Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

りんご娘で人を呼ぶ=9

2020/1/19 日曜日

 

リンゴミュージック(弘前市)
 代表取締役 樋川 新一さん(49)
ライブのリハーサルに臨むりんご娘をバックに、青森市のリンクステーションホールにて。音響、照明にこだわり、観客を感動させる空間をつくり出すライブ。「地元の人にももっと見てほしい」

 座右の銘は「思いと行動」。「思い」は夢であり情熱。思うだけでは実現しない。「行動」し、情熱をぶつけて人の心を動かしてきた。大手芸能事務所「アミューズ」創業者の大里洋吉会長(青森市出身)ら各界の成功者に、手紙を書いて会ってもらい、アドバイスを受けたこともある。
 音楽・芸能活動で地域を元気にしたい―。Uターンして継いだ自動車整備販売業を営む一方で、子どもたちに歌やダンスを無料で教える「弘前アクターズスクール」を2000年に立ち上げた。同年誕生した「りんご娘」をプロデュースし、作詞・作曲も手掛ける。
 05年には芸能事務所「リンゴミュージック」を設立。現在はりんご娘ら3ユニットが所属する。彼女たちと練習生を含む15人が通うアクターズスクールでは、礼儀や社会のルールも厳しく教える。アイドル以外の道でも通用する人材を輩出するためだ。子どもたちの家庭環境はさまざま。時には自身の子ども以上に悩みに向き合い、育て上げてきた。
 津軽弁で話し、農業活性化をうたうりんご娘の人気は、今や全国に広がる。「(成木まで20年近く掛かる)リンゴの木と一緒。やっと軌道に乗った感じ」
 りんご娘は16年、高い歌唱力と圧倒的なダンスが認められ、ご当地アイドル日本一を決める「愛踊祭(あいどるまつり)」で、242組の頂点に立った。「(副賞で)一流クリエーターに曲をつくってもらい、転機にはなった。けれどブレークはしなかった」
 音楽ビデオの制作費や衣装代といった出費はかさむ一方。資金的にも厳しく、とうとうメンバー、スタッフを集めて告げた。「あと1年やってだめだったら解散しよう」
 この20年「もう終わりだな」と何度も思った。「すると神風が吹くんですよ」。17年、リーダーの王林さんが中央のアイドルグループに抜てきされた。半年ほどで脱退するが、その後、全国放送のテレビ番組に引っぱりだこに。「そこから追い風になりました」
 デビュー20周年にちなみ、春から全国20カ所でコンサートを行う。最終公演はホームの弘前市。「りんご娘の古里・青森県に人を呼ぶのが今年一番の目標。これからも仕掛けていきますよ」
 「地域のため」を貫いてきた20年。「必ず、都会と地方の『逆転の時代』が来ます。(略)青森県は、きっと全国からの注目・賞賛を浴びるはずです」。20年前に掲げた理念が現実になろうとしている。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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無縁の世界で社長に=8

2019/12/15 日曜日

 

青森スポーツクリエイション(青森市)
 代表取締役社長 下山保則さん(64)
青森市のカクヒログループスタジアムにて。特別なことがない限り見るというホーム戦。21、22日の山形とのアウェー戦では、初のパブリックビューイングを同市で行う

 56歳までバスケットボールはほぼ縁のないスポーツだった。34歳までやっていたのはサッカーで、プロリーグ「bjリーグ」のことさえ知らなかった。2012年3月、本県初のプロチームを立ち上げたいと、有志たちが訪問するまでは…。
 11年6月に33年3カ月の銀行員生活に終止符を打った。父の社会福祉関係の仕事を継ぐつもりでいたが、好きな釣りをしてのんびり暮らす予定でいた。
 6店舗で14年間、支店長を務めた経験と人脈から、頼まれたのはスポンサー集め。「お手伝いであれば」と引き受け、運営会社設立予定までに必要な資本金を集めると、今度は役員を頼まれた。「私の顔を立てて出資してくれた人もいたので、非常勤なら」と承諾。しかし非常勤として参加した役員会で、社長をやってほしいと懇願された。固辞したものの「誰もやる人がいなく仕方なく引き受けました」。
 12年7月に会社が設立され、来秋からのbjリーグ参入が決定。しかし会社はスタッフ、監督、選手、チーム名すらない状態。報酬もなし。ゼロからのスタートだったが、経験豊富なスタッフを得て、2カ月後にチーム名が「青森ワッツ」と決まった。さらに初代ヘッドコーチには鶴田町出身で「青森バスケ界で知らない人はいない」棟方公寿さんを熱意で口説き落とし、見事引き抜いた。初シーズンでチームはプレーオフに進出。ホームゲームに4万人超の観客を動員してベストブースター賞に輝いた。
 「プロスポーツ不毛の地」と呼ばれた本県に、ワッツが根付かせた新しいスポーツ文化。冬季のエンターテインメントとして県民に夢や感動を与えるだけでなく、バスケ教室や地域行事参加などを通じて積極的に地域に貢献する。経済効果も決して少なくないことが民間調査で明らかになった。
 16年からワッツは新創設の「Bリーグ」に参加。18チームから成る2部で戦う。資金難で存続が危ぶまれたり、低迷したりするチームがある中、堅実な経営を心掛けてきた。
 「熱意ある若い人に早くバトンタッチしたい。全国公募しようかと就任間もない頃から言ってるんだけど」と冗談交じりで漏らす本音とは裏腹に、2部優勝はもちろん、本県から日本代表選手を出すのが夢だと熱く語る。
 自身にプレッシャーをかける意味でも「有言実行」してきた7年間。夢は夢で終わらないはずだ。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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「休む」当然の文化に=7

2019/12/1 日曜日

 

ヒロデン(弘前市)
 代表取締役社長  松川健二さん(39)
弘前市大開の本社にある屋根融雪の実験場にて。さまざまなヒーターを設置し、会社の代名詞にもなった「融雪」の研究にいそしむ

 役員合わせ14人の電気工事会社には、タイムカードがない。社員はスマートフォンアプリから「出社」の表示を押すだけで、打刻したことになる。勤怠管理、経理、社内の情報共有、内外とのやりとりもデジタルツールを使って徹底した業務効率化を図っている。
 さらに目を見張るのは福利厚生の充実度だ。有給休暇は半日単位で取れ、取得率は100%。ユニークな独自制度も多い。4日以上の海外旅行で8万円、4日以上の有休取得では3万円を支給。子どもが生まれた男性社員へ有休5日をプレゼントする「パタニティ休暇制度」の項目には、「長期の育児休業取得も推奨しております」との記載が続く。
 1985年に父忠二さんが創業した会社。「大変なのを見ていたし、継ぐつもりはなかった」が、父に「バイトで少し手伝ってくれ」と言われて入社し、2003年に正社員になった。
 09年にはデパートのホールを貸し切って商材を展示、販売する単独イベントを企画。3日間で約1000人が来場し、大成功を収めたことで社内で発言権を得て専務取締役に。しかし当時の課題は、極めて高い離職率。「若い人がすぐ辞めていく。工事部が3人だけの時もありました」
 社長就任の15年に「従業員満足なくして、真のお客様満足は得られない」を企業理念に掲げた。経営で一番大切なのは人(従業員)だと考えたからだ。
 「われわれ工事会社は『人対人』のやりとりがとても重要。心に余裕がなかったり不満があると、接客や工事品質、社内環境に影響が出てしまう」
 業界に多く、月によって金額に増減がある日給制から固定給へ変更したほか、社員と一緒に禁煙も。安心して健康的に働ける職場環境を整えたことで、離職は大幅に減った。
 18年6月に第1子が生まれると2カ月の育児休暇を取得。掃除、洗濯、料理といった家事を行い、妻が育児に専念し療養できるようにした。休暇中は部下に権限委譲し、やりとりは社長決裁が必要な場合に限った。
 今夏には男性社員が初めて1カ月半の育児休業を取得した。社員の平均年齢は30代で、出産や子育ては避けて通れない。「家族優先、有休や育休を取るのが当然の“文化”にしたい。費用負担は大きいが、利益を削ってでも今は会社の土台をつくる時期。これらは柔軟な働き方ができ、会社が成長するための先行投資です」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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「唯一」造る独自製法=6

2019/11/17 日曜日

 

カネショウ(弘前市)
 代表取締役社長 櫛引利貞さん(67)
平川市八幡崎の熟成庫にて。木樽熟成は約20年前から始め、150個あるオーク樽でリンゴ酢を熟成する。後ろの樽は400リットル入り。500ミリリットルのリンゴ酢800本分

 薄暗い「熟成庫」に入ると酢の香りがしてきた。ずらりと並ぶ木樽(だる)の中にはリンゴ酢が入っている。ウイスキーの熟成に使われるのと同じオーク樽だ。ここで最低3カ月、商品によっては2~3年熟成させる。「できたばかりの酢はツンとした『酢かど』がある。樽に入れるとマイルドになっていくんですよ」
 1912(大正元)年にしょうゆ、みその醸造で始まった歴史ある会社に、33歳でUターン入社。「おやじ(3代目社長櫛引元三さん)に営業やれと。リンゴ酢を売れと言われてさ」。大学卒業後は東京の医薬品会社で営業職に就いていた。
 しょうゆやみそに代わる基幹商品として、81年から販売していたリンゴ酢だが、津軽のリンゴは使うものの、当初は大手メーカーと同じ、リンゴ果汁から造る製法だった。
 「どうしたらこの商売が良くなるのか、従業員にどうやって飯を食わせていくのか考えましたよ」
 そこで差別化を徹底した。しょうゆ、みそ造りの経験を生かし、津軽産の完熟リンゴを皮も芯も余すところなく丸ごとすり下ろして発酵させる「すりおろし醸造」を生み出した。「日本一のリンゴの産地にある会社だからできること。大手にはまねできない」
 新製法のリンゴ酢にどんな効果があるのかと、社長に就任した95年、県産業技術センターに社員を派遣。県内の食品会社では珍しく研究開発にも力を入れた。結果、すりおろし醸造で造ったリンゴ酢には、抗腫瘍効果があることが分かり、98年に世界食品学会と日本食品学会で発表した。
 販売方法も大手と一線を画した。デパートの催事で製法を説明して買ってもらうなど、「お客さんの顔が見える」直接販売を地道に続けた。こうして得た顧客名簿は累計45万人に。「リンゴ酢と言えばカネショウ」と言われるほどになった。
 「企画・アイデアはほとんど私です」。イタリアの高級バルサミコ酢をリンゴ酢で造れないかと取り組んだ「バルサミィアップル」、陸奥湾ホタテを使った「ほたて醤油」、本県発の美容健康成分「プロテオグリカン」配合の黒リンゴ酢「女神の林檎」といった、県産の原料にこだわった高付加価値商品を創出してきた。
 少子高齢化による国内市場の縮小は「懸念材料ではあるが、リンゴ酢はまだまだ伸びる可能性がある」と前向きだ。手間暇かけた商品が、消費者に選ばれる自信は揺らがない。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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農家のため挑戦続く=5

2019/11/3 日曜日

 

青研(弘前市)
 代表取締役 竹谷勇勝さん(75)
今夏から稼働している弘前市五代の新加工センター前にて。瓶ジュースの生産能力は2割向上したという

 うずたかく積み上げられた青色のコンテナが敷地に広がる。中に入っているのは契約農家が丹精込めて作ったリンゴだ。1日に3000~5000箱が弘前市五代の倉庫に集まってくる。訪れたのは収穫最盛期を迎えた10月末の月曜日。「土日は家族・親戚総出でリンゴをもぐでしょ。月曜は特に多いのさ」
 県庁勤務を約2年で終え、21歳でリンゴと米の複合農家を継いだが、1960年代のリンゴ産業は「再生産価格が得られないほどの安値だった」。背景には輸入果物の解禁、ミカン、リンゴの大豊作による供給過剰…。リンゴの大暴落で投棄が相次いだ68年の「山川市場」も経験した。
 閉塞(へいそく)状態を打破しようと、後継者仲間と24歳で青年りんご研究会(岩木町農協出荷組合)を発足させた。市場、問屋抜きの直売を計画し、トラックで首都圏に出掛けてリンゴを販売した。そこで得た顧客に産地から直送するも経費が重なり大赤字に。2年で頓挫した。
 同研究会を母体に1974年、立ち上げたのが株式会社青研だった。観光農園や通信販売を行うも、卸売市場主体の販売に戻したことで価格決定権がなく累積赤字は1億5000万円まで膨らんだ。「このままじゃいけない」と、89年に始めたのがリンゴジュース事業だった。
 生果では世界が認める本県のリンゴが、ジュース加工になると価値が低くなる。「甘味系、酸味系を組み合わせたこれまでにないジュースを作ろう」。試行錯誤の末にブレンド技術を確立し、当時珍しかったストレートジュースを製造した。
 スーパー名鑑を開いて全国に「サンプルまき」し、販売店の口コミなどで販路は増えていった。さらに安定経営を考え、ジュースを通年生産できる体制も整えた。
 これまでに16カ国・地域に生果やジュースを輸出し、現在も東南アジアを中心に出荷を続けている。鮮度保持効果があるスマートフレッシュ処理を早くから取り入れ、15年にはタイに14年産のリンゴを初輸出した。
 起業時からあるのは「農家の経営を安定させたい」という思いだ。葉とらず栽培による生産コストの削減だけでなく、農作業の省力化にも積極的に取り組む。
 「好きな言葉は、前は『全力投球』だったけど、今は『飽くなき挑戦』」。人口減少も後継者不足も悲観していない。来月で76歳。齢(よわい)を重ねてなお新境地を開き続ける。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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