Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

「休む」当然の文化に=7

2019/12/1 日曜日

 

ヒロデン(弘前市)
 代表取締役社長  松川健二さん(39)
弘前市大開の本社にある屋根融雪の実験場にて。さまざまなヒーターを設置し、会社の代名詞にもなった「融雪」の研究にいそしむ

 役員合わせ14人の電気工事会社には、タイムカードがない。社員はスマートフォンアプリから「出社」の表示を押すだけで、打刻したことになる。勤怠管理、経理、社内の情報共有、内外とのやりとりもデジタルツールを使って徹底した業務効率化を図っている。
 さらに目を見張るのは福利厚生の充実度だ。有給休暇は半日単位で取れ、取得率は100%。ユニークな独自制度も多い。4日以上の海外旅行で8万円、4日以上の有休取得では3万円を支給。子どもが生まれた男性社員へ有休5日をプレゼントする「パタニティ休暇制度」の項目には、「長期の育児休業取得も推奨しております」との記載が続く。
 1985年に父忠二さんが創業した会社。「大変なのを見ていたし、継ぐつもりはなかった」が、父に「バイトで少し手伝ってくれ」と言われて入社し、2003年に正社員になった。
 09年にはデパートのホールを貸し切って商材を展示、販売する単独イベントを企画。3日間で約1000人が来場し、大成功を収めたことで社内で発言権を得て専務取締役に。しかし当時の課題は、極めて高い離職率。「若い人がすぐ辞めていく。工事部が3人だけの時もありました」
 社長就任の15年に「従業員満足なくして、真のお客様満足は得られない」を企業理念に掲げた。経営で一番大切なのは人(従業員)だと考えたからだ。
 「われわれ工事会社は『人対人』のやりとりがとても重要。心に余裕がなかったり不満があると、接客や工事品質、社内環境に影響が出てしまう」
 業界に多く、月によって金額に増減がある日給制から固定給へ変更したほか、社員と一緒に禁煙も。安心して健康的に働ける職場環境を整えたことで、離職は大幅に減った。
 18年6月に第1子が生まれると2カ月の育児休暇を取得。掃除、洗濯、料理といった家事を行い、妻が育児に専念し療養できるようにした。休暇中は部下に権限委譲し、やりとりは社長決裁が必要な場合に限った。
 今夏には男性社員が初めて1カ月半の育児休業を取得した。社員の平均年齢は30代で、出産や子育ては避けて通れない。「家族優先、有休や育休を取るのが当然の“文化”にしたい。費用負担は大きいが、利益を削ってでも今は会社の土台をつくる時期。これらは柔軟な働き方ができ、会社が成長するための先行投資です」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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「唯一」造る独自製法=6

2019/11/17 日曜日

 

カネショウ(弘前市)
 代表取締役社長 櫛引利貞さん(67)
平川市八幡崎の熟成庫にて。木樽熟成は約20年前から始め、150個あるオーク樽でリンゴ酢を熟成する。後ろの樽は400リットル入り。500ミリリットルのリンゴ酢800本分

 薄暗い「熟成庫」に入ると酢の香りがしてきた。ずらりと並ぶ木樽(だる)の中にはリンゴ酢が入っている。ウイスキーの熟成に使われるのと同じオーク樽だ。ここで最低3カ月、商品によっては2~3年熟成させる。「できたばかりの酢はツンとした『酢かど』がある。樽に入れるとマイルドになっていくんですよ」
 1912(大正元)年にしょうゆ、みその醸造で始まった歴史ある会社に、33歳でUターン入社。「おやじ(3代目社長櫛引元三さん)に営業やれと。リンゴ酢を売れと言われてさ」。大学卒業後は東京の医薬品会社で営業職に就いていた。
 しょうゆやみそに代わる基幹商品として、81年から販売していたリンゴ酢だが、津軽のリンゴは使うものの、当初は大手メーカーと同じ、リンゴ果汁から造る製法だった。
 「どうしたらこの商売が良くなるのか、従業員にどうやって飯を食わせていくのか考えましたよ」
 そこで差別化を徹底した。しょうゆ、みそ造りの経験を生かし、津軽産の完熟リンゴを皮も芯も余すところなく丸ごとすり下ろして発酵させる「すりおろし醸造」を生み出した。「日本一のリンゴの産地にある会社だからできること。大手にはまねできない」
 新製法のリンゴ酢にどんな効果があるのかと、社長に就任した95年、県産業技術センターに社員を派遣。県内の食品会社では珍しく研究開発にも力を入れた。結果、すりおろし醸造で造ったリンゴ酢には、抗腫瘍効果があることが分かり、98年に世界食品学会と日本食品学会で発表した。
 販売方法も大手と一線を画した。デパートの催事で製法を説明して買ってもらうなど、「お客さんの顔が見える」直接販売を地道に続けた。こうして得た顧客名簿は累計45万人に。「リンゴ酢と言えばカネショウ」と言われるほどになった。
 「企画・アイデアはほとんど私です」。イタリアの高級バルサミコ酢をリンゴ酢で造れないかと取り組んだ「バルサミィアップル」、陸奥湾ホタテを使った「ほたて醤油」、本県発の美容健康成分「プロテオグリカン」配合の黒リンゴ酢「女神の林檎」といった、県産の原料にこだわった高付加価値商品を創出してきた。
 少子高齢化による国内市場の縮小は「懸念材料ではあるが、リンゴ酢はまだまだ伸びる可能性がある」と前向きだ。手間暇かけた商品が、消費者に選ばれる自信は揺らがない。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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農家のため挑戦続く=5

2019/11/3 日曜日

 

青研(弘前市)
 代表取締役 竹谷勇勝さん(75)
今夏から稼働している弘前市五代の新加工センター前にて。瓶ジュースの生産能力は2割向上したという

 うずたかく積み上げられた青色のコンテナが敷地に広がる。中に入っているのは契約農家が丹精込めて作ったリンゴだ。1日に3000~5000箱が弘前市五代の倉庫に集まってくる。訪れたのは収穫最盛期を迎えた10月末の月曜日。「土日は家族・親戚総出でリンゴをもぐでしょ。月曜は特に多いのさ」
 県庁勤務を約2年で終え、21歳でリンゴと米の複合農家を継いだが、1960年代のリンゴ産業は「再生産価格が得られないほどの安値だった」。背景には輸入果物の解禁、ミカン、リンゴの大豊作による供給過剰…。リンゴの大暴落で投棄が相次いだ68年の「山川市場」も経験した。
 閉塞(へいそく)状態を打破しようと、後継者仲間と24歳で青年りんご研究会(岩木町農協出荷組合)を発足させた。市場、問屋抜きの直売を計画し、トラックで首都圏に出掛けてリンゴを販売した。そこで得た顧客に産地から直送するも経費が重なり大赤字に。2年で頓挫した。
 同研究会を母体に1974年、立ち上げたのが株式会社青研だった。観光農園や通信販売を行うも、卸売市場主体の販売に戻したことで価格決定権がなく累積赤字は1億5000万円まで膨らんだ。「このままじゃいけない」と、89年に始めたのがリンゴジュース事業だった。
 生果では世界が認める本県のリンゴが、ジュース加工になると価値が低くなる。「甘味系、酸味系を組み合わせたこれまでにないジュースを作ろう」。試行錯誤の末にブレンド技術を確立し、当時珍しかったストレートジュースを製造した。
 スーパー名鑑を開いて全国に「サンプルまき」し、販売店の口コミなどで販路は増えていった。さらに安定経営を考え、ジュースを通年生産できる体制も整えた。
 これまでに16カ国・地域に生果やジュースを輸出し、現在も東南アジアを中心に出荷を続けている。鮮度保持効果があるスマートフレッシュ処理を早くから取り入れ、15年にはタイに14年産のリンゴを初輸出した。
 起業時からあるのは「農家の経営を安定させたい」という思いだ。葉とらず栽培による生産コストの削減だけでなく、農作業の省力化にも積極的に取り組む。
 「好きな言葉は、前は『全力投球』だったけど、今は『飽くなき挑戦』」。人口減少も後継者不足も悲観していない。来月で76歳。齢(よわい)を重ねてなお新境地を開き続ける。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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地域貢献利他の心で=4

2019/10/6 日曜日

 

弘南バス(弘前市)
 代表取締役社長 工藤清さん(63)
 弘前市駅前2丁目の和徳車庫にて。緊急時にはボタン一つで「緊急事態発生 警察に通報して下さい」(写真左上)と行き先表示が変わる

 バスのボディーに緑と赤の線で描かれているのは、社名の頭文字「K」をデザインしたロゴマーク。創立50年の1991年、企業イメージを統一する「コーポレート・アイデンティティー」を導入したことで一新されたものだ。戦前から「地域の足」として重要な役割を果たしてきた会社が、新たな一歩を踏み出した年に入社した。
 前職はバイヤー。数字を追い掛け、数字に没頭する日々に「思うところがあり」転職を決意した。職業安定所で見つけたのが弘南バスの求人。「もっと地域と関わり貢献できる仕事がしたい」。35歳での中途採用だった。
 社長に就任するまでほぼ乗合、高速部門に籍を置いた。入社直後から関わったのは、路線がある当時の28市町村で構成した「津軽地域路線バス維持協議会」(93年発足、2003年解散)。マイカー保有が増え利用者が減る中、国や県の補助制度対象外の路線は「一民間企業では存続が難しい。みんなで支援しましょうと―」。
 赤字の負担方法(補助金額)を自治体間で決めるための同会で、事務局として調整や申請作業などに奔走した。「総論では賛成。でも各論となると自治体に温度差があって…。一企業に補助金を出すことへ反対もありました」と振り返る。18年度の売上構造は乗合42%、高速37%、貸し切り22%。輸送人員はピークだった1968年度の4166万人から減り続け、2018年度には8分の1の511万8000人まで落ち込んだ。公的な補助のほかに高速、貸し切りの黒字で路線バスの赤字を補填(ほてん)しているが、急激な業績アップは難しい。加えて業界全体が深刻な運転手不足に直面している。
 今年で創立78年。一つの区切りとして100年続く会社を社内目標に掲げている。「縮小均衡。堅実に会社を存続させていく」。日ごろバスに乗らない層への利用促進に取り組む「バスぷらすプロジェクト」も、すぐに結果が表れるものではないが「地道に継続していく」つもりだ。
 経営方針の根底にあるのは「利他の心」。「(京セラの創業者で経営破綻した日本航空を再建させた)稲森和夫さんの本に出てくる言葉。自分の利益だけを追求せず、地域を含めた周りのことを考えながら適正な利益を確保し、会社を存続させていく。存続できてこそ地域のためになると思いながら毎日やっている」。社長就任から7年、それを体現してきた自負がある。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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安全・安定供給に全力=3

2019/9/15 日曜日

 

弘前ガス(弘前市)
 取締役社長 齊藤嘉春さん(68)
弘前市松ケ枝の本社にある球形ガスホルダー前にて。1基に入るガス量は3000立方メートル。全契約家庭に供給する約4日分の量に相当する

 JR弘前駅から奥羽線沿いに北へ車を走らせて数分。市街地の中に巨大な緑の球が二つ見えてくる。ガスホルダーと呼ばれる球形のガスタンクだ。高さ約20メートル。中は天然ガスが入っている。「地中の奥までくいを打って耐震基準など安全性は十分確保しています。都市ガスは空気よりも軽いので、万が一壊れたとしてもガスは上に昇っていきますよ」
 ここから弘前市内に巡らされたガス導管を通じて、家庭や商業施設など1万8264件(2018年12月末)に供給されているのが、いわゆる「都市ガス」である。
 大学を卒業し首都圏の電気関係の会社に就職。長男だったこともあり、3年後に地元にUターンして入社したのが弘前ガスだった。
 前職の経験を生かし、入社した年に最初の球形ガスホルダーの設計に携わった。以後「製造、経理、営業、検針、集金など、ほとんどの会社の業務を実地でやった」。
 47歳で4代目の社長に就任。「後をどうするのかきちんと体制を考えるのがトップの仕事の一つ」と言う。エネルギー業界は垂直統合型のビジネスが変わりつつある。2016年に電気が、17年にはガスの小売りが始まった。さらに少子高齢化は装置産業に大きな影を落とす。メインの都市ガス事業の先行きを見据え、18年から電気の小売りを始めた。
 好きな言葉「夢に向かって前進」は自身の経験に基づく。「願望があるからこそ努力できる。努力なしには(目標に)到達できないのだから。結果が確実に出るわけではないけれど、やらないよりはやった方が自分のプラスになるでしょ」
 11年の東日本大震災で都市ガスは影響なかったが、灯油やガソリン不足が発生。関連会社のガソリンスタンドにも車が長い列をなした。「幸い在庫が切れた後もガソリンが入りましたし、灯油はかなり在庫がありましたから」。途中で供給制限を設けるも、他のスタンドより長く提供でき、顧客以外の灯油配達依頼にも応じられた。
 液化天然ガスは自社の車で引き取りに行く契約にし、リスクがあっても在庫を多く抱える。取り扱うエネルギー資源に共通するのは「基本的に(供給は)止めない。絶対に在庫を切らさない」という考え。全てはエネルギーの安定供給と市民の生活を守るために「コストはかかるけど二重三重のガードをしている」。震災後に届いたたくさんの礼状は、今も手元にある。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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