Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

“歩いて”得た人の縁=45

2022/1/16 日曜日

 

上北農産加工(十和田市)
 代表取締役社長兼CEO 成田正義さん(72)
弘前市田町の弘前支店で、源たれをはじめとする人気商品と一緒に。商品アイテム数は現在350種以上。「開発担当者はいろんな人の意見によく耳を傾ける。だから他社でまねできない商品が開発されてきた」

 県内シェア8割と言われる調味料「スタミナ源たれ」、通称「源たれ」。大手優位の市場でその知名度を全国に広げ、経営危機からの再建を成し遂げた立役者である。「常に源たれを抱えて各地を歩いてきたからこそ。人との出会いのおかげ」と振り返る。
 板柳町生まれ。27歳で前身の上北農産加工農協に入組した。前職の大手ベッドメーカーでトップだった営業力を生かし、勤務先の弘前支所(当時)では、秋田県や山形県にも新たに販路を開拓した。
 39歳で経営に携わった時、農協は債務超過で破綻寸前。「絶対になくさない」という強い信念で始めたのが、自ら全国に源たれを売り込むことだった。
 津軽弁でのトップセールスも注目を集めたが、功を奏したのは営業先の特産食材を徹底して調べ、さまざまな源たれレシピを提案したこと。試食販売で万能調味料としてアピールすると「意外性と親近感が受けた」。
 全国行脚では人との出会いがさらに縁を呼んだ。各地に販売拠点をつくれたほか、商品の原材料になる良質な農産物にも出合えた。
 「コツコツと種をまいて販路拡大し、チャンスが来たら畳み掛ける-」。堅実ながらも勝機を逃さない経営を続けた。
 「苦しさの中に光が差したのを感じた」のは2010年代前半。テレビの全国番組で紹介され始めてからだった。農業法改正を機に17年には全国で初めて農協を株式会社化。自由度のより高い経営は事業の伸長につながり、18年度には長年苦しめられてきた累積欠損金を解消。配当も出せるようになった。
 華々しく見える再建物語の裏で、大きなプレッシャーに1人涙する日も少なくなかったという。家族同然と考える職員が不安にならないよう、つらい時も顔には出さなかった。
 源たれの商品力と可能性に「いける」と固く信じていたからだ。
 一貫してきた原材料の県産・国産化は、差別化と強みになり、コロナ禍前は年間約4000人が工場を訪れた。近年は残さを活用した土壌改良剤や、廃棄される酒かすから抽出した酢など、循環型農業や新商品の研究・開発にも力を入れる。
 大手とのコラボレーション商品が後を絶たないほど、地方発の全国区企業になった今。目標は設立時と変わらず、生産者の所得向上と地域に雇用を作り出すこと。「地方だからこその商品を作り、青森県の良さとともに売り込んでいきたい」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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リンゴ産業支えたい=44

2021/12/19 日曜日

 

サンアップル醸造ジャパン(つがる市)
 代表取締役 木村慎一さん(71)
工場兼店舗「モホドリ蒸溜研究所」内の蒸留窯の前で。ドイツから取り寄せた2基の蒸留窯は、社員がほぼ自力で組み立てた。今年のリンゴで造った原酒の一部は、仏産のたるで熟成するという

 大好きな農業を仕事にして50年以上。「ゼロから生み出せる」ことが魅力だという。「これも農産物。ちょっと加工するだけじゃない。ゼロから形にしているんだ」と、手にしたのは無色透明の液体が入った瓶。五所川原市の立佞武多の館前に、今年10月にオープンした工場兼販売店舗で造られた県産リンゴのブランデーである。
 構想は約30年前。農業研修で訪れたドイツで、リンゴが付加価値の高いブランデーになることに衝撃を受け、造りたいと思った。ただ、当時は25歳の時に同年代の仲間4人で設立した農事組合法人の主要メンバー。新事業展開は難しかった。
 長年温めた思いを形にしようと、同法人退社後の2005年に「サンアップル醸造ジャパン」を創業したが、酒造免許取得が難しく断念。規制緩和や地方創生への機運の高まりなどを受けて再び挑み、今年3月にようやく取得できた。この間、県内外で大豆やリンゴなどの大規模営農を展開。2007年から5年間は欧州の穀倉地帯ウクライナで大豆の栽培にも挑戦した。
 ドイツから輸入した2基の蒸留窯で造るアップルブランデー。砕いたリンゴを発酵させる酵母は弘前大学提供の白神酵母を、原酒を薄める割り水には弘前市高杉にある所有地の湧き水を使う。100%県産品だ。
 工場名は「モホドリ蒸溜研究所」と名付けた。津軽弁で「モホドリ」のフクロウはリンゴ園を害獣から守る益鳥。生産量が減る本県のリンゴ産業を守りたい思いを込めた。リンゴは自社園以外に地元農家からも受け入れ、加工用としては相場よりも高く買っている。
 アップルブランデーは原酒になると体積が10分の1以下に減る。蒸留酒のため貯蔵が利き、熟成するほど味も価値も上がる-。製造には多くのメリットがあるものの、工場で扱えるリンゴは県全体の生産量のごく一部。さまざまある酒類の中から選ばれるのも容易なことではない。
 今後の展開として大規模工場の必要性や、海外の品評会出品、輸出も見据える。甚大な落果被害があっても受け入れ可能になり、世界的な認知度が高まれば今よりも高くリンゴを買える。「そうなって初めて名実ともにリンゴ産業と農家を支えられる存在になれると思っている」
 会社の真価が問われるのはこれから。リンゴ産業の守り手になるという夢の実現へ、第一歩を踏み出したばかりである。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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ミシンの魅力を発信=43

2021/12/5 日曜日

 

弘前ブラザー(弘前市)
 代表取締役 久保田宗さん(45)
命名畳を持ってもらい弘前市城東中央2丁目の本社で。手前のミシンはブラザー社が今年1月に発売した超高級機。北海道・東北地方では唯一の取り扱い店で、220万円という高価格ながらこれまでに数台販売したという

 筆文字の払いやかすれまでミシン刺しゅう機能で再現された「令和」の文字。その精度に驚きつつ隣を見ると、子どもの名前がミシンで刺しゅうされたミニ畳があった。地元の畳店と一緒に作った「命名畳(めいめいだたみ)」で、紙の命名書よりも丈夫で保管しやすいと好評だという。「雑談の中から出たアイデア」と謙遜するが、ミシンや物づくりの魅力を発信する日々だ。
 祖父の一(はじめ)さんが戦後間もない1948年に興した会社は、世界的ミシンメーカー・ブラザー社の製品だけを一貫して扱う全国でも珍しい販売店。屋号に同社の名を冠し、東日本でトップクラスの取引高を誇る。
 大学卒業後は地元に就職。自営業で苦労してきた両親の姿を見てきたのもあって継ぐ気はなかった。しかし「年を重ね丸く弱くなっていく」両親の姿に入社を決めた。38歳だった。
 5年後の2018年には3代目の社長に就任。会長になった父隆二さんは、今も自らミシンを売り歩く。入社前からその営業力にはかなわないと思っていた。自分が勝てる土俵はどこかと考えたのが、デジタルの部分。刺しゅうミシンはパソコンを使う場合があり、自社のホームページは更新されていなかった。
 命名畳のほかにさまざまなものに刺しゅうを試みたり、地元のねぷた絵師の協力を得て、ブラザー社のカッティングマシーンでねぷたの切り絵を作ったり-。それらの制作過程や修理の様子を、根気よくブログなどに投稿した。根底にはブラザー製品のPRがあるが、「機械に詳しくなり、できることとできないことをきちんと説明できる」から。全国から問い合わせがあるのも、こうした積み重ねのおかげである。
 コロナ禍のマスク不足を受け、2020年の業界はメーカーも「空前絶後」と驚くほどの売り上げだった。自社も在庫は早々になくなり、修理依頼は19年に比べ10倍に増えた。
 ただ、コロナ禍で増えた多くは「ライトユーザー」だと認識している。そうした客層に、ミシンの面白さに直接触れてもらおうと、実演販売に加え、イベントへの貸し出しも積極的に行ってきた。「お客さんと近い関係」が、街のミシン販売店には必要だからだ。
 入社するまで触れたことすらなかったミシン。「やりたいことがたくさんある。あと5年入社が早ければ」と悔やむほど、今はミシンの世界に魅了されている。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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2021/11/21 日曜日

 

森羽紙業(五所川原市)
 代表取締役社長 長谷川通さん(63)
五所川原市姥萢の工場にて。波が片面見えた状態の「片面段ボール」(手前)を製造できる昭和20年代製の機械(左)と一緒に。片面段ボールの製造工場は東北でも数少ないという

 板状の段ボールが1分間に200枚というスピードで裁断、印刷、のり付けされ、折り畳まれた箱になって出てくる。需要期に入ったリンゴ用の段ボール箱が、工場で次々と造られていた。
 大手段ボールメーカー森紙業(本社京都市)と包装資材専門の羽藤商事(五所川原市)の合弁会社(現在は解消)として50年前に創業した森羽紙業。農業が盛んな西北五地方の五所川原市を拠点に、主に青果用の段ボールを製造してきた。
 入社は26歳の時。求職中に経理経験を買われ、高齢で病気がちだった事務長の後任にと採用された。ところが大阪での研修中に、事務長が入院。引き継ぎゼロで経理を一手に引き受けることになった。資金繰りが全く分からず、数日後には給与の支払いを控えていた。全てが手探りの中、「会社を倒産させない」という強い思いで、半年間休まずに働いて乗り切った。
 さらに社歴1年未満の新人に課されたのは津軽弁と京都弁の“通訳”。森紙業からの指示を伝えたり、重要な会議への同席を求められたりした。2社間の橋渡しをしながら、経営や営業、製造について自然と学んでいった。
 先代の社長が高齢のため勇退し、2014年に社長に就任。「やっていることは昔と変わらないが、今は全部の責任が自分にある。思い切ったことができなくなった」と冗談交じりで話す。
 段ボールは見た目での差別化が難しい。大量生産できる大手に集約される業界で、会社は独自商品の開発に挑んできた。2004年に製造特許を取った段ボール製の青果用緩衝材「エスコパ」が、世界的な脱プラスチックの流れを受けて再び注目されている。
 業界で画期的な試みも進める。受注生産の段ボールは初回こそ細かい打ち合わせが必要だが、2回目以降の注文は電話1本で済む。しかし一つの業者がさまざまなサイズの箱を扱う場合もあり、受注ミスがあるのが悩みだった。ミスをなくし効率良く納品できるよう、スマートフォンから注文できるアプリを市内業者と開発中だ。
 「装置産業だが、サービス業だとも思っている。納品の速さや地元だからこそ得られる信頼など、大手にできないことをやる。それが付加価値になる」
 会社の製品ポリシーで、段ボールを「いのちを守る器」と表す。いのちとはひいては食物のこと。創業からの精神を引き継ぎ、地域の農業を支えていく。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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酒造再建「誠」の心で=41

2021/11/7 日曜日

 

白神酒造(弘前市)
 代表取締役 西澤誠さん(57)
弘前市桜庭にある刈り取り前の自社田にて。約2ヘクタールあり、本県生まれの酒米「華吹雪」(写真)が9割で、残りが飯米「まっしぐら」。飯米と比べると酒米の方が葉の緑が濃いという

 世界遺産・白神山地の麓、弘前市東目屋地区にある「白神酒造」。法人化前の「西澤酒造店」から数えると、120年以上続く酒蔵の5代目である。
 前職はタンクローリーの運転手。28歳の時に母親が亡くなったことで家業を継ぐことを決め、Uターンした。父の代までは杜氏を雇っていたが、県内外の酒蔵で貪欲に学んで自ら杜氏(とうじ)となり、2003年から本格的に日本酒を造り始めた。
 仕込みに使うのは白神山地の伏流水で、地下5メートルの浅い場所からくみ上げている井戸水。「軟水でやや甘みがあり、沢水のよう」と話す通り、飲ませてもらうと甘みを感じる。酒造りの“肝”と断言するこの水が2015年から2年間、使えなかった。
 同年1月30日、漏電で起きた火災の影響で汚染されたためだった。酒蔵と事務所など約2000平方メートルを全焼し、新酒を含む約10万リットルの酒も失った。
 失意の中でも踏み出せたのは、多くの支援者の支えと井戸が無事だったから。火事の2カ月後には自社の“兄貴分”に当たり、かつて酒造りを学んだ「六花酒造」(弘前市向外瀬)と支援協定を締結。同社の酒蔵を借りて醸造を続けることができ、井戸は2年間水を流し続けて使えるようになった。
 火災を免れた施設内にタンク3本を置き、18年には自前での酒造りにこぎ着けたものの、仕込める量は火事前の3分の1。それでも11月から翌年4月まで「仕込んでは搾る」を4回繰り返し、代表銘柄の「白神」をはじめとする12銘柄を出荷するまでになった。
 白神の商標登録は1988年の法人化を機に、白神山地が93年に世界遺産登録される前に取ったもの。「お酒でいかに自然を表現するか」をテーマに、「山廃(やまはい)仕込み」を取り入れた酒造りを進めてきた。
 使う酒米の地域を県産、弘前産と狭めていき、昨年からは自宅近くの自社田で米作りを始めた。米も水も酵母も「オール目屋産」の酒にも挑んでいるのは、「毎年同じことを繰り返していてもそこに満足して落ちるだけ。『誠』の名前に恥じないような仕事をしていきたい」という強い思いがあるからだ。
 復興半ばでのコロナ禍で、再建計画の変更を余儀なくされた。先が見通せないが、弟で蔵人の茂樹さんや家族、地元の仲間と共に丁寧な仕込みを続けるのは変えない。それが自社の酒の個性と魅力になると信じている。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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