わさおの物語〈第1部 ヒストリー〉

 

2020/8/9 日曜日

 

 6月8日に永眠した鯵ケ沢町の人気犬わさお。第1部では、その生涯を5回にわたり紹介する。

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邂逅(かいこう)=1

 

菊谷さんと戯れるわさお=2010年4月(わさおプロジェクト提供)

 後に「わさお」と名付けられる、秋田犬長毛種の迷い犬が、最初に鯵ケ沢町の海の駅わんど敷地内で目撃されたのは2007年晩秋のことだった。生後半年程度で警戒心が強く、地元住民がを与えても直接食べず、体も大きく人に懐かない。「保健所に連絡しようか」。そういった声が上がっていた中で、「菊谷さんなら何とかしてくれるかも」との話になった。
 菊谷さんとは、同町南浮田町でイカ焼き店「きくや商店」を営む菊谷節子さんのこと。過去、多数の迷い犬、野良犬を引き取り、飼ってきた実績があった。
 期待に応え、誰もがてこずった保護を菊谷さんはやってのけた。を差し出すと、犬は食べ始め、平らげるや「もっと、ちょうだい」と言わんばかりに首を上げた。その瞬間、犬の首回りにシュッと首輪がかかった。
 菊谷さんが現地に乗り付けた、後に「わさおカー」と呼ばれる軽トラックには、先輩犬チビがいた。そのためか、首輪を巻かれた犬はすんなり荷台に乗った。犬は白くて毛がふさふさしたライオンのよう。漫画「ジャングル大帝」の主人公の名を取り、「レオ」と名付けられた。
 しばらくはきくや商店近くの電柱につながれ、飼い主を待つ日々が続いた。夜は商店隣のまき小屋で過ごしたが、飼い主は現れず、かくしてレオは菊谷家の飼い犬となった。
 メディアでは、菊谷さんに懐く様子がたびたび紹介されているが、当初菊谷さんは「これほど、しつけのなっていない犬は初めてだ」と手を焼いた。悪いことをしたら菊谷さんが怒る、許すの繰り返し。次第にレオが心を開き、やがて“一心同体”と呼ばれるまでになる。
 喜怒哀楽の豊かな表情を見せるなど、レオは普通の犬とは、どこか違った。地元の児童からは「人間の顔をした犬がいる」と評判になっていた。

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全国区=2

2020/8/10 月曜日

 

テレビクルーの取材を受ける菊谷さん(左から3人目)とわさお=2008年12月、海の駅わんど前(わさおプロジェクト提供)

 レオが菊谷節子さんに保護された約半年後の2008年5月、大事件が起きた。ある有名ブロガーが、菊谷ささんが経営する鯵ケ沢町のイカ焼き店「きくや商店」を訪問、その様子を旅ブログで紹介したのだ。レオに関しては、なぜか別な名前で「わさお」と命名していた。「わさお」誕生の瞬間だった。ブログを見た人たちの間で、わさおのことは話題となっていた。
 菊谷さんにこのことを伝えたのは、「わさおプロジェクト」代表として、わさおと生涯にわたり付き合う、郷土写真家で地元在住の工藤健さん。
 菊谷さんの反応は「まさお?」。工藤さん「までなく『わ』」。菊谷さんは「分かった。いい名前だ」と納得してしまった。
 「宇宙で言えば、これがビッグバン(宇宙創生の大爆発)。自分もブログを見て、ここ(きくや商店)に初めて来たのだから」。工藤さんは当時をこう振り返る。
 同年7月、ブログを見た日本テレビの「ナイナイプラス」がわさおを取材、不細工だけどかわいい「ブサかわ犬」と初めて紹介した。その後も各メディアの取材が相次ぎ、この年、全国のお茶の間で「人気犬」に。翌09年には写真集を含めた書籍が3冊発売され、「わさおブーム」の勢いはとどまることがなかった。
 同年秋、ある映画プロデューサーがきくや商店を訪れ、菊谷さんにわさおの映画化を打診した。「世界のミフネ」こと俳優の故三船敏郎さんが率いた三船プロに在籍した経歴の持ち主という。聞けば、写真集を見て「三船は存在自体が映画になる。わさおはフィルムに焼き付けるだけで映画になる」と感じたという。
 約1年後に撮影が始まった。豪華俳優陣が顔をそろえる中、わさおも自分役で出演し、“名優”ぶりを発揮してみせた。映画「わさお」の全国公開は11年3月5日のこと。しかし同11日、未曾有の大災害東日本震災が発生し、公開期間は1週間にも満たなかった。銀幕に再登場したのは、死後のことだった。

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