Voice(ボイス) 津軽のトップインタビュー

 

成長 改善の積み重ね=40

2021/10/3 日曜日

 

弘前ドライクリーニング工場(弘前市)
 代表取締役社長 久保弘之さん(67)
弘前市門外のクリーニング工場前にて。最新の機械を入れ、極限まで作業改善した工場を、志を同じくする同業者に見せている。「まねできるところはまねて一緒に大きくなろう、という考えが根底にある」と話す

 洗濯から乾燥まで作業は自動。異物発見に金属探知機を導入し、入荷と出荷はQRコードで管理して洗濯回数を把握-。国内最先端の設備を取り入れる弘前市門外の工場でクリーニングするのは、家庭用の衣類だけではない。企業の制服、宿泊施設のリネン類、おしぼり、マット・モップ類のダストコントロール製品も扱う。
 会社は草創期から障害者を積極的に採用し、優良事業所として県や国から表彰されたことも。グループ合わせて社員の10%以上が障害者だ。営業エリアは津軽一円で、下北地方では地元業者と連携する。成長できた理由は「改善の積み重ね」にあると言い切る。
 父の栄三さん(故人)が1948年に創業した会社に24歳で入社。就きたかった仕事は別にあり、やむなく継いだが「やるからには負けられない。覚悟を持って入社した」。
 任されたのは同市広野にあったリネンサプライ工場とその営業。シーツや浴衣などをクリーニング込みで宿泊施設に貸し出すものだが、当時の課題が観光トップシーズンのクリーニングだった。社員に夜中まで残業してもらい、自身は日をまたいで働いても、作業が追い付かずにいた。
 施設ごとに固定化していたリネン類を、業界でいち早く共通化。クリーニングできない分は在庫を持つことで解消した。同時に工場の生産ライン改善や作業効率化にも努めた。
 競争相手は常に大手。「負けたくないが価格競争にはしたくない」と、取ったのが提案型営業だった。ホテルや旅館で使うアメニティー類を一緒に販売。顧客の要望に細かく応えることで、信頼を得ていった。
 「取引先から『地元だから』と選んでもらい成長できたが、そこに甘んじてはいけない」と強調する。品質を下げず生産性を上げるため、工場は改善を繰り返してきた。浴衣の帯を効率よく巻き上げる道具など、小さな改善が随所にあり、こうした改善の3割が社員からの提案だ。生産性を高める意識は事務系の社員にも波及し「一つの社風にもなっている」と実感する。
 長男で副社長の栄一郎さんが昨年、石油溶剤を使わずに天然由来の洗剤と柔軟剤で水洗いする宅配クリーニングを始めた。業界では画期的な技術である。
 「常にトップを走るには現状に満足してはいけない。大手にできないものを提供し、『ドライと付き合って良かった』と、言ってもらえる会社であり続けたい」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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「気付き」からの成長=39

2021/9/19 日曜日

 

幡龍(鶴田町)
 代表取締役 三上晃生さん(56)
グループ8店舗目となる藤崎町の藤翔製麺にて。入り口の右側が製麺所、左側が店となっている。セルフ式を取り、立ち食いスペースもある。駐車場には地域でどこよりも先駆けて冷凍自動販売機を設置。ギョーザ、つけ麺といった店の味を24時間いつでも購入でき、好評を得ているという

 始まりは10坪の店からだった。父満雄さんが1976年に鶴田町で創業した中華料理店「幡龍」を継いだのは24歳の時。一定の地域で多店舗展開するドミナント経営を掲げてブランド力を高め、「岩木山の見える場所」で商売をしてきた。津軽地方で中華料理店とラーメン店を合わせて8店舗経営する。
 藤崎町の国道7号沿いに、今年3月にオープンした「藤翔製麺」はグループ全店で使う麺の製麺所を併設していることが特徴。自身が理事長兼施設長を務める「共生会」(鶴田町)が運営する2カ所目の障害者就労支援施設で、主に精神障害を抱える利用者が働く。
 同会利用者が作る麺やギョーザ、たれなどが8店舗の経営を支え、店舗数が増えれば利用者たちの仕事が増えて自立につながる。健常者と障害者が共生できる「ウィンウィンの関係」が成り立っている。
 しかし、店舗拡大は順風満帆だったわけではない。27歳の時につがる市のショッピングモールから声が掛かって2店舗目を出店したが、「商売をなめていた。勢いだけで出店した」と振り返る。
 店長候補を育てていなかったための「味のぶれ」や、計画性のない出店による赤字…。その解消のために自分が無報酬で休みなく店に立たなければならない。「何のために仕事をしているのか。当時は仕事が楽しくなかった」。状況が良くなるのではと、3店舗目を開店していよいよ体がもたなくなった。
 転機は35歳の時。父に「人を動かす前に人のために動け」と諭されて意識ががらっと変わった。「人をうまく使う術を覚えないと、幡龍に先はない」と気付いたからだった。
 「自分が現場を引っ張る」「自分だけが知っていればいい」をやめ、「部下への積極的な投資」と「みんなが共通の理解の下に仕事をする」を実行。理念を体系化してルールを決め、毎月店長会議を開いては売り上げ目標などを共有した。照れくさかったが、社員に感謝の気持ちを言葉で伝えるようにも。
 さらに労働環境や給料、福利厚生も見直したことで、高かった離職率は大幅に減り、店舗は増えて業績も上がっていった。コロナ禍までは-。
 外食業界は先の見えない苦境にいるが、目標は「地域ナンバーワンの店」と答える。「壁や困難にぶち当たった時に気付き、いかに実行に移せるか-」。気付きが人も企業も成長させてくれるのだ。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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先義後利で前向きに=38

2021/7/18 日曜日

 

アサヒ印刷(弘前市)
 代表取締役 漆澤知昭さん(49)
弘前市青樹町本社の工場にて。写真手前と左奥にある、昭和50年代の活版印刷機2台は現役。職人の技術が必要な活版印刷は「残していきたい」と継承にも意欲を示す

 デジタル化とペーパーレス化に“挟み撃ち”されている中でのコロナ禍。にもかかわらず、新規事業に次々と挑戦している。

 最近では新型コロナウイルスの接種記録を管理できる、県内初の「ワクチン手帳」が大きな反響を呼んだ。

 自治体や学校、あらゆる企業と付き合いがある印刷業。ワクチン手帳が「地元青森のために」との思いで企画されたように根底には「お客さまの発展が自社の繁栄になる」という会社の信念がある。

 札幌市の大学を卒業後、同市でOA機器の営業職に6年間就いた。父の後を継ぐために2000年、帰郷してアサヒ印刷に入社。そこで仕事の半分が下請けという状況に危機感を覚えた。

 試行錯誤して経営に携わる中、11年3月の東日本大震災が転機になった。弘前さくらまつりは自粛ムードから開催の可否が検討された。「まつりができないのなら弘前の街はどうなるのか。生かされた自分の命を地域のために使いたい」と、3カ月後の6月に「津軽ひろさきマーチング委員会」を立ち上げた。

 東京都文京区湯島の同業者が始めた、街の景色をイラストにしてまちおこしにつなげる「マーチング委員会」と呼ばれる取り組みに賛同し、「弘前でもやらせてほしい」と手本にした。そこで知った目先の利益より道義を優先するという意味の言葉「先義後利」に深く感銘を受けた。

 デザインと印刷という強みを生かしたオリジナルラベルで、地酒を広めたいと酒販免許を取得したり、次世代の経営者育成にとセミナー事業を行ったり。農家がモデルの「農カード」への協賛と印刷にも参加している。いずれも利益はすぐには出ないが、長い目でみれば地域活性化や、販路開拓、他社との差別化など「後利」につながるものばかりだ。

 「紙の仕事が確実に減っているので常に変化しないと」。会社同様、自らの意識も変わった。18年に経営理念をつくり、同時に全役員・社員が出席して目標などを発表する経営計画発表会を始めた。

 そこで配布される厚い冊子には、個人や部署別の目標のほか、売り上げ、賃金テーブルといった数字が公開されている。口で言うだけだったり、自身の頭の中にだけあったりした思いや会社の方針を、文字にして社員に示したのだ。

 「価値観を共有できるようになり、自走できる会社に向かっている。数字は真っ赤だけれど、前向きさだけはある」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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古きに学び創造する=37

2021/7/4 日曜日

 

津軽藩ねぷた村(弘前市)
 理事長 中村元彦さん(77)
弘前市亀甲町の津軽藩ねぷた村にて。見学施設内の「弘前ねぷたの館」には、高さ10メートルの大型ねぷたから金魚ねぷたまで、大小さまざまなねぷたを展示。施設内では津軽三味線が通年で聞けるほか、体験コーナー、食事処、売店などがある

 弘前公園に面した観光施設「津軽藩ねぷた村」の理事長として知られるが、幾つもの肩書を持つ。
 弘前市と東京都で本県の農林水産加工品を販売する「青森県特産品センター」社長のほか、弘前在来の唐辛子「清水森ナンバ」のブランド化を目指して産学官・農商工連携による研究会を2004年に発足させ、会長を務めている。
 過去には自治体や企業、団体のコーディネーター、再建プランナー、調査・研究員、アドバイザーと、本県の観光産業発展と特産品開発に長年、尽力してきた。
 実家はしょうゆ、みそ製造販売の「かねかめ中村醸造元」。生まれた翌年に父が戦死し、少年期は「早くから『仕事を身に付けなさい』としつけられた」と振り返る。
 高校を卒業してから数年間は弘前など県内3市で移動販売をしたり、シンクタンク(調査・研究機関)の仕事をしていたことがきっかけで、弘前公園隣に駐車場を開設したりした。
 県産品を首都圏に売り込もうと1976年、都内に特産品センターを設立した。県内全市町村を巡って特産品を掘り起こし、全国に先駆けて都内にアンテナショップを開設。民間の宅配便が普及していなかった時から通信販売も始めた。
 81年には実家の醸造元の土地を借りて、ねぷた村の前身「弘前ねぷたの館」(88年に津軽藩ねぷた村に改称)をオープン。大量生産による「モノ消費」が主流だった時代に、物販だけでなく津軽凧や金魚ねぷた作り、津軽三味線演奏など、体験型の「コト消費」を提供。津軽の伝統文化を学べる場として修学旅行のコースになり、数度の施設改装を経て、海外客からも注目される人気観光スポットになった。
 コロナ禍で運営は厳しい状況が続いているが、「じっとしていてもしょうがない。やれることからやろう」と職員を鼓舞。疫病退散のアマビエの金魚ねぷたは1万個以上を販売する大ヒット商品となり、半世紀近く取り組んできた商品開発やアンテナショップの売り上げが、この危機を支えている。
 時代を読む柔軟な発想の根底には、「温故創新(おんこそうしん)」という考え方がある。「温故知新」をもじったもので、古き良き伝統から新しいものを創造するという意味が込められている。
 高い創造性が、地方も会社も良くすると信じ、先の見通せない難局を乗り越えるつもりだ。

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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利益生む攻めの農業=36

2021/6/20 日曜日

 

SKファーム(つがる市)
 代表取締役 小舘誠一さん(65)
つがる市木造筒木坂のもち麦畑にて。約4・5ヘクタールあり、市内で最も広い。麦は収穫間際に雨に当たると良くないため、3台の汎用コンバインを使って約30ヘクタールを3~4日で一気に刈ってしまうという

 緑が深くなった6月中旬、つがる市木造筒木坂を案内されて向かった先に、黄金色の畑が広がっていた。およそ10日後に収穫を控えた「もち麦」である。
 もち麦は粘り気のあるもち性の大麦のことで、食物繊維が豊富で注目されている。代表を務める「SKファーム」は2018年から県内で唯一、寒冷地向けに改良された新品種「はねうまもち」を無農薬で栽培している。
 作付面積は市内に約30ヘクタールまで拡大し、昨年3月には精麦工場が完成。もち麦の6次産業化を進めてさまざまな加工品を開発し、最近は家庭用商品のネット販売が好調だという。
 弘前大学農学部を卒業後、福島県の大手漬物加工販売会社に3年間勤務。父がつがる市で経営していた大根の漬物加工場を手伝っていたが、大根の生産者が減り、必要に迫られて自ら作り始めたのが農家になった理由だ。
 1985年に農事組合法人小舘大根生産組合を設立し、漬物用大根の生産と加工を開始。大根以外の農作物を栽培して規模を拡大するも、思うように利益が上がらずにいた。会社を整理しようと考えた2004年、芽が出なかった大根を「最後だから」と種をまき直した。すると1カ月遅れで出荷した大根が、かつてない高値をつけ、初めて利益が出た。
 これを転機に売り上げは右肩上がりとなり、2014年には株式会社に組織変更。今はつがる市に約200ヘクタール、秋田県鹿角市に約250ヘクタールある農地で主に加工用の大根、ニンジン、大豆などを20人余りで生産している。
 無農薬・減農薬の安心安全な農作物の提供に加え、一貫して農業を企業経営的な感覚で行ってきた。
 複合経営で社員を通年雇用し、国の制度や補助金を利用して積極的に設備投資を進め、大規模農業を展開。誤差わずか2センチという自動操舵のトラクター、誰でも均一にまける肥料散布機、土壌の排水対策に有益な深耕機-。肉体労働軽減や作業効率化、天災などのリスク回避に、最先端の農業機械を使うことで「農業は稼げて持続可能な仕事になる」。
 経営意識を高めるために社員が自ら考え仕事をすることや、農家自らが販路を開拓することも「チャンスを呼び、もうかる農業」につながると自負する。
 「最初は農業が嫌いだったけれど、結果的に向いていたのかな。自分で作り自分で売る楽しさを、若い人に知ってほしい。農業ほど攻めていける商売はない」

※続きは本紙紙面をご覧ください。

 

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