社 説

 

成人式「本県振興のため気概を持って」

2018/1/9 火曜日

 

 本県では3日の鶴田町を皮切りに、7日には弘前市など20市町村で成人式が行われた。各会場では、振り袖やはかま、スーツで着飾った新成人たちが大人の仲間入りを祝福し合ったり、旧友との再会を喜んだりした。県教育委員会によると、今年度の新成人は1万2450人となっている。このうちの多くが本県のために活躍し、将来を担うことを願う。
 高校などを卒業し、成人を迎えた若者は県内外の学校で学んだり、企業に就職したり、と立場はさまざまだ。夢をつかむため、希望の職に就くため、家族を支えるため、とがむしゃらに取り組んでいる最中であろう。そうした未知の可能性を秘めた若者が、20年の間に積み上げた知識や経験、意欲を本県のために役立ててほしいというのが、多くの人生の先輩方の希望であろう。ただ、理想通りにいかないのが現実である。
 県が4日に発表した本県推計人口は、昨年12月1日現在、127万7086人(男59万9949人、女67万7137人)となり、前月比863人減。微減が続いており、2040年には100万人を割るというデータもある。自然減はやむを得ない面があるとしても、若者の県外流出を中心とした社会減は何を意味しているのか。
 成人式に出席した新成人の声をまとめた本紙記事によると、「地元商店街はシャッターだらけで寂しい。何とか活性化してほしい」「(青森は)若者が働きにくい」「もっといい企業を誘致してほしい」「希望する仕事があれば(青森に)戻りたい」といった声が聞かれた。そこに垣間見えるのは、故郷がもっと活気にあふれてほしい、自分がやりたい仕事が地元にあってほしいといったことではないか。
 青森労働局によると、本県の直近(昨年11月)の有効求人倍率は前月比0・02ポイント増の1・27倍と過去最高を更新した。しかし、職があっても、人が集まらなければ意味がない。魅力あふれる地元や職場を提供できないのは、われわれ先輩世代の責任でもあり、今後どうするか模索する必要があろう。
 ただし、成人を迎えた世代も「あれがない、これがない、魅力がない」と言うばかりでなく、これからの時代を担い、自ら盛り上げていこうという気概を見せてもらいたい。例えば、やりたい仕事が見つからないのであれば、大都市圏に出て経験を積んで帰郷し、やりたい仕事を創出することもできるだろう。
 そうした意欲や情熱にあふれる若者の気持ちを受け止め、一人前の大人に育て上げた上で、働きやすく、創業しやすい環境を整えていくことも、現在青森県に住む、われわれ先輩世代の責務ではないだろうか。各世代が本県の現状を理解した上で協力し、地域を振興していく姿を望みたい。 

∆ページの先頭へ

弘前城の新発見「市民の力でさらなる価値を」

2018/1/6 土曜日

 

 世紀の大プロジェクトとして注目される弘前城本丸石垣修理事業は、石垣解体作業が昨年12月中旬に一時終了し、3月下旬の再開までしばしの中断となる。同年4月から始まった解体作業は、ナンバリングした2518個の石のうち、1233石が外された。進捗(しんちょく)率48・9%というから、ようやく半分の道のりだ。今さらながら息の長い取り組みが必要になると感じる。昨年分の石垣解体が大きな事故もなく無事に終了したことに安堵(あんど)している。工事再開後も滞りなく事業が進み、日本最北の現存天守が再び天守台の上に座る姿を一日も早く見たいものだ。
 昨年は石垣解体に伴い、さまざまな新事実が発見された。その中でも注目されたのが、元禄期のものと推定される排水遺構が明治以降に埋め立てられていたことだろう。石垣を解体して修理する理由となったのは、石垣が膨らんで崩落する危険があったためだが、この石垣のはらみの要因の一つが、排水遺構の埋め立てによるものと分かったのだから、今回の発見の意義は大きい。弘前城の石垣が今後100年、200年と、その美観を保っていくために、どのような対策を講じるべきか。排水路が埋め立てられたことによって石垣にどのような影響を与えたのかを専門家らの意見を聞きながら明らかにし、今後の対策に役立ててもらいたい。
 天守台最上段に当たる石の四隅で巨大なイカ形の隅石が見つかったことや約100年前の石垣修理の際の地鎮祭で使われたとみられる徳利(とっくり)やお猪口(ちょこ)、密教法具などが天守台下から発見されたのも記憶に新しい。イカ形の隅石は、その特異な形状が目を引き、市が「いかすみ石」と名付けて展示するなどし、多くの注目を集めた。観光資源としての弘前城について、幅と奥行きを与えるこうした遺構、遺物の発見が今後も続けば、弘前城・弘前公園の価値がさらに高まるだろう。今後の調査に期待したい。
 新発見といえば、元日付の本紙で報じた謎の櫓(やぐら)の写真発見のニュースも興味深いものだった。現存する弘前城の櫓の他にも同城には櫓が存在したが、今回発見された櫓の絵はがき写真が北の郭にあった子櫓ではないかというもの。本物であるならば、明治時代に花火による火災で失われた子櫓の現存する唯一の写真となるだけに、その資料的価値は非常に高いだろう。明治期の弘前公園の姿を捉えた写真としても珍しいものだろうし、他の櫓との構造の違いなども比較することができ、学術的な価値も高いに違いない。
 弘前公園を舞台に開かれる弘前さくらまつりは、今年100周年の記念すべき節目の年。市民としてもいま一度、弘前公園に注目し、家に眠っているかもしれない資料などを探してみるのもいい。新しい発見は弘前城・弘前公園をさらに市民に身近な存在にしてくれるだろう。

∆ページの先頭へ

北朝鮮の核ボタン「五輪参加なら相応の姿勢示せ」

2018/1/5 金曜日

 

 年始早々から北朝鮮をめぐる動きが活発化している。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が「新年の辞」で「核のボタン」について述べると、米国のトランプ大統領がツイッターで応酬した。一方で北朝鮮側は、韓国側との連絡チャンネルを約2年ぶりに再開し、韓国で開かれる平昌五輪に選手を派遣する用意があることも明らかにした。
 金委員長は「米本土全域が核攻撃射程圏内にあり、核のボタンが机の上にいつもある」と述べ、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実戦配備を事実上宣言。これまで重ねてきた核実験、ミサイル開発の成果を踏まえ国内外、特に“標的”とする米国に“核保有国”であることを示した。
 対する米国は脅しに屈しない強い姿勢を貫いている。トランプ大統領はツイッターに「(米国の核が)彼(金委員長)のものよりずっと大きく、より強力だ」と投稿。さらに「私のボタンは(きちんと)作動する」と強調した。北朝鮮が主張する核兵器が信頼性などで劣ると揶揄(やゆ)したもので、金委員長のさらなる反発を誘うだろう。
 米朝が言葉で挑発し合うのはこれまで通りだが、核のボタンという具体的な言葉に危機感を覚える。昨年、ノーベル平和賞を受けた国際的NGO連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン」のフィン事務局長は「トランプ大統領が核のボタンを握り、世界を破滅させ得ることを心配する人は、問題の根本が核兵器であることを分かっている」とし、偶発的事故などの危険性を指摘している。
 トランプ大統領でこうであるのだから、金委員長が握っているとする核のボタンはどうなる。自らの体制強化へ粛清を進め、国際社会から強い批判と制裁を受けながらも、ミサイルを発射し続けてきた。さらにトランプ大統領が言うようにきちんと作動せず、偶発的事故などの懸念が現実になれば、ミサイルが上空を通過する可能性のあるわが国が抱えるリスクは極めて大きい。
 安倍晋三首相は4日の年頭会見で「従来の延長線上でなく、真に必要な防衛力の強化に取り組む」と表明した。国が国民の安全確保に全力を尽くすのは当然だが、不測の事態に国民が冷静に行動できるとは思えない。不安は膨らむ一方だ。
 対米で強硬な態度を崩さぬ北朝鮮だが、対韓には融和姿勢も見せた。連絡チャンネルの再開がそれで、北朝鮮側は「韓国側と緊密な連携を取り、(平昌五輪への)代表団派遣に関連した実務的問題を論議していく」との声明を発表した。今後の南北対話に期待したいが、核をちらつかせて米国をけん制する現状の打開は困難だろう。平昌五輪は世界最大の冬季スポーツの祭典であり平和の祭典だ。北朝鮮が選手を派遣するというのであれば相応の姿勢を示さねばならない

∆ページの先頭へ

岩木川改修100年「流域の一層の発展を期したい」

2018/1/4 木曜日

 

 「母なる川」と称される、津軽地域を流れる岩木川。その流域で行われてきた岩木川改修事業が今年、国直轄治水事業の工事着手から100周年の節目を迎える。
 岩木川の逆流防止と食糧増産を掲げる国策として始まった事業は、戦禍での停滞や洪水による工事の難航など、数々の困難を乗り越えながら進められてきた。
 改修によって水難を防ぐと同時に河川を水源資源として活用する役割を担うようになり、今では津軽平野に大いなる恵みをもたらしている。先人たちの知恵や努力によって豊かな大地に生まれ変わった岩木川流域の変遷を振り返りながら、100周年の節目を地域のさらなる活性化に結び付けていきたい。
 岩木川は世界自然遺産の白神山地を源流とする一級河川で、他の河川と合流しながら北上し、終点の十三湖から日本海に注ぐ。流域面積は約2540平方キロ、流路延長は約102キロに及び、流域内には13市町村が栄える。
 今でこそ津軽平野は多様な農水産物を生み出す肥沃(ひよく)な大地だが、かつては水害や塩害に悩まされた低湿地帯だった。十三湖の閉塞(へいそく)による岩木川の氾濫にたびたび見舞われ、排水不良から開発が難しく、旧中里町や旧車力村などの水田は、ぬかるみが腰や胸に届くほどだったという。藩政時代から試みてきた開削工事も失敗続きで、荒れた田畑が放置されることも少なくはなく、改修は地域住民の悲願だった。
 こうした環境を変えたのが岩木川改修事業だったが、工事は決して順調に推移したわけではない。第2次世界大戦の勃発で、国家財政の緊縮化による工事費減額や工期延長、資材不足などに悩まされたほか、完成目前の堤防が洪水で決壊する不運にも見舞われた。完成までの道のりは、度重なる逆境や苦難に粘り強く立ち向かってきた関係者の努力のたまものといえるだろう。
 整備着手から約20年の歳月を経て十三湖水戸口の閉塞を解消する突堤が完成し、干拓につながる右岸・左岸囲繞(いにょう)堤も建設された。これによって津軽平野の排水不良などは解消され、日本有数の穀倉地帯へと生まれ変わった。淡水と海水が入り混じる十三湖はヤマトシジミの産地となるなど流域に恵みをもたらしている。
 洪水対策も進み、宅地化などの土地利用も進んでいる。2016年には貯水容量が大幅に増した津軽ダムも完成し、治水・利水効果が高まった。
 津軽平野ならではの資源を掘り起こし、流域住民に多くの恵みと繁栄をもたらしている岩木川。100周年の節目に当たり、さまざまな記念事業も検討されている。改修事業の意義と効果を改めて振り返り、地域のさらなる発展を期す機会としたい。

∆ページの先頭へ

加藤謙一の事績・通底する「教育者」の視点

2018/1/3 水曜日

 

 手塚治虫、藤子不二雄、長谷川町子、石ノ森章太郎…、昭和を代表する漫画家たちが人気を博したり、デビューしたりするきっかけに携わり、「名編集長」と称された加藤謙一(1896~1975年)は弘前市の出身だ。漫画家ばかりではない。佐藤紅緑(同市出身)や吉川英治といった当時の一流作家たちの助力も得て、戦前は「少年倶楽部」、戦後は「漫画少年」を人気雑誌に育て上げた。馬場のぼる(三戸町出身)、はがまさお(弘前市出身)といった本県ゆかりの漫画家も「漫画少年」に連載している。
 現代の雑誌、漫画文化の礎を築いたとされながら今では知る人が多いとは言えない加藤の事績は、郷里にある弘前市立郷土文学館で12日から開かれる企画展で再び脚光を浴びることになる。前述の漫画家たちの作品を読んで育った世代はもちろん、現代の子どもたちにも親しみやすい内容となるだろう。開催を機に事績の背景、すなわち加藤を突き動かしたものにも目を向けたい。
 子どもたちにとって「面白くてためになる」雑誌作りを目指す加藤の姿勢は、戦前・戦後を問わず一貫していた。ギャグ漫画や劇画が流行し時代の動向に合わなくなっても、子どもたちへ「良質な作品を届ける」ことにこだわり続けたという。加藤の四男で国立公文書館館長の丈夫さんは、「謙一の頑(かたく)なともいえる信念の原点は、津軽人らしい芯の強さ(じょっぱり)」と評する。
 同文学館企画研究専門官の櫛引洋一さんは、加藤の姿勢に「教育者の視点」を指摘する。加藤は上京して雑誌編集の職に就くまでは、弘前の富田尋常小学校(現在の大成小学校)で教壇に立ち、学級雑誌作りに情熱を注いでいた。
 加藤の視線は読者ばかりでなく、投稿される漫画作品とその作者にも注がれていた。力作には丁寧な感想を送り、漫画家を目指す若者たちにとって「漫画少年」はプロになるための登竜門と位置付けられていたという。ここにも人と作品を育てる姿勢が見て取れる。
 こうした姿勢は、立場は違えど、同様の教員生活を経て、「人間が存在する教材」としての膨大な著作を通じて子どもたちにメッセージを送り続けた田舎館村出身の児童文学作家鈴木喜代春(1925~2016年)にも通じる。
 藤子、石ノ森ら「漫画少年」投稿組を含む若手漫画家らが入居し、切磋琢磨(せっさたくま)しながら日本を代表する存在に育っていった舞台として有名なアパート「トキワ荘」(東京都豊島区)。その「伝説」の始まりとなる手塚の入居には、加藤の次男で「手塚番」だった宏泰さんが関わっていたとされる。トキワ荘の建物は、豊島区でマンガ・アニメミュージアムとして復元が計画されている。加藤ともゆかりのあるトキワ荘。オープンを契機に、弘前との連携・交流があってもいい。

∆ページの先頭へ

Page: 1 ... 137 138 139 140 141 142 143 144 145 ... 192