあって、勉強になりますが、何もない日はあるのでしょうか。
 『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日。俵万智さんの短歌を思い出しました。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「ツクツクとスマホ」スリランカ発展の光と影

2019/2/24 日曜日

 

 学生時代から専門として勉強してきたのは南アジア地域の歴史や社会構造の変遷であった。しかし、恥ずかしい限りだが、この20年以上、研究らしきこともほとんどせず、地域社会や地域経済・産業に関心を奪われてきた。そのため、以前は2年に一度くらい出かけていたスリランカにも行かず仕舞いだったが、年齢を重ねる中、スリランカの変貌(へんぼう)ぶりを確かめたいと思い、年末に10日間ほど旅行した。その際、都市部の変貌ぶりはニュースなどである程度は理解していたので、可能な限り農村部に出かけた。
 20年余ぶりのスリランカは、他の途上国もそうであろうが、大きく変貌を遂げていた。最大の変化は、電化と車社会への変貌で、モータリゼーションは凄(すさ)まじいばかりのものであった。かつてよく見かけた自転車、しかも、大人の3人乗りなどにも遭遇してびっくりしたものだが、こうした光景は全く見られず、ひしめき合っていたのは、乗用車とオートバイ、そしてツクツクである。ツクツクは南アジア諸国でよくみられるオート三輪車で、「ツクツク」と音を立てて走ることからこの名が付いたとされる。都市部では乗用車とオートバイが圧倒的に多いが、農村部でも活躍しているのがツクツクである。兎に角、どこに行っても走り回っており、様々な場所に待機しているのだ。こんな辺鄙(へんぴ)な場所でニーズがあるのか不思議に思ったが、今や誰もが所有しているスマホで呼ばれ、依頼主の所に出かける仕組みになっている。「アラブの春」が広がったのもスマホがなせるワザだったが、スリランカでも庶民の必需品となっていた。さらに、電化も著しく普及した。バナナの葉で屋根を葺(ふ)いた家は姿を消し、ほとんどの家には電気が通じているようだ。
 こうしてみれば、スリランカも着実に経済発展を遂げ、民衆生活も向上してきていると言える。しかし、スリランカの国家予算が破たん寸前であるのも確かだ。対外債務はうなぎ上りで、債務不履行の危険水域にある。車社会が実現し電化も普及したが、これを「実現」させたのは外国、特に中国からの借款である。以前、この欄でハンバントタ港が借金のかたに中国により「植民地化」されたことに触れたが、電化も中国からの借款で火力発電を建設したことによるところが大きい。不必要な第2国際空港建設やコロンボ港の拡張工事も中国がやっている。
 途上国の経済発展には外国からの援助は欠かせない。しかし、ひも付きで、その国にとっては不要であるとしか思えないものを建設させて借金漬けにするのは決して正しい援助ではない。農村部までツクツクや電化が普及することは喜ばしい限りだが、その背後に中国の権益が潜んでおり、「第2のハンバントタ港」が起こる危険を感じざるを得ない旅となった。
(青森大学名誉教授 末永洋一)

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「繋がりのチカラ」イベントで地域同士が連携

2019/2/17 日曜日

 

 先般、弘前バル街に赴き、土手町や鍛冶町での飲み歩きを楽しんだ。もうおなじみの一夜限りのはしご酒イベント「バル街」だが、その発祥は2004年の函館での催しに遡(さかのぼ)る。弘前では8年前に始まり16回目となった。さらに今週末には青森市でもバル街が開催される。
 私は函館での運営に関わる一人として、両イベントの関係者とも懇意だが、各々が今も継続しにぎわいをみせていることが何よりの喜びでもある。
 10年ほど前のこと、バル街は中心市街地活性化の良薬と評され、函館の私たちのもとには全国から視察が相次いだ。それまでに培った運営のノウハウを無償で提供した結果、バル街は全国へと広がりをみせ、我々からみて「子バル」「孫バル」が各地に生まれた。いまでは全国に名を馳せるブランドにもなったのだが、バル街は家元制ではないため、その全貌は私たちにも皆目わからない。それでも弘前や青森をはじめ幾つかの地域とは、長らく仲睦まじい関係で交流も盛んだ。愛知県刈谷市や新潟県長岡市など、遠方の人たちとの親交も深い。
 仕組みは非常にシンプル。しかも運営サイドは忙しいわりに大儲けできる要素がまるでない。だからバル街は権利ビジネスにはなり得ないのだ。爆発的に全国に広がった理由はこれに他ならない。
 では、ビジネスとは色合いを異にするバル街が一部で長く続いているのはなぜか。それはひとえに運営する側が、当日の街の賑わいに楽しみや喜びを感じているからだろう。さらにイベントを継続するなかで、他の地域で同じ想いを持つ人々が現れ、その人たちとの繋(つな)がりが大きなモチベーションになってくる。まさに「繋がりのチカラ」だ。他との繋がりによって、これまで忘れていた自分の地域の良さを見直すこともできる。
 さて、津軽地域で人気の観光まちあるきだが、この運営では長崎市のまちあるき「長崎さるく」のキーマンたちとの交流が大きな推進力になっていると聞く。長崎さるくもまた、その仕組みはシンプルで、普通の市民の手によるもの。函館の私たちとは共通点も多い。津軽では長崎の取り組みに刺激を受け「弘前路地裏探偵団」のようなスター級の取り組みも誕生した。こうした長崎との「繋がりのチカラ」はさらに伝播し、広域での取り組みへと発展して、今日の青森県観光の躍進を支えるまでになった。
 もうひとつ、函館で10年前に始まった「世界料理学会」というものがある。先日、この東京版ともいえる「世界料理学会 東京 in 豊洲」という催しが生まれた。函館の私たちと理念を共有し、小池都知事の肝いりでもあるので、こちらも「繋がりのチカラ」を活かして、大スターへと成長することを願っている。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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