わさおの物語〈第2部 仲間たち〉

 

2020/9/10 木曜日

 

 第2部では、生前のわさおに関わった人の思い出、動物たちを紹介する。

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菊谷忠光さん=1

 

わさおの遺影と遺骨の前に立つ忠光さん

 「わさおの母さん」こと菊谷節子さん=享年(73)=から、わさおの世話を引き継ぎ、最後の飼い主となった長男の忠光さん。最初は天敵同士だった。8月9日、鯵ケ沢町で執り行われた「わさおを偲(しの)ぶ会」で、忠光さんはこう語った。
 「わが家にわさおが来たのは13年前。親父は『こたらだ汚い犬、保健所さやてまれ』と言ったら最後まで嫌われ、私は『汚いはんで誰がさけでまなが』と言ったらガブリとかじられ、1カ月入院しました」。
 真相は-。「当時、わさおは真っ黒で泥だらけ。かわいいと思わず、飼う気もしなかった」。最盛期は10匹もの犬がいた菊谷家だが、当時は1匹のみ。忠光さんは「また1匹増える。それに散歩係は俺だったんだもの」と不満だらけ。
 わさおが菊谷家に来て間もなく“兄弟げんか”が勃発した。忠光さんが散歩に連れ出す際、突然わさおが襲撃してきたのだ。原因は不明。応戦した忠光さんは手首の肉が裂けるなどの大けがを負い、以来、菊谷さんは忠光さんに散歩させなかった。
 転機は約10年後。死を前にした菊谷さんが、「わさおの面倒をちゃんと見てほしい。頼むな」と後を委ね、天国へ旅立った。飼い主になった忠光さんは、わさおの観察に努めた。「何を考え、してほしいのか分かってきた。顔を触られることが大嫌いだということもね」。やがて、正面から向き合う忠光さんの手をわさおがペロリ。心開いた瞬間だった。ここから「飼い主とペット」を経ず「家族」になるには時間を要しなかった。
 「母とわさおの関係は『飼い主とペット』ではなく、生き物同士。心の絆でつながってたんですよ。秋田犬特有の忠実さ、飼い主への思いやりもあった」と振り返る。「なぜ、わさおがここに来たのか、と考えたい。別なところで保護されていれば、わさおでなく別な犬だったら…」と思いも尽きない。
 「わさおは天からの授かりもの。それをうちで預かっているだけ。だから、大事にしなければ」との生前の母の言葉も思い出す。それだけに今、多くの人に伝えたい言葉がある。
 「みんなを元気に、幸せにするために、わさおがいたことを忘れないでほしい」。

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工藤健さん=2

2020/9/11 金曜日

 

晩年のわさおと工藤さん=5月(わさおプロジェクト提供)

 「わさお」と言えば、この人を抜きには語れない。工藤健さん(52)だ。わさおが登場するイベントには必ず姿を現し、マスコミ取材の窓口として冗舌に、かつ的確に情報を伝える。10年以上にわたり、わさおの写真を撮影し続け、シャッターを切ったのは12~13万回に及ぶ。かといって、わさおの飼い主ではない。「一わさおファン」であるとともに、わさおの活動を支援し、その魅力を発信する「わさおプロジェクト」の代表という立場だ。わさおと関わるようになったきっかけは-。
 五所川原市内の高校を卒業後、東京都内で広告代理店やソフトウェア関係などの仕事を経て、2004年に地元鯵ケ沢町へUターン。デザイナーとして活躍していた。
 08年、有名ブロガーが発信したわさお(当時はレオ)のブログに関する情報を当時の飼い主である故菊谷節子さんに伝えたことをきっかけに、菊谷さんが経営し、わさおがいる「きくや商店」に出入りするようになった。わさおの人気が高まるにつれ、いつの間にか「取材窓口」の任に就いていた。
 やがて、芸能動物プロダクションから、わさおを「マネジメントしたい」との話が持ち上がった。このため工藤さんは「わさおから一度手を引こうか…」と考え、菊谷さんに相談したところ、返ってきた答えは「乗りかかった船なんだから、最後まで面倒みなさい」だった。
 「一わさおファンに戻れるかな?」と思っていた矢先、その一言で「それもそうだな」と決心が付いた。結局、マネジメントの申し入れは断り、09年春から「わさおプロジェクト」を名乗るようになった。約12年間、わさおと行動を共にし、最期をみとった。
 わさおの魅力は何か。一ファンとして、シャッターを切った回数は並みではない。「わさおの写真を撮ると、気持ちが晴れて、さっぱどするんですよ。なぜかって? それがわさおの不思議なところ。表情豊かで存在感が強い。撮れば撮るほど、毎回違う写真になるんだから」と笑った。
 わさおと出会い、人生が変わったのか。その問いにこう答えた。
 「もちろん、最初はそのつもりはなかったけど、今考えると、その通りで、人生変わってるよね。映画に、(東日本大震災)被災地訪問…。わさおに関わったからこその経験、出来事だらけだから」

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木村実枝子さん=3

2020/9/12 土曜日

 

わさおと共にユニークなキャラクターを見せてきた木村さん

 「私、犬が苦手。怖かったんだよ」。ほのかな飛騨弁のアクセントが漂う語り口の木村さんは、岐阜県高山市出身。鯵ケ沢町に嫁ぎ、夫と縁戚関係にあった「わさおの母さん」こと故菊谷節子さんが経営するイカ焼き店「きくや商店」で働くようになったのは2012年8月から。わさおのことは「わさお君」と呼ぶ。
 ガソリンスタンド勤務経験を生かし、わさおファンでごった返し長蛇の列を成す商店前の車を整理したり、入退院を繰り返していた菊谷さんを車で病院へ送り迎えしたりしていた。「わさお君のこと、車の中で、母さんからいろいろ教えてもらったの。毎日機嫌が良いわけではなく、うなった時は近づいたら駄目だとか」と振り返る。
 そうしているうちに「犬が苦手」と言いながら、いつの間にか複数いる従業員の中では「一番、わさおをちょせる(扱える)人」になっていた。
 やがて、わさおの自らへの接し方にも変化を感じ始めた。「母さんが、わさお君の前で『ミエコ、ミエコ』と呼ぶわけ。それで『この人は母さんの大事な人。被害を与えてはいけない』と思ったんでしょうね」
 その一番の思い出は-。「わさお君は本当に歩きたくないと一歩も動かない。でも、行きたい時は、どこまでも行く。ある日の散歩中、海辺に魚が落ちていて、匂いがして、すごい勢いで走って、骨まで食べてました」
 わさおの魅力は-。「店の看板犬だったし、イカも食べたいけど、わさお目当てに来る人も多かった。母さんが『仕事だよ』と言えば、しっかりポーズ取ったり。母さんの一言で、すべて動いたことがすごかった」と語った。
 わさおを取り上げたテレビ番組にもたびたび出演。わさおと共に木村さんも全国区となり、そのユニークなキャラクターを披露してきた。「よく『木村さーん、ミエコさーん、テレビで見てます』と言われました。岐阜の実家の方でも有名になったけど、『テレビに出てる木村は俺の同級生』と言う人もいて…。いつから、そんな友達になったん?(笑)」
 今、何を思うか。「わさお君に帰ってきてほしいよ。動画や写真とか見てると思い出すし。死んだ時は悲しかったし、今でも涙ぐむよ」。わさおと菊谷さん、自身と一緒に撮った写真が今、一番の宝物だ。

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