日曜随想

 

「心のしるべ」普通の日常を取り戻す

2021/1/17 日曜日

 

 日常の潤いであった旅行やカフェ通いをやめて1年が過ぎる。新型コロナウイルスの勢いは、一向に止まらず、先が見通せない。テレビやネット、新聞など各メディアは連日連夜、新型コロナの感染者数、医療の逼迫(ひっぱく)状況、政府声明、街中の様子を繰り返し発信し続けている。
 新型コロナが今までの災害と全く異なるのは目に見えないウイルスが人から人へ伝播(でんぱ)し感染拡大させている点である。もう1年以上もたつのに、終息の気配すら見えない。全世界で同時多発的に急増している。現(いま)在はどの国もワクチンの開発と接種に一縷(いちる)の望みを託す。だが、根治薬の開発はまだまだ先である。
 こうした不透明感は一体いつまで続くのだろう。個人に求める自粛という同調行動も限界に達した。私たちの脳は疲弊している。これ以上身を削る努力をしても無駄だと判断し、極端な方向へ暴走しそうな状況にある。挙げ句の果ては自暴自棄、疑心暗鬼になり自分を見失いかねない。新型コロナの発生以降、毎日さまざまな情報が更新されている。
 ウイルスの特性を十分に把握できなかった1年前。感染拡大が日常や経済に打撃を与え、これほど深刻化するとは一部識者を除いて誰も想像しなかった。当初、行政もマスコミも穏便なアナウンスに終始した。見立て違いを知るのは、その後しばらくたってからである。
 新しい年を迎え、何より願うのは普通の日常。元の日常に戻れるわけではないが、生活の様式が変わっても主体的に行動できる、当たり前の日常を送りたい。旅行する。飲食を楽しむ。対面で話す。今まで経験している、細やかな幸せを感じたい。
 夥(おびただ)しい情報が現在もマスコミから提供され続けている。物事は上辺や言葉をなぞるだけで多面的に批判しなければ、うそか真実か見分けがつかない。コロナ禍の理不尽やストレスも同じ。気に掛けるだけで前向きに(自分に都合よく)修正しなければ心が傷つき病んでしまう。
 バイアスがかかるという言葉は、思い込みや固定観念、偏見など、バイアスが物事の見方を歪(ゆが)める現象を指す。物事を正しく捉える前者の場合は、バイアスを外さなければならない。逆に、心の健康を保つ後者の場合は、前向きにバイアスを修正(言い換え)する必要がある。
 普通の日常を取り戻すためには、自分の生き方を確立するしかない。私が掲げる生き方の原則は次の三つ。一つ、違和感にこだわる。二つ、継続して考え抜く。三つ、自分の解釈(見解)を持つ。
 コロナ禍の現在に正対して主体的に関わり続ける。情報や知識を統合し思考力・判断力を磨き上げる。時間はかかるだろうが、出口は必ず見つかる。元NHKお天気キャスターの倉嶋厚さんはいう。「やまない雨はない」
(東北女子大学特任教授 船水周)

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「やられっぱなしは…」仲直りか反撃か

2021/1/10 日曜日

 

 ほぼ1年、世界中がやられっぱなしで大混乱が続いている。もちろんCOVID―19(新型コロナウイルス感染症)のことである。
 なぜか世界中の集計は世界保健機関(WHO)ではなくて、米ジョンズ・ホプキンス大学のCSSEが取りまとめている。信頼もされているということであろう。CSSEのダッシュボードによると1月4日現在、191の国や地域で総感染者数は8千500万人余り、ダントツの1位は合衆国で2千62万3578人、2位インドの倍である。発生源と思われる中国は9万6153人とケニアの次である。
 WHOのホームページには怪しい伝説が紹介されていました。5Gがコロナウイルスを拡散させている。ニンニクを食べると防げる。10秒以上息を止められればCOVID―19ではない。体温スキャナや紫外線でコロナを防げる等々。誹謗(ひぼう)中傷、デマゴギーはどこの国でも。何せ合衆国大統領が14日間抗マラリア薬を服用したってぇ話ですから。ワクチンが完成すれば一件落着のような雰囲気がありましたが、接種前にウイルスが変異を始めた様子。やられっぱなしである。
 WHOがパンデミック(世界的流行)を宣言しているのに、各国がスポラディックやエピデミックのような独自の対応をして世界中、人に関しては鎖国状態である。徹底した対応で称賛されている台湾ですら、いつまでも鎖国を続けられるわけではない。
 戦後、国民病とされ、法律まで作り、検査、BCG接種、治療薬ができた結核でさえ、昨年12月第2週の発生は250例であるし、検診、予防接種、隔離、治療薬ができた結果、劇的に結核が減少した証拠はない。
 幸いなことに昨年は、インフルエンザばかりでなく、他の感染症も極めて少ない年であった。
 クラスター(感染者集団)を潰(つぶ)す作戦は、そろそろ限界のようである。濃厚接触や移動の得意な若者のコントロールは容易ではない。何せ彼らは症状を持たない陽性者ですから。そろそろ一般集団の感染率や抗体検査を実施する時期かと。
 天然痘撲滅に関わったWHOの蟻田功先生の講演で、印象に残った言葉がある。「紛争地域で患者を探すのは不可能に近かった」
 184万人以上がCOVID―19で亡くなり、先進国や都市に人口が集中した国が上位を占めている。もちろん医療やデータ収集制度が完備しているからでもある。また、この事態に株価は上昇しているという理不尽な状況がある。今こそ紛争地域の解消と資産家への反撃に尽力しましょう。えっ、COVID―19への対応ではないのですかって。頑張っていればSARSやMERSのように自然に…。
(弘前学院大学看護学部教授 三上聖治)

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「コロナ渦のお正月」大切な人と過ごす幸せ

2021/1/3 日曜日

 

 明けましておめでとうございます。
 新型コロナウイルス感染症の猛威も収まらないままで迎えた新年ですが、穏やかなお正月をお過ごしでしょうか。中には、子どもや孫が帰省できなかったり、実家に帰りたくても帰れなかったりと、寂しいお正月をお過ごしの方もいらっしゃることでしょう。私も、昨年一年間、一度も秋田の夫実家に帰れませんでした。毎年年越しは、実家近くの温泉旅館に親族が集合して、楽しいひとときを過ごしていたのですが、それも中止となり、90歳の母は、孫にもひ孫にも会えず、本当にがっかりしていました。若い方たちも、海外旅行はもちろん、国内旅行もままなりませんし、忘年会も新年会も、同窓会もみんな中止です。懐かしい友達にも会えません。緊急事態なのだから、今は我慢の時なのだから。分かってはいても、寂しいものです。
 かつてお正月は、お盆と同じように祖先の霊を呼び、慰霊する行事だと言われていたり、元旦に「年神様(としがみさま)」という新年の神様が、一年の幸福をもたらすために各家庭に降臨すると言われたりしていました。年神様は祖霊神であり、田の神、山の神でもあるため、子孫繁栄や五穀豊穣(ほうじょう)に深く関わり、人々に健康や幸福を授けるとされています。この思想が次第に分化し、新年のお祝いと一年の無病息災を願うものに変わってきたと言われています。今年は本当に、年神様に無病息災をお願いしたいです。
 一方、自分の気持ちもポジティブでありたいと思っています。コロナ渦だからと沈んでばかりはいられません。今年は旅行も外食も、初売りも行けない代わりに、いつも忙しくてやれなかったことに挑戦することにして、まずは、お正月料理をできるだけ手作りしてみました。煮しめに鱈(たら)の子和(あ)え、伊達巻、金平ごぼう、お汁粉等々。手抜きしないで作っていたら、台所に立ちっぱなしだったので、大みそかには疲れ果ててしまいましたが、充実した楽しい時間でした。年が明けてからは、ここ数年、サボって書かなかった年賀状を書いています。SNSで簡単に済ませられる時代ですが、会えないからこそ、心を込めてメッセージを送ろうと思っています。
 息子は西日本で暮らしています。日本は狭いし、新幹線も飛行機もあるし、会おうと思えば、いつでも会えると思っていたのですが、コロナ禍で、そうではないと実感しました。会いたいのに会えない人、一緒にいたいのにいられない人。みんな、自分にとって、どれだけ大切な人か、よく分かった一年でした。家族と毎日一緒にご飯を食べられることも、「おはよう」と言い合えることも、大切な人と一緒にいられることが、それだけで幸せだと思います。
 あなたは、新年を誰と一緒に迎えられましたか。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「真のリーダーとは」明確な説明こそ重要

2020/12/27 日曜日

 

 今年もあとわずか。先日選ばれた今年の漢字は「密」だったが、上位にランクインした漢字の多くは新型コロナウイルスの感染拡大とその影響を反映したものだった。このことが示すように、わが国はこの1年間、コロナ禍の中で呻吟(しんぎん)してきたと言えよう。こうした中、感染拡大防止のために「3密」を避けなければならないとして、年末年始の年中行事も縮小や中止に追い込まれ、故郷や親元への帰省すら自粛が求められている。
 テレビや新聞も連日、新規感染者、重症者、死亡者の数を伝え、医療関係者は「医療崩壊」の懸念を表明しており、一定に「規制」や自粛を求めることはやむを得ないかもしれない。しかしその場合、まずはわが国のリーダーたる首相が、国民に明確なメッセージを伝えることが重要なのは言うまでもなかろう。
 わが国は民主主義国家であり、自由と基本的人権を重んじる国。中国のような独裁国家がやったような強制的コロナ対策は決して許されない。政府が一定の「規制」や自粛を求めようとする時に必要なのは、客観的事実に基づき、自信をもって明確な方向性を国民に示すことだ。そう考えた時、果たしてわが国の首相はそのようなリーダーシップを果たしているか、いさかか疑問である。
 菅氏が首相に就任した際、多くの国民はその人柄や庶民感覚に期待し、支持率は80%近かった。しかし最近はその半分程度の支持にまで落ち込んでいるが、その最大の理由は、客観的に裏付けられた資料に基づき、自信をもって自らの言葉で国民に説明することがないからではなかろうか。菅首相は、2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を高らかに宣言するが、目下のわが国の状況と課題、特にコロナ禍と国民生活について、国民と正面から向き合って説明し理解を得ようとする姿が見えないのだ。「総合的・俯瞰(ふかん)的」などと言って、判断基準を明確にすることもない。「総合的・俯瞰的」判断とは、さまざまな条件や要素を最大限に勘案した結果のものであり、漠然とした判断を指すものではない。そのためには、自己の信条や考え方とは異なる人物や専門家の意見も大いに聞くことも必要だ。官房長官として名高い故後藤田正晴氏は、内外の緊急事態に即応するため、「都合が悪いことでも本当のことを報告しろ。聞きたくないような悪い情報でも報告しろ」と官僚に訓示したとされるが、今、菅首相に聞きたくない、悪い情報を伝える官僚や政治家はいるのだろうか。「国難」であるコロナ禍との闘いのために、菅首相は、真のリーダーとして、さまざまな情報や資料を駆使し、その上に立って、国民の進むべき方向性と取るべき道を明確に示してくれることを期待したい。
 (青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々11」白菜の彫刻

2020/12/20 日曜日

 

 エリシア・クロロティカというウミウシは、動物なのに植物のように光合成して生きている。「人間も光合成で生きていけたら…」と妄想が広がる。そこから植物になりかけた人物像を思い付いた。指先が葉っぱのようになっていて、それを羊が食べているところを大理石の彫刻にするというのが作品の構想だ。大理石と葉っぱというとベルニーニの「アポロンとダフネ(ダフネの指先が月桂樹に変わっていく)」を想起させるので、それを回避すべく指先は葉野菜の形とし、また体も葉野菜的なものが覆っているような表面にした。
 塑像で試作を重ねるうちに、二の腕のところが白菜のようになった。葉脈は血管のようでもあるし、これはなかなかいい感じだとワクワクしてきた。と同時に大理石での葉っぱの表現を研究しなければならないと考えた。そこで白菜の彫刻をつくることにしたのであるが、つくり始めると白菜を彫刻にするということの難しさを実感することとなった。白菜は一筋縄ではいかないモチーフであった。
 白菜は葉っぱがぎっしりと詰まっているが、キャベツほどの硬さはない。結構フワッとしている。形に張りがあるようなないような、なんとも曖昧なのである。店先でテープで縛られているのを見掛けるが、縛られたところがぐっとへこんで形が絞れてくる。グッと絞られた後に緩やかに葉先に向かい広がっていくが、最後は内側へ巻き込んでいく。メリハリのある形ではある。葉のつき方には規則性があるのだろうが、枚数が多すぎてつかみ切れない。大小の葉脈の間にある凸凹と葉先のビラビラは、葉の端っこの方がめくれて本来の葉の表側(内側に隠れている)の面が姿を現していて、そこにはボコボコと小さなコブがあり、造形のアクセントとなっている。このようにつかみどころがあるようでないようなところが魅力的なのだ。それぞれの葉っぱが結球を求めて内側に丸まっていくさまは、葉っぱたちが協力して一つの玉になろうという意思すらも感じさせる。量感は野菜の中ではトップクラスである。堂々としていて立派だ。
 中国で白菜は純粋・潔白を表す。そのことからモチーフとして昔から人気があり、多くの白菜彫刻がつくられてきた。故宮博物院の翠玉白菜はその代表であろう。日本では佐藤朝山の木彫が素晴らしい。西洋に白菜の作品は見掛けられない。白菜はアジア的なモチーフなのだ。
 実は白菜の彫刻をつくったのは今回が初めてではない。大学に入ってすぐの木彫の授業で初めて彫ったのが白菜だった。40年前である。その時は「なぜ白菜?」と思っていたが、今は課題を出した先生(澄川喜一先生だったと思う)の意図が分かる。改めて白菜は良いモチーフだと思う。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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