Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

先義後利で前向きに=38

2021/7/18 日曜日

 

アサヒ印刷(弘前市)
 代表取締役 漆澤知昭さん(49)
弘前市青樹町本社の工場にて。写真手前と左奥にある、昭和50年代の活版印刷機2台は現役。職人の技術が必要な活版印刷は「残していきたい」と継承にも意欲を示す

 デジタル化とペーパーレス化に“挟み撃ち”されている中でのコロナ禍。にもかかわらず、新規事業に次々と挑戦している。

 最近では新型コロナウイルスの接種記録を管理できる、県内初の「ワクチン手帳」が大きな反響を呼んだ。

 自治体や学校、あらゆる企業と付き合いがある印刷業。ワクチン手帳が「地元青森のために」との思いで企画されたように根底には「お客さまの発展が自社の繁栄になる」という会社の信念がある。

 札幌市の大学を卒業後、同市でOA機器の営業職に6年間就いた。父の後を継ぐために2000年、帰郷してアサヒ印刷に入社。そこで仕事の半分が下請けという状況に危機感を覚えた。

 試行錯誤して経営に携わる中、11年3月の東日本大震災が転機になった。弘前さくらまつりは自粛ムードから開催の可否が検討された。「まつりができないのなら弘前の街はどうなるのか。生かされた自分の命を地域のために使いたい」と、3カ月後の6月に「津軽ひろさきマーチング委員会」を立ち上げた。

 東京都文京区湯島の同業者が始めた、街の景色をイラストにしてまちおこしにつなげる「マーチング委員会」と呼ばれる取り組みに賛同し、「弘前でもやらせてほしい」と手本にした。そこで知った目先の利益より道義を優先するという意味の言葉「先義後利」に深く感銘を受けた。

 デザインと印刷という強みを生かしたオリジナルラベルで、地酒を広めたいと酒販免許を取得したり、次世代の経営者育成にとセミナー事業を行ったり。農家がモデルの「農カード」への協賛と印刷にも参加している。いずれも利益はすぐには出ないが、長い目でみれば地域活性化や、販路開拓、他社との差別化など「後利」につながるものばかりだ。

 「紙の仕事が確実に減っているので常に変化しないと」。会社同様、自らの意識も変わった。18年に経営理念をつくり、同時に全役員・社員が出席して目標などを発表する経営計画発表会を始めた。

 そこで配布される厚い冊子には、個人や部署別の目標のほか、売り上げ、賃金テーブルといった数字が公開されている。口で言うだけだったり、自身の頭の中にだけあったりした思いや会社の方針を、文字にして社員に示したのだ。

 「価値観を共有できるようになり、自走できる会社に向かっている。数字は真っ赤だけれど、前向きさだけはある」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

∆ページの先頭へ

古きに学び創造する=37

2021/7/4 日曜日

 

津軽藩ねぷた村(弘前市)
 理事長 中村元彦さん(77)
弘前市亀甲町の津軽藩ねぷた村にて。見学施設内の「弘前ねぷたの館」には、高さ10メートルの大型ねぷたから金魚ねぷたまで、大小さまざまなねぷたを展示。施設内では津軽三味線が通年で聞けるほか、体験コーナー、食事処、売店などがある

 弘前公園に面した観光施設「津軽藩ねぷた村」の理事長として知られるが、幾つもの肩書を持つ。
 弘前市と東京都で本県の農林水産加工品を販売する「青森県特産品センター」社長のほか、弘前在来の唐辛子「清水森ナンバ」のブランド化を目指して産学官・農商工連携による研究会を2004年に発足させ、会長を務めている。
 過去には自治体や企業、団体のコーディネーター、再建プランナー、調査・研究員、アドバイザーと、本県の観光産業発展と特産品開発に長年、尽力してきた。
 実家はしょうゆ、みそ製造販売の「かねかめ中村醸造元」。生まれた翌年に父が戦死し、少年期は「早くから『仕事を身に付けなさい』としつけられた」と振り返る。
 高校を卒業してから数年間は弘前など県内3市で移動販売をしたり、シンクタンク(調査・研究機関)の仕事をしていたことがきっかけで、弘前公園隣に駐車場を開設したりした。
 県産品を首都圏に売り込もうと1976年、都内に特産品センターを設立した。県内全市町村を巡って特産品を掘り起こし、全国に先駆けて都内にアンテナショップを開設。民間の宅配便が普及していなかった時から通信販売も始めた。
 81年には実家の醸造元の土地を借りて、ねぷた村の前身「弘前ねぷたの館」(88年に津軽藩ねぷた村に改称)をオープン。大量生産による「モノ消費」が主流だった時代に、物販だけでなく津軽凧や金魚ねぷた作り、津軽三味線演奏など、体験型の「コト消費」を提供。津軽の伝統文化を学べる場として修学旅行のコースになり、数度の施設改装を経て、海外客からも注目される人気観光スポットになった。
 コロナ禍で運営は厳しい状況が続いているが、「じっとしていてもしょうがない。やれることからやろう」と職員を鼓舞。疫病退散のアマビエの金魚ねぷたは1万個以上を販売する大ヒット商品となり、半世紀近く取り組んできた商品開発やアンテナショップの売り上げが、この危機を支えている。
 時代を読む柔軟な発想の根底には、「温故創新(おんこそうしん)」という考え方がある。「温故知新」をもじったもので、古き良き伝統から新しいものを創造するという意味が込められている。
 高い創造性が、地方も会社も良くすると信じ、先の見通せない難局を乗り越えるつもりだ。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

∆ページの先頭へ

利益生む攻めの農業=36

2021/6/20 日曜日

 

SKファーム(つがる市)
 代表取締役 小舘誠一さん(65)
つがる市木造筒木坂のもち麦畑にて。約4・5ヘクタールあり、市内で最も広い。麦は収穫間際に雨に当たると良くないため、3台の汎用コンバインを使って約30ヘクタールを3~4日で一気に刈ってしまうという

 緑が深くなった6月中旬、つがる市木造筒木坂を案内されて向かった先に、黄金色の畑が広がっていた。およそ10日後に収穫を控えた「もち麦」である。
 もち麦は粘り気のあるもち性の大麦のことで、食物繊維が豊富で注目されている。代表を務める「SKファーム」は2018年から県内で唯一、寒冷地向けに改良された新品種「はねうまもち」を無農薬で栽培している。
 作付面積は市内に約30ヘクタールまで拡大し、昨年3月には精麦工場が完成。もち麦の6次産業化を進めてさまざまな加工品を開発し、最近は家庭用商品のネット販売が好調だという。
 弘前大学農学部を卒業後、福島県の大手漬物加工販売会社に3年間勤務。父がつがる市で経営していた大根の漬物加工場を手伝っていたが、大根の生産者が減り、必要に迫られて自ら作り始めたのが農家になった理由だ。
 1985年に農事組合法人小舘大根生産組合を設立し、漬物用大根の生産と加工を開始。大根以外の農作物を栽培して規模を拡大するも、思うように利益が上がらずにいた。会社を整理しようと考えた2004年、芽が出なかった大根を「最後だから」と種をまき直した。すると1カ月遅れで出荷した大根が、かつてない高値をつけ、初めて利益が出た。
 これを転機に売り上げは右肩上がりとなり、2014年には株式会社に組織変更。今はつがる市に約200ヘクタール、秋田県鹿角市に約250ヘクタールある農地で主に加工用の大根、ニンジン、大豆などを20人余りで生産している。
 無農薬・減農薬の安心安全な農作物の提供に加え、一貫して農業を企業経営的な感覚で行ってきた。
 複合経営で社員を通年雇用し、国の制度や補助金を利用して積極的に設備投資を進め、大規模農業を展開。誤差わずか2センチという自動操舵のトラクター、誰でも均一にまける肥料散布機、土壌の排水対策に有益な深耕機-。肉体労働軽減や作業効率化、天災などのリスク回避に、最先端の農業機械を使うことで「農業は稼げて持続可能な仕事になる」。
 経営意識を高めるために社員が自ら考え仕事をすることや、農家自らが販路を開拓することも「チャンスを呼び、もうかる農業」につながると自負する。
 「最初は農業が嫌いだったけれど、結果的に向いていたのかな。自分で作り自分で売る楽しさを、若い人に知ってほしい。農業ほど攻めていける商売はない」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

∆ページの先頭へ

「魅力」発信し続ける=35

2021/6/6 日曜日

 

弘前大学(弘前市)
 学長 福田眞作さん(64)
5月28日にリニューアルオープンした弘前大学附属図書館雑誌棟のリーディング・ルームにて。壁面書架には独自のテーマに基づいた小説や文学作品が並べられている。ゆったりとくつろげるソファや椅子に座って読書を楽しめる

 化学の研究者か医者か-。高校3年生の時にあった選択は二つ。人生の分岐点の一つが弘前大学医学部に入学したことだという。より社会に貢献したいと臨床医を目指し、卒業後は消化器血液内科学講座(旧内科学第一講座)へ入局。2007年に同講座教授に就き、16年から同大医学部附属病院長と学長特別補佐を務めた。
 学長に就任したのは20年4月1日。新型コロナウイルスの感染者が首都圏を中心に増え、「緊急事態宣言」や「クラスター」などの言葉が連日報じられる中、一番に考えたのは、学生と学生を支える教職員の健康を守り、学ぶ機会を継続することだった。
 弘大は5月11日から前期の授業形態を、非対面の「メディア授業」にした。新年度開始から約1カ月という短期間で移行できたのは、「学生のために教職員が一丸となってくれたおかげ」と振り返る。
 メディア授業は授業動画を一定期間見返せるメリットがあるものの、実習や調査研究は行えないなど、コロナ禍は教員にも学生にもさまざまな影響を与えた。さらに部活動やサークル活動、アルバイトが制限されたことで、学生たちが経済的困窮や心身不調で悩んでいることがアンケートで明らかになった。
 経済支援では20年度に引き続き、今年度も100円昼食・夕食を提供。提供時に困り事がないか事務職員が交代で声掛けし、相談窓口の周知と相談に来やすい環境づくりに努めている。コロナ収束の見通しが立たないため、学生の声に耳を傾けて、支援を継続していく方針だ。
 今年度の重点課題に挙げるのが広報。21年度の入学志願者数(一般選抜)が20年度に比べ、約1200人も激減したことへの危機感が背景にある。大学のスローガン「世界に発信し、地域と共に創造する」を象徴するように、世界的に評価される研究や、地域との関わりから生まれるユニークな研究・商品があるにもかかわらず、あまり知られていない。全国の高校生から選ばれるよう魅力を発信していく。その魅力と強みとは「何と言っても弘前にあること。研究に地方というハンディはない」と言い切る。
 短命県や人口減少など、本県が抱える地域課題に向き合う経験、面倒見の良い住民たちとの交流-。弘前暮らしだからこそ得られる学びと経験がある。それらを糧として社会で活躍する卒業生が、弘大のブランド力を高めてくれると信じている。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

∆ページの先頭へ

酒造り奥深い楽しさ=34

2021/5/16 日曜日

 

尾崎酒造(鯵ケ沢町)
 代表取締役社長 尾崎大さん(32)
鯵ケ沢町漁師町の酒蔵にて。約370年前の江戸時代の建物だという。後ろのタンクの容量は最大6000リットル(一升瓶約3333本分)。そばにはタンクに入れて酒の量を測るものさし「検尺棒」や、かき混ぜるための細長い「櫂棒(かいぼう)」など、酒造り特有の道具もあった

 世界遺産白神山地の麓に流れる伏流水を仕込みに使い、看板銘柄の日本酒「安東水軍」で知られる鯵ケ沢町の尾崎酒造。尾崎家は江戸初期に北前船の船乗りが若狭(福井県)から移住したのが始まりとされ、350年以上の歴史がある。酒造りは江戸末期の1860年から始め、161年を迎えた。
 先代で父の行一さんが2017年に亡くなり、28歳で14代目当主を継ぎ蔵元となった。杜氏としても蔵元としても県内最年少。伝統や歴史を継ぐということは、守るものが多く相応の覚悟がいる。重責を感じながらも酒造りに励んでいる。
 酒税法で日本酒(清酒)は「米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの」と定義される。シンプルな材料からさまざまな味わいが生まれるのは、重労働でありながら水や温度に細かい管理が求められる繊細な作業にある。「成分の大部分が水分のため、水の違いが大きく影響し、酵母や気温、発酵の違いでも味が変わる。生き物(微生物)を相手にしているので、いつも緊張感を持っている」
 経営のことや地域とのつながりなど、酒造り以外の見えなかった部分に社長就任後は苦労した。父の死を悲しむ余裕もないほど多忙な中で、日本酒を飲み慣れていない人に向けた新商品を販売。「気持ち的にも落ち着いてきた」今季は、会社の基盤を整える準備を進めるとともに、酒の質向上へ動き出した。
 12月から3月中旬までの仕込み期間は毎年、社長業と並行するため超が付くほど忙しい。休めても正月の三が日くらいだったのを、今季は日曜日も休めるよう仕込みの計画を変更。「コロナ禍で予期せず製造量を減らしたが、もともと造り過ぎていた酒の量を調整するつもりだった」
 仕込む量が減ることで作業に余裕が生まれ、酒とじっくり向き合える時間が増える。その結果、質向上につながるという。「以前ほど切羽詰まった感じはしなかった」と今季を振り返る。
 社長であり杜氏でもある。「お金のこともシビアに考えなければいけないだろうが」としつつ、酵母や米を変えての日本酒造りなど、意欲は尽きない。
 後を継ぐことを決めたのは、入社前に2年間修業した山形県の酒蔵で、酒造りの楽しさを知ったから。「失敗もあるが、酒造りが好きなので」。奥深くありながら楽しい日本酒造り。造り手として飲む人の「おいしい」が何よりの言葉だという。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

∆ページの先頭へ

Page: 1 2 3 4 5 6 7 8

当サイトでは一部、Adobe Flash・PDFファイルを使用しております。閲覧にはAdobe Flash Player・Adobe Acrobat Readerが必要です。最新のプラグインはアドビ社のサイトより無料でダウンロード可能です。

  • Adobe Flash Player ダウンロードセンター
  • Adobe - Adobe Reader ダウンロード