社 説

 

大鰐温泉もやし「増産体制構築で産地の振興を」

2017/1/5 木曜日

 

 大鰐町の「大鰐温泉もやし」の評価が高まっている。藩政時代から作られている地域の特産物で、一般のモヤシに比べて細長く、シャキシャキとした食感が特徴的だ。津軽地方にもファンが多い地場野菜だろう。
 この大鰐温泉もやしの増産と後継者育成に取り組み、6次産業化や観光振興への展開を目指す「大鰐温泉もやし増産推進委員会」(八木橋孝男委員長)の3カ年計画「『大鰐温泉もやし』増産と販路開拓を中核とした『大鰐ブランド』価値向上、産業振興プロジェクト」が来年度から本格始動する。計画に先駆け、新規生産者が栽培に携わる栽培施設「大鰐温泉もやしハウス」が町内には完成しており、プロジェクトの今後の展開が楽しみとなっている。
 大鰐温泉もやしは、弘前藩3代藩主津軽信義の時代から一子相伝の栽培方法により、連綿と地域に受け継がれてきた。栽培過程で水道水を使わず、洗浄なども温泉水で行う。もともとは冬野菜で、農閑期などに農家らが出荷してきた。
 歴史ある地場野菜だが、近年は生産者数が減っている。記録が残る大正時代に29戸あった生産者は現在6戸8人となっている。一方で人気は急上昇している。2012年に地域団体商標に登録されてからはメディアへの露出が増えたこともあり、需要が供給に追いつかない状態が続いているという。
 計画は新規就農者を増やすことで大鰐温泉もやしの増産を図るとともに町内の農家や観光事業者と連携した特産品の販路拡大、6次産業化や農観連携による商品開発などを行って“大鰐ブランド”の価値向上を狙うとしている。
 温泉とスキーで栄えた大鰐町も温泉施設の減少やスキー人気の低迷などにより、地域の活力が失われてきているように感じる。その中にあって大鰐温泉もやしは魅力ある地域資源といえる。食材自体に歴史があり、その栽培方法も地元の温泉を使うという独特なもの。何よりおいしいのだから言うことがない。
 地域おこしを成功させる要素として「観光」の役割は大きいが、近年、その観光における「食」の占める比重が大きくなっている。温泉とスキー場という豊かな観光資源を有している大鰐町だけに、これに「食」の魅力が加われば、町の活性化にも大きな力となるはずだ。
 委員会はこうしたさまざまな事業に対応するため、地域総合商社の設立を目指しているという。八木橋委員長は「ブランド化を実現し利益を生むためには、まずはもやしの規格や価格などをまとめる組織が必要と考えた」と説明している。規格や品質の均一化などはブランド食材として確立する上での必須事項といえるものだけに一層、取り組みを強め、大鰐温泉もやしを本県を代表する地場野菜の一つに押し上げてもらいたい。

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日米同盟「世界貢献のためにも強固に」

2017/1/3 火曜日

 

 2016年、日米両国の歴史に新たなページが加えられた。5月にオバマ大統領が被爆地広島を訪問、12月には安倍晋三首相が米ハワイ・真珠湾を訪問し慰霊。第2次世界大戦をめぐり、両国民の中にあったわだかまりを和らげ、戦後に大きな区切りを付けたと言えよう。
 真珠湾では、敵対国が同盟国となった日米両国の「和解の力」を両首脳が訴え、日米が今後も国際社会で積極的役割を果たすとの未来志向のメッセージを強く打ち出した。日米同盟が、これまでにないほど強固に感じられた印象的なシーンだった。
 だが、今月20日にはオバマ氏に代わり、トランプ氏が大統領に就任する。これまで「米国第一主義」を掲げ、日米同盟の見直しにも言及してきた。アジア太平洋地域の平和と安定のためにも、日米同盟は堅持されるべきだが、その将来は極めて不透明だ。
 近隣諸国を見渡せば、現状は不安定と言わざるを得ない。北朝鮮は核実験やミサイル発射を繰り返し、つい最近も新たなミサイル基地が見つかっている。大統領の弾劾で揺れる韓国では、既に合意した慰安婦問題をめぐり、再検討を求める声が次期大統領選の有力候補から出るなど、蒸し返しの動きも見られる。昨年末には日本総領事館の前に慰安婦を象徴する少女像が設置された。
 中国は、公船を再三日本領海に運航させ、その回数は昨年1年間で約40回に及んだ。昨年末には海軍の空母「遼寧」を含む艦隊が沖縄本島と宮古島の間を通過し、西太平洋へ出たことが確認された。空母の西太平洋進出が明らかになったのは初めてで、日米をけん制したものと考えられている。東アジア情勢は、日米同盟に対するトランプ氏の出方次第で、さらに流動化する可能性が高い。
 世界を見渡せば、テロの脅威は収まるどころか拡大の一途をたどっている。昨年はジャカルタやブリュッセル、ダッカなど、これまで惨劇とは無縁だった場所も狙われた。12月には欧州の中で比較的安全とされていたドイツでも、首都ベルリンでクリスマス市にトラックが突入する悲劇が発生した。
 欧州ではポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭し、英国が欧州連合(EU)離脱の道を選んだほか、フランスやイタリアでも反EUの勢力が増えつつある。1930年代、世界恐慌をきっかけに関税引き上げなど保護主義や経済ブロック化がまん延した。各国の「近隣窮乏化策」が第2次大戦という悲劇を招いたことを忘れてはいけない。
 世界情勢の不安定さが増し続ける中、日本はどのような役割を果たせるだろうか。平和の尊さと和解の力を世界各国に示すためにも、まずは日米同盟を引き続き強固なものとしていく努力が求められていよう。

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2017年に思う「成熟時代に生きる努力を」

2017/1/1 日曜日

 

 2017年が始まった。昨年末からの雪で、津軽はやはり雪国なのだと実感する。厳しい寒さと雪との戦いとなるのだろうが、春の訪れを心待ちにしながら、今冬を乗り切りたい。
 昨年は変化の多い一年だった。世界経済はグローバル化の影響により、さまざまな国で富める者と貧しい者の差が拡大した。この貧富の拡大が背景となり、米国大統領選ではグローバリゼーションを否定するようなトランプ氏が当選。英国のEU(欧州連合)離脱の国民投票結果もこうした不満の延長にある出来事といえるだろう。世界の各地でこれまでの流れを転換させるような変化が起こった一年だったと思う。
 国内においても大都市圏と地方の地域間格差などが広がる一方だ。こうした格差を生み出す要因の一つが人口減少だろう。本紙が年末から年始にかけて連載している企画「創生への道 人口減少時代を生きる」を見ると人口減少が地方にもたらす影響の大きさがよく分かる。
 本県人口は1985年の152万人余りをピークに右肩下がりが続き、昨年ついに130万人を割り込んだ。本県の基幹産業・農業は担い手不足が顕在化し、中心商店街も空き店舗が目立つ。生産年齢人口も目減りし、社会保障制度の維持が難しくなるなど悪循環の中にある。
 つくればつくるだけ物が売れ、経済が発展した高度成長時代が終わり、その終えんと共に出現したバブル経済も泡のごとく消え去った。
 日本は、本県は、衰退に向かっているのだろうか。そうは思わない。日本を人に例えれば、成長期を終えた今、この国は成熟期にあるといえるのではないか。身の丈に合った暮らしを営むのに必要なインフラや制度は成長期にある程度、整備された。こうしたモノや制度をこの成熟時代に合ったものに作り替え、持続可能なものとして継続、発展させていく、そのような時代に私たちは生きているのだろう。
 こうした時代は地方にとって不利なのだろうか。これもそうは思わない。豊かな自然に恵まれ、所得が低いながらも暮らしやすい地域コミュニティーなどがまだ残る地方こそ、成熟時代を生き抜く資源の宝庫と言えるのではないか。
 本県リンゴ産業は輸出が急伸し、世界から熱い視線が集まる。弘前城は石垣修理を逆手に取って観光資源としての新たな魅力をまとった。県産米のエースと期待される青天の霹靂(へきれき)の販売は好スタートを切り、これからが正念場だ。2017年はこうした資源をさらに磨き上げ、本県に活力を与える起爆剤としたい。
 今年の干支(えと)「酉(とり)」という字はもともと「果実の熟した状態」を表しているという。成熟時代の今、今年を熟れて美味な果実を収穫するための努力の年としたい。

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16年を振り返って「地域・産業振興に一定の成果」

2016/12/31 土曜日

 

 2016年も残すところ1日となった。県内のニュースを振り返ると、記憶に残ることがさまざまあったが、地域振興や産業振興においては一定の成果が見られた年だった。
 一つは、北海道新幹線新青森―新函館北斗間の開業だ。新幹線によって本県と道南が1時間余りで結ばれる新たな時代を迎え、双方を一体にした「青函圏」を前面に押し出してキャンペーンを展開したことなどが奏功。三村申吾知事が今年の漢字を交流の「交」としたように、県内外の交流人口が増加し、観光振興に弾みがついた。
 施策においてスポーツを重視する自治体が増える中、弘前市では、17年6月にプロ野球の1軍戦が開催されることが決まった。はるか夢球場を改修するとともに、楽天に粘り強く働き掛けを続けたことが実を結んだ。県内での1軍戦は1988年以来29年ぶりとなるだけに、県内の野球ファンを大いに沸かせた。
 本県の基幹産業である1次産業では、県産米のエース「青天の霹靂(へきれき)」がデビュー2年目を迎え、昨年に続いて市場から高い評価を得た。関係者が「勝負の年」と位置付けた今年、県内外でのキャンペーン効果もあり、食味の良さなどが消費者に周知され、続々と登場する他県の新銘柄と堂々と渡り合った。
 さらに、県産リンゴの販売額が2年連続で1000億円を突破した。16年夏まで販売された15年産は高品質、良食味から高値基調を維持。輸出も台湾や香港を中心に引き合いが強く、量、金額ともに好調だった。生産現場では後継者不足など課題があるものの、産業としての将来に明るさも見えた。
 土木関係でも大きなニュースがあった。事業着手から約30年の歳月を経て津軽ダム(西目屋村)が完成した。工事促進に向けた国への働き掛け、移転者への補償交渉など、関係者の苦労は並々ならぬものがあっただろう。そのかいあって、岩木川流域の洪水被害軽減など本来の治水・利水機能が向上し、地元はダムツーリズムやダム湖「津軽白神湖」での水陸両用バス運行といった観光面での活用にも取り組み始めている。
 幾つか事例を挙げたが、これらはいずれも一朝一夕に成し遂げられたものではない。長期にわたる関係者の努力があってのことだ。ただ、その成果を将来につなげていくことはより難しい。
 国が「地方創生」を掲げて支援策を打ち出しているが、その分、地域間の競争は激化している。明確な目的、施策を持ち、着実に成果を上げなければ、ふるいにかけられる厳しい時代なのである。
 人口減少や少子高齢化が加速する中で、地域をいかに持続させていくか。これまで以上に施策が問われている。各地域に自助努力が強く求められる時代であることを、年の終わりに再認識したい。

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ノクターン号30周年「今後も夢と希望を運び活躍を」

2016/12/30 金曜日

 

 地方と首都圏を結ぶ夜行高速バスの先駆けとして1986年から運行開始した、弘南バス(本社弘前市)の「ノクターン号」が26日に30周年を迎えた。ノクターン号は全国各地に同様の路線が開設されるきっかけになったとされる。2010年の東北新幹線全線開通後も乗客は年間4万人程度で推移しており、今後も数多くの乗客の利便性を図り、同時に夢と希望を運ぶ路線として、活躍を続けてほしい。
 ノクターン号は東北新幹線・上野―盛岡間開通に伴い、85年に弘前―盛岡間で運行開始した高速バス「ヨーデル号」の乗客アンケートで、本県から東京へ直行するバスの需要が高かったとの結果を受けて、86年の東北自動車道全線開通に合わせて開業に踏み切った。その運行区間685キロは当時のバス路線としては全国一の長さを誇った。年間利用者は当初1万3000人を見積もっていたのに対し、87年に約7万5000人、90年には10万人の大台を突破した。
 現在はアンケート結果を踏まえ、五所川原駅や横浜駅などにも発着しているほか、女性専用車両を導入するなど顧客の需要をくみ取り、時代の変化に合わせてきた。最盛期には出稼ぎ労働者などの利用が多かったが、近年は遊びで上京する大学生らも気軽に利用するといい、その年齢層が広がっているという。弘南バスはスカイ号、パンダ号などノクターン号とは異なる区間や運行時間帯などを設定した、別の首都圏行き高速バスを運行しており、これも利用者の需要を細かく捉えたものだろう。
 新青森―東京間を最短3時間弱で結ぶ東北新幹線に比べ、弘前バスターミナル―浜松町バスターミナル間の場合は9時間と所要時間の面ではかなわないが、深夜帯に走行し、起床する時間には目的地に到着する。料金も片道1万円以内に収まることが多く、鉄路や空路と比較しても、はるかに割安である。本県と首都圏を結ぶ交通手段の一角として、現在も多くの利用があり、健在である理由はここにもあるのだろう。
 高速バスの利用目的は出張や就職・入学試験、観光と他の交通機関同様、その目的はさまざまだ。時間を要する分は睡眠でカバー、交通費を割安で済ませ、目的地で所持金を別な用途に利用するか節約できるわけであり、速達性に優れる空路と鉄路、経済性に優れる陸路のバスと、これまですみ分けができてきた理由が納得できる。
 一方で高速バスをめぐっては近年、今年1月の15人が死亡した軽井沢スキーバス転落事故に代表されるように、大事故を引き起こすケースも見られる。空路も鉄路もそうであるが、事業者には多くの乗客の命を預かっているという緊張感、そして使命感を常に保持し、利用者に快適な旅を提供してほしい。

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