Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

時代に合わせて127年=30

2021/2/21 日曜日

 

三照堂(弘前市)
 代表取締役 木村公昭さん(48)
弘前市一番町の一番町店にて。「明治三十五年」と書かれた顧客名簿「印鑑簿」を持ってもらった。後ろの棚にははんこを手彫りする時に使った道具や貴重な史料が並べられている

 弘前市一番町には印章業が数軒建ち並ぶ。なぜか。坂を上った所にかつて、市役所と警察署があったから。1894(明治27)年に創業し、弘前の“はんこ通り”に軒を連ねる「三照堂」。老舗の5代目として2018年、代表取締役に就任した。
 長男で一人っ子。先代で父の忠資さんに勧められ、20歳から5年間、大阪府の印章店で修業した。印刷業をメインに多店舗展開する同社で、販売員として働き、店長も2年間務めた。小売りの経験は今に生きている。
 不況に強いと言われてきた業界だが、はんこ需要はじわじわと減っている。店の売り上げは1989年がピークで、今は最盛期の6割ほどに減った。
 2020年は新型コロナウイルスに加え「脱はんこ」に、中小企業や家族経営の零細企業が多い業界は大きく揺れた。自身も行革担当相の「脱はんこ」発言に「これからどうなっていくのか」と一時、とてつもない不安に駆られた。営業先でも業界の先行きを心配する声が聞かれたが現状、大きな変化はない。
 ペーパーレス化で認め印がなくなっていくのは間違いなく、不要なものにまで押印する必要もないと考えている。政府の旗振りに電子署名業界が活況だが「セキュリティーの問題などがあり、はんこ屋は到底できない」。
 大きな事業転換は難しい中「うちにはうちの強みがある」と言い切る。リンゴなど農作物を入れる段ボール、コンクリート、電子部品といったさまざまな素材に押すはんこや大型のはんこである。
 需要減を見越して先代たちが試行錯誤しながら開拓してきた分野が、今でははんこの売り上げの多くを占めるまでになった。大型はんことそのスタンプ台を作れる会社は全国的にも珍しく、東京をはじめ県外からの問い合わせは絶えない。3年前には海外ブランドコスメのプレゼン用にと、直径21センチの唇型はんこを頼まれた実績もある。「例えはんこがなくなったとしても、これらで勝負していきたい」と意気込む。
 しかし店頭販売をおろそかにするつもりはない。「ここで親にはんこを買ってもらったから、今度は子どものはんこを-」と、店を訪れる客は1人、2人ではないからだ。
 「おやじや先輩たちがお客さんを大事にしてくれたおかげで今がある」。127年の歴史を背負いながら時代時代に合った商品構成で挑むつもりだ。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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感謝忘れず心尽くす=29

2021/2/7 日曜日

 

サンライズ産業(弘前市)
 代表取締役 工藤博文さん(66)
2005年に300坪の第1倉庫から始まった青森市の浪岡倉庫前にて。取材中も大型トラックが何度も出入りしていた。荷物の保管、管理システムを導入し、徹底した管理を行っている

 「うちが成長する起爆剤となったのがここ」と感慨深げに話す先には、巨大な倉庫群が建ち並ぶ。青森市浪岡の国道沿いに4棟合わせて約5000坪。庫内には、タイヤや政府米、家具、食品類などが所狭しと並ぶ。こうした物流拠点は、今や東北6県に広がる。主軸の運送業のほかにガソリンスタンド、不動産、レンタカー、尿素水販売といった多角事業を展開するグループ企業のトップである。
 旧岩木町の農家に生まれた。弘前高校、弘前大学と進み、卒業後は弘前市役所に就職した。運送業を営んでいた父光雄さんが亡くなった翌2002年に、25年間務めた公務員を退職。会社を畳むことも考えたが、当時の社員たちの「ハンドルを握ることしかできない」という言葉が後押しとなり、事業家になることを決めた。48歳での転身だった。
 会社が軌道に乗るまでは、自ら4トントラックを運転した。下請けがほとんどで、面倒な仕事を安く請け負うしかなく、早朝から晩まで働く日々。「もっと利益を上げて社員に還元したい」「業界から認められたい」と、がむしゃらに働きながらも、「何事にも感謝を忘れない」「真心を尽くす」「約束は絶対守る」を貫いた。そうした姿勢が信頼を生み、名だたる大企業から直接依頼を受けることにつながっていった。
 M&A(合併と買収)にも積極的で、県内外の5社を傘下に持つ。グループ合わせた売り上げは年間120億円、社員は730人、車両は600台以上。複数の柱を持つことが強みであると同時に、安定経営にもつながると考えており、物流危機と言われて久しい業界だが悲観はしていない。2020年には、事業の多角化による付加価値の向上や、後継者がいない異業種をM&Aし、地域雇用確保に努めたことなどが評価され、経済産業省のはばたく中小企業・小規模事業者300社に選ばれた。
 東北一の品質で弘前初の東北ナンバーワン企業になることが目標。品質とは信用度であり、トラブルがあっても荷物を確実に運べるカバー力があること。「そのために今から体力を付けることが大事」と、さらなるM&Aを見据える。
 しかし会社がどんなに大きくなろうが、自身を育ててくれた弘前市が拠点なのは揺るがない。両親から受け継いだ水田は今も自ら耕す。「地域にお返しできるよう、社員とともに高みを目指していきたい」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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「楽しむ」が原動力に=28

2021/1/17 日曜日

 

弘前れんが倉庫美術館(弘前市)
 館長 三上雅通さん(71)
れんがが互い違いに積まれ、奥に向かってすぼまったドーム状をしている入り口にて。館内で気に入っているのは「2階ライブラリーから岩木山がばっちり見える場所」

 約100年前の古いれんがと新たに積まれた入り口のれんがが一体となった正面外観。「ブラックキューブ」と呼ばれる珍しい黒一色の展示室は、コールタールが塗られた当時の壁を使っている。建物の歴史がそのまま個性として残された弘前れんが倉庫美術館の館長に、2020年4月1日付で就任した。
 同館で展示するのは現代アート。「難解」と敬遠されがちだが、「皆さんにどう受け入れてもらうか。その土壌づくりしかない」と課された使命を語る。
 コロナ禍で4月のグランドオープンは3カ月延びた。同年12月末までの来館者数は約2万3000人で、目標の3割にとどまる。心の教育や地域貢献など「美術館運営は数字で測れないものがある」だけに、ジレンマがあるのも事実だ。
 開館10カ月で見えてきた課題は、若い世代をどう呼び込むか。学校や学年単位での来館はあったものの、もっと足を運んでほしいと高校生以下は入場無料の周知や教育プログラムの充実を掲げる。昨年発表した県内5美術館連携は、ニューノーマル時代、県民に地元を再認識してもらえる好機だと捉えている。
 本業は弁護士だが、県内各地の文化芸術活動に長年携わってきた。貴重な名画を上映し続けた「中世の里なみおか映画祭」。れんが倉庫美術館の前身「吉井酒造煉(れん)瓦(が)倉庫」で開かれた現代美術家奈良美智さん(弘前市出身)の3度の展覧会。最初の展覧会の収益を原資に設立されたNPO法人harappa(ハラッパ)では理事長を務め、多岐にわたる文化事業を展開してきた。
 さまざまな活動に自身を駆り立てたのは何か-。10年前に出合った音楽評論家吉田秀和さんの本「之(これ)を楽しむ者に如(し)かず」(原文はルビなし)に「これだ」と思った。知るよりも好きになるよりも、楽しむことが上達の近道だと説く論語の一節。今までの人生は、「面白そう」という興味が行動につながり、「楽しむ」ことが原動力だったと得心した。
 「僕の場合はそれが最初映画だった。10人、100人…と増えていったのが奈良さんの展覧会。さらには美術館開館につながったのではないか。倉庫が持つ『力』もあった」
 就任以来「みんなの美術館」を公言してきたが、みんなが分かるものばかり展示するという意味ではない。「(作品が)分からなくてもいい。興味を持って楽しんでもらえるかが大事。アートも『楽しむ者に如かず』です」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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信用積み重ねて114年=27

2020/10/18 日曜日

 

菊池薬店(弘前市)
 取締役会長 菊池清二さん(82)
菊池薬店を右後ろに、通称下土手町のスクランブル交差点角に立ってもらった。店舗正面には、創業100周年を記念して復元した、店名の金看板が掲げられている

  手すりにつかまりながら、事務所に続く階段を上っていく足取りは年齢を感じさせない。祖父が1906(明治39)年に興した菊池薬店で、今も薬剤師として接客する。店があるのは弘前市の中心街・土手町で、一番町と百石町に接する交差点角。商店街活性化にも熱心に取り組んできた。
 東北大学経済学部を志望して受験までしたが、2代目の父に勧められて受けた東京薬科大学に合格。薬学を学んで薬剤師になり、東京の薬品卸会社に就職した。病院を回って薬の配達や販売をしていたところ、店の薬剤師が退職することに。2年間の“修業”を終えて63年に入社した。
 3代目の社長になったのは35歳の73年。当時の業態は医薬品の卸業が主だったが、国内では卸業が集約されつつあった。「価格競争になったら勝てない」と小売業への転換を決断。卸部門を切り離し、87年には大手卸業の東邦薬品と合弁会社「菊池」を設立した。5年ほどで事業を東邦薬品に譲渡し、社員は同社が受け入れた。
 小売業の基礎方針になったのは、薬局・薬店でつくる自主組織「日本薬局協励会」の基本理念「最大よりも最良の薬局たらん」だった。同会のさまざまな研修や勉強会を通じて対面相談販売に徹することを決め、今で言う「かかりつけ薬局」のような役割を、制度ができる前から続けてきた。
 規制緩和や大型ドラッグストアの台頭など、「街の薬屋さん」を取り巻く販売環境は年々厳しくなっている。その中で店が続いてきたのは、顧客一人ひとりと親身に向き合ってきたから。差別化と信用につながったと考える。「経営学的なことは何も学ばなかったけれども、方向性は間違っていなかった」と振り返る。
 後継者問題が長年の悩みだったが、5月に長男の清長(きよたけ)さんへ社長を引き継ぎ、会長に退いた。「健康サポート薬局」という新たな制度下で、地域住民の健康支援といった役割が求められている薬局。さらにコロナ禍ではインターネット販売の利用や巣ごもり需要が増え、小売業は店舗運営の転換を迫られている。「それらへの対応は、新社長の経験と感性に期待したい」と語る。
 展望を聞くと「街づくりに専念する」と即答した。きょう10月18日は82歳の誕生日。元気の秘訣(ひけつ)は歩くこと。衰えない行動力と実行力で、次は商店街のためにまい進する。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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出版で一隅を照らす=26

2020/10/11 日曜日

 

小野印刷所(弘前市)
 代表取締役 木村和生さん(48)
弘前市富田町の本社にて。大量に高速印刷できるオフセット印刷機の前に立ってもらった。全長は約7メートルあり、25年以上使っている。製本で使う昭和40年代の機械も現役だという

 年間500件以上の出版印刷物を取り扱う印刷会社の創業は、ラジオ放送が始まった1925(大正14)年。25歳で入社し、創業者の小野吾郎さんと親戚だった父木村義昭さんから引き継いで、2005年に33歳で3代目の社長になった。
 就任してからの15年間を「失敗の連続」と振り返る。「脱印刷」を図ろうと、ウェブやシステム開発を試みるも、大きな成果は出せなかった。
 会社の業況が良くない時、会社の「歴史」に何度も助けられてきた。最近では新型コロナウイルスの影響でイベントなどが相次いで中止になった時。ポスターやチラシ、パンフレットの受注が激減した中、夏に大きな仕事が舞い込んだ。「それも他と比べて(印刷料金が)安いからとかではなく、これまでの実績が評価されて」
 「会社の強みは歴史そのもの。どんなに優れた人や会社でも時間だけは買えない。長い目で見るとマイナスの経験もプラスになっている」と晴れ晴れとした表情で話すが、今年の初めに心の状態が不安定になっていたことを明かした。
 過労が重なり「できることができなくなってしまった」。無気力に近い状態を克服できたのは、考え方を一新できたから。コロナ禍で会合や出張が一切なくなり、子どもが生まれたのが幸いした。働き方が激変した世の中と、時に思い通りにならない育児の経験は、仕事に対する意識を変えてくれた。「自分がやらなければという思いが強かったが、やめてもたいして変わらない。周囲が支えてくれているのも分かった」
 子どもにどんな人生を歩んでほしいかを考えたら、社長や会社は「こうあるべき」という価値観やこだわりを捨てられた。他者との比較や他者の期待を満たすこともやめたら、心が軽くなった。
 経営理念にもある天台宗開祖・最澄の言葉「一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり」が座右の銘。「光の当たらない片すみ(一隅)に光を当てるのが、出版を含めたメディアの仕事であり、出版物を通してお客さまの価値を高めるのが使命」だと語る。
 関連企業で出版社の北方新社代表でもある。「印刷」と「出版」の両輪を持つのも強みだが、どちらも斜陽産業。業界が一層厳しい状況になる覚悟はある。一方で「今までにない出版の“芽”が出てくる」のも確信している。その芽を見落とさない経営者であり、一隅を照らす会社でありたいと願う。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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