Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

産地守り志を次代へ=20

2020/7/5 日曜日

 

青森県りんご協会(弘前市)
 会長  藤田光男さん(69)
弘前市城東中央の県りんご協会事務所にて、渋川伝次郎像の前に立ってもらった。「会員は良いリンゴをつくっている。生産量も県平均より多い」

 病害虫や霜、ひょう、台風などの自然災害を前に、どうにもならない場合があるのが農家だ。「その時にただ嘆くのではなく、現状からどうするのかを考えなければ。親たちが農業を楽しんでやっているところを見せれば、子どもたちは後継者として残るんですよ」と言い切る。
 人生の転機は就農だという。八戸工業高等専門校在学中に兄が急逝。就職先が決まっていたが、「他を知ると比べてしまうから」と、卒業後にリンゴと米を生産する実家の農家を継いだ。
 長い農業人生「困難らしい困難はなかった。仲間もいたし」と振り返る。就農するとすぐに県りんご協会の鬼沢支会や農協の青年部に入会。同協会が行う「県りんご産業基幹青年養成事業」をはじめさまざまな研修や視察を通じて、生産技術とともに人脈を広げていった。
 同時に意識するようになったのは地元弘前市鬼沢地区の村づくり。バケツで行っていた小学校の稲作を自身の水田を貸して体験してもらったり、地区の環境保全活動を行ったり、同地区出身の義民・藤田民次郎にスポットを当てた市民劇の上演に奔走したりと、幅広い分野で地域活性化に尽くしてきた。地縁が薄くなっている現代社会だが「鬼沢はまだ古き良き時代を残している。他の地域の人から結束力があると言われる」と自負する。
 日本一のリンゴ生産量を誇る本県で、リンゴを取り巻く環境は生産、販売、研究機関、行政と多岐にわたる。産業全般に関わる県りんご協会は、課題解決のための「コーディネーターでありプロデューサー」だとする。
 2016年に就いた会長職は3期目。(1)収穫箱の縮小・軽量化(2)健康食品としてのリンゴのPR(3)「人・農地プラン」のリンゴ版をつくる―の三つを今後の方針に掲げる。
 すでに直面している後継者・労働力不足に加え、時間と労力がかかる生産体制、長年にわたって積み重ねられた商習慣など、複雑な課題を抱える中で、農家には地域やリンゴ産業の未来を主体的に考えてほしいと願う。
 好きな言葉の一つが二宮尊徳の名言「積小為大(せきしょういだい)」。小さな努力の積み重ねが、大きな収穫や発展に結び付くという意味だ。
 「やれなかったとしても次の人のために道をつくっていきたい」
 淡々とした語り口からは、産地を守り先人から受け継いだ志を次代につなぐ決意がにじみ出ていた。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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なまりある音奏でる=19

2020/6/21 日曜日

 

オフィスKAZU(弘前市)
 代表取締役  渋谷和生さん(49)
弘前市富田の津軽三味線ライブハウス「あいや」のステージ前にて。こぎんのはんてんを着て弾くのが自身の“正装”。写真は知り合いに刺してもらったもので背中にも模様がびっしり。帯も総刺しだ

 強烈なばちさばきが奏でる音は力強くも哀愁が漂う。津軽民謡の伴奏楽器から独奏楽器へと発展した津軽三味線。変声期をきっかけに小学2年生から始めた民謡をやめ、見よう見まねで弾いていた津軽三味線を本格的に始めたのは中学2年生の時だった。
 親類が師事していた縁で知り合ったのが、津軽三味線の地位を世界に通じるまで高めた山田千里さん。熱心に請われて中学卒業後に内弟子になり、師匠の山田さんが経営するライブハウス「山唄」に住み込み、そこで働きながら練習に励んだ。
 津軽三味線はアドリブ演奏が基本。「手」をまねされるのは当たり前で、常に新しい手をつくらなければいけない。枕元に三味線を置き、思いついたら起きてカセットテープに録音したこともある。「師匠の音を聞いてやれ」と、教えらしい教えもない中で必死に腕を磨いていった。
 18歳から全国大会に出場すると、24歳には最高クラスのA級で3連覇を果たし、若くして全国トップクラスの奏者に上り詰めた。
 2003年に独立し、翌年には弘前市富田に津軽三味線ライブハウス「あいや」を開店。後進の育成や国内外で公演する一方で、地元の観光地で積極的に演奏活動を行ってきた。担い手減少に危機感を持ち、大会の主催にも力を入れる。
 新型コロナウイルスの影響で、5月の店の予約は0件になり、公演や大会は中止や延期になった。「何かできないか」と、オンライン飲み会からヒントを得た「オンライン慰問」を試みた。店での演奏を施設に生配信するもので好評を得た。
 さらにオンラインで「投げ銭」ができる仕組みがあると知った。仕事を失った奏者らが、収入を得られる事業にしたいと試行錯誤する日々だ。
 独立前、東京で数日間仕事をして帰郷すると、山田さんの妻で民謡歌手の福士りつさんに言われた。「東京三味線になったな」
 当時はよく分からなかったが、師匠は県外出身の内弟子によく言っていた。「朝起きて岩木山を見て、津軽のものを食べて、津軽弁をしゃべれば音に“なまり”が出る」と。
 自身もその言葉を弟子に話すようになっていた。「音に重みがなくて味がなく、軽い感じがするんですよね」
 自粛中、SNSを通じて、改めて音楽に国境がないことを実感した。世界に通じる津軽三味線になっても、津軽の風土が生み出す音があると信じている。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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満足度地域一目指し=18

2020/6/7 日曜日

 

日産サティオ弘前(弘前市)
 代表取締役社長 今井高志さん(66)
弘前市境関の日産サティオ弘前・弘前店ショールームにて。吹き抜けの高い天井と大きな窓が印象的な店内で、軽自動車「ルークス」の隣に立ってもらった。本県の軽自動車所有率は約5割。全国と比べて高いという

 28社ある県自動車会議所の会員ディーラーで唯一、弘前市に本社を置き、県内の日産販売店では創業から地場資本で続けてきた唯一の会社でもある。
 高校の英語の教科書にあった「muddle(マドル) through(スルー)(どうにか切り抜ける)」を座右の銘にしてきた。「何とかなるだろうと自分は非常に楽観的で。ただ社員には『何とかなるでは駄目』と言っているが-」と冗談交じりで話した。
 高度経済成長期の1960年代、車は豊かさの象徴になり、「マイカー元年」と呼ばれた66年に、日産は大衆車「サニー」を販売。全国でサニーの販売店を募集したのを受け、その年に父と伯父が日産サニー弘前販売(商号変更前)を興した。
 地元の大学を卒業後、首都圏の日産販売店に6年間勤め、30歳でUターンして入社。96年に43歳で2代目の社長に就いた。その時打ち出した経営方針が「CS(顧客満足度)とES(社員満足度)とDS(造語でディーラー満足度)で地域ナンバーワンになる」だった。「この会社に、あの人に任せて安心だと、お客さんに満足してもらうには、社員が入社して良かったと思える会社にしなければならない。もちろん利益を出す経営も必要」と思ったからだ。
 日産の再建計画に伴い、2001年には当時全県にあったメーカー資本の青森日産から津軽地区を分割買収した。全県買収を望む会社もあった中で「これが成功していなければ今日のうちはなかった」と振り返る。
 現在は新車・中古車販売を合わせ、弘前、五所川原、つがるの3市に10店舗を展開。「規模は小さいが地域密着で、社長の顔が見える家庭的な経営を心掛けてきた」
 新型コロナウイルス感染拡大で、特に新車購入の客足が鈍り、4月の販売実績は約3割減った。メーカーの生産調整もあり、5月は一層落ち込むと予想する。
 一方で「新しい生活様式」に伴う働き方や有事の際の事業継続について再考するきっかけにもなった。
 電気自動車や自動運転といった次世代自動車の開発が進む業界。若者の車離れや人口減少などの影響も受けつつある中で「ディーラーという形がずっと残っていくのかは分からないが、しばらくは本業で(業績を)伸ばしていきたい」。
 10年以内の長男(38)への代替わりを明言する。「明確な課題を残しつつ、長男が跡を継いで良かったなと思える形にして引き継ぎたいと思っています」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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潜在ニーズ引き出す=17

2020/5/17 日曜日

 

タグボート(平川市)
 代表取締役 水口清人さん(46)
平川市新屋町の津軽おのえ温泉「福家」の館内にて。卓球台や囲碁、将棋、ファミコンなど親子で楽しめ、家族それぞれがくつろげる仕掛けが随所にある

 大きな客船を沖合まで運ぶタグボートのように、「目立たないが役に立つ仕事ができれば」と願って付けた社名。新型コロナウイルスによる「自粛」の中で始めた温泉の宅配事業が好評を博し、多くのメディアで紹介されたのは記憶に新しい。「すみません。めちゃくちゃ目立ってしまって」と苦笑する。
 2014年に40歳で起業し、平川市の温泉施設「福家」の運営を始めた。長年務めたホテルグループでの経験を生かしたウエディング、レストラン事業のほか、県産品を使った商品も開発する。
 順調に業績を伸ばしてきた中でこだわりが二つある。一つは客を深く洞察して奥にあるニーズを読み、素早く行動すること。親子で1日中楽しめる温泉施設、少人数の結婚式、予約制の貸し切りレストラン-と、いずれも奥にあるニーズを捉えた新しい取り組みだ。
 もう一つは見切り発車でもいいから小さな挑戦を数多くし、経験値を上げること。自身の“引き出し”を増やすためだ。引き出しの組み合わせが新事業や新商品につながるだけでなく、引き出しが多ければ社会情勢に応じて柔軟な対応ができると考えた。
 東日本大震災で「有事の時は観光や娯楽が先に切られる」のを痛感したからだ。温泉も結婚式もレストランもコロナ禍の影響を受けている今。温泉宅配事業や物販強化で切り抜け、反転攻勢を狙う。
 近いうちに軽度の障害者のためのグループホーム運営を始める。一軒家を借り、管理人を常駐させて身の回りの世話をしながら、3~4人で共同生活してもらう。ここでも1人暮らしをしたいという障害者の隠れたニーズを掘り起こす。
 健康成分を含み、新しい味や見た目が全国で認められた開発商品の一つようかん。現在は製造委託しているが、利益率を上げて大手の流通に乗せるため、自社工場を造り「メーカー」を目指す。工場で障害者を雇用したり、彼らの余暇活動に温泉施設を使ったり-。
 一見、関連性のない事業がつながる。「面白いでしょ?サービス、メーカー、福祉の三つの大きな柱がからみ合って広がりを見せていければ」
 東京とほぼ変わらない情報を持ち、地方で仕事する方が豊かで幸せだという。
 「(地方には)提供していない事業がまだある。道を切り開くにはエネルギーを使うが、それに値するビジネスの未来があるので、やろうと思いますね」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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社員のため会社ある=16

2020/5/3 日曜日

 

津軽警備保障(弘前市)
 代表取締役 山口道子さん(63)
弘前市神田の本社前で、4月に入社した高校新卒の5人と一緒に。「今後も新卒採用を継続していきたい」と話す

 機械化・省人化が進む業界で、警備業は「人」だと言い切る。
 「たとえ無人化になったとしても管理には必ず人が関わる。その時にどういう人が望まれるか-。信頼できる人だと思う」
 会社経営に携わり6月で25年目。社訓に「責任・信頼・真心」を掲げ、地域社会の安全を守るために多種多様なサービスを提供してきた。
 父が1971年に興した会社を、96年に引き継いだ。早くに亡くなった父に代わり、長年切り盛りしていた母が寝たきりになり、その後を継いだ兄も亡くなったからだ。
 突然の専業主婦からの転身は、華々しいものではなかった。借金や給与遅延など、ふたを開けると「会社は散々な状態」。50人ほど社員を抱え、会社を畳みたくても畳めない。夫の助言もあり、やれるところまでやろうと決めた。
 職歴が浅かったため「社会保険や税金のこと、最低賃金があることも知らなくて」。当時の自分を苦笑しながら振り返り、「経営者が何も知らないのは罪だなと思った」。
 セミナーに熱心に出向いたり、人に教えてもらったりしながら貪欲に知識を吸収。人脈も一からつくり上げ、会社を立て直していった。
 一貫して力を入れてきたのは社員教育。警備業法による法定教育に加え、独自の研修を実施。警備の質の向上を図るとともに、身なりや言葉遣いといった外見にも気を使うよう、社員に訴えてきた。安心と信頼を与えることが警備員には必要で、「法令順守も含め、1人でも共感しない人がいると警備会社はつぶれかねない」からだ。
 健康経営にも早くから取り組んできた。がん検診やインフルエンザ予防接種の費用は会社負担。定期健康診断の2次健診受診率は2013年から100%を維持する。09年から社員に禁煙を促し始め、14年に社内を、16年には構内の禁煙を決め、17年からは勤務中の喫煙をも禁止した。直近の社員の禁煙率は75%だが「もちろん喫煙者ゼロが目標」。今年も国の「健康経営優良法人」に認定された
 教育を徹底し、口酸っぱく禁煙や2次健診受診を説く-。ひいては待遇向上や、社員とその家族の幸せにつながると考える。
 会社が大変な時に、残ってくれた社員がいたから今がある。「不謹慎かもしれないが、社員のために会社が存続している。それは20年以上変わっていない」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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