日曜随想

 

「恐怖はつくられる」虫が怖いのはなぜですか?

2021/12/5 日曜日

 

 雪の季節が到来しました。雪を見て、憂鬱(ゆううつ)な気分になる人もいれば、ウインターシーズンがきた~とテンションが上がっている人もいるでしょう。この違いはどこからくるのでしょう。それは経験です。でも、感情は、経験だけでつくられるわけではないのです。
 心理学の実験で、赤ちゃんに白ネズミを見せて、赤ちゃんがネズミに触ろうとすると、耳元で大きな音を鳴らして、びっくりさせるというものがあります。もちろん赤ちゃんはびっくりして泣きだしますが、これを繰り返すうちに、ネズミを見ただけで泣きだしたり、逃げたりするようになります。そのうち白ウサギや犬など白い毛に覆われた動物を見ただけでも、恐怖反応を示すようになります。「怖い」という感情は、このような条件付けによってつくられると考えられています。
 実は私は、虫が大嫌いでした。特にクモとカマドウマが怖くて、大騒ぎしていました。虫に危害を加えられたこともないのに、不思議ですよね。心理学を学ぶようになって、虫が怖いのは、経験からではなく、周囲の大人の影響を受けたからだと分かりました。そこで、自分の子どもには無用な恐怖を与えないようにしようと、子育てで実験をしてみることにしました。試みたのは一つだけ、絶対に虫を「怖い」「汚い」と言わないことだけです。もちろん危害を加える虫は、正しく恐れてもらわなくては困りますから、そこは注意しました。
 田舎暮らしなので、虫が大好きな息子には、毎日楽しい発見がいっぱいでした。「ジョロウグモさんはきれいだね」「でっかいオニグモの巣があるよ。上手に作ってるね」。うれしそうに話す息子に付き合って、全身鳥肌が立ちながらクモを観察しました。ある時は「一番好きな虫はわらじ虫」と、小さな箱に100匹以上のわらじ虫を捕獲してきて、自慢げに見せてくれました。さすがに「わらじ虫のお母さんが探しているかもしれないから、お家に返してあげようね」とごまかしました。(全部成虫ですが)
 「きれいだね」「すごいね」と言葉にしながら、虫の観察を続けるうちに、私の虫への恐怖心がだんだんなくなっていることに気付きました。息子が成人してから、名古屋の食堂で一緒にご飯を食べていたとき、テーブルの隅を移動するゴキブリを発見しました。「チャバネゴキブリだね」と私。「オスだから大丈夫だよ」と息子。ゴキブリを見送り、何事もなかったかのように食事を続けました。実験開始前の私には考えられなかったことです。
 保育園の頃から「虫の博士になる」と言っていた息子は、大学でも生物学を選びました。「虫は怖い」って言わなくて良かったと思いました。
(弘前医療福祉大学教授 小玉有子)

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「歌」って何だろう あるテレビ番組を見て

2021/11/28 日曜日

 

 テレビ離れが叫ばれてから久しい。理由はいろいろ考えられるが、番組編成の在り方にあるのも明らかだろう。参考までに新聞のテレビ番組欄をチェックしてみたが、まずは「韓国ドラマ」が多いのにはびっくりした。現代ドラマもあれば、時代劇もあり、これまでも幾度か放映されたものも含まれている。さらに、いわゆる「お笑いタレント」が突拍子もないことをやっては皆でゲラゲラ笑っている低俗な番組も多い。経費を抑えようとするためにやむを得ない手段であるかもしれないが、余りにも安易な気がしてならず、これではテレビ離れはさらに進むとしか思えないのは私一人であろうか。
 私が見るテレビ番組はニュースやドキュメンタリー、時には「映画」などが主なものだが、毎週楽しみに見ている番組がある。民放のBSで放映されている「子供たちに残したい美しい日本の歌」で、私がテレビで見る唯一の「歌番組」である。この番組については、ご存知の方も多いだろうが、われわれの世代なら必ず口ずさんことがある歌唱、さらには半世紀ほど前に歌われスタンダード化した歌を、プロの声楽家が本格的に歌ってくれるものだ。詩(歌詞)の作者、作詞された動機や背景なども紹介される。プロの美しい歌声を聞きながら、歌詞が意味する情景や情緒などを思い浮かべることができ、何かしらの余韻を残してくれる。
 先週この番組を見ている時、ある俳優が、昨年の「紅白歌合戦」に出演した歌手の歌について「だらだらと長く、どこが一番でどこからが2番なのか分からず、印象に残る歌がない」とブログでコメントしたことを思い出した。私も「年越しの恒例行事」として、この番組を「聞き流し」ていたが、若い歌手・グループが踊ったり飛び跳ねたりしながら、正直、「内容のない」歌詞を長々と歌っていたのを覚えていたので、全く同感だった。
 こんなことを言うと、「お前は年寄りだから」という声が聞こえてこよう。この俳優のブログも批判意見で「炎上」したそうだ。昔は「歌詞」に重きが置かれていたが、今の歌は、人の心を捉えるリズム、メロディー、ハーモニーから成る「音楽」であり、「歌詞」は問題ではないとの意見も聞かれそうだ。聞く方の責任であり、「音楽」を理解できない者は「聞かないでくれ」ということだ。しかし、昔聞いた歌、歌った歌は、時々の情景や感情に合わせてふっと口をついて出てくるが、今の「音楽」にはあるのだろうか。「昔の歌詞」は、心に余韻を残す力を持っており、だからこそ、ふと口ずさむのだ。この余韻こそが、過去を振り返り、未来を想像する大切なものであることは言うまでもない。だから、この番組が続くことを期待しているし、そこで紹介される歌を子どもたちに伝えていきたいものだ。
 (青森大学名誉教授 末永洋一)

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「アート悶々19」歯を磨くように制作する

2021/11/21 日曜日

 

 10月9日、弘前れんが倉庫美術館(以下、美術館)において河口龍夫氏によるレクチャー(美術館からの弘大への寄附講義も兼ねる)が行われた。河口さんは80歳を越えた今でも精力的に制作活動や発表を続けておられる美術界の重鎮である。今年の美術館の春夏プログラム「りんご宇宙」展にも出品されている。このレクチャーは展覧会の関連イベントとして会期中に行われる予定であったが、コロナで延期となり、会期終了後の開催となった。
 レクチャーは千葉県の河口さんのアトリエと美術館のスタジオを結ぶオンライン形式で、美術館学芸統括の石川達紘氏がアトリエに赴き、2人の掛け合いのトークショーという形で行われた。
 石川さんは2017年「金津創作の森」(福井)で開催された「河口龍夫―眼差しの彼方」を担当した(当時「金津創作の森」の学芸員)こともあり、河口さんの良き理解者である。河口さんも石川さんを信頼しているのであろう、とてもリラックスされているように見えた。
 「Dark Box」という作品についての説明があった。上下に分かれた鉄製の箱を闇の中でボルトで固定することで、その箱の中に闇を閉じ込めるというものだ。視覚というものから自由になることがテーマである。実際に光が全く入らない部屋を制作し、その中で参加者と共にボルトを締めていく。その作業に関わった人々は「光に依存しないで闇を見た」ことになる。つまり光に依存している視覚から解放される。視覚や光や闇ということを改めて考えさせてくれる作品である。
 「Cosmos―Corona Borealis」という作品は、星空の写真に写った星それぞれに何光年かを描き込んだものだ。写真は同時性ということが言われるが、宇宙の写真ではそれが成立しない。過去が、しかも異なる時間が、写っているのである。河口さんにとってこの作品は制作を通した宇宙旅行なのだという。
 他にも宇宙の写真の裏から星を鉛筆で塗りつぶしていく(裏から見ると星が闇で闇が光に逆転する)作品、放射能を防ぐ鉛製の封筒に種を入れた作品、河口さんが主宰したグループ「位」による穴を掘る目的のためだけに穴を掘る作品などについて説明があったが、これらは河口さんの制作活動のごく一部である。テーマは多義にわたり、作品数も膨大で、それは今でも増え続けているのだ。
 レクチャーの最後の方で「生きていることが好きなんです」と語られたのがとても印象的であった。芸術を「この世界を知るための精神の冒険」であると捉える河口さんは、「歯を磨くように制作する」という。日常の生活の中に芸術が当たり前のようにある。まさに河口さんの人生そのものが芸術なのである。
(弘前大学教育学部教授 塚本悦雄)

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「聖愛と遺愛」海峡を渡った津軽の娘たち

2021/11/14 日曜日

 

 前回、拙稿の冒頭で弘前と函館、二つの学校の縁について触れた。弘前学院聖愛高校の前身、来徳(らいと)女学校は当初、函館の遺愛(いあい)女学校(現・遺愛女子高校)の分校だった。この経緯を掘り下げて調べてみると『遺愛七十五周年史』『遺愛百年史』に興味深い記述が見られる。
 1882(明治15)年、遺愛の開校当時、函館では同校の理念の浸透が思うように進まず、生徒を集めるのは大変なことだった。実は第1回の入学生10名全員が弘前出身。弘前教会での呼び掛けに応じた生徒たちだったそうだ。鉄道がない時代、函館に寄宿するに当たって、娘たちは歩いて大釈迦峠を越え、わずか250トンの汽船で波荒い津軽海峡を渡らねばならなかった。15歳前後の娘を北海道に送り出すことはよほどの考えと理想がなければできないことだっただろう。弘前から来た卒業生の回顧録にはこうある。当時の弘前では女子の高等教育など思いも寄らぬことで、ゆえに母などは「遠い函館のヤソの学校などへやるとは鬼であろうか」とまで言われた。その後も娘たちは続々と函館に渡った。弘前に来徳女学校が創設された際、教壇に立った者の多くは、遺愛女学校の卒業生たちだったという。弘前、函館双方の教会で牧師を務めた山鹿元次郎(後に来徳女学校で教育の実務を担当)らの尽力もあった。
 ひと言でいうならば、驚くべき進取の気風と言えよう。
 ご当地検定公式テキスト「ひろさき読解本(よみとくほん)」をひもといてみると、津軽の気風・気質として「恥ずかしがり屋(シャイな人)が多い」「じょっぱり・足ふぱり」「ハイカラ気質」この三つを挙げて解説している。明治期の遺愛女学校にまつわる津軽人のこうしたエピソードをどう捉えようか。「ハイカラ気質」という言葉だけでは到底表現し得ない、もう一つ深い、津軽人の芯の強さをひしひしと感じるのである。信念を貫き通す尊敬の念を込めた言葉「じょっぱり」の方が当てはまるだろう。一方で「恥ずかしがり屋が多い」からなのだろうか、語られる場合はいつも控えめで、検定公式テキストに遺愛を目指して海峡を渡った娘たちの記述は見当たらない。函館が先、弘前が後、といった開校の順だけが話題になることは少し残念に感じるところでもある。弘前と函館のさまざまな交流が打ち出されていく中において、この話題が持ち出されることはこれまでなかったように思う。
 コロナ禍で控えめになっていた両市の交流だが、毎年12月に行ってきた函館でのPRイベント「ひろさきナイト」は規模縮小ながら、今年は実施の検討を進めていると聞く。
 聖愛と遺愛の縁を両地域の多くの人たちに知ってもらいたい。そうすることで、お互いがより身近に感じられるようになるはずだ。
(オフィス「オリゾンテ」代表 田村昌弘)

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「心のしるべ」心は態度に現れる

2021/11/7 日曜日

 

 普段、何気なく使われている言葉の一つに態度がある。例えば真面目な態度、威圧的な態度、物事に対する態度など、○○態度や△△に関する態度という形で多様なフレーズをつくる。態度は辞書的には、ある物事、状況に対して、内面の感情や考えが表情、身ぶり、動作、言葉として外面に現れたものと説明される。さらにいえば、隠そうとしても隠し切れない、無意識に現れ出てしまう、考え方や意図、傾向、心構えである。
 つまり、態度は心の動きが分かる形で外に映し出されたものだ。客観的に観察、判断できる。相手を批評する際はこの上なく便利な言葉である。さまざまな時、所、状況で半ば自由に使われているのも十分に納得される。ただし誰もが同じ意味で使い、理解しているとは限らない。便利さが逆に作用して誤解を生んだり、相手を傷つけたりもする。
 そもそも便利には、目的達成に都合がよく役立つという意味がある。といって決して分かりやすいわけではない。便利さによって思考停止に陥り、曖昧な使い方や受け止め方をすれば、健全なコミュニケーションは望めない。言葉は生き物である。時代、場面、脈絡はもとより、人によっても常に変化している。同じ表現だから同じ意味とはいえない。元の意味を越えることさえ珍しくない。この事実を胸に刻んでおきたい。
 孔子が生涯を通して貫いた概念に忠恕(ちゅうじょ、論語・里仁第四81)がある。忠は忠実、恕は思いやりと解釈されている。孔子は誠心誠意相手の立場で考え、努力することを重視した。2500年以上たった今でも全く古びていない教えだ。人間はどう生きるべきか、本質的な問題を端的に提示した言葉である。人間が生きていく上でこれ以上の知恵はない。世の中は目先の損得のみで物事を評価しがち。効率や速さ、合理性が幅を利かせ、それ以外には目を向けない風潮がある。
 誰にも自分に見えない死角が存在する。だが自分以外の人には案外見える。支配欲に駆られると偏見や独断が強まり、他人が信じられなくなる。一人一人の個性に目をつぶり真実に蓋(ふた)をするからだ。相手の立場を理解して(賛成ではない)、謙虚な態度を示せば人は集まる。一方、自分の尺度に拘(こだわ)れば傲慢(ごうまん)になり人は離れる。態度は心を映す鏡である。
 たとえ論理的に話す技術が優れても、根拠の乏しい話なら、言葉だけが宙に浮いて底が割れてしまう。人の心を動かすには、話す技術以上に誠実な、思いやりの心が欠かせない。だから、有言実行する。うそをつかない。真面目に考える。
 そして自分の態度は、「信用を裏切らなかったか」「傲慢な対応をしていなかったか」という二軸で常に振り返る。人は誰でも相手の些細(ささい)な態度から全てを察することをゆめゆめ忘れてはならない。
(柴田学園大学特任教授 船水周)

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