JOMON世界遺産 北海道・北東北 縄文遺跡群

 

2021/7/29 木曜日

 

  縄文遺跡群の世界文化遺産登録を踏まえ、津軽地域の主な構成資産の取り組みや今後の課題を全5回で紹介する。

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三内丸山遺跡=1

 

三内丸山遺跡で確認され、縄文のイメージを覆した大型掘立柱建物跡(JOMON ARCHIVES 2011年10月14日、県教育委員会撮影)

 「私が子どもの頃、教科書に記述される歴史は弥生時代からだった。縄文という歴史の大舞台がここにあったと、世界に認められたことをうれしく思う」
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)が「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録を勧告した5月、三村申吾知事は縄文遺跡群が人類の財産として認められる可能性が高まったことへの喜びをあらわにした。
 「縄文」から世界の「JOMON」へ。すべては、青森市の三内丸山遺跡の発掘調査から始まった。
 1992年、青森市の新県営野球場建設予定地だった三内丸山遺跡で発掘調査が実施された。縄文遺跡の発掘調査の多くは、土地開発に伴って消える遺跡を記録するためのものだ。
 三内丸山遺跡センターの小笠原雅行保存活用課長は当時の発掘調査に参加し、初年度に担当したのは南盛土の調査。厚さ2メートルの巨大な盛土からは多くの出土品が確認され、「期間内に調査を終えられるのか不安に思ったほど」と当時を振り返る。
 94年にはクリの6本柱による大型掘立柱建物跡が発見され、原始的生活と考えられていた縄文の概念を覆す。マスコミも大きく報じ、三内丸山遺跡の名が全国にとどろいた。
 歴史を変える世紀の発見を見ようと、多くの人が遺跡に足を運んだ。当時現場にいた、県世界文化遺産登録推進室の岡田康博世界文化遺産登録専門監は「研究者の間で閉じていた世界が社会とつながり、一般の人に分かりやすく伝えるにはどうすべきか考えさせられた」と振り返る。
 「青森に何もないと思っていた」と語る市民が自分たちのアイデンティティーとして遺跡を見詰める姿を目の当たりにし、遺跡の価値を伝えて活用する意義を実感したという。
 県営球場建設は政治的判断で中止され、壊されるはずだった遺跡を保存する全国的にも数少ない例となり、遺跡は2000年に特別史跡の指定を受けた。
 調査はその後も継続され、見えてきたのは大規模な集落跡と、そこに住む人々の生活を支えるなりわいの仕組み、他集落と交流して物資や情報を得ていた姿。調査が縄文のイメージをさらに変えていった。
 岡田専門監は縄文遺跡について、「消極的に埋めて保存するだけでなく、地域の共有財産として価値を明らかにし、社会に必要な遺跡として残す必要がある」と提唱する。世界文化遺産登録に至る、「人類の宝」となる縄文遺跡群の出発点は三内丸山遺跡だった。
 「遺跡は誰のものか。研究者のものでもない、皆の財産だと三内丸山遺跡がわれわれに突き付けた」と岡田専門監は指摘する。「三内丸山遺跡あっての世界遺産登録だ」

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大森勝山遺跡=2

2021/7/30 金曜日

 

裾野小学校の縄文講座で、児童に価値ある遺跡であることを伝える市文化財課の職員

 弘前市の大森勝山遺跡の存在が知られるきっかけとなったのは、1959年に始まった発掘調査だった。農林水産省による岩木山麓の大規模開墾事業に伴うもので、調査が進むと環状列石や当時としては国内最大規模の大型竪穴住居跡など、貴重な発見が相次ぎ、多くの考古学研究者らの注目を集めた。
 調査に当たったのは弘前考古学会長の故成田末五郎氏や、後の弘前大学名誉教授の故村越潔氏ら。遺跡の重要性を認識した成田氏らは、市に保存を進言。当時の藤森睿(さとる)市長らは進言に理解を示し、遺跡を後世へ残すため61年、大部分を購入して公有地化し、埋め戻す「凍結保存」を決断した。
 大学時代に村越氏の下で学んだ「弘前縄文の会」の今井二三夫会長(73)は「当時、公有化することは異例なこと」と指摘し、市の決断を「最大の功績」と評価する。
 岩木山麓には大森勝山遺跡のほかにも130以上の遺跡が分布する。「昔から掘れば土器のかけらが出てくるのが当たり前だった」と裾野地区大貝町会長を長年務めた須藤司さん(77)が話すように、地元に特別な場所との認識はなく、遺跡の埋め戻しで、人目に触れることもなくなった。
 再び脚光を浴びることになったのは2005年。青森市の三内丸山遺跡について、県が世界文化遺産登録を目指すことを表明した年だ。弘前市は文化庁から打診を受け、国史跡指定に向けた再調査を行うことにした。環状列石は、縄文時代晩期のもので、盛土など大規模な土木工事で作られたことなどが判明し、12年9月に国の史跡に、同年12月には「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つとして加えられた。
 後に市教委文化財課で遺跡保護に携わった今井さんは「(昭和の時代の凍結保存は)消極的と思われがちだが、一般公開していたら荒廃や環状列石の風化が進み、遺跡が消滅していたかもしれない」と話し、価値ある遺跡が今の時代へと受け継がれてきた数々の幸運に思いを巡らせる。
 今井さんは市民有志と共に14年9月に「弘前縄文の会」を設立。縄文講座や遺跡巡りなどで多くの市民が遺跡に理解を深めていく中で、18年に縄文遺跡群が国内推薦候補に決定した。
 遺跡は公開・活用へ向け次なるステージに進んだが、ガイドがいないといった課題があり、今井さんは縄文の魅力や価値を伝えるボランティアガイド養成に着手。現在までに30~80代の22人を育て、本格的な活動へ準備を整える。
 市も次世代に受け継ぐため、裾野地区の児童生徒を対象に縄文講座を毎年開催している。「遺跡をより深く知ることは、子どもたちが地元の遺跡であることを認識し、大人になったときに地域の宝を守るための活動につながる」と裾野小学校の山口祝一校長は語る。
 地域の宝であり、世界の宝である大森勝山遺跡。岩木山の麓に形成された縄文文化は、地域の人々と共に時代を超えて未来へと歩みを進める。

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