Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

学びと実践で道開く=48

2022/5/15 日曜日

 

和電工業(弘前市)
代表取締役社長 藤田あつ志さん(49)
【写真説明】弘前市鍛冶町の城東閣鍛冶町側入り口前で。12テナントが入居し、入居率は現在100%。レンタルスペースもある。「飲食機能以外にもさまざまな可能性を探っていきたい」

 弘前市の繁華街・鍛冶町。2019年にできた観光スポット「城東閣」は、東西に通り抜ける小路の左右に、飲食店など12店が建ち並ぶ商業区画だ。
 城東閣の運営会社役員としてまちづくり事業に熱心に取り組みながら、本業で総合電気設備業の和電工業社長も務める。多忙な中で生み出す「スキマ時間」には、15年から籍を置く通信制大学で経営、経済、政治、社会学などを学ぶ。
 そんな自身の人生を、江戸と明治という真逆の時代を生きた思想家福沢諭吉の名言「一身(いっしん)にして二生(にしょう)を経るが如(ごと)く」で例える。「親への感謝のためにも、1人で二生分を生きるのもいいかな」
 高校卒業後、仙台市の土木設計コンサルタント会社で約2年間働き、父の和美さんが1990年に創業した和電工業に入社した。
 しかし「電気」について学ぶ機会がなく、「職歴を絶やさずに知識をどう補うか」と考えた。出した答えが「もう一度高校に入学すること」。働きながら定時制高校電気科で学び、愛知県の工業大学に進んだ。ここでも昼は働き、夜に学ぶことを貫き、卒業した。
 名古屋市の電気・情報通信会社に就職し、入社1年目で豊川用水の水管理を省人化する一大プロジェクトの現場代理人を任された。無理だろうとささやかれたりもしたが、見事完遂。「技術屋としての一歩をようやく踏み出せた」と振り返る。
 一方で当時の和電工業は景気低迷の影響で疲弊していた。家業再建を決意し、29歳で帰郷。過去の経験を生かしながら経営や組織の改革、デジタル化などを進め、落ち込んでいた売り上げを10年間で10倍にまで増やした。
 地方の中小企業では珍しい、電気設備設計の専門部署を持つ会社に成長した今、直面するのは「常識を別な角度から見直すことが求められるニューノーマル時代」だ。
 新しい時代に通用する知識(学び)を身に付けて行動(実践)し、そこから得た気付きを大なり小なり改善する-。座右の銘の「知行(ちこう)合一(ごういつ)」を体現し、「学びと実践の統合」が新しい道を切り開く原動力になってきた。
 「学ばない限り知識は補えないし、変化にも付いていけない」。地域に目を向けるきっかけも、子どものPTAや弘前青年会議所での学びや活動を通じて課題を知ったから。
 電気もまちづくりも地域と密接に関わる事業。「地域に求められる経営を積み重ね、その再生に貢献していきたい」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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時代に合わせ柔軟に=47

2022/4/17 日曜日

 

オザキ・フローリスト(弘前市)
代表取締役 尾崎和彦さん(54)
常時100種類以上の花がある弘前市親方町の本店で。県産の花も取り扱っている。「西郡ですごく良質なカスミソウや菊を生産している。地元に出荷してくれることに感謝」と話す

 普段の生活を見渡すと、意図せずに花を取り入れていることに気付く。春になれば花見をしたり、花柄の服や雑貨を選んだり-。
 特に冠婚葬祭と深く関わる生花は、生活の質を高め、人間関係を良好にするのに一役買っている。「生の花の魅力は、朽ちていくところ。つぼみからだんだんと開いていき、いずれ朽ちる。生きているんだなと思う」
 1940年に祖父の万次郎さんが弘前市で創業した生花店の3代目。都内の大学を卒業後、フローリストを養成する専門学校に進んだ。卒業後はオランダに渡り、日本政府の仕事で7カ月間、花の国際博覧会で働いた。
 帰国した92年の秋に25歳で家業に就き、2代目の父節男さんの跡を継いで、2013年に代表取締役になった。
 刻一刻と変わるビジネスの世界で、花き業界も例に漏れない。少子高齢化や趣味の多様化による生け花人口の減少に加え、インターネットやホームセンターで花が買えることによる価格競争もある。
 これらは脅威であるとしながらも「街の花屋は贈る人の思いを花で表現する仕事」と話す。客と会話を重ね、渡す目的や受け取る相手について聞き出しながら、花束やフラワーアレンジメントを作っていくのだ。
 コミュニケーション力はもちろん、膨大な花の知識と経験が必要であり、ある意味「技術職」と言える。新しい品種が常に出てくるため、社員ともどもデザインなどを貪欲に学ぶ。自身はF1の車からヒントを得ることも。「日本と海外では色使いが違うため、参考になる」そうだ。
 祖父が立ち上げた「尾崎生花店」が、「オザキ・フローリスト」と改名したのは1967年。会社の沿革によれば「時代に合わせて」とある。通信配達を行う全国組織に県内で先駆けて加盟したように、時流を読みながら、新しい試みに挑戦してきた会社でもある。
 今年4月からは地域で先行して生花の定額制サービスを始めた。生花店をより身近な存在にしたいのと、パソコンやスマートフォンの画面だけでは分からない「花の匂いや質感、季節で変わるさまざまな種類を、来店して実際に見て感じてもらいたい」からだ。
 会社の規模や業務のことを考えると、思い切ったIT化に踏み切れないジレンマはある。しかし「昔のやり方を残しながらも時代合わせて柔軟に、半歩でも一歩でも先を進む気持ちでやっていきたい」と語った。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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失敗が学びと成長に=46

2022/3/27 日曜日

 

カーサルーン・ビック(平川市)
 代表取締役 瀬田石昇さん(56)
弘前市石川にオープンした「ボルーノカフェ」で、人気のガトーショコラを持ってもらった。初日は30分ほどで完売し、現在も午前中で売り切れることが多いという。「ガトーショコラを使ったお土産商品や軽食ランチも考えている」

 根っからの商売好きを自認する。弘前市内の高校卒業後、車の整備士などさまざまな仕事に就いたが、「会社員はどうも性に合わなくて…」。いずれも長続きしなかった。
 1987年に21歳で立ち上げたのが中古車販売業。バイクや車を友人間で売買する中で「商売になる」と思うようになり、開業資金をためた。
 これを皮切りに、居酒屋、スナック、ラーメン店、ジンギスカン店、カレー店、レンタルビデオ店、リサイクルショップ、ゲームセンターなどを次々と起業。現在は本業の自動車販売業のほかに、自動車整備業、不動産業、国産冷凍野菜販売業の四つの会社で代表を務め、スイーツ好きが高じてスイーツ事業も手掛けてきた。
 しかし全ての事業が成功したわけでなく、廃業も多かった。全事業を社長一人で管理できない多角経営の難しさは、いかに信頼できる人に任せられるか。「人を見極める力を学んだ。商売は情だけでは成り立たない」
 45歳で「師匠と言うべき人」に出会うまでは商売は独学。新型コロナウイルス禍前は首都圏やアジアにも情報を求めて頻繁に足を運び、高額な海外視察セミナーにもちゅうちょなく参加。そこで得られる一流の人との交流と知識に価値があると信じ、「地方から世界を目指してきた」。
 培った人脈は不況下や困った時の助けになり、東京の有名ガトーショコラ専門店のオーナーシェフと知り合った縁で、今年2月には全国初のコラボレーションカフェを弘前市にオープンさせた。
 客足が絶えない中でも、新メニューや新たな試みの考案に余念がなく、商品構成の変更にもためらいはない。これまでの経験から、流行の移り変わりが激しい飲食業界は特に、「いかに飽きさせないか」が大事で、素早くニーズに応えることが必要だと考えているからだ。
 カフェはコロナ禍の中での開店。地域に明るい話題を届けたいという思いもあったが、現状を打破し、より良い結果を求めるためには、「失敗を恐れずに、ある程度のリスクを受け入れるのが商売」だと語る。
 過去のスイーツ事業の技術が、国産の冷凍野菜販売に応用され、カフェに車の商談ルームを併設することで相乗効果を狙う-。「いろんな経験を積んできた方が、何か起こってもいろんな対処ができる」。失敗という経験が学びとなり、会社の成長に生かされている。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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“歩いて”得た人の縁=45

2022/1/16 日曜日

 

上北農産加工(十和田市)
 代表取締役社長兼CEO 成田正義さん(72)
弘前市田町の弘前支店で、源たれをはじめとする人気商品と一緒に。商品アイテム数は現在350種以上。「開発担当者はいろんな人の意見によく耳を傾ける。だから他社でまねできない商品が開発されてきた」

 県内シェア8割と言われる調味料「スタミナ源たれ」、通称「源たれ」。大手優位の市場でその知名度を全国に広げ、経営危機からの再建を成し遂げた立役者である。「常に源たれを抱えて各地を歩いてきたからこそ。人との出会いのおかげ」と振り返る。
 板柳町生まれ。27歳で前身の上北農産加工農協に入組した。前職の大手ベッドメーカーでトップだった営業力を生かし、勤務先の弘前支所(当時)では、秋田県や山形県にも新たに販路を開拓した。
 39歳で経営に携わった時、農協は債務超過で破綻寸前。「絶対になくさない」という強い信念で始めたのが、自ら全国に源たれを売り込むことだった。
 津軽弁でのトップセールスも注目を集めたが、功を奏したのは営業先の特産食材を徹底して調べ、さまざまな源たれレシピを提案したこと。試食販売で万能調味料としてアピールすると「意外性と親近感が受けた」。
 全国行脚では人との出会いがさらに縁を呼んだ。各地に販売拠点をつくれたほか、商品の原材料になる良質な農産物にも出合えた。
 「コツコツと種をまいて販路拡大し、チャンスが来たら畳み掛ける-」。堅実ながらも勝機を逃さない経営を続けた。
 「苦しさの中に光が差したのを感じた」のは2010年代前半。テレビの全国番組で紹介され始めてからだった。農業法改正を機に17年には全国で初めて農協を株式会社化。自由度のより高い経営は事業の伸長につながり、18年度には長年苦しめられてきた累積欠損金を解消。配当も出せるようになった。
 華々しく見える再建物語の裏で、大きなプレッシャーに1人涙する日も少なくなかったという。家族同然と考える職員が不安にならないよう、つらい時も顔には出さなかった。
 源たれの商品力と可能性に「いける」と固く信じていたからだ。
 一貫してきた原材料の県産・国産化は、差別化と強みになり、コロナ禍前は年間約4000人が工場を訪れた。近年は残さを活用した土壌改良剤や、廃棄される酒かすから抽出した酢など、循環型農業や新商品の研究・開発にも力を入れる。
 大手とのコラボレーション商品が後を絶たないほど、地方発の全国区企業になった今。目標は設立時と変わらず、生産者の所得向上と地域に雇用を作り出すこと。「地方だからこその商品を作り、青森県の良さとともに売り込んでいきたい」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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リンゴ産業支えたい=44

2021/12/19 日曜日

 

サンアップル醸造ジャパン(つがる市)
 代表取締役 木村慎一さん(71)
工場兼店舗「モホドリ蒸溜研究所」内の蒸留窯の前で。ドイツから取り寄せた2基の蒸留窯は、社員がほぼ自力で組み立てた。今年のリンゴで造った原酒の一部は、仏産のたるで熟成するという

 大好きな農業を仕事にして50年以上。「ゼロから生み出せる」ことが魅力だという。「これも農産物。ちょっと加工するだけじゃない。ゼロから形にしているんだ」と、手にしたのは無色透明の液体が入った瓶。五所川原市の立佞武多の館前に、今年10月にオープンした工場兼販売店舗で造られた県産リンゴのブランデーである。
 構想は約30年前。農業研修で訪れたドイツで、リンゴが付加価値の高いブランデーになることに衝撃を受け、造りたいと思った。ただ、当時は25歳の時に同年代の仲間4人で設立した農事組合法人の主要メンバー。新事業展開は難しかった。
 長年温めた思いを形にしようと、同法人退社後の2005年に「サンアップル醸造ジャパン」を創業したが、酒造免許取得が難しく断念。規制緩和や地方創生への機運の高まりなどを受けて再び挑み、今年3月にようやく取得できた。この間、県内外で大豆やリンゴなどの大規模営農を展開。2007年から5年間は欧州の穀倉地帯ウクライナで大豆の栽培にも挑戦した。
 ドイツから輸入した2基の蒸留窯で造るアップルブランデー。砕いたリンゴを発酵させる酵母は弘前大学提供の白神酵母を、原酒を薄める割り水には弘前市高杉にある所有地の湧き水を使う。100%県産品だ。
 工場名は「モホドリ蒸溜研究所」と名付けた。津軽弁で「モホドリ」のフクロウはリンゴ園を害獣から守る益鳥。生産量が減る本県のリンゴ産業を守りたい思いを込めた。リンゴは自社園以外に地元農家からも受け入れ、加工用としては相場よりも高く買っている。
 アップルブランデーは原酒になると体積が10分の1以下に減る。蒸留酒のため貯蔵が利き、熟成するほど味も価値も上がる-。製造には多くのメリットがあるものの、工場で扱えるリンゴは県全体の生産量のごく一部。さまざまある酒類の中から選ばれるのも容易なことではない。
 今後の展開として大規模工場の必要性や、海外の品評会出品、輸出も見据える。甚大な落果被害があっても受け入れ可能になり、世界的な認知度が高まれば今よりも高くリンゴを買える。「そうなって初めて名実ともにリンゴ産業と農家を支えられる存在になれると思っている」
 会社の真価が問われるのはこれから。リンゴ産業の守り手になるという夢の実現へ、第一歩を踏み出したばかりである。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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